この通牒は「軍慰安所従業婦等募集に関する件」というもので、その内容は、北支那方面軍と中支那派遣軍(関東軍を除くすべての軍隊)に宛てたもので、募集に当たり「派遣軍に於いて統制」し、業者の「選定を周到適切に」する事、募集に当たっては「関係地方の憲兵及び警察当局との連携を密に」する事を指示するものである。
これはまず、陸軍省が現地の部隊が慰安所(軍人・軍属専用施設)を設置する事を改めて容認したもの。
「派遣軍において統制」とは。軍の選定した業者が朝鮮、台湾、日本に派遣されて「慰安婦」を集める際に警察(業者を誘拐犯と思い逮捕)との間で混乱が起きていた。そのため、すでに同年2月23日に内務省警保局長から通牒「支那渡航婦女の取扱に関する件」が出され3つの指示をした。①「これ等婦女の募集周旋等の取締にして適正を欠かんか帝国の威信を毀け皇軍の名誉を害うのみに止まらず銃後国民特に出征遺家族に好ましからざる影響を与える、軍の了解又はこれと連絡あるが如き言辞その他の軍に影響を及ぼすが如き言辞を弄する者はすべて厳重に取り締まる事」→国民に知られないように統制せよの意。②「婦女売買又は略取誘拐等の事実なき様特に留意する事」→「婦女売買禁止に関する国際条約」や日本刑法の「略取誘拐罪」に抵触しないように統制せよの意。内地からは、満21歳以上で、現に売春を行っている者以外の渡航を禁止し、軍が駐留している華北・華中へ行く者(軍の慰安婦)だけを黙認する。③この「通牒」は朝鮮や台湾では出されておらず、日本内地と植民地との扱いが異なっていた。植民地に対する差別的扱いをしたもの。
また、「憲兵及び警察当局との連携を密に」し、刑法に違反していても止めてはいけない、としており、朝鮮や台湾では誘拐や人身売買で業者が国外へ連れ去っても黙認していたといえる。
読売新聞はこの通牒に関してのパンフレットを配布したが、そこで「1938年3月4日に出された陸軍省副官通牒は、軍の関与を示すものだったけれども、それは善意の関与をしたものだった」と主張していた。