太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

リロ&スティッチの映画に、出る!

2023-05-26 14:42:19 | 絵とか、いろいろ
リロ&スティッチの映画に、出る!
いや、私ではなく(そりゃそうだ)私の作品が。

映画製作の関係者が、私のオリジナル作品を買って、それを映画で使いたいということらしいのだ。
昨日、ひとつのギャラリーからのメールで知った。
NCIS Hawaii で私の作品を使ったときもそうだったが、どんなものでも公に使用する場合には作者の了承が必要で、そういう書類がある。
その書類はギャラリーを通して私の元にくるのだけれど、ギャラリーが間に立つということで、私はギャラリーの人に代わりにサインしてもらうように頼んでしまう。
だから今回も、そうした。

実は、話を聞くまでリロ&スティッチが何なのかすら知らなかった。
どうやらハワイを舞台にしたアニメで、この夏、アニメと実写をMIXした映画がディズニーによって作られるらしい。
その中で、私の作品が使われるということなのだ。
そのアニメを見たことがある友人によると、私のその作品はアニメの雰囲気にぴったりなのだそうだ。

ちなみに、その作品はこれ。

長辺が85センチぐらいのキャンバス。

いやー、なんだか楽しみだなあ。
映画が封切られたら見にいくぞ。





天使に出会った実話 12

2023-05-26 08:41:58 | 天使に出会った実話
Carmel Reilly著『True Tales of Angel Encounters』より


ヘレン  コッツウォルズ イングランド

私は3回、天使を見たことがある。天使ってどんな容姿なのかと聞きたいだろうけど、うまく答えることができそうもない。

最初は、私が第一子を産んだとき。
私は緊急に帝王切開をすることになり、手術室にいた。下半身だけ麻酔が効いていて、何かをしている感覚はあるのに痛みがないのは変な感じだった。
手術室には結構な数の人がいた。何人かの医師、数人のナース、麻酔医、そして夫。気の毒に夫は吐きそうになるのを堪えていて、そこにいてもたいして役に立つとは思えないのだが、何かできることをしたいという気持ちはありがたいと思う。
そのほかに、もう一人女性がいた。
彼女は手術着ではなく普通の服を着ており、しかもうっすら透けていて、彼女の後ろの壁が見えた。その女性は、私の横にいるナースの後ろで私を見下ろし、柔らかく微笑んでいた。私以外には、彼女の姿は見えないようだった。私は混乱しつつも、彼女が私を守ってくれているのだとわかった。
生まれた子供は呼吸をしておらず、手術室は緊張に包まれて、医師たちは子供を少し離れた台の上に乗せ、必死で呼吸ができるように試みていた。夫はといえば、おろおろして気の毒なほどだ。
その間、天使(私はもうそれが天使だと確信していた)は私のそばで私を見下ろし、穏やかに微笑みかけていたから、子供は大丈夫なのだと安心した。
子供が泣き出し、一気に緊張が解けた。
私に子供を会わせたあと、子供はすぐに緊急保育室に連れていかれ、天使も子供と一緒に部屋を出て行った。

2回目は、3番目の娘が3歳のときだ。
専業主婦として8年目の私は、誰にも認められることなく、社会に私だけ取り残されたような疎外感で落ち込んでいた。夫は帰宅するや、娘のうちの一人を抱き上げて一緒に遊び、他の子供をまわりにはべらせて、私をハグすることも話しかけることもない。
私の不満はどんどん大きくなっていき、落ち込むばかりだった。

その日は、最初から何かがうまくかみあわないと感じる日だった。まず、子供がボールを投げて、私のお気に入りの花瓶を割り、食べたものを吐き、洗濯機が壊れて、キッチンも廊下もそこらじゅうが水浸しになった。
私がその後始末をし終えたとき、既に午後の4時をまわっていた。私はもう何もかもが嫌になり、耐えられないと思った。
アニーは自分の部屋で昼寝をしていて、私はコップにミルクを注いで、彼女が目覚めたときに飲めるようにベッドの脇に置いた。
夫の秘書に電話をし、できるだけ早く帰宅するように伝言を伝えた。
そして私は家を出た。
上の娘たちは、他の子供の母親が迎えに行く日だったので大丈夫だろう。

私は着替えを詰めた小さなバッグを提げて、通りを歩いていった。行く当てなどなかったが、あの家にはもういたくなかった。子供を置いて家を出るなど、とんでもないことだとわかっているけれど、どうしようもなかった。

そこに、ある男性が車を止めて、乗っていかないかと私を誘った。彼は私がどこに行くのかすら知らないはずだったが、そんなことはどうでもよかった。私は了承し、車に乗った。とにかく少しでも遠くに行きたかった。
彼は私に、何が起きたのかを尋ねた。彼はとても信頼できる雰囲気で、私はなぜか見知らぬその人にすべてを打ち明けていた。
彼は私に同情し、しかし、子供たちはどう感じるだろう、そして夫はどう対処すると思うか、と言った。
そして、私はもっと夫に、私が何を必要としているのかを話すべきだと言う。私はそれでうまくいくのかわからなかったけれど、いろんなことを話しているうちに、私は自分がひどく愚かなことをしていると思えてきた。

私は彼に家まで送ってほしいと言ったが、どうせぐるぐる同じ道をまわっているだけだったから、私の家は目と鼻の先だった。
彼は私と一緒に車を降りた。家の玄関は開いていて、中に女性がいた。
「彼女がアニーをみてくれていたからね」
彼はそれだけ言って、彼とその女性は共に去って行った。無事なアニーを見て心から安心し、家を出ようとしたことに深い罪悪感を感じた。

この時、天使たちは普通の人間になりすまして私を助けてくれた。これを乗り越える魔法などあるはずもなかったが、それでも夫と私はできるだけのことをして、なんとかうまくいくように努力した。
私は、何もかもを一人で溜め込んで破裂する前に、夫と分かち合うことを学び、それからは二人で難局を乗り越えていった。

最後に天使を見たときは、ちょっと変わっていた。
ある男が学校に乗り込み、銃撃事件を起こして多くの子供の命を奪ったことがあった。直接私には関係のない事件ではあったが、自分の子供らと同じぐらいの年齢の子供が犠牲になったことは、とても悲しく辛かった。
私は犠牲になった子供らと家族のために泣き、自分の家族が無事でいることに感謝をし、そういうことに巻き込まれないように祈った。
私は自分なりのやり方で信仰しているので、教会にはあまり行かないが、ある木曜日のミサに出かけた。
私は椅子に座り、じっくり話をに耳を傾けるでもなく、ただオルガンや歌を聴いていた。
ふと目を上げたとき、教会の中にたくさんの天使がいるのが見えた。顔ははっきりわからないが、彼らは光に包まれていた。私は天使たちが私たちを見守ってくれていると感じて、とても幸せな気分になった。
天使たちはしばらくそこにいて、そして見えなくなった。


天使に出会った、どの状況も違っているけれど、いつも私が危機に立っているときに彼らは現れた。だから、姿が見えなくても彼らは常に私たちを見ていて、必要なときに手を差し伸べてくれるのだと固く信じている。