太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

年頃の娘の親という試練

2020-12-04 10:52:39 | 日記
3年ほど前、日本人の友人は子供と毎日バトルを繰り広げていた。
17歳の娘が、毎晩のように夜遊びをしていたからだが、
ハワイの高校生としては特別ということでもない。
それでも、夜中の12時を過ぎても帰ってこず、友人は娘が帰るまでは心配で眠れないという。

私は友人の娘が5歳だった時から知っているが、
どちらかというと常に年齢よりは子供っぽく、素朴。
17歳になっても化粧もせず、男の子みたいなガバっとした服を着て、
不純異性交遊(すごい言葉!)やドラッグをやっているとは到底思えない。
あの子なら大丈夫、と私は思うし、友人だってそうなのだろうが、
信じているのと、心配とはまた違う。
友人はシングルマザーだから、一人で抱えてしまうのも辛いのだと思う。

「そんなに帰ってきたくないなら、もう帰ってこなくていい!好きなところに行きな!」

泣きながら、そんな喧嘩を繰り広げているという。
私には子供がいないけれど、きっと私が友人の立場でも、同じことをしたであろうと思う。
眠れずに帰りを待つ気持ちや、うるさがられても言わずにおれない気持ちが、
手に取るようにわかってしまう。
私たちの親だったらそうするように、
私たちが育てられたようなやり方で、子供に接するのだと思う。


私の同僚に、同じ年齢の娘を持つ韓国人がいて、
私はふと、年頃の娘との付き合い方について聞いてみた。

「娘に嫌われるようなことをしたらダメよ」

「毎晩夜遊びしていたら?」

「そんなのうるさく言ったら、煙たがれるだけ。信じて好きにさせておくしかないよ」

「そんな悠長に構えていられるもんなの?心配じゃない?」

「そりゃ心配はするけど、だからって喧嘩して娘に嫌われたら、ずっと嫌われたまんまよ」

そういう考え方の親もいるのだな。
でも、うるさく言って嫌われたら、ずっと嫌われたまんま、ということはないと思うけど。
うるさくても、嫌われても、親なんだから。
それで一生嫌いになんか、なれっこないんだから。


韓国人の同僚の娘が、たまに職場に来ることがある。
いつも、布のハギレを体にくっつけている、というような恰好で、こってりとメイクをし、
昭和の日本人である私には「売春婦」みたいに見える。
私の友人の娘がそんな恰好をしたら、またバトルのネタになるだろう。



今、友人の娘は二十歳の大学生。
相変わらず遊び歩いているようだが、勉強もちゃんとしている。
さすがにもう男の子みたいな服装はしないけど、いつもジーンズにTシャツ、化粧はしていない。
成人したということで、親である友人も少し肩の荷がおりたらしい。
「これで一人暮らしでもしてくれたら心配の種が減るんやけどね」
娘は母親を「かーちゃん」と呼び、一緒にいるときは甘えている。


一方、韓国人の同僚の娘は、18歳の時に妊娠して子供を産んだ。
相手は黒人の若者で、結婚はしないという。
「やっぱりね」と内心で思ってしまったのは、私の意地悪であろう。

ここでも昭和世代には、「未婚の母」なんて言葉が浮かんでくるけれど、
高校生で子供を産んで、祖父母と一緒に育てるなんてハワイじゃ珍しくもない。
同僚は幸せそうに孫の世話をしているのだから、それはそれでいいのだ。



私は自分が、わりといろんな考え方を取り入れられるほうだと思っていたけれども、
意外と古い観念を持っているようである。