OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

追悼・筒美京平:ブレッド&バターを聴きながら

2020-10-31 19:57:17 | 歌謡曲

愛すべきボクたち / ブレッド&バター (フィリップス)

グルーヴィな歌謡ソウル、あるいは弾けて明るいアイドル歌謡ポップス、時には「コブシ」も入った正統派歌謡曲を自家薬籠中の物にしていた筒美京平は、当然ながらシンミリシミジミ系の歌謡フォークを書かせても実に巧い!

その証拠物件の好例が、昭和45(1970)年秋にブレッド&バターが出した本日掲載のシングル盤A面曲「愛すべきボクたち」です。

もちろん、作詞は橋本淳ですから、筒美京平の作編曲にも安定感が滲み出たと申しましょうか、如何にも日本人好みの哀愁と言うよりも、ギリギリ演歌チックなメロディ展開を絶妙に入れ込んでの仕上げ方が、今となってはオシャレ系湘南サウンドの本家本元と認識されているブレッド&バターには馴染まないという先入観があるかもしれません。

しかし、実際に聴いていただければ、刹那の歌詞に附されたメロディは、やはり都会派のイメージが強いブレッド&バターが演じてこそ、ストレートにセンチメンタルな情感が伝わって来るんじゃ~ないでしょうか。

ところが、それが当時は幾分ハイブラウな印象も強く、平たく言えば「敷居の高さ」みたいな感じも確かに受けたわけで、結果的にヒットしたとは申せません。

そして月日が流れた昭和47(1972)年、同じ兄弟デュオのビリー・バンバンが同曲を「愛すべき僕たち」と変え、小谷充のアレンジでカバーすると、これがヒットしてしまったんですから、やはりブレッド&バターの存在は時代に先んじていたのでしょうか……。

サイケおやじとしては、決してそんな短絡的な要因だけでは無いと思いますし、昭和47(1972)年の我が国芸能界は爆発的な歌謡フォークのブームが真っ只中だった頃ですからねぇ~~、失礼ながら若干野暮ったいアレンジで歌われる「愛すべき僕たち」が、ようやくにして楽曲本来の素晴らしさを発揮出来たのだとすれば、やはり時代にアクセス出来たのは、ビリー・バンバンの持ち味であるハートウォームな感性でありましょう。

そして、さらに厳しいのは、ビリー・バンバンの「愛すべき僕たち」のヒットにより、確かブレッド&バターが「愛すべきボクたち」を再発した記憶があるんですが、それすら空振りだったという……。

う~ん、結局は「橋本淳&筒美京平」と「ブレッド&バター」の相性は悪かったんでしょうか……?

それは皆様ご存知のとおり、ブレッド&バターは公式レコードデビューとなった最初のシングル曲「傷だらけの軽井沢」、続く「マリエ」、そしてこの「愛すべきボクたち」と3作続けて筒美京平が作曲やアレンジに関わっていながら、ど~してもヒットには届かず、それでいて仕上がりは決して悪くないんですから、相性云々を考えざるを得ないと……。

ちなみにブレッド&バターが、いよいよブレイクするのは昭和49(1974)に出したシングル曲「誰が好きなの」あたりからでしょうか。以降「ピンク・シャドウ」「夕暮れ」「ともしび」等々の小ヒットを続け、ついにユーミンから提供された「あの頃のまま」で人気を不動にしたのは昭和54(1979)年になっていましたですねぇ~~。

だからこそ、サイケおやじとしては、筒美京平の追善に事寄せて、デビュー期からの3枚のシングル盤で聴かれるブレッド&バターの再評価を望むところです。

ということで、それにしても晩秋にはシミジミ系歌謡フォークがジャストミートしますねぇ~~ (^^♪

オシャレなブレッド&バターならではのハーモニーとコーラスが心地好いです ♪♪~♪


追悼・筒美京平:岡崎友紀を聴きながら

2020-10-30 19:59:24 | 歌謡曲

私は忘れない / 岡崎友紀 (東芝)

とにかく夥しい名曲を世に送り出した「作詞:橋本淳&作曲:筒美京平」という黄金のソングライターコンビは、それゆえに競作やカバーバージョンの存在もマニア泣かせとはいえ、だからこそ、オリジナルバージョンにおける唯一無二の輝きと普遍性も同等に凄いものがあります。

つまり、誰が、どのように演じても、オリジナルバージョンを超えられないという楽曲が確かにあって、それは歌手本人との相性と云うよりも、あらかじめ企画された発注要件の意図を明確に摑むという、プロならば当たり前の仕事が実は難しいという真相が、必ずしもヒットしないレコードが山の様に残された昭和の歌謡界だけを俯瞰しても、納得されるんじゃ~ないでしょうか。

なぁ~んて、例によって回りくどい書き出しはサイケおやじの悪いクセではありますが、その思考に基づけば、岡崎友紀が昭和42(1972)年秋に出し、彼女にとっては代表的なロングセラーヒットになっている「私は忘れない」こそが、その好例と思います。

なにしろ全篇の印象は歌謡フォーク調の別れの歌でありながら、岡崎友紀の節回しは決してベタベタしていないんですよねぇ~~♪

具体的には橋本淳の綴った歌詞には不条理な喪失感や別離における女の慎みという、如何にも演歌チックな情景が描かれていますし、筒美京平の附したメロディにしても、マイナー系のコードを多用しつつも、耳馴染みの良いスケールを基本にした楽曲の流れの覚え易さは流石の一言!

当然ながら、おそらくは「12弦」を使ったと思われるエレキサウンドやソフトロック調のホーンセクション、せつないコーラスの適切な用い方等々、これまた筒美京平ならではアレンジも素晴らしく、だからこそ、この「私は忘れない」は小川知子や奥村チヨがレコーディングしても、堂々のシングル盤A面曲になるはずが、それでも岡崎友紀で制作されたのは冒頭に述べた様な企画段階での意図が明解だったからじゃ~ないでしょうか。

皆様ご存知のとおり、当時の岡崎友紀はテレビドラマの「18歳」シリーズで爆発的な人気を集めており、明るくて愛くるしいルックスと的確な演技力に加えて、歌唱力も抜群でしたから、きっちりレコードも作られていたんですが、ここまで決定的な歌謡ヒットを出したとは言い難く……。

もちろん、サイケおやじとしては「しあわせの涙」や「花びらの涙」等々、大好きなシングル曲を蔑ろにするつもりはございません。

ただ……、当時の歌謡界では、例えアイドルであったとしても、幾分の湿っぽい、時には演歌チックな表現が求められていた事は否定出来ず、それがジャストミートすれば絶対的な大ヒットは間違いなかったという現実は揺るがせに出来ません。

そこで岡崎友紀の「私は忘れない」こそが、それこそ忘れられないヒット曲になったのもムベなるかなっ!?

繰り返しますが、失礼ながら、これを奥村チヨ小川知子が歌っていたら、当たり前過ぎて、それなりのヒットにしかならなかったと思うのは、サイケおやじだけでしょうか……?

ちなみに岡崎友紀と筒美京平の相性の良し悪しついては、好き嫌いが確かにあるらしく、なかなか答えの出ない議論かと思います。

そして個人的にはシングル曲では、この「私は忘れない」、アルバムでは弘田三枝子の「渚のうわさ」、平山三紀の「フレンズ」や「ノアの箱舟」等々の他に彼女自身のオリジナル曲を含む全篇を筒美京平の作編曲で纏めた「アルバム 4」が絶対の必聴盤ですよっ!

CD化の状況は不明ですが、皆様には激オススメの傑作と思います。

ということで、湿っぽいメロディを書かせても筒美京平は超一流!

度々述べて来たとおり、故人の洋楽趣味(?)と和風モードの折衷技法は天才の証明ですから、一方向からの鑑賞なんてのは勿体無いかぎりで、だからこそ、大衆的なヒット曲を量産発表出来たものと思います。

あぁ~~、生きているうちに、その全てを聴けるのかなぁ~~。

それも夢であります (^^♪


追悼・筒美京平:再び松本伊代を聴きながら

2020-10-29 17:30:44 | 歌謡曲

ビリーヴ / 松本伊代 (ビクター)

先日ご紹介させていただいた「ラブ・ミー・テンダー / 松本伊代」の勢いで、同じく所有している彼女のレコードを取り出した中に、発売当時から気に入っていた楽曲がありましたので、あらためて確認してみたら、その昭和59(1984)年末にヒットしたA面曲「ビリーヴ」が故・筒美京平からの提供作品でしたので、本日のお題と致します。

結論から申し述べれば、これもまた、その頃にウケていた洋楽ヒットからの絶妙なパクリであり、ターゲットになったのは同年夏に我が国でも公開された映画「フットルース」の劇中挿入歌「ヒーロー / Let's Hear It for the Boy」だと思う他は無いほど、サウンドの作りが似ているんですねぇ~~♪

ご存知のとおり、このオリジナルのヒットバージョンはボニー・タイラーであり、さらに我が国では、それ以上に大ヒットしたのが麻倉未稀の日本語カバーバージョンだったんですが、それがまた、松本伊代の「ビリーヴ」と重なる時期から流行り始めていた記憶があり、サイケおやじにしても、確かに別な楽曲である事は認識しているのですが、ど~にも……、どちらが本家本元なのか、迷ってしまったほどです (^^;)

しかし、冷静(?)になって聴いてみれば、そりゃ~~間違いなく、ボニー・タイラーのバージョンが元ネタなのは確かであり、となれば売野雅勇の作詞はともかくも、筒美京平の書いたメロディを巧みに狙いどおりの「ヒーロー / Let's Hear It for the Boy」っぽく仕上げた萩田光雄のアレンジこそ、職人技!?!

それこそが称賛されるべきかもしれません。

なにしろボニー・タイラーと麻倉未稀の両バージョンにはピアノ等々のアコースティック系の楽器が使用されているところを松本伊代の「ビリーヴ」では徹底したシンセ系キーボードに置き換えていながら、キメのシンドラなんかは、ほとんど同じという潔さ(?)は確信犯と云うには見事過ぎるんじゃ~ないでしょうか。

つまり、「パクリ」というよりも、「コピー」という言葉を適用したくなるのが、サイケおやじの本音なんですよ。

このあたりは皆様にも、ド派手なリズム&ビート、華やか過ぎるコーラス、そしてイントロから全篇とおしてのサウンドの作り方が、本篇メロディを元ネタに馴染ませる抜群の効果!? 

と、ご確認願いたいところなんですが、いかがなものでしょう。

そして、この背景には、松本伊代の「ビリーヴ」が昭和59(1984)年10月からスタートしたテレビドラマ「転校少女Y」の主題歌だったの同じく、麻倉未稀の「ヒーロー」も重なる時期に放映されていたテレビドラマ「スクールウォーズ」の主題歌になっており、両方が共にTBS系列の番組であったというのですから、これが偶然だったとしたら、運命の罪深さを感じてしまいますねぇ~~~。

告白すれば、サイケおやじは問題のテレビドラマは両方共に見ていないので、何とも言い難いわけですが…… (^^;

ちなみに、これまた皆様ご存知のとおり、件の「ヒーロー / Let's Hear It for the Boy」には、もうひとつの有名な日本語バージョンが存在していて、それは葛城ユキが昭和59(1984)年7月に発売したシングル盤のA面に収録されているんですが、この両方の日本語カバー版「ヒーロー」にしても、また松本伊代の「ビリーヴ」にしても、全部の作詞に売野雅勇が関わっているのですから、恐れ入りますよっ!

しかし、そんなこんなを鑑みても、松本伊代の「ビリーヴ」で作曲された筒美京平のメロディの美味しさは絶品!

その一言が全てでありますっ!

そこには麻倉未稀や葛城ユキの派手な歌いっぷりに比べて、明らかに力負けしている松本伊代のボーカルを活かすべく、巧みなコードチェンジや日本人好みの「泣きメロ」が仕込まれているんですから、サイケおやじは何度聴いても、飽きないんですねぇ~~♪

う~ん、この「ビリーヴ」を麻倉未稀や葛城ユキが演じたら、どんなもんになるんですかねぇ~~~!?

なぁ~んてことまで、妄想してしまうんですが、事によると既に恣意的なカバーが世に出ている様な気さえしています。

しかし、最後に本音としては、今だったら、「ビリーヴ」を歌って欲しいのは、丘みどり♪♪~♪

そんな夢も抱いてしまうのでした。


不調輪唱

2020-10-28 19:38:59 | Weblog

仕事が縺れて……、軽い眩暈もあって、おまけにスマホも絶不調……(+_+)

早く帰りたいのに、まだまだ解放されそうになりません。

とりあえず、本日は、これにて失礼させていただきます <(_ _)>


追悼・筒美京平:続・黄色いレモンを聴きながら

2020-10-27 17:46:11 | 歌謡曲

黄色いレモン / Gus Bakkas (Polydor / 日本グラモフォン)

昨日述べたとおり、故・筒美京平の残した夥しい傑作メロディの中で、最初にレコード化されたのは「黄色いレモン」だったんですが、諸事情からクレジットは師匠であった「すぎやまこういち」名義になってはいたものの、やはり楽曲の新鮮さがあったからでしょうか、発表された昭和41(1969)年以降、様々な歌手やグループによって所謂競作盤が作られています。

しかも特筆すべきは、外タレによって吹き込まれたレコードが、サイケおやじの知る限りでも4枚ほどあり、当然ながらカタコトがウリの日本語バージョン、意訳も含めた英語バージョン、さらにはインストバージョンまでも作られているのですから、それもこれも筒美京平には基本的に洋楽指向があったからだと思います。

で、その中からサイケおやじが特に気に入っているのが、本日掲載したガス・バッカスのバージョンで、シングル盤の両面は共に「黄色いレモン」が収録されているわけですが、まずA面はガス・バッカスが「For I Smile 'Cause I Think Of You」のサブタイトルで自らが歌詞をつけた英語バージョン!?!

そしてB面は外タレ盤には定番の「カタコト」日本語バージョンになっておりまして、当然ながら作詞のクレジットは橋本淳になっているんですが、アレンジに関しては両方共に記載がありません。

しかし、このシングル盤の発売元が当時の筒美京平=渡辺栄吉が洋楽担当のディレクターとして勤務していた日本グラモフォンである事から、もしかしたら筒美京平が自らの仕事かもしれません。

実際、原曲の基本はフォークロック調の歌謡曲ではありますが、このガス・バッカスのバージョンは、望月浩や藤浩一のバージョンよりは僅かに黒っぽいソフトロック調に仕上がっている様に思います。

ちなみに、ガス・バッカスは我が国では青山ミチのカバーバージョンでもお馴染みの「恋はスバヤク / Short On Love」の大ヒットで知られる存在ですが、その後は鳴かず飛ばずと申しましょうか、そのプロフィールにしてもドイツを中心に欧州で人気を集めていた歌手という程度しか流布していなかったのが当時の我が国での実情でした。

しかし、後にサイケおやじが知ったところでは、本来はアメリカ人らしく、1957年に「Come And Go With Me」のメガヒットを飛ばした白黒混成のコーラスグループとしては音楽史にその名を刻すデル・ヴァイキングスのメンバーだったというのですから、これまたクリビツテンギョ~~!?

ところが順調に芸能活動をやっている最中、徴兵され、ドイツに駐留した時に吹き込んだのが前述「恋はスバヤク / Short On Love」だそうですが、結果として、この楽曲が流行ったのは我が国だけだったと云われています。

ただし、ガス・バッカス本人のドイツでの人気は相当に高かった様で、同国でのヒット曲は、1990年代に入ってもベスト盤が売られていたほど多いみたいですよ。これはサイケおやじが、その頃のドイツのレコード屋で接した実情です。

あぁ~~、今となっては、それを買ってこなかったのが幾分の心残りであります。

閑話休題。

ですから、もしも筒美京平がガス・バッカスのレコーディングに関与していたとしたら、ちょっとしたR&Bっぽさを隠し味にしたのも、納得する他はありませんが、果たして真相はっ!?

ということで、ソングライターとして活動し始めた時から既にしての洋楽指向は言わずもがなの好例が、このガス・バッカスが歌う「黄色いレモン」かと思います。

そして、同じ楽曲でも、その汎用性の高い作風こそが、なんでもありの昭和歌謡にはジャストミートしていたと思えば、自ずと業界からの注目度も高まっていたと思われます。

「創作家は処女作に収斂する」の至言は、天才たる筒美京平を以って証明されるのでしょうか?

不遜ながら、その答えを見つける作業も、これまた楽しいレコード鑑賞の日々と思うばかりです。


追悼・筒美京平:黄色いレモンを聴きながら

2020-10-26 19:53:25 | 歌謡曲

黄色いレモン / 望月浩 (東芝)

掲載したのは、今となっては有名過ぎる、これが筒美京平の作曲家としての処女作「黄色いレモン」をA面に入れた望月浩のシングル盤です。

発売されたのは昭和41(1966)年9月で、歌っている望月浩は青春歌謡のアイドルスタアとして、当時は人気絶頂! ですから、この「黄色いレモン」にしても、筒美京平の盟友とも云える橋本淳が作詞を担当した爽やかなフォークロック調の仕上がりになっているんですが、なんとっ!

レーベルのクレジットを確認すれば、そこには作編曲に「すぎやまこういち」という、これまた偉大なるソングライターの名前がっ!?

という様な不思議な現実について、実はサイケおやじが諸々の真相を知りえたのは、既に昭和も末頃でして、この私有盤にしても、母が営んでいた洋裁店のお得意様だった某女史が望月浩の「おっかけ」だったらしく、それゆえに憧れのスタアのシングル盤が発売される度に母の店にも配られていたそうで、確かに我が家には望月浩のレコードが10枚以上は残っています。

ただし、サイケおやじは特段に望月浩のファンでは無く、なんとなく接していただけの話なんですが、前述したとおり、この「黄色いレモン」こそが、筒美京平の記念すべき初レコード化作品と知ってからは、聴き方も変わってしまったのが本当のところです。

で、何故に「すぎやまこういち」名義なのか?

この件については、当時の筒美京平は未だ「筒美京平」にはなっておらず、本名の渡辺栄吉として日本グラモフォンの洋楽担当ディレクターであり、特に重要な仕事は海外の歌手に日本産歌謡曲をカバーさせるという、例えばジョニー・ティロットソンの「バラが咲いた」を見事にヒットさせた実績は今や歴史でありましょう。

で、「すぎやまこういち」や「橋本淳」との関係も、サイケおやじにとっては聊か曖昧な知識ではありますが、「筒美京平」は「橋本淳」の紹介により、「すぎやまこういち」の薫陶を受けたというのが、これまた今日までの歴史である以上、おそらくは楽曲発表に至る過程において、日本グラモフォンの社員であった「筒美京平」が他社制作のレコードに関わる事は様々なゴタゴタを引き起こすとの判断があったものと思われます。

しかし、これまた後付けで知った情報ではありますが、この「黄色いレモン」は決して望月浩のバージョンがオリジナルではなく、同時期のちょい前に「筒美京平」が働いていた日本グラモフォンより、藤浩一と名乗る歌手のレコーディングバージョンが発売されていたんですねえ~~。

残念ながら、サイケおやじは問題のシングル盤を所有しておりませんので、クレジットは確認出来ませんが、楽曲出版の諸事情を鑑みれば、そこも「すぎやまこういち」名義になっているんじゃ~ないでしょうか? これは皆様からの情報を待つばかりでございますが、音源だけはカセットコピーながら持っているので、実際に聴いてみると、望月浩のバージョンよりも、さらにフォークロック風味が強い仕上がりになっており、好感が持てます。

ちなみに藤浩一は、後にアニメや特撮ドラマの主題歌等々で大ブレイクする「子門真人」である事は知る人ぞ知る!

ということで、これまた今では歴史になっていますが、「黄色いレモン」は当時、各社から数種類のカバー競作盤が発売されている事からしても、やはり業界から注目されていた名曲だったはずで、当然ながら「すぎやまこういち」よりは日本グラモフォン社員の渡辺栄吉、つまり「筒美京平」の存在は既に始まっていたのでした。

そして、前述のカバー競作盤の中から、サイケおやじの大好きな1枚を発見するので、それは明日ご紹介させていただく所存であります。


追悼・筒美京平:新藤恵美を聴きながら

2020-10-25 17:46:30 | 歌謡曲

口笛吹いて / 新藤恵美 (RCA)

新藤恵美はサイケおやじにとって、常にギラギラしたイメージがあったので、本日掲載のシングル盤にしても昭和50年代中頃に中古屋で邂逅した瞬間、そのジャケ写デザインの迫力(?)の所為もあり、てっきり和物グルーヴのポップス歌謡と思いきや、ウリのA面曲「口笛吹いて」は、ちょっぴり演歌系コブシも入った歌謡フォークだったんですから、二度吃驚とは、この事です。

と言うのも、この「口笛ふいて」は昭和44(1969)年の発売ではありましたが、サイケおやじにはリアルタイムで聴いた記憶が無く、さらに楽曲クレジットを確認してみれば、そこには「作編曲:筒美京平」という、偉大なる文字列(?)がっ!

う~ん、イントロから湿っぽさが全開のメロディ展開には新藤恵美の乙女チックな節回しがジャストミートしていますし、山口かおりの綴った歌詞のイノセントな心象風景と申しましょうか、しっかりと純情可憐なイメージを慎重に節回すあたりは、流石に「女優のレコード」の証明かもしれません。

そしてアレンジには曲タイトルどおりに口笛が巧妙に使われ、間奏においてもソロパートが用意されているという分かり易さはヒット曲作りの大切な要件と思うばかりです。

また、アコースティックギターの伴奏やストリングスの薄い使い方もニクイばかりと思えば、何故にサイケおやじが、この名曲名唱にリアルタイムで惹かれなかったのか? 我ながら不思議でもあり、己の不明を感じ入ってしまいましたですよ。

ということで、あらためて述べるまでもありませんが、故・筒美京平は弾けるような歌謡ポップス、R&B~ソウル・ディスコ歌謡路線と同等に、こ~ゆ~マイナー調の正統派歌謡曲でも素晴らしいメロディを紡ぎ出しておりました。

今後、必ずや出るはずの追悼盤企画には、そ~ゆ~音楽指向別のコンピレーション作を強く望んでおります。

ただし、これにはレコード会社や版権管理会社等々の縄張り(?)問題も横たわっているはずで、しかし、今回は偉大なる筒美京平の追善に事寄せて、そんなこんなの「壁」が取り払われる事に期待しているのでした。


追悼・筒美京平:松本伊代を聴きながら

2020-10-24 19:33:37 | 歌謡曲

ラブ・ミー・テンダー / 松本伊代 (ビクター)

所謂「1980年代アイドル」の中でも、そのデビュー時から筒美京平と関係性が深い女の子シンガーとしては、松本伊代は無視出来ない存在でしょう。

もちろん、彼女がトップアイドルとしてブレイクしたのは、本人のヤル気と天賦の才があった事は間違いありませんが、皆様ご存知のとおり、松本伊代が芸能界入りした時期は石川秀美、早見優、小泉今日子、中森明菜堀ちえみ等々、ここに名前を挙げた以外にも強力なライバル達が大勢活躍していたのですから、とにかく歌手として目立つためには、ヒット性感度の高い楽曲をスタッフが用意したはずで、となれば筒美京平への発注は必然だったと思われます。

そして、だからこそ、当時の筒美京平のハードワークは残されたレコードを確認するだけでも驚異的であり、しかも質の高いメロディやアレンジを次々に提供し続けていたのですから、流石の神業としか思えません。

そのあたりを「パクリ」とか「焼き直し」が多いから可能!?

なぁ~んて揶揄するのは易いでしょう。

しかし、それなら何故、他の同業者とは別格の活躍が残せたのかを考察してみれば、サイケおやじとしては、まずは業界ばかりか、世間一般の流行と需要に敏感であった事が大きな要因だったと思っています。

平たく言えば、最新の洋楽ヒットから日本人ウケする「何か」を発見抽出する感覚に優れていたのが故人の才能であり、そこから作詞家やアレンジャーとの共同作業を前提にしての仕事を進めていったんじゃ~ないでしょうか?

以上は、あくまでもサイケおやじの穿った妄想であり、生意気で生煮えの考えではありますが、あえて一例として本日ご紹介させていただきますのが、昭和57(1982)年春に大ヒットした松本伊代のデビューから2作目のシングル曲「ラブ・ミー・テンダー」です。

告白すれば、サイケおやじは初めて聞いた瞬間から大好きになってしまった個人的愛聴曲でして、松本伊代のルックスとは幾分ズレている感もある持ち前のアルトボイスによって歌われるオールディズ系アイドル歌謡は、今も色褪せていないと思うほどです。

ただし、これは元ネタも大らかなほどに明解明白でありまして、特にサビのメロディやハーモニーがイギリスのポップスシンガーとして前年に大ブレイクし、我が国でも人気を集めたシーナ・イーストンが放ったメガヒット「モーニング・トレイン / 9 to 5 (Morning Train)」からの借用でしょうねぇ~~。

ですから、松本伊代の「ラブ・ミー・テンダー」をカラオケなんかだと、そこんとこで思わず「My baby takes the morning train」と歌ってしまいそうになるのはサイケおやじだけではないと思うんですが、いかがものでしょう。

また、全体のアレンジが当時リバイバル的に注目されていた元祖モータウンサウンドみたいなリズムやビートに支えられているのも特筆したいところで、それは鷺巣詩郎のイイ仕事♪♪~♪

全体として「モーニング・トレイン / 9 to 5 (Morning Train)」よりもテンポアップした曲調を活かすべく、モダンでありながら懐古趣味も刺激してくれるという、全くサイケおやじが好みのツボがド真ん中というわけです。

ちなみに作詞は湯川れい子ですから、女の子モードが全開になっているのは言わずもがな、そこに附された特にAメロの素晴らしさは、これぞっ!

筒美京平の真骨頂とも云うべき黄金律♪♪~♪

あぁ~~、これがヒットしないわけがありませんよねぇ~~ (^^♪

松本伊代の歌いっぷりの迷いの無さも素晴らしいと思うばかりです。

ということで、今週は「筒美京平」三昧でありました。

本来、「追悼」は湿っぽく、しめやかな気持ちが優先されるべきなんでしょうが、故人の残してくれたメロディを聴くほどに、抑えきれない「幸せ」や「喜び」を感じてしまいます。

それを「音楽」という言葉の意味で括るのも可能ではありますが、あらためて故人の偉大さに感服し、感謝の念を強くしているのでした。

合掌。


追悼・筒美京平:荻野目洋子を聴きながら

2020-10-23 19:57:31 | 歌謡曲

北風のキャロル / 荻野目洋子 (ビクター)

この世の中、何事も自分を理解してくれる協力者の存在は実にありがたく、それは仕事においても、良い成果が残せるなんてこたぁ~、言うまでもありません。

例えば作曲家は、企図した狙いを的確に増幅してくれるアレンジャーとの協調・協力関係が欠かせませんし、もちろん自らが編曲を担当する場合も含めて、所謂「パクリ」を活かすも殺すも、これまた重要なポイントになってるんじゃ~ないでしょうか?

例えば本日掲載のシングル盤A面収録「北風のキャロル」は、荻野目洋子が昭和62(1987)年秋に放ったヒット曲で、全くの未見ながら、テレビドラマの主題歌にもなっていたそうですが、それよりも印象的なのは、同時期に流行っていた英国産のナツメロ系デジタルポップスが巧みに取り入れられている事でして、売野雅勇が提供の歌詞に附されたメロディは案の定(?)筒美京平の作曲!

しかも、さらに分かり易いウケを狙ったといえば不遜は免れませんが、サビがモロにマイケル・ジャクソンのオンタイムでのメガヒット「Bad」なんですよねぇ~~~!?!

これは当時から、如何にも素早いパクリと称賛(?)されていたはずで、なにしろ、きっちり歌詞の中に「You're really bad bad my bonny」というパートがあり、それをミエミエに露出(?)させた大サービスこそが「筒美京平」という錦の御旗であるとすれば、既に述べたとおり、楽曲の全体像の印象を仕上げたアレンジャーが新川博というのも、結果論かもしれませんが、確かに説得力があります。

で、ここで提出させている雰囲気の元ネタは、聊かサイケおやじの守備範囲からは外れますが、それでも洋楽ヒットの流行最前線だったという判断に間違いはないはずで、告白すれば、長い間……、僅かながらも心の蟠りになっていたほど……。

う~ん、おそらくはイギリスから登場していたスウィング・アウト・シスターと名乗るグループのヒット曲のひとつじゃ~なかろうか?

とまでは、なんとか感じる事は出来たんですが、それがどのように導入されているのか、詳らかなところは解明出来ていません。

ただし、イントロの構成とか、ユーロビート風のサウンドイメージが妙にモータウンっぽかったりするもんですから、「英国産のナツメロ系デジタルポップス」なぁ~んて、コジツケてしまった次第なんですが、それにしてもマイナーキーの使い方とか、大元をキメたのは流石に筒美京平の天才でありましょう。

また、新川博は以前にも書いたんですが、昭和50年代中頃からユーミンのバックバンドでキーボードプレイヤーとして活躍しており、他にも中原めいこ伊藤智恵理、そして荻野目洋子等々のアイドルのレコーディングやステージライブにも関わっていた俊英ですので、気になる皆様は拙ブログ内だけでも、検索お願い致します。

ということで、「パクリ」に関して、荻野目洋子の「北風のキャロル」では作詞・作曲・編曲それぞれの担当者がひとつの方向性を持っていた好例と思います。

それを「共謀」とか「共犯」とか、責めるのは易いわけですが、そうした制作現場の諸々は絶対的な職人技が集積されていたはずで、なかなか興味津々です。

そして出来上がった「北風のキャロル」を見事に歌ってしまう荻野目洋子の素晴らしさ♪♪~♪

筒美京平の楽曲をそれほどはレコーディングしていない彼女ではありますが、まさに一期一会の傑作と思っています。


追悼・筒美京平:岩崎宏美を聴きながら

2020-10-22 18:07:24 | 歌謡曲

素敵な気持ち / 岩崎宏美 (ビクター)

「パクリ」を堂々とやっているソングライターの夥しさは、あらためて述べるまでもありませんが、その元ネタを探し、指摘するという作業は卑屈でもあり、天邪鬼な楽しみという現実は、ご理解いただきたいところです。

もちろん、やってくれた(?)本人に問い質すなんてこたぁ~~、愚の骨頂、不粋の極みであり、逆に指摘されたソングライターその人から、「君は、そこまでしか分からなかったのか?」なぁ~んて言われたら、もはや立つ瀬はありません。

ですから、サイケおやじが「パクリ」に対しては、「ニヤリ」とする方を好むのは、そこに起因しているところが大きいのです。

逆に言えば、確かに「パクリ」と気がついているのに、その元ネタが、ど~にもイマイチ判別出来ないという、その「もどかしさ」だって、お気に入りの歌や演奏を楽しむ術に結びつけるという、それさえも前述した天邪鬼の表れと居直っている次第です。

さて、そこで本日は、そんなこんなの好例(?)と申しましょうか、岩崎宏美が昭和58(1983)年春に出した掲載シングル盤A面曲「素敵な気持ち」をお題にさせていただきます。

もちろん、それは康珍化の綴った歌詞に附された故・筒美京平が提供のメロディについて、オンタイムで初めて聞いた瞬間、これって前年晩秋から大ヒットしたマイケル・ジャクソン&ポール・マッカートニーのデュエット曲「ガール・イズ・マイン / The Girl Is Mine」だよなぁ~~~!?

という印象でして、しかも萩田光雄が施したアレンジにはイントロのギターは言うに及ばず、ストリングスやキーボード類の使い方にしても、本家本元の雰囲気を極めて大切にしているあたりは、正に職人技と思うばかりです。

ただし、故人が作り出したメロディの中で、元ネタが明確になっているのはキメのフレーズである「because the girl is mine」を「素敵な気持ち」に替え歌(?)したぐらいしか、サイケおやじには分からず、しかし、それでいて全体各所には当時流行の洋楽AORの美味しい雰囲気が塗されていると思わざるを得ないんですから、完全脱帽です。

そして当然ながら、岩崎宏美の素晴らしい歌唱力がなければ、ここまで素直に素敵な雰囲気には仕上がらなかったはずです。

実際の制作過程や現場の進行状況は全く知る由もありませんが、世界中で爆発的にウケしていたマイケル・ジャクソンの雰囲気で!?

という狙いがあったとしたら、既にアダルトシンガーに転身(?)していた彼女には、「ガール・イズ・マイン / The Girl Is Mine」が選ばれるのが必然だったと思われますし、レコードを聴く限りでも、歌手としての岩崎宏美の本気度は半端無く伝わって来ると思うんですが、いかがなものでしょう。

もしも、本当に元ネタが前述「ガール・イズ・マイン / The Girl Is Mine」だったとしたら、今回の「素敵な気持ち」は全体的にオリジナルに勝っているとは思いませんが、岩崎宏美の歌を楽しむという所期の目的は完全に達成されているはずですし、それも製作スタッフ全員のプロ意識の高さでありましょう。

おそらくは今後、故・筒美京平の徹底した研究は更に深まるはずですし、それに関与した制作スタッフについても、じっくりと掘り下げられる事を期待しております。