今日は岐阜羽島を中心に神社仏閣巡りです。
新幹線で岐阜羽島駅まで行って、そこからレンタカー。
日産マーチで3025円の格安でした。(笑)
まずは真宗系の竹鼻別院に移動。
所在地:岐阜県羽島市竹鼻町2808
宗派:浄土真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:伝・嘉禎元年(1235)
開基:伝・河野九門徒
【縁起】
親鸞聖人が関東から上洛される途中、三河国矢作の柳堂に立ち寄り布教された。
その時、尾張国葉栗郡門間庄の住人河野四郎通勝は同郷の八人とともに帰依し、
木瀬に草庵を結んで聖人を招き、この草庵が竹鼻別院の濫觴といわれている。
この時、門弟となった九人がそれぞれ開いた道場は、
室町時代中期には木曽川両岸の美濃国と尾張国に分かれて点在し、
河野九門徒と呼ばれて濃尾真宗門徒の中心となった。
元亀・天正年間織田信長とのいわゆる石山合戦後は教如上人に従い、
本願寺の東西分派に際しては東本願寺に属した。
慶長9年(1604)竹鼻下町に移転し、慶長12年(1607)には、
本願寺十二代となった教如上人によって掛所(御坊)に取り立てられた。
本堂は明和8年(1771)に着工、50年の歳月をかけて大伽藍を落成させた。
山門は天保4年(1883)250両をかけて建立され御坊大門と親しまれていた。
経堂は1848(弘化5)年に建立された。
しかし、これらの諸堂は明治24年(1892)の濃尾地震悉く倒壊した。
現在の本堂は大正4年(1915)に着工し、大正11年(1922)に落成し、
山門は大正14年(1925)に造られた。
明治9年(1876)に竹鼻別院と改称された。
境内の藤は県下有数のもので、開花の時期には多くの人々の目を楽しませている。
【山門】


【境内】

地方の真宗別院らしいコンクリートの境内です。
本堂の横の建物は幼稚園です。
車は境内の無料駐車場に停めれます。
【本堂】


【内陣】

【御本尊】


【経堂】


【藤】

ここの藤は凄いらしい。
一回見てみたいね。
【鐘楼堂】

ちょっとしたスタンプはあるようですが、
御朱印はございません。
新幹線で岐阜羽島駅まで行って、そこからレンタカー。
日産マーチで3025円の格安でした。(笑)
まずは真宗系の竹鼻別院に移動。
所在地:岐阜県羽島市竹鼻町2808
宗派:浄土真宗大谷派
御本尊:阿弥陀如来
創建:伝・嘉禎元年(1235)
開基:伝・河野九門徒
【縁起】
親鸞聖人が関東から上洛される途中、三河国矢作の柳堂に立ち寄り布教された。
その時、尾張国葉栗郡門間庄の住人河野四郎通勝は同郷の八人とともに帰依し、
木瀬に草庵を結んで聖人を招き、この草庵が竹鼻別院の濫觴といわれている。
この時、門弟となった九人がそれぞれ開いた道場は、
室町時代中期には木曽川両岸の美濃国と尾張国に分かれて点在し、
河野九門徒と呼ばれて濃尾真宗門徒の中心となった。
元亀・天正年間織田信長とのいわゆる石山合戦後は教如上人に従い、
本願寺の東西分派に際しては東本願寺に属した。
慶長9年(1604)竹鼻下町に移転し、慶長12年(1607)には、
本願寺十二代となった教如上人によって掛所(御坊)に取り立てられた。
本堂は明和8年(1771)に着工、50年の歳月をかけて大伽藍を落成させた。
山門は天保4年(1883)250両をかけて建立され御坊大門と親しまれていた。
経堂は1848(弘化5)年に建立された。
しかし、これらの諸堂は明治24年(1892)の濃尾地震悉く倒壊した。
現在の本堂は大正4年(1915)に着工し、大正11年(1922)に落成し、
山門は大正14年(1925)に造られた。
明治9年(1876)に竹鼻別院と改称された。
境内の藤は県下有数のもので、開花の時期には多くの人々の目を楽しませている。
【山門】


【境内】

地方の真宗別院らしいコンクリートの境内です。
本堂の横の建物は幼稚園です。
車は境内の無料駐車場に停めれます。
【本堂】


【内陣】

【御本尊】


【経堂】


【藤】

ここの藤は凄いらしい。
一回見てみたいね。
【鐘楼堂】

ちょっとしたスタンプはあるようですが、
御朱印はございません。