続いて有田郡湯浅に移動。
関西で湯浅といえば湯浅醤油が知られている地域です。
また熊野三山へと続く熊野古道の宿場町として栄え、
重要伝統的建造物群保存地区が今もなお伝統を伝える町もあります。
そんな湯浅には顯國神社という古社が鎮座しており、
今から参拝します。
所在地:和歌山県有田郡湯浅町湯浅1914
御祭神:大己貴命、須佐男命、櫛名田姫命、建御名方命、沼川姫命
配祀神:事代主命、豊玉彦命、豊玉姫命他22柱
創建:延暦20年(801)
社格:村社、神饌幣帛料供進神社
【由緒】
坂上田村磨が紀伊國有田郡霧崎菖蒲の里に到って三神を崇敬し、
正殿を造営して大國主大明神と称して祀ったのが当神社の創建である。
土豪湯浅権守藤原宗重が神々に対する尊信の念が厚かったことから、
天養元年(1144)10月、湯浅村に社地を定めて、
この森へ神殿を遷して顯國明神と改称した。
宗重は社地祭祈料として田園を寄進するとともに、
湯浅城鎮護の神社、有田郡の総鎮守大社と仰ぎ奉られた。
寛文8年(1668)紀州徳川家初代藩主頼宣より顯國大明神の社号を授かり、
藩儒李梅溪に命じて華表の扁額を書かしめた。
社記によると、延宝4年(1676)には第二代光貞(清溪院)、
安永5年(1776)には第九代治貞(香巌院)、寛政6年(1794)には、
第十代治宝(舜恭院)、寛政11年(1799)と享和3年(1803)に、
当時隠居中であった第八代重倫(観自在院)が参拝している。
明治15年11月、有栖川宮幟仁親王殿下の御筆である社名の額が奉納されている。
明治16年4月、村社に列し、同40年6月神饌幣帛料供進神社に指定された。
【鳥居】
社務所横に数台分の無料駐車場がありました。
【大門】
これは神社の門としては非常に珍しいタイプですね。
時代劇に出てきそうな感じです。
【拝殿】
元文2年(1737年)再建されたもの。
【狛犬】
【祝詞殿】
【本殿】
【境内】
今は広くない境内ですが、
江戸時代の頃は相当広い境内だったようです。
【境内社】
左から恵比須社、神明社、稲荷社。
【若宮社】
御祭神:伊弉諾尊、伊弉冊尊
【神馬像】
【絵馬堂】
御朱印は社務所が閉まっていたので、
いただいておりません。
関西で湯浅といえば湯浅醤油が知られている地域です。
また熊野三山へと続く熊野古道の宿場町として栄え、
重要伝統的建造物群保存地区が今もなお伝統を伝える町もあります。
そんな湯浅には顯國神社という古社が鎮座しており、
今から参拝します。
所在地:和歌山県有田郡湯浅町湯浅1914
御祭神:大己貴命、須佐男命、櫛名田姫命、建御名方命、沼川姫命
配祀神:事代主命、豊玉彦命、豊玉姫命他22柱
創建:延暦20年(801)
社格:村社、神饌幣帛料供進神社
【由緒】
坂上田村磨が紀伊國有田郡霧崎菖蒲の里に到って三神を崇敬し、
正殿を造営して大國主大明神と称して祀ったのが当神社の創建である。
土豪湯浅権守藤原宗重が神々に対する尊信の念が厚かったことから、
天養元年(1144)10月、湯浅村に社地を定めて、
この森へ神殿を遷して顯國明神と改称した。
宗重は社地祭祈料として田園を寄進するとともに、
湯浅城鎮護の神社、有田郡の総鎮守大社と仰ぎ奉られた。
寛文8年(1668)紀州徳川家初代藩主頼宣より顯國大明神の社号を授かり、
藩儒李梅溪に命じて華表の扁額を書かしめた。
社記によると、延宝4年(1676)には第二代光貞(清溪院)、
安永5年(1776)には第九代治貞(香巌院)、寛政6年(1794)には、
第十代治宝(舜恭院)、寛政11年(1799)と享和3年(1803)に、
当時隠居中であった第八代重倫(観自在院)が参拝している。
明治15年11月、有栖川宮幟仁親王殿下の御筆である社名の額が奉納されている。
明治16年4月、村社に列し、同40年6月神饌幣帛料供進神社に指定された。
【鳥居】
社務所横に数台分の無料駐車場がありました。
【大門】
これは神社の門としては非常に珍しいタイプですね。
時代劇に出てきそうな感じです。
【拝殿】
元文2年(1737年)再建されたもの。
【狛犬】
【祝詞殿】
【本殿】
【境内】
今は広くない境内ですが、
江戸時代の頃は相当広い境内だったようです。
【境内社】
左から恵比須社、神明社、稲荷社。
【若宮社】
御祭神:伊弉諾尊、伊弉冊尊
【神馬像】
【絵馬堂】
御朱印は社務所が閉まっていたので、
いただいておりません。