太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

決めるだけ

2023-05-12 14:52:26 | 日記
自分の本質にちゃぶ台返しをされ、マネージャーになることになってしまった頃(その記事はコチラ)、夫は海から生まれた虹の写真を撮っていた。




まるで海の中から空に向かっていくみたい。
虹の写真でも見て、心を落ち着けよう。


私は知っているのだ。
私の現実は私が作っていることを。
啖呵を切ってしまい、マネージャーになることが決まって、「電話の面倒な英語、どうすんのさ」と弱気になっていた私に、私の本質は言った。

『アンタができないと決めれば、できない現実を生きるし、できると決めれば、できる現実を生きるし、どうすんのさと思っていれば、いつまでも、どうすんのさ、って言ってる現実を生きるだけじゃん』

あー、小憎らしいったらない。
そんなこと、わかっとるわぃ。

『じゃ、欲しい現実を生きればいいだけのことじゃん、何で困るのかわからん』

穏やかだった私の生活を、「不幸発生装置」のボタンを押して壊しておいて、何威張ってんだっての。
知っているということと、そのようにできるということとは、同じじゃない。
知っていても、すんなりできないことだってたくさんある。
知っているからこそ、エゴだかなんだか邪魔が入ってグズグズしていることに苛立ったりもする。

『つべこべ言ってる暇があったら、やることがあるんじゃないのー?面談で、アンタ何て言った?』

ゼネラルマネージャーとの面談の最後に、私が
「Lets do it!(よし、やってやろうじゃん)」
と言ったら、ゼネラルマネージャーも、ほかのマネージャーも手を叩いて喜んだ。
「それそれ!それよー!」


英語での電話応対ができるかどうかを、たとえ寝ずに考えたところで答えなど出ようがない。
私がやるべきは、どういう現実を生きたいか決めることだけ。
私にできるかどうかを試されているのは、電話の英語なんかのことじゃなく、生きたい現実を生きられるかどうか、だ。


こうなったら、やってやろうじゃないか。
会社設立以来、初めての他国籍の社員で、初めての他国籍のマネージャー。
レジェンド作るどー。
ぐすぐずしていた時間、二日。
この切り替えの早さは父譲り、開き直りの良さは母譲り。感謝。




なんでこーなるの?!

2023-05-12 14:05:51 | 日記
その朝、腸がキリキリと痛かった。
仕事に行ったときには何でもなかったのが、9時頃から痛み出した。腰をかがめたくなるほどの鋭い痛みが、波のように来たり引いたり。
お臍の下だから、胃ではなく腸だと思う。いったいこれは何なんだ。

痛みをこらえているところに、韓国人の同僚がやってきていきなり言った。
「マネージャーになりなよ、シロしかいないよ」
昨年、打診はされていたのだ。
4人いたマネージャーが、本土に引っ越しやらなにやらで次々にいなくなり、2人になってしまった。
なんとしてももう一人はマネージャーが欲しいということで、私に打診が来た。
私はマネージャーに近い仕事をこなしているという自負がある。それに見合う収入になるのは嬉しいけれど、ひとつ気がかりなことがあった。

それは電話。

面と向かってなら、どんなことでも対応できるけど、電話を通して聞き取るのは難しい。今は、わからなければ他の人にまわしてしまうけど、果たしてマネージャーになってもそれをやっていいのか。(って、わからないものは仕方がないんだが)
だから、打診されたとき、手助けはするけどマネージャーにはなりたくないと言ったのだ。

マネージャーに立候補した人はいる。彼は13年も働いている人だけれど、どう考えてもマネージャーには向いていない。だから却下。
ゼネラルマネージャーは、Jという、オーナーの息子をマネージャーにしたいのだけれど、Jは入って1年半ぐらいだし、腰痛持ちなのでレジスター以外の部署には不案内で、これから訓練していかねばならない。
でもJは人格もいいし、Jがマネージャーならいいなと私は思う。まあ、今から訓練すれば半年もしないうちにマネージャーに・・・・・

「そこで、Tはどうか、って検討してるらしいよ」

韓国人は眉をひそめて言った。
なに!T???あの、T???
私は聞きながらドキドキしてきた。
Tはまだ半年ぐらいしかここにいない。悪い人ではないけど、裏表があって誠実さが感じられなくて尊敬できない。

「Tがマネージャーになるぐらいなら、私がやるッ!!」

と思わず啖呵を切ってしまった。

韓国人が話しかけてから啖呵を切るまで10分以内。
ここが私の短絡的で、沸騰が速くて、思慮が浅いところ。
さて、そうとなったら善は急げ、ていうのが私のせっかちなところ。
すぐにマネージャーを捕まえ、私がマネージャーになってもいいって言ったらどう思う?と聞いてみた。
彼女は大変喜んで、その場でゼネラルマネージャーに電話をかけた。
ゼネラルマネージャーも狂喜して、今すぐオーナーに聞いてみると言った。


転機のとき、私はいつも、そうだ。
背中に飛び蹴りをくらって、崖から飛び降りる。
感情のままにスイッチを押してしまい、動き始めた現実をみてオロオロする。


離婚したときは、いきなり雷に打たれたように今の現実に疑問を抱き、そうなるともう居ても立っても居られずにスイッチを押して爆発し、荷物をまとめて家を出た。
私の内側ではとっくにこの現実に懲り懲りしていたと思うが、ごまかしごまかし11年もグズグズしていたから、あの日、私は飛び蹴りをくらったのだと思う。

転職したときは、前の仕事を辞める気などなかったのに、ドライブの途中に求人の案内看板を見て、夫がどんどん店に入っていき、申込用紙をもらってきて、ランチを食べながらそれに記入し、帰り道に置いてきた。
その間中、なんで私が今こうして求人の申し込みをしているのか不思議でならなかった。
前の職場では、もう私がやることは終わっていたのだ。だから「もっと前を良く見ろ」という意味で、目にデキモノができたのだった。それでもグズグズしていたから、もう片方の目にもデキモノができた。
なんでそれでもわからんか!てことで、夫がスイッチを押す役をさせられたというわけだ。


ゼネラルマネージャーとの面談があった。
「もうこんなに嬉しいニュースは滅多にない!!オーナーも二つ返事!あなたがやりたくないと言ったから、あまり強く押して、辞められたら困ると思って言えずにいたの」
他のマネージャーたちも、オフィスのマネージャーたちも、みんな大歓迎。
いやー、ありがたいんだけど、ほんとに大丈夫なんか?
ゼネラルマネージャーには、Tがマネージャーになるぐらいなら私がやる、とは言えないので、7年余りここにいて、そろそろ次のチャレンジをしてもいいかと思って、と適当な理由をつけておいた。



私は穏やかに平和に無難に波風たてずに暮らしていきたいと願っているのに、なぜかそうはならない。
そう願っているのは表面の生身の私だけで、本質の私はそんな人生に飽きてしまうのだ。だから、穏やかになってくると、何かを起こす。
最近、絵のほうもこっちの仕事も生活も穏やかに安定してきて、私は喜んでいたところに、これだ。


ちゃぶ台ひっくり返して、本質の私は今大喜びしてるんだろう。
自分が自分にやっていることなので、誰も責められない。
勢いで乗り換えた電車が動き出してしまい、生身の私は途方に暮れているのである。