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司馬遼太郎「坂の上の雲」の目的は歴史事実の書換、NHKテレビ放映は国民への刷り込み

2024-09-26 00:16:02 | メディア

※司馬遼太郎記念財団が2023年1月11日、生誕100年を迎えて、好きな作品のアンケート結果を発表した。トップ3は『坂の上の雲』『竜馬がゆく』『燃えよ剣』であったという。しかし、『坂の上の雲』の内容は歴史事実を伝えたものではないし、歪曲したものでもある事を承知しておくべきであり、正確な歴史を知ろうとする人は研究書によるべきである。

 『坂の上の雲』については歴史の事実を歪めた問題作として批判本がたくさん出版された。さらに、そのように批判されたものでありながら、1996年司馬氏の死後、NHKテレビが、「韓国併合」100年前後の2009年から2011年までの3年間も、放映し続けた過去があり、それに対する批判も起こった。にもかかわらず、2020年7月22日朝日新聞「時代の栞」が取り上げていた。見出しを「小説の枠を超え歴史観に影響」「明治期の軍人と政治家のリアリズム」などとして。記事内容は総花的で色々網羅し支離滅裂的で、朝日新聞として『坂の上の雲』の内容がかつてどのような問題点を指摘され批判が起きたのかを具体的に示そうとしたものではなく、また、かつての批判の重視すべき点を、読者に具体的に分かりやすく伝えようとする使命感や責任感を感じさせるものではなかった。「物語」として創作する司馬氏の力量が優れていると讃えるものであったり、彼の歴史認識やこの作品への「批判」をかわす事を意図しているためなのか、司馬氏本人のものの見方考え方や言葉に基づかず無視して、手前勝手な主観的なピントの外れた決めつけ思い込みによる「作品」への称賛の批評などであった。これでは読者(主権者国民)は歴史認識を培う上でこの記事から得るものは乏しく、結局「ただのゴミ」記事でしかない。

 司馬氏は「日露戦争は日本の祖国防衛戦争であり、であればこそ民族をあげて戦い抜きつつある」と書き、「あとがき」には「この作品は、小説であるかどうか、実に疑わしい。事実100%だ」と書いている。しかし実態は、歴史の事実を書き換えたり書かなかったりして捏造したものを歴史事実であると強弁したのである。そしてまたその事については晩年、たとえば「自分の韓国の描き方にははっきり問題があった」とする文章を残している。またそれに関連して司馬氏は、「自分の『坂の上の雲』は映像化しないように」と強い遺言を残していたのであるが、NHKは放映したのである。これは偏向した政治的意図をもって行ったものと言って良い。

 さて、この作品は日露戦争をモチーフにしたもの(司馬本人は歴史事実と言っているが、捏造し美化したものである)でありながら、歴史上の大事件には触れていない(事実の隠蔽)。また、触れても書き換えている。それをいくつか紹介しよう。

 まず、「日露戦争は日本の祖国防衛戦争であり、であればこそ民族をあげて戦い抜きつつある」と書くが、明治天皇詔勅で「韓国自存のための戦争だ(韓国目的のための戦争)」としており事実と異なり、司馬氏は捏造美化している。

 神聖天皇主権大日本帝国政府が欧米列強から不平等条約を押し付けられた事は書いてあるが、帝国日本による朝鮮植民地化(韓国併合)の第1歩である江華島事件を軍事的圧力を背景に計画的に起こし日朝修好条規を押し付けた事については書いていないしNHKテレビ放映でも触れていない。

 日清戦争は、日本軍が朝鮮王宮景福宮を占領する事から始まるが、作品では王宮占領2日後の話だけを書いている。旅順市民虐殺について「作品」は「旅順は二度(日清・日露)にわたって日本人の血を大量に吸った」「日本は日露戦争を通じ、前代未聞なほどに戦時国際法の忠実な遵法者として終始した」「日本兵は私有物を盗まなかった」「日本人が日清戦争や北清事変を戦った時、軍隊につきものの略奪事件は一件も起こさなかったという事が、世界中の驚きを誘った」と書いている。現実には1万人以上の市民を殺害し、欧米から批判を浴びたが作品はその事実を隠蔽した。

 三国干渉後、朝鮮政府(閔妃政権)はロシアに接近ため、それを恐れた神聖天皇主権大日本帝国政府は閔妃(高宗の王妃)虐殺事件を起こした。これは川上操六(陸軍参謀次長)が陸奥宗光や伊藤博文の了解を得て、三浦梧楼朝鮮公使に命じたもので、公使館守備隊を連れて景福宮に乗り込み実行した事件であった。ニューヨーク・ヘラルド紙などが批判報道したが、日本の裁判所は無罪とした。この事も「作品」では書いていない。NHKテレビ放映ではテロップで1行だけ流した。しかし、閔妃ではない写真を使用していた。また、NHK出版『坂の上の雲』ガイド本では、日本人の犯行であったにもかかわらず、韓国関係者の犯行であると解説し罪を頬かむりしている。

 日露戦争における日本海海戦については、「日本人が勝った。それをアジア人が喜ぶべきなのに喜ばなかった」と書いている。

 ポーツマス講和条約の第1条こそ、日露戦争の最重要の目的であったが、その第1条には「ロシアは韓国に対する日本の指導・保護・監理を承認する」とある事からも、司馬氏のいう「祖国防衛戦争」ではない事は明らかであるが、「作品」はそれを読者や視聴者に欺瞞隠蔽している。

 また、日露開戦直後に大韓帝国(1897年国号を改めた)政府は局外中立声明を出したが、神聖天皇主権大日本帝国はそれを無視し、1904年2月「日韓議定書」を強要締結させ、「大日本帝国軍による領土使用」を承認させた。1904年8月には第1次日韓協約「財政・外交については、日本及び日本人の推薦する外国人を顧問として迎える事、また外交については日本政府と協議すべき事」を強要締結させた。また、1905年11月には第2次日韓協約で「韓国の対外関係は日本の外務省が処理(外交権の剥奪)、統監府(初代統監・伊藤博文)を設置」を強要締結させたが、「作品」は一切書いていない。

※韓国併合への経緯については別稿カテゴリー「朝鮮問題」を参照してください。

(2020年8月3日投稿)

 

 

 

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