2020年10月23日の朝日新聞「大竹しのぶの『まあいいか』」が、萩、そして吉田松陰の私塾「松下村塾」を取り上げていた。大竹しのぶは「たくさんの弟子たちが松陰様の生き方を学び、そこから日本のリーダーが輩出した松下村塾。過去は変える事はできないが未来は変えられると言った彼の言葉を胸に刻む」と書いている。
しかし、吉田松陰やその私塾「松下村塾」について、大竹しのぶによるこの程度の説明で済ませてよいものであろうか。これを読んだ人は間違いなく、吉田松陰を「偉い人」「立派な人」「その後の日本の発展、日本国民にとってかけがえのない人」というような印象を持った事だろう。朝日新聞もそれを「狙い」として載せた記事だと断じて良いだろう。なぜなら、歴史学会においては吉田松陰の評価はそのように決めつける事はできないものだからである。だから、大竹しのぶの評価は偏向したものとなっていると言って良いのであり、朝日新聞はそれを分かったうえで記事にしたと考えて良いと思う。
吉田松陰を手放しで称賛してはならないのである。それは一面的な偏向した評価である。吉田松陰の思想として、今日の主権者国民が、特に知っておかなければならない事は、天皇支配に基づく「領土拡張思想」「侵略思想」である。
松陰は「安政の大獄」事件(1858~59年)で、徳川幕府井伊大老にとっての危険人物として死刑に処されたが、その直前に、それまでに「松下村塾」で教授指導した弟子たちに向けて『幽囚録』という「遺書」を遺している。それを以下に紹介する。
「日昇らざれば則ち傾き、月満たざれば則ち欠け、国盛んならざれば、則ち衰ふ。故に善く保つものは徒にそのある所を失ふ事なきのみならず、又その無き所を増す事あり。今急に武備を修め、艦ほぼ備わり砲ほぼ足らば、則ち宜しく蝦夷(北海道)を開墾して諸侯を封建し、隙に乗じて(ロシア帝国の)カムチャッカ、オホーツクを奪い、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯とひとしからめ、朝鮮国を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時の如くならしめ、北は満州(中国清朝)の地を割き、南は台湾(中国清朝)、ルソン(スペイン領)の諸島を収め、漸に進取の勢いを示すべし」
という内容であり、彼の思想は、尊王攘夷の立場に立ち天皇支配に基づく「領土拡張思想」「他国侵略思想」であり、神聖天皇主権大日本帝国政府による台湾や朝鮮国を手始めとしたアジア征服政策に大きな影響とその正当性を与えたのである。そして、吉田松陰の私塾「松下村塾」で教えを受けた塾生たち(伊藤博文など)が松陰の意思を実行していったのがその後の日本のアジア太平洋戦争敗戦までの歴史であったのである。
また、神聖天皇主権大日本帝国政府は学校教育においても、吉田松陰を高く称賛し、尋常小学校「修身科」の教材としても重視し、子どもたちの心に天皇崇拝、軍国主義、国家主義、全体主義を刷り込んだのである。「教材」内容は、「自信」という「徳目」で、
「……松陰は外国の事情がわかるにつれて、我が国を外国に劣らないようにするには、全国の人に尊王愛国の精神を強く吹き込まなければならないと、かたく信じて、一身をささげて此の事に尽くそうと決心しました。27歳の時、郷里の松本村に松下村塾を開いて弟子たちに内外の事情を説き、一生けんめいに尊王愛国の精神を養うことにつとめました。松陰は至誠を以て人を教えれば、どんな人でも動かされない者はないと、深く信じて、「松本村は片田舎ではあるが、此の塾からきっと御国の柱となるような人が出る」と言って、弟子たちを励ましました。松陰が松下村塾を開いていたのは、僅かに二年半であったが、はたしてその弟子の中からりっぱな人物が出て、御国の為に大功をたてました。
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
というものであった。
そして、神聖天皇主権大日本帝国を理想とし回帰を狙う安倍自公政権が、この「松下村塾」を世界遺産に申請し、2015年に世界遺産として登録されたという現実が今あるのである。
(2020年10月26日投稿)