OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

リー・モーガンの突貫ライブ

2011-08-31 15:44:06 | Jazz

Lee Morgan Live At The Lighthouse (Blue Note)

この齢まで生きていると、身内はもちろんの事、友人知人や所縁の諸氏、そして自分の人生に様々な悲喜こもごもを与えてくれた有名人の訃報に接することが多くなります。

まさに、この世は諸行無常……。

それこそが真実と痛感させられるわけですが、しかし所謂天寿を全うする生き様であれば納得の大往生ながら、順番を間違えるというか、何か早すぎる死に直面させられると不条理感を強くするのは、生かされている者の正直な我儘でしょう。

例えばモダンジャズの天才トランペッターとして十代の頃から絶大な評価と人気を得てたリー・モーガンにしても、1972年2月、享年33歳の他界は、愛人から射殺されるというスキャンダルも加わって、決して忘れられない悲報でした。

なにしろ時代はロックに押されていたモダンジャズの新しき胎動期であり、業界はロックジャズやクロスオーバーと呼ばれ始めていた元祖フュージョン、そしてハードバップリバイバルやモード&フリーの所謂新主流派の巻き返しが盛り上がっていた頃とあって、その中心人物としては未だバリバリの若手というリー・モーガンの存在は、広くジャズファンの期待の星だったと思います。

それはサイケおやじにしても、ちょうど本格的にモダンジャズを聴き始めたというリアルタイムでしたから、リー・モーガンという「分かり易いスタイル」を貫くスタアプレイヤーは、ジャズという怖い世界では絶好の道案内人でもありました。

そして当時、ジャズ喫茶で人気を集めていたのが本日ご紹介の2枚組LPで、その内容はハードバップとモード系オドロの世界がライプ特有の熱気を孕んで繰り広げられる強烈な長尺演奏集!

録音は1970年7月、西海岸の名店クラブ「ライトハウス」でのライプセッションで、メンバーはリー・モーガン(tp) 以下、ベニー・モウピン(ts,bcl)、ハロルド・メイバーン(p)、ジミー・メリット(b)、ミッキー・ロッカー(ds) という、如何にもの実力者か揃っています。

A-1 Absolution
 ジミー・メリットが作った、ドロドロのモード曲が作者自らのエグ味の強いベースワークで導かれ、テンションの高いリズム隊と思わせぶりがニクイばかりのフロント陣が実に上手いテーマアンサンブルを聞かせてくれます。まずはこの最初のパートで、自然にモダンジャズという魔界に浸ってしまう雰囲気の良さは最高でしょう。
 そこには幾分忙しないミッキー・ロッカーのドラミングが本音で心地良く、ダークな音色でタフなモードスケールに基づくフレーズを積み重ねるベニー・モウピン、執拗な絡みはもちろん、静と動のコントラストを巧みに構築するリー・モーガン、小型マッコイ・タイナーと言っては失礼ながら、紛れも無く手数の多いピアノでリスナーを熱くさせるハロルド・メイバーン!
 こういう5人組が、ミディアムテンポで噴出させる情念のモードジャズこそが、リアルタイムでのジャズ喫茶では王道のウケまくりだったんですねぇ~♪
 あの紫煙が充満する暗い空間で固い椅子に座り、決して美味しいとは言い難い珈琲を飲みながら大音量で聴くモダンジャズの基本形が、ここにあります。
 いゃ~~、何時聴いても、懐かしい「あの頃」が蘇る演奏ですよ、個人的ではありますが。

B-1 The Beehive
 ハロルド・メイバーンが書いたアップテンポの激烈ハードバップで、とかにくビシバシに煽ってくるミッキー・ロッカーのドラムス、初っ端からウネリっぱなしというジミー・メリットのペース、如何にもコードをガンガンぶっつけてくるハロルド・メイバーンのピアノから成るリズム隊が、いきなり爽快です♪♪~♪
 そして後先も考えていないような、タレ流し気味のアドリブに専心するペニー・モウピンが潔く、それが要所で数次挿入されるキメのリフのアンサンブルによって良い方向へ導かれて行くという、なかなかツボを外さないバンドの立脚姿勢は流石だと思います。
 それはリー・モーガンにとっても十八番の展開であり、猪突猛進というか、突貫精神の攻撃的な勢いは、これがファンにとっては待ってましたの拍手喝采でしょう。徹頭徹尾、淀みなく吹きまくられるハードバップフレーズの大洪水は、余計な計算も下心もない真摯なジャズ魂の発露として、素直に熱くさせられてしまうこと、請け合い!
 ですからハロルド・メイバーンのピアノがスピード違反を演じても、また、ミッキー・ロッカーのドラムソロに場当たり的なところがあったとしても、全ては「カッコ良いジャズ」をやっているという結果オーライに収斂されるんじゃないでしょうか。
 それこそがジャズを聴く楽しみのひとつという演奏だと思いますが、音量ボリュームの上げ過ぎには注意が必要でしょうねっ!

C-1 Neophilia
 ベニー・モウピンが作ったとされる、実に陰鬱なムードが充満するモード系の演奏です。なにしろ初っ端から無伴奏で聞かされる作者のバスクラリネットが激ヤバですよっ!
 さらに続けて、じっくりとしたテンポで進んでいくバンドアンサンブルとアドリブパートの流れの中では、先発のベニー・モウピンが、これしか無いっ! そういうオドロの自己表現で、この雰囲気はマイルス・デイビスが出した問題傑作「ビッチェズ・ブリュー」のセッションでベニー・モウピンが参加していた「Pharaoh's Dance」と共通する独得の粘っこさが表現されていると思います。
 しかし、ここではさらに進化した作者の情念のアドリブがリズム隊と見事に呼応し、絶妙の山場を構築していくエキセントリックな展開が、本当に最高ですよっ♪♪~♪
 あぁ、この絞り出されるような刹那の心情吐露!
 これもまた、モダンジャズの醍醐味じゃないでしょうか?
 ですからリー・モーガンにしても、なかなか神妙に綴るアドリブパートの静謐な熱血は天才の証明で、時に破綻しそうになったり、十八番というよりは、マンネリフレーズというのが正しいと思われる部分にしても、それは一期一会の一言で片付けられるものではありません。実に深~い思惑があるんでしょうねぇ。
 その意味でハロルド・メイバーンが一瞬、晩年のビル・エバンスみたいになってしまうのも憎めませんし、ジミー・メリットのペースがイモ? という定説にしても、それは十人十色の好き嫌いにすぎないと思います。
 個人的にはベニー・モウピンの名演を堪能するばかりなのですが……。

D-1 Nommo
 これまたジミー・メリットが作った熱血モードジャズの隠れ名曲で、冒頭からバンドが演じていく思わせぶりが、心地良い解放感のパートと上手くミックスされながら展開する流れが実に上手いですねぇ~~♪
 そこには幾分煮え切らないところからヤケッパチな気分転換を図るベニー・モウピン、瞬間芸の極みに挑むリー・モーガンの溌剌、喧しいほどに音数を増やしていくハロルド・メイバーン、空気も読めずに自己主張するブリブリのジミー・メリット、意外に冷静なミッキー・ロッカーというバンドメンバー間の意志の疎通が感じられ、現場には所謂暗黙の了解があったんじゃないでしょうか。
 まあ、このあたりはプロのジャズプレイヤーならば言わずもがな、サイケおやじが稚拙な筆を弄するまでもないとは思いますが、それにしもメンバー各人がバラバラをやっていそうで、実はキチッと纏まった演奏は凄いですよ。
 ちなみに全体の流れは、それぞれのアドリブの終盤に無伴奏なパートが設けられ、思わずグッと惹きつけられてしまうのでした。

ということで、アナログ盤2枚組LPに収録されたのは、たったの4曲!

それも、アッという間に聴き終えてしまうほどの充実ですから、たまりません♪♪~♪

ジャズ喫茶の人気盤になる事もムペなるかな、これを大音量で鑑賞する喜びは筆舌に尽くし難いものがありましたですねぇ~♪

そこでついにというか、CD時代になった1996年には未発表テイクを追加した拡張3枚セットが登場し、それがまた熱い演奏集ということで、大いに話題となったのも記憶に新しいところです。

もちろんサイケおやじも速攻でゲットし、聴きまくった前科は隠すことも出来ないわけですが、最近は何故か、こっちのアナログ盤2枚組を取り出してしまいます。

それは正直に告白すると、CD1枚分を聴き通す根性も気力も薄れているからで、その点、LP片面で20分前後の1曲だけを楽しむというのが、現在のサイケおやじには合っているようです。

最後になりましたが、リー・モーガンにとって、このアルバムは結果的に晩年の傑作と認定されるのが、ファンばかりでなく、全モダンジャズファンには共通の悲しみだと思います。

世の中には「使い果たした」という言い回しもあるようですが、リー・ガンにはもっと長生きをしてもらって、本物のモダンジャズを聴かせて欲しかったと思うばかり……。

それでも、なにかとムラっ気がある天才と呼ばれる故人に対し、少なくともサイケおやじは今でも敬意を表し、特にこのアルバムを聴く度に合掌しているのでした。

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フリジド・ピンクのダサ~いカッコ良さ

2011-08-30 15:58:49 | Rock

朝日のあたる家 / Frijid Pink (Parrot / キング)

アマチュアバンドが人気のヒット曲をやる場合、例えばゼップであればボーカルとドラムスには絶対的に越えられない壁がありますし、練習したからといってギターやベースが一朝一夕にどうなるもんでもありません。

それはプロの世界では当然でしょうし、それがなければプロとして超一流とは認められないと思うのですが、反面、そこは親しみ易さも提供してくれるのが、これまたプロの仕事じゃないでしょうか。

例えば本日ご紹介のフリジド・ピンクが演じる「朝日のあたる家」は説明不要、アニマルズの大ヒットにして、秀逸なカパーバージョンも数多残されている人気曲ということで、サイケおやじと同世代のエレクトリックなアマチュアバンドならば、一度はやった、あるいはやってみようと志したに違いありません。

ところがアニマルズのバージョンには、エリック・バートンというワイルドな天才ボーカルリストが絶大な魅力を発揮していますから、これが下手にコピーなんかしたら笑われるのは必至……。

またインストバージョンではベンチャーズの強烈ギターサウンドが、実に暑苦しいばかりの名演を残していますからねぇ。

そんなところから素人には、やれそうでやれない演目のひとつが「朝日のあたる家」だと、私は観念していたところがありました。

しかし、念ずれば救う神は必ず現れるもんです!

昭和45(1970)年の春頃からラジオの洋楽番組でヒットし始めた、このフリジド・ピンクのバージョンは、如何に当時流行のハードロックなアレンジがど真ん中! しかもドタバタ気味のドラムスにリードされるリズムとビートの感じが、どこかしらハコバンっぽく、さらに初っ端からお馴染みの曲メロがエレキインストのハードロック版という感じで演じられるのですから、取っ付きが良いのも当たり前でした。

ちなみにフリジド・ピンクはトーマス・ビュードリー(vo)、ゲイリー・レイ・トンプソン(g)、トーマス・アール・ハリス(b)、リチャード・スティーヴァース(ds) という、所謂デトロイト系の4人組バンドで、これが一応の代表的なヒットながら、なかなか下積みの苦労が滲むサウンドとアレンジの妙は、サイケデリックロックの残滓というよりも、これが本来の姿なんでしょうねぇ~♪

失礼ながら、そういう時代遅れ感も、良い方向に作用していると思います。

なにしろ多重層的に重ねられたギターはファズとワウワウがダサ~いカッコ良さですし、エコーと濁った発音で歌われるボーカルの味わいは、なにかヘタウマの極北じゃないでしょうか。

そんなところも親しみ易さの秘密かもしれませんねぇ。

そこでサイケおやじもバンドに入れてもらえば、このアレンジで「朝日のあたる家」をやってしまうことが度々なんですが、既にご推察のとおり、初っ端からのギターインストのパートはベンチャーズのアンサンブルに挑戦!?

実に不遜なことをやらかして、ウケ狙いが失笑のシラケ鳥とはいえ、やっている側は真剣に楽しんでいるんですよ、恥ずかしながら。

ということで、「分相応」は絶対に必要というのが、本日の結論です。

しかし決してフリジド・ピンクをバカにしているわけではないので、そこはご理解願いたいのですが、B級グルメ大会でも絶対に入賞しないのは分かっていながら、堂々の自己表現が出来る姿勢は、やはりプロの佇まいってことでしょうねぇ~~♪

サイケおやじは、かなり好きなバンドなんですよ♪♪~♪

確かアルバムも3~4枚は出していて、如何にもブルースロックのギターバンドのような顔をしながら、メンバーチェンジが行われた中期以降はオルガンロックに転身を図った先進性(?)も侮れないところです。

こういう、あえて泥臭くいったグループが時折は出現していたからこそ、1970年代ロックは面白かったんじゃないでしょうか。

金魚よりは泥鰌の様にいく、と言い放った新総理大臣には、フリジド・ピンクの姿勢を知っていただきたいものです。

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ザ・フー、10年目の開き直り

2011-08-29 14:34:23 | The Who

不死身のハードロック / The Who (Track / Epicソニー)

高齢化社会の現在、言うまでもなくロッカーだって老人になるし、だからこそ往年の大スタアが老残の醜態を晒す姿に接すると、もはや伝統芸能なんて言い訳すら哀しく響いてしまいます……。

もちろん、やっている側には、それなりの意気地も事情もあるでしょう。昔っからのファンがそれを許容する姿勢だって、理解出来ますし、お若い皆様が伝説を確認しようとする行動も大切だと思います。

しかし、それにしても、限度ってものがあるんじゃないでしょうか……。

と、ノッケから嘆き節を書いてしまったのは、最近は何を考えているのか分からないような再結成ツアーとか、ほとんど意味を為さないリメイクレコーディングとか、昔の名前で出ていますという以前にトホホなものが……。

そんな状況は具体的に名前を挙げなくとも、皆様には先刻ご承知でしょう。

ところが、それを逸早く自嘲的に居直ったのが、本日ご紹介のシングル曲! ご存じ、ザ・フーが1974年に出したレア・トラック集のLP「オッズ&ソッズ」に収録されていた数少ない新録音のひとつで、実は積極的にシングルカットしたのは日本のレコード会社の思惑だったようですが、今ではグループの代表作になっているのですから、まさに先見の妙でした。

ちなみに、この前後のザ・フーは前年に傑作2枚組アルバム「四重人格」を出し、まさにバンドは絶頂期と思われていたのですが、後に明らかにされた周辺事情によれば、1971年発表の歴史的名盤「フーズ・ネクスト」以降、燻り続けていた幻の企画「ライフ・ハウス」の頓挫やマネージメントとの訴訟問題、悪いクスリや飲酒等々によるメンバー達の体調不良と精神障害、さらにはショウビジネスそのものの変化が重なり、バンドの状態はどん底だったと言われています。

しかし、とにかく新作が要求される中、ジョン・エントウィッスルが過去の音源を引っ張り出し、リミックスやオーバーダビングを施して、なんとか纏め上げたのが前述の「オッズ&ソッズ」という真相は、個人的には気に入った仕上がりだったので、ちょいと驚いた記憶が今も鮮明です。

中でも、この「不死身のハードロック / Long Live Rock」は如何にもザ・フーらしい、実にストレートなハードロックであり、1979年に公開されたバンドのドキュメント映画「キッズ・アー・オールライト」のラストテーマに選ばれて人気が再燃したのもムペなるかなっ!

なによりも、ズバリと最高の邦題が全てを物語っています。

 アストリアに入れば眺めが変わる
 ビンゴやロックは、成人指定らしいぜっ
 それで俺達ゃ~、初めて飲み屋でロックンロールを演じたバンドさ
 最初のステージは、とってもショボかったなぁ
 夜の10時を過ぎるまではねぇ
 ロックは死んだ、なぁ~んて言われるけれど
 ロックは長生きなんだぜっ!

 長生きロック! 俺には毎晩必要さっ!
 長生きロック! こっちへ来て、いっしょにやろうぜっ!
 長生きロック! 死のうが、生きようが!

どうですっ、この開き直った勢いはっ!?!

だって、ザ・フーはデビュー当時、バンドのイメージを決定づけた名曲名演の「My Generation」で、「老い前に、死にたいぜっ」と歌っていたんですよっ!

それが10年を経ずして、既にパンクスあたりからは過去の遺物と罵られていたんでしょうかねぇ。

冗~~談じゃ~、ねぇっ!!

確かに当時は「30歳過ぎたら、ロックは出来ねぇ」と、信じられていましたが、それが今ではねぇ~~~!?

まさか、ザ・フーにしても、二人っきりの現在の活動を想定していたとは思いませんが、それでも来るべき高齢者ロックの現実を見据えていたと言っては、贔屓の引き倒しでしょうか。

否、そんな事よりも、少なくともサイケおやじはリアルタイムで「不死身のハードロック」にシビれ、しかし歌詞の中身を知ってしまえぱ、なんだかなぁ……。そんな気分のモヤモヤは今も晴れていません。

ですからリアルタイムで入れてもらっていたバンドで、この曲をやろうぜっ! となった時も、頑なに反対していたほどです。

そして実際、やることはありませんでしたが、齢を重ねた今日、おやじバンドでは必須り演目じゃないのかなぁ?

と都合の良いことを考えているのですが……。

結局、良い歌と曲は時代を超えて美しく残っていくという事なんでしょうねぇ。

本当に、そう思います。

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菊容子と月ひかるの思い出

2011-08-28 15:22:46 | Movie

好き!すき!!魔女先生(TBS / 東映)

菊容子という女優さんを覚えておられるでしょうか?

拙プログを訪れて下さる皆様ならば、きっとそうであろうと、サイケおやじは思っているのですが、彼女は所謂実力派女優として十代の頃から活躍し、昭和40年代のテレビドラマでは欠かせない存在となり、ジャンルを問わず、夥しい作品に出演しています。

そして中でも昭和46(1971)年10月から翌年3月にかけて放送された「好き!好き!!魔女先生」は、彼女が主演の傑作学園物として忘れられないはずです。

なにしろ「菊容子」というよりも、この作品での彼女は「月ひかる」というエスパーであり、アンドロ仮面というスーパーヒロインとなって神格化されたのですから、完全にファミリー向けのドラマでありながら、特撮ファンをも虜する人気を獲得♪♪~♪

当然ながら劇中ではタイトルどおり、小学校の教師として生活していますが、その正体は宇宙連合の平和監視員として地球にやって来た(?)アルファー星のお姫様なんですねぇ~~~。そして「ムーンライトパワー」を駆使し、子供達の安全と地球の平和を守るという設定は、そのまんま元祖特撮ヒロインと言えるかもしれません。

しかしドラマとしては、あくまでも学園物というジャンルを踏襲していますから、新しく赴任してきた美人の先生が魔法(?)を使い、何時の間にか不思議な事件を解決するという、まさに子供達の夢を描いた展開は、菊容子の演技力はもちろん、子役も含めた脇役陣の堅実な存在や脚本と演出の上手さも加わって、なかなか充実の仕上がりでした。

また、イヤミのない特撮シーンの使い方も流石だと思います。

さらに番組は回数を重ねるうちに、菊容子=月ひかる先生がアンドロ仮面というスーパーヒロインに変身するようになり、悪役怪人を退治するという王道路線に入ったのですから、ますます人気沸騰!

   

実はサイケおやじが好きなのは、この部分であって、なにしろアンドロ仮面の衣装が青いミニスカ♪♪~♪ ということは、アクションシーンでは「見えて」しまうんですねぇ~~♪

もちろん子供向けの番組ですから、露骨な「パンツ見せ」や「生パン」ということはありませんが、アンドロ仮面のアクションには、なにか自然体の羞恥心というか、場面によっては意図的にパンツを見せまいとする仕草もあって、そんなところにもサイケおやじはグッと惹きつけられていました。

また、そうしたシーンではカメラワークも意外に緻密というか、なるべく太股の露出やヒップラインの派手な表現を避けるように計算されているところが、これまたニクイばかり!? しかし、それでも「見えて」しまう部分の威力は絶大というか、かえって逆効果的に刺激が強くなってしまうと感じるのは、サイケおやじだけでしょうか?

ちなみに菊容子は知る人ぞ知るのグラマー系巨乳女優のひとりで、普通の衣装でも目立ってしまう胸のふくらみ♪♪~♪ 如何にもの「丸み」が眩しい肉体の存在は見惚れてしまいますよ♪♪~♪

ただし菊容子の魅力は決してそれではなく、子供時代はモデルで活躍したという履歴があるように、強い「眼の力」が印象的で、それは数多く出演したドラマの中で、ある時は悪役や悪女さえも凛とした佇まいで表現しますし、地味ながら目立ってしまう女学生やワケアリのOL等々は十八番の役柄でした。

それが「好き!すき!!魔女先生」では、ナチュラルに正義を遂行する美人の女教師という、まさにジャストミートの当たり役となっています。もちろん劇中にはオトボケやお笑いの場面もテンコ盛りに用意されていますから、これが傑作にならなかったらドラマの神様が怒るでしょうねぇ。

ということで菊容子は、この作品だけでも決して忘れられない女優さんでしたが、他にも名演がどっさりある中で、好事魔多し!?!?

なんと昭和50(1975)年4月29日、自宅マンションで絞殺死体となって発見され……。

享年24歳、まさに美人薄命です。合掌。

ちなみに加害者は当時交際していたという某男優でしたが、動機は別れ話の縺れと言われていますし、犯人が自殺を図るも死にきれずに逮捕という顛末は、不謹慎ながら、なにかサスペンスドラマのような記憶になっています。

そして非業の死がなければ、おそらくはさらに大きな存在の女優として輝いたことは間違いない! サイケおやじは、そう思うばかりです。

最後になりましたが、なんで本日は「好き!すき!!魔女先生」かと言えば昨夜、フラフラと入った中古屋で4枚セットの復刻DVDを発見したからで、迷わずゲットした後は明け方まで鑑賞♪♪~♪

う~ん、菊容子は素晴らし~~~~♪

アンドロ仮面の青いミニスカ&パンツが目に染みたのは、言うまでもありませんねっ!

機会があれば、皆様もご鑑賞下さいませ。

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二重生活者の告白

2011-08-27 15:30:39 | 歌謡曲

東京に三日 田舎に四日 / 渚ゆう子 (東芝)

既にご存じの皆様も大勢いらっしゃるでしょうが、現在のサイケおやじは、ふたつの仕事を掛け持ち状態で、コキ使われています。

ひとつは社会人になって以来の業務ですから、まあ、なんとか惰性も通用するのですが、もうひとつは数年前に出向した雪国での仕事で、こちらは所期の目的を達成したとあって、今は非常勤です。

しかし、やっぱり成すべき事はきっちりあって、そんなこんなで仕事場を往来する移動の時間がバカになりません。

正直、現在一番欲しいのが、パーマンの使っていたコピーロボットか、伝送人間の物体移動機という、本当にSFの世界に憧れてしまいますよ……。

ただし、ちょい前までは雪国に単身赴任の独り暮らしもあったんで、それなりに暴走気味の楽しい生活でした。なにしろ、山間部の集落に広い一軒家を借り、大音量でステレオを鳴らすという「ひとりジャズ喫茶」とか、おやじバンドでの練習、そしてもちろん実家では激ヤバのエロいブツの蒐集鑑賞等々、いゃ~、人生って、こんなに楽しかったっけ!?

と、独り悦に入っていた時期もありました。

拙サイト「サイケおやじ館」を始めたのも、その頃の話で、完全に言い訳になりますが、現在の更新が儘ならないのは、PCとソフトの相性が悪い事に加え、仕事に追われて時間が無い事が大きな要因です。

ちなみにプログを書く事は、移動の時間中に出来ますし、画像と音源は暇な時にPCに取込んでおいたソースを引っ張り出し、ストックを活用しているのが真相です。

で、そんな生活の日々、何の相談も前触れもなく、突然我が家に3Dテレビが導入されました。

う~ん、どうにも疎外された気分が拭えない……。

しかし、これが全く予想外に凄い効果を楽しめたんですから、たまりません。

もちろん例のメガネを着用し、専用ソフトを鑑賞するわけですが、映画館で観るような画面の暗さは感じず、字幕も読み易いですし、なによりもそれほど目が疲れません。

そこでネットで様々にソフトを漁ってみると、ファミリー向けの作品に混じって、当然ながらAVもそれなりに出ているんですねぇ~♪

尤も、それは言うまでもなく、サイケおやじの趣味嗜好にはジャストミートのジャンルなどあるはずもなく、それでも巨乳のボヨヨ~ンなイメージ作品なんかあれば、なにか理由をつけて鑑賞したい欲望は、恥ずかしながら、です。

おそらく今後、3Dで作られる作品は増えていくでしょうし、現在は疑似効果でしか楽しめない旧作も、いずれはリマスターというか、完全に近い3D物に生まれ変わるかもしれませんねぇ、その良し悪しは別にしてですが。

個人的には往年のロマンポルノとか洋ピン物に、それが適応される日を待ち続けたい気持です。

ということで、ようやく本日の1枚ですが、何の脈絡もなく、現在のサイケおやじの状況がそんまんまという曲タイトルが思い浮かんでのご紹介です。

まあ、実際には「田舎に三日」ってのが正しいところなんですが、そういう二重生活の忙しさの中には、実家に送ってもらえない様々な事情のあるブツをネットで注文し、そなりの安心感で受け取れる楽しみも、確かにありますよ♪♪~♪

そういう事があるから、ある程度の疎外感も我慢しつつ、その場の楽しみに耽溺していけるのでしょうねぇ。

肝心のご紹介、「東京に三日 田舎に四日」は渚ゆう子が昭和48(1973)年夏に出した、ソフトロックとフィリーソウルを演歌で煮〆た様な隠れ人気曲で、流石は作詞作曲が浜口庫之助! 

結果的にそれほどのヒットにはならなかったと思いますが、渚ゆう子ならではの余裕を感じさせる歌い回しの中に、そこはかとないフェロモンを自然体で滲ませる、これは新境地かもしれませんねぇ~♪ 所謂パヤパヤコーラスが絶妙のキメってところも、泣かせますよ。

そして猫顔のポートレートを使ったジャケットも良い感じ♪♪~♪

こういう歌をカーステレオで鳴らしながら仕事場へ向かう日常も、大切にしていこうと思います。

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これが俺流のポール・サイモン・イン・コンサート

2011-08-26 16:23:39 | Simon & Garfunkel

Live Rhymin' / Paul Simon (Columbia)

オリジナルヒットとカバーバージョンの関係で言えば、もうひとつ欠かせないのが本人によるリメイクやセルフカバーという、ある意味での自虐的行為もあります。

特にグループ活動していた中のメンバーが独立したり、解散後の再結成等々の経緯から必要に迫られての行いは、ファンにとっても悲喜こもごも……。

なにしろ、オリジナルバージョンが高い評価を得ていた場合には、それが決して成功し難いものという経験則がリスナーにはありますし、なにか悪あがきのような結果が哀しくもありますからねぇ。

しかし一方、それがライプの現場においては、これほど嬉しいことは無いという現実は否定出来ず、「悲喜こもごも」と書いたのは、そこです。

例えば本日ご紹介のアルバムは、サイモンとガーファンクル=S&G解散後のポール・サイモンが、なんとか「ポール・サイモン」と「ひとりごと」のソロアルバム2枚を出し、ヒットシングルも放った勢いで敢行された1973年の巡業ステージを収めたライプ盤なんですが、素直にファンが嬉しかったのは、S&G時代の演目が入っている事じゃないでしょうか。

 A-1  Me And Julio Down By The Schoolyard / 僕とフリオと校庭で
 A-2  Homeward Bound / 早く家に帰りたい
 A-3  American Tune / アメリカの歌
 A-4  El Condor Pasa / コンドルは飛んでいく
 A-5  Duncan
 A-6  The Boxer
 B-1  Mother And Child Reunion / 母と子の絆
 B-2  The Sound Of Silence
 B-3  Jesus Is The Answer
 B-4  Bridge Over Troubled Water / 明日に架ける橋
 B-5  Loves Me Like A Rock / ママはご機嫌
 B-6  America

さて、ここまで述べて来たように、ポール・サイモンがS&G時代の演目を歌うという事は、当然ながら素晴らしい相方という以上に、天才ボーカリストとしての存在が眩しいほどのアート・ガーファンクルが不在という現実に直面……。

ですから、このアルバムが発売された1974年当時、一番の話題だったのは、ポール・サイモンが独りで「明日に架ける橋」を歌っているという点に尽きた感もありました。

なにしろ件の名曲は、アート・ガーファンクルの美声テノールで歌われてこその豪華絢爛と静謐な説得力が魅力でしたので、果たしてポール・サイモンは……。そんな不安が期待を上回っていたのは否めないところです。

しかし結論から言うと、なんとポール・サイモンはジェシー・ディクソン・シンガーズという本物のゴスペルグループを助っ人に、自らの作詞作曲が黒人ゴスペルの焼き直しであったという種明かしを演じることで、見事に乗り切ったのですから、流石!?

まあ、このあたりの賛否両論はリアルタイムから今日まで、途切れることなく続いているわけですが、サイケおやじは決して悪い感じはしていません。

それどころか、なんと「The Sound Of Silence」までもがゴスペル仕立に演じられ、ほとんど新しい味わいが表出されてしまったという、瓢箪からコマ!?

ちなみにアナログ盤B面は、そのジェシー・ディクソン・シンガーズとの共演がメインで、そこには多分、グループ専属らしい、如何にものオルガンやエレキベース&ドラムスが付いていますから、そのイナタイ味わいが妙にたまりませんよ♪♪~♪

中でもオリジナルのスタジオバージョンではスッキリしたレゲエビートだった「母と子の絆」が、ここではもっさりした黒人ビートとレゲエの緩やかなグルーヴがミョウチキリンに化学変化したような不思議さで、クセになりそうです。

当然ながら、黒人ゴスペルならではの、魂を揺さぶれるようなコーラス&ハーモニーも良い感じ♪♪~♪

ですから、既に述べたように「The Sound Of Silence」がゴスペルフィーリングで演じられたとて、それが自然に楽しめてしまうのですから、ポール・サイモンの企みはズバリ直球のストライクだったのです。

そこで気になる「Jesus Is The Answer」は、期待の新曲かと思ったら、実はジェシー・ディクソン・シンガーズの独演という肩すかしも、続く「明日に架ける橋」への露払いとしては最高!

いゃ~、本当に力が漲ってくる流れの受け、何気ないチューニングからスタートする「明日に架ける橋」のしぶとさは、これが俺流という作者の意気地でしょうか。

確かにアート・ガーファンクル不在の物足りなさは否定しようもありませんが、これはこれで納得させられてしまうところも確かにあると、サイケおやじは思います。

その意味で、アンコール的に演じられる黒人ドゥワップ風な「ママはご機嫌」の楽しさは絶品♪♪~♪ あぁ、心底ウキウキさせられますねぇ~♪

と、ここまで書いてきて、スッ飛ばしていたA面なんですが、こちらも「コンドルは飛んでいく」から続く3曲がウル・バンバという、南米ペルーのグループとの共演で、もちろんS&Gでのヒットバージョンの意識的な再現を狙ったことはミエミエでしょう。

しかし、ここで意外に良いのは、やはりS&Gの代表作だった「The Boxer」が、同じく南米フォルクローレのスタイルで演じられた事で、独得の哀愁が滲む笛の音色が、ポール・サイモンのアコースティックギターと見事に溶け合って、これがなかなか魅力的♪♪~♪

ご存じのとおり、ポール・サイモンは自身のルーツたるユダヤ系ジャズモードに加え、例えばイギリス民謡、さらには南米や南アフリカ等々のエスニック系メロディとリズムを巧みに取り入れた曲作りをしていますから、こうした目論見も成功して当たり前なんでしょうねぇ。

ですから完全なソロパフォーマンスの「僕とフリオと校庭で」「早く家に帰りたい」「アメリカの歌」という冒頭三連発では、名人技のアコースティックギターも冴えまくりで、おそらくはマーチンD35-Sの素晴らしい音色も堪能出来ますし、なによりもシンガーソングライターとしてのポール・サイモンが存在感を誇示しています。

そして圧巻なのがオーラスの「America」で、やはりギターの弾き語りながら、見事に終ってしまったS&Gの夢と幻想を現実に再現してくれるのは、名演としか言えません。

ということで、最初に聴いた時よりも、繰り返して鑑賞する毎に楽しみが増していくような、これぞっ、愛聴盤というLPです。

ちなみに告白すると、サイケおやじは「コンドルは飛んでいく」が、なにか山口百恵の「ひと夏の経験」を歌ってしまうので、好きではないのですが、ここでのライプバージョンは素直に聴いています。

それと繰り返しではありますが、特筆したいのはポール・サイモンのギターの上手さと音色の綺麗さで、これは録音の関係もあるんでしょうが、そのあたりも楽しめるんじゃないでしょうか。

アコースティックギターが苦手なサイケおやじは、憧れてしまいますねぇ~~♪

最後になりましたが、ポール・サイモンが独りで「明日に架ける橋」を歌わなければならなくなった時、アレサ・フランクリンのバージョンを聴いていたか?

そんな下衆の勘繰りを抱き続けているのでした。

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今、ストレートな分かり易さが必要

2011-08-25 15:53:53 | Soul

レッツ・ゴー・ソウル / Arthur Conley (Atlantic / 日本グラモフォン)

仕事関係で海外からのお客さんと会話中、まあ、ジョークながら、「日本は幸せ」というキツ~イことを言われてしまいました。

なにしろ未曾有の大災害から原発事故、食物汚染、経済恐慌、政治の不安定が現実なのに、トップニュースが三流芸人の引退だというのですから、外国人には???の気分なんでしょう。

正直、何処ぞの国のように暴動が起こって、政権が潰されたって不思議ではない日本において、某任侠団体の幹部や刑事被告人と交友があったからといって引退する漫才師の動向をあれこれ取り上げるマスコミは、だから「マスゴミ」なぁ~んて言われるんでしょうねぇ。

だいたい、刑事被告人との付き合いがいけないというのなら、もしかしたら総理大臣になるかもしれない代議士が、所属政党の代表選挙に勝ちたいがために同様の立場の権力者に尻尾を振って、頭を下げている図を、なんで悪いと言えないマスコミは笑止!

全く自己矛盾する報道だと思いますが、おそらく件の漫才師は単なる交友関係だけじゃない、もっと黒~い実態が表沙汰になる可能性を考慮したんでしょう。そうなればスポンサーや出演テレビ局、所属会社に大きな迷惑を……。

という推察は、完全なるサイケおやじの妄想にすぎませんが、なにか単純な思惑を回りくどい分かりにくさに仕立てるマスコミは気に入りませんねぇ~~。

そこで、分かり易さといえば、本日ご紹介のシングル曲♪♪~♪

もう、タイトルからして、小学生でも理解出来るノリの良さが痛快至極だと思いますが、実際に聴けば、そこは文字通りのソウル天国! 1967年にアメリカで大ヒットした流れを引き継ぎ、我国でもウケまくりでした。

それはアップテンポの調子の良さ、黒人R&Bならではの前ノリと粘っこいビート感の見事な融合であり、このあたりの雰囲気の凄さは日本人はもちろんの事、欧米の白人にも到底真似出来ない世界だと思います。

で、歌っているアーサー・コンレーは驚くなかれ、オーティス・レディングの弟子というか、所謂秘蔵っ子として大々的にプッシュされた逸材と紹介されましたが、確かに残されている映像を見ると、そのステージアクションは師匠から伝授された動きもあり、また当然ながら、ジェームス・ブラウンを筆頭とする偉大な先輩達からの影響も大きいのですが、この「レッツ・ゴー・ソウル / Sweet Soul Music」そのものが、サム・クックの某曲をオーティス・レディング&アーサー・コンレーの師弟コンビが焼き直したものという真相は有名です。

ただし、そこが上手いのは、歌詞の中にジェームス・ブラウンとか、まさにソウルを体現していた偉大な歌手の名前を織り込んだり、「スウィートなソウルが好きかい?」と問われれば、思わず「イェ~~」と答えてしまう、所謂コール&レスポンスの醍醐味を持ち込んだりした企画性の勝利じゃないでしょうか。

曲展開の要所で炸裂する、どっかで聞いたことのあるキメのリフやビシバシにブッ飛ばす演奏パートも良い感じ♪♪~♪

しかし率直に言わせていただければ、アーサー・コンレーは決して一流のソウル歌手とは思いませんが、結果的に特大のヒットは「レッツ・ゴー・ソウル」だけという状況に素直に従ったような活躍は、ご存じのとおり、師匠のオーティス・レディングの突然の悲報により、自らの芸能生活を縮小してしまう運命と重なり、それはそれで納得させられてしまいます。

どうやら1970年代からは欧州各地を転々としながら、自分に合った生活をしていたと言われていますが……。

なにか、そんなところにも、憎めないものを感じてしまいますねぇ。

ということで、分かり易いものはバカにされる一面が確かにあると思います。しかし、そうしたストレートな正直さは、素直に好感を持たれる事も否定出来ないでしょう。

アーサー・コンレーは、リアルタイムでは「ソウルの新星」と紹介された記憶もありますが、今の時代、ちょっとでも救世主になれるかもしれない期待の星の出現が待たれますねぇ……。

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何をやってもロックなテンプターズ

2011-08-24 16:11:34 | 日本のロック

純愛 c/w 涙のあとに微笑を / ザ・テンプターズ (フィリップス)

GSは間違いなく日本のロックですから、いろいろとドメスティックな解釈も可能であり、そうした独自性が今日に至るも根強い人気の秘密かと思います。

例えば本日ご紹介のシングル盤A面に収録の「純愛」は、テンプターズが昭和43(1968)年末からヒットさせた人気曲ですが、結論から言えば、メロデイの元ネタはモダンジャズでもお馴染みの「アランフェス協奏曲」です。

それを堂々と村井邦彦の作曲、川口真の編曲として作ってしまう当時の業界の方法論は、ある意味で潔く、それが煮詰まり始めていたGSブームの流れの中では、クラシックのメロディやムードを借用した新しい歌謡ロックの創造へ、上手い道筋をつけるものだったように思います。

そして実際、テンプターズの演奏はイントロから衝撃的なニューロック性感度が高く、今風に言えばエスニック調のフレーズを弾きまくるエレキギターとビシバシのドラムス&ベースによる突進ビートのキメが、最高にたまりません♪♪~♪

しかし、その直後に一転、じんわりとスローで歌い出される曲メロが前述の「アランフェス」ですから、その哀愁がなかにし礼の書いた刹那の歌詞にはジャストミート!

もちろん萩原健一というよりも、絶妙の不良性を佩びたショーケンの切迫した歌いっぷりは、ロック以外の何物でもありませんっ! グイグイとスピードがついていく演奏を展開するバンドの勢いも最高ですよっ!

実は告白すると、サイケおやじは高校生の時に入れてもらっていた同好会のバンドで、この「純愛」をやりたくて我慢出来ないほどでした。

と言うのも、これまでも何度か書いていますが、当時は歌謡フォークが全盛で、エレクトリックなバンド組は肩身が狭く、しかもサイケおやじが入学前年の先輩諸氏が学校側の警告を無視(?)するが如き態度で、それこそギンギンのハードロックを文化祭で演じたことから、その時は「部」だった集まりが「同好会」に格下げされ、アコースティックギターがメインのフォークならば許可が出ていたという状況だったんですから、エレキのバカ大将を目指していた自分などは、本来の居場所も無く……。

ですから、バンド組がやっていたのは極力フォークっぽい「真冬の帰り道」とか、あるいはフォーク組のバックをやらされた「花嫁」とかが表向きという、なかなかトホホの時期でした。

しかし、ほとぼりが冷めてきたというか、夏休み頃からは堂々とロック色が強い事もやれるようになり、そこからは本音で演目選びが出来たのですが、もちろん反動がありますから、最下級生のサイケおやじが「テンプターズの純愛」なぁ~ん言えるはずも……。

もうひとつ、付け加えおけば、言わずもがなではありますが、その頃は既にGSが時代遅れの象徴だったんですよねぇ。

それでも頑固なサイケおやじは、密かに「純愛」のイントロや間奏で熱く燃えるギターソロをコピーしていたんですから、我ながら笑止千万ですし、何かのきっかけで、そうしたフレーズが手癖のように出てしまう病気は、今も継続しています。

いゃ~、本当にお恥ずかしい……。

とは言え、やっぱりテンプターズの「純愛」は名演名唱だという思いは、些かの躊躇いもありません。

個人的にはマイルス・デイビスの「アランフェス」は理解出来ないほど嫌いですが、この「純愛」は最高に好きなんですよっ!

一方、B面に収録された「涙のあとに微笑みを」はご存じ、テンプターズが主演した同名GS映画のテーマ曲として有名だと思いますが、その実態は歌謡フォークがモロ出しのメロディと歌詞でありながら、ショーケンが歌う事によってギリギリのロック色が滲んだ名演!?

むしろ、こっちの方が今や人気が高いのも、なんとなく認めざるをえないのかもしれませんが、実は作詞作曲&編曲が「純愛」と同じソングライターチームというところに絶妙の目論見があったのでしょうか。

ちなみに件の映画「涙のあとに微笑みを(東宝・内川清一郎監督)」は、既にGSブームが下降線となった昭和44(1969)年の公開とあって、今では何か評価も芳しくありませんが、これが意外な傑作!

現在ではDVD化もされていますから、機会があれば昭和元禄と日本のロック全盛期をお楽しみいただきとうございます。

ということで、やっぱりテンプターズは何を演じてもロックする、凄いバンドです。

それはショーケン=萩原健一という稀代のボーカリストの存在もさることながら、松崎由治(vo,g)、田中俊夫(g)、高久昇(b)、大口広司(ds) も絶対に欠かせない、バンドメンバー総意の力量だと思います。

もちろん、この「純愛」にしても、当時のGSが出していたシングル曲の例に沿って、スタジオレコーディングの現場にはオーケストラが起用されていますが、そういうサウンドプロデュースに決して負けていないのは、テンプターズ真骨頂のロック的不良っぽさ!

それはスタジオバージョンの「純愛」を実際に聴いていただければ充分に納得されるはずですし、リアルタイムのファンであれば、当時のテレビ出演や巡業ステージで熱く演奏されていたライプバージョンが今も記憶に鮮明でしょう。

なにか一般的に本物のロックがやれたGSはゴールデン・カップスだけと思い込まれている昨今、例えばテンプターズにも同質のロック魂がある真実も、広く楽しまれるべきだと切望しております。

このあたりはテンプターズのヒット曲が例えば「おかあさん」とか、この「純愛」とか、そんなタイトルだけで歌謡曲がモロ出しと先入観念される事に大きいのかもしれませんねぇ……。

しかし、とにかく虚心坦懐!

当時リアルタイムで活動していたGSには全て、現代の「一見、ロックバンドの如し」的な安易なグループなんて、ひとつも無かったはずですよ。それは今日まで、絶対に越えることが出来ていない、社会的大ブームという歴史にも顕著に刻まれています。

最後になりましたが、未だサイケおやじはバンドとして、この「純愛」をやることが出来ていません。

いつかは、必ずっ! そう決意を新たにしているのでした。

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流石はアレサの底力!

2011-08-23 16:30:45 | Soul

明日に架ける橋 c/w A Brand New Me / Aretha Franklin (Atlantic / ワーナー)

オリジナルヒットとカバーバージョンの関係は、それこそ大衆音楽では避けて通れないものですが、特に情報が少なかった頃の我国洋楽事情においては、そこで図らずも元ネタが暴露されるという根源的な面白さもありましたですねぇ。

例えば本日ご紹介のアレサ・フランクリンが歌う「明日に架ける橋 / Bridge Over Troubled Water」は説明不要、サイモン&ガーファンクル=S&Gが1970年に放ったメガヒットの代表作というだけに留まらず、歴史に残るポピュラーな名曲ですから、カパーバージョンは星の数ほど残されています。

しかしサイケおやじが、これを特に気に入ったのは、S&Gのオリジナルバージョンが本来の味わいとしていた静謐で厳かな盛り上がりが、アレサ・フランクリンの演じるところでは、最初っから濃厚なテンションで披露されるというポイントに尽きます。

ご存じのとおり、それはS&Gのオリジナルバージョンを圧倒的な印象に導く、文字通りのピアノによる壮麗なイントロからアート・ガーファンクルが渾身の名唱によって、感動的の大団円へ向かって行く展開が圧巻だったわけですが、それをアレサ・フランクリンは自らに忠実なゴスペルフィーリングで見事に解釈!

なにしろノッケからエレピとエレキベース、そして如何にものオルガンとドラムスをバックにソウルフルなコーラスとボーカルが露払いを演じた後、本人のエレピとビリー・プレストンのオルガンが絶妙のコラポレーションを聞かせてしまう展開には、いきなりグッとシビれが止まりません。

もちろんそこにはスローミディアムの粘っこいソウルビートが厳然と存在しますから、自在にフェイクされるオリジナルメロディの魅力が尚更に顕著♪♪~♪

あぁ、この体の芯から揺さぶられてしまうグルーヴィな快感は、まさにアレサ・フランクリンの真骨頂でしょうねぇ~~~♪

しかも熱の入ったハイトーンのシャウトは、アート・ガーファンクルの美しいテノールの歌声とは似て非なる魂の発露であり、それはどちからが優れているかという問題よりは、十人十色の好き嫌いも確かにあるでしょうが、良い音楽を聴いているという充足感に他なりません。

当然ながら全篇の雰囲気の良さ、サウンドプロダクトの緻密さ、そこに強い存在感を示す名人ミュージシャン達の伴奏も素晴らしい限りですが、アレサ・フランクリンのバージョンでは、特にゴスペルムードを増幅させるコーラス隊とリードボーカルの並立が全く自然体の黒人感覚で、最高ですよ♪♪~♪

ちなみにサイケおやじがアレサ・フランクリの「明日に架ける橋 / Bridge Over Troubled Water」を初めて聴いたのは、国営FMラジオで放送されたフィルモアでのライプバージョンだったんですが、そこで瞬時にシビれながらも収録LPが経済的な問題によって入手出来ず、それからしばらく後、ようやく中古で掲載したシングル盤をゲットして仰天!?

実はこれ、サイケおやじは件のライプ盤からカットされたものだと思っていたんですが、なんとっ! スタジオ録音バージョンだったんですねぇ~~。

しかし、だからこそ、ライプバージョンと似たようなアレンジで演じられながら、さらに凝縮されたインスピレーションの素晴らしさは筆舌に尽くし難いほどです。

ちなみにアメリカでの発売は1971年3月であり、フィルモアでのライプギグが同年2月ということで、明らかに観客からの好評継続が狙いと思われますが、実際のスタジオレコーディングは1970年秋頃と言われていますから、あながちミエミエの商売とは言い切れないと思います。

そのあたりはB面収録の「A Brand New Me」が、やはり同時期にレコーディングされた事実とも符合しているというか、当然のようにこの歌も所謂フィリーソウルのカパーであり、例えばジェリー・バトラーやダスティ・スプリングフィールドのヒットバージョンは特に知られているはずです。

そしてアレサ・フランクリンが絶妙の4ビートも交えて軽く歌っていく中には、隠し様も無い濃密なゴスペルフィーリングに裏打ちされた前向きなムードが、全く最高♪♪~♪

ですから、何故にサイケおやじがアレサ・フランリンの歌う「明日に架ける橋」に惹きつけられてしまうのかは、本家S&Gが既成のゴスペルメロディを元ネタにしていたという真相を知らされて、思わず唸った現実に……!?!?

当然ながら、そうした裏話は後に知ったわけですが、ゴスペルが身に染みついているアレサ・フランクリンにしてみれば、既に世界的な大ヒットになっていた「明日に架ける橋」をナチュラルな自分流で歌ってしまう事は、なんの造作も無かったのでしょう。

そう思えば、これ以前、同じくゴスペルを焼き直したが如きビートルズの「Let It Be」をアレサ・フラクリンがジャストミートの感覚でカパーしていたのも、当たり前でした。

ということで、もちろんS&Gのオリジナルバージョンを否定するものではありませんが、機会があれば、このアレサ・フランクリンの魂の歌もお楽しみ下さいませ。

既に述べたように、どういうわけか、ご紹介のスタジオ録音バージョンは、リアルタイムで発売されていたアレサ・フランクリンのアルバム群には収録されず、つまりはシングル盤オンリーの存在でしたが、現在ではベスト盤を含む様々なCDで聴くことが出来ますので、ぜひっ!

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最高だったCCRの全盛期

2011-08-22 15:52:29 | Rock

雨をみたかい c/w Hey Tonight
                                       / Creedence Clearwater Revival
(Fantasy / 東芝)

1970年年代初頭、やはり驚異的な人気を集めたバンドのひとつがクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル=CCRでした。

ご存じのとおり、当時はハードロックやプログレ、あるいはシンガーソングライター、そしてニューソウルが乱戦状態の洋楽天国♪♪~♪ しかもポップス王道の所謂「3分間物」と称されるシングルヒット狙い専門の歌手やグループも数多活躍していましたからねぇ。業界全体に勢いがあったのも当然でしょう。

ですから、本来はLP単位で勝負するロックバンドにとっても、シングルヒットは絶対条件的なものであり、例えばディープ・パープルなら「Black Night」、ゼップならば「移民の歌」等々、わざわざ新作アルバムを出すプロモーション的な意味合いのシングル曲を吹き込む事に恥ずかしさはあったとしても、リアルタイムのファンならば納得して大歓迎だったのです。

ところがCCRの人気の大きな要因は、そうしたシングルヒットを苦も無く、実に自然体で連発出来たことで、それは1969年の「Proud Mary」あたりから特に顕著! しかも連動して出されるアルバムの中には、どれをカットしてもヒット間違い無しというキャッチーな楽曲がびっしり入っていましたし、実際にそうやって流行りまくった歌と演奏は数えきれません。

ただし誤解してはならないと思うんですが、CCRの作ったアルバムは決してシングルヒットの寄せ集めではなく、きっちりと目的意識を強くしたプロデュースがあったはずで、それは当時の流行だったスワンプロックやカントリーロック、さらにはファンキーロックに近いものまでを自分達流のR&Rで纏めていた成果に他なりません。

そのあたりは残されたスタジオ録音のLPを聴けば、シビれるような感覚と共に伝わってくるはずです。

そしてもうひとつ、CCRが絶対的な人気を獲得した裏には、アマチュアのバンドがコピーし易いというポイントがありました。

なにしろ楽曲そのものが、どっかで聞いた事があるような親しみに溢れていますし、基本的にはギターバンドでありながら、難しいコードやリフは用いず、それでいてカッコ良すぎるキメとリズムのコンビネーションは、素人が最も「やれそうな気持」にさせられるものでしょう。

例えば本日ご紹介の「雨を見たかい / Have You Ever Seen The Rain」も説明不要、1971年のウルトラ大ヒットなんですが、ギターのカッティングや黄金律的なコード進行も、全く当時の我国では歌謡フォークに一脈通じるが如き魅力として、広く歓迎されていましたですねぇ。

このあたりは、まさにリアルタイムのCCRが目指していたと思われる、なかなか内省的な世界であって、それまでの豪快に突進し、ドロドロに熱して弾ける独得の曲調とサウンドからは離れてしまった異質な仕上がりなんですが、それこそが時代の空気感!?

一方、B面収録の「Hey Tonigh」は痛快無比! これぞっ! CCRが十八番のスピードがついたR&Rであって、言うこと無し♪♪~♪

ちなみにCCRの大きな魅力は、ほとんどの楽曲を作ってしまうジョン・フォガティの豪胆な熱血ボーカルにも決定的なんですが、それでいて絶妙の哀愁を滲ませるあたりは名人芸で、特に「雨を見たかい / Have You Ever Seen The Rain」は何時聴いても、強い印象が残ります。

ただし、それにしてもトム・フォガティ(g)、スチュ・クック(b)、ダグ・クリフォード(ds) という他のバンドメンバーが、一途なリズムとビートを刻んでいればこそっ! 

些か確信犯的な結果論ではありますが、この「雨を見たかい」の大ヒットを出した後、トム・フォガティが脱退し、三人組となった末路のトホホ感……。さらにCCR解散後にジョン・フォガティがソロとして出したアルバム&シングルは、それなりに良く出来てはいたものの、明らかに物足りなさが……。

つまり全盛時代のCCRが発散させていた濃密なR&Rワールドは、唯一無二!

ジョン・フォガティが思いっきり自分の才能を活かせたのも、寡黙で堅実なリズム隊が骨太のビートを提供していた事に尽きます!

それは次なる新展開のスタートを目論んだのかもしれない「雨を見たかい」のメガヒットによって、確実な成功へのベクトルが提示されただけに、以降のバンド分裂は勿体無い限りでした。

ということで、CCRが残した楽曲は誰もが親しみ易く、歌と演奏はギュ~~っと凝縮されたロックの醍醐味に満ちています。

思えば当時は、ゼップやイエスにはなれなくとも、CCRには成りきっていたアマチュアバンドがどっさりありました。もちろん、その中にはアコースティックギターがメインのフォーク系のグループもあって、日頃は海援隊とか、かぐや姫とかやっている奴らが、ストーンズの「悲しみのアンジー」等々を歌っているのに接すると、不条理な憤りを覚えたものですが、何故か「雨を見たかい」には憎めませんでしたねぇ……。

そのあたりの気分は、あの時、自分も若かったという事でしょう。

失礼致しました。

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