日本国憲法「前文」には「アジア太平洋戦争」について、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」とあり、「戦争は政府が起こした」ものである事を明確に示している。その政府、いわゆる「自民党政府」は国民に対してその罪を「謝罪」し、「賠償」には「自ら積極的に応じてこそ当然」とするのが憲法の趣旨に適った「まともな」対応なのではないのだろうか。ヨーロッパの国々ではそれこそ「当然」の事とされてきた。世界の「常識」が日本では「非常識」、世界の「非常識」が日本では「常識」となっている事を改めなければならない。国民には「受任論」を押し付け、戦後施行された法律で「軍人・軍属」だけに補償をしたのは支離滅裂で筋が通らない(政府においては一貫性がある。それは「軍人恩給」は天皇への奉仕に対する「ご褒美」として与えられているからである)。
日本列島下での唯一、米軍との地上戦「沖縄戦」で被害を受けた住民と遺族が損害賠償と謝罪を求めた「国家賠償訴訟」で、那覇地裁(鈴木博裁判長)は3月16日「日本国憲法施行前の国の権力行使について、損害賠償は認められない」として、訴えを棄却する判決を言い渡した。
判決は、「(戦前の)明治憲法下では国の責任を認める法律がない」と判断したとの事。国家賠償法の施行(1947年)前の行為について、国は賠償責任を負わないとする「国家無答責」の原則を採用。「軍人・軍属との差異」は「違法とは認められない」とした。原告や沖縄県民は日本の裁判所に「国民を守らない冷酷非情さ」を改めて感じた事であろう。そして、この判決を生み出している元凶は、日本の政府(現在は安倍政府)にある事をつくづく感じた事であろう。
「軍人・軍属」にはなぜ「国家無答責」の原則を採用しなかったのかについて、鈴木裁判長は答える義務があるのではないか。都合が悪いのか、応える事の出来ない内容なのかその事については「口をつぐむ」のは国民に対して誠意が見られない不公正な姿勢である。日本の判決にはこのような内容の判決が非常に多いが、この背景には裁判官が「国民を馬鹿だと思っている」事と「政府側に立っている」事と関係があるようだ。
沖縄県民は軍と「共生共死」を強いられたのである。サイパン玉砕の後、沖縄守備に当たっていた第32軍の渡辺正夫司令官は「地元住民は軍と共に玉砕するのだ」と公言していた。
次の牛島満司令官は、地元の官民を喜んで軍の作戦に寄与させるとともに、「敵の来攻にあたりては軍の作戦を阻害せざるのみならず進んで戦力増強に寄与して郷土を防衛せしむる如く指導すべし」と指示した。
1944年10月10日の「10・10那覇大空襲」以降、現地守備軍の最高首脳たちは、世紀の決戦場である沖縄の戦略的使命は重大だから、県民は必勝の信念に徹して、一人で敵を十人殺す決意で軍に協力せよ、などと、軍人、非戦闘員の別なく叱咤し、沖縄は、米軍の血を流させる「吸血ポンプ」の役割を果たせ、と呼号するだけであったという。
長参謀長は県民に向けて「今更言ったってはじまらぬが、ただ軍の指導を理屈なしに素直に受け入れて、全県民が、兵隊になる事だ。すなわち一人十殺の闘魂をもって、敵を撃砕するのだ」と発言した。
守備軍首脳は、「直接、戦闘任務につき敵兵を殺す事が最も大事だ」といい、県民に「ナタでもクワでも竹槍でも、身近にある武器で夜間斬り込みからゲリラ攻撃にいたるまで、あらゆる手段を尽くして敵軍を撃滅せと」と指示した。
そして、その結末は国民周知のとおりである。
(2016年4月6日投稿)