おかげさまで、本年10月から、仕事で少し楽が出来る事になりそうです。
正式決定は7月に入ってからなんですが、生活に時間的ゆとりが持てるのは、ウキウキですよ、今から (^^♪
やりたい事が、どっさりだぁ~~♪
おかげさまで、本年10月から、仕事で少し楽が出来る事になりそうです。
正式決定は7月に入ってからなんですが、生活に時間的ゆとりが持てるのは、ウキウキですよ、今から (^^♪
やりたい事が、どっさりだぁ~~♪
■木曾は山の中 / 葛城ゆき (RCA)
葛城ユキが彼岸へ旅立ちました。
故人が語られる場合、殊更昭和58(1983)年に出したメガヒット「ボヘミアン」が常に引き合いに出されるわけですが、皆様ご存じのとおり、これは大友裕子に提供されていたオリジナル曲のカバーバージョンであり、翌年には麻倉未稀と競作となった、これまたボニー・タイラーのカバー曲「ヒーロー / Holding Out For Hero」を出す等々、歌謡ロッカーという印象が強く焼き付けられておりますが、しかし、彼女のスタート地点は正統派歌謡曲であり、まず昭和44(1969)年に「田中小夜子」として「夜をかえして」をA面に入れたシングル盤を出し、翌年には「朝霧まち」に改名して、おそらくは2~3枚のシングル盤を吹き込んでいるんですが、何れもヒットしたとは言い難い状況でした。
しかし、この時期の彼女のレコードは好事家には人気が高く、特にジャケ買い趣味を探求する、サイケおやじを含む同好諸氏にとっては所謂「美脚」物として、その蒐集熱は衰える事が無いようです (^^;
ただし、故人は決して、それだけじゃ~なくて、歌謡魂は絶対の本物!
ですから、昭和48(1973)年にヤマハのポプコンに出場した事を契機に再び改名し、「葛城ゆき」となって出したのが本日掲載のシングル盤であり、作詞作曲:松田篝&編曲:福井崚による収録A面曲「木曾は山の中」は当時、ラジオの深夜放送をメインにオンエアされる事が多かった記憶があったもんですから、個人的には、ここで初めて「葛城ゆき=葛城ユキ」を意識したわけです。
ただし、これは曲タイトルやジャケットスリーブからも一目瞭然、ミディアムスローでアンプラグドな歌謡フォークであり、彼女の声質や節回しにしても、八代亜紀や梶芽衣子からの影響を感じてしまうわけですが、だからこそ、繰り返しますが彼女の歌謡魂、そして歌心のリアルな質感が染み込んで来るんですねぇ~~ (^^♪
う~ん、中盤から薄く被さってくるストリングスとの相性もイイ感じ♪♪~♪
あぁ……、彼女の悲報に接し、昨夜は久々に針を落としましたが、聴くほどに泣けてしまいますねぇ……。
ちなみに、ここでの彼女の歌声は後年多くのリスナーを虜にしたハスキーなロックボイスでは無く、それゆえに昭和55(1980)年に初めての大ヒットとなった「哀しみのオーシャン」をエグイ野生声で歌っていた「葛城ユキ」が、「葛城ゆき」と同一人物であった衝撃は、かなり大きかったですよ (^^ゞ
ちなみに、この「哀しみのオーシャン」もボニー・タイラーの「Sitting on the Edge of the Ocean」を日本語カバーしたものですから、所謂カバーの女王みたいな祀り上げ方も局地的にはあったんですが、そんな時、サイケおやじは、こっちの「木曽は山の中」を聴いていただきたいっ!
それを強く願っていたものです (^^;
ということで、彼女の訃報によって、葛城ユキ=ボヘミアン!
なぁ~んていう公式が膾炙されるのは、それはそれで認められるものではありますが、サイケおやじとしては、もっともっと、他に聴かれるべき音源は多数あると思っておりますし、これは決して自分だけの独り善がりでなく、同じ気持ちを強くしているファンは夥しいはずです。
本物の歌謡魂を聴かせてくれた葛城ユキ! 永遠なれっ!
合掌。
仕事でトラブって、ようやく光明が見えてきたというか…… (-_-)
とりあえず今夜は残務整理で、これにて失礼させていただきます <(_ _)>
■虹をさがそう c/w 悲しい話がありました / 山川みどり (UNITED ARTISTS / キングレコード)
昭和40年代中頃からの歌謡フォークの大ブームは、それ以前にあった所謂カレッジフォークの根強い人気から継続しての影響を否定出来ませんが、尚更に歌謡曲に接近した結果として、お茶の間への浸透度数の高さが求められていた様に思います。
平たく言えば、往年の(?)アングラよりも毒気の薄い楽曲が優先されていたのは間違いなく、だからこそ、アイドルシンガーが歌謡フォークっぽい楽曲を歌ったり、本来は正統派歌謡曲 ~ 演歌を主軸に据えていた歌手でさえも、歌謡フォークを吹き込んだレコードが当時は相当数作られていた中にあって、昭和47(1972)年に発売された本日掲載のシングル盤は、幾分なりとも、そんなサイケおやじの思い込みが立証される気がしている1枚です。
なにしろ作詞:滝田順&作曲:信楽順という収録A面曲「虹をさがそう」が、直球ド真ん中の前向きに明るい希望を歌った歌謡フォークであり、竜崎孝路のアレンジが、だからこそ当時の流行洋楽のひとつだった明快なカントリーロック風味になっている事に、一切の無理が感じられず、そのミディアムアップの楽曲を節回す山川みどりのボーカルにしても、衒いとか躊躇いがありません。
今となっては、聊か気恥ずかしくなるほどの歌と演奏なんですが、こ~ゆ~ものが求められていたのは確かな現実であり、当時高校生だったサイケおやじが入れてもらっていた校内の所謂ケイオン、その中のフォーク組の面々の中には、嬉々として(?)この「虹をさがそう」を歌っていた女子が数名いましたですねぇ~~。
もちろん、サイケおやじの趣味性には全く合致していなかった事は言うまでもありませんが、そんな理由から、楽曲としての「虹をさがそう」が耳に残って幾年月、昭和50年代の中頃だったと記憶しているんですが、当然の如く中古屋で現物レコードに邂逅したのは運命のいたずら!?
衝動買い以上の切迫感を覚えてゲットしてしまったのが、掲載の私有盤というわけなんですが、告白すれば、この時になって初めて、「虹をさがそう」を歌っていたのが山川みどりと名乗る女性シンガーだと知った次第です (^^;
そして、更に驚かされたのが作詞:ちあき哲也&作編曲:鈴木邦彦とクレジットされた収録B面曲「悲しい話がありました」がメルヘンタッチのポップス演歌だったという、その落差の激しさ!?
いゃ~~、ミディアムテンポの曲調にはロックビートが入ったグルーヴ感は確かに認められるんですが、メロディ展開そのものが歌謡曲にどっぷりであり、山川みどりの歌唱にしても、ベタベタしたコブシ回しを前面に出したネチッコイ感情表現があるもんですから、たまりません ♪♪~♪
本当に、1回聴いただけで、大好きになってしまいましたよ、サイケおやじはっ!
そして、山川みどりは、こっちが本筋じゃ~~ないのかっ!?!
なぁ~んていう不遜な思いを強くして、冒頭に述べた様な穿った結論に至ったんですが、いかがなものでしょう。
当然ながら、サイケおやじは彼女のプロフィール諸々については、今も知るところが少なく、この勢いで蒐集した山川みどり名義のレコードも、他にシングル盤を1枚所有しているにすぎませんが、それが思ったとおり、フェロモン系のポップス歌謡に仕上がっていたのには狂喜乱舞 (^^♪
その「明日では遅すぎる c/w 危険な関係」のシングル盤も近々、ご紹介させていただく所存ですが、時代的にも安倍律子か渚ゆう子あたりの路線を踏襲していればなぁ~~、そんな音源を求めて止みません。
ということで、しかし、サイケおやじは決して歌謡フォークが嫌いではありません。
好きな歌や歌手・グループをどっさり認めている事は、これまでの拙ブログに記して来たとおりです。
まあ、若気の至りとして、軟弱とか日和見とか理由をこじつけて、それらから距離を置こうとしていた前科・前歴を消し去る事は出来ないかもしれませんが、今では素直に好きなものは、好きっ!
と言える境涯に感謝するばかりであります <(_ _)>
■神様がまちがったのね / 君夕子 (東芝)
歌謡曲特有の所謂「コブシ」は、その汎用性の高さから、昭和40年代には既に確立されていたポップス歌謡にも重宝がられ、逆言えば、それまでの演歌に洋楽ポップスを融合させる切り札として用いられていた感があるんですが、いかがなものでしょう。
サイケおやじとしては、それに最もジャストミートしていた女性歌手を考察する時、本日の主役たる君夕子を思い出さずにはいられません。
例えば昭和45(1970)年9月に発売された本日掲載のシングル盤A面曲「神様がまちがったのね」は作詞:西沢爽&作編曲:鈴木邦彦が狙いどおりのアップテンポで節回されるコブシ付きのポップス歌謡に仕上がっているんですが、それも君夕子の不思議なほどロックっぽい声質によるエグ味の滲んだ歌いっぷりにあると思えば、刹那のセクシー唱法と申しましょうか、決して奥村チヨや辺見マリのフォロワーになっていない個性は、本当に素晴らしいですねぇ~~♪
諦観と哀愁、そして失望と希望とが混濁した歌詞の世界には、これしか無いと思わせられてしまう彼女のボーカルの力量は、再評価されるべきじゃ~ないでしょうか?
と、聊か不遜な事を書いてしまったのは、皆様ご存じのとおり、君夕子は、その雰囲気のある面立ちや佇まいからの人気が高く、歌手活動と並行して当時は様々なジャンルのテレビドラマにも頻繁に出演しており、例えば特撮物ではサイケおやじが今でも大好きな昭和48(1973)年の「ロボット刑事(フジテレビ)」における主人公・ロボットKを作った霧島サオリ博士とか、同時代の「特別機動捜査隊」「非情のライセンス」等々の東映で制作されたサスペンスドラマや数多い時代劇でも印象的な役柄を演じていましたですねぇ~~ (^^)
それゆえに歌手としては特別な大ヒットを放てなかった反動は「鶏と卵」みたいなものかもしれませんが、君夕子が残してくれたレコードに収録の音源は、コンプリート蒐集に値するものと決め込んで、猟盤活動に勤しんでおります (^^)
つまり、現在ではCD化が遅れている歌手のひとりでもあり、前述した「再評価」は必要だと思うんですけどねぇ……。
ということで、今年は早々と猛暑に襲われ、マスク着用での外出には気乗りがしないわけですが、それでも行かねばならぬっ!
そんなこんなの場所や要件が重なり合って、本日は疲れ気味です。
どうか皆様も体調に留意され、ご自愛くださいませ <(_ _)>
■一人になりたい / 沢和代 (日本コロムビア)
何事にせよ、好きなものだけを楽しんでいたいのが趣味の世界の本分だとしたら、沢和代が昭和44(1969)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「一人になりたい」は、「ソウルジャズ」+「湿っぽい歌声」+「演歌」という、サイケおやじが希望する歌謡曲に仕上がった、これぞ正にマイ・フェバリット・ソング♪♪~♪
それはまず、如何にものソウルジャズなフィーリングが横溢したクールなイントロからミディアムテンポで歌われる曲メロの演歌性感度の高さ、そして絶妙の湿っぽさを聴かせてくれる沢和代の声質と節回しが三位一体と申しましょうか、決して派手さは無いんですが、グッと惹きつけられる大衆音楽ならではの魅力がジワジワと染み入ってくるんですねぇ~、己の心と身体に (^^)
う~ん、この滲み出る洋楽っぽさ、カッコイィィィィ~~♪
これを書いたのは作詞:横井弘&作曲:山本丈晴とクレジットされていて、やはり驚いてしまうのは、古賀政男の養子にして、ギタリストとしても活躍し、様々な分野で音楽制作に携わっている「山本丈晴」だという事でして、告白すれば、山本丈晴は美人女優の山本富士子と結婚した羨ましい男ではありますが、個人的には前述したとおり、古賀政男の養子「古賀丈晴」として、古賀メロディ作品の多くでレコーディング現場のギタリストを務めていたという履歴から、あまり時流に媚びた洋楽最先端のメロディとは無縁だと思っていたもんですから、ちょっぴり衝撃を受けましたですねぇ~~ (^^ゞ
ちなみに「古賀丈晴」が「山本丈晴」になったのは前述した山本富士子との結婚以降だと思うんですが、いかがなものでしょう。
しかし、それはそれとして、この「一人なりたい」がソウルジャズ演歌として成立しているのは既に述べたとおり、イントロからのクールなエレキベースとピアノ、スタスタっとキメるパーカッション、しぶといビートを刻むリズムギター、そして何故かスティーリー・ダン系のホーンリフが入ったアレンジを組み立てた郷徹也の素晴らしい仕事があるからと思うばかりっ!
ですから、沢和代のボーカルが湿っぽくとも、決してベタベタしない歌謡グルーヴに昇華されいるのもムベなるかな、今日聴いても、カッコイイ~~♪
としか言えないのが、サイケおやじの本性であります (^^♪
ただし、残念ながらヒットしたとは言えない現実から、このシングル盤にしても、サイケおやじは昭和50年代に中古ゲットしたのが真相という、完全なる後追い鑑賞でのシビレでありました (^^;
もちろん、そこから気合を入れて沢和代のレコードを探索してみたんですが、友人から頂戴したカセットコピーで聴けた他の楽曲は、ここまでの洋楽っぽさがありませんで、なんでだろぅ……?
と失望させられた気分は今も継続しております。
ちなみに、掲載のシングル盤B面に収録された「愛の小舟」にしても、「一人になりたい」と同じ制作スタッフが手掛けてはいるものの、聊か中途半端な歌謡フォークみたいな仕上がりで、沢和代が持ち前の湿っぽいボーカルが活かしきれなかった印象がサイケおやじにありますので、ここまでしか触れません (^^;
つまり、サイケおやじにとっては、この「一人なりたい」が好き過ぎて、沢和代に関しては、このシングル盤だけで満足しているわけです。もちろん、彼女についての詳細なプロフィールや芸歴等々については、今も知るところがありません。
でも、それでいいじゃ~ないかっ!
それも趣味の世界に生きる喜びと思っているのでした。
■緑のカーニバル c/w わたしは舟 / 池田ひろ子 (CBSソニー)
池田ひろ子も、親しみ易いルックスと歌の上手さが女の子アイドルとしては裏目に出たというわけでも無いんでしょうが、結局のところテレビの子供番組における「歌のおねえさん」としての活動が今日まで、一番に語り継がれているのは悲喜こもごもかもしれません (^^;
サイケおやじとしては、彼女には正統派アイドルシンガーとして、歌謡ロックやポップス演歌でヒット街道を邁進して欲しかったんですが、現実は厳しく、おそらくは本日掲載のシングル盤がアイドル時代の最後の1枚になるとしたら、なんとも……、せつなくなってしまいます……。
なにしろ、これが世に出たのは、彼女がNHK教育テレビの「なかよしリズム」に歌のおねえさんとして活躍していた昭和52(1977)年2月であり、しかも収録A面曲「緑のカーニバル」が作詞:有馬三恵子&作編曲:筒美京平が手掛けた、なかなかロッキンソウルなアップテンポのポップス歌謡に仕上がっているんですねぇ~~♪
特にリズムアレンジにはソウルっぽいテンションコードやシンコペイトしたビートが用いられていますから、生半可な歌唱力じゃ~決して歌えない楽曲なんですが、あれぇ~~、これって、どっかで……!?!
と、空耳的既視感を覚えたサイケおやじが、あちらこちらと探索してみたら、なんとっ!
筒美京平の肝煎で台湾から来日して活躍した優雅(ゆうや)が昭和49(1974)年に出したデビューアルバム「はじめまして優雅です (CBSソニー)」のA面3曲目に入っていた「故郷の春」を改題してのリメイクバージョンだったんですから、さもありなんっ!
おまけに同じ制作スタッフが関わった、ここに収録のB面曲「わたしは舟」も、件の優雅のLPではA面2曲目に入れられていたんですから、う~ん……。
もちろん、池田ひろ子のカバーバージョンがアップテンポの歌謡ポップスに仕上がっている事は言わずもがな、その溌剌フィーリングは初期の南沙織を痛切に想起させるという、ニクイばかりの結果オ~ライ!?!
しかし正直、こんな書き方は嫌なんですが、だからこそ、その当時の池田ひろ子に、こ~ゆ~シングル盤を制作発売させた意味合いが、サイケおやじには、あまり納得出来なかったのが本音でして、穿ち過ぎかもしれませんが、レコード契約を履行するための穴埋めだったとしたら、本当に悲しいです……。
もしも、池田ひろ子に本格的な歌謡レコードを吹き込ませるんであれば、時代的にはニューミュージック系の作品が似合っていた気がしていますし、冒頭で述べたとおり、ポップス演歌でもイケた思うんですが、やっぱり許されないものがあったのかもしれません……。
なにしろ、繰り返しますが、当時の彼女は「歌のおねえさん」としてのイメージが確立され、しっかりと活動していたのですから。
ということで、その後の池田ひろ子が歌手として、どんなレコードを出していたかは、勉強不足で知る由もありません。
今となっては、本格的な歌手としてのブレイクよりは、ちょいと別角度のジャンルで自らの歌唱力や芸能の資質を活かせたんですから、彼女の芸能活動は成功だったと思います。
しかし、だからこそ、サイケおやじは、こんな我儘を吐露したくなるのでした <(_ _)>
■メロンのためいき / 山瀬まみ (キングレコード)
現在は、あのキワモノ色全開の喋り口調と慎みが感じられないトークで人気を安定させている山瀬まみも、昭和61(1986)年春に芸能界へ公式デビューした時には、なかなか歌唱力が冴えたアイドルシンガーでありました。
それをどの程度、皆様が認識されていらっしゃるかは知る由もありませんが、サイケおやじは本日掲載のシングル盤A面曲「メロンのためいき」を聴いた瞬間、これはっ!?!
と思わされた記憶は今も薄れていません。
なにしろ楽曲そのものが作詞:松本隆&作曲:呉田軽穂=松任谷由実からの提供という幸運を無駄にしていない山瀬まみの歌いっぷりは、実に正攻法であり、例によってピアノとビシバシのドラムスを前に出した松任谷正隆のアップテンポのアレンジにレガートでノッて節回すあたりの腰の据わり方は、とても新人のデビュー作とは思えない仕上がりと思うばかり (^^)
ところが、これがヒットしなかったというのが、当時のアイドル業界の厳しさであり、そこにはテレビで接しただけではありますが、ど~にも彼女がアイドルにしては幾分大柄だったルックスにもマイナスの要因があったのかもしれないと……、まあ、そんなふうに見ていたサイケおやじでありました (^^;
そして、度々述べてきたとおり、サイケおやじは翌年春から異郷の地へ島流しとなり、ようやく7年後に帰参した時、彼女はテレビのバラエティ番組で活躍するタレントに転身しており、結果的に歌手としての立ち位置は放棄してしまったのか……?
と思っていたら、そこまでの間に我が国のロックミュージシャンとコラボしたアルバムを制作し、それなりにヒット作にしていたという事実を知って、なかなか複雑な心境になりましたですねぇ…… (^^;
だって、気後れせずに問題(?)のアルバム「親指姫」を聴いてみたら、お前はっ、オノ・ヨーコかっ!?
なあぁ~~んていう不遜な思いに偽りがなかったんですからっ!
もちろん、芸能界は売れたもん勝ち!
という真実は不滅でしょう、それが例え、キワモノであったとしてもっ!
でもねぇ……、所詮「OLD WAVE」なサイケおやじには、山瀬まみに正統派アイドル歌謡でヒットを飛ばして欲しかったのが本音であります。
ということで、現在の彼女は、そんな事は無かったかの様なキャラ全開で、これがまた憎めないところです。
う~ん、今でも山瀬まみは、歌が上手いのかなぁ~~?
そんなこんなを思っているのでした。
■たそがれの砂浜 / 田村エミ (ポリドール)
本日掲載のシングル盤は、「黒い太陽」でビート歌謡ファンを虜にした田村エミが昭和43(1968)年に出した人気作で、それは収録A面曲「たそがれの砂浜」に作詞:橋本淳&作編曲:筒美京平という、なかなか眩しい制作クレジットがあるからっ!?
とばかりは言えないところに、主役たる田村エミの素晴らしい歌いっぷりがあるんですねぇ~~♪
もちろん、基本的には当時流行のエレキ~GSサウンドに根差し、加えて筒美京平ならではのR&Bフィーリングが滲み出た作編曲が悪いはずもなく、だからこそ、ナチュラルで黒っぽい節回しが持ち味の田村エミの存在感が輝くという、絶妙の相乗効果は、決して埋もれさせてはならない昭和歌謡曲の宝物でしょう。
それはミディアムテンポでメリハリの効いたリズムセクションとエレキギターのリードフレーズから滲み出る歌謡曲のコブシ、そして薄目のストリングから浮き出る田村エミのアルトボイスによるロストラブの歌心♪♪~♪
タイプとしては、同時期の中村晃子や黛ジュンのライバルに比定することも許される気がするんですが、残念ながら、サイケおやじはリアルタイムのテレビ、あるいは実演ライブギグに全く接する機会がありませんでしたので、例によっての独り善がりではございますが、いかがなものでしょう (^^ゞ
ジャケ写からのイメージだけでも、どこかしら気の強そうな雰囲気が伝わって来るのは十人十色の好き嫌いというあたりが、あまりテレビ向きじゃ~なかったのかもしませんが、それはそれとして、スレンダーな全身のスタイルは、相当イケてたと思いますねぇ~~ (^^)
ということで、実は昨日、ちょいと珍しい田村エミのレコードを入手出来ましたので、そのご紹介の前段として、これを今日はご紹介させていただきました (^^ゞ
とはいえ、こ~鬱陶しい天気が続くと、往年のエレキ歌謡を活力剤にしている皆様も大勢いらっしゃるんでしゃ~ないですかねぇ~?
とりあえずサイケおやじは、夏の必需品にしております (^^ゞ
■玻璃のファンタジー / 幸松美恵子 (RCA)
商業目的で制作されるレコードには、必ずやターゲットがあるはずで、しかし、逆に言えば、これって、誰に聴かせようとしていたのか……?
なぁ~んて、甚だ不遜な思いに捕らわれる楽曲に確かに遭遇するのが、猟盤活動における自然の摂理と書けば、例によって、それはサイケおやじの大袈裟な独り善がりでしょうか……。
しかし、幸松美恵子が昭和53(1978)年5月に出したとされる本日掲載のシングル盤A面曲「玻璃のファンタジー」は、作曲:平尾昌晃&編曲:馬飼野俊一が作り出したキャッチーなアップテンポのポップス歌謡サウンドでありながら、木村雄の作詞、そして橋本淳の補作詞によって提示されるのが、ほとんど現実から遊離した恍惚の夢世界?
なにしろ曲タイトルの「玻璃」は「ガラス」と読ませるあたりからして、微妙な「あざとさ」が隠し様も無いと思うんですが、逢魔時の裏町で、ひょっこり出会ってしまった怪人との疑似恋愛というのは、江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズ諸作や初期の仮面ライダー等々で頻繁に用いられたジュビナイル手法かもしれず、さらに穿ってしまえば、夢精への誘いという気がしないでもありません (^^;
しかし、このあたりは、あくまでもサイケおやじの独断的屁理屈であり、肝心の幸松美恵子の甘え口調を前面に出した歌いっぷりは、好きな人には、たまらないものがあるはずですし、曲メロそのものには平尾昌晃ならではのサビの展開もニクイばかりの歌謡曲フィーリングが横溢しており、ライトタッチの歌謡ロックサウンドもイイ感じ♪♪~♪
極言すれば、これって、ピンクレディが演じてもOKじゃ~ないでしょうか、もちろん、LPかB面収録になるとは思いますが、いかがなものでしょう。
ですから、それゆえに冒頭で述べたとおり、この楽曲を誰に聴かせたかったのか? 誰がリアルタイムで積極的に聴きたがっていたのか?
そんなこんなの不遜な思いが沸き上がってしまうんですよ…… (^^;
ところが、世の中は上手くしたもんで、21世紀の令和の時代になってみれば、昭和歌謡曲の再発見・再評価という歴史の勉強を楽しむ姿勢が大いに認められ、この幸松美恵子が歌った「玻璃のファンタジー」が、普通に楽しく聴けてしまうのも、また揺るがせに出来ない事実でありましょう♪♪~♪
ちなみに、サイケおやじが、このシングル盤を中古でゲットしたのは、主役たる幸松美恵子が昭和56(1981)年に、山下達郎もカバーしている愛奴の名曲「二人の夏」の素敵なリメイクバージョンを出したル・ジタンと名乗るコーラスグループに参加していたからでして、こちらも追々ご紹介させていただきますね (^^)
ということで、もうひとつ、不思議だったのは、このジャケ写に小道具として用いられているドーナツの存在なんですが、かなり後になって知ったところでは、この「玻璃のファンタジー」った、某ドーナツ屋のタイアップCM曲だったという説があるらしく、だとしたら歌詞の世界の曖昧な甘さ(?)は、さもありなん?
そして、この拙稿を書くにあたって、久々に聴き直していたら、密やかなレズビアンムードを感じてしまったのは、サイケおやじの屈折かもしれません (^^;
いやはやなんとも、昭和歌謡曲の奥底が、ますます知れなくなってしまいました (^^;