■のんびりいくさ / かまやつひろし (ヴァーティゴ / フィリップス)
毎年、早いなぁ~~、と繰り言に終始するサイケおやじの年末も、今年は特にそれが切実に感じられる日々でした。
なにしろ年初から悪い予感はしていたのですが、春には仕事で責任至極の立場となり、そりゃ~確かに自分を担いでくれる人達が存在している現実は嬉しいとはいえ、軽い神輿になろうとするほどに、身動きが取れないという状況は……。
そしてそんな中、昨年夏以来、癌で闘病中だった父が5月に思いがけずも他界……。
というか、以前から不摂生を積み重ねていた父にしても、昨年春に体調を崩した事、さらに夏には食べ物が喉を通らなくなった原因が末期の胃癌であったとは知る由もなく、それは家族も同様でした。
ただ、そうした苦境においても、何か父には他人事のような言動、ふるまいが多く、ふさぎこんでいなかったのは救いでもありますが、まさか本人も、ここで死ぬとは思っていなかったフシがありましたですね。
なにしろお盆過ぎに入院した時も食欲旺盛というか、少しずつ普通の食事が出来るようななってくると、病院で供されるだけでは足りず、自ら売店で間食のお菓子を買ったり、また家族にも食べたいものをリクエストするという、とても胃癌患者とは思えない所業でした。
もちろんサイケおやじは不安になり、担当の医師にそのあたりを尋ねたところ、酒やタバコ、イカやタコ以外なら、好きなものを食べて良しという回答は???
しかし、今になって思えば、食べられる時に食べておけ、そのうちに食べられなくなるから、という事だったわけです。
ちなみに父への治療は、既に手術は無理、年齢的に放射線も不可能ということで、抗癌剤を用いてはいましたが、それとて手遅れの患者には分量を減らし、苦しまないように経過を観察するという、やさしいものでした。
そして案の定、夏の終わりに退院すると、家族の心配を他所に、以前よりも豪快(?)に好きなものを喰いまくり!?!
おまけに20年ほど前に心臓を悪くした時、絶対に禁止のはずだったタバコが全く止められず、堂々と隠れて(?)吸っていたツケが回ったというか、今度は肺に転移しての再入院です。
それでも時々は一時帰宅という事もあり、今年の正月は家族団らん、3月にはサイケおやじの姪が婚約という席にも出られましたから、それから2ヶ月後足らずというのは、あまりにも突然という思いでした。
と言うのも、既に述べたとおり、父の食欲は相変わらずでしたからねぇ、サイケおやじも時間を作っては病院へ顔を出す時、常に様々なお菓子や果物を持参させられたほどだったんですよ。
しかし、病が深刻だったのは事実であり、肺に水というか、血液が溜まって呼吸が上手く出来なくなり、背中の痛みも激しく、ついにはチューブを刺して肺に溜まった液体を抜き続ける状態から輸血も度々という具合では、どうやら「桜の花が散る頃」という医師から渡された引導も切実になっていました。
ところが、それでも本人は顔がやつれる事もなく、確かに足は細くなり、腹周りも細くなっていましが、テレビを見たり、平素は苦しむ事なく、すやすやと眠る毎日だったので、とりあえず安心はしていたのです。
実際、お見舞いに訪れた友人知人に対しても、お気楽に接していたといいますし、亡くなる前日にはアイスクリームを食べ、ゲロ吐いた事を除けば、その夜にサイケおやじが会った時も安らかに寝ていたのですから、まさか翌日とは!?!
突然、朝の9時半頃に病院から連絡が入り、父の容体の急変を知らされても、とりあえず母と一緒に病室に着いた時には、既に父の呼吸は止まっていたというほどでした。
そして医師から最終診断では、進行性胃癌と癌性胸膜炎により、5月1日午前11時8分という死亡時刻が告げられました。
う~ん、なんともあっけないというか、一応家族の希望としては、最期まで苦しまないようにして欲しいという医師への願いがありましたから、これで良かったという気持ちも確かにありましたが……。
で、そこからが葬儀のあれこれにドタバタしたのは当然の仕儀で、それからも煩雑な手続に忙殺され、香典やお見舞い、弔電や供物の整理、そしてお返し等々は時間的に厳しいサイケおやじの仕事と重なって、月日だけが過ぎ去っていくスピードを感じるのみでありました。
また、遺品や相続の整理についても、あれやこれやと追い回され……。
気がつけば、なにもかもが未だ中途半端で大晦日を迎えてしまいました。
そして当然ながら、今は年賀欠礼、喪中の身ですから、静かなお正月になるのは正直、ほっとしているのが本音ですし、併せてまして来る新年の抱負というか、それこそが掲載シングル盤のタイトルどおり、「のんびりいくさ」の心境というわけです。
実は告白すれば、今年は8月いっぱいで現在の仕事からリタイアし、以前に出向していた雪国の仕事先で非常勤をやりながら、自分の趣味嗜好に沿った様々な復刻作業に関わりたいという人生を設計していました。
そのために雪国で借りていた家も、持ち主のご厚情に甘える形で、そのまんまにしていたほどだったんですが、それも今や画餅……。結果的にさらに仕事に縛られ、責められる身の上のもどかしさってやつです。
あぁ、この「のんびりいくさ」を自作自演した元スパイダースのかまやつひろしが、曲タイトルとは逆のイメージとして、発売された昭和47(1972)年初夏の流行りに毒されたが如きタテノリのハードロックをやってしまった事にも、無性な共感を覚えますねぇ~~。
だって当時は歌謡フォークの全盛期で、かまやつひろし本人もカントリーロックな「どうにかなるさ」、CSN&Yがモロ出しの「四つ葉のクローバー」を連続ヒットさせていたのですから、いきなりフリーかフェイセズみたいなサウンドで日本語のロックをやらかしてしまうなんて、およそ「らしさ」も想像を絶していました。
しかし、流石は洋楽の最先端にも敏感な御大!
確か当時はギンギンのロンドンファッションに身を包み、激しいアクションで「のんひりいくさ」を演じていた、その強烈なギャップはスパイダース時代から一貫していた、逆もまた真なり!?
うむ、これだよなぁ~~、今からのサイケおやじに必要なのはっ!
ということで、嘆き節のついでというか、最近は自分好みのエロ物が極端に少ないと思うばかりで、例えば映像にしても、所謂イメージ作品ならば、モデルさんがちっともサイケおやじの好きなボーズや仕草を見せてくれないし、読み物にしても、ジャストミートするSM物やミステリは極めて少なく、映画やテレビ作品も感情移入出来るものがほとんどありません。
思い上がりなんでしょうが、本音は自分で作りたいという願望が本当に強いです。
それを来年の夢とさせていただき、繰り返しますが年賀欠礼、ここで皆様に御礼申し上げます。