OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

こんなに心地良い四人囃子って!?!

2015-02-28 16:08:07 | 日本のロック

レディ・ヴァイオレッタ / 四人囃子 (CBSソニー)

やっぱり疲れ切っている現在のサイケおやじには、優しく心に滲みる音楽が必要みたいなんで、本日は朝っぱらから掲載のシングル盤A面曲「レディ・ヴァイオレッタ」に癒しを求めてしまいました♪♪~♪

う~ん、安らぎのメロディと心地良く緩んだリズムが絶妙の緊張と緩和を醸し出してくれますねぇ~~♪

ギターインストでもあり、環境音楽でもあり、ある意味では甘美な麻薬的嗜好品として、この「レディ・ヴァイオレッタ」はサイケおやじには必要不可欠な1曲である事を再認識させられました。

しかも演じているのが我が国のロックバンドとしてはプログレ系の最高峰のひとつであった四人囃子ですからねぇ~~~♪

実は告白すると、初めてサイケおやじが「レディ・ヴァイオレッタ」を聴いた時、まさか四人囃子が演じているなんてこたぁ~、想像も出来ず、しかし嘘でも無いその現実を知ってみれば、驚かざるを得ないほどでした。

だって、その昭和51(1976)年春の四人囃子のイメージは所謂アングラであり、ニューミュージックなぁ~んて便利な業界用語で括られる以前の歌謡フォークの流行とは一線を画した日本のロックバンドだったわけですから、こんなシャリコマ=売れセンの音楽に転向(?)したなんて、あまりにも現実離れしていたんですよ……。

ところが、やっぱりこれは四人囃子の演奏であって、しかも当時はメンバーチェンジがあっての新作レコードだった事を鑑みれば、それも結果オーライと納得する他はありません。

なにしろ既に述べたとおり、「レディ・ヴァイオレッタ」は本当に心地良く気持ちが和まされる演奏なんですからっ!

森園勝敏(g,vo)、坂下秀実(key)、佐久間正英(b,vo)、岡井大二(ds) の顔ぶれになっての四人囃子には、こういう流行最先端のフュージョン志向も当たり前だったのかもしれません。

そして森園勝敏が書いた「レディ・ヴァイオレッタ」こそ、同時期に世に出た四人囃子の2ndアルバム「ゴールデン・ピクニックス」からの先行シングルという扱いでありながら、実際はそこに収録のアルバムバージョンとは異なる別バージョンでしたから、速攻でこれを買ってしまったサイケおやじは大満足♪♪~♪

大きく異なるのは、シングルバージョンは演奏時間が短く、しかも森園勝敏のギターが大きく前に出た仕上がりですから、要注意ですよ。一方、アルバムバージョンはフルートソロも入って浮遊感が強いので、これも素敵ではありますが、やはり個人的にはシングルバージョンが好きですねぇ~♪

ちなみにサイケおやじが初めてエレキギターを自分のものにしたは高校入学の時で、しかも夏休み前頃には様々なスケールやコードをスイスイと覚えられたもんですから、もしかしたら自分はプロになれるのではないかっ!?

なぁ~んていう恥ずかしい勘違いをしていたんですが、その自惚れから目を覚まさせてくれたのが同年秋に接した四人囃子のライブステージであり、同じ高校生という立場でありながら、全く別次元のテクニックと感性を会得し、披露していた四人囃子のメンバー各々の凄さには絶対に勝てないと思う他はありませんでした。

つまり若気の至りというか、一生懸命に練習すれば、寺内タケシやジミヘンには叶わないにしろ、それなりにプロのレベルには追いつけるだろうという安易な思い上がりがあったわけで、もちろんプロになれるのは技術と感性のバランスが突出している者だけという真実は普通の努力では越えられるものではありません。

特にサイケおやじは、死にもの狂いで練習したとしても、絶対に足元にも及ばないと痛感させられたギタリストが森園勝敏という存在だったのです。

閑話休題。

ところが、その森園勝敏は件の新作を出して後、四人囃子を脱退してしまうという衝撃が!?!

そして尚更にフュージョンに接近する活動に入ったのは、嬉しいような、せつないような……。

そのあたりの私情は追々に書いてみたいと思いますが、とりあえば本日は疲弊した自らの心身を回復させるべく、「レディ・ヴァイオレッタ」に縋っているというわけです。

さあ、これから本サイト「サイケおやじ館」の移転作業をやらないとっ!

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泣き言御免…

2015-02-27 17:08:24 | Weblog

うむむむ、体調が良くありません……。

吐き気があって、眼がピリピリするし、もともと低い体温がさらに下がっている感じでしょうか。

風呂で温まって、溶けるほど寝たいのが本音です。

今日こそ、早く帰りたいぞぉぉぉ~っと!

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サイケおやじは移動中…

2015-02-26 16:59:30 | Weblog

ど~しても今日中に片付ける仕事の都合が恨めしい……。

因果な仕事が、やるせない……。

点滴受けてまで、やる価値が分からないのが本音です。

明日は明日と思える今の幸せを大切にさせていただきます。

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近況

2015-02-25 15:11:57 | Weblog

既にお知らせのとおり、現在「サイケおやじ館」は移転作業中です。

一応の引っ越し先はテスト済みなんですが、以降のメドが……。

おまけに父の病気の長期化に加え、サイケおやじ本人もストレスと疲労の蓄積と診断されましたが、胃痛と不整脈に苛まれていながら、仕事が山積みのゴッタ煮状態とあっては、四面楚歌です。

正直、私用のPCに向かう時間も無く、スマホでこれをアップしているのは、悲しいですよ。

本日は泣き言、失礼致しました。

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虚心坦懐に聴くべきクイーン

2015-02-24 15:33:46 | Queen

手をとりあって / Queen (Elektra / ワーナーパイオニア)

ロックは、そのルーツたるR&Rの時代から、若者特有の反権力意識を刺激する表現技法を持ち合わせていましたから、甘っちょろい連帯意識を歌おうとすれば、それは失笑されていたのが1970年代の実相でありました。

この点については皆様にも多くのご意見があろう事は重々承知しているつもりですが、例によってサイケおやじの独断と偏見に基づけば、本日掲載のシングル盤A面曲「手をとりあって / Teo Torriatte」は、これが世に出た1977年当時のサイケおやじにとっては噴飯物でした。

何故ならば、演じているクイーンこそが、その頃は必殺の「Bohemian Rhapsody」を以て世界最高のロックバンドに駆け上がっていましたからねぇ~~。

その彼等が何が悲しくて堂々の日本語歌詞で、

 手をとりあって
 このまま行こう 愛する人よ
 静かな宵に 光を灯し
 愛しき 教えを抱き

なぁ~んて歌わなければならないんだぁ~~~!?!?

もちろん、世界的に有名なポップス歌手やロックバンドが日本語バージョンのレコードを少なからず発売してきた事は言うまでもありませんが、それは本来の原曲を日本側の要望に沿う形で再レコーディングされたものなのに対し、クイーンの「手をとりあって / Teo Torriatte」は最初っから意図的に日本語で歌っていたというあたりは当時、彼等がブレイクする契機のひとつであった日本での爆発的な人気に感謝の意を込めて!?

等々と喧伝されたのですから、いやはやなんとも、ようやく堂々とクイーンが好き! と言えるようになっていたサイケおやじの胸中は複雑でした。

しかし、逆に言えば、日本のファン層の大部分が婦女子であったクイーンが、ここまでやったのは結局、クイーンもアイドルバンドだったんだなぁ~~~♪

そんな的外れな安心感を抱いていたのがサイケおやじの本音でもあったんですよ、恥ずかしながら。

ところがクイーンの創作意思はもっと大きいっ!?!

ご存じのとおり、この歌は英語詞がほとんどで、日本語の部分は少ないのが本当のところであって、それなのに曲タイトルを日本語の発音にしているというのが、ギリギリのあざとさ!?

一説によると、これを書いたのはブライアン・メイとされていますが、その日本語訳(?)に拘ったのはフレディ・マーキュリーだったそうですからねぇ~~~!?▲■◎? 一応はオリジナルの英語詞に沿っているとはいえ、ここまでやってしまうのは、ひとつの問題提起かもしれませんよ。

以下は全くサイケおやじの妄想なんですが、既にロックにとっても優良なマーケットとして確立されていた我が国の音楽産業に対し、英語が基本的に理解出来ない日本人ファンに更なる浸透を図るには、予め日本語で歌うという姿勢を示すことで、ひとつの優越感を与えるという手段であったのでしょうか。

もちろんそこには前述したとおりの感謝の気持ちがある事も確かだと、思いたいわけです。

そして東日本大震災のチャリティーオムニバス盤に収録されたのもムベなるかな!

しかし、ここまで書いても、当時のサイケおやじには未だ違和感が残っていたのは天邪鬼の証明なのでしょう。

ところが最近になって、ようやくこの歌の持っている役割がなんとなく納得出きるようになってきました。

それが例のイスラム国とか、そんなこんなのテロ事件や報復暴力の連鎖による各地の戦争・紛争の不条理性で、なんとか解決しようと話し合い、妥協点や相互理解のポイントを探りつつも、ほとんどそれが機能していない実態の中では、案外とクイーンの「手をとりあって / Teo Torriatte」が有用な気がしてきたんですよ。

明らかに楽観的志向なのは自覚しておりますが、こういうシンプルなものほど、縺れた事情には効果があるんじゃ~ないでしょうかねぇ~。

なによりも素直に物事を受け取るという基本姿勢が、様々なトラブルには効果的かもしれないという、灯台下暗しのような真相を提示しているのかもしれません。

そして最後になりましたが、この「手をとりあって / Teo Torriatte」は傑作アルバム「華麗なるレース」の大団円を演出していたところから、このシングルは日本独自のカットという特筆すべきものであった事実が、クイーンの最初の黄金期ピークと重なっていた事を忘れてはならないと思うばかり!

それは素直に認めています。

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気持ち急けども……

2015-02-23 17:33:07 | Weblog

暗い話で申し訳ありませんが……。

入院中の父の容体が思わしくありません。

昨日、会った時は元気だったんですが、担当医も想定外のようです。

とりあえず今夜は様子を見て、明日から別の治療に移行するらしいんですが……。

輸血にも承諾書が必要だなんて、不安にさせるなぁ~~。

ということで、本日は失礼致します。

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昔の写真は大切な宝物

2015-02-22 15:30:29 | Rolling Stones

19回目の神経衰弱 / The Rolling Stones (Decca / キングレコード)

昔の写真を見るのは妙に恥ずかしかったりしますが、それというのも、そこにはリアルタイムの状況諸々が容赦無く記録されているからでしょうか。

う~ン、俺にはこんなに髪の毛があったのか!?

とか、うっ、この頃から既に腹が出ている!?

なぁ~んてのは、まだまだ笑って済ませられますが、一緒に写っていた仲間とのその後のあれこれ等々は、せつなくも甘美な思い出、あるいは悔悟、さらには屈辱や因縁が拭い去れないものもあるんですから、やはり恥ずかしくなって当然なのでしょうか。

さて、そこで本日掲載したのはストーンズが1966年に出した彼等の代表的なヒット曲「19回目の神経衰弱」をA面に据えた日本盤シングルなんですが、ここに冒頭からの話を適用すれば、まさに当時のバンド内の人間関係(!)が、これまで伝えられているとおりに表出しているように思います。

それは右端のキースが如何にもギターソロで日常茶飯事の「やっちまった」状態であるとの推察が容易ならば、思わず振り向いたミックの苦笑いも、なんだぁ、またかよお~~、ってなもんでしょう。

しかしリーダーのブライアンにしてみれば、お前は何度教えてもダメだなぁ……、何やってんだぁ~~! とナチュラルに厳しい気持ちが顔や態度に出ているわけで、それをマイペースなビルは知らん顔ですし、チャーリーも大人の対応という構図が、おそらくはテレビスタジオでライブ出演中のショットに凝縮記録されているあたりは歴史の必然というべきかもしれません。

実際、ブライアンはストーンズの今後の道筋を企図した場合、ほとんど進歩の無いキースのギターにイライラしていたそうですし、だからこそ自らがギター以外の楽器を操ることによってバンドのサウンドを彩り豊かにする手段に出ていたと言われていますが、さもありなん!?

また、ミックにしても、破天荒な人生経験を積み重ね、同時に様々な音楽に造詣の深いブライアンよりも、昔っからの友人であったキースと一緒だと気が楽だったんじゃ~ないでしょうかねぇ~?

そしてミック&キースが書いた件の楽曲「19回目の神経衰弱 / 19th Nervous Breakdown」は、如何にもストーンズらしいリズムとビートが特徴的な、ちょっぴり軽いR&Rとはいえ、ベースとギターが重ねられたテケテケサウンドやチャーリーが叩き出す裏ドトンパのリズム等々はメインで流用したボ・ディドリーのビート共々に痛快!

実は録音セッションは前年12月、大成功した北米巡業の直後にハリウッドのRCAスタジオで行われたことから、黒幕になっていたのがジャック・ニッチェであり、ここでストーンズが作り出したサウンドが以降のアメリカで登場していくアイドル系新進ロック&ポップスバンド、例えばモンキーズ等々に受け継がれていくのは言わずもがな、そのジャック・ニッチェと繋がりのある職業ソングライターやスタジオミュージシャンとの関わりも興味深いところと思います。

ということで、何が本題か分からなくなってしまいましたが、とにかく昔の写真はいろんな意味で面白い♪♪~♪

そこには自嘲も悔悟も屈辱的な気分さえも、「懐かしさ」という括りで許されるとしたら、そこから滲み出して来る喜怒哀楽にハートウォームな気分にさせられるのも悪くありません。

ですから、現在まで齢を重ねても、当時とそれほどイメージが変わらないストーンズの面々が羨ましくなったりするのも、些かせつないわけですが、まあ、いいか……。

ちょっぴり囁いて、自分に言い聞かせているのでした。

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隣の国からの客は、買い物が好き

2015-02-21 15:25:35 | Weblog

近々、本サイトの「サイケおやじ館」が移転することになりました。

現在、少しずつ作業をやっているのですが……。

何分にも仕事や野暮用が積み重なって、苦戦しております。

実は現在も隣国からの賓客のお供で、例の「爆買」案内ですよ!?

本日の1枚の休載、ご理解下さいませ。

何よりも自分の時間が欲しいサイケおやじです。

 

 

 

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知らずに刷り込まれていた可愛いひとよ

2015-02-20 15:02:22 | 歌謡曲

可愛いひとよ / クック、ニック&チャッキー (フィリップス)

曲名は知らずとも、そのメロディや歌詞が知らぬ間に刷り込まれている歌は皆様にもあるように思いますが、いかがなものでしょう。

サイケおやじにとっては本日掲載のシングル盤A面に収録の「可愛いひとよ」が、そのひとつとして、なかなか好きな1曲になっています。

それは以前に書いたとおり、学生時代に明らかになった実相によるところが多く、最初はローズマリーのカバーバージョンでシビレが本格化したわけですから、掲載の私有盤はクック、ニック&チャッキーが昭和46(1971)年に出したとされるオリジナルシングルではなく、再発物です。

しかし、そのリアルタイムの発売時、この「可愛いひとよ」は決してマスメディアで流行っていた歌ではなく、後に知ったところでは、東京の歓楽街で深夜営業していたゴーゴー喫茶やディスコでの局地的なヒットだったそうですから、当時はそういう場所に出入りしていなかったサイケおやじに、ど~して「可愛いひとよ」のメロディや歌詞が刷り込まれたのか、今も分からないところには大自然の摂理さえ感じてしまいます。

そして作詞:阿久悠&作編曲:大野克夫による「可愛いひとよ」は、ソウル歌謡の定番名曲として、今やカラオケで歌われることも当たり前になっている感があるんですから、時の流れは偉大です。

確かアイドルの誰かも歌っていたような記憶は、思い込みにしては鮮明過ぎるのが気になるところでもあります。

で、主役のクック、ニック&チャッキーは、クック豊本、ニック岡井、チャッキー新倉という、その頃のディスコ等々でダンスステップや振付を考案し、お手本を示してはお客さんに様々な楽しいことを教えていた先達であり、つまりはクック、ニック&チャッキーこそ、歌って踊る歌謡グループとしては、最高に都会的な遊び心と粋を広めたグループかと思います。

ただし、サイケおやじは既に述べたとおり、リアルタイムのクック、ニック&チャッキーには接した記憶が無いもんですから、深い話は書けません。

ところがサイケおやじは時代が平成に入ってからなんですが、友人を通じてニック岡井と会ったことがありまして、その時の話では今日までディスコでクラシック化しているダンスステップの有名なもの、例えば「セクシー・バスストップ」とか「ゲット・レディ」等々の多くはニック岡井の創案であったと知ってみれば、「可愛いひとよ」がますます好きになってしまいましたですねぇ~♪

そしてちょっと後から某テレビ局でスタートしたダンス番組へニック岡井がレギュラー出演したことにより、「可愛いひとよ」のセルフリメイクまでもが作られたのですから、名曲は不滅!?

しかし、それでもクック、ニック&チャッキーのオリジナルバージョンは絶対的に屹立し、特に演奏パートの強烈なファンクグルーヴは、我が国のスタジオミュージシャンが如何に凄いかの証明でしょう。

いゃ~、聴く度に腰が浮いてしまいますねぇ~~♪

また肝心のボーカルパートの良い意味での素人っぽさが逆に最高なところも、流石に実践の場数が反映されたのでしょう、一度でもライブに接したかったと思うばかりです。

ということで、ソウル歌謡は数あれど、これを外してはバチアタリなのが「可愛いひとよ」です。

そりゃ~、確かに現代の耳で初めて聴けば、些かユルイと感じられる皆様もいらっしゃることは否定致しませんが、今もネットで拝観出きるその振付やステップこそが、見事な昭和の芸能遺産!

宴席での「芸」にも最適なものとして、必ずや皆に楽しめるはずと思っています。

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本当は理屈なんかいらない栄光の朝

2015-02-19 15:32:44 | 日本のロック

栄光の朝 / フィフィ・ザ・フリー (アルファ)

レコードが発明されてから今日まで、夥しく作られたブツの中から埋もれていた名品を発掘する作業もまた、音楽鑑賞の楽しみでありましょう。

それは現実的に全てを聴く事が叶わなかった時間的制約、あるいは経済的な問題等々をクリア出来るという、まさに記録メディア本来の役割の確認ですから、後追いも尚更に潔いわけです。

なぁ~んて、本日もガチガチの書き出しではありますが、例えば昭和44(1969)年晩秋に本日掲載のシングル盤を出したフィフィ・ザ・フリーは、リアルタイムでの大きなブレイクは無く、それでもアングラフォークのグループとして、前年に発売した「おやじのロック」というサイケデリック曲をラジオの深夜放送で小ヒットさせていた存在です。

しかし後に知ったところでは、フィフィ・ザ・フリーは決してフォークグループではなく、自前の演奏で上手いコーラスワークを聞かせるバンドだったそうですし、そういえば前述「おやじのロック」にしても、変則リズムが入ったり、ES使用のボーカル&コーラスには、アングラブームに便乗した作風とは一味異なる「何か」が感じられるわけで……。

そんなこんなも、まあ、後追いであれこれ推察夢想出来る楽しみかと思います。

で、ここでのA面曲「栄光の朝」は、経緯諸々を吹き飛ばすが如き快作として、リアルタイムよりは相当後の昭和50年代中頃から、しかもどちらかと言えば洋楽ポップスやソフトロックを愛好するマニアの間で人気が高まったところに特徴があるほど、イカシたセンスが全開の逸品♪♪~♪

とにかく作詞:山上路夫&作曲:村井邦彦、そして編曲:川口真の黄金トリオが企図したのは、あきらかにアソシエイションや同系のコーラス&ハーモニーが織りなす精神的高揚感と和みの世界観でしょう。

ご存じのとおり、当時の村井邦彦は、そうした路線を歌謡曲に活かすべく、様々なプロジェクトを遂行していましたが、もしかしたら、この「栄光の朝」は最初に楽曲があって、それを実演出来るグループとして、フィフィ・ザ・フリーが起用されたような気がするほど、仕上がりは秀逸ですよ。

しかも、当然のようにスタジオミュージシャンが参加して作られた演奏パートのグルーヴ感が強烈無比とあっては、ひたすらに歌いまくるフィフィ・ザ・フリーもリスナーに納得の名唱を聴かせてくれるんですから、これが大ヒットにならなかったのは時代に対する先進性とツケ入るスキの無さ!?

結局オシャレ過ぎて、肝心のレコードがそれほど売れなかったのは必然であり、だからこそ後世への宝物を残してしまったのだと想えば、妙な罪の意識さえ感じてしまいます。

そしてサイケおやじは、決して賛同するわけではなく、むしろ大衆音楽に潜む下世話さを好む傾向にありますから、入手に苦労しまくった掲載盤よりも、今は前述した「おやじのロック」収録のシングル盤を探しています。

ということで、フィフィ・ザ・フリーは他にも素敵なレコードをあれこれ残していて、マニアックなGSやソフトロック歌謡の復刻コンピレーションにそれらが入れられてのCD化は、逆に尚更の高みに彼等を祀り上げている感があります。

残念ながらサイケおやじは一度もフィフィ・ザ・フリーのライブステージに接したことがなく、またテレビでも見たことがないので、メンバー構成や担当楽器についても全く知りません。

ですから、この「栄光の朝」を存在をサイケおやじに教えてくれた先輩マニア諸氏が熱っぽく語るフィフィ・ザ・フリーのあれこれよりも、制作スタッフ、つまりソングライターやアレンジャー、参加スタジオプレイヤーの仕事っぷりが気になるばかりで、それを邪道と言われれば反論は出来ません。

そうしたところも洋楽ファンには抜け出せない魅力と思うばかりです。

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