太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

報復か、情けか

2018-02-22 07:45:29 | 日記
ハワイに住むようになって、初めて接客業に就いた。

それまでの、ほぼ限られた人の中での仕事のときにはなかった種類の、様々なことが起きてくる。

前の職場の客層は、殆どが地元民で、なぜかネガティブな人、変わった人が多かった。

今の職場は殆どが旅行者で、基本的に人々に高揚感があり、前の職場に比べたら嫌な思いをすることはない。

それでも、売る側に立ってみると、客側の人々の勝手さにうんざりすることがある。



アメリカじゃ、日本みたいにお客様は神様ではないけれど、それだって一応はカスタマーサービスの精神で

笑いたくなくても笑い、ぜんぜん怒ってないふりをしてやりすごす。


私が客になったら、絶対に同じことして鬱憤を晴らしてやる。


心が非常に狭い私は、そう思う。


たとえば。

・商品を、レジの台に放り投げる。

・買う気がなくなった商品を、まったく関係のない場所に置き去りにする。

・2つ買うと1つタダでしょ、と何の根拠もないことを真面目な顔で言う。

・これだけ買ったんだから安くしろと譲らない。

・10ドルの商品を、7ドルと書いてあったと言い張り、最後には「あなたがそう言うんなら10ドルなんでしょ、

7ドルだったけど」と言い捨てる。(商品のところまで行って値段を確かめたが10ドルだった)

・床にツバを吐く(中国人しかやらない)

・ゴミを平気でその辺に捨てる

・タバコの吸殻を植物の鉢の中に捨てる



で、客になった私はどうするか。

買う気がなくなった商品を、その辺に置き去りにしたら楽だなあと思う。

でも実際には、たとえ遠くても元の場所に返しに行く。

なぜなら、それを片付ける人の気持ちがわかってしまうから、

置き去りにしたあと、すっきりしないのがわかっている。

それはたとえていうなら、喧嘩した勢いで言わなくてもいいことを言ってしまったあとの気持ちに似ている。

スーパーマーケットなど、チルドの場所にあるべきものが普通の棚に置き去りにしてあることもあり、

急いでなければ、それも一緒に戻しに行く。

カーッと頭にきて、仕返ししてやる!と息巻くのも私であり、

肝心のときには妙にお人よしなのもまた、私なのである。












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ココナッツ

2018-02-21 08:24:20 | 食べ物とか
日本に住んでいた頃、ココナッツが嫌いだった。

クッキーにまぶしてあるココナッツも、よけて食べたし、その味も食感も良さがわからなかった。

今、ココナッツは大好物といっていい。

朝食のコーヒーにはココナッツミルクとココナッツオイルを欠かせないし、

ドライフルーツにしたものもいいが、断然、生のココナッツが1番である。

そして生でココナッツを食べるなら、断然、できるだけ冷たいのがいい。







田舎道を走っていると、フレッシュココナッツの屋台がいくつもある。

買う時は、ちゃんと冷やしてあるかどうかを確かめたほうがいい。

私の職場でも、フレッシュココナッツを売っていて、時々買って食べる。

スーパーでも生のココナッツは買えるし、庭にもあるし、ハワイはどこだってココナッツだらけだ。

しかし、自分で食べようとしたら、それは大変。

ココナッツは相当固い。

慣れた人は、ココナッツを片手に持ち、ナタのような大きな刃物を振り下ろして上のほうだけ切り落とす。

てのひらに向けてナタを降ろすのだから、怖い怖い。

その穴にストローを差し込んで、まずココナッツジュースを飲む。

このジュース、室温で飲むと青臭い感じがするのだけれど、しっかり冷えていると、

こんなに美味しい飲み物はない、というぐらいの美味しさ。

絶妙な甘さ、清涼感、なんだかとっても良いものが体の細胞にしみわたるような気がする。

店で、ココナッツジュースが紙パックに入ったものが売られているけれど、

生のジュースを飲んだら、あれはもう飲めない。

缶ジュースよりもたくさん入っているジュースを飲み干したら、

今度は半分に割ってもらって(またナタを手に振り下ろす)、中の白い果肉にナタで切れ目を入れてもらう。

固すぎると、おいしくない。

弾力がありつつ、シャコシャコした歯ざわりがあるのがちょうどいい。

中の果肉が、どのぐらいの柔らかさになっているかを外側で見極めるのは、素人には難しいと思う。

だからやっぱり、生のココナッツは買って食べるものだ。



日本に行くと、いちごやみかんやりんごや柿、ぶどうなどが本当に美味しいと思う。

その土地で育ったものが、1番おいしくて栄養もあるのだろう。







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誤算

2018-02-19 15:48:19 | 日記
バケツどころか浴槽をひっくり返したような雨が降った。

雨が多いこの地域でも、1日中降りこめることはあまりないのだけれど、前の晩から翌日いっぱい

よくこんな水が空にあったもんだと思うほど降り続いた。

普通の雨なら、我が家の窓は1年中開けたままだが、豪雨となると閉めざるをえない。

で、窓を閉めたまま、シャワーを浴びると隣の寝室の窓が曇る。

というのも、寝室とバスルームがある2階は理屈上ワンルームになっているからだ。

設計段階では、バスルームは完全に独立した部屋になっていたが、

バスルームと寝室の間の壁を作っているとき、夫が、


「この壁、天井までなくたってよくない?」


と言い出した。

壁の上の部分が素通しだったら、バスルームに湿気がこもりにくくていい、というのだ。

それはすばらしい考えだと、誰もが思った。

私だって、そう思った。

それで、一応壁はあるが、寝室とバスルームはワンルーム的な部屋になった。




バスルームの壁の上のほうが素通しになっていて、赤い矢印の反対側が、




青い矢印になる。

上に積んである箱は、デコレーションのつもり。

壁の下はクロゼットになっていて、洗ってからしまってある服や、革靴や、ベルト類がすぐにカビ臭くなる。

湿気の多い地域だから仕方がないと思っていたのだけれど、シャワーのあと、

窓という窓がびっしょりと濡れているのを見て、これはバスルームの湿気がみんな寝室に流れているのでは、

と気づいた。

ええ、3年たって。

(遅すぎる、って声が・・・・・)


それはあながち間違っているともいえないと思う。

シャワーを使いながら、もうもうと湯気が隣に流れてゆく。

窓を開けてあれば多少はいいだろうが、それでも尋常ならぬ湿気がクロゼットに忍び込む。

そりゃ、カビるわ。



これは誤算。

確かにバスルームに湿気はこもらないが、なんでこんなことに気づかなんだ。

地団駄ふんでも、後の祭り。

雨が降るときは天井扇をまわしてお茶を濁すしかないのである。









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ペーパーダイング

2018-02-18 14:13:40 | 絵とか、いろいろ
コラージュに使う、紙を染めるワークショップがあった。

本来は昨年の2月にやる予定だったが、メンターであるスーザンが癌になり、

無期延期したまま、ついに6月にスーザンは帰らぬ人となったのだった。

癌の進行が速かったので、スーザンは後継者を決める間がなかった。

コラージュを広めているのはスーザンだけであり、スーザンの元に集まった私たちが解散してしまえば

コラージュは消えてなくなってしまうことだろう。

そんなことになったら、スーザンは化けて出るに違いなく、紆余曲折の結果、

ペギーが引き受けてくれることになった。


染料を揃え、大量の紙(3000枚近く)を用意し、油絵の具とテレピン油をあらかじめ混ぜたものをつくり、

場所をおさえ、人々に告知し、その作業を思うと、ペギーに感謝せずにいられない。


私たちがいつも使うワークショップの部屋は、ホオマルヒアボタニカルガーデンの中にある。

ここはスーザンが大好きだった場所で、スーザンの遺骨を撒いた場所でもある。

私たちは、ワークショップの前にスーザンの散骨をした場所に行き、ジャスミンのレイを置いてスーザンに話しかけた。

誰よりもコラージュを愛してやまないスーザンは、必ずこの場に一緒にいるに違いない。





参加者は20人。

4つのテーブルで、青系、黄色系、赤系、緑系の色を染めてゆく。




ランチはポットラック(持ち寄り)。

スーザンはいつも豆腐のサラダを作ってきてくれて、それが美味しかったよねと話に花が咲く。



今回染めた紙。

ラッピングに使うティッシュペーパーを、染料と、油絵の具とテレピン油を混ぜたものを浮かせて染める。

どれひとつとして同じ色、柄のものはない。

庭とガレージで丸2日乾かす。

もっと自分の時間があったらいいのに。

フルタイムで働きながらだと、アートにかける時間もエネルギーも限られてくる。

だからといって、仕事を辞めても、きっとだらだらとしてしまい、できることは今とそれほど変わらないかもしれない。

ま、今のところ、仕事を辞める勇気もなし。









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受験

2018-02-17 07:58:36 | 日記
姉と、妹の子供が共に、無事に高校に合格した。

自分が受ける試験も嫌なものだけれど、子供の場合はまた違った意味で嫌なのだと、姉妹は口をそろえて言う。





私の最初の受験は、中学入試だった。

生徒が持って行ったお弁当を教室にある「お弁当温め器」に入れて、試験が始まった。

今はもうそんなものは使っていないと思うが、当時は冬になると金庫のような「温め器」でお弁当を温めたものだ。

国語の試験のあと、お昼休みになり、温かくなったお弁当をあけたら、デザートのイチゴから湯気が立っていた。

試験問題の『強制的』という漢字が正しく書けなかったことで気持ちがふさぎ、

熱いイチゴが、また私の気持ちを暗くしたことを覚えている。



次の受験は大学入試だった。

高3の夏に普通大学から美大に進路変更するという、学校設立以来のとんでもないことをした私は職員会議にかけられた。

美術の授業が大嫌いだったから、私はいつも音楽を専攻していたし、

「あなた、デッサン描けるの?」と聞いた担任に、「デッサンって何ですか」と言ったのだから

学校側が私を心配するのも無理はなかった。(その時の担任の呆然とした顔といったら・・・)

美大に行きたい人は中学からデッサンの塾に通うのだという。

それで試しに塾の夏期講習に行ってみたらどうかという担任の勧めで、さっそく申し込んで参加した。

そこで生まれて初めてデッサンというものを描き、作品講評の際に塾の講師が私のデッサンの前で顔をしかめた。

「これ、誰の?」

「私でーす」と私は元気に手を挙げた。

「あなた、何年生?」

「3年です」

「志望、どこ?」

「武蔵野美術です」

ああ、そのときの講師の顔も台詞が、今でも脳裏にありありと浮かんでくる。

「ちょっとみんな聞いた?こーーーーーんなデッサンで3年生で、ムサビ受けるんだってよーッ?!」


夏期講習はまだ2週間あったが、私は怒り心頭ブチ切れて初日で辞めた。

しかし、あの塾の講師こそが私のエンジンに火をつけた恩人であった。

父の知人のまた知人にプロの絵描きがいて、夏休みの間、私は彼の家にほぼ毎日のように自転車を漕いで行き、

デッサンを習った。

卒業名簿から武蔵野美術に行った先輩を探し出し、いきなり電話をかけ、事情を話すと

自分のデッサンを何枚も送ってくれ、入試の日には、わざわざ私を励ましに駆けつけてくれた。





私の中学入試の発表は母が行ったが、姉の中学の入試の発表は、親が怖くて見に行けず、

「あたしン見てくるよ」

と言って祖母が行った。

大学の入試の発表は、姉が一緒に行ってくれた。

当時、姉が住んでいたのは港区三田で、大学は埼玉の東村山に限りなく近いところだったから

電車を乗り継いで鷹の台まで行き、そこから玉川上水を二人で歩いて行った。

模造紙を貼った掲示板を私は見ることができなくて、姉が私の番号を見つけた。




甥の合格発表を、姉は仕事の昼休みに自転車で見に行ったのだという。

最近はメールなどで受け取るのかと思っていたけれど、時代は変わっても、発表を見に行くのだなあ。

受験のことを思い出す時、私はなんと多くの人に助けられてきたことだろうかと思わずにいられない。

あの夏期講習の講師など、あんな憎まれ役をやってまで私を助けてくれた。

あの怒りのエネルギーがあったから、半年の準備期間でなんとかなったようなものだ。

甥と姪が、たのしい高校生活を送りますように。








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