OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ボニー姐さんのデビュー盤

2010-07-31 16:16:25 | Rock

Bonnie Raitt (Warner Bros.)

嘗て我国では、日本語のロック云々と並んで、女にロックは出来ねぇ!?!

なぁ~んていう論争が本気でありました。

まあ、そんなことは完全な偏見でしょうし、実際、ジャニス・ジョプリンやグレース・スリック等々の凄い女性ロッカーが登場していたのは紛れもない歴史です。

しかし、そんな議論(?)の中で常に槍玉にあがっていたのが、本日ご紹介のボニー・レイットでした。

なにしろ女だてらにスライドギターを弾きながらブルースを歌うという、些か小癪な存在感が、可愛さ余って憎さ百倍!? 失礼ながら特別に美人ではないというあたりも本格派の面目として、逆に許せない!?

実は結論から言えば、ボニー・レイットはそのデビュー時からブルースを演じる若き白人女という商品価値が絶対的でありながら、一般的なレコードセールスは決して芳しくなく、おそらくは会社側の意向だったんでしょうが、アルバム制作を重ねる度にブルース色を抑え、如何にも流行のロック系女性シンガーという方向性を強めていった時期もあります。

しかし、巡業におけるライプの現場では、きっちりスライドギターを弾きながらのブルースをやって、お客さんもそこに期待していたのは明らかでした。

また、彼女の音楽性は決してブルース一辺倒だけではない、なかなかハートウォームでソウルフルなボーカルスタイルや凛とした女性としての表現も、素晴らしいのです。

さて、そこで本日の1枚は1971年に発売されたボニー・レイットのデビューアルバムで、評論家の先生方からは好評だったと伝えられますが、売れ行きは散々……。リアルタイムの我国でも、果たして日本盤が出ていたのか? ちょいと定かではありません。

それでも前述した、女にロック云々の論争の中でボニー・レイットの名前を知ったサイケおやじは、彼女がスライドギターを弾くという事実もあり、聴いたことも無いのに話は出来ないという思いから、とりあえず1973年夏に中古で、このLPを手に入れたのです。

 A-1 Bluebird
 A-2 Mighty Tight Woman
 A-3 Thank You
 A-4 Finest Lovin' Man
 A-5 Any Day Woman
 B-1 Big Road
 B-2 Walking Blues
 B-3 Danger Heartbreak Dead Ahead
 B-4 Since I Fell For You
 B-5 I Ain't Blue
 B-6 Women Be Wise

まずA面に針を落とせば、いきなりスティーヴン・スティルス作で、バッファロー・スプリングフィールドの代表曲という「Bluebird」が、グッとスワンプロック系のフォークブルースなアレンジで演じられるのですから、吃驚仰天!

しかもイントロから鳴りっぱなしのアコースティックスライドは、もちろんボニー・レイット本人が弾いているというのですから、たまりません。

バンドサウンド主体で、ボーカルやコーラスと演奏パートの録音バランスが、当然ながらステレオミックスではありますが、何故か団子状なのも、好き嫌いはあるにしろ、サイケおやじにはジャストミート♪♪~♪

う~ん、これはガチンコで本気度が高いっ!

ですから黒人ブルース本流というロバート・ジョンソンの「Walking Blues」や女性ブルース歌手のシッピー・ウォレスが十八番「Mighty Tight Woman」に「Women Be Wise」、あるいはトミー・ジョンソンの「Big Road」あたりを演じても、そこに独自のアレンジを持ち込んで、決して流されることがありません。

中でも「Walking Blues」は手拍子と彼女のアコースティックギターが絶妙のビート感を作り出す中、これまた黒人ブルースの現役大御所だったジュニア・ウェルズのハーモニカを従えたボニー・レイットの意気込みと矜持が、実に良く出た名唱名演だと思います。

巧みなスライドも良い感じ♪♪~♪

またソウルフルなイメージとしては、R&Bファン感涙の「Since I Fell For You」が嬉しいところでしょう。ジャズ者にはリー・モーガンの演奏も有名ということは、その泣きの歌メロが魅力の根幹! それをボニー・レイットは、ちょいと拙い雰囲気で歌っているですが、その守ってあげたくなるムードが、捨て難いんですよねぇ~♪ バックの面々の、そんなスケベ心(?)を滲ませた助演も憎めません。

ちなみにこのセッション当時のボニー・レイットは二十歳だったそうですが、その生い立ちはブロードウェイで活躍したジョン・レイットの愛娘でありながら、ウエストコーストで育った幼少の頃から黒人ブルースを聴きつつ、ギターを練習!?! 言うまでもなく、その頃の白人社会で黒人ブルースを本気で聴くなんていうのは、よほどの世間知らずか、変り者というのがアメリカの社会常識でした。そして18歳で大学へ進学するはずが、何時しかボストン周辺でブルースを歌い、またサン・ハウスやフレッド・マクダウェルといった本物の黒人ブルースマンに師事していたというのですから、その覚悟のほどが知れようというものです。

そうした姿勢と存在感が有名興行師のディック・ウォーターマンの目にとまり、ここにデビューとなったわけですが、既に述べたように、ボニー・レイットの商品価値は、ブルースを本気で演じる白人女! そこに対する拘りの強弱が、常に彼女の活動につきまとったのは否めません。

ですから、実はシンガーソングライターとしても有能な彼女の魅力が、その初期のキャリアからあまり注目されなかったのは残念……。

このアルバムでも、実はきっちりと自作自演を披露して、まずは如何にも1970年代初頭のムードが横溢した「Thank You」が、個人的には最高に好きです。所謂フォークソング系の歌なんですが、演奏パートも含めて、吉田美奈子のデビューアルバムや初期ユーミンに通じる味わいが素敵♪♪~♪

また、もうひとつのオリジナル曲「Finest Lovin' Man」が、正統的なブルースロックのアンプラグド的展開なのも嬉しいかぎり♪♪~♪ 絶妙に肩の力が抜けた彼女の歌とギターからは、そこはかとない色気さえ漂ってきますよ。

ということで、これもまたサイケおやじの日常的愛聴盤のひとつです。

ご存じのようにボニー・レイットは、このアルバムを出した1971年の公式デビュー以来、強い存在感とは裏腹の売れ方でした。それが報われたのは1989年にグラミー賞を獲得したアルバム「ニック・オブ・タイム」まで待たねばならないのですが、その間も彼女は全く進化を止めていません。

今ではギターにしても堂々とエレキスライドを演じますし、それにも増して素晴らしいのがボーカルの味わい深さでしょう。実際のライプではピアノの弾き語りで、じっくりと歌う演出も、絶対に飽きることのないヤミツキ症候群です。

これはボニー・レイットのライプを1985年以来、4回も堪能したサイケおやじの偽りの無い気持です。

ちなみに彼女のスライド奏法は、中指にガラス製のパーを装着するという、ちょいと良し悪しの判断も出来かねるスタイルなんですが、とにかく出てくる音とフレーズは本格的で、しかも根源的な魅力に溢れていると思います。

このあたりは映像としても簡単にご覧になれますから、まさにスライド姐御の本領発揮が楽しめるはず!

現在、既に還暦を迎えているボニー・レイットではありますが、その佇まいや音楽に対する情熱に、ヤワな男は絶対勝てないでしょう。

そして出発的となった本日ご紹介のアルバムには、現在となんら変わることのない強さがあります。有名無名を問わず参集した助っ人達が、とにかくハートウォームに彼女を盛り立てんとする雰囲気の良さも、このアルバムの魅力のひとつです。

ちなみに、このアルバムのアナログ盤は一般的に音が悪いということになっていて、後にCD化された時にはリミックスが施されたらしいんですが、それは持っていないので比較のしようもありません。

しかし、一説によると木造の倉庫で録音されたというこのアルバムの「音」が、現在の彼女の状況を鑑みても、ボニー・レイットという女ロッカーには合っていたと思うのは私だけでしょうか?

そして冒頭に述べた議論に話を戻せば、確かにロックが出来ない女もいるでしょう。

しかしボニー・レイットは完全にロックした、素晴らしい女!

これは譲れません。

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レディジェンの煩悩

2010-07-30 14:43:16 | Rolling Stones

出張先から失礼します。

ついにというか、素直に喜んでいいのか!?

ストーンズのライプ全盛期の記録映画「Ladies & Gentlemen」がオフィシャル化らしいです。

どうやら10月の発売予定!?

これまで散々、ブートで出回っていましたが、今回はピッチが正確なのか?

ミック・ジャガーのインタビューのおまけは如何に?

米国盤ブルーレイは日本語字幕入り?

もし、そうだったら、これを契機にブルーレイを導入しようかなぁ。

等々、諸々の疑問と煩悩が早くも私の心に渦巻いています。

ネットでは早くも様々な情報が飛び交って、なにが真実なのか不明……。

しかし絶対なのは、買うという行動だけです!

ストーンズフリークはもろちん、全てのロックファンは必見!

なんだか今日は、何も手がつかない状態です。

乱文、ご容赦願います。

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ムーディー・ブルースは爽やかで痛快!

2010-07-29 16:53:00 | Rock

Story in Your Eyes / The Moody Blues (Threshold / キング)

ムーディー・ブルースは、メロトロンというストリングの効果を作り出せるキーボードを主体に、幻想的で壮大な物語世界をアルバム単位で聴かせるという、それが一般的なイメージのプログレグループではありますが、実は紛うこと無きロックバンド!

そういう部分が忘れ去られているというか、メーカー側の特化したイメージ宣伝にもよるんでしょうが、決して勿体ぶった音楽ばかりやっているわけではありません。

むしろ強いロックビートの楽曲を演じてこそ、その対極として例えば「サテンの夜」の如き、こみあげてくるようなスローバラードが活きてくるんじゃないでしょうか。

その意味で本日ご紹介のシングル曲は、ムーディー・ブルースが1971年に発表した最高傑作と言われる名盤LP「童夢 / Every Good Boy Deserves Favour」からカットされた、実にイカシた痛快ロック!

アコースティック&エレキギターが絶妙に作り出すキャッチーなイントロからアップテンポで歌われるメロディは実に覚えやすく、もちろん十八番のメロトロンによる重層的な彩りとソフトロック的なコーラスワークが、まさにムーディー・ブルースを特徴づけていると思います。

しかし同時に魅力的なのが、ニクイほどカッコ良いリードギターのキメとドライブしまくったベース、さらに幾分ドタバタのドラムスです。

極言すれば相当にモヤモヤした音作りは欧州プログレの典型でありながら、演じられている楽曲のノリはウエストコーストロックなんですねぇ~♪

これを聴いて思わずドゥーピー・ブラザーズを想起させられたとしても、それはムーディー・ブルースの企みに補足されたことに他ならないと思うばかりです。

と言うよりも、この時点でドゥーピー・ブラザーズは未だブレイク前でしたから、ドゥビーズの面々はこれを聴いていたのか!?

そこで学生時代のサイケおやじが入れてもらっていたバンドでは、邦題が「愛のストーリー」とされるこの曲を、モロにドゥーピー・ブラザーズ風に演じるというウケ狙いをやっていました。そのキモはメロトロンのパートをオルガンに置き換える裏ワザです。

そして実際、ある日のライプの後でタイバンに出ていたメンバーから、あのドゥーピー・ブラザーズは何のアルバムに入っているの? と尋ねられた時は、生意気にも本当に嬉しかったですねぇ~♪

しかし良い気にばかりもなっていられません。

告白すればサイケおやじは「サテンの夜」が1972年にリバイバルヒットしてから、ほとんど初めてムーディ・ブルースを後追いで聴いたわけですから、この曲が欧米で大ヒットしていたことをリアルタイムでは知る由もなく、もちろん我国でのヒット状況も定かな記憶がありません。

当然、このシングル盤も、後追い鑑賞の途中でゲットしたものですし、デビュー当時のムーディ・ブルースがブリティッシュR&Bの正統を演じていたバンドだった真相も、その過程で知りました。

ですから1973年に発売された「神秘な世界 / Seventh Sojoutn」からのシングルカット曲「ロックン・ロール・シンガー / I'm Just A Singer」が、またしてもゴキゲンに爽やかなヒットになっても、こんなのプレグレじゃねぇ~~! なんて憤るファンの気持が理解出来ず……。

また1980年代、イエスの人気盤「リレイヤー」に参加していたパトリック・モラーツ(key) を迎えてからのライプで、それこそギンギンなハードロック路線を演じていた時も、これがムーディ・ブルースの本質!?! と発言して、周囲から顰蹙を……。

しかし、それじゃ、プログレって、何だ!?

という疑問が打ち消せませんねぇ。

幻想的で壮大な組曲形式の歌と演奏をやるのが、プログレバンドなんでしょうか?

確かにムーディー・ブルースは、それもひとつの表現として演じることがあります。

ただし、そればかりじゃ、無い!

既に述べたように、他に痛快で親しみやすいプログラムがあってこそ、そういうものが印象に残るレコードやステージを作っているんじゃないでしょうか。

結局、プログレという業界の分類と売り方は両刃の剣というか、テクニック的に優れたバンドいうイメージと意味不明の凄みばかりが強調され、最終的には誤解されるミュージシャンが大勢残ってしまう気がしますねぇ……。

そこでムーディー・ブルースは、もっと気楽に聴かれるべき!

というのが、本日の主題です。

近年はソフトロックという解釈もされるムーディー・ブルースは、案外とそれが正解なのかもしれません。

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美しきザ・ヴァイオレッツのゴスペルソウルな歌謡曲

2010-07-28 16:35:18 | 歌謡曲

スウィート・インスピレーション c/w 自由への讃歌 / ザ・ヴァイオレッツ
                                          (ミノルフォン / ハーベスト)

本日のご紹介も、先日の出張で釣り上げてきたシングル盤です。

ザ・ヴァイオレッツはジャケ写からも一目瞭然、全くサイケおやじ好みという美しいお姉様三人組のコーラスグループ♪♪~♪ もちろんルックス優先だけではない、凄い実力派として昭和40年代前半にはテレビにも出演するほどの活躍でしたが、その結成は昭和37(1962)年頃だったと言われています。

メンバーは草山ます美、草山留三子、草山水映子ですから、つまりは三姉妹ということで、そのコーラス&ハーモニーワークは最高の極み!

そして恐らくはデビュー曲と思われる「ふるさとの匂い」を小ヒットさせたのですが、そのゴスペルフィーリングを秘めたグルーヴィな黒人ノリを歌謡曲、あるいは歌謡フォークに活かした味わいは当時、実に新鮮でした。

で、このシングル盤は昭和44(1969)年春に発売されたもので、結果的にヒットしたとは言えませんが、恐らくは彼女達が一番やりかたったであろう、ゴスペル色の強い、黒人コーラスグループの如き魅力が全開♪♪~♪

まずA面は、アレサ・フランクリンのバックでお馴染みのスウィート・インスピレーションが1967年に放ったヒット曲のカパーで、歌詞は英語と日本語のチャンポンなんですが、とにかくボーカルとハーモニーの歌いまわしが、完全に黒人グループのそれと同じなんですねぇ~♪

彼女達の声質そのもの、また発音のイントネーションの用い方が、実にソウルフルですよ♪♪~♪

もちろんバックの演奏もミディアムテンポで重心の低いアメリカ南部系ソウルのノリを再現すべく、絶妙の頑張りを聞かせてくれますから、たまりません。

またB面は、これまたサイケおやじが大好きなラスカルズの大ヒット曲「自由への讃歌」の日本語カパーというのも、本当に涙が滲むほどの嬉しさなんですが、こちらはオリジナルが白人ソウルということで、A面に比べるとかなり爽やかというか、如何にも日本のコーラスグループらしい仕上がりになっています。

ただし随所に現れるゴスペルフィーリングは隠しようもないのか、あるいは意図的なのかは知る由もありませんが、分厚いコーラス&ハーモニーの魅力は、やはり素晴らしい限りです。

とにかくこのあたりは、確固として存在する歌謡ソウルの範疇では決して捉えきれない本格的なものでしょう。何故ならば、そこに必須の所謂コブシが、このザ・ヴァイオレッツの歌とコーラスには表だっていないからです。

しかし例えば山下達郎の「ライド・オン・タイム」や「クリスマス・イヴ」のヒットでも顕著なように、黒っぽい歌い方の「味」は歌謡曲に慣れ親しんだ耳には「コブシ」と同様であり、その意味で歌謡ソウルはソウル演歌ですから、我国でウケるのもムベなるかな!

ただし、カッコ良すぎるのはいけません。

残念ながらザ・ヴァイオレッツが大ヒットを出せなかったのは、あまりにも本物の洋楽っぽかったということかもしれませんが、それでもこのシングル盤収録の2曲を聴いていると、微妙にダサい感覚が残れされていて、あれっ、どうしたの!? と言いたくなるわけです。まあ、そこがギリギリの妥協点だったのかもしれませんねぇ……。

ということで、これはカッコ良すぎた歌謡ソウル!

さて、話は変わりますが、皆様は中古盤や古本漁りする時、欲しい物リストを作られたことが少なからずあろうかと思います。

サイケおやじの場合は高校生の頃から専用の手帳を作り、洋楽と和物に分けた名前順のそれを持ち歩いていましたし、時が流れ、システム手帳~ノートパソコン、さらにケイタイへと時代が移り変わる度にリストを更新してきたのですが、最近はまた、昔の手帳形式に戻っています。

そして今や洋楽と和物だけでなく、ジャズやロックや歌謡曲という細かい分類も作られているのですが、当然ながら、素直に分けきれない対象もあり、このザ・ヴァイオレッツも店によってはジャズのコーナーに置いてあったり、イージーリスニングに分類されていたりで、ちょいと難しい扱いでした。

ところが先日の出張で訪れた店では、堂々と歌謡曲のコーナーにあったんですねぇ。しかも状態は新品に限りなく近いもので、おそらくはデッドストックだったんじゃないでしょうか。

告白すれば、実はザ・ヴァイオレッツについては、このブツを欲しいことさえ忘れていたんですが、何故かその直前にリストの手帳を出した時、自分では「その他」に分類していたページを一番最初に開いてしまったのが、発見のきっかけでした。

これも神様の思し召しでしょうねぇ~♪

心から感謝している次第です。

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早乙女愛、安らかに……

2010-07-27 16:39:40 | 歌謡曲

魔法の鏡 c/w 一方通行 / 早乙女愛 (CBSソニー)

昨日は早乙女愛の訃報に衝撃を受けました。

享年51歳……。

ご存じのように、彼女は昭和49(1974)年、16歳で映画「愛と誠(松竹・山根成之監督)」のヒロインとして、役名そのまんまの芸名でデビューしています。

そして愛くるしい面立ちで忽ちスタアになり、所謂清純派として人気を集めるのですが、サイケおやじが新人時代の彼女に魅せられたのは、どこか翳を秘めた演技、悲しみに歪む美貌が倒錯的な魅力に満ちていたことによります。

また少しずつ明らかにされていった豊満な肉体のエロスにも、たまらないものがありました。

そしてついに昭和58(1983)年、日活ロマンポルノ「雌猫(山城新伍監督)」で大胆なレズシーンも含む、素晴らしいヌードを披露し、もちろんそれは大ヒット♪♪~♪ 以後、ヌードグラビアや写真集、カレンダーも評判を呼び、巨乳スタアのトップに君臨するのです。

しかし、これは後に知り得た裏話ではありますが、そういう現場での彼女は、要求されるポーズや演出については逡巡することが多かったとか!?

まあ、そのあたりの羞恥心というか、そういうものが男を歓喜させる素晴らしいエロスに結びついたことは言わずもがなでしょう。

また、既に述べたように、早乙女愛という女優の資質としての翳りが、二十代になって演じることが多くなった悪女や我儘女という役柄にはジャストミートで、特に個人的にはテレビのサスペンス物ですが、江戸川乱歩原作による美女シリーズ「炎の中の美女・三角館の恐怖」はDVD化もされていますから、ぜひともご覧下さい。

さて、本日ご紹介のシングル盤は昭和51(1976)年に発売されたデビュー曲で、A面はもちろん説明不要というユーミンのカパーなんですが、そのお洒落なメルヘン調の楽曲を純朴に歌ってくれる早乙女愛の魅力が全開♪♪~♪ そこには言うまでもなく、一抹の翳りが秘められていると思うのはサイケおやじだけでしょうか?

その意味でB面収録の「一方通行」における、ちょいとネクラな片思いの歌詞が早乙女愛によって書かれたというのも、ナイスプロジェクトでした。

実は告白すると、サイケおやじはユーミン繋がりから、このシングル盤をゲットしたんですが、このB面には恥ずかしながら自分の中にある少女趣味を刺激されましたですねぇ。いや、これは私だけではなく、男なら誰でも少なからずもっているセンチメンタルな部分じゃないでしょうか。と、言い訳も書かせて下さいませ。

ということで、不謹慎な結果論になりますが、サイケおやじはデビュー当時から、なんとなく早乙女愛の将来について悲観的なものを感じていました。

人生についての幸不幸は絶対に本人以外には決められないものなんですが、今回の早すぎる訃報に接しては、それゆえに悲しさが募ります。

そして衷心からご冥福を……。合掌。

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ストーンズとうなぎのライブ

2010-07-26 17:19:23 | Rolling Stones

Got Live If You Want It! / The Rolling Stones (London)

ストーンズが1966年のクリスマス商戦用にアメリカ優先で出したライプLPなんですが、本日掲載したのは、そのモノラルミックスの米国盤です。

ご存じのように、当時のアナログ盤ではステレオとモノラルの両ミックスにおいて、まだまだ厳然とした差異が認められていましたから、このアルバムも例外ではありません。しかもCD時代となって再発された時、マスタリングの都合があったのか否か、英米盤はもちろんのこと、日本を含めた各国盤で様々なミックス違いや編集ポイントの不可思議が重なったという、なかなか一筋縄では聴けない作品になってしまいました。

その詳細と経緯については、拙稿「転石音盤史 1966 part 5」をご一読願いたいのですが、これを本日、わざわざ取り上げたのは、ちょい前の出張で中古盤屋から釣り上げてきたという顛末です。

告白すればサイケおやじは、既にこのモノラル盤は2枚所有していたのですが、それでも状態の良いブツに出会ってしまえば、ゲットさせられてしまうんですねぇ。

まあ、そうやって他にも複数枚の所有になっているレコードは相当にあるんですが、あぁ、やっぱり今回も……、なぁ~んて自分に言い訳をしながら、お金を払ってしまいました。

ちなみに価格は販売店との信義もありますから、詳らかには致しませんが、相場よりも、かなり安かったんですよ♪♪~♪

ということで、今日は土用の丑の日!

全くストーンズとは関係ないんですが、特に今年はバテバテのサイケおやじにすれば、うなぎを奮発しようか、思案の首が曲がりっぱなし!?

いや、このアルバムってヌルヌルしていて掴みどころがない魅力というか、聴けばレコードに刻まれた観客の熱狂がダイレクトにリスナーのエネルギーに変換されるという、実はうなぎの蒲焼のような美味しい人気盤!

その脂っこさだって、言わずもがなでしょう♪♪~♪

と、こじつけところで、本日は失礼致します。

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今年の夏こそ、マイ・サマー・ガール

2010-07-25 16:42:26 | 日本のロック

マイ・サマー・ガール / ジャッキー吉川とブルー・コメッツ (CBS)

日本のロック全盛期だった昭和40年代前半のGSブームの頃、そのトップバンドのひとつだったブルー・コメッツは、今にして思えば奇異なグループでした。

なにしろ長髪にキッチュな衣装が当たり前のGSの中にあって、スーツ姿に七三の髪型、落ち着いたステージマナーと抜群の演奏力、さらに自前のヒット曲を易々と連発する姿勢は、ロックというよりは歌謡曲に近い存在感さえありました。

実際、それは何かとNGが多かった他のGSバンドを差し置いてNHKへの出演が許可されたり、歌謡曲の女王だった美空ひばりの「真っ赤な太陽」でバックを務めたり、ついには名曲「ブルー・シャトウ」で昭和42(1967)年度のレコード大賞を獲得するという快挙も含めて、日本芸能史を彩るエピソードには事欠きません。

しかしブルー・コメッツの凄さは、決して大衆路線ばかりではなく、当時の洋楽や社会の流行にもきちんと目を向けていた基本姿勢から作り出される親しみ易さじゃないでしょうか。

さて、本日ご紹介の「マイ・サマー・ガール」は昭和43(1968)年夏にヒットした「草原の輝き」のシングル盤B面曲なんですが、掲載した画像でもご覧になれるとおり、レコードスリーブがちゃ~んとB面にも対応出来るように作られたところに、当時の業界とバンドの勢いが感じられると思います。

そして曲タイトルからもご推察のとおり、イントロからのコーラスワークはモロにビーチボーイズを意識したものですし、そこはかとないアンニュイなムードを漂わせるAメロから一転して力強いロックヒートで歌われるサビの痛快感が、実に最高♪♪~♪

もちろん演奏&コーラスパートもブルー・コメッツの自前でしょう。

説明不要のメンバーは井上忠夫(vo,ts,fl)、三原綱木(vo,g)、小田啓義(key)、高橋健二(vo,b)、ジャッキー吉川(ds) という黄金の5人組ですが、しかしブルー・コメッツはGS期に突発的なデビューを果たしたバンドではなく、その結成は昭和32(1957)年頃だと言われています。

もちろん当時のメンバーは前述の5人ではなく、それでもジャッキー吉川が業界用語ではボーヤと呼ばれるローディとしての付き人修行を経た昭和35(1960)年頃になって、それまでのハコバン体質から脱却したと言われています。

しかし当時の仕事は鹿内孝や麻生京子といった所謂ロカビリー歌手のバックを務めることがメインであり、中でも尾藤イサオと組んだ昭和40(1965)年の「悲しき願い」が大ヒットしたことは有名でしょう。前述のメンバーが揃ったのも、この時期だと言われています。

そして余勢をかってというか、いよいよブルー・コメッツも自らの活動を活性化させ、その背景にはエレキブームとビートルズの世界的なブレイクがあったことは明らかなんですが、バンド編成からも推察出来るとおり、ブルー・コメッツは最初からベンチャーズやビートルズではなく、デイヴ・クラーク・ファイブの路線を狙っていたんじゃないでしょうか?

メンバーの前歴にジャズが大きく根ざしていることも、その要因かもしれませんし、何よりもビートバンド的な狂騒よりは、なにをやっても洒落たセンスを活かしたポップなフィーリングを大切にしていたように思います。

それは当時の洋楽では、もうひとつの柱となっていたハリウッドポップスやモータウンサウンドの歌謡曲への流用という、単なるエレキ&ビートバンドには容易く成しえない職人技であり、しかも我国伝統のリズム歌謡と呼ばれた折衷洋楽の衣鉢さえ継ぐものでした。

このあたりは当時、ライバルとして人気を二分していたスパイダースにも共通する部分はあるでしょう。しかしスパイダースがあくまでもロック優先主義を前面に出していたのとは対照的に、ブルー・コメッツはもっと幅広いファンを獲得する道を選択したのかもしれません。

なにしろ、そのブレイクする端緒となった英語詞のオリジナル曲「青い瞳」が昭和41(1966)年に評判を呼ぶと、すぐさま日本語バージョンを出して大ヒットさせてしまうという姿勢が潔い!

まあ、そういうところは後の歌謡曲どっぶり路線への転身にも繋がることなんでしょうが、ちょうどその端境期に出された「マイ・サマー・ガール」は、洋楽ポップスと昭和歌謡曲のギリギリの接点が上手く表現出来た隠れ傑作じゃないでしょうか?

ちなみに作編曲とリードボーカルは三原綱木です。

ということで、所謂季節商品としてもイマイチ忘れられている名曲だと思いますが、今年の夏こそブレイクして欲しいと、毎年のように願っているのでした。

ジャケ写の幾分の暑苦しさは、ご容赦下さいませ。

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元祖! 日本の夏のロック!

2010-07-24 16:42:29 | 日本のロック

太陽の彼方に / 藤本好一 with 寺内タケシとブルー・ジーンズ (テイチク)

昭和を過ごされた、特にサイケおやじと同世代の皆様にとっての夏は、ノッテケ、ノッテケ♪♪~♪ でしょうかねぇ~♪

と、今日もまた独断と偏見の書き出しになりましたが、しかし本日ご紹介のシングル曲「太陽の彼方に」が出なければ、日本の音楽史を大きく変革したエレキブームもなかったといって過言ではありません。

ご存じのように、そもそもの元ネタは、アメリカでは売れていなかったアストロノウツの「Movin'」というインスト曲なんですが、これが我国独自の大ヒットになったことから、そこへ日本語の歌詞をつけた歌謡曲バージョンが出るのは、当時の洋楽と我国の芸能界双方では当然が必然!

発売されたのは昭和39(1964)年5月とされていますが、とにかくその年はもちろんのこと、夏になると必ず流れてくる必殺定番のひとつとして、ノッテケ、ノッテケ♪♪~♪ 誰もが一度は耳にしたことのある名フレーズは不滅でしょう。

そのポイントは完全エレキ歌謡に仕立て上げた寺内タケシのアレンジの素晴らしさ、そしてブルー・ジーンズの演奏力の凄さが絶対です。

とにかくイントロのギターリフのノリが、当時としては完璧にロックしているんですねぇ~♪ そして全篇で演じられるリズムギターのビートも同様ですし、もちろん寺内タケシが間奏やボーカルのバックで炸裂させる強烈なリードギターのアドリブも唯一無二!

まあ、今となってはレコーディング技術の問題や日本人にも分かり易くするためのビート処理等々に、ちょいと気恥ずかしいところもあるのが正直な気持です。しかし、これがリアルタイムでは強烈なロックだったんですよっ!

ちなみに当時のブルー・ジーンズのメンバーは寺内タケシ(g)、加瀬邦彦(g)、市山正英(g)、鈴木八郎(org)、石橋志郎(b)、工藤文夫(ds) と推察しておりますが、その纏まりの良さは流石だと思います。

肝心の藤本好一はロカビリー系の歌手で、ブルー・ジーンズ専属のひとりでしたが、その頃の芸能界の成り行きとして、歌手&バックバンドという関係から、バンドが主導権を握り始めたのも、この時期じゃなかったでしょうか。

折しも海外ではビートルズが大ブレイクし、また我国でもいよいよ本格的なエレキブームが到来し、アストロノウツに続いてベンチャーズが外タレのトップに躍り出た時期であれば、それは自然の流れではありますが、やはり寺内タケシという、先見の妙に長けた天才ギタリストが居ればこその結果だったと思います。

そして、この日本語歌詞付きバージョンが人気を博したことにより、エレキブームは尚更に過熱していくのです。

まさにノッテケ、ノッテケ♪♪~♪

アマチュアバンドにも必須の演目になったのは、言うまでもありませんが、実はサイケおやじが学生時代、仲間の実家が経営していた地方の海浜ホテルに合宿を兼ねたアルバイト演奏に出かけた時、この曲をリクエストされて面映ゆい気持になったことも忘れられません。

また昭和47(1972)年には、セクシーアイドルのトップグループだったゴールデン・ハーフがリバイバルヒットさせたこともあり、やはり昭和の夏にはノッテケ、ノッテケ♪♪~♪

ということで、本日の1枚はジャケットの大人しい感じに違和感を覚えるほど、中身は強烈な和製ロック! その元祖として絶対に外せないんじゃないでしょうか。

今となっては藤本好一のボーカルスタイルが些かのミスマッチかもしれませんが、それすらもロックにしてしまった寺内タケシとブルー・ジーンズは最高♪♪~♪

そして「ノッテケ、ノッテケ」の名フレーズを作り出した作詞家のタカオ・カンベも、永遠のロックンローラーだと思います。

日本夏は、やっぱり、これですよっ!

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猛暑に歌謡ボサノバを

2010-07-23 16:55:51 | 歌謡曲

スノー・ドルフィン・サンバ c/w 恋のスノー・ドルフィン
                         / ユキとヒデ (ポリドール)

本場のボサノバよりもボサロックが好きなサイケおやじは、当然ながら歌謡ボサノバも大好きです。例えば本日ご紹介のシングル盤は両面共に愛聴して止まない、所謂マイ・フェイバリット・ソングス♪♪~♪

歌っているユキとヒデは日本人の男女デュオですが、バックは渡辺貞夫グループが演じたとされていますから、発売された昭和42(1967)年晩秋がGS大ブレイク期だったことを鑑みれば、当時の昭和元禄が如何に「何でもあり」だったか、今日でもあの時代のエネルギーは眩しいばかりだと痛感されます。

肝心の楽曲は、まずA面の「スノー・ドルフィン・サンバ」がタイトルどおりに軽快なボサロックのビートで歌われる楽しいメロディが、何度聴いても素敵です。もちろん「雪」とか「白い銀河」とか、スキーをイメージした作詞は、猛暑の夏には聴くほどに涼やかですよ。

ちなみに当時は「スノー・ドルフィン」って、意味が分からなかったのですが、実はプロスキーヤーとして有名な三浦雄一郎のニックネームだそうですね。確か「スノー・ドルフィン」というチームや教習所もやっているらしいですが、ここで聞かれる確かに颯爽とした歌と演奏は、まさに白銀の世界を滑りまくる三浦雄一郎のイメージにぴったりかもしれません。

それと今では有名なネタばらしなんですが、間奏で渡辺貞夫が演じるフルートのメロディが、ユーミンの「あの日に帰りたい」のイントロコーラスへと転用された疑惑(?)も、隠し通せないんじゃないでしょうか。

まあ、それはそれとして、B面に収録されたスローな「恋のスノー・ドルフィン」も、なかなかアンニュイな味わいで、ムード歌謡とボサノバの美しき融合という雰囲気が最高の極みです♪♪~♪

個人的には、こちらの方が好きなんですよ、本当は。

アストラッド・ジルベルトも日本制作のアルバムで歌っていましたが、やっぱりユキとヒデのバージョンを、サイケおやじは好みます。

で、主役のユキとヒデは、後にヒデとロザンナで大ブレイクする加藤英男とジャズを歌っていた佐藤由紀が昭和41年頃に結成し、渡辺貞夫にスカウトされて翌年の夏にレコードデビューしたのが、日本の芸能史では定説になっています。しかし実際はその時、ユキこと佐藤由紀は藤ユキの芸名で他社から再デビュー(?)していたというのが、今日での真相!

つまり2枚目の発売となったこのシングル盤で歌っているのは、オリジナルのユキではなく、いわば「二代目のユキ」という矢野育子だと言われていますし、当然ながらテレビやライプの現場で活躍していたのは、彼女でした。

結局、ユキとヒデは昭和43(1968)年に解散し、加藤英男はヒデとロザンナを結成します。また初代のユキこと佐藤由紀は、藤ユキからアン真理子となって昭和49(1969)年に再々デビューし、「悲しみは駆け足でやってくる」を大ヒットさせたのは、皆様がご存じのとおりです。

ちなみに矢野育子は二代目ユキを襲名する以前、ムード歌謡のグループに所属していたらしいのですが、その当時のグループ名も音源も、現在のサイケおやじには探求しきれていませんが、そういわれてみると、「恋のスノー・ドルフィン」におけるムード歌謡っぽいフィーリングの醸し出し方も肯けるところです。

ということで、このシングル盤は当時、我が家に下宿していた叔父が買ったものを私が後に貰ったものです。そしてジャケットにある「TARO」が表わすとおり、タイトル文字は世界的な芸術家の岡本太郎の手によるものという現実も、凄いですねぇ~~!?

それと両面共に作編曲は渡辺貞夫ということで、そのリズムとメロディのコンビネーションは流石に本物の魅力♪♪~♪ アメリカには遅れをとったものの、ボサノバの汎用性を特に尊重した作りは、我国の歌謡曲にもジャストミートした証明かと思います。

連日の猛暑に雪山のボサノバ!

なんて素敵なシングル盤でせう。

皆様もお楽しみ下さいませ。

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ジャンとディーンとビーチボーイズ

2010-07-22 17:04:02 | Beach Boys

Surf City c/w She's My Summer Girl / Jan & Dean (Liberty/ 東芝)

サーファンはやらないというよりも、全く出来ないサイケおやじですが、所謂サーフィンミュージックは大好き♪♪~♪

中でもジャン&ディーンは、その代表選手として、本日ご紹介の「Surf City」等々の痛快夏向きソングをどっさり歌っています。

それはご存じのように初期ビーチボーイズと通底するサウンド&メロディ感覚が顕著で、実はサイケおやじにしても曲は幾つか知っていたのですが、本格的にレコードを集めて聴くようになったのは、「カール&パッションズ」のオマケ扱いだった「ペット・サウンズ」で初期~中期のビーチボーイズに目覚め、後追いで聴くようになった流れからのことです。

そして恥ずかしながら、その頃にはジャン&ディーンって、ビーチボーイズの弟バンド!?! なんて思い込んでいたのですから、今となっては額に汗が滲みます。

しかし実際にはビーチボーイズよりもプロとしての芸歴に先んじていたのがジャン・ペリーという才人で、既に1958年にはアーニー・ギンズバーグとのコンビによるジャン&アーニー名義でレコードデビューを果たし、後に相方をディーン・トーレンスに変えたジャン&ディーンとして、幾つかのヒット曲を放っていました。

ただしそれは所謂サーフィンミュージックではなく、白人ドゥワップ系のオーソドックスなスタイルだったことが、後追いで聴くほどにサイケおやじには不思議に思えるほどでしたし、それでは何故、ビーチボーイズのフォロワーになったかと言えば、ジャン・ペリーとブライアン・ウィルソンが友人関係になったから!?!

まあ、このあたりの真実をサイケおやじは知る由も無いんですが、それでも日本盤レコードの付属解説書からの受け売りでは、ブライアン・ウィルソンはジャン・ペリーのスタジオでの仕事ぶりに感服していたそうですし、一方のジャン・ペリーはビーチボーイズのジャズっぽいコーラスワークをメインにした新しいR&Rに注目していたというのが定説です。

もちろん両者とも、カリフォルニア育ちで年齢も近かったということに加え、後にビーチボーイズのメンバーとなるブルース・ジョントンがジャン&アーニーの影のメンバーだったという偶然もあるようです。

で、とにかく1963年春頃にはすっかり仲間になっていたジャン・ペリーとブライアン・ウィルソンが共作したのが「Surf City」ですから、そのタイトルどおりに夏全開の歌と演奏は「お約束」以上の仕上がりで、発売されるや忽ちチャートのトップに躍り出る大ヒットになっています。

う~ん、まずは冒頭から鮮やか過ぎる「Two girls for every day」というコーラスのキメが最高ですよねぇ~♪

そして続くメロディ展開やコーラスワーク、リズムとビートのもっていき方がモロにビーチボーイズですし、なによりもスピード感溢れる曲調が素晴らしいですよ♪♪~♪

ちなみにこの曲が出た所為で、本家ビーチボーイズの「Surfin' U.S.A.」がチャートのトップに立てなかったのは今や歴史ですし、その所為で当時のビーチボーイズのマネージメントを仕切っていたブライアン・ウィルソンの父親が大激怒!?! 以降に続く確執の原因だという伝説までも残されたのは、皆様もご存じのとおりです。

そしてB面収録の「She's My Summer Girl」が、これまた共作による幾分の自嘲を含んだオールディズ調の胸キュン曲で、そこはかとなく滲む甘さはやっぱり夏向き♪♪~♪ まさに邦題「浜辺の恋人」に偽り無しでしょう。

ということで、ジャン・ペリーとブライアン・ウィルソンの親交は、そのまんまジャン&ディーンとビーチボーイズの繋がりとなって続き、ビーチボーイズの大ヒット曲「Barbara Ann」でリードボーカルを担当したのはディーン・トーレンスでしたし、制作される楽曲のバックを務めるスタジオミュージシャンも共通するメンバーが多かったと言われています。

今になって思えばジャン・ペリーは社交的であり、ブライアン・ウィルソンはネクラな天才だったという解釈も可能なんですが、ジャン・ペリーが1966年に交通事故からリタイアを余儀なくされ、またブライアン・ウィルソンも同じ頃から精神状態が安定せずに逼塞という悲劇が重なったのも、運命なのでしょうか。

しかしそんなことは「Surf City」を作っていた時には、まさに「神のみぞ知る」定めであり、今日まで聴き継がれている名曲の爽快感には何の暗雲も感じれません。

今日ではふたりとも、それなりに健康を回復した頃の歌を残しているわけですから、全ては下駄を履くまでなんとやらでしょう。

やっぱり名曲にはこういうストーリーも必要だと思うばかりです。

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