大阪市(吉村市長・維新の会)が2017年9月4日の庁内会議で、万博招致のために、重要な審査項目とされている「地元の盛り上がり」を示す材料として、フランスなど他の立候補国を真似て、区役所やイベント会場で万博賛同署名を呼びかける事を決めたようであるが、良識ある府市民は、自己の目的を達成し自己だけが利益を得るために、府市民を利用する事しか考えていない「維新」の政策に断じて反対する意思を示すため、署名の呼びかけに反対し拒否しよう。
「維新の会」の松井府知事と吉村市長が牛耳る「大阪府市」の「経済政策」「財政政策」は、「博打」経済「博打」財政へ踏み込んだ。二人は税金という他人のお金だから大きな博打も平気で打てるようだ。また、府市民生活の安心を保障するという、重い責任を有する立場にある事を認識しているようにはまったく感じられない。
「万博招致」も、「IR誘致」も、いずれも「博打発想」で行われる行政政策である。この考え方は、かつての神聖天皇主権大日本帝国政府による侵略戦争の決断や遂行における考え方と同根の考え方で、特に「アジア太平洋戦争」開戦時の決断や戦争遂行上の考え方とまったく同じで、広い視野や将来の見通しや計画を持っていないだけでなく、人権尊重の理念などまったく持ち合わせていないにもかかわらず、侵略戦争を「正義にかなう」(八紘一宇、大東亜共栄圏の建設など)ものとの詐欺的な言葉を弄して国民を騙し、さらには同盟国ドイツの連合国軍との戦闘の動向をうかがいながら、それに依拠しながら自らの作戦を場当たり的に決定した「他力本願」手法そのものであると言ってよい。
「侵略戦争」や、「万博招致」や、「IR誘致」に、共通するのは、いずれも「博打」「ギャンブル」的発想に基づく政策であるという点で、それは政治や行政の誤り(失敗)によりたどり着いた政策であるといえる事だ。
「アジア太平洋戦争」開戦は大日本帝国のそれまでの政治の誤り(失敗)がたどり着いた政策であるが、現在の大阪府市の「万博招致」や「IR誘致」も府市政のこれまでの誤り(失敗)によってたどり着いた政策に過ぎない。その政策は、「アジア太平洋戦争」開戦の決定が、政府が国民の事を考えた結果の決定ではなく、当時の天皇制政府を支える為政者たちの利害(地位、権力、殖富)を主に考えた決定であるのと同じく、府市民税などを納めている「府市民」の生活を第1に考えた結果の決定ではなく、大阪府市の行政権を牛耳っている「維新の会」を組織する者たちの利害(地位、権力、殖富)を考えたものなのである。「維新の会」の利害(地位、権力、殖富)を重視し、そのために府市民の納めた税金を私物化して利用し利益を得ようとするものである。つまり、「他人の褌で相撲を取ろうとしている」という事である。ちなみに、「侵略戦争」は、神聖天皇主権大日本帝国政府がその無謀さと人権・民主主義を否定した「思想」を日本国民に強引に押し付け認めさせて遂行した結果、侵略された諸国民は言うまでもなく、日本国民をも悲惨な状態に陥れ敗戦に至ったのである。
「万博招致」「IR誘致」の場合はどうであろうか。
大阪府2017年度一般会計当初予算案では、532億円不足しており、災害復旧時などに使う貯金である「財政調整基金」を取り崩すが、17年度末で「基金」残高は584億円となる見込みであり、18~19年度で同規模の取り崩しがあれば、「基金」は枯渇する可能性がある。大阪市の場合も同様で、収支不足は市有地売却や貯金である「財政調整基金」を取り崩す方針だが、実施が決まっていない事業を含めば「基金」では不足する状況下にある。
このような財政状況下で松井府知事、吉村市長(どちらも「維新の会」所属)が、「博打発想」である「万博招致」や「IR誘致」を進める事は、「正道」ではない。また、府市政の主役である府市民の生活を今まで以上に不安にさらし破壊するだけでなく、将来世代の生活の安心安全も保障するものであるとは言えず、この先そのような現実を目の当たりにした時には、「あとは野となれ山となれ、どうなろうと知った事ではない」という無責任体質を露わにして、府市政を投げ出すつもりなのである。断じて反対すべきである。
このような「維新の会」をのさばらせている背後に存在しているのが安倍自民党政権で、それは「お代官様」と「越後屋」の関係、つまり「越後屋、おぬしも悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどでは」と言い交わす(類は類を呼ぶ、同じ穴のむじな)関係にある事を見抜いておかなければならない。元凶は安倍自民党政権であり、そのお先棒を担いで張り切っているのが「維新の会」なのである。
この9月2日に「維新の会」は、憲法改正本部会議の初会合を開いた。前代表の橋下徹氏も講演し、「9条の1項と2項を維持しつつ自衛隊を明記する安倍首相の案を前向きに評価」した。
つまり、府市民は、「越後屋」のおこぼれを求めて生きる生き方(奴隷根性)に甘んじる事をやめようとしない限り、自身の「生殺与奪」の権利を彼ら維新の会が半永久的に握り続けるしくみとなっている事を認識しなければならない。
(2017年9月5日投稿)