OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

こんなに雪が多すぎるなんて

2012-01-31 15:44:43 | Weblog

大豪雪地帯にやってきました。

まあ、非常勤とはいえ、自分の仕事場ですからねぇ。

とにかく借りている家の庭を除雪し、車の置き場所を確保するのが最初の仕事です。

しかし、これで明日の朝までに再びの降雪が予報され、元の木阿弥がツライところです。

本日の1枚は休載させて下さい。

雪と戦う、これが大仕事なんで(苦笑)。

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砂に消えた涙には何時だって胸キュン

2012-01-30 15:27:39 | Pops

砂に消えた涙 / Mina (Fontana / 日本ビクター)

洋楽全盛期(?)の我国では英米のロック&ポップス以外にも広く欧州系の流行歌が受け入れられ、例えば本日ご紹介の「砂に消えた涙 / Un Buco Nella Sabbia」はイタリアのカンツォーネと言ういうよりも、所謂イタリアンポップスの人気曲として親しまれていると思います。

もちろん日本人歌手によるカバーバージョン、つまり和製ポップスの定番でもあって、それは弘田三枝子や伊東ゆかり、あるいはザ・ピーナッツ等々による日本語の歌詞による伝播も、サイケおやじと同世代の皆様ならば忘れられませんよねぇ~♪

 青い月の光を浴びながら
 私はぁ~ 砂のぉ~中にぃ~
 愛のかたみをみんなうずぅ~めて
 泣いたのぉ~ ひとりきりでぇ~
 アッ アッ アァ~~

もう、この前段だけで胸キュンの極みですから、このオリジナルバージョンを歌うミーナも当然ながら日本語バージョンを録音していて、本日掲載の私有シングル盤はその両方をカップリングした徳用盤(?)というわけです。

しかも我々はイタリア語よりは日本語バージョンに馴染んでいたので、必然的にミーナにも、それを求める気分は大正解♪♪~♪ このシングル盤にしても、日本語バージョンがA面収録ですからねぇ~♪

ちなみに彼女は決してアイドル歌手ではなく、しっかりジャズやロックも歌える実力派として、今日までに夥しい音源とヒット曲を残していますし、テレビや映画への出演も多かったのですが、何故か1970年代後半からは実質的なライプ活動を停止し、レコーディングだけの歌手になっています。

そして若い頃のキュートな容姿は熟女のお色気となり、自然体で滲み出るフェロモンを確実にコントロールしている歌唱力の妙は最高♪♪~♪

特にこの「砂に消えた涙」はメロディのせつなさ、日本語意訳詞の巧さもありますから、何度聴いても飽きませんよ。

ということで、リアルタイムでのヒットは昭和40(1965)年頃だったと記憶していますが、おそらくは日本でも知られた洋楽の中ではトップクラスの名曲として、現在でもカパーするJポップのミュージシャンが後を絶たない事は皆様もご存じとおりです。

もちろんカラオケでも歌っている愛好者は数知れず、それだけの普遍の良さは今後も大切にされるものと思います。
 

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・・・告白

2012-01-29 16:10:05 | Weblog

ちょいとヘヴィな事象があって、本日は音楽を聴く気分ではありませんでした……。

正直に言うと長年、密かに愛し続けていた女性が危篤という知らせを受けたからです。

いや、言い訳に思われるかもしれませんが、これはサイケおやじの完全なる片思い!

誓って言いますが、生臭い関係はひとつもありません。

しかし、それゆえにせつない連絡を貰ってしまえば、尚更にツライわけですよ。

とりあえず病院へお見舞いに行ってきましたが、既に意識もなく……。

それでも安らかな表情で眠っているところは救いというか、なんとか持ち直して欲しいものです。

本日は、こんな文章で申し訳ありません。

ご容赦下さい。

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オルガンジャズの闇鍋大会

2012-01-28 14:54:10 | Soul Jazz

Giants Of The Organ In Concert
           / Jimmy McGriff & Richard Groove Holmes (Groove Merchant)

ジャズの世界の人気企画のひとつが所謂バトルセッション物で、これは同一楽器による対決演奏をメインで聴かせるところから、トランペットやサックス、あるいはギターあたりが主軸になっているんですが、本日ご紹介のアルバムは、なんとっ!

オルガンのバトル物で、しかもライプ録音ですから、ギットギトに脂っ濃い熱気が充満する演奏が楽しめますよ♪♪~♪

録音は1973年、ボストンのボールズモールという、ジャケ写からも推察出来るように、それほど大きくはない店での演奏ですから、雰囲気の良さは保証付き!

メンバーはジミー・マクグリフ(org)、リチャード・グルーヴ・ホルムズ(org)、オドネル・レヴィ(g)、マーク・エルフ(g)、レオン・クック(g)、マイク・モス(ds)、クワシ・ジェイウバ(per) という面々なんですが、ジャケット記載の解説によれば、ステレオレコーディングの左チャンネルにジミー・マクグリフとオドネル・レヴィ、そして右チャンネルにリチャード・グルーヴ・ホルムズとマーク・エルフがミックスされているとの注意書きから、どうやらオルガン奏者各々のバンドが揃って出演したものと思われます。

ただしレオン・クック、マイク・モス、クワシ・ジェイウバがどちらのバンドメンバーかは、サイケおやじの勉強不足で定かではないものの、その場の空気を読み切った演奏は手堅く、決して侮れません。

A-1 The Preacher's Tune
 いきなり低い重心でグルーヴしまくりのジャズファンク♪♪~♪
 もう、このコッテリコテコテの闇鍋感は聴いているだけで体の芯が火照るほどです!
 ちなみにここでの主役でアドリブをやるのは先発がセンターに定位したギターで、これがワウワウ等々のアタッチメントも適宜使った「新世代の新主流派」って感じでしょうか、なかなかの鮮度が良い感じなんですが、前述したジャケット記載の解説からすれば、これを弾いたのはレオン・クック??
 しかし、んなぁ~事はど~でも良くなるほど、ここでの合体バンドは双方の自意識過剰が結果オーライで、二番手のギターソロが左チャンネルから聞こえるということは、これがオドネル・レヴィなんでしょう。こちらも従来のソウルギターから逸脱したカッコ良さが、上手くそのあたりを取り持つ仕事をしていますよ。
 また全篇でチャカポコのパーカッションやリズムギターの存在そのものが、こうした演奏を聴く楽しみでもありますよね。オルガンバトル物とは言いながら、初っ端からそれが提示されているのも意味深ではありますが……。

A-2 Bean's
 高速4ビートで展開されるオルガンビバップ合戦で、ちょいとエレクトリックな響きを使うのがジミー・マクグリフ、如何にもハモンドな音色がリチャード・グルーヴ・ホルムズという左右チャンネルの対決も楽しいわけですが、両手両足を全開使用したベースパートの物凄さを楽しむのもオルガンジャズの魅力だと思います。
 ちなみに基本はブルースながら、弱冠のハードロック風味を感じるのはサイケおやじだけでしょうか?

B-1 Mozanvique
 既に当時は一世を風靡していたラテンロック調のグルーヴが展開されるミディアムテンポの演奏ですが、しかし終始濃密なソウルフィーリングが溢れ出ている結果は流石、このメンバーなればこそっ!
 あぁ、聴いているだけ自然に身体が揺れてしまいますし、魂もどっかへ連れ去られてしまうトリップ感がこれまた本当に秀逸で、もちろん行き着く先はソウルジャズの桃源郷というわけです。
 ちなみに、これを聞きながらのセックスはイイッ♪♪~♪
 なぁ~んて、友人が以前にホザいていましたが、分かるような気がしますねぇ~。もちろんサイケおやじはやった事がありませんが、気になる皆様はお試しあれ!

B-2 Closing Theme
 タイトルどおり、ランダムなメンバー紹介もやってくれる短い挨拶ってところですが、これまたアップテンポでの4ビート演奏は痛快そのもの!
 ただしフェードインしての展開なんで、全く短いのが残念……。

C-1 Brown Bread
 う~ん、またまたヘヴィなオルガンファンクが炸裂ですよっ!
 しかもフットペダル併用の蠢き低音パートには本物のエレキベースの助っ人があるような感じなんですよねぇ~♪ ジャケットにそういう人物の記載が無いので、おそらくは誰かギタリストのひとりが持ち替えでやってるんでしょうか?
 いずれにせよ、これはこれで正解だと思います。
 しかしギターは左右と真ん中から3本がきっちり聞こえますし、センター定位でアドリブを披露する誰かさんは怖いほどにアグレッシヴですよ。
 もしかしたら、これがマーク・エルフ?
 とすれば、A面ド頭の「The Preacher's Tune」のアドリブも同じという雰囲気になるんですが、二番手のアドリブをブチかます左チャンネルのギター、おそらくはオドネル・レヴィも大健闘! 実に熱くなりますねぇ~~♪
 そして肝心の両親分が演じるオルガンは言わずもがなのベテランの味、と書きたいところなんですが、良いところでのフェードアウトは減点です。 

C-2 Talk To Me
 粘っこい4ビートで演じられるハードバップのブルース大会ですから、必然的にバックキングのギターが提供するジャスっぽいコードワーク、またテンポを上げてからのドラムスのグルーヴ等々、まさに黒人音楽の醍醐味が堪能出来ますよ♪♪~♪
 さらに左チャンネルで暴れるジミー・マクグリフに対し、右チャンネルのリチャード・グルーヴ・ホルムズが地道に低音部で煽る仕掛も素晴らしく、後半は両者のオルガンでの対話が流石の緊張と緩和を提供してくれますから、心置きなくシビれましょうねっ!

D-1 Boston Whaler
 アナログ盤LPでは大団円とあって、なかなか快適な4ビートにノリまくったオルガンジャズの典型がここにあります。
 ただし、それゆえに当たり前だのクラッカーというか、各楽器のミックスが錯綜している所為もありますが、何か物足りないと贅沢も言いたくなる気分は否めません。
 それでも個人的には各ギター奏者のワザを盗む目的の鑑賞法もあって、かなり勉強のお手本になっている事を付け加えての感謝のぶる~~す!

D-2 Chopper
 なんとっ! これも前曲同様にアップテンポの4ビートで演じられるブルースとあって、些かLP片面を通して聴くのがへヴぃな時もありますが、まあ、いいか……。
 もちろん現場での丁々発止のアドリブ合戦はきっちり入っていますし、「お約束」であるオーラスのメンバー紹介も安心印なのでした。

ということで、些か不満も書いてしまいましたが、これだけのオルガンジャズが記録されたアルバムは聴かずに死ねるか! という真実もあろうかと思います。

ちなみに書き遅れていましたが、演目は全てジミー・マクグリフとリチャード・グルーヴ・ホルムズの共作とクレジットされていますが、もちろん現場で即興的に作ったリフに基づいた曲、あるいはどっかで聞いたことのあるフレーズを発展させただけという場当たり的なものばかりで、しかし、それが如何にもリラックスした結果を導く要素だとすれば、わかっちゃいるけど、やめられないっ!

もちろんファジーなミックスによる各楽器の存在意義の不確かさ、露骨な編集意図への不同意は賛否両論でしょう。

しかしオルガンばかりでなく、ギターが全体の半分以上で主役を演じている事も合わせて、思わず熱くさせれる瞬間は、こういうレコードの醍醐味だと思います。

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流石は寒中!

2012-01-27 16:47:02 | Weblog

日本全国、寒さにふるえておりますねぇ。

おまけに豪雪、強風、凍結、通信障害……等々が重なっておりますが!?

そんなわけで、サイケおやじも悪戦苦闘中、本日の1枚の休載ご理解願います。

皆様も寒さに負けず、インフルエンザの流行にも負けず!

ご自愛下さいませ。

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エルトン・ジョンの他力本願

2012-01-26 16:48:07 | Singer Song Writer

Lucy In The Sky With Diamonds c/w One Day At A Time / Elton John (DJM / 東芝)

シンガーソングライターがそう呼ばれるのは、自作自演がウリの基本だからでしょうが、しかし現実的にはカバーバージョンでヒットを飛ばす「歌手」も少なくありません。

中でも有名なのは、如何にもシンガーソングライターのイメージそのものというジェームス・テイラーで、もちろん自作の歌は素晴らしい作品がどっさりあるんですが、何故かシングル曲して大ヒットさせるのが、例えばキャロル・キングの「君の友達」やマービン・ゲイの十八番「How Sweet It Is」だったりするんですから、その気分は???

しかし同じような事をやっても、本日の主役たるエルトン・ジョンの場合は立場が最初っから異なるというか、シンガーソングライターである事には違いがないのですが、基本は作曲家兼歌手であり、作詞は相棒のバーニー・トーピンに任せていたのが全盛期の実相であれば、1970年代中頃からのエンタメ路線への完全転向も納得出来るような気が致します。

で、その決定的な証拠物件(?)が掲載したシングル盤で、なんとっ! 収録両面2曲共がジョン・レノンの代表作!!?!

いゃ~、率直に言って、これが出た1974年リアルタイムでの衝撃度は個人的にも非常に大きく、なにしろ作者のジョン・レノンが「夢の大共演!!」とジャケットにもウリ言葉になっているほどですから、たまりません!

まさに「エルトン・ジョン・レノン」という奇蹟のコラポレーションで作られた事により、これはガチガチの大ヒット本命盤で有り過ぎて、本当に喜んで良いのか!? ちょいと悩んでしまった記憶さえあります。

実はこの背景には当時のジョンがヨーコとの別居生活の場を西海岸のLAに求め、自らの音楽活動よりは気の合う仲間と連日の夜遊びという、まさに「鬼の居ぬ間」というか、久々の気儘な独り暮らしを満喫していた状況があり、そんな中で親交を深めたひとりがエルトン・ジョンでした。

そしてお互いのレコーディングセッションにゲスト参加することにより、まずは1974年秋に出たのがジョン・レノンのアルバム「心の壁、愛の橋」からの第一弾シングルとなった「真夜中を突っ走れ」で、ジョン・レノン&エルトン・ジョンの極楽デュエットも痛快なR&R♪♪~♪ 見事、チャート首位の大ヒットになった事は、皆様がご存じのとおりです。

一方、同時期に発売されたこちらのシングル盤A面曲「Lucy In The Sky With Diamonds」にはジョン・レノンが Doctor Winston O'boogie & His Reggae Guitars のクレジットで参加し、芸名どおりに演奏の中間部で展開されるレゲエ調のパートでのギターは、おそらく本人なのでしょう。翌年早々には堂々のチャートトップに輝く傑作カバーバージョンとなった次第です。

しかし、エルトン・ジョンをシンガーソングライターの代表格と思い込んでいるイノセントなファンにとっては、サイケおやじも含めて、きっと違和感があったと思います。

極言すれば、なにかジョン・レノンの名前を利用した、非常な商業主義!?

そんなムードが打ち消せないんですよねぇ……。

ただしエルトン・ジョンの態度は極めて本気度が高く、自身の各種キーボードプレイを活かしきったアレンジと演奏は、きらびやかな幻想性とミステリアスな魅力に満ちた原曲の味わいを巧みにバンドサウンドに変換していると思います。

またB面の「One Day At A Time」は、これまたジョン・レノンが1973年秋に出した人気アルバム「ヌートピア宣言」収録オリジナルのカパーで、残念ながらジョン本人は全く参加していないのですが、それゆえにノビノビとした仕上がりがエルトン・ジョンならではの大らかさを表出する結果の名唱名演♪♪~♪

個人的にはA面よりも、こっちに針を落すことが多いのは、今も変わりありません。

しかし、それにしても、結局は前述のモヤモヤは晴れません……。

なにしろ今や歴史となったエルトン・ジョンの全盛期は1975年前後の数年間だと思われますが、その代表作とされるアルバム「キャプテン・ファンタスティック」はアメリカにおいて、同年5月の発売と同時にチャートの首位に君臨するという偉業を達成しながら、サイケおやじにはその内容にちっとも魅力を感じず、それまでの所謂エルトン節がネタ切れ状態に思えましたし、すると「キャプテン・ファンタスティック」と同時期のセッションから制作発売されたこの秀逸カパーのカップリングシングルの存在も、それゆえの苦肉の策だった……??

という、本当に不遜な勘繰りまでしたくなるんですよねぇ。

ところが、それを救っているのが、この頃からさらに自意識過剰気味に展開されていくエルトン・ジョン世界のエンタメ路線であれば、逆にこういうカパーが作られなかったら虚しくなるほどです。

そして実際、以降のエルトン・ジョンは例の映画版「トミー」関連のシングル曲として「ピンボールの魔術師」までも大ヒットさせ、全盛期を維持していくのです。

つまり、これまたサイケおやじの独断と偏見ではありますが、エルトン・ジョンという偉大な存在が、真のシンガーソングライター期から広義の芸能歌手へと向かう分岐点として決意表明したのが、本日ご紹介のシングル盤だったという受け止め方もあると考えます。

もちろんサイケおやじが、以降のエルトン・ジョンをあまり聴かなくなってしまったのは、皆様がご推察のとおり……。

ということで、果たしてこのシングル盤にジョン・レノンが参加していなかったら、サイケおやじは絶対に買ったとは言い難いものがあります。

ただしエルトン・ジョンとジョン・レノンの交友関係については否定するつもりなど全く無くて、そうした中からジョン・レノン最後のコンサート出演となったのが、飛び入り参加したエルトン・ジョンのステージライプであった歴史も、それが公式録音されて発売されている事実も含めて、感謝する他はありません。

そしてシンガーソングライターのブーム、それ自体にもっ!

他力本願も、悪い事ではありませんよねぇ~♪

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ハーパース・ビザールのハリウッド温故知新

2012-01-25 16:45:22 | Pops

恋の59号通り / Harpers Bizarre (Warner Bros. / 東芝)

さて、ここ2~3日書いている洋楽邦題ネタの中でも、サイケおやじがちょいと苦しめられたのが、本日掲載したハーパース・ピザールのシングル曲です。

実は結論から言うと、これはサイモンとガーファンクルの人気演目「The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)」と同一曲なんですが、そこで「59番街橋の歌」とされていた邦題が、こちらでは何故か、「恋の59号通り」にされているんですねぇ……。

まあ、現実的には発売元レコード会社が違うんですから、相手に合わせる必要なんか無いわけですが、このあたりの事情を本国アメリカでの発売状況と照らし合わせてみると、まずサイモンとガーファンクルが「The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)」を世に出したのは、おそらくは1966年11月発表のアルバム「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」に収録してだと思います。一方、ハーパース・ビザールのバージョンは1967年早々のデビューシングルで、春にはチャート上位のヒットになっていますから、その我国での発売も同時期だったのでしょう。

そしてサイモンとガーファンクルがアメリカでの最新シングル曲「夢の動物園 / At The Zoo」にカップリングする形で、再び「The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)」を持ち出したのが1967年2月とされていますから、この流れを我国の洋楽状況に合わせてみると、おそらくは「恋の59号通り」の邦題が先だったという推察も可能なのですが……。

今となってはサイケおやじに確認する術がありません。

というよりも、告白すれば、サイケおやじには「ハーパース・ビザールの恋の59号通り」をリアルタイムで知る事が出来ず、実は昭和43(1968)年の正月すぎにラジオで唯一度だけ、それを聴き、サイモンとガーファンクルのオリジナルバージョンとは完全に異なる、もうひとつ別世界のウキウキ感にハッとさせられたものの……。

実はその時は、演じている肝心のグループ名が分からず、しかし曲は確かにサイモンとガーファンクルの「59番街橋の歌」と同じである事しか確認出来なかったんですねぇ。つまり曲は最初から聴けたのに、担当DJの某氏は曲名もグループ名も伝えてはくれず、お終い方はフェードアウトでCMが被ってしまったという、如何にも当時の民放ラジオではありがちな顛末だったのです。

しかし、その歌と演奏、つまりハーパース・ビザールの「The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)」は本当に鮮烈な印象としてサイケおやじの洋楽心を刺激してくれましたから、以降はひたすらに探索を続けたのですが、その道程は遠かったですねぇ。

なにしろ今も同じ状況ではありますが、当時のレコード店は中古屋も含めて、その販売の現場にある所謂エサ箱は「あいうえお順」か「アルファベット順」にミュージシャン優先の分類でありましたから、結局は歌手やバンドの名前が不明だと標的がイマイチ定まりません。

ですから、ようやくハーパース・ピザールのこれを発見入手した時の喜びは、本当に筆舌に尽くし難いものがあるんですねぇ~♪

しかも、さらに真相を告白すれば、件のカパーバージョン「The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)」が「ハーパース・ビザール」というグループによって演じられていたという事実を知り得たのは、なんとっ! レオン・ラッセルという、1970年代前半のトレンドであったスワンプロックの立役者の履歴によっての事であり、そこにはレオン・ラッセルが1960年代はハリウッドポップスの裏方として活動し、多くのヒット曲作りに関わった仕事のひとつとして、「ハーパース・ビザールのデビュー曲」=「恋の59号通り / The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)」がそのひとつ!  という驚愕があったのです。

それがサイケおやじにとっては1972年の事であり、いゃ~~、これは大袈裟ではなく、本当に吃驚仰天!!?!

だって、当時のスワンプロックをやっていたレオン・ラッセルは無粋な長髪に不気味なメイク、濁った声質で粘っこいパフォーマンスをウリにしていたのですから、まさか昔の事にせよ、ハーパース・ビザールで聴けるような浮世離れしたドリーミーなサウンドを作り出せる要素とは決定的に掛離れたイメージだったんですからっ!!

しかし、確かに残されている現実は否定出来ません。

そこには本当に浮足立つが如きポップスフィーリングがどっさり凝縮され、ソフトなボーカル&コーラスと幾分古臭い映画音楽の様な演奏パートが見事に融合されているんですねぇ~♪

もちろんサイモンとガーファンクルのオリジナルバージョンを極力大切にする姿勢も潔く、基本の4ビートグループとコーラスの掛け合い輪唱の妙が、似て非なる拡大解釈で演じられているところに、ハーパース・ビザールの個性が確立されています。

ちなみにグループのメンバーはテッド・テンプルマン(vo,ds)、ディック・スコバトーン(vo,g)、エディ・ジェイムス(g)、ディック・ヤント(b)、ジョン・ピーターソン(ds) とされていますが、もちろん演奏は当時の慣例を引くまでもなく、提供された「音」と「雰囲気」を聴けば、それはスタジオミュージシャンを動員して作られたものと知れますし、全体のサウンド作りが既に述べたとおり、レオン・ラッセルに主導されたというポイントは恐ろしいばかりの完成度だと思います。

また同時に痛感させられるのが、1967年というサイケデリックロック&ポップスの全盛期に、何故か極めてロックっぽくない、丸っきり1940年代の映画音楽のようなサウンドが作られている現実です。

これは本当に不思議なんですが、あえてヒットが欲しくて逆を狙った?

なかなか「あざとい」仕掛でもあり、また極言すれば制作発売元のワーナーブラザースの本家が映画会社という事とも無関係ではないのかもしれません。

そして実は、これも後に知った事なんですが、ハーパース・ビザールは本来、決してここで聞かれるような音楽性のグループではなく、普通のフォークロックをやっていたらしいのですが、所属していたレコード会社がワーナーに買収された事により、何か成り行きで契約が続行され、これはサイケおやじの完全な妄想ではありますが、こういう企画プロジェクトをお仕着せられたのかも……?

とすると、ここでプロデュースを担当しているのが局地的に信奉者が多いレニー・ワロンカーという趣味人であることもディープな要因でしょう。

ご存じのとおり、この才人は変人と紙一重の印象が強いほど、その仕事は妙な情熱に支配されていますが、生い立ちとしてはリバティ・レコード創設者の御曹司であり、それゆえにゲイリー・ルイスを売り出したスナッフ・ギャレットやハリウッドの映画音楽関係者の手伝いをした後、フランク・シナトラとリプリーズレコードの下請け仕事をやるようになったのが、この業界での駆け出し時代の姿だと言われています。

そしてハーパース・ビザールとの仕事が、おそらくは最初の自己企画だったとすれば、あえて流行最先端のロック的要素を避け、それまでに培ってきたルーツ的ハリウッド芸能スタイルを確信犯として用いる事こそが温故知新の狙い撃ち!?

いやはや、このあたりについては書ききれないものが非常に多いので、本日はここまでとさせていただきますが、なにやら評論家の先生方によると、こうした恣意的ハリウッドスタイルの温故知新は「バーバンクサウンド」と称されているそうですね??

それもどういう分類方法があるのか、サイケおやじには意味が分からないのですが、とにかく1972年になって、ようやくハーパース・ピザールの「恋の59号通り / The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)」に邂逅して以降、ソフトロックでもジャズコーラスでもない、非常に特異な同グループのスタイルには興味深々♪♪~♪

ところがその頃は肝心のレコードが全然売っていなくて、当然ながら中古も出ないという悪循環の中、チマチマとそれらを蒐集していく過程もまた、趣味に生きる喜びだったのは間違いありません。

ということで、本日は中途半端に長くなりましたが、結論として洋楽の邦題には功罪諸々が確かにあって、それゆえに面白味も倍加しているんだと思います。

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夢見心地のS&G

2012-01-24 15:44:11 | Simon & Garfunkel

夢の動物園 c/w 59番街橋の歌 / Simon & Garfunkel (Columbia / 日本コロムビア)

昨日書いたとおり、ニッポンの洋楽事情には、それなりの邦題がヒットの要因だと思いますが、ひとつ間違えると、思わず失笑!?!?

文字どおり、礼を失しているとは思いますが、そんな状況場面はこれまでに多々ありまして、例えば本日ご紹介のシングル盤はサイモンとガーファンクルという、我国でも絶対的な人気を獲得している説明不要の二人組が昭和42(1967)年初夏に出した1枚で、そのローテーションは本国アメリカに準拠しているんですが、それにしても原題「At The Zoo」を「夢の動物園」とする邦題は凄過ぎませんかねぇ~~!?

そりゃ~、確かに穏やかでアコースティックな歌い出しから一転、ウキウキするようなフォークロック王道の展開は、4ビートジャズの風味と効果音を上手く使ったサイケデリックなムードをも滲ませる楽しさですから、「夢の~」という形容を振り充てた意図は理解出来ます。

しかし動物園を閉塞した社会状況に譬え、中で暮らす種々雑多な生き物達を人間のように描写した鳥獣戯画を深読みすれば……。

 動物園ではあらゆる事が行われている
 と、誰かが私に言った
 そのとおりだね、全く

という意味深な最初の部分の歌詞がある限り、表面上で強調されている楽しい雰囲気を素直に受け取るのは、どうなんでしょうか?

実は告白しておくと、サイケおやじが掲載のシングル盤を入手したのは、決してリアルタイムではなく、サイモンとガーファンクルを蒐集する一環として、昭和50(1975)年に中古屋から掘り出したものです。

つまりこれは完全なる後追い漁盤で、一応はサイモンとガーファンクルの音源を聴き通し、この「At The Zoo」も日本では発売元がCBSソニーに移って以降の「動物園にて」という、客観的な邦題で親しんでいたわけですから、その歌詞の中身の皮肉っぽさが素敵な曲メロの逆説的効果と相まっている事を鑑みれば、思わず……。

ただし、さらに裏読みすれば、そうした表面上のウキウキ感は、まさに「うつし世は夢」という江戸川乱歩の座右の銘に通じるものがあって、「夢の動物園」と邦題をつけた担当者の懐の深さを流石と思う気持も、同時にあるんですよ。

結局、今日はサイケおやじの短絡と悔悟を綴っている事になりましたが、その意味でB面収録の「59番街橋の歌 / The 59th Street Bridge Song (Feelin' Groovy)」は、まさに「そのまんま」の直訳邦題が良い感じですし、サブタイトルの「Feelin' Groovy」に偽り無し♪♪~♪

当然ながら、これは日本コロムビア盤もCBSソニー盤も共通したほどのジャストミートだったんですが、実はここにもうひとつの迷い道があって、それは近日中に書きますんで、今日はここまでと致します。

ということで、洋楽の邦題は罪作りでもあり、また親しみ易さの源泉でもあります。そして、それが無かったとしたら、せっかくの素敵な音楽が埋もれてしまう結果も数多残されたと思いますねぇ~、心底。

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洋楽覚えの法則

2012-01-23 15:55:43 | Pops

僕と君のブー / Lobo (Big Tree / 日本フォノグラム)

洋楽を好んで聴いていると、いや、だからこそと言うべきでしょうが、日本人にはど~しても越えられない壁が言語の違いというやつでしょう。

それはもちろん歌詞の中身もそうですが、もうひとつ直截的に困ったのが曲名や歌手名&グループ名が、主にラジオで1回聞いただけでは覚えられず、おっ、素敵なメロディ♪♪~♪ と惹きつけられても、それをリクエストしたり、レコードを買ったりする時の目標を間違えてしまう危険性は常にあったのです。

まあ、平たく言うと、例えば「ホール&オーツ」という「男性デュオ」をラジオでヒアリングすると、「ホーランローズ」という所謂「ソラミミ」状態に陥り、それはもしかしたら「バンド」名と思い込まれる事もあるんじゃなかろうか……。

ですから、とりあえず覚えづらい原曲名にはレコード会社によって邦題がつけられ、またバンド名にしても、例えば「Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tick」な~んていう超長ったらしいものは「デイブ・ディー・グループ」とする潔さが、それこそヒットする条件のひとつでもありました。

さて、そこで本日掲載の1枚は輝かしき1970年代ポップスのひとつとして、我国でもラジオをメインにヒットしたハートウォームな人気曲ですが、そのひとつのポイントが既に述べてきたような事情を証明していると思います。

まず、なにしろ歌っているのが、ロボという、これ以上ないほど簡素な芸名ですし、その語呂の響きは「ロボット」「ジャイアント・ロボ」「ロバ」等々に共通するものとして、日本人には非常に馴染み易いものです。

また曲名についても、原題は「Me And You And A Dog Named Boo」という、比較的分かり易い英語でありながら、あえて「僕と君のブー」という、ドリフターズの木ブーに挨拶はしたのか? なぁ~んて、そんな関係無いことまで心に浮かぶほどの痛快さ(?)がありますから、そのウキウキしたメロディとアコースティックな感触も心地良いポップスフィーリングがさらに増幅され、ヒットに結びついたんじゃないでしょうか。

そして、その意味で上手く出来ているのがサビメロと歌詞の語感の気持良さで、曲タイトルとなっているフレーズを極めてシンプルにロックビートに乗せた冴えは絶品!

ちなみに特にアメリカの職業作家は、1950年代末頃からのR&R系白人ポップスを書くにあたって、作詞家には8ビートに乗り易い言葉使いが要求されていたそうですし、それは同様に所謂歌物ジャズスタンダード曲の歌詞が4ビートを意識して作られていた事の証左でもあるのでしょう。

閑話休題。

肝心の歌っているロボは、この日本盤ジャケットには本人の顔写真が無く、また裏解説にも履歴等々について、全く書いてありませんが、どうやらギリシャ系の白人シンガーソングライターらしいですね。

しかし当時は、とりあえず素敵なメロディとカタカナでも歌い易いビート感のあるリフレインがあれば、それがラジオ中心の洋楽ヒットに成り得る要因だったと思います。

こうして昭和46(1971)年の初夏~秋にかけて、この「僕と君のブー / Me And You And A Dog Named Boo」は見事に我国でもヒットし、忘れじの1970年代ポップスのひとつになりましたが、ロボ本人については、それほどの存在感が認識されていない現状は???

第一、このヒット曲にクレジットされている作者の「K.Lavoie」が、ロボ本人なのか? という疑問さえ、未だサイケおやじには知る由もありません。

また、これに続いて幾つかのシングル盤やアルバムも出たと記憶していますし、現実的にはアメリカでの活動はもっと華々しくて、1970年代前半だけでも、10曲以上の大ヒットを放っているので、きっと我国のラジオからもそれらが流れていたはずなのに、その中身についての鑑賞体験を覚えていないのですから、逆に言えば「僕と君のブー / Me And You And A Dog Named Boo」だけが突出してという事かもしれませんねぇ。

ということで、ポップスヒットに理屈は要らず、耳に心地良いフィーリングが優先されれば、OK!

と頭ではわかっているサイケおやじも、しかし納得出来るバックグラウンドがなければ、それを本気で聴くことが出来ないという体質も露わです。情けない……。

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エレキインストは死ぬまで好きだっ!

2012-01-22 16:17:36 | Rock

Out Of Limits / The Marketts (Worner Bros. / 東芝)

サイケおやじにも確かにあった所謂多感な十代の頃、巷には爆発的なエレキブームがあって、それは実際にはそれほど長くは続かず、直ぐにGSブームに移行したんですが、自分にとってはエレキインストでギターをバリバリに弾きまくりたいという願望が、ずぅ~~っと消えることがありません。

それはサイケおやじの保守的な体質の証明でもありますし、高校に入学してから本格的にエレキを手にし、同好会のバンドでは一丁前の気分になっていながら、本音は「エレキのバカ大将」でありました。

というのも、当時は既にエレキどころかGSブームも去っており、我国芸能界は欧米同様、シンガーソングライターのブームに寄るところの歌謡フォークが全盛で、しかも「四畳半」とまで形容されていたマイナーな歌手やグループによるレコードまでもが、大いに人気を集めていたのですから、普通に音楽を楽しむ若者にはエレキは不要……。

アコースティックギターが主流となったのも、特に我国では未だ「エレキは不良」という因習が消えていなかった事もありますし、なによりも「ロックじゃメシが食えない」というプロ側の事情も大きく、本物のロックバンドが日本に無かったといって過言ではないのが、昭和40年代後半の一般的な現実でした。

ところが同時に洋楽ではプログレを含むニューロックやハードロックが花盛りで、外タレの来日公演も増加の一途であり、アマチュアでも、それ風のコピーバンドが相当にあったという、実にミョウチキリンなパラドックスを現代のお若い皆様はどのように感じられるのでしょうか……。

さて、そんな状況の中、サイケおやじは本当に「密かに」という言葉を用いる他は無い態度で、コツコツと中古盤でエレキインストを集めていたんですが、それはリアルタイムのブーム時に買えなかったリベンジでもあって、殊更本日ご紹介のシングル曲「Out Of Limits」には強い思い入れがあります。

それはご存じのとおり、我国ではエレキの王者だったベンチャーズの人気持ちネタとして、ミステリアスなムードに彩られた魅惑のメロディは誰しも一度は耳にしているはずという有名曲♪♪~♪ 実際、シングル盤発売もされていて、かなりの売り上げがあったはずですし、サイケおやじも聴いた瞬間、本当に全身がシビれるほどの快感を覚えています。

ところが、これは当時から知られていたことですが、「Out Of Limits」は例によってベンチャーズのオリジナルヒットではなく、まさに「いただき屋」と称されていた本領発揮のカパー演奏であり、その本家本元こそが、本日ご紹介のマーケッツによるバージョンでした。

しかも、これがベンチャーズとは似て非なる魅力に満ちた、今日で言うところの「ガレージ」っぽいサウンドで作られていたのですから、これまた少年時代のサイケおやじがラジオで唯一度聴いただけで、心底シビれきったのも無理からん話!? と、ご理解願いたいわけですが、さらに経済的な事情から長らくレコードが買えなかった所為もあるのでしょう、その体験の鮮烈な衝撃度は時が過ぎるほどに大きく、強くなっていくばかり……。

ですから、ジャケットも痛んでいましたし、盤質もイマイチながら、捨値の中古で目標を発見した時は、何の迷いもなく即ゲット♪♪~♪

ちなみに昭和40年代後半の中古盤市場は、未だオールディズブームも本格的に到来しておらず、特にエレキインスト物は時代遅れの象徴として安値が当然であり、またそうであっても売れ残ってしまうのが常態でしたから、今思うと天国でしたねぇ~♪ そんな中でいろんなブツを手に入れられた幸運には、素直に感謝しなければなりません。

で、肝心のマーケッツによる「Out Of Limits」は、1963年末頃から翌年春にかけての全米大ヒットで、洋楽マニアの皆様には、ビートルズがアメリカのチャートでトップを奪った「抱きしめたい」と同時期の1964年2月のライバル曲と認識されているはずです。なにしろその時はチャート3位にランクされているのですから!

しかしマーケッツは例によってというか、実はレコード化されている演奏はスタジオミュージシャンによる企画セッションであって、1950年代半ばから実際の活動を続けている「真」のマーケッツは、この「Out Of Limits」には関わっていません。

それは後にベンチャーズにも深い繋がりを持つこととなる敏腕プロデューサーのジョー・サラシーノのプロジェクトであり、この才人は既に同じ手法を用いてルーターズという架空のバンドによる「Let's Go」を1962年に大ヒットさせていましたから、一応は1961年にデビューしたことが公式化されているマーケッツに対しても自信があったと思われます。

というか、実はルーターズの前にマーケッツ名義として「Surfer's Stomp」という、なかなか楽しいサーフインストを作り出し、見事にヒットさせていた実績も無視できないでしょう。

おそらく起用されたミュージシャンはトミー・テデスコ(g)、レオン・ラッセル(key)、アール・パーマー(ds) 等々のハリウッド芸能界を支えた裏方職人衆でしょうが、これがドンズバのジャストミート!

ベンチャーズのバージョンで強調されていたミステリアスなムードは当然例のイントロに残されていますが、むしろドラムスやギターのビートのストレートさ加減に、ロック性感度が濃厚だと感じます。

ちなみにベンチャーズのカパーバージョンは1964年に発表の傑作アルバム「宇宙に行く / ベンチャーズ・イン・スペース」のA面ド頭に置かれているほどですから、その造り込み方も半端無いわけですし、双方とも同じスタジオワークの結果として、一部のスキもあってはならず、それでも結果的に好き嫌いが出るのは十人十色というやつでしょうねぇ。

ということで、個人的には非常に好きな曲なので、イントロのミステリアスなフレーズやメインのリフ、そして間奏パートのキメ等々を独りエレキで弾いては、周囲に呆れられていたのが、若き日に「エレキのバカ大将」を目指していたサイケおやじの実相です。

まあ、今となっては苦しい言い訳ではありますが、当時だって自分でも「古いだろうなぁ……」とは思っていたんですよっ!

しかし、それでも止められなかったのは、「それが好きっ!」という正直な気持があったからです。

なにも格好つけたって、しょう~~がないですから。

そのあたりを軽く見られたとしても、それはサイケおやじの「OLDWAVE」な本性として、ご理解願えれば幸いでございます。

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