OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

歌も素敵な梶芽衣子

2010-09-30 16:47:42 | 歌謡曲

この新しい朝に c/w 雨の夜あなたは / 梶芽衣子 (テイチク)

梶芽衣子と言えば、「野良猫ロック」や「女囚さそり」といったヒットシリーズの主演により、今ではクールビューティな孤高の存在というイメージが一般的かと思います。

また当時は歌うことも当たり前だった女優としての資質を活かし、前述した「女囚さそり」の主題歌として説明不要の「怨み節」という大ヒットも放っていますから、昭和50年代には「地震・雷・梶芽衣子」と言われたほど!?

しかし梶芽衣子にはもうひとつ、そういう強い印象の中に女の可愛さ、弱さ、優しさを自然体で滲ませることの出来る素晴らしい演技力があります。

そのあたりは彼女が出演した映画やテレビドラマに夥しく残されていますが、同時に歌の世界でも立派な「演技」として楽しむことが出来るんですねぇ~♪

本日ご紹介のシングル盤は、歌手としての梶芽衣子が昭和49(1974)年に制作発売したトータルアルバム「去れよ、去れよ、悲しみの調べ」からのカットなんですが、実はリアルタイムではヒットしたとは言えません。

しかし件のアルバムは、今やソフトロック歌謡の大名盤としてCD化された事でも明らかなように、そこで表現されていたコンセプトを凝縮したような、これは素敵な2曲のカップリング♪♪~♪

ちなみにそれは夏の日の恋と別れ、失恋の痛手から揺れる心の動きをせつない女心で綴り、梶芽衣子が歌で演じきった主演作という趣だと思います。

で、A面の「この新しい朝に」は、アルバムではB面トップに置かれたお洒落な歌謡フォークで、エレガントなストリングスアレンジに包まれ、ゆったりと歌う梶芽衣子はソフトな情感と凛とした佇まいを両立させる快唱です。しかも中間部のハミング&スキャット、さらに慎んだ笑い声が、実に良いんですねぇ~♪

もちろん秘めた情熱と新しい旅立ちを告げる津坂浩の作詞、道夕介の書いた独得の浮遊感が心地良いメロディ、そして青木望の余裕のアレンジも秀逸の極みといって過言ではないでしょう。

一方、B面収録の「雨の夜あなたは」は、アルバムではA面ラストに置かれた正統派歌謡曲の決定版!

雨の夜に訪ねて来た男は、もしかして……。

という未練と決別の間で揺れるせつない女心を演じる梶芽衣子の歌は、男が聴いても胸キュンは間違いないところでしょう。いや、男であればこそ、尚更にやるせないムードが横溢しているような気がするほどです。

ちなみに作詞は、こうした歌が十八番のなかにし礼、そして作曲が意外にも、かまやつひろし!?

う~ん、これにはクレジットを見た瞬間、悶絶させられましたねぇ~♪

流石はムッシュかまやつ!

いゃ~、完全に浜圭介&奥村チヨの路線ですよっ、これは!

さらに矢野立美の編曲も絶妙にツボを押さえているのですから、たまりません。

そしてこちらがA面扱いだったら、絶対にヒットしたと思うばかりなんですよねぇ~~。

ということで、これは歌手としての梶芽衣子を書きたかった、そのきっかけに過ぎません。

実は彼女は、なんと150曲以上の録音を残していると言われ、しかし現在では、そのほとんどを簡単に聴くことが出来ないという不条理です。

それでも近年は、少しずつではありますが、映画サントラ音源等々を含む珍しいところも復刻されていますが、願わくば集大成的な箱物が出ることを願うばかりです。

最後になりましたが、冒頭でご紹介したアルバム「去れよ、去れよ、悲しみの調べ」には、まさに女優としての梶芽衣子が真骨頂の「語り」も存分に収録されていますから、本当にシビレますよ。

それはもちろん、一般的なイメージのハスッパなツッパリではありませんから、これは聴いてのお楽しみ♪♪~♪

梶芽衣子は決して、「怨み節」ばかりでは無いんです。

そして奇蹟のように素晴らしい、歌の演技を残してくれたことに、感謝です。

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エヴァリーズの扉を開く

2010-09-29 16:34:13 | Pops

Crying In The Rain / Everly Brothers (Warner Bros. / 東芝)

さて、サイモンとガーファンクル=S&Gの「Bye Bye Love」によってエヴァリー・ブラザースへの扉を開かれたサイケおやじは勇躍、彼等のレコードを聴く決意も虚しく、結局はお金が無いので中古盤屋へ行くしか無かったのですが……。

その昭和46(1971)年当時は既にエヴァリーズの全盛期が去ってから10年近く経っていた所為もあり、なかなか状態の良いブツには出会えませんでした。

というか、リアルタイムの我国でエヴァリーズがどの程度の人気があったのか、ちょいと知る由もなかったのが本当のところでしたし、エヴァリーズのキャリアさえ、その頃は忘れられていたんじゃないでしょうか?

少なくとも高校生だったサイケおやじは、もしもS&Gの「Bye Bye Love」を聴かなかったら、エヴァリーズに興味を抱くはずも無かったわけです。

そこで有用だったのが、本屋の立ち読みならぬ、レコード屋での付属解説書の立ち読みでしたが、これがなかなか勉強になったんですよっ! 知らないレコードを買う時には、これが一番でしたし、それでいて、実際に入手する先は中古屋なんですから、本当にサイケおやじのセコイ行動をお笑い下さいませ。

で、そうやって知り得たエヴァリー・ブラザースとは、ドンとフィルの兄弟デュオなんですが、実は両親が既にローカルスタアとしてラジオ番組を持つほどのカントリー&ウェスタン歌手だったことから、この兄弟は幼少の頃からプロのステージに立つほどの才能があったそうです、

つまりエヴァリーズは最初っからファミリーグループとして、局地的に認められた存在だったというわけです。

そしてドン&フィルは1956年に有名なギタリストであり、プロデューサーでもあったチェット・アトキンスに認められ、カントリー&ウェスタンの総本山とも言うべきナッシュビルで兄弟デュオとしての活動を本格化させ、公式デビューとなるシングル盤も発売するのですが、最初は鳴かず飛ばず……。

と言うのも、後に知ったことですが、当時のエヴァリー・ブラザースは白人でありながら最先端の流行になっていたR&Rのフィーリングを自然体で身につけていたらしく、カントリー&ウェスタンが主流の巡業に参加すれば、そこは白人の聴衆ばかりということで、黒っぽい感覚を野次られるといった中途半端な存在だったようです。

しかし時代は既にエルヴィス・プレスリーの登場によって黒人の様に歌える白人が求められており、そこにユニゾン&ハーモニーコーラスで歌うエヴァリーズは、全くのニューウェイヴだったのでしょう。

ついに翌年には前述した「Bye Bye Love」が最初の大ヒット!

以降は所謂アンプラグドなR&Rをベースにした元祖カントリーロック的なスタイル、あるいは夢見る十代向けの甘いパラードの二本立で、多くのシングルヒットを放つのですが、所属レコード会社をケイデンスからワーナーに変えた1960年頃からは、さらに洗練されたポップス指向が強まった楽曲を出す様になり、いよいよ全盛期を迎えたのです。

そこで本日ご紹介のシングル盤は中古ながら、サイケおやじが初めて買ったエヴァリーズの1枚で、本国アメリカでは1962年春の大ヒット♪♪~♪

しかも後追いで聴くサイケおやじには、アコースティックギターとドラムがメインのイントロやエレギギターのオカズの彩り、またユニゾンのボーカルとシミジミ系の曲メロのムードが、ほとんどS&Gに思えましたですねぇ~♪

う~ん、これだったのかぁ~~~♪

そして、さらに追い撃ちの衝撃だったのは、曲を書いたのが当時、つまりサイケおやじがこのシングル盤を入手した昭和46(1971)年、シンガーソングライターブームでメキメキと注目を集めていたキャロル・キングだったのですから、たまりません。

十八番の胸キュンフィーリング、些かネクラなAメロから情熱的なサビの展開をスマートなコーラス&ハーモニーで歌ってしまうエヴァリーズは、全く古さを感じさせないポップスの根源的な魅力に溢れています。そこにビートルズやピーター&ゴードン、そしてS&Gが影響を受けるのも当然の秘訣があるんじゃないでしょうか。

こうしてエヴァリー・ブラザースの虜になったサイケおやじは以降、ジワジワとではありますが、この素晴らしき兄弟デュオのレコードを集め始めたというわけです。

もちろんエヴァリー・ブラザーズが大活躍していた頃の業界はシングル盤優先主義でしたが、しかし人気が既に下り坂となっていた1960年代後半から作られたアルバムにも、なかなか素敵な作品がちゃ~んとあるのです。

それらはいずれご紹介するとして、まずはシングルヒット集からエヴァリーズを楽しむ事が、やはり王道だと思います。今日では、それらがCDにきちんと纏められておりますので、ぜひっ!

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B4+S&G=サークル!?

2010-09-28 16:41:21 | Pops

Red Rubber Ball / The Cyrkle (Columbia / 日本コロムビア)

現在ではソフトロックの人気グループとして若い世代に再発見されたサークルも、サイケおやじにとっては、話題先行型のポップスグループでした。

本日ご紹介のシングル曲は、そんなサークルが1966年夏に放ったデビューヒットなんですが、当時は十代だったサイケおやじを何よりもワクワクさせたのが、ラジオのチャート番組や洋楽雑誌で知り得た彼等の正体(?)です。

それはサークルがビートルズのマネージメントだったブライアン・エプスタインの秘蔵っ子であり、ビートルズ最後の全米巡業の前座を務めたとか、さらにはサークルというグループ名はジョン・レノンの発案だったとか!?

するとサークルはビートルズの弟バンド的な存在?

と、サイケおやじは思い込まされました。

また肝心の楽曲は、正統派ポップスとフォークロックが最高に上手く融合した優良品♪♪~♪ しかも作曲がサイモンとガーファンクルのポール・サイモンだと言うのですから、たまりません。

つまり表面的にはビートルズ+S&Gという、実に魅力的なグループだったんですねぇ~♪

メンバーはドン・ダンネマン(vo,g)、トム・ダウズ(vo,b,g)、マーティ・フライド(vo,ds) という3人組で、本来はアメリカ東海岸で歌っていたフォークグループだったと言われています。そして1966年初頭からサイモンとガーファンクルの前座を務めていた事から、既に述べたようにポール・サイモンが書いた「Red Rubber Ball」を譲り受けたそうです。

そしてここで作られた「Red Rubber Ball」のデモテープがブライアン・エプスタインの手に届くという経緯は、あまりにも幸運優先モードでしょう。

まあ、人生には「運」と「出会い」が大切なわけですが、結果的にデビュー曲となった「Red Rubber Ball」が世界中で大ヒットした事は、ちょいとツキ過ぎ!?

その所為でしょうか、以降のシングル曲はヒット状況もイマイチでしたし、豪華なスタッフを配してコロムビアで2枚制作されたアルバムも、リアルタイムでの評判は芳しくなかったようです。

このあたりは実際、サイケおやじが後追いで聴いてみても、このデビュー曲の質の高さには叶わないと思うばかり……。

それが後年、再評価されるなんて、思いもしませんでした。

う~ん、サークルの運気は落ちていなかったんですからねぇ。

ちなみに今ではCD化もされ、すっかり人気盤になった「ザ・ミンクス (Flying Dutchman)」というポルノ映画のサントラ音源集が、最もポップな仕上がりなのも意味深です。なにしろグループそのものは1968年に解散したことになっていて、結局は1970年代に出た「ザ・ミンクス」にしても、実は1967年中頃にメンバーのトム・ダウズがひとりで作っていたものという説が有力なのです。

以降は全くの個人的な推察に過ぎませんが、サークルが尻つぼみに終わったのは、ブライアン・エプスタイン夭逝の影響かもしれませんねぇ……。

ということで、如何にもポップスがど真ん中の甘くて、胸キュンの名曲名演「Red Rubber Ball」を残してくれただけでも、サークルはポップス史上で忘れられないグループになっています。

それは実質、約2年の活動で消えた、淡い夢のようなサークルの真実を一番に表わしているんじゃないでしょうか。

機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。

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四人囃子の衝撃

2010-09-27 16:51:31 | 日本のロック

一触即発 / 四人囃子 (東宝)

日本の芸能史において、ロック部門に多大なる功績を築いたのが四人囃子というバンドです。

と、また本日も堅苦しい書き出しになってしまいましたが、やはりサイケおやじとしては四人囃子を語る時、姿勢を正さざるをえません。その存在感は、日本のロックが全く売れるものではなかった昭和40年代中頃からの数年間、まさに圧倒的!

そして昭和49(1974)年に発売された本日ご紹介のデビューアルバムには、そうした真実がしっかりと記録されていますが、内容に触れる前に、サイケおやじが四人囃子に出会った衝撃を書いておきたいと思います。

それは昭和46(1971)年11月の某大学祭で行われたステージでした。

当時のサイケおやじは高校で入れてもらった同好会のバンドでロックな青春時代を謳歌していたのですが、これまでも度々書いてきたように、その頃は歌謡フォークが全盛でしたから、ロック好きな洋楽ファンは大勢存在しながら、エレクトリックなバンドをやっている者なんか、時代遅れという風潮が確かにありましたし、国内のプロのバンドにしても、GSブームが去っていたこともあり、そのほとんどはゴーゴー喫茶のハコバンあたりが主な仕事という有様で、きっちりロックバンドとしてレコードを出していたミュージシャンは数えるほどでした。

で、そんな状況の中でプロの模範(?)演奏に接することは、前述のゴーゴー喫茶あたりへ行くしか無かったわけですが、それは夜の営業でしたし、そういう場所は不良のたまり場という世間の認識がありましたから、いくら同好会のバンドをやっていたからといっても、高校生が簡単に出入りできるはずもありませんでした。

もちろん外タレのコンサートが、今とは比較にならないほど少なかったのは言うまでもありません。

ですから大学祭で主催されるコンサートは、堂々と行けるイベントであって、しかも先輩達からのチケットの斡旋があるのですから、その時は同好会のバンド組全員でウキウキしながら会場へ行きましたですねぇ~♪

ちなみにお目当ては当時、和製ブリティッシュロックのトップバンドだったブルース・クリエイションで、他にも数バンドが出た中に、前座で四人囃子も含まれていたというわけです。

しかしステージに何んとなく(?)登場した四人囃子は、どう見てもアマチュアバンドみたいな佇まいでした。ただし機材は全員が立派な楽器を持っていましたから、演奏がスタートする前に先輩から、「四人囃子は高校生だよ」という情報には???の気分に……。

う~ん、なんでプロのステージに高校生が出られるのか???

ちょいと不条理なものを感じたのが、その時の正直な気持です。

ところが実際に演奏が始まってからは、吃驚仰天の大ショック!!!

まずメンバー4人の出す音が際立ってはっきり聞こえ、なんだかアドリブの集合体みたいな展開は、それでいて纏まりが素晴らしいのです。

当時も今も、この時の四人囃子が何の曲を演じていたのかは不明ながら、それは第一期ディープ・パープルのようでもあり、サンタナのようでもあり、またクリームだったかもしれませんが、良く言われるようにピンク・フロイドだったような気もします。

そして、とても高校生とは思えない演奏の習熟度には、そんなに年下でもなかったサイケおやじがペチャンコにされるほどの威圧感があり、とても勝てないなぁ……、と心底思うばかりでした。

ちなみに当時のステージライプは、所謂ころがしのモニターは無くて、ボーカルアンプぐらいしか頼りにならない状況の中で、これほどきっちり纏まりをつけた演奏が出来るという実力は、大袈裟ではなく驚異!!!

そのショックがあまりにも大きくて、お目当てだったブルース・クリエイションが何を演じていたのか、コンサートが終わった後でも全く印象に残らなかったほどです。

以上、これがサイケおやじの四人囃子初体験談なんですが、この時のメンバーは森園勝敏(g,vo)、坂下秀美(key)、中村真一(b)、岡井大二(ds) というオリジナルの4人でした。そして後に知ったところでは、この時の彼等は既に高校卒業後はプロになる事を決意し、きっちり楽器も揃え、しかもその支払いのためにゴーゴー喫茶や各地のイベントに出演することで稼いでいたというのですから、実力があった事は言わずもがな、流石に頭が下がります。

というか、ほとんど生活していけない日本のロックに就職するという、その心意気も凄いところ!!!

そして案の定というか、四人囃子のレコードデビューは、なかなか実現しませんでした。しかし本格的なプロ活動に入った翌年からは、様々なライプの現場で高評価を得ていたようですし、サイケおやじが次に接したライプの昭和48(1973)年7月には、日本語歌詞のロックオリジナルを演じていましたですねぇ~♪ しかもそこからは、ピンク・フロイドやディープ・パープルの影響をモロに滲ませつつも、日本的な哀愁やジャズフィーリングが濃厚という、なかなか別次元のサウンドが提供されていたのです。

さて、そこでようやくご紹介のデビューアルバムですが、今では良く知られているように、これは決して四人囃子のファーストレコーディングではありません。

実は我国の業界各社では、ライプ活動の評判から四人囃子の契約を求めて争奪戦があったとされ、またバンド側も納得する制作環境を必要としていた事から、既にデモ録音や映画のサントラ音源制作等々が、デビューアルバムのセッション前に行われていたのです。

このあたりは、ちょいと考えるとマイナス要因かと思われがちですが、実は英米に負けない本格的なロックサウンドを作り出すスタジオ技術を煮詰める上では、結果オーライ!

そして前述のサントラ音源制作の条件をクリアした四人囃子が、晴れて世に問うたのが、この「一触即発」と題された名盤でした。

 A-1 hamabeΘ / ハマベス
 A-2 空と雲
 A-3 おまつり
 B-1 一触即発
 B-2 ピンポン玉の嘆き

まず驚くのがジャケットのシュールな感性で、パイプを咥えた猿と亀と象!?

しかも造りそのものが完全に輸入盤を意識したもので、アルバムタイトルや曲目、スタッフクレジット等々は全て英語で書かれ、加えて曲名も初っ端の「ハマベス」が英語の発音記号になっていた中で、唯一漢字によるバンド名が四人囃子!

おまけにレコード盤そのものが、紙製の内袋に入れられていたという凝りようは、尋常ではありません。

さらに刻まれた音そのものが、当時の日本プレスのレコード中では、かなり音圧が高かったように思います。

そして演じられている各曲の完成度の高さは圧巻!

まず冒頭の「ハマベス」は擬音中心の前衛的な短い露払いという感じですが、続く「空と雲」がマイナーコードを用いつつも、実にジャジーな和製ロックの決定版! ヘヴィなビートが意外とソウルっぽいところもニクイばかりですが、当時の四人囃子と組んでいた専属作詞家の末松康生が書いた日本語詩が、はっぴいえんどっぽくもあり、また妙な郷愁を誘うという味わい深さです。しかもメロウグルーヴと言って過言ではないエレピのアドリブや細かい作業を丁寧に演じたギターも凄いですよ♪♪~♪

そして「おまつり」は、今や日本語のロックでは伝説的な定番となった名曲名演!

ミディアムでクールなビートを土台にしているところは、ピンク・フロイドを否定しようもありませんが、中間部で第一期ディープ・パープルに転進するところは痛快無比で、おそらくは緻密なテープ編集やダビングを繰り返して作り上げられたトラックなんでしょうが、全体のグルーヴは些かも疎かにされていません。

ニューソウルっぽく蠢くベース、全体を俯瞰しながら叩いているようなドラムスの緻密なビート、ジャジーなキーボードに夢見るような鋭いギター、さらに妙に人懐こいボーカル♪♪~♪ 覚え易い曲メロも感度良好だと思います。

とにかくこれは、もう、聴いていただく他はないわけですが、千変万化に躍動する歌と演奏はライプでも絶対的な威力を発揮していましたですねぇ~♪ これを当時、二十歳前後のメンバーがやっていたという事実だけでも、圧倒されるんじゃないでしょうか。

ちなみに曲には「やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった」というサブタイトルがあって、これも末松康生が特有の文学的香りが漂う歌詞と相まって、実に忘れ難い印象を残します。

そしてレコードをひっくり返せば、今度はアルバムタイトル曲の「一触即発」が危険きわまりない姿勢で登場するのですが、実はサイケおやじの鬱陶しい文章とは逆の、実に分かり易い演奏が秀逸! それはスバリ、第一期ディープ・パープルがモロのハードロックから「狂気」以前のピンク・フロイドの良いとこ取りという感じなんですが、ここでも末松康生のシュールな日本語詩が強いインスピレーションを呼び覚ましますから、たまりません。

特にギターとオルガン、そしてロックビートの熱い盛り上がりは、ちょいとニール・ヤングのエレクトリックセットさえ想起させられるほどですし、また同時に後にフュージョン路線の萌芽が確実に存在していることに仰天させられますよ。

おまけに終盤ではオールマンズがキングクリムゾンしてしまったかのような、重傷プログレ症候群ですから、これ以上ないほどの興奮を覚えてしまうのですが、オーラスのパートで突如として鳴り響くピンポン玉の効果音が、そのまんま次曲の「ピンポン玉の嘆き」へと繋がる展開も流石に用意周到です。

で、この「ピンポン玉の嘆き」は、ゆったりとした変拍子のインスト曲ではありますが、その呪術性はロックそのもので、これをピンク・フロイドの亜流と決めつける事は簡単だと思いますが、しかしリアルタイムでここまでやれた日本のロックバンドは皆無だったはずです。

ということで、何度も書いてしまいましたが、これは日本のロックに一石を投じた名盤だと思います。

まず何よりも日本語で歌われていながら、歌謡フォーク味が無く、それでいて歌謡曲っぽいメロディも隠し味的に使われ、さらに全体の音がブリティッシュロックの基本構造に依存するという方向性は、メンバー各人の凄いテクニックと広範な音楽性に支えられていることが明らかでした。

今となっては四人囃子のフロントマンか森園勝敏だったことから、どうしてもリーダーだったと誤解されがちですが、実はメンバー相互の力関係は均等だったことが、このアルバムを聴くほどに痛感されます。

またレコーディングの緻密さも全く同様で、随所に使われるエコーやディレイの使い方の上手さ、またテープ編集の細かい芸は当時の最先端を行くものだったと思います。

そのあたりは、例えば後年に発売された昭和48(1973)年のライプ音源を纏めた「'73 四人囃子」あたりを聴けば納得されるはずで、ここに提示されたスタジオでの詐術も含めて、それをステージの生演奏で立派に再現出来ているバンドの実力には、ひれ伏すばかりでしょう。

いや、本当はライプの現場で練り上げられた歌と演奏が、このスタジオレコーディングで完成されたと言うべきかもしれません。

ただ、それゆえに現在の耳では録音が綺麗すぎるような気も致しますが、リアルタイムでここまでロックしていた日本のレコードは無かったわけですし、失礼ながら、これ以前に日本語のロックとして売っていたキャロルやミカバンドあたりの作品群と比べても、大衆性は劣るかもしれませんが、その本質は明らかに四人囃子の方が核心に迫っていたように思います。

ただし四人囃子は所謂プログレなので、R&R性感度の高さでは前述のバンドに加えて頭脳警察あたりも、決して侮れないでしょう。

つまり当時は、まだまだ日本のロックはGSブームの盛況には遠く及ばず、それでもジワジワと勢力を強めていたという面白い時期でした。

それが昭和49(1974)年の実相であり、その年には外道やサンハウス等々が表だった注目を集めたことからしても、この四人囃子のデビューアルバムは出色!

個人的には決して忘れられない1枚です。

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一緒に歌えるS&G

2010-09-26 16:30:53 | Simon & Garfunkel

Bye Bye Love c/w You Don't Know where Your Interest Lies
                                             / Simon & Garfunkel (Columbia / CBSソニー)

すっかりLP優先主義がまかり通っていた1970年代の洋楽シーンにおいて、しかしそれでもラジオのチャート番組は絶好調でしたから、シングル盤そのものは未だ必要とされていました。

それは例えサイモンとガーファンクルのような、LPが売れまくっていた超人気グループであったとしても、そこからカットされるシングル盤は、また同様の需要があったのです。

何しろ1970年に発表され、忽ち世界中で大ベストセラーとなった傑作アルバム「明日に架ける橋」からは、収録全11曲中、先行シングルも含めて、リアルタイムの我国だけでも、なんと9曲がカットされ、それぞれが大ヒットしている異常事態!?!

おそらく世界中を調べれば、全曲がシングルかコンパクト盤で出されたんじゃないでしょうか。それほど当時のサイモンとガーファンクルは充実した楽曲を生み出していたのです。

さて、その中にあって、本日ご紹介のシングル盤はアメリカではカットされなかった「Bye Bye Love」を、我国独自のカップリングで昭和45(1970)年末に発売したという優れもので、既に前述のLP「明日に架ける橋」を持っていたサイケおやじにしても、買わざるをえないブツでした。

何故ならば、B面収録の「You Don't Know where Your Interest Lies」が、当時はここでしか聴けなくなっていましたからねぇ~♪

というのも、実は本国アメリカでは1967年初夏にシングル「Fakin' It」のB面曲として発売され、我国でも同じカップリングで出されていたのですが、その後の日本では発売権が日本コロムビアからCBSソニーに移った所為で、大袈裟に言えば幻化していたのです。

それがようやく手に入るとあっては、アルバムで聴き過ぎるほど親しんでいた「Bye Bye Love」のB面であろうとも、苦しい経済状態を棚上げにさせる快挙だったのです。

ちなみに日本コロムビア時代の邦題は「涙の瞳」でしたが、このCBSソニー盤では「君の可愛い嘘」に変更されたのもコレクター魂を刺激されるところで、後になって日本コロムビア盤を中古で入手したサイケおやじは、ひとりでニヤニヤしたという嫌な性格です。

肝心の楽曲そのものは、ドラムスとベースを従えながらも、アコースティックギターが全体をリードするシリアスなフォークロックで、如何にもサイモンとガーファンクルらしい厳しさが心地良いんですが、中間部で短く提示されるソフトでお洒落なパートが、これまた「らしく」て素晴らしいですよ。またアコースティックのリズムギターがスカビートっぽいのも要注意でしょう。

現在では、やはり名盤認定のアルバム「ブックエンド」のボーナストラックとしてCD化されていますから。鑑賞は容易です。そしてアナログ7インチでは当然ながらモノラルミックスになっていますので、そのステレオミックスとの聴き比べもマニア心を刺激されますよ♪♪~♪

一方、A面の「Bye Bye Love」がサイケおやじにとっては侮れません。

ご存じのように、この曲は兄弟デュオのエヴァリー・ブラザースが1957年に大ヒットさせた所謂オールデイズのカパー物なんですが、サイモンとガーファンクルがエヴァリーズの影響を受けているのは明々白々ですからねぇ~♪

ここに収録されたのは、恐らくは1969年の巡業で録音されたと思しきライプバージョンで、それゆえに観客の手拍子も楽しく盛り上がった雰囲気の中で、自らネタばらしを演じるという潔さは憎めません。

というか、観客が百も承知の大歓声は、そのまんまレコードを聴いているファンにも共通するものでしょう。

実はサイケおやじが、エヴァリー・ブラザースに真から接したのは、このサイモンとガーファンクルによるところが非常に大きく、そういえばビートルズやピーター&ゴードンも件の兄弟デュオから少なからず影響を受けている云々という洋楽雑誌の記事を実感することになります。

つまり、この「Bye Bye Love」のオリジナルバージョンを聴きたくて、エヴァリー・ブラザースの世界に踏み込んだわけですから、その素晴らしき扉を開けてくれたサイモンとガーファンクルには、いつまでも感謝の気持が絶えないのです。

それと、これが一番重要な事なんですが、前述のLP「明日に架ける橋」に収められているバージョンは、最後の拍手の終りの部分に次曲「Song For The Asking」のイントロが重なっていますから、カセットテープによる自作のベスト選集を作る時は困難を極めるところが、このシングル盤では綺麗に解決出来るんですよねぇ~♪

ということで、実に有用なレコードでした。

思えば当時の我国では、サイモンとガーファンクルがビートルズ以上の人気といって過言ではありませんでした。そこへ加えて歌謡フォークの大ブームが重なり、音楽好きの若者はアコースティックギターを弾きながら彼等の曲を歌っていた中で、この「Bye Bye Love」は覚え易くて楽しいところから、特に人気があったように思います。

というか、実はサイモンとガーファンクルのオリジナル曲は、耳に残る親しみ易さやクールな心地良さとは逆に、演じることは難しいんですよねぇ。特にメロディ展開とリズム感を大切にした語感の歌い回しは、伴奏のギターの巧みさと相まって、なかなかの修練が必要!

ですから、一説によればライプの現場では最後に歌っていたという「Bye Bye Love」のような、皆さんご一緒に歌いましょう~♪ 的な演目は必須だったんでしょうねぇ。また、それが無くては人気が出るはずもないのが、芸能界では当然の掟だったと思います。

今となっては、あんなに凄い「明日に架ける橋」という名盤アルバムに入れられているのも不思議なほどではありますが、あえてオリジナルでは無いオールデイズをラス前に置いた流れの深淵な企みは、このシングル盤だけ聴いていれば、知る由もありません。

そして逆に言えば、それだけサイモンとガーファンクルの「Bye Bye Love」が、如何にシングル向きだったかの証明かもしれないと思うのでした。

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Stones At Budokan

2010-09-25 16:52:34 | Rolling Stones

Honky Tonk Women c/w Street Fignting Man
                          / The Rolling Stones (London / キング)

9月23日、ストーンズの武道館リベンジ公演に行ってきました。

と言っても、いよいよオフィシャル化も間近という1972年のライプ映画「Ladies & Gentlemen」が武道館で先行上映され、そこへ参加しただけなんですが、それでも昭和48(1973)年の来日中止騒動をリアルタイムで体験したサイケおやじにとっては、リベンジ以外の何物でもありません。

と意気込み、悪天候にも負けず、所謂「1st Show」に出かけたわけですが、そこには同世代の中年者が多かった所為もあり、もしかしたらスタンディングでの騒ぎまくりも想定していたサイケおやじの気分は空回り……。

ちょいと肩すかしのイベントではありましたが、流石に武道館とあって、大音量で迫って来るライプ全盛期の勢いは圧巻! 特にビル・ワイマンのペースは地響きでしたねぇ~♪

気になる画質&音質は、それなりに良かったと思いますが、最近のデジタル処理で作られたブートと比べても、そんなに品質が向上したとは言い難いです。つまりブートも、それなりに健闘していたんですよ。

ちなみに集客は、まあまあでしょうか。おそらくは2&3回目の上映はリピーターも含めて、もっと入りが良かったのかもしれません。

あと、不思議にも残念だったのは「Midnight Rambler」のブレイクの時、恒例の「カッチョ、イィ~~」が出なかったことでしょうか。あ~ぁ、自分でやれば良かったと苦笑いですが、やっぱりストーンズは最高!

さて、そこで本日掲載のシングル盤は、その来日中止なんて理不尽があろうとは夢にも思わなかった昭和48(1973)年1月、来日記念発売として特にカップリングされた思い出の1枚♪♪~♪

実はこの時は他にも数種類の記念盤が出たんですが、サイケおやじが何故にリアルタイムでこれを買ったかと言えば、それはB面収録の「Street Fighting Man」が、もしかしたらシングルバージョンのステレオミックス?◎?!▲??

なぁ~んていうスケベ心を全開にしたからなんです。しかし結果はアルバム「ベガーズ・バンケット」収録のステレオバージョンと同じでした。

またA面の「Honky Tonk Women」もベスト盤に採用されることが多い、通常のアルバムバージョンですから、結局は珍しくもないわけで、結果的にジャケットに印刷された「来日記念発売」という文字だけが心の支えというわけです。

ということで、書き遅れましたが、武道館では映画上映とはいえ、ちゃ~んと開演前のBGMも本番コンサート的に流れていましたし、始まりと終りには拍手が自然発生する等々、やはり参集したファンの心意気が感じられました。

そしてサイケおやじは、あの昭和47(1972)年11月、チケットを求めて東急地下に並んだ事、その後の落胆や憤り、さらに抑えきれないストーンズ熱の高まりやアメリカで接した1981年のツアーでの驚き等々が、まさに走馬灯のように浮かんでは消える感慨に耽ったのです。

あれから幾年月……。

ついにやってきた武道館リベンジ公演は、やっぱり凄かったっ!

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アージェントB級グルメ説

2010-09-24 16:55:59 | Rock Jazz

All Together Now / Argent (Epic)

先日は某所で開催されたB級グルメ大会でモツ焼き、ゴッタ煮、焼きそば等々を喰いまくってきましたが、やはり駄菓子屋育ちのサイケおやじには、星が付いたレストランよりも、こっちがジャストミートしていることを痛感でした♪♪~♪

で、そうした好ましいB級グルメっていうのは、何時しか各方面に適用され、例えば洋楽の世界ならばプレグレポップなアージェントが、まさにB級グルメの王様じゃないでしょうか。

特に本日ご紹介のLPは、ブレイクのきっかけとなったシングルヒット「Hold Your Head Up」を含む1972年の傑作盤となるはずが、実は結果的にアージェントはB級の烙印を押された1枚かもしれません。

 A-1 Hold Your Head Up
 A-2 Keep On Rollin'
 A-3 Tragedy
 A-4 I Am The Dance Of Age
 B-1 Be My Lover, Be My Friend
 B-2 He's A Dynamo
 B-3 Pure Love
       Fantasia
       Prelude
       Pure Love
       Finale

ご存じのように、アージェントはゾンビーズの系譜を受け継ぐバンドとして、ロッド・アージェント(vo,key)、ラス・バラード(vo,g,key)、ジム・ロッドフォード(b,vo)、ロバート・ヘンリット(ds,per) の4人で活動していましたが、ここにもうひとり、ゾンビーズ時代にはベース奏者であり、ロッド・アージェントの盟友でもあるクリス・ホワイトが影のメンバーというか、ソングライター兼プロデューサーとして参画している事が、このバンド結成以来の基本姿勢でした。

そうした協調関係は、時には「船頭多くして、なんとやら……」に陥り易い事が、ある意味での常識かもしれません。

しかし当時のアージェントは、所謂トロイカ体制が極めて上手く成功した好例じゃないでしょうか。

それは大作主義のロッド・アージェントに対し、一般ウケを狙うラス・バラードの間にあって、そのバランスを上手く保つにはクリス・ホワイトの調整能力が不可欠だったと思われます。

そして実際、このサードアルバムでは、「アージェント」から「リング・オブ・ハンズ」と続いた前2作に比べ、グッと大衆寄りのアプローチとプログレ的な方向性が、非常に上手く融合しているのです。

例えば冒頭に収録のヒット曲「Hold Your Head Up」にしても、シングルバージョンでは編集カットされていた壮大なキーボードプレイがイヤミ無く提示されていますし、それはアルバムの大部分を占めるロッド・アージェントとクリス・ホワイトの共作曲が、総じて大袈裟になることをギリギリで踏みとどまる結果にも直結しています。

一方、ラス・バラードが単独で書いた「Tragedy」や「He's A Dynamo」は、ファンキーロックやパワーポップといった当時の流行を逸早く具象化したキャッチーさが魅力ながら、それだけではイマイチ弱いところをアルバム全体の流れの中で際立つものにしてしまうという、実に確信犯的なクリス・ホワイトのプロデュースが上手いと思いますねぇ~♪

ただし、それでもアージェントがB級という認識になったのは、やはりロッド・アージェントのキーボードプレイが、ど~しても同時代ではトップを走っていたキース・エマーソンの影響下にあると断罪されたことでしょう。

また、それゆえにアージェントがこのアルバムで作り上げた世界が、エマーソン・レイク&パーマー=ELPよりは格下と受け取られたのは、否定しようもありません。

確かにロッド・アージェントがキース・エマーソンを意識していなかったと言えば、ウソになるでしょう。もしかしたら結果的に良く似たアプローチに至ったのかもしれませんが、それは本人だけの知ることで、ファンやリスナーは虚心坦懐に提供された音楽を楽しめば、それで良いのでしょう。

しかし実際問題、キース・エマーソンと同じフレーズ展開や音作りを聞かされてしまうと、おっ!? ELP!? と思わざるをえないのも、また本音です。

例えばB面に収録された大作組曲「Pure Love」は、ロッド・アージェントが十八番の欧州系教会音楽やクラシックからの影響がダイレクトに感じられるものですから、演奏のほとんどがインストである事も含めて、やっぱりそれはELP!?

しかも、このアルバム以前にELPが出していた決定的な傑作盤「タルカス」や「展覧会の絵」に顕著だった強引なまでの緊張感や突撃モードが、ここでは些か温いとしか思えない感触です。

確かにB級の誹りは……。

ところがアージェントには、わかっていても、アージェントならではの魅力がちゃ~んとあるんですねぇ~♪

それは時代を見据えた折衷性というか、ラグタイムっぽいピアノとバタバタしたドラムスが意想外にスワンプロックな味わいを強める「Keep On Rollin'」、ファンキーロックとプログレが融合し、ついには新しいロックの誕生を告げるような「Tragedy」は、まさにアージェントの独壇場で、頑固一徹なELPには決して醸し出せない味わいでしょう。

また第一期ディープ・パープルみたいな「I Am The Dance Of Age」にしても、そこには脈々とゾンビーズの遺伝子が受け継がれていますから、例えピンク・フロイドみたいなSEやリズム処理があろうとも、これは立派にアージェントの世界になっていると思います。

さらに重なるディープ・パープル状況としては、なんと「Be My Lover, Be My Friend」が後の第三~四期を先取りしたかのようなハード&ファンキーな傑作トラックで、ジョン・ロードがこれを聴いていなかったという言い訳は通らないんじゃないでしょうか?

もう、個人的には、この曲が大好きっ!

ちょいとイナタイ雰囲気が、味わい深いんですねぇ~♪

おまけに続く「He's A Dynamo」が、どこかしらポール・マッカートニー&ウイングスしているとあっては、問答無用のお楽しみ♪♪~♪

既に皆様がご承知のとおり、こうしたところが「B級」にして「グルメ」なんです。

個人的推察としては、その味の秘伝が、どうやらバタバタしたドラムスやちょいと緩めなベースのグルーヴにあるような気がするんですが、そんな通常ならばマイナスであろうポイントが、何故かアージェントには必要不可欠です。

いや、それが無くてはアージェントにならないと思うんですよ。

実は後にバンドを脱退し、ソロ活動に入るラス・バラードにしても、またアージェント解散から幾年月を経て再結成されたゾンビーズにしても、そこでアージェント時代の曲をやったところで、同じ味わいは決して再現出来ていません。

結局それは、ジム・ロッドフォードとロバート・ヘンリットの存在という以上に、真にアージェントがオリジナルで作り上げたものなのでしょう。

ということで、見事なB級グルメとしてのアージェントが、このアルバムで誕生したのです。そして次なるアルバム「イン・ディープ」で、いよいよ頂点を極めるのですが、実は何であろうとも、そこへ至る過程の八合目あたりが一番感慨深いというのは常識ですから、このアルバムに対する愛着も尚更に大きくなります。

ちなみにジャケットにはメンバー以外にスタッフや友人&家族が写っていますが、これもまた1970年代前半のロック的流行として、アージェント以外にも数々のミュージシャンが実践したものです。

しかし今日ではプログレに分類される事も多いアージェントにすれば、その方面のジャケットデザインには幻想的なイラストや怖いイメージのものが多い中で、こういうハートウォームな拘りも、またアージェントの本質を表しているのかもしれませんねぇ。

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タルカスの突撃

2010-09-23 16:26:52 | Rock Jazz

Turkus / Emerson, Lake & Palmer (Island)

1970年代前半、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルよりも高い人気があったバンドが、キース・エマーソン(key)、グレッグ・レイク(vo.b.g)、そしてカール・パーマー(ds,per) から成るエマーソン・レイク&パーマー=ELPでした。

と、書いてしまえば、必ずや憤る皆様もいらっしゃるでしょうし、お叱りも覚悟しています。

しかし当時はプログレに分類され、特に大衆向けのシングルヒットも無かったEL&Pが、現実的には野球場を満杯にするコンサートをやったり、またレコードが絶好調の売れ行きを示し、新譜が待望される状況は、今に至るも「伝説」という言葉だけでは説明のつかない魔力が確かにあります。

さて、本日ご紹介のアルバムは、1971年に出たセカンド作で、そうしたEL&Pの勢いを決定的にした傑作盤!

ちなみにジャケットに描かれた機械獣が「タルカス」という主人公(?)らしいのですが、私も含めた我国のリアルタイムのファンは、テレビSF特撮の最高峰「ウルトラセブン(TBS)」の第28話「700キロを突っ走れ!」に登場した恐竜戦車を完全に想起させられるでしょう。

一説によれば、「Turkus」という単語そのものがキース・エマーソンの閃きだったと言われていますし、アルバムをプロデュースしたグレッグ・レイクは、火山から生まれたタルカスが世界を破滅させるという発想と企画に対して、呆れ顔だったとか!?

まあ、そのあたりの因果関係は知る由もありませんが、件のウルトラセブンが1967~1968年に放送されていた事をサイケおやじは忘れていません。

それゆえに尚更、このアルバムには妙な愛着もありますし、洋楽雑誌で最初にジャケットを見た瞬間から、これは凄いに違いない! という盲信がありましたですね。

 A-1 Tarlus
      a) Eruption / 噴火
(inst.)
      b) Stones Of Years
      c) Iconoclast
(inst.)
      d) Mass / ミサ聖祭
      e) Manticore
(inst.)
      f) Battlefield / 戦場
      g) Aquatarkus
(inst.)
 B-1 Jeremy Bender
 B-2 Bitshes Crystal
 B-3 The Only Way
 B-4 Infinite Space / 限りなき宇宙の果て
 B-5 A Time And A Place
 B-6 Are You Ready Eddy ?

上記の収録演目では、何んと言ってもA面全部を使ったアルバムタイトル曲が気になるはずです。なにしろ当時はプログレ全盛期でもあり、またサイケデリックから引き続くロック史の中では、長い演奏をする事が、ひとつのステイタスでもありました。

しかし、それにしても組曲形式で演じられた「Tarlus」の仕上がりは、圧倒的という言葉以外にありません!

それは思わせぶりな導入部を経て盛り上がっていくという、如何にもプログレ的なスタートから変拍子ビシバシのリズム的興奮の中で壮絶に暴れるキース・エマーソンのキーボード! 強靭なビートで対抗するグレッグ・レイクのエレキベース! そして終始パワーに満ち溢れたカール・パーマーの熱血ドラミング!

特に初っ端から異常に高いテンションで演じられるアグレッシヴな「噴火」が興奮を呼び覚まし、次に勿体ぶったグレッグ・レイクのボーカルとキース・エマーソンのグイノリオルガンが絶妙のコントラストを描く「Stones Of Years」という冒頭の流れで、それは早くも決定的なんですが、カール・パーマーが暴れまくるインストの「Iconoclast」も火傷しそうに熱いです♪♪~♪

もちろん、その中にはキース・エマーソンが十八番のクラシック趣味も心地良く滲み出るものの、そのあたりに批判的だったグレッグ・レイクが、おそらくは起死回生の「ミサ聖祭」で提出するメタリックな感触は、明らかにキング・クリムゾン直系の進化形でしょう。ヘヴィなリズムアレンジやハイテンションな緊張感が実にたまらんですよ♪♪~♪

ご存じのようにキース・エマーソンはELP以前にザ・ナイスというクラシックとロックやジャズの融合を図ったバンドをやっていたんですが、結局は煮詰まっての解散からELPの結成へという流れからは、ハードロック的なアプローチが可能なカール・パーマーや激情と冷静のバランス感覚を併せ持ったグレッグ・レイクの存在が必須だったと思われます。

そのあたりが上手く融合した成果が、この「ミサ聖祭」のパートじゃないでしょうか。

ですから続く「Manticore」の短くも強烈なロックジャズ演奏が以降のELPでは、ひとつの「お約束」として使い回されるキメになったのもムペなるかな、再びヘヴィロックの味わいが強い「戦場」では、シンセかギターが判別も難しいアドリブソロが飛び出したり、なによりもグレッグ・レイクの回りくどい歌いっぷりがジャストミートしています。

そして締め括りの「Aquatarkus」には、これまた後の「お約束」がテンコ盛り♪♪~♪

いゃ~、こういうジャズ+クラシック÷ロックというザ・ナイス的なアプローチを、この時になってまで捨てていないキース・エマーソンは、やっぱり憎めない人だと思いますよ、実際。

また手数が多く、それでいて基本のビートを大切したカール・パーマーのドラミンクからは、随所にジャズっぽいアプローチも当然の如く表出し、またキース・エマーソンのスタイルは、ありえない事ではありますが、もしもビル・エバンスがオルガンロックを演じたら? という空想天国に対するひとつの答えかもしれません。

以上、重厚にして熱気溢れるA面に対し、B面はその場限りの享楽も快い小品集という趣もありますが、もちろん各トラックの充実ぶりは流石の上昇期が楽しめますよ。

それはまず「Jeremy Bender」のおちゃらけたムード、一転してヘヴィメタルな「Bitshes Crystal」、さらにジャズっぽい「限りなき宇宙の果て」におけるキース・エマーソンの生ピアノ中心主義が、なかなか新鮮です。

一方、これまたファンが期待するクラシックのロックアレンジでは、パッパを堂々と借用した「The Only Way」が心地良く、しかもグレッグ・レイクのボーカルがエピタフ調なんですから、これはまさにプログレの黄金律でしょう♪♪~♪

そして「A Time And A Place」は、これがEL&Pの本領とも言うべき、殴り込みタイプのキーボードロック! どっしり重いビートで全てを薙倒して進む展開が痛快です。

おまけにオーラスの「Are You Ready Eddy ?」は、なんとジェリー・リー・ルイスも真っ青というローリングピアノのR&R♪♪~♪

いゃ~、まさか、こんな事までやらかしてしまうとは、全く意表を突かれてしまうんですが、キース・エマーソンのピアノは一瞬ですがフリージャズっぽいお遊びも、実は楽しさを倍加させていますし、こういうパロディ精神も当時はマジに受け取られていたように思います。

そして、そうした勢いが次なる超人気アルバム「展覧会の絵」に結実し、ついにEL&Pは黄金期を迎えるのです。

ということで、これは如何にも1970年代ロックの名盤ではありますが、今となっては多少の思い入れが無ければ聴けない部分も確かにあるでしょう。

全トラックの作編曲はグループ自らの手によるものですし、作詞はグレッグ・レイクが綴ったという事実があれば、その内輪ウケが些か鬱陶しくもあります。

ですから、当時をご存じない新しいファンが、このアルバムをどのように楽しまれるのかは、ちょいとサイケおやじには想像も出来ません。

しかしELPが1979年末の解散から度々の再編や再結成をやって、常に注目を集めるのは、単なる「集金」以外の魅力をメンバー自身が感じているからじゃないでしょうか?

残念ながら、今年の再編来日は直前で中止となりましたが、サイケおやじは密かにチケットを手配していたという告白を最後にしておきます。

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私的名盤「ピエロ」は瀬川洋

2010-09-22 17:12:24 | 日本のロック

ピエロ / 瀬川洋 (コロムビア)

江戸川乱歩の「地獄の道化師」ではありません!

これはGS期にダイナマイツをやっていた瀬川洋が、昭和47(1972)年に出した傑作アルバムです。

しかしご存じのとおり、リアルタイムでは全く売れませんでした。

なにしろ当時は歌謡フォークが全盛でしたし、それはアングラ系のシンガーソングライターやグループまでもがヒットを飛ばし、いきなり放送メディアに登場するというブームの中では、よほどのプロモーションが無いかぎり、どれだけ優れた内容があったとしても、パッとするのは容易ではありません。

しかも瀬川洋は元ダイナマイツということで、それを言われてしまった瞬間、つまりはGSの生き残り=古い世代の歌手というイメージが強く受け取られていたのですし、実際、GSでそれなりにロックっぽいことをやっていたミュージシャンが、その頃には歌謡曲や演歌という芸能界どっぷりの世界で再び脚光を浴びていた現実も認識されていました。

さらに以前にも書きましたが、GSブームが終わった頃には日本語のロック云々という論争があり、いくらバンドスタイルを貫いていたとしても、日本語で歌うことは、フォークじゃねぇの? なぁ~んていう結論まで!?

ですから、今日では日本語ロックの神様扱いになったはっぴいえんどにしても、フォークグループという受け取られ方が当時は確かにあったことを、ここに書いておきます。

で、そんな状況の中で世に出たアルバム「ピエロ」は、もちろん全曲が日本語で歌われています。

 A-1 こんな気持
 A-2 楽しい日曜日
 A-3 何故に生まれて
 A-4 それで良いはずありゃしない
 A-5 長い夜
 A-6 靴ずれのおしゃべり
 B-1 ピエロ
 B-2 花咲け!! じいさん
 B-3 時は流れて~さよならベイビー
 B-4 くたびれた金魚

サイケおやじがこのLPを知ったのは昭和47(1972)年の晩秋でしたが、それはアルバムタイトル曲「ピエロ」をラジオの深夜放送で聞いただけの事です。

しかし、これが当時も今も、サイケおやじの心情にジャストミートの歌詞が最高なんですねぇ~♪

 つらいだろうね 怒りをこらえるのは
 人の前で笑いをつくろい
 ピエロ ピエロ ピエロ さあお泣き

 ほんのちょっぴり 淋しい気がするけれど
 もうなれたさ道化の役も
 ピエロ ピエロ ピエロ さあお泣き

 泣いて気が晴れるなら 泣くだけお泣き

演奏スタイルは所謂カントリーロックなんですが、せつなくて妙に甘いメロディと歌詞が素晴らしく、瀬川洋のボーカルもホロ苦みが効いています。

ただし、これは当時、完全にフォークに分類された歌と演奏でしょうねぇ。

ですからサイケおやじは日頃の言動もあって、これを最高~♪

なぁ~んて、口が裂けても言えないところが、完全にピエロでした。

そして経済的な問題からレコードも買えず、時が流れました。

その間、もう一度、「ピエロ」という歌が聴きたいという希望も、アルバムそのものが売れていなかった所為でしょうか、叶うこともありません。

ですから、ようやくサイケおやじが中古ではありますが、このアルバムを入手したのは、既に昭和49(1974)年春になっていたのですが、ここでLP全篇をようやく聴いてみると、それはそれは素晴らしい仕上がりにシビレましたですねぇ~♪

しかもセッションメンバーが瀬川洋(vo,g) 以下、石間ヒデキ(g)、大野克夫(key)、山内テツ(b)、原田裕臣(ds) が中心となった、まさにニッポンのロックがここにあり!

説明不要とは思いますが、石間ヒデキはビーバーズからフラワーズ、そしてフラワー・トラべりン・バンドで活躍した我国を代表するギタリストであり、その千変万化なプレイは何時如何なる時もロックの魂が入っています。

また元スパイダースの大野克夫、その盟友でもあり、またスタジオセッションでも活躍していた原田裕臣、そして当時は世界のトップバンドだったフリーに現役参加の山内テツ!

実は既に述べたように、このアルバムを中古でゲットした昭和49(1974)年春と言えば、山内テツが今度はフェイセズの正式メンバーとして凱旋帰国した直後とあって、その無類に楽しかったステージに接していたサイケおやじは、メンバークレジットを見て仰天歓喜しましたですねぇ~♪

もちろん豪快な本物のロックビートを存分に披露していますが、それにしてもこれだけのメンツが参集しているのですから、駄作になってしまったら、音楽の神様が激怒しようというもんです。

そしてA面初っ端の「こんな気持」から、そうした期待は決して裏切られません。

それは所謂カントリーロック風味のラブソングではありますが、しかし決してアメリカ風ではなく、例えばロニー・レインあたりがやりそうな英国泥沼系のイナタイ雰囲気が素晴らしく、シンプルでありながら粘っこいビートや間奏でのアコースティックスライド等々が、瀬川洋の味わい深いボーカルを見事に彩っているのです。

また続く「楽しい日曜日」はラヴィン・スプーンフル調の軽快なジャグバンドロックですから、大野克夫のピアノが冴えまくりですし、ちょいとネクラな歌謡フォークっぽい「何故に生まれて」にしても、ペダルスチールギターや強靭なロックビートを提供するリズム隊が秀逸ですから、泣きのカントリーバラードの決定版に仕上がっています。

さらに「それで良いはずありゃしない」では英国のパブロックというか、不器用なザ・バンド的な重いビートが逆に心地良く、ついに日本語ロックのひとつの基本サンプルとも言うべき「長い夜」が熱く演じられるという流れは素晴らしすぎます♪♪~♪

もちろん石間ヒデキのギターは各曲で、実に間口の広いテクニックと音楽性を堪能させてくれますし、地味な時でもドライヴ感が圧倒的な山内テツのベース、的確なドラミングで存在感を示す原田裕臣、さらにピアノばかりではなく、しぶといオルガンが味わい深い大野克夫の活躍も聴き逃せないところです。

それはAラスのインスト「靴ずれのおしゃべり」における、ブルーグラスロック的なプレイにも顕著で、まさに凄腕メンバーの実力が証明されていますよ♪♪~♪

そしてB面が、これまた凄い!

というか、A面はどちらかと言えばフォーク寄りのカントリーロックだったんですが、こちらは完全に日本語のロックが侮れない真相に辿りつきます。

例えばサイケおやじを一発で虜にした「ピエロ」には、ラジオで聞いた時よりも遥かに強いエレキのビートと粘っこいリズムがあって、さらにスワンプな香りまでも含んだ最高のグルーヴが秘められていますから、せつない歌詞と胸キュンのメロディが本当に忘れられなくなるのです。

そうしたノリの楽しさは、既に現代の高齢化社会を見越していた歌詞が痛切なR&R「花咲け!! じいさん」で、尚更に熟成され、いよいよアルバムのハイライトメドレー「時は流れて~さよならベイビー」に繋がるのです。

それは荘厳なキーボードによるプログレなイントロが忘れ難い「時は流れて」が、ネクラな告白から刹那の享楽を歌い、そこから一転してストーンズの「Midnight Rambler」というよりは、「Jamming With Edward」が正解のグイノリロック「さよならベイビー」には、筆舌に尽くし難いほど血が逆流させられますよ♪♪~♪

瀬川洋のダイナマイトなボーカルは言わずもがな、ドライヴしまくったベースとビシッとタイトなドラムス、転がりまくったピアノにロック以外の何物でないギター!

あぁ、これが日本語のロック!

いや、「日本語」になんて、拘る必要があったら、バカを見るほど最高です!

そして熱くなったリスナーをすぅぅ~っとクールダウンさせてくれるのが、ライ・クーダーも真っ青のアコースティックインスト「くたびれた金魚」です。

う~ん、この哀切のメロディが心に染みますねぇ~♪

ということで、個人的には隅から隅まで大好きなアルバムです。

どうやら今日では名盤扱いにもなっているようですし、確かCD化もされているはずですから、ぜひ、皆様にもお楽しみいただきたいところではありますが、果たしてこれがロックだったのか? という素朴な疑問もつきまとうでしょう。

ちなみに収録演目のほとんどは瀬川洋の自作であり、その歌詞の辛辣な本音やホノボノした哀愁も心に残るのですが、レコードに付属の歌詞カードの解説によれば、当時はシンガーソングライターとしての扱いだったんですよっ!?!

しかし、これをロックと言わずして、はっぴいえんどがロックだなんて崇められないと思いますねぇ……。

繰り返しますが、私は座右の1枚にしていますし、なによりも瀬川洋のボーカルが、実に心に染みるのでした。

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若大将とモズライト

2010-09-21 16:37:48 | 日本のロック

夕陽は赤く c/w 蒼い星くず / 加山雄三 (東芝)

先日の週刊新潮(9月23日号)に、エレキのロールスロイス「モズライト」から詐欺と訴えられたエレキの若大将「加山雄三」、なんていう記事が出ましたですね。

そこで読んでみたんですが、簡単に言えば「モズライト」という商標登録権の真偽と所有権争いじゃないでしょうか?

これについては以前にも裁判沙汰があったはずで、一応の決着はついていると思っていたのですが、わざわざ蒸し返したような記事の書き方も???です。

ちなみに「モズライト」というのは、1950年代に設立されたアメリカの楽器メーカーで、確かリッケンバッカーから独立したセミー・モズレーが創業者とされていますが、なんといっても有名になったのは、同社製のエレキギター!

特にベンチャーズが1963年頃から、所謂モズライト・ベンチャーズ・モデルを使い始めてから、他に類がない高出力のエレキサウンドを作れるギターとして、一躍注目されたのです。

それはおそらく同年に発売されたアルバム「サーフィン」のセッションからという説が有力で、しかも翌年に出たLP「ファビュラス・ベンチャーズ」のジャケットには、モズライトの宣伝が掲載されているほど!?!

そして当然ながら、昭和40(1965)年から本格化する我国エレキブームの象徴的なギターとなるのですが、もちろん当時は高価な本物のモズライトを手にすることが出来るのは大金持ちか、極一部のプロだけでしたから、それを堂々と使っていた、例えば寺内タケシや加山雄三のスタア性がますます高まるというわけです。

しかしモズライトのエレキギターは、実は扱いが非常に難しく、何よりも当時としては極端な高出力がありましたから、直ぐにハウるんですねぇ。またナチュナルディストーションと言えば聞こえは良いんですが、その歪みもコントロールするのが至難の業で、サイケおやじも1980年になって本物のモズライトを弾かせてもらいましたが、とても……。

つまり名人級の腕前が無いと、そう簡単には弾きこなせないのですから、前述のふたりが如何に上手かった知れようというものです。

さて、そんな高級ブランドの「モズライト」でしたが、1960年代末頃から数回の倒産を経て、その製造権利や商標が転々した事が、今回の騒動の根っこにあります。そして1992年に創業者のセミー・モズレーが死去した後の混乱が、さらに大きい様です。

そこには遺族となった妻や娘がそれぞれに権利を主張してギターを制作販売した事や、アメリカ以外の各国でのライセンス契約問題が残され、特に我国においては根強いベンチャーズ人気がありますから、リアルタイムのエレキブームの頃から偽物コピー商品が出回り続けて、今日に至っているのが現実……。

このあたりの経緯はサイケおやじの知る限りでも複雑怪奇を極めているんですが、日本で一応はきちんとしたライセンス契約を認められていたのがファーストマン社だと言われていますし、実際に日本製のモズライトギター「アベンジャー」を堂々と出していました。

ところが本家モズライトの倒産の連鎖でしょうか、その後にファーストマンも潰れてしまい、その下請けだった黒雲製作所が「ジャパンモズライト」を引き継いだと記憶しています。

しかし日本には、もうひとつの「モズライト」関連会社があり、それが本家の代理店として営業していたフィルモア楽器でした。

そして黒雲製作所とフィルモア楽器の間で権利関係の裁判があり、結局は双方とも正式な権利は無いという判決だったはずなんですが……。

それは日本国内の事情であり、本国アメリカでは既に述べたようにセミー・モズレーの元妻と娘が、それぞれに権利を主張しているばかりではなく、元妻側の会社が実際にモズライトブランドのギターを製造販売していたというのですから、穏やかではありません。

結局、今回の加山雄三の名前が出た騒動にしても、そんな権利関係の縺れが大きいわけで、サイケおやじにとっては真相どころから、経緯までも全く見えていませんので、それについては、ここまでしか書きません。

ただ、加山雄三が使っているモズライトがフィルモアというところに、注目点があるのかもしれません。

はっきり言えば、若大将にとっては、迷惑な話以外の何物でもないでしょう。

ちなみにフィルモアも黒雲も、どこでモズライトを作っているのかは現在不明らしく、それなのにギターだけが市場に出回っているという現実が、ねぇ……。

またサイケおやじは、その両方を弾かせてもらった事もあるんですが、個人的には黒雲モズライトの方が鳴りが良かった感触です。というか、コントロールが楽だったというのが、本音ではありますが。

さて、そんなこんなは別にして、本日掲載したシングル盤は両面とも、加山雄三が自作した代表曲にしてエレキ歌謡の決定版!

発売されたのは昭和41(1966)年で、もちろん同時期に公開された「アルプスの若大将(東宝・古沢憲吾監督)」の挿入歌でもありましたが、まずA面の「夕陽は赤く」は、若大将にしては珍しくアンニュイなムードも強いスローな曲調ながら、そのシンミリ系のメロディと強いエレキのビートがジャストミート♪♪~♪ 本当に忘れ難い印象を残します。

一方、B面の「蒼い星くず」は軽快なエレキギターのリフも鮮やかなアップテンポの痛快曲で、まさに加山雄三=弾厚作モードがど真ん中の傑作になっています。

ちなみに、このシングル盤はAB面が逆になったブツも同時期に出回っていて、つまりは両A面扱いだったんでしょうねぇ~♪ それほど出来が素晴らしいという証ですよっ!

そしてジャケットが、もはや加山雄三のイメージのひとつでもある、エレキの若大将ですからねぇ~♪

ご存じのとおり、「夜空の星」から「ブラック・サンド・ビーチ」、そしてこのシングル盤まで、所謂「モズライト三部作」と呼ばれるほど、常にジャケ写にはモズライトと加山雄三のツーショットが使われているのですが、それにしても今日、あまりにも曖昧模糊としたモズライト騒動に巻き込まれるとは、本当に神のみぞ知るでしょう。

ただし件の週刊誌の記事は、完全なる取材不足ですし、ありがちな一般論や憶測が漠然と書かれたものという感じがしています。

まあ、そのあたりは皆様がそれぞれのご判断ということで、やっはりエレキに血が騒いでしまうのは、昭和世代の宿業かもしれませんねぇ。

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