2018年8月1日の「天声人語」が、北海道の開拓判官であった松浦武四郎が「松前藩と商人たちによる(アイヌ民族に対する)収奪の実態を幕府に訴え、明治政府には救済策も進言したが認められず、官職を辞する」と述べていた。8月6日の朝日新聞では天皇皇后が札幌市で開催された「北海道150年式典」に出席し「アイヌ民族の伝統芸能」を鑑賞し拍手を送ったと書いている。
北海道とアイヌ民族に関わるこの2つの新聞記事に関連して、神聖天皇主権大日本帝国政府の北海道開拓やアイヌ民族支配に対する政策とそれへの皇室の関りと罪責を伝えたい。
まず、松浦武四郎の開拓判官の官職辞任についてであるが、この直接の理由は同僚である開拓判官・島義勇(よしたけ)(江戸時代から続く場所請負人制度こそが北海道の健全な発展を阻害し北海道を内部から腐敗させるものとして開拓使の当初の大方針であった廃止を宣言した)の突然の罷免が開拓使長官:東久世通禧やその腹心の開拓判官:岩村通俊と商人たちとの陰謀(場所請負人制度を漁場持ちと改称するだけとし廃止せずと方針転換)である事を知り、長官に辞表を叩きつけて辞めたのである。その辞表の中には「私は場所請負人(商人)を漁場持ち(改称であり廃止の骨抜き)にする事は、いっさい知らされていなかった。長官室から帰りの官員が、料亭で箱館の商人にむかって 島の事は心配ない、松浦も早急に片付けると告げているのを耳にし、島の左遷が商人の注文で決められたのを知った」と書かれていたのである。
さて、1886(明治19)年には北海道庁が設置され、初代長官に岩村通俊が就いたが、彼の方針は開拓使時代の殖産興業政策を否定し、官立工場などを不当な価格と条件で民間(政商)へ払下げ、特別の保護を与えて産業資本家へ育成し、その大資本により北海道開発をするというものであった。
札幌麦酒醸造所は86年、大倉組へ払下げ、翌年には渋沢栄一が加わり札幌ビール会社となった。89年には幌内炭鉱と鉄道を北海道炭鉱鉄道会社へ払下げた。この会社は三井が起こしたもので、皇室を大口株主とし、有力財界人や華族らを発起人としていた。三井はこの会社を基に、夕張炭坑や空知炭坑を開き北海道三井大国を形成した。つまり、北海道を政商に与えたという事である。
また、北海道庁2代目長官:永山武四郎も岩村と同様の方針であったが、それとは別に、富豪や華族や高級官僚たちはその地位と権力を悪用して、北海道の地を食い物にした。89年には北海道の森林200万町歩を皇室財産とした。90年には三条実美ら華族組合に雨竜原野1億5000万坪を貸し下げた。そして、97年には開墾地無償付与制度を制定し、官僚、華族、資本家らが好き勝手に広大な土地を抱え込み、不在地主となった。反面、アイヌ民族については、これまでの狩猟生活(サケ漁や熊などの動物、そのためのトリカブトなどの毒物使用も)を禁止する事により、アイヌ民族の伝統や文化や信仰、風俗風習を否定(民族性抹殺政策)し、日本人日本文化への同化を強いた。日本名に改姓させ、日本語を強制し、国家神道を強制し、皇民化教育を強制した。居住地を奪いとり、いわゆる居留地「土人給与地」に押し込めていった。しかし、その土地さえも騙し取った。旭川近郊の近文原野の「土人給与地」問題が典型である。1877(明治10)年公布の「北海道地券発行条例」第16条は、元々日本人がアイヌ民族から土地を騙し取る事を防ぐ事が目的であり、アイヌ民族が農耕を始める土地を国(開拓使)で一時、保管しておくという意味であったが、開拓使やその後身の道庁役人は、アイヌ民族は農耕には適さないから土地を所有する能力はないとして勝手に土地を処分する者が続出した。
1891(明治24)年に近文150万坪が「給与地」と決まったが、94年に実際に引き渡されたのは46万坪で、その他の土地は何者かの所有となっていた。その46万坪も1899(明治32)年2月、札幌の第7師団が近文の隣接地に移設される事になると、兵舎造営を引き受けた大倉組が道庁幹部と共謀して騙し取ろうとした。
アイヌ民族が字を読めない事を利用して、「国が近文の土地以外に土地をくれる」と説明し判を押させ、払下げの許可を得た。しかし、実際は真っ赤な偽りで、北海道庁長官:園田安賢、陸軍大臣:桂太郎、大倉喜八郎(大倉組)などが共謀し、近文アイヌの土地を大倉名義で下付を受け近文アイヌ民族全員を天塩山中に移転させる事を決定したのである。それを知った浜益コタン天川恵三郎は、警官を使って威嚇する神聖天皇主権大日本帝国政府と交渉した。天川が死を覚悟で天皇に訴えるという記事を新聞が載せたので政府(道庁)は払下げを中止した。
このようなアイヌ民族の問題を背景として1899年、政府は「北海道旧土人保護法」(1997(平成9)年廃止)を公布し、農業従事希望者だけにある一定の土地を無償下付した。「保護」とはしたが、正反対の結果を導くものであった。アイヌ民族は文字を読めないので申請しない者が多かった。土地を与えられても荒れた僻地であった事や、農業を強制するものでありながら、農業の指導は行わなかった。そして、下付後15年経っても開墾しない場合没収したためである。
このような事から、神聖天皇主権大日本帝国政府にとって、北海道旧土人保護法なるものも、真にアイヌ民族の生活向上をめざしたものとは決して言う事はできないものであり、アイヌ民族に対する差別「人権侵害」を強化しただけのものだった。今日においても東京を中心に関東地方では、人権侵害は続いている。(2018年8月6日投稿)
※2020年8月18日の朝日新聞記事に、アイヌ団体「ラポロアイヌネイション」(旧浦幌アイヌ協会、長根弘喜会長)が「アイヌ民族が経済活動として地元の川でサケを捕獲(漁業)するのは先住民族の権利である」として、国と北海道を相手取って「漁業権」を認めるよう求める訴訟を起こした。先住民族が伝統的に占有してきた土地や資源を利用する「先住権」の確認を求める裁判で国内初である。
道内の河川では現在、アイヌの文化的伝承・保存目的に限り、道知事の許可を得て例外的にサケ漁は認められている。
(2020年8月21日投稿)