Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

本覚寺(2020年1月11日参拝)

2020年07月08日 | 仏閣
竹鼻別院から続いて本覚寺へ。

数台分の無料駐車場に車を停めて参拝開始。


所在地:岐阜県羽島市殿町1439-1
宗派:曹洞宗
御本尊:宝冠釈迦如来
創建:不明
開山:不明


【縁起】


寺伝によると当寺は天台宗の寺院であったという。
永禄元年(1558)正眼寺より玄沢祖栄を創建開山として招請、曹洞宗に改宗。
その後、戦乱が続き、寺はしばらく衰微した。

しかし天正8年(1580)竹鼻城に不破源六広綱が入城。
城の改築と共に父・綱村(本覚寺殿大雲義沢大居士)の為に、
正眼寺(愛知県小牧市)より源経祖玄を招請し、
本覚寺を竹鼻城主の菩提寺として復興。

その後、天正12年(1584)小牧長久手の戦いにおいて、
広綱は織田信雄・徳川家康に味方し竹鼻城に籠る。

豊臣(羽柴)秀吉は長久手での敗退の後、織田方を小牧山城より引き寄せる為、
竹鼻城を水攻めにし城は落城。
代わって岐阜城主織田秀信の家老杉浦五左衛門が竹鼻城の入城するも、
竹鼻城主の菩提寺として本覚寺を残し堂宇の整備に尽力したのであった。

しかし慶長5年(1600)関ヶ原の戦いにおいて杉浦氏は西軍に味方し竹鼻城は落城、
本覚寺も焼失、当寺は平地として数代を過ごすことになる。

天和年間の頃、鑑室長亀が住職となり元禄3年(1690)、
正眼寺より乙先秀存を勧請開山とし本覚寺を復興する。
安永3年(1774)11月10日、水害に遭い建物は流出。
しかし当地の名家・坂倉家により天明6年(1786)、
再建され坂倉家を再中興開基家とする。
明治24年(1891)10月28日、濃尾大震災により、建物は山門を除き倒壊した。
時の住職・豊山霊牛は浄財を勧募し、大正4年(1915)に伽藍を完成させ今日に至る。


【山門】



【地蔵堂】





【本堂】




本堂にある雲龍の絵天井を目的にこのお寺を訪れました。
有難いことに堂内に入ることが出来ました。

志納金200円を支払い堂内でお参り。


【御本尊】


まずは御本尊にお参り。

釈迦三尊像が祀られていました。


【雲龍の絵天井】




これは素晴らしい。
実に見応え重文、いやもとい、充分な雲龍図です。

京都の天龍寺で500円必要な龍図より見事なものです。
これは一見の価値あり。

訪れた甲斐がありましたよ。


【屏風】


これはまた雅で美しい屏風です。

こういう屏風欲しいなぁ。
飾る場所がないけど。(笑)


【羅漢】







【諸仏】


隣の部屋には諸仏が祀られていました。


【宝篋印塔・石仏】



【竹鼻稲荷大明神】







【狛狐】



【竹鼻稲荷大明神】


もう一つ稲荷社がありましたが、
手前の鳥居の痛みが激しいですね。


【鐘楼堂】


こんな高い鐘楼堂は初めて見たよ。


【蓮池】



【摩頂地蔵尊】


これにて本覚寺の参拝終了。

御朱印ありますがご不在でいただけませんでした。