しかも既に述べたとおり、レコーディングセッションの時間が限られていた事から、「ミッドナイト・トレイン / Midnight Train」が前述したとおりキャラメル・ママ~ティン・パン・アレイ組であれば、こちらの「にがい涙」は深町純(key)、矢島賢(g)、高水健司(b)、村上秀一(ds) というメンバーがリズムセクションを担当したと言われていますので、楽曲共々、そういうサウンド作りのニュアンスやセンスの違いをあれやこれやと聴きながら推察するのも、リスナーの楽しみでありましょう。
■Saturday Night / Earth, Wind & Fire (Columbia / CBSソニー)
アース・ウインド&ファイアー=EW&Fのリーダーにして創設者、そして素晴らしいプロデューサー&ソングライター、さらには豊富なセッション経験を積んだドラマーでもあったモーリス・ホワイトが天に召されました。
説明不要かとは思いますが、サイケおやじと同世代の皆様共々、EW&Fは1970年代中頃から大ブームになった大衆ファンク&フュージョンのトップグループという認識であり、それは実際、リアルタイムで発売されたレコードがアルバム・シングルの区別無く、何れも売れまくったヒット作だったという実績は言わずもがな、その与えた影響力の大きさは後追いバンドの出現、そしてホーンやリズム、さらにはファルセットコーラスの使い方等々、とにかく諸々が自然の成り行き以上に深く浸透して、今日に至っていると思うばかりです。
で、そうしたEW&Fの存在意義(?)の中でも殊更強烈なのが、常時10人以上の大編成バンドによる鉄壁の演奏力であり、スピード感満点のメカニックなホーンリフ、激しいグルーヴを噴出させるタイトなリズム隊のソウルジャズフィーリング、加えて前述したとおりのファルセットボイスも印象的なボーカル&コーラスハーモニーのポップな味わいは、普通に黒人っぽいサウンドであると同時に、実は極めて万人に受け入れられ易い方向性を示していたわけで、それこそがモーリス・ホワイトが狙って成功させたものでしょう。
なにしろEW&Fの本拠地はアメリカ西海岸のLA、つまりは往年のハリウッドポップスの伝統や同時進行していた所謂ウエストコーストロックの流行に連動していたが如きブレイクでしたからねぇ~~♪
そこでモーリス・ホワイトが果たした役割は何か?
と問われても、即答出来ないほどのクロスオーバーな感性は故人のミュージシャンとしての履歴、殊更シカゴのチェスレコードにおけるセッションドラマーとしての夥しいレコーディングやラムゼイ・ルイス・トリオのレギュラーメンバーでの活動があればこそ、何が売れるのかという秘訣を掴んでいた証明作業であったと思います。
で、本日掲載したシングル盤A面収録の「Saturday Night」は、まさにその方程式の実践表記とでも申しましょうか、黒人ファンクビートの分かり易い提示とポップなファルセットコーラスが見事に融合した1976年のヒット曲で、もちろん素敵なメロディラインは外していません。
ちなみに同曲はこの年に出した傑作LP「魂 / Spirt」からのカットなんですが、掲載した日本盤ジャケ写にも用いられているピラミッドイメージは、当時のEW&Fが打ち出していた神秘主義や宇宙的宗教観をあえて商業主義を優先させて表したと書けば、顰蹙でしょうか?
モーリス・ホワイト以下、グループの面々が、どの程度それを信心していたかは不明ですが、少なくとも実際のライブステージで繰り広げられていた祝祭的演出は、時にサーカスの如きアクロバットアクションさえも取り入れていたわけですし、そんな享楽こそが魂を高揚させていた素晴らしい結果は、EW&Fが黒人グループのトップに君臨していた時代の証でもありましたですねぇ~~♪
ということで、モーリス・ホワイトの追悼文をと意気込んでも、故人の偉業&遺徳は強大過ぎて、その表層すら拝することが出来ません。
それでもあの時代、つまりデジタルに頼っていなかった頃に人力だけで極みのポップファンクをやってくれたEW&Fは、今でもサイケおやじを浮かれさせてくれます。
モーリス・ホワイトよ、永遠なれっ!
合掌。
■Easy Lover / Philip Bailey with Phil Collins (Columbia / CBSソニー)
世の中、様々な「つきあい」や「しがらみ」が避けられない以上、その良し悪しを形成する要素のひとつが「相性」ってやつかもしれません。
特に相手やその対象を「気に入らない」という理由が自分でも明確になっていない場合には、「相性が悪いんだよなぁ……」という逃げ口上が用意出来るあたりは、なかなかに便利な用語になりましょうか。
さて、それに事寄せれば、サイケおやじの音楽趣味に「相性」の良くないミュージシャンのひとりがフィル・コリンズです。
説明不要かと思いますが、フィル・コリンズはジェネシスというプログレバンドのドラマー兼ボーカリストであり、何が売れるかを狙えるプロデューサーでもあり、さらには俳優としても子役時代から有名らしく、まさに芸能界の万能選手と言ってしまえば語弊もあるんでしょうが、とにかくサイケおやじはそ~ゆ~実績云々は別にして、まずはフィル・コリンズのドラミングが好きではありません。
そりゃ~、パワフルな音圧は伝わってくるし、きっちり凄いテクニックもあると言われていますが、個人的にはどうにも潔くない感じが???
それとプロデューサーとしても、例えばエリック・クラプトンをシンセ塗れにした前科(?)が許せないという事もあります。
ただし、そんな諸々は、繰り返しますが、結局はサイケおやじと「相性が悪い」という一言で決着が!?
さて、しかしそんな中、例外的に大好きになったのが本日掲載のシングル盤A面曲「Easy Lover」であります♪♪~♪
もちろん、これはアース・ウインド&ファイアー=EW&Fの看板スタアであるフィリップ・ベイリーがソロ名義で1984年に出したメガヒットで、そのメリハリの効いたソウルグルーヴとポップなメロディ、さらにはヘビメタ系ギターソロも唸りをあげるという、まさにロッキンソウルな傑作という中にあって、フィル・コリンズは主役のフィリップ・ベイリーとボーカルパートを分け合い、曲作りにも関わった他にドカドカバッス~~ンっなドラムスまでもやってしまったんですから、いゃ~、もう、これが好きになっているサイケおやじは自己矛盾に苦しむ間もないほどの歓喜悶絶ですよ♪♪~♪
もしかしたら、この曲、このトラックにはフィル・コリンズのドラミングが必要十分条件なんでしょうか?
だとしたら、虚心坦懐に楽しまなければならないんでしょうねぇ~、フィル・コリンズの音楽を……。
ちなみにフィル・コリンズは黒人ポップスというか、モータウンサウンドにも色目(?)を使い、自らそんなカバーヒットを飛ばしていましたが、実はそれすらもサイケおやじは好きになれないのですから、う~ん、この「Easy Lover」は完全なる大例外というわけです。
ということで、常日頃から独断と偏見に満ちた拙ブログにおいてさえ、好きになれないミュージシャンについて書く事はそれほど多くはないと思っているんですが、特に悪口を並べ立てるという趣旨はありません。
ただ、ど~してフィル・コリンズが大きく関与した「Easy Lover」が好きなのか?
というよりも、とにかくフィリップ・ベイリーの「Easy Lover」が最高に好きという正直な気持ちの中に、フィル・コリンズという異分子の存在に不条理を覚えているだけの話です。
そして「相性」という不思議について、あれこれと思索した挙句とご理解いただければ幸いでございます。
■The Glamorous Life / Sheila E. (Warner Bros. / ワーナーパイオニア)
古今東西、芸能史を紐解けば、何時の世にも才色兼備の女性ミュージシャンが登場していた事は言わずもがな、1984年に大ブレイクしたシーラEもまた、そのひとりとして忘れられない存在でしょう。
なにしろライブステージにおいては十八番のラテンバーカッションやソウルファンク&ジャジーなドラムスを叩きまくり、加えてセクシーな衣装で華麗なアクション、さらに艶っぽい佇まいで歌って踊るパフォーマンスには、一瞬にして虜になること請け合い♪♪~♪
本日掲載のシングル盤は、まさにその頃を代表するメガヒットで、覚えやすいキメのフリ&フレーズと例のハイキックのシンバル叩きとか、そのライブアクションも含めて、シーラEを最初に見る(?)ならば、これっ!
という人気曲です。
もちろん皆様ご存じのとおり、シーラEはサンタナでも活躍した打楽器奏者のピート・エスコベードの愛娘であり、つまりは同じくサンタナを公式デビュー時から支えたパーカッションプレイヤーのコーク・エスコベードの姪であれば、その資質と素質は説明不要でありましょう。
そして、これまた有名なキャリアとして、彼女はプリンス&ザ・リヴォリューションのスペシャルなバンドメンバーでもあり、ちょうどこの「The Glamorous Life」が大ヒットした直後の1986年、プリンスの初来日巡業に帯同しての目玉商品(?)あった事を記憶されている皆様も大勢いらっしゃると思います。
実際、サイケおやじはその時のライブに接していますが、あのプリンスに劣らない拍手喝采がシーラEの熱演に贈られていましたですよ。
いゃ~、本当に彼女には「華」があって、自己名義のバンド活動においても、死ぬほど上手いメンバーの演奏テクニックを完璧に煽り、リードしていくドラムスとパーカッションの凄さは、尚更に強烈なんですから、たまりません。
ちなみにシーラEと云えば、あの電飾スティックでの暗闇打ちのパフォーマンスが超有名でしょう♪♪~♪
ですから、当時はそれを真似っ子したアイドル、あるいは「The Glamorous Life」をパクった楽曲をやっていた女性シンガーが、我が国の芸能界にも様々に登場していたあたりも、なんだかバブル期の思い出と重なるサイケおやじです。
ということで、シーラEは流石の美女ミュージシャンであり、デビューから最初のブレイクあたりのステージ映像はネットでも容易に接する事が出来るのですから、それで虜になってしまえば、後は一直線!
途中に「見る」なぁ~んて書いてしまいましたが、彼女のレコードだって、それはそれは本物がぎっしりという名作ばかりですよっ!
また今日も、なんとなく体調がイマイチのサイケおやじではありますが、朝っぱらから彼女のレコードを鳴らして、景気をつけているのでした。
■愛がすべて / The Stylistics (Avco / 日本ビクター)
先日、本当に久しぶりにディスコなぁ~んていう場所に連れて行かれました。
もちろん、そこは「クラブ」じゃ~なくて、「ディスコ」ですから、重低音効きまくりの音響装置でレコードを鳴らし、客はひたすらダンス&チークということは、つまりは往年の若者を対象にした営業方針の店なんですねぇ~~♪
そしてプレイされているソースは1970年代のクラシック物ですから、思わず腰が浮いてしまったのがサイケおやじの本性でありました。
しかし、リアルタイムのサイケおやじは決して、そ~ゆ~場所が好きではありませんでしたよ。
それが今になって、我知らず(?)高揚感に包まれてしまったのは言わずもがな、「OLD WAVE」な体質に他ならないわけですよ、と苦笑です。
で、本日掲載のシングル盤A面曲「愛がすべて / Can't Give You Anything (But My Love)」も、その頃のディスコでは文字どおりのヘビロテアイテムで、演じているスタイリスティックスにしても、大きなヒットのひとつにしていたのが1975年でした。
ただし、その彼等にしても本国アメリカでは些か人気に翳りが見えていた時期ということで、この「愛がすべて / Can't Give You Anything (But My Love)」はイギリスや日本で殊更の大ウケは、逆に世界的なディスコブームを証明するものかもしれません。
説明不要かもしれませんが、それはスタイリスティックスが本格的なデビューから大ブレイクに至ったキャリアが、ちょうど1970年代前半の黒人大衆音楽をリードした所謂フィラデルフィアサウンド=フィリーソウルを象徴したグルーブのひとつとしてプロデューサーのトム・ベルから寵愛され、特に1971年末の「You're Everything 」、続く「Betcha By Golly, Wow」、さらには「Rockin' Roll Baby」や「誓い / You Make Me Feel Brand New」等々、後に多くのカバーヒットまでも作られた名唱を1974年頃までに出していたからで、当然ながら秀逸なアルバムも残していたのですが……。
おそらくはマンネリ回避という事だったのか、あるいはなんからのトラブル故の所為でしょうか、1974年に入るとプロデュースをヴァン・マッコイが担当する事になり、当然ながら音楽スタイルもフィリーからニューヨークっぽい感じになった事は、それまでのファンにしても賛否両論だったはずです。
なにしろ主にリードを歌っているラッセル・トンプキンス Jr. のハイトーン&ファルセットのボーカルは、フィリーソウルに特有の洒落たジャズフィーリングや時には白人っぽいソフトタッチの曲メロにはジャストミートの味わいがあり、加えてジェームス・スミス、アリオン・ラブ、ハーブ・マレル、ジェームス・ダンが織りなすハーモニー&コーラスとの絶妙のコラボレーションこそが、多くのリスナーを虜にしたスタイリスティックスの個性でありましたからねぇ~~~。
中でも前述した「誓い / You Make Me Feel Brand New」は、今日でも耳にする事の多いソウルスタンダードの名品として、極言すれば、それだけでスタイリスティックスは不滅という定説もあるほどです。
しかし、サイケおやじは、この「愛がすべて / Can't Give You Anything (But My Love)」が決して嫌いではなく、むしろ大好き♪♪~♪
なにしろハナからケツまで、ゴージャスなオーケストラサウンドに彩られ、華やかなソウルビートに心地良く乗っかって歌いまくるスタイリスティックスだって、絶対の本領を発揮していると思うんですよ。
もちろん、サイケおやじには基本的にヴァン・マッコイが好きだという本音があるにしろ、掲載ジャケ写に記された「ハッスル」物とするウリ以上の大衆的な楽しさが、同時に刹那の愉悦!?
そのあたりは、どうにも上手く文章表現出来ませんが、そんなサイケおやじの稚拙な思いは、ぜひとも皆様にもスタイリスティックスの「愛がすべて / Can't Give You Anything (But My Love)」を楽しんでいただきたく願う気持ちゆえの事ですので、よろしくです。
また、これ以降のスタイリスティックスは本格的なディスコブームの波の中で何時しかフェードアウトした感もありますが、なかなか世界的な巡業ライブも人気が高く、それが懐メログループとしての存在価値に転化されたとしても、リアルな全盛期に残した名曲名唱は忘れられるものではないでしょう。
実際、彼等のベスト盤CDとかを車の中で鳴らし、もしも同乗者が同世代の素敵な女性だったりしたら、何かしらの思惑も誘発されるかもしれませんよ。
そんな秘密の花園みたいな楽しみも、1970年代ソウルの魅力かもしれません。
最後になりましたが、冒頭に述べたとおり、昔っから流行よりは中高年を対象にした遊び場は沢山あったわけですから、何れは老人施設の体操の時間とかにも、こ~ゆ~ディスコ物が使われるような気がしています。
いや、もはや実現しているかもねぇ~~♪
■夜汽車よ! ジョージアへ… / Gladys Knight & the Pips (Buddah / 日本コロムビア)
何故かお正月になると聴きたくなるのが、1973年秋頃から大ヒットした本日掲載のシングル盤A面曲「夜汽車よ! ジョージアへ… / Midnight Train To Georgia」です。
演じているグラディス・ナイト&ザ・ピップスは、紅一点のグラディス・ナイトがリードを歌い、彼女の兄のメラルド・ナイト、そして従兄のウィリアム・ゲストにエドワード・パッテンのトリオがバックコーラスを担当するという黒人ファミリーグループとして、本国アメリカでは1960年頃から売れていたんですが、我が国では知る人ぞ知る存在だったようで、それがこの「夜汽車よ! ジョージアへ… / Midnight Train To Georgia」のメガヒットにより、世界中で大ブレイク!
その大きな魅力は、グラディス・ナイトの絶対的な歌の上手さだと思います。
実は「夜汽車よ! ジョージアへ… / Midnight Train To Georgia」は決してグラディス・ナイト&ザ・ピップスのオリジナルヒットではなく、最初に歌っていたのはホイットニー・ヒューストンの母親としても有名なシシー・ヒューストンだったという逸話は良く知られるところでしょう。
なにしろシシー・ヒューストンはソロシンガーとしても、また夥しいセッションワークにおいても、流石の歌唱力は広く認められるところですからねぇ~。
その実力派の持ち歌を堂々とカバーしてしまうところからして、グラディス・ナイトの自信のほどは否定出来るものではありません。
また、バックコーラスの男性トリオが彼女と相性抜群のコーラスを聞かせ、さらにツボを外さない振付のダンスを見せるところも、なかなかライブステージやテレビ出演の場においてのウリになっていた事も侮れません。
というか、冒頭に述べた正月になると云々の話に関しては、ちょうど昭和49(1974)年の正月番組、あるいは前年大晦日あたりの特別番組のテレビ放送で、サイケおやじは「夜汽車よ! ジョージアへ… / Midnight Train To Georgia」を演じたグラディス・ナイト&ザ・ピップスに接した記憶が強く残っていて、それゆえに所謂パブロフの犬になっているのかもしれません。
実際、凄~くカッコ良かったんですよねぇ~~、それが!?
ということで、今日ではあんまりテレビ放送では企画もされませんが、昭和40~50年代においては外タレのコンサートが海外から中継されたり、特別なテレビショウがそのまんま日本で流されたりという、なかなか音楽ファンには嬉しかったのが年末年始の風物でありました。
もちろん、そうやってヒットした洋楽が記憶されるのも必然だったんですよねぇ~~♪
現代ではネットで簡単に諸外国のミュージシャンの映像に接することが出来る幸せと引き換えに、希少な喜びが失われてしまったのは、どこかしら寂しいものを感じているのでした。
■Comment / Les McCann (Atlantic)
A-1 How Many Broken Wings
A-2 Can't We Be Strangers Again
A-3 Unless It's You
A-4 What I Call Soul
B-1 Comment
B-2 Baby, Baby
B-3 Yours Is My Heart Alone
もちろんレス・マッキャンは偉大なピアニストであり、殊更ソウルフルなハードパップを得意とする演奏にはファンが多いわけですが、もうひとつ、忘れてはならないのが歌手としての魅力でしょう。
1970年に発売された本日掲載のアルバムは、まさにその方面の人気盤として、イノセントなジャズ者よりも、どちらかと言えば黒人音楽全般を好むリスナーからの支持が多い1枚だと思います。
また、ニューソウルの歌姫として幾つもの傑作盤やヒット曲を出したロバータ・フラックを見出し、このレコードによって世界的に紹介したのも、レス・マッキャンの特筆すべき功績です。
なにしろここでの彼女はピアノ演奏ばかりか、2曲でレス・マッキャンのデュエット相手に起用されているのですからっ!
ちなみにセッション参加メンバーはレス・マッキャン(vo,p) 以下、ロン・カーター(b,el-b)、ビリー・コブハム(ds) のリズム隊をメインに、ビリー・バトラー(g)、ドナルド・ディーン(ds)、スタンリー・カウエル(org)、ジュニア・マンス(p)、リチャード・ティー(p) 等々の他に超一流のホーン&ストリングスプレイヤーが名を連ね、さらに前述したとおり、ロバーター・ラフック(vo,p) が華を添えるという豪華版ですから、これが駄作になったらプロデューサーのジョエル・ドーンも面目は丸潰れですよねぇ~~。
そして結果は堂々の傑作に仕上がったその中で、やはりA面ド頭の「How Many Broken Wings」はグッとシビレる大名唱♪♪~♪
そのゆったりした曲の流れにジャストミートのソウルフルな歌声は、まさにレス・マッキャンの持ち味であり、加えてロバータ・フラックとのデュエットが失われた愛情を歌い込んだ詩の世界にせつないほどのハートウォームな情感を滲ませてしまうのですから、これ1曲でツカミはOKでしょう。
いゃ~、何度聴いても飽きませんが、これは当時のモータウン御用達であったソングライターのヘレンとケイのルイス姉妹がレス・マッキャンに書き下ろしの傑作で、このアルバムには他にも「Can't We Be Strangers Again」「What I Call Soul」「Baby, Baby」が提供されている事は要注意かもしれません。
中でもイントロが「メリー・ジェーン」なロバータ・フラックとのもうひとつのデュエット曲「Baby, Baby」は、レス・マッキャンのソフトな語り口からスタートし、ロバータ・フラックが登場するパートになると、何かしらハリウッドポップス調が入ってきますから、矢鱈なゴスペルフィーリングを表に出さずとも、十分にソウルフルな傑作トラックだと思います。
う~ん、最後がフェードアウトで収録時間の短さが勿体ないかぎりですねぇ~~。
その意味で最初っからゴスペル集会みたいなアルバムタイトル曲「Comment」がレス・マッキャン十八番のハートウォームで深い声によって辛辣なメッセージ、反戦や人類愛を歌いながら訴えるところは、如何にも当時の世相であり、永遠のテーマでもありますから、聴いていて言葉の意味が完全に理解出来なくとも、その説得力に打ちのめされ、感動の余韻が心に染み入ります。
というか、実はサイケおやじは幸運にも、アメリカで黒人が集う日曜日の教会拝礼に数度列席させてもらったことがあるんですが、その時になって初めて、このアルバム全篇に漂う静かな熱気と敬虔な魂の真実が僅かに理解出来たような気分になりましたですねぇ。
だからこそ、初めて聴いた1973年当時よりも、今の方が愛着度も高いわけですが、それにしても穏やかな心の動揺(?)な感じさせる「Can't We Be Strangers Again」や一転して分かり易く(?)ソウルミュージックの賛歌を演じるアップテンポの「What I Call Soul」におけるバックコーラスや演奏パートとの一体感は、なかなか実在感が強く、スピーカーの前に居ながら、思わず巻き込まれる熱気に圧倒されてしまいますよ♪♪~♪
あぁ~~、ぐぐう~~っとアンプの音量を上げてしまう自分に気がつきますっ!
しかし、レス・マッキャン本来のジャズっぽさもストリングスを贅沢に使ったスタンダード曲「Unless It's You」やじっくり弾き語るオーラスの「Yours Is My Heart Alone」で存分に楽しめますから、ご安心下さい。
つまり決して時代に迎合した、闇雲なソウルアルバムては無いという事かと思います。
それは徐々に開花していた所謂ニューソウルでもあり、黒人AORでもありましょうか。とにかく聴けば納得、これからの季節なら仕事を終えて帰宅し、独りの時間には絶好の彩になる事は請け合いの1枚と思いますし、もちろんちょっぴり寒い朝ならば、目覚めのBGMとしてもイケるんじゃ~ないでしょうか。
実際サイケおやじは、今頃の季節からは殊更愛聴しています。
ということで、こういうハートウォームでソウルフルなレコードは、何か生涯の友のように思っています。
そういう幸せは大切にしたいですねぇ、生きているかぎり。
■Future Shock / Curtis Mayfield (Curtom / Buddah / 日本コロムビア)
今でも大好きなニューソウルの道にサイケおやじを引き込んだ偉人のひとりが、カーティス・メイフィールドでした。
もちろん、その発端はラジオで聴いた所謂ブラックシネマの傑作「スーパーフライ」の主題歌や挿入サントラ音源だったんですが、決定的だったのは続いて1973年に世に出たLP「バック・トゥ・ザ・ワールド」からシングルカットされた本日掲載のシングル盤A面曲「Future Shock」でありました。
それはいきなりファンキーなリズムとビート、グッと迫ってくるホーンセクションや思わせぶりなコーラス、さらには独特の裏声で歌うカーティス・メイフィールドの個性が当時は十代だったサイケおやじに文字どおりの大ショックを!
あぁ~、こんなにカッコE~~、音楽があるんだなぁ~~~♪
心底、シビれてしまった感動は今も鮮烈な記憶であり、それが今も継続しているのは幸せの極みと感謝するばかりなんですが、ご存じのとおり、リアルタイムでの日本ではカーティス・メイフィールドはそれほどブレイクしていたわけではなく、同じニューソウルというジャンルの中ではダニー・ハサウェイやロバータ・フラック等々、あるいは既にスタアになっていたマーヴィン・ゲイやスティーヴィー・ワンダー、ビートルズとの共演で名を売ったビリー・プレストンの人気には遠くおよばないという現実が確かにありました。
しかしカーティス・メイフィールドの音楽性は決して前述のミュージシャンに劣らない優れたものですし、なによりもある種の中毒性がサイケおやじには感じられたんですねぇ~♪
そして当然ながら、この偉大なソウルマンのキャリアを調べたり、音源を漁ったりしたのは言わずもがな、残念ながら当時は経済的な理由から件の名盤アルバム「バック・トゥ・ザ・ワールド」が買えず、そこで「Future Shock」のシングル盤をゲットし、何度も何度も聴きまくった前科は消せるものではありません。
ですから全篇でワウやヴォリュームペダルを使ったギターワークがカーティス・メイフィールド本人の仕業である事にも深い感銘を受け、以前に出ていた関連レコードを聴く時にも、それに集中していた時期もあるわけですが、シンプルでありながら強烈なウネリを作り出しているリズム隊や鋭いキメが連発されるアレンジにも耳を奪われ、それらを担当したリッチ・テュフォなる才人も要注意だと思います。
ちなみにこの「Future Shock」も含めて、アルバム「バック・トゥ・ザ・ワールド」に収録の楽曲には、ちょうどその頃には激烈を極めていたベトナム戦争やアメリカ国内の特に黒人や貧困層に関する諸々の厳しい問題が歌い込まれているんですが、確かにそのとおりであっても、リアルタイムで聴いていた十代のサイケおやじには歌詞の英語を完全に理解する事は不可能でしたし、あえて知ろうとせずとも、提示されたサウンドや歌声に夢中になれれば、それで良かったのが真相です。
つまり不逞なリスナーであったわけですが、それでもグッと惹きつけられるのがカーティス・メイフィールドの音楽であり、ソウルだと思います。
ということで、既に述べたとおり、カーティス・メイフィールドのキャリア全般を後追いも含めて聴いていたサイケおやじは、全く飽きる事を知りません。
それらついては追々に書いていく所存ですが、生い立ちや成功の端緒となったインプレッションズと名乗るグループの誕生と活躍の場がシカゴという、実はサイケおやじの好む音楽の根城である事も、なかなか興味津々、深いものがあります。
また、ギタリストとしての実力と個性も凄いものがあって、皆様ご推察のとおり、サイケおやじはカーティス・メイフィールドのレコードを聴きながら、コピーしようとしても、そのコードが上手く採れないという実情が度々……。
どうやら特別のチューニングが用いられているという説は本当なのでしょう。
そしてリズムプレイの難しさは、言うまでもありません。
う~ん、こういうミュージシャンが登場していたからこそ、ニューソウルは大きなブームになっていたんですねぇ~~♪
あらためて、そう思うばかりです。