2019年10月17日、IOCのバッハ会長は、東京五輪でのマラソンと競歩について、競技場を札幌に移す決定をしたと宣言したという。それを伝えられたJOCの森喜朗会長が「IOCの判断に、不快感を持ちようはない。組織委として受け止めないといけない」とつぶやいたという。これを知って私は呆れてしまった。
IOC(国際オリンピック委員会)というのは専制的独善的な組織で、そんな組織が絶大な権限を持ちオリンピックを実施してきたのかという事に、そして、なぜ臨機応変に時期を設定してはいけないのかという事についてである。この理由は周知の通りオリンピックが欧米諸国中心の大会だからであるが。しかし、これまでそうであるとしても、ここでこれまでのように金儲けだけに思考停止しているのではなく、気候条件が大きく変化している現状を重大視し、実施時期について、柔軟にその招致国の事情を尊重すべき時期に来ているのではないかと思うのである。
今回、IOCは、気候条件を重大視した結果、マラソンと競歩についてだけ、競技場を移すという事のようであるが、なぜ一方的に札幌を指定するのか。そこまでの権限を有しているのか。そんなはずはない。また、他の競技については何故判断しないのか。すべての競技について判断すべきではないのか。これらの背景には、IOCバッハ会長とJOC森喜朗会長との権限を濫用した独裁的な闇の交渉取引が存在するのではないか。
IOCに、このような横暴な決定によってオリンピックの実施を強要する事を許して良いものだろうか。許して良いはずがないではないか。許されるべきではない権力濫用行為である。これと同じ事はJOCの森喜朗会長にも言える事である。会長であろうとも専制独断行為は許される事ではなく民主的方法で決定すべきである。
IOCにとっては、開催時期について、東京五輪をきっかけに、JOC(招致国)が自主的に十分に誠意ある決定を行ったと思われる場合はそれを認める事が最も公正な判断を行ったと見なされる事になるだろう。
日本国民にとっては、今こそ、JOCの独断にまかせない絶好の機会として生かすべきである。
(2019年10月18日投稿)