ハインツ・ヘーネ著『ヒトラー独裁への道 ワイマール共和国崩壊まで』を基にして上記について紹介しよう。今日、自公政権、特に安倍氏以降の自公政権の下で、日本の若者たちの政治的動向を観察するために参考となるかもしれない。
ワイマール共和国の大勢の民主主義者は、指導者崇拝熱に惹きつけられていたが、イタリアのファシスト党の統領であったムッソリーニのエネルギーは、模範的なものに映った。ムッソリーニのような素質があるか否かが、ワイマール共和国の政治家の適性を占う物差しとなった。ドイツのムッソリーニになる事は政治家にとって、やり甲斐のある目標となった。ヒトラーはすでに1922年から自らを「ドイツのムソリーニ」として宣伝していた。
指導者崇拝熱は、それまで民主主義派の各政党や政治家たちの古くさい政治スタイルにそっぽを向いていた若者たちも虜にした。「指導者原理」こそ、若い世代が何年間も待ち焦がれていたキーワードだったのである。若者たちは、経験豊かな指導者と、仲間意識で固く結ばれた共同体を、どの社会階層よりも切実に待望していたのだが、ワイマールの制度、組織はそのいずれも満足させてくれなかった。若い世代の圧倒的多数はワイマール体制をすでに見限っており、「老人と中年たちの共和国」には何らの帰属意識も持っていなかった。
では、若者たちは民主主義諸政党を見限ってどこへ向かったのだろう。上記の状況が、1920年代初めの混乱期の置き土産である各党の準軍事的自衛組織に新しい生命を吹き込む事になる。例えば国粋主義の鉄兜団、あるいは国家社会主義の突撃隊(SA)、共産党の赤旗戦闘団、民主主義擁護を叫んで黒・赤・金三色のワイマール国旗を掲げる社会民主党系の国旗団といった組織である。これらの団体は、最も有効な政治参加の道を求めている若者たちの心を惹きつけようとして、それぞれのやり口で、民主主義に挑戦的な非知性主義と幼稚な軍国主義を、政治の場におおっぴらに持ち込んだ。彼らは、準軍事団体につきものの暴力に慣れ親しみ、国内対立を益々険悪なものにするのに力を貸した。
(2022年10月8日投稿)