OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ソングライター・ジュリーとピーナッツ

2014-11-30 14:56:00 | 歌謡曲

東京の女 / ザ・ピーナッツ (キングレコード)

あまり語られる事も少ないのがタイガースのジュリー=沢田研二の曲作りの才能で、例えば本日掲載のシングル盤A面曲「東京の女」は如何にも昭和45(1970)年の発売が妥当過ぎるソフトロック風味の歌謡曲が全開♪♪~♪

歌っているザ・ピーナッツはご存じ、芸能史上最強のツインズとして説明不要の存在でしょうし、姉のエミが昭和50(1975)年に沢田研二と結婚した事も有名というわけですが、既に数年間の交際があった証として、こういう曲の提供が少なからずあったんですねぇ~~。

例えば翌年には「なんの気なしに」という隠れ人気曲も、ジュリーからの提供でありました♪♪~♪

ちなみにザ・ピーナッツとしての立ち位置では通常左側が姉のエミで、このジャケ写でも前に出ているのは、なにやら様々に推察も出来るわけですが、まあ、それはそれとして山上路夫の綴った歌詞には「銀座」や「青山」、「赤坂」に「新宿」という、当時の日本人には刷り込まれた地名が出てきますから、これは所謂ご当地ソングでありながら、演歌色は極めて希薄であり、逆にとてもお洒落で先鋭的なアレンジは宮川泰ですから、ジュリーとしても納得の仕上がりだったんじゃ~ないでしょうか。

曲展開最終盤のパヤパヤコーラス&ハーモニーは、もう最高で、もっともっと聴いていたいほどですよ♪♪~♪

しかし、これがリアルタイムでは「ジュリーの作曲」という話題が、それほどウリになっていなかった気がするんですが、いかがなものでしょう。

やっぱり沢田研二は、まだ解散前だったタイガースのジュリーというのが、極みの印象!

しかし、こんなに素敵なメロディを書ける才能が、あまり評価されずに終わってしまいそうなのは残念ですし、歌手としての活動が鎮静しつつある現在であればこそ、ソングライターとして開花する事を望んでいるのですが……。

ということで、がらりと話は変わりまして、驚くなかれ、今年の雪国には、その雪が全然ないんですねぇ~~~!?

一応は冬用のタイヤとかワイパー等々を用意して来たのに、交換しなくてもOKという日々が続き、なんだか後が怖いですよ。

天変地異が多い昨今、これも異常気象なんでしょうか。

暖かいのは大いに歓迎なんですが、うむむ。

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やっぱり俺は西田佐知子

2014-11-29 14:34:06 | 歌謡曲

初めての街で / 西田佐知子 (ポリドール)

早くも今年は年末モードに突入ということで、昨夜は酒席へ掛け持ちと相成りましたが、そんなところに次の衆院選立候補予定者が居たりすると、サイケおやじ的にはしらけちまうぜっ!

と嘆いても、別に本日は小坂忠じゃ~なくて、良い雰囲気で酒を楽しみたいのならば、これしか無いの西田佐知子でしょう♪♪~♪

ご存じ、日本で暮らす我々には刷り込まれている某清酒メーカーのCM曲「初めての街で」は、なんともネタネタした彼女の節回しが全開の名唱として、思わずアルコール性感度も高まりますよねぇ~~♪

実は度々書いてきましたが、サイケおやじは体質的に酒に酔えなくて、飲むほどに冷静になって、客観的にその場を繕ってしまうという悪癖があるもんですから、お前とは腹を割って話が出来ないっ!

とまで言い放たれた事さえありながら、酒席そのものは決して嫌いではなく、なんとか周囲に溶け込もうと、あれこれ無様な芸をやったりしているわけでして、だからこそ、この「初めての街で」を歌う西田佐知子に癒されるんですよ♪♪~♪

ちなみに永六輔が綴った歌詞はテレビ等々のCMバージョンでは商品名がしっかり入っていますが、昭和54(1979)年に発売された掲載のシングル盤では、当然ながらその部分は変えられています。

しかし中村八大の書いた心に染み入ってくるメロディーがシンプルで、しかも自然な味わいに満ちているもんですから、ついついそこを「キクマサァ~~ムゥネェ~~♪」と歌ってしまう自分に気づいて、思わず苦笑いするのも悪くはありません。

ということで、本日も夜は宴会が予定されていて、誘われるのは素直にありがたいと感謝しています。

そして願わくば、下心を露わにする奴なんか、来ませんように。 

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Bye Bye Johnny

2014-11-28 15:08:46 | 日本のロック

ハイティーン・ガール / ジョニー大倉 (フィリップス)

ジョニー大倉が天国へ召されました。

故人について、サイケおやじは特に思い入れもありませんが、しかしミュージシャンとして、また俳優としての業績は素直に評価し、認めなければならないでしょう。

ご存じのとおり、故人は昭和47(1972)年にキャロルのメンバーのひとりとして有名になり、バンド内では矢沢栄吉と並び立つ看板だったわけですが、キャロルが成功したのはオリジナル演目の日本語と英語をミックスせさた歌詞を上手い具合にロックビートにノセていたからだと思えば、それを主に書いていたジョニー大倉の存在は、その大部分を担っていたわけです。

極言すれば、所謂「日本語のロック」を最も成功させたのがキャロルであり、ジョニー大倉の貢献はなかなかに大きい!?!

サイケおやじとしても、その一点に関するかぎり、はっぴいえんどよりはキャロルを高く評価しています。

しかし、皮肉にもと言えば、お叱りは覚悟なんですが、ジョニー大倉は本名がパク・ウナンという在日であり、「日本語のロック」を確立させたのが、純粋な日本人では無かったという部分に反発を覚えている評論家の先生も少なからず……。

ですから、ジョニー大倉がミュージシャンとして未だ真っ当に認められていないのは、それが要因かもしれません。

ところがジョニー大倉は堂々と自分の出自も本名も公にしていたのですから、あえて迫害される必要なんか、どこにも無いわけです。

サイケおやじは、そういうところに故人の潔さを感じます。

そしてキャロル解散後、歌手活動と共に俳優としても認められたのは、ジョニー大倉というキャラクターの味わい深さで、それはカッコ悪いことがカッコ良いという逆説的なヒーロー像でもありますが、サイケおやじが一番に素晴らしいと思うのは、ちょっぴり卑屈で煮え切らない、それでも実直に生きようとする登場人物を演じる場合です。

中でも昭和50(1975)年に公開された「異邦人の河(緑豆社)」は、ほとんどが在日コリアンによって描かれた彼らの青春物語で、もちろん日本人のスタッフや俳優も参加していますが、ここでは藤田敏八監督の弟子(?)と言われる李学仁監督と本名のパク・ウナンとして出演したジョニー大倉の演技演出がクールで熱いんですねぇ~~~。

題材が題材だけに、DVD化されているかは不明ですが、在日を疎む自由があるのと同等の権利として、この作品は機会があれば、大勢の皆様にご覧いただきたいと願っています。

ちなみにサイケおやじは当時、ちょいと関係者から誘われての鑑賞だったんですが、本音で言えば最初は些かバカにしていた先入観が、あっさりと覆されたのは、お恥ずかしいかぎり……。

自分の不明に目が覚めたのは、ありがたいことでした。

結局、ジョニー大倉は一般的に映画やテレビドラマでハードな役柄が似合うというイメージなんでしょうが、本当はネクラで内省的な演技表現が十八番だったように思います。

というか、それがあればこそ、俳優としてのジョニー大倉は強い印象を残すのでしょう。

さて、そこで本日掲載したのは昭和51(1976)年に発売されたシングル盤なんですが、実は故人名義のレコードは、これしか今はサイケおやじの手元にありませんので……。

しかし自作自演のA面曲「ハイティーン・ガール」はエグ味も程好いロケンロール歌謡であり、そのビッチ全開の歌の中身がなんとっ!

同時期にシュガーラブと名乗るイケイケおねえちゃんグループにカバーされ、極みの傑作になってしまったという、まさにジョニー大倉、ここにありっ!

ということで、些か確信犯めきますが、在日云々は日本人であるサイケおやじにとって、どこまで書いても、その本質は知り得ないものがありますから、こっちの思い込みが通用しているはずも無いわけです。

もちろん実社会には、コリアンが多く生活し、各方面で活躍しながら、そういう出自を隠さなければならない状況が続いているわけで、そんなこんなを探し当てて、暴露する活動も、それはそれで自由でありましょう。

昭和の頃とは多少なりとも、差別や侮蔑の意識が我々日本人からは薄れている事も確かです。

ジョニー大倉は、そういうものを背負って、さらに前向きに生き抜いたところが、なまじっかな独り善がりではなかったはずで、サイケおやじは衷心より、故人のご冥福を祈るばかりです。

合掌。

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裏方さんの迫真グルーヴ!

2014-11-27 15:17:26 | 日本のロック

悲しき願い / MMP (フィリップス)

昨日の石川ひとみ繋がりで急に思い出したのが、昭和53(1978)年に発売された本日掲載のシングル盤の主人公たるMMPです。

まあ、このジャケ写を見るかぎりでは、おそらくは何処かのスタジオのロビー辺りで撮った普段着ショットのイケていないお兄ちゃんバンドという印象かもしれませんが、実はMMPは渡辺プロ専属の凄腕プレイヤーの集団で、正確にはミュージック・メイツ・プレイヤーズというバンド名を短縮してMMPと称し、同プロ所属の歌手やグループのライブ用バックバンドが主な仕事でありました。

その結成はジャケ裏解説によると昭和49(1974)年、あいざき進也の巡業用バンドが最初の仕事だったらしいのですが、以降特に有名なのがキャンディーズのバックであり、もちろん当時のテレビ歌番組にも、しっかりと出まくっていましたので、皆様も一度は動く彼らの姿を無意識のうちにご覧になっているはずです。

しかしMMPのメンバーは必ずしも定まっておらず、スタジオの仕事や他のバンドとの掛持ち組も少なく無かったそうで、例えば後にスペクトラムを結成する新田一郎も在籍していた事は良く知られていると思います。

で、このシングル盤をやっているメンバーは山田直毅(g)、西慎嗣(g,vo)、渡辺茂樹(key)、渡辺直樹(b)、王子聡(ds)、菅原由紀(per)、竹田恒夫(tp)、小林正弘(tp)、片山鉱二(sax,fl) という顔ぶれなんですが、リーダー格の渡辺茂樹は元ワイルド・ワンズのチャッピーでありました。

そしてA面収録の「悲しき願い」はアニマルズというよりも、尾藤イサオでお馴染みの歌謡ロック日本語バージョンですからねぇ~~♪

ここではパーカッションが効いたライトタッチのディスコビートに重ねられたギターやキーボードの存在が心地良い演奏にノセられた(?)西慎嗣のボーカルに焦燥感があって、なかなかクセになりますよ♪♪~♪

あぁ、こんなにキメまくりの演奏が出来たら、実際楽しいにちがいありません!

さて、そこで冒頭に述べた石川ひとみ云々については、ここでレギュラーだった山田直毅が後に彼女と結婚したからでして、以下はサイケおやじの妄想に過ぎませんが、アイドル時代の石川ひとみのバックにも、この羨むべきギタリストは参加していたんでしょうねぇ~~。

ちなみにジャケ写では前列右から2人目、白い衣装でしゃがみこんでいるクールな男が、件の山田直毅らしいですよ。

ということで、結局はあんまり関係の無い話題に終始してしまいました……。

しかし当時は、こういう縁の下の力持ちが堂々とレコードを出せたほど景気が良かったという証でもあり、今に続く奥の細道の素敵なお宝探しが充実出来るのも、その恩恵と思います。

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アイドル冬の陣:石川ひとみ篇

2014-11-26 14:54:51 | 歌謡曲

冬のかもめ / 石川ひとみ (キャニオン)

本日掲載のシングル盤A面に収録の「冬のかもめ」も、サイケおやじには今頃からの季節にマストな1曲です。

歌っている石川ひとみは、もちろん昭和50年代にデビューした歌謡アイドルだったんですが、如何にも可愛いルックスと清楚な歌声は業界でも高く評価されながら、レコードの売り上げでは当初からイマイチで、ようやく売れた大ヒットの「まちぶせ」が出た昭和56(1981)年には本人が引退を決意していたという逸話は有名でしょう。

しかし彼女の人気は、そんな事とは関係無くて、実は公式デビューする以前から特に大学生の間では既にアイドル扱いだったんですねぇ~~~!?!

もちろんそこには所属事務所の渡辺プロによるあれこれがあったという推察は易いんですが、現実としてサイケおやじの後輩の数人が当時、石川ひとみの私設ファンクラブみたいな集まりを運営していて、サイケおやじもデビュー曲のサンプル盤を貰ったりしたもんですから、リクエストのハガキを書く手伝いをさせられた思い出があります。

さて、そこでこの「冬のかもめ」は昭和57(1982)年の発売ですから、彼女の人気もすっかり安定していた頃というわけでしょうか、作詞:康珍化&作曲:西島三重子が提供したのは哀愁の歌謡フォークがど真ん中♪♪~♪

しっとりとした情感を憎らしいほど可愛く歌う石川ひとみが、本当に最高ですよ♪♪~♪

甘さに流れる一歩手前でスパイスを効かせた鷺巣詩郎のアレンジも流石と思いますが、この微妙な演歌フィーリングが侮れないところでしょうか、サイケおやじは好きです♪♪~♪

告白すれば冬の海沿いの道を車で走る時には、彼女の「冬のつばめ」が絶対的な必需品になっているほどです。

ということで、皆様ご存じのとおり、石川ひとみはここから数年後に大病を患い、アイドル戦線からリタイアしてしまったんですが、もちろん年齢的な壁から順調に「卒業」したとしても、案外と演歌系で生き残って行けたんじゃ~ないでしょうか。

それが幸か不幸か、病後に芸能界へ復帰して以降はファミリー系の活動になっているあたりも、やはり石川ひとみの屈託の無い魅力なのかもしれません。

最後になりましたが、アイドル時代の水着グラビアは言わずがな、写真集やイメージビデオは今でも人気がありますからねぇ~~♪

彼女のようなストレートな清純派は裏表を云々するまでもなく、なかなかエバーグリーンな存在と思っています。

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洋楽カバーはアイドルの掟

2014-11-25 14:32:06 | 歌謡曲

ライク・ア・ヴァージンc/w さよならの内側 / 水谷圭 (Fun House)

女の子アイドルが歌う楽曲のひとつの条件が海外ネタのカバー物、特に日本語の歌詞を附したものは、業界内が飽和点に達していた昭和60年代にも立派に通用していました。

それは所謂「80年代アイドル」と称された彼女達が残したレコードを丹念に洗い出すまでもなく、例えば本日掲載のシングル盤A面曲「ライク・ア・ヴァージン」は説明不要、今やアメリカンポップスの大御所となっているマドンナが1984年に放ったブレイク曲「Like a Virgin」の日本語バージョンとして、当時のアイドル戦線で頑張っていた水谷圭が翌年に出したわけですが……。

本家マドンナのメガヒットバージョンは、当時としては新しかったデジタルサウンド処理の冴えと楽曲そのものの親しみ易さ、つまりはモータウン系ソウルミュージックとT.レックスを混ぜ合わせ、リアルタイムのダンス物に改変したキャッチーな快楽作だったんですが、その成功にはマドンナ自身のキャラの強さとリズム感の明快さがありました。

しかし失礼ながら、水谷圭は基本的に歌唱力が秀でているとは言い難く、麻生圭子が上手い具合にオリジナルを和訳した歌詞も、やはりアイドル歌謡という事で抑え気味ですから、本気でヒットを狙っていたのか、制作側の意図するところは当時も今もサイケおやじには測り兼ねるんですよ……。

実はこの私有シングル、その頃に業界の知り合いから頂戴したサンプル盤なので、あまり辛辣な事も露わに出来ない事情もありまして、しかも水谷圭だって、一生懸命にやっていたと思うんですよ。

まあ、それでもサイケおやじは彼女について知っている事はほとんどありませんが、何かのグラビアに登場していた水谷圭のスタイルの良さは印象に残っていますから、この「ライク・ア・ヴァージン」をガッツ~~~ンッとぶっ飛んだカバーで演じてくれたらなぁ~~~、という希望がある事は確かです。

ちなみにダイナマイトバディのグラビアモデルにして、タレント活動や女優としても人気を集めた水谷ケイは水谷圭とは全くの別人とはいえ、サイケおやじとしては、水谷ケイが激しくストレッチアウトした衣装やアクションで、日本語版「Like a Virgin」を歌って欲しかったという本音があるんですよ。

閑話休題。

それでも、この水谷圭のシングル盤が実は近年、なかなかの人気を呼んでいるという真相は、なんとっ!

B面に収録された「さよならの内側」が作詞:麻生圭子&作曲:筒美京平から提供された、今や「京平マニア」の必需品だからだとか!?

う~ん、個人的には普通の歌謡ポップスという印象なんですが、きっとマニアからすれば、コレクターズアイテムになりうる要素があるんでしょうねぇ~~。

ということで、水谷圭には厳しいことを書いてしまいましたが、もちろん彼女に対しては何の恨みもありません。

むしろアイドルとして芸能界が一番良かった時代に活動出来たのは、決して穏やかな思い出ばかりでは無かったという推察が易くとも、人生の中では濃密な時間だったんじゃ~ないでしょうか。

そういうものを彼女が得られたとすれば、残されたレコードが今もなお、ファンやマニアから大切にされ、さらに新しい魅力が発見され続けている現実は素晴らしい宝物!

羨ましくなるばかりです。

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あそこはヘドラが蘇るんじゃ~ないか

2014-11-24 15:27:39 | Movie

ゴジラ対ヘドラ / 北山和美 (テイチク)

さて、実は隣国へ出張していたんですが、あらためて今更公害!?

という現実に驚かされました。

もちろん報道では知っていましたし、大気汚染はど~にか規制されつつあるものの、海や河川へのゴミ投棄や害毒垂れ流しは呆れるほどでした。

そして思い出したのが、我が国でも公害が大問題化していた昭和46(1971)年に封切られた「ゴジラ対ヘドラ(東宝・坂野義光監督)」です。

ご存じのとおり、この頃のゴジラは悪い(?)怪獣や宇宙からの侵略者をやっつける存在として、子供達のアイドルになっていたんですが、同時に背負っている己の不条理な出自を表に出さないハードボイルドな存在感も実は消していなかったところに、なかなか味わい深いものがありました。

尤も、そんなふうに穿っていたのはゴジラと共に育っていたサイケおやじを含む当時の青年層であり、また映画マニアや制作現場のスタッフ達だったと思いますから、人気シリーズ物とはいえ、ちょっぴり間隔が開いて公開された新作ゴジラに敵対するのが「公害」を体現した怪獣ヘドラというのは、喧々諤々の賛否両論!?

実際、サイケおやじは明らかに子供の集客を狙った同年夏休みの「東宝チャンピオンまつり」の中の1本として封切を鑑賞したんですが、なかなか暗い仕上がりと奇想天外な仕掛の妙に満足させられたと同時に、これでいいのかなぁ……?

という煮え切らないものを感じさせられました。

なにしろ、説明不要とは思いますが、ゴジラがヘドラにやられまくって大怪我させられたり、有毒ガスで大勢の人がバタバタ倒れたり、画面の中のヘドロの海が作り物を超えたリアル感に満ちていたり等々、ある意味では「東宝」という社風に合っていない気さえしたほどです。

サイケデリックど真ん中の特撮映像表現や照明の濁った輝きにも、裏表の危うさが出ていたようです。

すると案の定、後に知った事ではありますが、この「ゴジラ対ヘドラ」はゴジラシリーズや東宝特撮作品をプロデュースし続けてきた田中友幸に猛反発され、撮影半ばで制作中止に追い込まれていたそうで、そんなこんなも前年に特撮の権化だった円谷英二が亡くなった事とも無関係とは言い切れないと思います。

しかし、結果的に作品は完成し、とにかくも賛否両論を呼んだというだけでも、「ゴジラ対ヘドラ」は成功したんじゃ~ないでしょうか?

もちろん、内容について激怒していた田中友幸プロデューサーにしても、そもそも前述「東宝チャンピオンまつり」を始めたのは、厳しい経営環境の中でゴジラシリーズを存続させるのが一番の目的だったと言われていますからねぇ~、ゴジラ愛は不滅!

さて、そこで本日のご紹介は「ゴジラ対ヘドラ」の主題歌「かえせ!太陽を」なんですが、掲載盤の収録は出演もしている麻里圭子が歌った劇中オリジナルバージョンとは異なる、テイチクで制作された北山和子の歌唱によるカバー物です。

しかし、これがなかなかサイケおやじの好みにジャストミートなんですよ♪♪~♪

結論から言えば、ほとんど歌謡曲仕様とでも申しましょうか、要所で味付けられたコブシがたまらなく北山和美の存在感を誇示していると言えば、大袈裟でしょうか?

ビクターから発売されている麻里圭子のバージョンがハキハキとした明快さに魅力があるとすれば、北山和子の歌いっぷりは如何にも昭和の大衆芸能という感じで、サイケおやじは大好きです、これがっ!

しかも麻里圭子のバージョンがクライマックスに向けて歌も演奏も徐々に盛り上がっていくのとは対照的に、北山和美は演奏共々、最初っからノリが全開! 両バージョンに共通するパックの演奏パートにおけるドライヴしまくったベースの躍動感も、個人的には後者に軍配です。

ということで、どうにか皆の努力によって、我が国の公害はそれなりに抑え込まれたという事になっていますが、そんな油断は禁物以外の何物でもなく、現に福島の破壊された原発や予測を超えて頻発する自然大災害にさらされてみれば、ゴジラやヘドラは決して空想の産物とばかりは言えません。

むしろそういう危険と不条理に苛まれているからこそ、自嘲と客観が必要と思うばかりです。

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モトマチはヨコハマ、GS歌謡が似合います♪

2014-11-23 14:40:22 | 歌謡曲

愛のモトマチ / ベイ・ビーツ (ポリドール)

GSブーム期には、それまでの歌謡界で人気を確立していたソロシンガーでさえもエレキバンドをバックにしたような楽曲を出し、またムードコーラスのグループがGS風味に傾いたりするほど、それはそれは当時の勢いは凄いものがありましたが、だからこそブームが下火に向かってみれば、正統派GSのバンドが逆進化というか、歌謡コーラスに近くなっていってたのも時代の流れという感慨です。

さて、そこで本日掲載のシングル盤を出したベイ・ビーツはグループ名が如何にもGSっぽいんですが、その実態はムード歌謡コーラスのロック版!?

特に収録A面曲「愛のモトマチ」は、これが世に出た昭和44(1969)年秋の流行がど真ん中のサウンドが歌謡曲保守本流のメロディと歌詞に絶対融合した名作で、とにかくドライヴしまくったエレキベースとファズ系ディストーションが心地良く効いたエレキギターがまずは印象的でしょう。

そしてゴージャスに響いてくるオーケストラの迫力がリードを歌う女性ボーカリストの程好いコブシを彩る森岡賢一郎のアレンジが、これまた良いんですよねぇ~~♪

ちなみにベイ・ビーツは、その女性ボーカリストが小鹿さおり、他に正体不明の男性コーラスが4人入ったグループなんですが、果たしてバンドとしての演奏をやっていたのかは知る由もありません。

しかし、この「愛のモトマチ」はリアルタイムでヒットしていましたし、殊更ラジオからは頻繁に流れていた記憶は今も鮮明で、それは現在でも中古屋で比較的流通している歌謡曲の人気盤という評価も真っ当なところと思います。

もちろん、「モトマチ」というのは「ヨコハマ」であり、三枝伸の作詞作曲による狙いはスバリッ! いしだあゆみの大ヒット曲「ブルーライトヨコハマ」の続篇的な味わいに満ちているんですねぇ~~♪

しかも要所で鼻声っぽい節回しを用いる小鹿さおりが、いしだあゆみを強く連想させるんですから、たまりません♪♪~♪

おまけにジャケ写が所謂ミニスカ物♪♪~♪

当然ながらサイケおやじは、リアルタイムでは買えず、それでも後年になって中古屋で再会(?)した瞬間の高揚感は、必然に尽くし難いという大袈裟もご容赦下さいませ。

ということで、実はベイ・ビーツは、この「愛のモトマチ」を書いた三枝伸がリーダーのグループらしく、しかし本人が実際にライブステージの現場に参加していたかは、ちょいと定かではありません。

それでも今に至る三枝伸の評価が決して高いとは言えない状況に憂慮するサイケおやじは、その功績を纏めて俯瞰堪能出来るアンソロジーの編纂を強く望んでいますし、その時にはベイ・ビーツの真実も公になる事を信じているのでした。

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マシンの気持ちは分からない

2014-11-22 15:01:37 | Weblog

PC不調と言うよりも、ストック入れといた外付ハードディスクが動かない……。

ですのが、本日の1枚は休載ご理解願います。

う~ん、電源は入っているのになぁ~~~?

PCの神様は意地悪です。

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絶交から決意

2014-11-21 15:28:46 | 歌謡曲

絶交 / 三谷晃代 (東芝)

本日掲載のシングル盤で昭和51(1976)年晩秋にデビューした三谷晃代を覚えていらっしゃいますか?

と思わず皆様にお尋ねしたくなったのは、サイケおやじ自身がすっかり彼女を忘れていたからに他ならず、しかしこれもまた後輩から頂戴したレコードの山の中で邂逅してみれば、何かとても愛おしいわけです♪♪~♪

とにかく作詞:千家和也&作曲:佐藤寿一の提供したA面収録の「絶交」が最高にキャッチーなアイドル歌謡ポップスに仕上がっているのは出来過ぎと思うほどで、それもそのはずっ!

いきなりサビから入ってくる曲メロが、日本でもお馴染みのペギー・マーチがリトル時代の1963年に放った大ヒット「I Will Follow Him」に、ど~やっても(?)クリソツなんですよねぇ~~♪

正直、サイケおやじはリアルタイムでこれを聴いた瞬間、てっきり日本語によるカバー物かもと思ったほどだったんですが、もちろん続くメインの曲展開は違いますから、如何にもアイドル御用達のプロの仕事は流石に楽しいわけです。

しかも歌詞がせつない学園失恋ソングなんですから、殊更ジャケ写ポートレートのなんとも愛くるしい三谷晃代は可愛さあまって憎さ百倍♪♪~♪

うむ、野暮ったいようで、実はすっきりした船山基紀のアレンジも良い感じ♪♪~♪

ところが結果的に、これが全くヒットせず、サイケおやじにしても何時しか今まで忘れていたのは、やはり当時の芸能界アイドル部門の充実激戦があったからなんでしょうか……。

その悔恨から、サイケやおやじは三谷晃代のコンプリート蒐集に着手するべく、決意表明の文章を綴っているというわけです。

ということで、何かのはずみに新しい意欲を湧き立たせてもらえるというのは、これもひとつの幸せと思うばかりです。

そして当然ながら、傍から見れば理解はされずとも結局、幸せは自分自身の心が決めるものでしょう。

おそらくは常に呆れられているサイケおやじの言動は見苦しくとも、趣味に生きれば、それもまた自分に言い聞かせる言い訳なのでした。

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