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津田梅子が女子英学塾(現津田塾大学)創設決意の環境・精神的背景

2024-07-03 11:26:56 | 教育

 1871年11月からの岩倉遣外使節には、神聖天皇主権大日本帝国において最初の官費女子留学生(この時、華族・士族の男子留学生は53人)5人同行した。北海道開拓使開拓次官・黒田清隆が募集した米国への留学生であった。留学条件は、官費留学生で、期間は10年往復の費用・学費・生活費などの支給があった。出発に際して、皇后が「……婦女の模範に……」との沙汰書を授けた。5人の女子の出自はすべて旧幕府側で下記の通りである。

吉益亮子(16歳)⇒旧幕臣の娘。目を患い翌年帰国。

上田悌子(16歳)⇒新潟県士族の娘。病により翌年帰国。

永井繁子(11歳)⇒旧幕臣の娘。東京音楽学校などで教職に就く。後に海軍大将となる瓜生外吉と結婚。10年留学。

山川捨松(12歳)⇒旧会津藩士の娘。後に元帥・陸軍大将となる大山巌の後妻。「鹿鳴館の花」と呼ばれた。11年留学。

津田梅子6歳)⇒旧幕臣・洋学者の娘。女子教育に力を注ぐ。11年留学。山川と帰国。

 さて、津田梅子が、女子のための学校創設を決意した環境・精神的背景についてであるが、何といってもまず、梅子の父親が娘を留学させ、米国と米国人を知る機会を与える決意をしたという点である。梅子の父親、津田仙は元佐倉藩士で、1853年に米国ペリー艦隊が来航した時、江戸海岸防備の任に当たり、米国艦隊の優秀さを見学している。その後、1867年に幕府勘定吟味役・小野友五郎渡米に随員となり、福沢諭吉らと約半年間の米国生活を体験している。維新後、北海道開拓使嘱託となり、開拓次官・黒田清隆が欧米視察から1871年に帰国した時、顧問として同行してきた米国農商務局長・ケプロンから、女子教育振興論を聞かされている。以上の父親の経験体験が、梅子を米国へ留学させる決意をさせ、それが梅子の精神に大きな影響を与えたといえるだろう。梅子がこの留学の機会を与えられた事得た事が先ず、女子の学校創設を決意する大きな要因となったのである。

 次は、ホームステイ先の家族からの影響である。中流家庭(ワシントン、日本大使館勤務のランマン夫妻)に預けられ、「日本人の身体をもった米国人」と評されるほどに米国人的思考を身につけた事である。この事が、帰国してからの日本社会での女性の置かれた立場や夫婦の在り方や男女の在り方に敏感に反応意識思考するようになったようである。彼女は述べている。「女性は猫のようにおとなしく怠惰です。ただ男たちの命令を待っている従者のようです。彼女たちを責めたい気持ちもありますが、同時にその地位に憤りを感じます」と。

 そして梅子は、神聖天皇主権大日本帝国における女子教育の立ち遅れを痛感する中で、女子のための学校創設を自己の使命と考え、再び1889年に米国フィラデルフィア・プリンマー女子大学へ留学し、教育学や教授法の研究をした。

 そして1900年7月、大山捨松(大山巌侯爵夫人)に顧問として協力を得て、念願の私塾「女子英学塾(1948年津田塾大学)」を創立。そして、開校式の式辞今日有名な「オールラウンド・ウーマン(多才な女性)になれ」と彼女の熱い思い訴えたのである。

※『戦後50年 みんな生きてきた』(朝日新聞社編)には、津田塾に関係する方々の「津田ものがたり」が所収されている。

(2022年4月25日投稿)

 

 

 

 

 

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朝日新聞記事「はじまりを歩く」の「二宮金次郎像設置普及」説明への疑問

2024-06-24 20:41:18 | 教育

 2021年2月13日の朝日新聞記事「はじまりを歩く」が「二宮金次郎像」を取り上げていた。その中でその像の設置の全国的広まりについて、「政府や役所主導ではなく、学校の父母や篤志家ら、草の根で広まっていった」と説明しているが、これは事実とは異なるのではないだろうか。

 「金次郎像」の設置が全国的に広まる背景には、先ず、二宮尊徳の思想を実践し農村の救済再建を目指して組織された「報徳社」という結社が、明治の初めには全国に1000社ほど成立していた事にある。そして、日露戦争後の農村の疲弊と騒擾多発状況に対して、神聖天皇主権大日本帝国政府は、西欧帝国主義列強に伍していくためには新しい国民(農民)をつくり、その一致団結のもとに新しい帝国日本を作り出す必要があると考え、第2次桂内閣時の1908年10月に「戊辰詔書」を発布した。内容は「……宜く上下心を一にし 忠実業に服し勤倹産を治め 惟れ信惟れ義 醇厚俗を成し 華を去り実に就き 荒怠相誡め 自彊息まざるべし……」とあり、全国民が共同一致して、勤労に励む事により国富を増強する事を強調していた。その農村への広まりを狙って実施したのが、09年から活発化する「地方改良運動」であった。運動の力点は、第1、町村運営を能率的にするため有能な町村吏員を要請し、それを下から支える町村内部の有志集団(中小地主、自作上農)を作り上げる事であり、帝国政府はこの有志集団の典型として「報徳社」を高く評価したのである。第2、国家財政の重圧に耐え抜く町村をつくるため、部落有林の統一と農事改良・産業組合の設立による生産力の増強を図った。第3、新しい国家体制づくりのために小学校教育青年会運動を奨励したのである。

 「報徳社」は1924年には大合同して「大日本報徳社」を設立した。

 国定教科書では「二宮金次郎」は「孝行」「勤労」「学問」などの徳目で、1904(明治37)年の第1期国定教科書「尋常小学修身書」から登場し、第5期国民学校教科書まで一貫して載せている。

 記事にある「1928年に兵庫県議も務めた中村直吉が妻の倹約した金で(金次郎の銅像を)つくり、(報徳二宮神社に)寄贈した。各地の小学校にも同じく贈ったその数千体。15歳前後の『少年金次郎モデル』が全国に散らばった。機を逃さず富山県高岡市の鋳物業者や愛知県岡崎市の石工業者がセールスをかける」という動きは、上記のような政治社会背景が存在したから起きたものであると考えるべきであり、そのように説明する方が実態を反映しているであろう。

ついでながら、尋常小学唱歌「二宮金次郎」(1911年)は以下の通り。

1、芝刈り縄ない 草鞋をつくり

  親の手を助け 弟を世話し

  兄弟仲良く 孝行つくす

  手本は二宮金次郎

2、骨身を惜まず 仕事にはげみ

  夜なべ済まして 手習読書

  せわしい中にも たゆまず学ぶ

  手本は二宮金次郎

3、家業大事に 費をはぶき

  少しの物をも 粗末にせずに

  遂に身を立て 人をもすくう

  手本は二宮金次郎

(2021年2月15日投稿)

 

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教育再生実行会議が「家庭教育」を初議論、1930年にも文部省訓令「家庭教育振興に関する件」で戦争協力

2024-06-20 20:46:42 | 教育

 安倍政権の教育再生実行会議(座長・鎌田薫早大総長)が「家庭の役割」などをテーマに議論を再開するという。学校の負担を減らすため、家庭や地域に役割分担を求めるという。松野博一文科相も「家庭や地域の教育力の低下が指摘され、教育現場は教師の長時間労働に支えられている」と述べている。

 「家庭の役割」を政府が一律に規定し、学校の負担を減らすという事で、家庭にその役割を押し付け果たさせようとしているわけですが、この発想はおかしくないですか。まず、学校の負担は学校行政の中で解消すべきであるという事。そして、「家庭の役割」を一方的に規定する事は不可能であり、越権行為であるという事。

 しかし、それを分かったうえで進めようとしていると考えられるので、真の目的は実は、国民の思想の画一化、そして国民の様々な形での組織化とそれらによる「挙国一致」体制の確立を狙っているという事であろう。

 政府による「家庭教育の振興」政策は、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府下においてすでに存在した。安倍政権はおそらくそれをテキストとしていると考えられる。それは、1930年の文部省訓令で「家庭教育振興に関する件」というものである。その内容を大まかに紹介すると、

「国家の盛衰は学校教育や社会教育に負うところが大きいが、その土台をなすものは家庭教育である。家庭は心身の育成、人格の涵養の素地であり、子どもの性行を支配する。……この時に当たり我が国固有の美風を振起し家庭教育の本義を発揚し、さらに文化の進運にあわせて家庭生活の改善を図る事は……国運を伸長するための要訣である。家庭教育は父母ともに責任があるが、特に婦人の責任は重大である。従ってその教育振興婦人団体の奮励を促す事によって一般婦人の自覚を喚起する事を主眼とする。……」

という内容である。

 この訓令によってその後どうなっていったであろう。その直後には「大日本連合婦人会(連婦)」が作られ、満州事変後の軍国ムードに乗って、1932年には「大日本国防婦人会(国婦)」が関西を中心に作られた。国婦はエリート意識がなかったため会員をどんどん増やした。この2つの婦人団体は、すでに1901年に作られていた「愛国婦人会(愛婦)」と互いに競い合いながら、軍事援護、愛国貯金などに乗り出した。千人針集めや前線へ慰問袋を送る運動だけでなく、街頭に立って洋髪の女性に「パーマネントはやめましょう」のビラを渡して圧力をかけたり、和服の長い袖をハサミで切り落とす実力行使も見られ、政府の威光を笠に着た振る舞いが多くなり、「泣く子も黙る婦人会」とも言われるようになった。

 1937年、日中戦争開始とともに、「国民精神総動員中央連盟」が発足し、1940年には「大政翼賛会」が発足して、生活必需品の統制が相次いだ。1942年、3つの婦人団体は「大日本婦人会(日婦)」に統合され、翼賛会傘下に入った。

 神聖天皇主権大日本帝国政府は1938年2月、「家庭報告三綱領・実践14項目」を発表したが、それは皇民教育を前面に出し、貯蓄奨励から食事・服装に至る実践項目を示し、国民生活の隅々までからめとるものであった

 政府はまた、1942年5月には「戦時家庭教育指導要綱」(母の戦陣訓)を発表したが、婦人団体も「戦力増強婦人総決起運動申し合わせ三条」を出し、「誓って飛行機と船に立派な戦士を捧げましょう」「一人残らず決戦生産の完遂に参加協力いたしましょう」「長袖を断ち、決戦生活の実践に決起いたしましょう」と訴えるようになった。

 新聞、雑誌、ラジオもまた国を守るための死を美化し、母を聖化した。「家の光」や「婦人の友」は、座談会で「今まで大事に育ててきた子供に『死ね』と一言言って送り出す強さが日本を支えている」と語らせ、戦争協力に励んだ。

 2千万人の女性を組織した日婦は、部落会町内会隣組と一体となって戦争遂行に大きな役割を果たしたのであった。

教育再生実行会議における「家庭教育」の最終目的はこのようなものとなるであろう。

(2016年10月8日投稿)

 

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自民党家庭教育支援法案は思想統制目的、自治体の条例化も基本的人権侵害する憲法違反

2024-06-20 20:44:40 | 教育

 法案は来年2017年の通常国会に提出する予定だという。家庭の自主性を尊重するとしているが、政府が「家庭教育支援」を進めるための方針を決めるとしている事は、いかなる内容であろうと、「家庭教育」について、政府の立場から何らかの事を決め、それを家庭に要求するという事であり、そのような行為は、現行憲法が、政府に対して国民の「基本的人権」(人間として当然に有し、たとえ国家政府であっても侵す事の出来ない権利)を保障する責務を規定している事に反して、政府が国民の「基本的人権」(第11条、12条、13条、18条、19条、20条、21条、23条、24条など)を「侵害」する憲法違反の法案である。また、親の子どもに対する「教育権」を侵害する憲法違反の法案である。

 自公政権(文科相)が「家庭教育支援」を進めるための「基本方針」を決め、「家庭」だけに止まらず、「地域住民」に対しても「国や自治体」が実施する「施策に協力」する事を「責務」として要求するという。

 「家庭教育」、換言すれば「親が子供に行う教育」という事であるが、その家庭教育は「親の権限(親権)」で行われるものであり、それは親の子どもに対する「教育権」であり、親以外の「他人」が決定し強制できるものではない。もちろん、政府が強制し、親に、また親を介して子供にも強制できるものではない。また親自身も「子どもの権利」を尊重するという面から、親であるという事を理由に、子どもに対して何でも強制要求する事ができるというものではないし、してはならないと考えるべきなのが今日の世界の常識である。日本は「子どもの権利条約」も批准している。

 それにもかかわらず、自公政権の「法案」の「基本理念」は、親の教育権を否定し、子どもに「生活のために必要な習慣を身に付させる」とか「国家及び社会の形成者として必要な資質が備わるようにする」などとしている。今日このような事が許されるものではない。

 そして、ここには、何らかの一定の価値観に基づいた内容を、自公政権が親に、そしてその子どもたちに強制しようとする姿勢が見られる。

 また、政府が地方自治体を下部機関としてみなし、施策の実施を命じ協力させ、地域住民に対しては政府や自治体が実施する施策に対して一人の人間も拒む事を許さないようにし、「地域住民」間の同調圧力をも利用した統制体制をつくり、親も子も「地域」に「取り込」み、自公政権の価値観を押し付ける事ができるようにしようとしている。

 そこには、現行憲法が保障している、多様化している価値観を尊重する姿勢は一切見られない。それとは逆に、政府の画一的な価値観を一律に強制的に押し付けようとしている。もちろん自公政権の意図に反する行為、つまり、「自民党改憲草案」に規定している「公の秩序、公益に反する」行為は、違法行為として処罰の対象とするであろう。

 日本の家庭、地域の環境をこのように変えていく事をめざしている事が「改憲草案」に示されている。「改憲草案」は天皇主権の「大日本帝国憲法」を理想とした内容である事は言うまでもなく、国民の権利保障は「公益及び公の秩序に反しない限り」(帝国憲法の「法律の範囲内」と同じ意味)でしか保障しないとする「政府主権」の内容である。

現行第11条「基本的人権の享有」は、草案では「妨げられない」の字句を削除し、「永久の権利である」までを残し、それに続く現行の「現在および将来の国民に与えられる」の字句は削除している。基本的人権は「政府妨げる場合はある」し、「現在および将来の国民に与える保障はしない」と変更しているのである。

現行第12条「自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止」は、草案では「国民の責務」と変え、「憲法が保障する自由及び権利」については現行憲法の「公共の福祉のために之を利用する責任を負う」を、「責任及び義務が伴う事を自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」 と変更している。「公共の福祉」とは、社会を構成する人たちみんなの共通の利益の意味で、人権の衝突を調整する考えを意味する言葉である。ところがそれを「改憲草案」は、「全体の利益」「国家の利益」という意味の言葉にそっくり変更しているのである。

現行第13条「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」は、草案では「としての尊重等」と変え、「尊重される」のは現行憲法の「個人」ではなく、「生物」としての「人」に変更している。「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は、現行憲法の「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に反しない限りと意味をそっくり変え、現行の「最大の尊重を必要とする」を「最大限に尊重されなければならない」と変更している。「最大限」は政府の恣意的判断を可能とするためである。

現行第18条「奴隷的拘束及び苦役からの自由」は、草案では「身体の拘束及び苦役からの自由」と変え、第1項を追加し、「その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない」としている。このような表現は、「精神的拘束(思想的拘束)」は合法で憲法違反ではないという解釈を可能とするためではないだろうか。

現行第19条「思想及び良心の自由」では、「これを侵してはならない」としているが、改憲草案では「保障する」と変更している。現行が禁止事項である事に変え、「保障する」のは「政府」であり、「保障」の中身は政府の恣意的な判断を可能とするものである。

「支援法案」では、政府(文科相)が定める「基本方針」を参考に、「地方自治体」が「家庭教育支援のための基本方針を定めるよう努める」と規定しているが、草案第20条「信教の自由」では、現行第3項の内容に「特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない」という字句を追加している。これは、「靖国神社」「伊勢神宮」「護国神社」などオカルト集団天皇家の国家神道行事を神聖天皇主権大日本帝国政府下と同様に「特定の宗教」ではないとする解釈を国民に押し付け、政府関係者自治体公務員参拝を正当化する法的根拠を作り、将来国民を参拝に強制動員する根拠を作り、その洗脳を「家庭教育」において合法的強制的に行おうとしているのである。

 この条文は、国家神道の祭祀における小道具である「国旗」(天照大神を象徴するものでキリスト像に当たる)や「国歌」(天皇を賛美する歌でキリスト教の讃美歌に当たる)に対し、例えば「卒業式」「入学式」の際に教育委員会や校長を通して、起立斉唱を、生徒や保護者、教職員やその他の国民に義務付けし強制するうえでも法的根拠にしようとしているものであり、それは神聖天皇主権大日本帝国政府が国教とした「国家神道」を国民に強制する事を正当化するための法的根拠とする事を目論むものである。

 2016年10月24日には大阪高裁が、卒業式で君が代の起立斉唱を拒否し減給処分を受けた大阪府立支援学校教諭に対し、「処分は適法」とし、教諭が「君が代が国民を戦争に駆り立てた歴史を考えると歌えない」と訴えた事に対して、「起立斉唱慣例上の儀礼的な所作」とし、「式の進行などの目的があるなら思想・良心の間接的な制約も許される」という判断を下している事で明らかであろう。

 ついでながら、大阪府(橋本徹府知事)は教職員に起立斉唱義務付け全国初の条例を2011年6月に施行している。

現行第21条「集会、結社、表現の自由」は、草案では「表現の自由」と変え、その第2項を新設し、第1項で「自由を保障する」とした事について、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害する事を目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をする事は、認められない」とし、多様な価値観に基づく国民の活動を処罰の対象とし、官制の「家庭教育」に反対する活動を抑圧する事を合法化する事を狙っている。

現行第24条「家族生活における個人の尊厳……」は、草案では「家族、婚姻に関する基本原則」と変え、第1項を新設し、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は互いに助け合わなければならない」として、現行の「個人の尊厳」は3項に「字句」を残しているが、2項の「婚姻」も「両性の合意のみに基づいて成立し」から、「のみ」を削除し、3項では「配偶者の選択」「住居の選定」の「字句」を削除し、「家族」を先頭にしたうえ、新たに「扶養」「後見」「親族」の字句を加え、家族の相互扶助、扶養」を義務として強制する事を重点とした内容に変更している。「家庭教育支援法案」の根拠となるものである。

以上、「家庭教育支援法案」に関係する「改憲草案」の「条文」を見ると、すべてに共通する事は、個人の権利を「天賦」のものとして尊重保障せず、政府やその下請け機関とされた「地方自治体」が独断で決定する「家庭教育支援政策」によって各家庭各家族はもちろんそれによって構成される地域住民を丸ごとすべて服従させるための根拠となり、またそれに反対する対応をとった場合には処罰の根拠ともなる内容となっている。

つまり、「改憲草案」は、政府によって国民の「すべてを統制」する内容であり、「支援法案」はそれを実質的に確保するのために家庭家族を社会の基礎単位と位置づけ具体的日常的に、精神的肉体的な自由を統制し服従させる法律であるという事である。つまり、全体主義、ファシズム体制、安倍政権自民党独裁体制を確立するためのものという事である。

 ところで安倍政権自民党が、「人権」を軽視無視する「支援法」を成立させたり、「憲法改悪」をするという事は、この世界でどのような意味を持つのかという事を考えてみると、それは、

国連憲章第1条第3項世界人権宣言(人類普遍の価値として人権尊重を宣言)や国際人権規約(世界人権宣言を条約化したもの)を基本にして成り立っている国際秩序から脱退するという事を意味するものであり、世界から孤立する事を意味する。  

 ※上記にのテーマに関係する別の投稿に

「教育再生会議が『家庭教育』初議論、1930年にも文部省訓令『家庭教育振興に関する件』で戦争協力

がありますので併せて読んでください。

(2016年10月26日投稿)

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神戸東須磨小の教員間でいじめ:児童生徒間のいじめの構図そのままだ、最近の中堅教員は人権尊重意識が乏しいのか

2024-05-17 15:35:03 | 教育

 2019年10月に入って、神戸市立東須磨小学校での、「教員間のいじめ」をメディアが報道した。メディアがこのような内容を報道するのは戦後史上では初めてであろう。しかし、「やっと」というべきかもしれないし、「ついに」というべきかもしれない。「やっと」というのは、すでにどこの学校でも「教員間のいじめ」は存在していたからである。また、「ついに」というのは、すでにこれまで存在した「教員間のいじめ」がどんどんパワーアップレベルアップしてきて、ついに看過できない状態にまで至ったのかと思ったからである。

 加害教員らがいじめを行いえた立場や、いじめの内容や、いじめを行いえた職場環境や、いじめが発覚した時点での彼らの釈明などには、児童生徒間のいじめと同様の構図が存在している。加害教員らは、児童生徒に対し、いじめを行ってはいけないと指導する立場にありながら、児童生徒間のいじめの実態そのままを、自らすすんで行っていた。

 加害教員は4人で30代の男性3人と40代の女性1人である。被害を受けた教員も4人である。加害教員らは同校では教員組織の中での中堅リーダー的な立場であり、その立場を利用していじめを繰り返し行っていた。暴言や暴力、性的な嫌がらせなどのハラスメント行為である。被害教員の中の20代の男性教員に対しては、「ボケ」「カス」などの暴言を浴びせる事に始まり、物で尻を叩くなどの暴力や、LINEで女性教員に猥褻なメッセージを送るように強いたり、被害男性教員の車の上に乗ったり車内でわざと飲み物をこぼしたり目や唇に激辛ラーメンの汁を塗ったり、いじめている時の様子を写真に撮る、などというものである。加害教員らは、別の3人の20代の教員(女性2人、男性1人)に対してもセクハラ行為をしたり、侮辱したあだ名で呼んだりしていた。

 このようないじめに対して周りの他の教員や校長や教頭など管理職の教員はどのように対応していたのか。周りの他の教員はほとんどが見て見ぬふりをしていたのである。つまり、極めて簡単に言えば傍観(共同正犯行為)していたのである。加害者でも被害者でもない第三者が傍観する事により、いじめは継続できたのである。これも児童生徒間の場合と同じである。また、校長や教頭など管理職は、加害教員らのいじめ行為を把握した時点でも、加害教員らに対しては「口頭注意」で済ませていた。そしてこの事をもって、市教委への報告は「問題は収束した」としていた。この対応は、いじめの隠蔽、管理職の責任回避ともいえる結果を導いた。これも児童生徒間のいじめによくある教員や学校の対応である。

 そのため、上記の被害男性教員は、その後も、暴言を浴びせられ、9月から欠勤を続けている。加害教員らは、被害男性教員にいじめをチクられたため「仕返し」をしたのである。そのため児童生徒でいえば「不登校」状態に追い込まれたのである。

 市教委は被害男性教員の家族から連絡を受けてやっと調査を始めた。その調査で加害教員らは、被害教員らに対するいじめ行為について、「悪気はなかった」「相手が嫌がっていると思っていなかった」などと、児童生徒間の場合の調査でも、よく発せられ良く聞かれる、児童生徒を導く教員とは思えない無責任な釈明をしている。

 いじめの被害教員は守られるべきであり守るべきである。いじめ行為は人権侵害行為で犯罪行為であるという事は常識となっている。加害教員らはそのような意識がまったくなく、人権尊重意識を欠いていると言って良い。しかし、教員意識の現状は、彼らのような意識の教員はすでに以前から存在しており、益々増加の傾向にあり、たまたま東須磨小の彼らが表面化したと言って良い。また、東須磨小以外においても同様の意識の教員が少なからず存在し増加していると考えても何ら不思議ではない。再発を防止するために被害調査をする事が必要だろう。そして、彼ら加害教員のような人物を教員として採用している採用試験制度の見直しも必要である。制度の制定に関わった関係者や関係機関の責任も問わなければならない。それは、突き詰めれば文科省の体質教育委員会、そして安倍自公政権を問う事でもある。

加害教員らは、自らの人権の大切さを認識できていないため、自らの人権を守る意識をもてないとともに、共に生きる仲間の人権を守る意識をもたねばならない事の大切さにも気づいていない。

(2019年10月9日投稿) 

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