2020年10月に入り、メディアが東京大学に関する記事を載せた。一つは東大新総長に産学連携を推進する藤井副学長が選出されたというもの。もう一つは菅自公政府が「大学の研究(費)や若手の育成(待遇改善)」の支援に充てるための「基金」を来年度にも創設し、その支援対象のトップに東大を上げているものである。この動きから、東京大学が神聖天皇主権大日本帝国政府時代に東京帝国大学が踏んだ轍を再び踏むのではないかという不安を感じている。
東大の新総長選出については、藤井氏はこれまで財務や産学連携を担当してきており、抱負として「企業と連携する大型の案件が進んでいる。しっかりと成果を出したい」と語り、産学連携推進の立場を是としている。
総長選考会議(大学幹部や財界人らで構成)は、この藤井氏を選出するために、公明正大な選考を実施しなかったと思われるのである。そして、その背景に政治的(菅自公政権の圧力、忖度など)な不可解なものを感じざるを得ないのである。
梶田隆章氏(ノーベル物理学賞受賞者で東大宇宙線研究所長)や、4学部(法・文・医・薬)の学部長、研究所長ら15人は選考途中で選考会議に対し説明を求める要求書を提出したが受け入れられず、選考会議は強引に藤井氏を選出したのである。
この強引さに日本の大学の「学問研究の危機」を感じざるを得ない。
東京大学の前身の東京帝国大学(神聖天皇主権大日本帝国政府時代)の教授陣は、政府が負の歴史を歩みだす動きに大きな影響を与える政治的言動を行使した。日露戦争の際には、東京帝国大学の教授陣は「対露同志会」(会長は近衛文麿の父・篤麿。国家主義団体)に加わり、対ロシア強硬外交(即時開戦)を桂太郎首相(第1次内閣)に要求し、新聞雑誌(ほとんどの新聞雑誌が主戦論)・遊説などを通じてロシアとの開戦を国民に煽った。そして、国民は生活苦(搾取・収奪)に対し戦争が景気一新の最良策だと信じるものが多くなっていった。
東大七博士満州問題意見書(1903年6月)東京朝日新聞
「東京帝国大学教授、富井、戸水、寺尾、高橋、中村(学習院大)、金井、小野塚の七博士が、桂首相に提出したる満州問題の意見書は左の如し。……我国は既に一度遼東の還付に好機を逸し、再び之を膠州湾事件に逸し、又三度之を北清事変に逸す。豈更にこの覆轍を踏んで失策を重ねべけんや。既往は追うべからず、只之を東隅に失うも之を桑楡に収るの策を講ぜざるべからず。特に注意を要すべきは極東の形勢漸く危急に迫り、既往の如く幾回も機会を逸するの余裕を存せず。今日の機会を失えば、遂に日清韓をして再び頭を上げるの機なからしむに至るべき事是なり。……蓋し露国は問題を朝鮮によりて起こさんと欲すが如し。何となれば争議の中心を朝鮮におく時は、満州を当然露国の勢力内に帰したるものと解釈し得るの便宜あればなり。故に極東現時の問題は、必ず満州の保全に就いて之を決せざるべからず。……我邦人は千歳の好機を失わば、遂に我邦の存立を危うくする事を自覚せざるべからず。姑息の策に甘んじて曠日弥久するの弊は、結局自屈の運命を待つものに外ならず。故に曰く、今日の時機において最後の決心を以て此大問題を解決せよと。」
※ちなみに、七博士の最右翼は戸水寛人で、政府は最初は積極的な開戦論ではなかった事もあり、戸水を休職させた。しかし、これを東大側では大学教授の言論・研究の自由の侵害であると教授陣が総辞職を主張して抵抗するという経緯もあった。そしてそのため文相久保田譲が辞職して大学側の主張が認められる事となるのである。神聖天皇主権大日本帝国第1次桂太郎政府は、東大教授陣による「開戦論・主戦論」の主張を「言論・研究の自由」として認めたのである。