メディアは、自己の価値観を明らかにしない文章を記事にした。靖国神社の春季例大祭への閣僚や国会議員など政治家の対応についてである。21日、安倍首相は参拝はせず、「真榊」を「内閣総理大臣 安倍晋三」として私費で奉納した。閣僚では塩崎恭久厚生労働相も真榊を奉納した。衛藤晟一首相補佐官は参拝した。22日には超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」に属する衆参92議員が参拝した。内訳は、副大臣・政務官が6人。政党別では自民党79人、民進党4人、おおさか維新の会3人、日本のこころを大切にする党2人、無所属4人である。22日には、高市早苗総務相も国務大臣の肩書で記帳参拝し、私費で玉串料を納めた。23日には、岩城光英法相が国務大臣の肩書で記帳参拝し、私費で玉串料を納めた。彼は閣僚の参拝に対し周辺国から反発がある事について、「国のために命を捧げた方に敬意を表する事は各国共通。そのあり方はそれぞれの国の伝統に従って行われるものと考えている」と述べたという。
またか?と思ったけれど、真榊奉納だけであろうが、参拝しようが、いずれの場合にしても政治に関わる人間の行為としては「憲法違反」である事は明確である(日本の司法は憲法を厳格に判断する事を避ける政権よりの傾向があり、公正とは言えない)。
メディアの動きをみると、今年はこれまでに比べ極めて反応が鈍いように感じられる。何事も同じであるが、あきらめた時に負けが決まる。安倍政権に対する闘いもあきらめた時に負けが決まる。安倍政権との闘いは根気比べである事を忘れてはならない。彼らに勝つためには彼ら以上の根気やしつこさが必要なのである。彼らの強さは「国民に諦めさせる」根気でありしつこさなのであるから。メディアはもう諦めたのかと思えるほど口を閉ざしている。このようなメディアの状況を、「表現の自由」に関する国連特別報告者として訪日したデービット・ケイ氏は「特定秘密保護法や、『中立性』『公平性』を求める政府の圧力がメディアの自己検閲を生み出している」と分析したのではないだろうか。また、「報道の自由度ランキング(日本は72位)」を発表した国際NGO「国境なき記者団」は、「多くのメディアが自主規制し、独立性を欠いている、とりわけ首相に対して」と指摘したのではないだろうか。ちなみにこの指摘に対して菅官房長官は傲慢にも「放送法で編集の自由が保たれている。憲法においても表現の自由が保障されている。報道が委縮するような実態は全く生じていないのではないか。」などと述べている。
さて、安倍政権は靖国神社参拝を認めない国民との「根勝ち」をめざして粛々と奉納や参拝を続けていくと考えられるが、それと並行して、安倍政権は学校教育を利用して生徒児童に対して「靖国神社参拝合法化を受容する意識づくり」をしていこうしていると考えられる。もうすでに、「改正教育基本法」(06年第1次安倍内閣時成立)の第15条「宗教教育」第1項に「……宗教に関する一般的な教養……は、教育上尊重されなければならない。」という旧基本法には存在しなかった文言を挿入している。また、「自民党憲法改正草案」第20条「信教の自由」第1項では、現行憲法が「何人に対してもこれを保障する」としているのを、単に「保障する」とだけにし、現行の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」の部分を、「国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。」と変更している。また、『改正案』第3項では、現行の「国及びその機関は、宗教教育その他のいかなる宗教的活動もしてはならない。」の部分を、「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。」と変更し、さらに「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない。」という文言を付け加えている。
上記『改正案第3項』の「変更と付加」について、「Q&A」では、「特定の宗教のための教育」という文言への変更について、「一般教養としての宗教教育を含むものではないという解釈が通説だ」という事を理由とし、付加した文言「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの」については、「地鎮祭に当たって公費からの玉串料支出の問題が解決されるため」「国や地方自治体による宗教的活動の禁止の対象から外した」との事。
この第3項は「神社神道」を「一般教養」や「社会的儀礼又は習俗的行為」とみなし、「宗教と見做さない」という詭弁を使ってその宗教活動を合法化する根拠とするためのものであるとともに、近代憲法の原則である「政教分離原則」を「見せかけの政教分離原則」として「特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない」とうたったものである。この考え方は敗戦までの考え方「神道は祭祀であり宗教にあらず」と同じ欺瞞的詭弁的論法である。この条項とこれに関連する他の条項(自治体に関する条項)を成立させる事により、「靖国神社参拝合法化」を実現しようとしていると考えられる。そうなれば敗戦までの「国家神道(天皇教)」の構成基盤となり、頂点に位置づけられた「皇室神道(伊勢神宮)」や「靖国神社」の下部組織であった「神社神道」の宗教活動に政府や地方自治体が関わり関わらせる事が合法となり、政府や地方自治体が国民に対し神道儀式に優先的に参加信仰する事を強制する事も合法となるのである。その事により、国民の生活は変質を強制され、これまで保障されていた権利「信教の自由」などが認められないという重大で危険な事態が発生する事になる。
また、第1項の変更「何人に対しても」の削除についての説明はないが、「個人としては尊重しない」という意味と「反政府的」な団体組織とかには認めないという事である。また、特権は政府・国が与えるものという政府主権の認識を持っているという事。「政治上の権力を行使してはならない」の削除は連立政権を組む「公明党」への配慮であろう。また、第3項の「変更」の「その他の公共団体」についての説明もないがこの中には「学校」が含まれる可能性が高い。「学校」において、「神道」教育(国家神道、天皇教)のみを合法とするものである。
そのテキストは敗戦までの政策にある。神聖天皇主権大日本帝国政府は、国家神道体制の下で学校教育での宗教教育をどのように位置づけどのように実施したのかを紹介したい。
敗戦までの大日本帝国政府の学校における宗教教育に対する基本方針は、1899年の「私立学校令」制定に基づいて出された「文部省訓令第12号」に示されている。それは、
「一般の教育をして宗教の外に特立せしむるは学政上最必要とす、依って官立公立学校及び学科課程に関し法令の規定ある学校においては、課程外たりとも宗教上の教育を施し、又は宗教上の儀式を行う事を許さざるべし」というものである。
文部省は、詭弁を以て「宗教ではない」とする「国家神道」による教育を強行するとともに、「国家神道という宗教教育」にとって無用であり、有害のおそれすらある「一般の宗教教育」を、「学校教育」から締め出したのである。そのため、私立学校である宗教関係学校の教育内容に大きな制約をもたらし、一般学校としての資格を保持しようとするかぎり、宗教学校は「本来の教義」に立つ「宗教教育」を「自主規制」せざるを得なくなったのである。特に、キリスト教系の学校の多くはキリスト教教育を本来の目的として設立していたので、文部省からの圧力は学校の存立そのものに関わる深刻な問題となったのである。
しかし、1930年代に入って政府文部省は「宗教的情操」教育の取り入れを認め、それまでの「見せかけの政教分離」であった「宗教教育廃除の基本方針」を緩和した。
背景には、満州事変から日中戦争へと戦時体制を強化するため、思想統制を進めようとする政府が、「国家神道」の枠内での公認宗教の教化活動を一層活発化させ、積極的に「国策」に奉仕させる狙いがあったのだ。1932年には三重県に対し通牒「『一般の教育を宗教以外に特立せしむる件』解釈に関する件」が出され、「宗教的情操を陶冶する事は豪も拘束する所に無之」と述べ、1935年11月には、文部省は「宗教的情操の涵養に関する留意事項」を官公私立大学高等学校校長あてに出し、「宗教情操涵養」という名の宗教教育を公然と一般学校に持ち込んだ。しかし、政府はその条件を示していた。それは、「学校に於いて宗派的教育を施す事は絶対に之を許さざるも、人格の陶冶に資する為、学校教育を通じて宗教的情操の涵養を図るは極めて必要なり。但し、学校教育は固より「教育勅語」を中心として行われるべきものなるが故に、之と矛盾するが如き内容及び方法を以て宗教的情操を涵養するが如き事あるべからず」というものであった。
つまり、宗教教育の狙いは国家神道の経典である「教育勅語」をそれまで以上に臣民(家来・臣下の意。戦後の国民)生活意識に浸透普及させる事を目的としたものであった。
この事からは、今後、「道徳科」に「教育勅語」や「修身科」にみられる「徳目」を忍び込ませ強制していく事が安倍自公政権の目標となっているであろう事が推測できる。
(2016年4月25日投稿)