2020年3月10日の新聞の一面の片隅に、「名古屋鉄道」が自社の宣伝広告「明治村 本物の歴史がここにある」を掲載していた。この日は「第四高等学校物理化学教室」についてであり、写真とその建物についての短い説明文を掲載していた。
広告にはその広告主が伝えたい事が、また、そこには自ずと広告主の価値観や思想信条などが映し出されるものであるが、説明文は「明治23年に第四高等中学校物理化学実験場として建てられ、第四高等学校、金沢大学へと引き継がれ今年創建130年を迎える。工事監督は山口半六、設計は久留正道の二人の文部省技術者が手がけ、その後の学校建築の規範となった。金沢市より明治村に移築された」というものである。
これを読んで私は思った。この第四高等学校については、現代の我々主権者国民が決して忘れてはならない受け継いでいくべき歴史が存在している。しかし、それに触れてくれていないのが残念な事だと。
それは、731部隊の創設者であり初代部隊長・石井四郎軍医が、第四高等学校理科乙類を1916(大正5)年に卒業しているという事実である。彼はその後京都大学医学部を出て軍医になるのである。731部隊というのは歴史辞典によれば、「日本陸軍の細菌戦部隊。関東軍防疫給水部。1933年石井四郎軍医がハルビン郊外に設立。ペスト・チフスなどの細菌兵器を開発した。細菌戦の実行のほか、3千名におよぶ人体実験を行うなどの戦争犯罪を犯したが、米軍への資料提供と引換えに関係者は極東国際軍事裁判(東京裁判)での訴追を免れた」といわれている。
731部隊の幹部には石井四郎以外にも、第四高等学校出身者が非常に多いのである。たとえば、二木秀雄、石川太刀雄、岡本耕造、増田知貞、谷友次などである。また、二木秀雄と谷友次とは柔道部の先輩後輩の関係であった。現在「明治村」に移築されているが、第四高等学校の武道場(柔道、剣道、弓道の3種)「無声堂」に「名札」が残っている。弓道場には石井四郎の「名札」が残っている。
主権者国民は、主権を脅かされないために、歴史を記憶し継承する努力を怠ってはならない。
(2020年3月12日投稿)