OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

こ~してけじめがつくのなら

2017-12-05 16:21:04 | 浅川マキ
翔べないカラス / 浅川マキ (東芝)

仕事に責められ、昨夜は帰宅後も様々な書類をチェックさせられる始末だったんですが、その中にはほとんど同じ内容で、しかし微妙に違うニュアンスのプロジェクトファイルが出て来るのには閉口させられました。

なにしろ作っているのが同一人物なんですから、いやはやなんとも、無駄な事をやるもんだっ!

と、思わず激怒モードに入りそうになったんですが、しかし、落ち着いて中身を検討してみたら、道筋の多様性を考慮しての別バージョン、あるいは別テイクの可能性を示唆しているんじゃ~なかろうか?

なぁ~んて、妙に感心させられる気分になっちまったんですから、その真相は如何に?

例えそれが独り合点だとしても、ファイル名もちょっぴり変えてあった事からして、満更ハズレでもないとしたら、結果オーライなんでしょうかねぇ~~。

そして、そんな無責任な結論の中で思い出したのが、昭和48(1973)年初夏に発売された浅川マキの掲載シングル盤B面曲「翔べないカラス」でして、作詞:真崎守&作曲:浅川マキによる歌と演奏は、アップテンポのロックジャズ歌謡ですから、ほとんどリードを弾いているようなベースの強烈なカッコ良さにシビレが止まらず、盲目のカラスに自らの願いと希望を問いかけるが如き不条理な世界観(?)は、やるせない現世を歌いまくる浅川マキの真骨頂!?!

あぁ~~~、実に最高ですよっ!

ところが、同じ歌が同年秋に発売されたLP「裏窓」に収録されてみれば、曲タイトルが「翔ばないカラス」に変更され、しかもこっちはシングル盤とは異なるアルバムバージョンなんですから、歌と演奏の基本は一緒でも、微妙に曲タイトルを変えたのは、ひとつの「けじめ」なんでしょうかねぇ~~。

今となってはシングル盤を出した時のミスプリント説が有力らしく、つまりはアルバムバージョンの「翔ばないカラス」がこの楽曲の正式名称だとしても、やっぱりこれは意図的な仕業と思いたいですよ、サイケおやじは。

ということで、似て非なる事象の中にある真相真実に思い当たる時、微妙な感慨と快感が滲んで来る心の動揺こそは、まさに生きている証のひとつかもしれません。

それは「感動」とはちょいと違うと思うのが、例によって何時ものサイケおやじの天邪鬼ではありますが、それを常日頃から自然と求めているのも偽りの無い気持ちなのでした。
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年の瀬は浅川マキ

2016-12-16 16:50:15 | 浅川マキ
ちっちゃな時から c/w ふしあわせという名の猫 / 浅川マキ (東芝)
 
浅川マキも年末になると思い出す歌手でして、それは昭和40~50年代には当然の様にあちらこちらで開催されていた大晦日年越しライブでは常連だった事に加え、サイケおやじが初めて浅川マキの歌「かもめ」をラジオで聴いたのが昭和44(1969)年の師走だった事にも起因しています。
 
そして次に聴いたのが、翌年早々に新曲扱いで紹介された本日掲載のシングル盤A面曲「ちっちゃな時から」だったんですが、これが驚くなかれ、当時の洋楽流行では最先端だったブラスロックがモロ出しのイントロで、具体的にはブラッド・スウェット&ティアーズ=BS&Tの大ヒット曲「Spinnig Wheel」からそれをまんま引用している衝撃の潔さ!?
 
さらに曲調がR&B歌謡の王道路線なんですから、浅川マキのジャズブル~スな独特の節回しもニクイほどに冴えまくりなんですよっ!
 
ちなみに楽曲のクレジットを確認すると作詞は浅川マキ、作曲がキング・トーンズの「グッド・ナイト・ベイビー」等々の名曲を書いたむつひろし、そしてアレンジが宮間利之とニューハードの大黒柱であるギタリストにして優れた作編曲の山木幸三郎なんですから、全て納得されるところだと思います。
 
もちろんバックの演奏パートに参加しているのは横内章次(g)、今田勝(p,key)、原田政長(b)、チコ菊池(ds) 等々の超一流ジャズプレイヤーであり、同時にその頃の我が国芸能界におけるレコード制作の現場スタジオでも売れっ子だった面々ですから、素晴しい仕上がりは言わずもがなでしょう。
 
それはB面に収録された作詞:寺山修司&作編曲:山木幸三郎が提供の哀しきジャズ歌謡「ふしあわせという名の猫」でも全開で、こちらはグッと暗いムードが横溢した中にあって、もちろん浅川マキならではの過剰とも思える歌唱表現がグリグリと心に滲みてまいります。
 
ちなみにこの2曲は後に発売された彼女の最初のLPにも収録されているんですが、この「ふしあわせという名の猫」はシングルとアルバムでは異なるバージョンになっているので要注意でしょう。
 
しかし、その味わいの深さは両方共に勝るとも劣らない良さがあって、サイケおやじはどちらも好きです。
 
ということで、最後になりましたが、冒頭で述べた浅川マキの大晦日ライブは彼女の突然の悲報前年まで、ほとんど年末の風物詩になっていたほどだったんですが、残念ながらサイケおやじは一度も浅川マキの実演ステージに接した事が無かったのは痛恨の極みであり、今となっては言い訳にもなりませんが、それゆえに何時でも彼女のライブには行けるはずという安心感が大きな間違いでありました。
 
あぁ、無念……。
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過ぎて行く日々の中で

2015-10-18 16:26:46 | 浅川マキ

こんな風に過ぎて行くのなら / 浅川マキ (東芝)

現在の自分の心境立場を思う時、それはこれまで我欲と享楽で過ごして来たツケが回ったという事なんでしょう。

それは自分を偽り、周囲を欺いて来た罰でもあり、もちろんそれなりの喜怒哀楽はあったにせよ、その何れをも心から受けとめていたとは決して言えません。

むしろ、そんなこんなを無感動に受け止める努力さえしていたと思うばから……。

今となっては、なんて馬鹿野郎な生き様だと、大いに後悔しているんですが、さりとて過ぎ去った日々は戻らず、これからもやるせない気分に悄然としていくにちがいありません。

しかし、自分には「歌」がまだ残っています。

例えば浅川マキが昭和47(1972)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「こんな風に過ぎて行くのなら」は、現在のサイケおやじには直球ストライクのど真ん中!

アコースティックギターのリズムカッティングからベース、ドラムス、そしてピアノというシンプルな伴奏に導かれ、浅川マキは本気でやるせない心象風景を歌ってくれるんですねぇ~~♪

もちろん作詞作曲は彼女自身ですから、気持ちの入り方も極めて自然体と思われますし、深町純(p,arr)、萩原信義(g)、高中正義(b)、角田ヒロ(ds) というバックの演奏メンバーも、きっちりと良い仕事ですよ。

う~ん、これぞっ、浅川マキの代表的人気曲のひとつとして納得の名演名唱が、ジンワリと心身に染み入るばかり……。

もはやサイケおやじの稚拙な筆なんかは無用の長物として、皆様にもこの気分はぜひとも共有していただきとうございます。

ちなみに同曲は、ご紹介のシングル盤に収録の他に翌年発表のLP「裏窓」には別風味のアルバムバージョンが入っていますし、後年にはリメイクバージョンも出すほど、彼女も十八番にしていた、ある意味では浅川マキの存在イメージを象徴する楽曲のように思います。

ということで、今の気分から抜け出すには、何かで自分を律しなければならないという覚悟をしております。

人は皆、悲しい出来事に遭遇しつつ、人生を過ごすわけですが、本当の悲しみはたったひとつで充分でしょう。

ただ、サイケおやじはそれを大切にしていきたいと思っています。

コメント (2)
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浅川マキは生きている!

2010-01-19 11:20:44 | 浅川マキ

Maki Live / 浅川マキ (東芝)


最近は各方面での訃報に驚く毎日ですが、昨日もまた、浅川マキの……。

故人は決してメジャーな活動はやっていませんでしたが、少なくとも私の世代ではファンが多いはずですし、新しいファンも今日まで増え続けていたと思います。

昔っからのメモをひっくり返したら、私が初めて浅川マキの歌を聴いたのは昭和44(1969)年末、曲は「かもめ」でしたが、やるせなく、そしてせつないほどの熱さを持った彼女の歌は、当時のラジオ深夜放送の大人びた世界に憧れていた中学時代のサイケおやじを、忽ち新しい場所へと導くものでした。

なんというか、ジャズでもロックでも、歌謡フォークでもなく、ブルース歌謡に近いような、モダンジャズで言えばデイヴ・ブルーベックの「Take Five」調のリズムパターンを使ったノリ、さらに「あばずれた」た歌いっぷりが、新鮮だったのです。

そして以降、ハッと気がつくと、ラジオでも深夜放送では人気が急上昇していた浅川マキの歌は、アングラと言われながら、所謂「文化人」にもファンを増やしていったと思います。

例えばライプの会場には某有名人が来ていたとか、映画やテレビドラマの劇中では、彼女の歌が意図的に使われることも、スポーツ紙の芸能欄のニュースになっていたほどです。

もちろん音楽マスコミも浅川マキを積極的に取り上げ、私がサングラスや衣装も含めて、全身ダークなイメージに徹している彼女の写真を最初に見た時には、失礼ながら決して美人ではなくとも、その雰囲気の「濃さ」に圧倒されましたですね。

また当然ながら、浅川マキの歌そのものの存在感の強さも素晴らしです♪♪~♪ それは聴いているうちに、歌われている情景が自然と心の中で映像化されてしまうほどですから、例えばロマンポルノでは彼女の歌が挿入歌として使われた作品が幾つも、残されています。

特に加藤彰監督は相当にファンだったようで、白川和子主演の「恋狂い(昭和46年)」では「夜が明けたら」、中川梨絵と宮下順子が出た「OL日記・牝猫の情事(昭和47年)」では「こんな風に過ぎて行くのなら」と「さかみちけ」が最高に効果的に使われていて、もう泣きそうになりますよ。

それほど浅川マキの歌はハードボイルドですし、彼女の存在そのものが、そうした小説の登場人物だと錯覚させれるのは、私だけでしょうか。イメージ的に浅川マキといえば、新宿や渋谷、池袋あたりの街が似合うというのは、如何にも1970年代的ではありますが、実際、私は彼女のライプには全く接したことがありませんし、唯一度、東京駅で彼女を見かけた時も、あぁ、やっぱり浅川マキという歌手は実在したんだなぁ……、と妙な感慨に浸ったほどです。

で、本日ご紹介のアルバムは浅川マキが確か3枚目に出した、初期のライプを収めた傑作盤です。

 A-1 別れ
 A-2 赤い橋
 A-3 にぎわい
 A-4 ちっちゃな時から
 A-5 朝日樓(朝日のあたる家)
 A-6 かもめ
 B-1 少年
 B-2 死春期
 A-3 ピアニストを撃て
 A-4 オールド・レインコート
 A-5 ガソリン・アレイ
 A-6 さかみち

録音は昭和46(1971)年12月31日の紀伊国屋ホール、つまりは大晦日のライプなんですが、浅川マキにとっては毎年恒例のイベントとして、以降も、ずぅ~~っと続いていくものです。

そして演目は代表曲と新曲、ライプだけの選曲もあり、特にB面収録の「オールド・レインコート」と「ガソリン・アレイ」はご存じ、ロッド・スチュアートの人気レパートリーを日本語で歌った快演♪♪~♪ 完全に日本語ロックになっているのが、たまりませんし、お馴染みの「朝日のあたる家」にしても、ジャズブルース仕立が良い感じです。

ただし残念なのは、浅川マキの歌が現在、オリジナル仕様でCD化されていないことで、この名盤にしても、CD化は不明です。

このあたりは何故なんでしょう……。

一説には浅川マキ本人がCDにされた「音」を嫌っているらしいのですが、確かに彼女の歌にはアナログ特有の温もりが似合うのは確かです。

今となっては天国へ召された彼女の意思を確かめる術もなく、そのあまりの急な出来事に後事は全く不明ですが、ひとりでも多くの皆様に浅川マキを聴いていただくためにも、善処を望みたいところです。

ということで、昨夜は浅川マキを聴こうとして、まずはこのアルバムを取り出したんですが、途中で悲しくなって、針を上げてしまいました……。

そして前述したロマンポルノ「OL日記・牝猫の情事」のDVD鑑賞に切り替えた次第は、如何にもサイケおやじ的日常かもしれません。

中川梨絵が成り行きのお見合いを終え、自宅に帰って簡単な料理を作り、ひとりで食べているシーンでの「こんな風に過ぎて行くのなら」は、あてどないムードが最高♪♪~♪ また宮下順子が好きな男の幸せを思って、ひとりで去っていくバスの中での「さかみち」には、本当にじんわりとせつなくさせられますよ。

既に述べたように自分の中では、不思議なほどに虚構性の強い歌手でしたから、突然の悲報も実感というよりは、妙な悲しさが強くなるばかりです。

浅川マキは生きている!

そんな風にさえ、自然に思ってしまうのが、これまた不思議……。

謹んで衷心より、ご冥福をお祈り致します。合掌。

コメント (6)
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