OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

こ~ゆ~ポーズに弱いのよぉ~

2015-09-30 16:11:19 | 歌謡曲

破れかぶれのブルース / 南悦子 (ミノルフォン)

これも今年になって入手した1枚ですが、皆様ご推察のとおり、ジャケ買いして自爆したのが真相なれど、これはこれで愛着の持てるシングル盤です。

なにせ、南悦子、この佇まいにして、このボーズですからねぇ~~♪

もちろんサイケおやじは彼女については知るところもありませんが、どうやら東映の女優さんらしく、だとすれば発売された昭和44(1969)年11月頃の同社制作のプログラムピクチャーを調べてみたいなぁ~~!

残念ながら、今のサイケおやじには、そういう時間が無いのがツライです。

で、肝心の収録曲、特にA面の「破れかぶれのブルース」は、全くそのとおりの世界でして、作詞:幸田栄&作曲:遠藤実が提供したのは典型的な演歌ブルースであり、南悦子のオドロの声と節回し、さらには牧野昭一のグラグラに煮詰めたアレンジがヘヴィなジャジカルムードを演出しているんですから、これも昭和の歌謡曲!

つくした男に捨てられて、男を憎み、自らをも卑下しつつ、自堕落に生きても、どこか夢は捨てきれないという、哀しくも性根の据わった女の心意気がジワジワと伝わってくるわけですが、そのド頭には、グッと気持ちの入った彼女の台詞、なにさ~、冗談じゃ~ないわぁ、ってな構成も当たり前に凄いところですよ♪♪~♪

すなわち、この頃から盛り上がりをみせる所謂「スケバン映画」に繋がる味わいがあって、そのあたりが如何にも東映っぽいドロ臭さみたいな感じが、たまりません。

ただし、残念なのは、失礼ながらそこにあんまりセクシーさが滲んでいないと思うのがサイケおやじの正直な感想でして、告白するまでもなく、ジャケ写のイメージから狙いはもっと「お色気歌謡」かなぁ~~♪ と思い込んで些かハズレたというのが……。

ということで、しかし現在のサイケおやじの心情としては、こ~ゆ~「破れかぶれ」に共感しているわけで、逃げてはいけないなぁ……。

そんなふうに思いつつ、暮らしています。

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はい、美人は気になります♪

2015-09-29 15:56:47 | 歌謡曲

美人はいかが? / 富田智子 (日本コロムビア)

これ、買いましたっ!

というよりも、今年の春先に某ネットオークションで入手しながら、ブツ開封のタイミングを逸して今日まで……。

正直、長年欲しかったレコードですが、手に入ったという安心感を優先させてしまったのは、大いに反省すべきと思います。

当然ながら、レコードは中身の音楽を聴くのが、一番の存在意義ですから!

そこでお目当てのA面曲「美人はいかが?」に針を落とせば、そこには作詞:有馬三恵子&作・編曲:筒美京平という、まさに当時の歌謡ポップス女性シンガー部門の第一人者コンピが良い仕事♪♪~♪

と、いきなり心が逸ってしまいましたが、もちろんこれはジャケ写にて一目瞭然、奈良富士子主演による同名テレビドラマの主題ですから、バブルガム&ソフトロックなハッピーサウンドはお約束以上なんですよねぇ~~♪

ちなみに歌っている富田智子は、その頃のテレビドラマの主題歌、例えば「美しきチャレンジャー」とか「サインはV」等々のテーマ曲をカバーして、なかなか素敵なボーカルを披露している人気者だったんですが、実はサイケおやじは一度もテレビ等々で実演シーンを見たことが無いので、素晴らしい美人だという彼女の真実のお姿は、あくまでも幻の女性歌手であります。

う~ん、いろんな夢想が……、なぁ~んていう気分はさておき、こういう歌や歌声こそが、現在のサイケおやじの煮詰まりには一番の良薬になっているようです。

逆に言えば、だからこそ音楽が好きでいられるのでしょうか。本末転倒かもしれませんが、本当にそう思っています。

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南野陽子の秋の歌

2015-09-28 16:10:20 | 歌謡曲

接近 / 南野陽子 (CBSソニー)

流行歌はその名のとおり、季節商品というジャンルがあり、殊更秋の歌と言えば、サイケおやじは本日掲載のシングル盤A面曲「接近」が、昭和アイドル歌謡の傑作のひとつと思っています。

もちろん歌っている南野陽子は所謂ハチジュウネンダイアイドルのトップに立っていた時期もあったほどの売れっ子で、この「接近」を出した昭和61(1986)年10月といえば、あの「スケバン刑事Ⅱ」の雨宮サキを演じての大ブレイクから直後とあって、劇中では土佐弁にヨーヨーアクションというキメも、芸能界においては清純派アイドルから大人の女優&歌手へと急上昇していた時期ですから、歌の中身も幾分生臭い嫉妬が表現されるという、なかなかタイミングを掴んだ制作の仕上がりでしょう。

ちなみに作詞を担当した森田記=康珍化は、それを「アプローチ」と読ませた技巧がニクイところで、しかも作曲:亀井登志夫&編曲:萩田光雄が施したのは先端のデジタルサウンドながら、南野陽子を特徴づけるアニメ声の節回しを逆手に活かした手際で見事、秋のイメージを作り出しているのですから、ヒットしたのも当然が必然!

そのクールなミディアムテンポの流れには、クセになる不思議な魔力(?)が秘められていて、さらにジャケ写に登場している彼女のポートレートが、ほとんどヤル気のない風俗嬢みたいな印象というあたりに、サイケおやじはグッとシビレるものを感じます。

しかし、これはやっぱりアイドル王道の秋の歌謡曲なんですよねぇ~♪

概して大人は、この歌のような世界から離れてしまいますから。

そして、そんなこんなの混濁フィーリングが、天邪鬼なサイケおやじにはジャストミートしているというわけです。

ただし、ジャケ写に堂々の存在感を示しているバーコードは、いけませんよねぇ……。

時代は既にCDメディアへとシフトされつつあったとはいえ、こういう不粋がアナログ盤存在の寿命を縮めてしまった気さえするのでした。

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どんとやれ! そして美しく勝て!

2015-09-27 13:36:09 | 歌謡曲

どんとやれ / 勝新太郎 (大映レコード)

昨日は久々に大相撲をリアルタイムのテレビ放送で観戦出来まして、後半戦の中頃からだったとはいえ、最近の人気復活ぶりを確認させていただきました。

ところが、肝心の優勝争いのメインである結びの相撲で、なんとっ!

横綱の鶴竜が二度の立ち合い変化!

そりゃ~、反則じゃ~、ありませんが、あきらかに弱気を見せながら勝負には拘ったという、美しくない勝ち方はねぇ~~~~???▼?

もちろん体重の重い方が有利という格闘技の真実に鑑みれば、体重制限が無く、ウェイト別にもなっていない大相撲の世界は、そこに立ち合いの変化技も含めて、体格や体力が相手に劣る者も勝てる要素を盛り込んだルールになっています。

だからこそ、大相撲は面白いわけで、加えて「仕切り」を数度繰り返しているのは、そういう心理戦も見せるという、なかなか良く練られた演出と言っては語弊があるかもしれませんが、とにかく真剣勝負をやっている当事者の互いの疑心暗鬼が伝わってくれば、観戦している側にとっては、それをあれやこれやと推理するのも、ひとつの楽しみでありましょう。

しかもプロの世界には厳然たる「番付」という「格式美」があるんですから、その頂点に位する横綱が技量と品格に抜群の存在感を見せつけねば、肝心の大相撲には成りえないという、これまた相当に極まった世界と思います。

そして当然ながら、日本人には相撲を国技として奉っている常識があり、平たく言えば、横綱には勝負と美意識の両方を見せて欲しいと願っているはずです。

それが……、なんだっ!

一度ならず、二度までも、立ち合いに変化したら、それは卑怯と言われても、反則じゃ~ないから云々という戯言は、自らの愚行を上塗りしていると日本人ならば受け取って当然の気位があるんじゃ~ないでしょうかねぇ~~。

鶴竜がモンゴル人だなんて、今更言う事でもありませんが、日本の国技で最高位に立っている以上は、日本人の心根を理解して欲しいと思うんですよ、サイケおやじは。

で、そんなことを考えていたら、なんとなく口ずさんでしまったのが、本日掲載のシングル盤A面曲、勝新太郎が昭和43(1968)年に歌った「どんとやれ」です。

なんだ、なんだよぉ~、男のくせに!

てなフレーズをフルバンドのジャズ伴奏に乗せて、分厚く節回す勝新太郎、最高ぉぉぉ~♪

ちなみに作詞は川内康範、そして作編曲:曽根幸明にという男気コンビの提供というあたりも、さもありなんでしょう。

ということで、今場所の優勝の行方は、照ノ富士の大怪我あり、もはや鶴竜で決まりだとすれば、その優勝の表彰式には退場するのが、そんな姑息な横綱に対する観客の意思表明と思うのがサイケおやじの立場です。

自分なら絶対に、そうしますよ。

しかし同時に、無様に敗れた稀勢の里についても、本来ならば薄汚れた事をやらかした品格の無い横綱の変化を見破り、がっちり土俵の外へブッ飛ばすぐらいの本領を発揮して欲しかったというのも、また本音であります。

結局、立ち合いの変化も、真剣勝負だから云々という言い訳に繋がり、それで負けたのは甘いと断罪(?)されれば、それも厳しい世界の証明でありましょうか……。

真剣勝負は概して面白くない!?

とは昔っからの至言ですが、八百長でも真剣にやらないとお客さんが怒るという名言もあるとおり、プロならば見せるという部分にも拘って、何も恥じる事はありません。

せっかく盛り返した大相撲の人気に水を差すような行いこそ、見ているこちらが恥ずかしくなると思うばかりです。

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どこへいったの俺の靴

2015-09-26 16:30:49 | Weblog

某宴会場の帰り、玄関で自分の靴が紛失しているなんてっ!

どうやら店の係が、間違えて渡したらしいんですが、それにしても間違えてもらった人が気づかないのかねぇ~~?

店側はもちろん平謝りでしたが、言い訳として、件の相手は相当酔っていたとか、とにかく何にしろ今日はツイテない感じです。

ちなみに自分の靴は、ちょっと草臥れていましたが、残されていた間違いの靴は新品同様とはいえ、幾分小さいわけで、結局は店側が用意した履物で帰りました。

まあ、車だから良かったんですが、いやはやなんとも……。

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川島なお美…、逝く

2015-09-25 15:21:22 | 歌謡曲

シャンペンNo.5 / 川島なお美 (キャニオン)

川島なお美の訃報に接しました。

芸能人としての彼女には特に思い入れも無いサイケおやじですが、しかしその他界は、やはり早過ぎると言わざるをえませんし、今春に父を同じ病で亡くした身としては、あれやこれやと思うところも多くあります。

なにしろちょい前にテレビで見せた激痩せの故人の姿は、あまりにも今回の急逝に結び付きが強く、極言すれば、それは自意識過剰という彼女の性格と受け取られる危険性(?)さえある中、それでもそういうものを見せた川島なお美の芸能人としての矜持を感じてしまうのは不謹慎でしょうか……。

さて、そこで本日掲載したのは昭和54(1979)年に発売された彼女の歌手デビュー曲「シャンペンNo.5」をA面に入れた人気のシングル盤で、何故ならば彼女は、ど~いうわけか歌手としてのレコード契約を直ぐに別会社に移してしまったので、このキャニオン盤は如何にも当時のファッション共々に、男好きのするルックスと些かぶりっ子気味の歌唱がファン心理の急所を大直撃でしょう。

しかも北村英明&藤洋子の綴った歌詞に附されたのが幸耕平の書いた陽気なメロディであり、おまけにトロピカルフュージョンなアレンジが馬飼野俊一の素敵な仕事とあっては、ウキウキ気分が溢れます。

そして実際、当時のテレビではジャケ写と同じような衣装でキュートな振付とアイドルちっくなボーカルを披露していたんですから、人気が出るのは当然でした。

ただし、様々な事情から彼女については、決して良い話ばかりが続いたはずもなく、それゆえに純粋アイドルからセクシー路線へ展開した活動も、賛否両論が……。

各方面で所謂「ネタ」にされる事も多く、サイケおやじの周辺だけでも酒席になると、「俺は学生時代に川島なお美とつきあっていた」、なぁ~んて言うのが皆の定番ネタになっていたほどです。

また、さらに爆発的だったのは、例のヌード写真集でしょう。もちろんリアルタイムでは、まだまだ有難味があったヘアヌードでしたからねぇ~♪

サイケおやじも見てしまった(?)ひとりですが、実は告白すると、件のヘアよりも、常時勃起系の彼女の乳首にグッとシビレがとまりませんでした。

いゃ~、お恥ずかしいかぎりです。

ということで、あまり故人の追悼にもならない駄文になってしまいましたが、サイケおやじは「美人薄命」という言い回しが好きではありません。

人は皆、各々の寿命をもらって、この世に出てくるものだとしたら、それをどのように使うかは、生かされている自らの運命に従うのが本当だと思うばかりです。

川島なお美は恵まれた美貌と性格によって、見事に自らの人生を貫いたに違いありません。

心からご冥福を祈念しつつ、合掌。

 

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ここでつぶやき

2015-09-24 17:39:22 | Weblog

連休明けということで、仕事は問題山積みで、加えて来客や会議の連続はキツイです。

本日の1枚は休載させていただきますが、泣き言はここまでにしますね。

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素直に真理ちゃんでいいじゃ~ない

2015-09-23 16:55:41 | 歌謡曲

空いっぱいの幸せ / 天地真理 (CBSソニー)

今日はあまり関係無いところで、時ならぬ渋滞に巻き込まれたんですが、それもシルバーウィークとか最近は呼称される連休の所為だったんでしょうか。

しかし、幾ら国策とはいえ、こうも意図的に休日が続くと、何故今日は休みなのか? という大義(?)が分からなくなっていませんか?

例えば「敬老の日」ってのは、昔は9月15日に固定されいたからこそ、国民は有難味を感じ、敬老への気持ちを素直に表明出来ていたように思うんですよ。

それが今じゃ~、逆に高齢者の増加を嘆かんばかりの世間の風潮がクローズアップされ、だからこそ、連休を利己的に消化せんとする傾向は、これが現代の日本の実相だとしたら、なんだか気持ちが落ち着きません。

ただし、絶好の連休に家族や恋人と楽しく過ごすという行動そのものには大賛成というサイケおやじは、そんな自己矛盾を吹き飛ばすべく、本日の1枚を選んでみました。

ご存じ、昭和のアイドル歌手として、今も記憶に強く残る天地真理というよりも、我らが真理ちゃんが昭和48(1973)年秋に放った大ヒット「空いっぱいの幸せ」こそが、今の季節と気分にはジャストミート♪♪~♪

もちろん作詞:山上路夫&作曲:森田公一、そして編曲:竜崎孝路の提供した世界は明るく、そして爽やかに過ごす恋人との時間の素晴らしさであり、それを屈託なく歌う真理ちゃんは、まさにジャケ写どうりのイメージを全開させていますよ♪♪~♪

ということで、真理ちゃんの持ち歌では、これ以降のちょっぴり人気に翳りが滲んで来た頃のレコードが今では好きなんですが、やっぱり「らしい頃」の真理ちゃんも、魅力ありますねぇ~~♪

日頃天邪鬼なサイケおやじも、今だから真理ちゃんには素直になるような気がしています。

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物欲退治にジミヘン

2015-09-22 15:19:05 | Jimi Hendrix

Voodoo Child (Slight Return) c/w Hey Joe / All Along The Watchtower
                                                                                      / Jimi Hendrix (Polydor)

ここんとこ、仕事がとにかくハードな所為か……、等々の言い訳を弄しつつ、物欲が増幅し、様々な煩悩に苛まれています。

昔だったら、忙しければ買い物の時間が無く、それゆえにそこで諦めていたはずが、現代じゃ~、ちょっとネットのショッピングサイトをふらつくだけで、そりゃ~~、もう、欲しい物だらけで、しかもポチッとやれば、後は手元への配送を待つばかりという、便利なようで、実は麻薬的快感のお誘いがあるんですから、後は自ずとなんとやら……。

つまり、例えば欲しくて買ったレコードやCD、あるいは映像ソフト等などにしても、それを楽しむ時間も余裕も無いくせに、矢鱈にお金だけが、それに消えていくというテイタラクですよ。

しかも自宅に届けられると、皆様ご推察のとおり、何かと家族の目もありますからねぇ……。現実的には仕事場へ配送される段ボール箱や封筒等々が、開けられもせずに溜まっていくのですから、周囲からの顰蹙をヒシヒシと感じ、それでも物欲を抑えきれない自分が情けないというわけです。

でもねぇ~~、何のために働いているかって言えば、そうした煩悩に対処しうるお金が必要ですから、なにやら本末転倒、自己矛盾も窮まっているのが、サイケおやじの本性とお笑い下さいませ。

で、本日掲載したのも、これまた最近再燃しているジミヘン熱に浮かされての猟盤で、1970年9月のジミヘン急逝を追悼する名目で緊急発売されたイギリスプレスのシングル盤♪♪~♪

 A-1 Voodoo Child (Slight Return)
 B-1 Hey Joe
 B-2 All Along The Watchtower

その内容は上記のとおり、変則のマキシシングルであり、収録トラックも既発のスタジオバージョンですから、特に重要なものではないんですが、しかし、このジャケ写があればこそ、思わず手を合わせてしまうのは、それも刹那のファン心理とご理解願いところです。

ということで、最後になりましたが、Jimi Hendrix をジミヘンと呼ぶ事については、各方面から不遜というお叱りがあろうはずです。

しかし、例えば我々が高倉健を「健さん」と呼ぶのは、そこにファンなればこその尊敬と親しみを込めての行動であり、それは幸運にもリアルタイムでレコード鑑賞出来た天才ロックミュージシャンに対しても、同じなんですよ。

実際、その頃は皆が「ジミヘン」と呼ぶのが当たり前のスタアでありました、ジミ・ヘンドリックスは!

永遠なれ、ジミヘン!

毎年9月は、偉大な故人へ殊更真摯な祈りを捧げつつ、その音源鑑賞にも気持ちが入っていくのでした。

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秋の夜長のカルメン・マキ

2015-09-21 14:07:28 | 日本のロック

午前1時のスケッチ c/w きのう酒場で見た女 / カルメン・マキ&OZ (ポリドール)

現在の日本にロックが根付いていると思えば、洋楽スタアの人気貢献も当然ながら、我が国のボーカリスやバンド、そして裏方スタッフの活動だって、決して侮れないものがありました。

本日掲載のシングル盤は昭和49(1974)年晩秋に発売された、まさにそうした証拠物件の1枚になりうるブツでしょう。

何故ならば、カルメン・マキという、それまではフォーク歌謡のスタアであった美人ボーカリストが幾分の逼塞を経て後、敢然と本物のロックに挑戦し、堂々と結果を出した記録に他ならないのが、このA面に収録された「午前1時のスケッチ」ですからっ!

ご存じのとおり、以降のカルメン・マキは我が国女性ロックシンガーのトップランナーとして広く認知され、人気実力共に揺るぎない地位を固めたわけですが、リアルタイムでは前述したとおり、全く商業的に先の見えない「日本のロック」に身も心も捧げていた時期で、「歌謡曲」から足を洗った(?)ここまでの2年間ほどは、一般的に知られる事の少ない空白期でした。

もちろん不肖サイケおやじにしても、それは同様であり、歌謡スタアとしてのカルメン・マキは大好きな存在ではありましたが、それにして傑作「ノイジー・ベイビー」を契機としてロックに没入した彼女の活動がどのようなものであったのか、その現実は知る由も……。

ですから、とにかくこの「午前1時のスケッチ」を初めて聴いた時の衝撃は絶大というか、正直呆気にとられたのが本当のところです。

なにしろイントロからブリティッシュロック丸出しのギターリフとヘヴィ&タイトなビートが炸裂し、日本語の歌詞を伸びやかに聴かせる女性ボーカルが、まさかカルメン・マキだなんてっ!?!

それが友人の車のカーラジオから流れてきた真実であり、後部座席で半分居眠りしていたサイケおやじを現世に引き戻したパワーでもあり、それゆえ翌日、慌ててレコードに駆けつけた事は若気の至りと笑われてしまうでしょうか。

そしてジャケットにはカルメン・マキの美しすぎる佇まい共々、一歩下がって控えめに写る野郎こそが、当時二十歳前後だったギタリストの春日博文なんですねぇ~~。

つまりレコードの名義はカルメン・マキ&OZとされていながら、バンドであるはずのOZの実態は春日博文だけだったのが、その頃の事情であり、したがって後ろ向きで登場している数人は所謂影武者というあたりが、如何にも苦節を表していたのです。

しかし、作り出されたサウンドは完成度が高く、カルメン・マキ(vo) と春日博文(g) 以外のレコーディングメンバーは深町純(key)、成瀬ヒロ=鳴瀬喜博(b)、西テツ=西哲也(ds) という凄腕揃いだったのが、ここでのOZということになります。

もちろん、ライブステージでの顔ぶれも流動的でしたよ、少なくともサイケおやじが翌年早々に接した時には。しかし極言すれば、そこにマキ姐さんが登場し、美しも力強く歌ってくれれば、それで良かったのがカルメン・マキ&OZの真実であった事は確かです。

ただし、春日博文の存在も、そのギターワーク共々に決して無視出来ない存在感があるのは言わずもがな、この「午前1時のスケッチ」を作曲したのも本人の力量の証明であり、アレンジはOZとされているようですが、終盤のアップテンポのパートで如何にものフレーズを弾いてくれる潔さには感銘するばかりです。

また作詞を担当した加治木剛は当時のマネージャー兼ローディというメインスタッフであり、B面に収録された「きのう酒場で見た女」も作詞作曲している才人なんですが、ご存じのとおり、加治木剛は後にダディ竹千代の芸名で「東京おとぼけCATS」率い、ロックもソウルもファンクも民謡もゴッタ煮の歌謡曲的展開でファンキーに演じてくれた偉人ですので、要注意!

あくまでも個人的な推察ですが、ダディ竹千代&東京おとぼけCATSが出なければ、一時は爆発的な人気を集めた米米CLUBが失礼ながら、あそこまでアイディアを練り上げられたかは、ちょいと疑問符というところです。

閑話休題。

で、その「きのう酒場で見た女」は如何にもホンキートンクな歌謡ロックであり、往年(?)のカルメン・マキのイメージをここで楽しめるのがニクイですよ♪♪~♪

ということで、バンド形態のOZは以降も度々メンバーチェンジを繰り返しつつ、カルメン・マキは春日博文と共に本物の日本のロックをぶっ通しました。

あの時代、既に爆発的な歌謡フォークのブームがあったおかげでしょうか、それまで論争が様々にあった「日本語のロック」という命題の意義が少しずつ免疫性を増していたように思えば、カルメン・マキ&OZがやってくれた「午前1時のスケッチ」は、なかなか忘れられない道標になりましょうか。

演じてこそ楽しみも倍加する、この曲のギターリフをなぞりながら聴くのも、また別格ですよ♪♪~♪

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