2019年7月14日、堺市などの主催で、堺市堺区の大仙公園で、百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産に登録された事を祝って「提灯行列」が行われた。公募した市民ら約2千人が「祝賀世界遺産登録」と書かれたLED照明の提灯を持って、大山古墳前を練り歩いた。夜には公園内の広場で、永藤英機市長と市民が「万歳三唱」を行った。
私は、祝賀の「提灯行列」と知って、大変驚いた。そして、自治体とその市民によるこのような企画と行動に恐怖を感じた。
なぜなら、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府下の姿とあまりにもそっくりであったからだ。
戦勝祝賀集会での「提灯行列」は日清戦争を皮切りに、敗戦まで続けた。1937年12月13日には中華民国(現中華人民共和国)国民党政権の首都であった南京を陥落させた際には、日本国中が戦勝気分に沸き、全国各地で連日連夜、「提灯行列」や行事を実施した。東京では40万人が参加した。主催は、行政、新聞社、地域の自治組織(町内会など)、学校、青年団などなど。「帝国の「上から」も「下から」も、「南京陥落」を「祝賀」する行事を組織した。
この「南京陥落」に至るまでの日本軍の言語を絶する悪逆非道については、すぐさま世界中に知れわたっていたにもかかわらず、帝国政府は報道管制を敷き国民を言論統制下に置いていたため、日本国民はメディアからはまったく知るすべはなかった。その事実を初めて知ったのは敗戦後の東京裁判においてであった。
ちなみに、1937年7月28日付陸軍省新聞班「新聞掲載事項許否判定要領」では、「我軍に不利なる記事、写真」「支那兵又は支那人逮捕訊問等の記事、写真中虐待の感を与える虞あるもの」「惨虐なる写真」はすべて掲載不許可としている。
(2019年7月27日投稿)