OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

あの頃、井上千鶴がっ!

2024-08-18 17:05:03 | 日本のロック

抱きしめてBoy c/w 唇とめないで / 井上千鶴  (RIV.STAR)

昭和60(1985)年前後からの我が国歌謡界では、所謂女性ロッカーのブームが確かにあり、例えばアン・ルイスは歌謡ロックで大ブレイクしていましたし、白井貴子、中村あゆみ、渡辺美里、さらにはバンドスタイルで「ナオン・ロック」をウリにしていた SHOW-YA、加えて BARBEE BOYS の杏子やレベッカの NOKKO 等々、所謂ニューミュージックの枠を飛び越えた日本のロック系女性ボーカリストが人気を集めていた流れからでしょうか、本日の主役たる井上千鶴はアイドル系ロックシンガーとして、それなりに華々しいデビューを飾ったんですが……。

なにしろ掲載のデビューシングルA面曲「抱きしめてBoy」は作詞:竜真知子&作曲:高橋研からの提供という事は、井上千鶴の歌唱力も既にして中途半端じゃ~ないという憶測は真実でありました。

そ~ですよ、作詞担当の竜真知子は当時のニューミュージックや歌謡ポップスのジャンルでは売れっ子であり、作曲を提供した高橋研は前述した中村あゆみをブレイクさせたプロデュース能力が認められていましたからねぇ~~♪

実際、それは頭サビの溌剌としたアイドル歌謡であり、アップテンポでキャッチーな仕上がりは間違いないところだったんですが、イントロがアメリカのロックバンドとして1979年にデビューしたザ・ナックが放った世界的一発大ヒット「My Sharona」と同じとしか言えない国吉良一アレンジが、鼻白むわけでして…… (^^;

う~ん、これはなぁ~~、と思ってしまえば、井上千鶴の前向きな歌いっぷりが、一本調子に聞こえてしまったのは、サイケおやじだけでしょうか…… (^^;

まあ、そんなこんなの思い込みは、この掲載盤が業界の知り合いから頂戴したサンプル盤という事実に鑑みて、失礼千万!?

ところが、レコードをひっくり返して針を落としたB面曲「唇とめないで」がA面曲「抱きしめてBoy」とは打って変わったミディアムテンポのクールなアンニュイ歌謡ポップスであり、キーボードメインで作られた演奏パートをバックに歌う井上千鶴のボーカルが繊細にしてポップの極み (^^♪

いゃ~~、これは現代でも完全に通用する裏傑作と思えば、作詞:神田エミ&作曲:高橋研、そして編曲:国吉良一の仕事は完璧の決定版!

これこそ、井上千鶴の歌唱力を存分に活かせるスタイルじゃ~ないでしょうかねぇ~~!?!

ところが、次のシングル曲「哀しみパワフル」が、これまたパワーポップ歌謡路線だったんですから、個人的には大きな肩透かしとはいえ、それはそれで方向性は定まっていたのかもしれず、そんなこんなは何れご紹介させていただきとうございます <(_ _)>

う~ん、ここまで書いていながら、彼女のやっていたのは歌謡ロックなのか、あるいは歌謡曲なのか?

もしかしたら、ニューミュージックなのか?

ほとんど判然としていないサイケおやじの迷いは、ど~なるんでしょうかねぇ~~ (^^;

ということで、結果的に大きなブレイクは果たせなかった井上千鶴ではありますが、今だからこそ、再評価されるべきなのかもしれません。

特に前述したとおり、ここに収録のB面曲「唇とめないで」は、ひとりでも多くの皆様に聴いていただきたと願うばかりであります <(_ _)>

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クールで熱い夏よっ!

2024-07-18 18:53:37 | 日本のロック

だって夏よっ / サンディー&ザ・サンセッツ (東芝)

梅雨明け、いよいよ夏ですねっ!

ということで、あまりにもベタな選曲ではありますが、本日はサンディー&ザ・サンセッツが昭和60(1985)年5月に出してくれた掲載のシングル盤A面曲「だって夏よっ」です。

で、皆様ご存じのとおり、このグループは夕焼け楽団をやっていた久保田麻琴とサンディーが昭和51(1976)年頃に出会ったあたりから発展的に作られていったバンドであり、しかしながら、その道程には様々な名義で活動するサンディーと独自のグルーヴを貫く久保田麻琴の人脈、そして頑固さがあったらしく、特に細野晴臣との繋がりからYMOのレコーディングセッションやライブの前座等々、今となっては伝説に近い活動も、なかなか一般的な人気とは無縁……。

レコードセールスも芳しくは無かったはずが、それでも業界での評価は定まっていたのですから、ついに某化粧品会社のキャンペーンソング用に作られたのが、この「だって夏よっ」でありました。

それは作詞:サンディー、補作詞:Jonah Pashby、そして作編曲:久保田真箏が作り上げた当時流行のニューウェイヴ的クールなビートを前面に出したアップテンポの日本語ロック♪♪~♪

正直、サイケおやじの好みでは決してありませんが、とにかくポップなサンディーの歌いっぷりと隙間だらけでありながら、強いロックのグルーヴを叩き出しているバンドの一体感は、それなりに平凡なメロディラインをキャッチーにしているとしか思えない、妙な快感があるんですねぇ~~ (^^♪

ちなみに当時のサンディー&ザ・サンセッツのメンバーはサンディー(vo)、久保田麻琴(vo,g,key)、ケニー井上(g,vo)、恩蔵隆(b,vo)、井ノ浦英雄(ds) がレギュラーだったと思うんですが、やはりスタジオセッションには助っ人ミュージシャンの参加は否めないところでしょう。

また補作詞とクレジットされた Jonah Pashby は、おそらくは当時のアン・ルイスのバックバンドだったビンクスでコーラスとギターを担当していたジョナ・パシュビーだったとしたら、サンディーもジョナもハワイ育ちという事からの繋がりでしょうか、サイケおやじは、それも納得しております。

閑話休題。

そして、ここでは日本語主体で歌われている「だって夏よっ」は、これまた当時流行していた 45回転の 12吋シングル用に英語バージョンも作られ、その「Babes in the Woods」は、まあ……、玄人筋にはウケる要素が満点ながら、サイケおやじは、ここまでしか触れませんので悪しからず (^^;

う~ん、それにしても、ここで楽しめる強烈なビートロックの快感はトーシロには、その隙間感(?)を意識するほどに難しいと思われますし、ザ・サンセッツの前身だった夕焼け楽団は、ある種のユルフン的グルーヴがウリだったんですから、ここまでタイトな演奏をやってしまう、そのプロのテクニックとモチベーションの高さは流石ですよねぇ~~ (^^♪

これで、しばらくはクールで熱い夏をっ!

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これだけでも美しきジャネット

2024-07-08 18:59:02 | 日本のロック

美しい季節 / ザ・ジャネット (東芝)

洋楽中華思想の人達からはバカにされがちな日本のロックバンドにだって、それはそれは素晴らしいグループが多数存在している現実を素直に受け入れる必要性からも、本日は昭和48(1973)年から2年ほど活動していたザ・ジャネットをご紹介させていただきます。

で、掲載したのは、彼らのデビュー曲「美しい季節」を入れたシングル盤で、発売された昭和49(1974)年春からジワジワと小ヒットしたのは、当時勢いがあったラジオの深夜放送やテレビ放送されていたバンドコンテスト番組の影響も大きかった事に加えて、件の「美しい季節」が作詞:阿久悠&作曲:平尾昌晃、そして編曲:東海林修というプロのソングライターから提供された、これが所謂泣きのハードロック歌謡であったからでしょう。

とにかくイントロから激情迸るギターに重いドラムスの響き、さらには刺激的なブラスに情緒満ち溢れるストリングスというお膳立てにキャッチーな曲メロと哀切の歌詞の世界!

そしてボーカル&コーラスの思い込みの強さが、きっちりし過ぎるほどに熱い仕上がりですからねぇ~~♪

掛け値なしに、これがヒットしなかったら日本のロックに未来は見えないと思わせられましたですよ、サイケおやじは (^^♪

しかも、レコードというスタジオで作られた音源ではありますが、殊更ギターが最高に上手くて、圧巻としか言えませんっ!

メンバーは松尾ジュン(vo,g)、佐々木かつみ(g,vo)、大塚ケン(b,vo)、大間ジロー(ds,vo) とジャケットスリーブには記載されておりますが、前述したとおり、スタジオレコーディングには助っ人の参加が当然が必然とはいえ、バンドとしてのヤル気と本気度の高さを上手くまとめ上げたプロデュースも最高じゃ~ないでしょうか (^^♪

しかも、これがジャケットスリーブの記載もウリの「ロンドン録音盤」なんですから、オンタイムのサイケおやじは心底羨ましさを覚えたほどです。

ところが……、こんなに強烈なデビュー曲を出しながら、ちょっと見したテレビ出演時のザ・ジャネットには精彩が感じられず、また以降、数枚出したレコードも当時人気急上昇中だったチューリップっぽさまでも露呈した中途半端な仕上がりで……。

結局は解散に追い込まれたのは、なかなか残念なところでした。

それでもザ・ジャネットは、この「美しい季節」だけでも記憶に残る日本のロックバンドでありましょう。

そしてメンバーだった松尾ジュンは松尾一彦と改名し、大間ジローと共にオフコースに加入し、その全盛期を支えた事は説明不要でしょうか。

ちなみに前述したザ・ジャネットの精彩云々に関しては、今となっては幸運にも2度ほど接した実演ライブで、大間ジローの力感の強いドラムスに瞠目させられた事を付記させていただきます。

ということで現在、どの程度、ザ・ジャネットが評価されているかは知る由もありませんし、オフコースのファンの皆様であれば、相当に馴染み深いバンドとして忘れられていないかもしれませんが、何かの機会に「美しい季節」だけでも、聴いていただきたいと願っております <(_ _)>

うむ、この一瞬の輝きこそが、如何にもロック的!?

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塀までぶっとばされたっ!

2024-02-29 19:02:14 | 日本のロック

Suki Suki Suki(塀までひとっとび)/ サディスティック・ミカ・バンド (DOUGHNUT / 東芝)

日本ロック史に屹立するサディスティック・ミカ・バンドの素晴らしさ、その偉大さはサイケおやじも大いに認めるところですが、さりとて……、サディスティック・ミカ・バンドが結成され、正式に活動を開始した昭和47(1972)年当時は決して、そ~ではありませんでした。

これはサイケおやじだけの印象、あるいは思い込みでは無かったという記憶を辿ってみれば、リーダーたる加藤和彦が当時夫婦関係にあったミカと共に結成した件のバンド名が、あらためて述べるまでもなく、ジョン・レノンが妻のヨーコと一緒に運営活動していたプラスティック・オノ・バンドを真似っこしたに過ぎないというイメージが強く、つまりは加藤和彦という、常に流行に敏感なミュージシャンの「お遊び」感覚を否が応でも押し付けられているというか……。

また、同年初夏に発売された最初の公式シングル曲「サイクリング・ブギ」が、これまたオンタイムで流行っていたロックンロール・リバイバルに則ったアップテンポの日本語ロックだった事も、サイケおやじにしてみれば、聊かスカされた気分でありました (^^;

このあたりの事情は、これまでも度々書いてきたように、その頃は歌謡フォークが全盛でしたから、ロック好きな洋楽ファンは大勢存在しながら、エレクトリックなバンドをやっている者なんか、時代遅れという風潮が確かにありましたし、国内のプロのバンドにしても、GSブームが去っていたこともあり、そのほとんどはゴーゴー喫茶のハコバンあたりが主な仕事という有様で、きっちりロックバンドとしてレコードを出していたミュージシャンは数えるほどでした。

ですから、歌謡フォークをリードしていた加藤和彦が何故に……?

なぁ~んていう不遜な思いがサイケおやじには確かにありまして、しかも翌年春に発売された最初のLP「サディスティック・ミカ・バンド」の内容が如何にも当時の洋楽流行だったグラムロック的な雰囲気としかサイケおやじには思えず、それはラジオの深夜放送でオンエアされた数曲を聴いただけの印象ではありましたが、なんだかなぁ…… (^^;

ちなみに同時期の日本のロックバンドでサイケおやじが強く認識していたのは四人囃子、ブルース・クリエイション、モップス等々でしたから、つまりは明確なハード&ヘヴィな感覚を打ち出していなかったサディスティック・ミカ・バンドは失礼ながら、埒外だったというのは、サイケおやじの不明でありました…… (^^;

ところが、それを大きく覆されたのが昭和50(1975)年初頭に耳にした「塀までひとっとび」という、本日掲載のシングル盤A面曲でして、これがハナからケツまでファンキーロックに徹したアップテンポのゴッタ煮(?)歌謡ロック!?!

それは、とにかくワウワウまでもスビート感満点に用いたリズムギター、炸裂するシャープな16ビートのドラムスにニューソウルなベース、加えてクロスオーバーなキーボートにオチャメでサイケデリックなボーカルというバンドサウンドの纏まりの良さこそは、それに反比例するが如き破天荒寸前の歌と演奏!

あぁ……、このあたりの新鮮な興奮度の高さは正に衝撃でありましたよ、昭和50(1975)年当時のサイケおやじにはっ!

もはや筆舌に尽くし難いと申しましょうか、例えは苦しいものがありますが、ジュニア・ウォーカーあたりがやっていたファンキーなソウルインストをロックに焼き直した感じは、作詞:林立夫&作曲:小原礼が狙って作ったというよりも、ライブギグの現場で自然発生的に練り上げられたグルーヴをスタジオで練り直した結果という経緯を後に知る事になるんですが、それはそれとして、これを演じていた当時のサディスティック・ミカ・バンドのメンバーは加藤和彦(vo,g)、ミカ(vo)、高中正義(g)、今井裕(key)、小原礼(b,vo)、高橋幸宏(ds,vo) だったそうですし、もうひとり、絶対に外せないのがプロデュースを担当したクリス・トーマスの存在でしょう。

そ~ですよ、ジョージ・マーティンの弟子にして、ピンク・フロイド、プロコル・ハルム、ロキシー・ミュージック等々の先進的な英国のプログレバンドを手掛けていた才人ですからねぇ~~、既に述べたとおり、発足当時はグラムロックっぽかったサディスティック・ミカ・バンドが徐々にクロスオーバー的なサウンドに移行し、フュージョンロックに深入りしていく過程には絶好の水先案内人だった様な気がするほどなんですが、加藤和彦が如何なるルートでクリス・トーマスとの共同作業に踏み切ったのかは、勉強不足で知る由もありません…… (^^;

実は、この「塀までひとっとび」は既に前年秋に発売されたいたサディスティック・ミカ・バンドの2nd アルバム「黒船」からのカットであり、殊更英国では「Suki Suki Suki」の英語タイトルでシングル発売もされていたほどの仕上りは傑作の証明でありましょうか、とにかくもサイケおやじは慌てて掲載のシングル盤をゲットして聴きまくり、次いで件のLP「黒船」を入手し、またまた衝撃を受けたわけですが、それは追々に書き記したいと思います。

そして実に素敵な朗報として、サディスティック・ミカ・バンドが残してくれた公式スタジオレコーディングによる4枚のアルバム、同じく2枚のライブアルバムに加えて、新発掘のライブ音源や所謂レアリティーズ音源等々を集成リマスターしたCD8枚に英国でのテレビ出演映像を含むライブステージを収めた映像BDを加えたボックスセット「PERFECT! MENU」がついに3月発売される予定なんですよ (^^♪

もちろん、サイケおやじはサディスティック・ミカ・バンドのCDは1枚も持っていないので、速攻で予約してしまいました (^^♪

ですから、そんなこんなも含めて今後、サディスティック・ミカ・バンドのあれやこれやを拙ブログにて取り上げますが、気になるバンドの活動過程において、ど~しても避けて通れないのが加藤夫妻の離婚という問題であり、それはなんとっ!

ミカとクリス・トーマスの不倫が原因という真相は、いやはやなんとも…… (>_<)

詳しい経緯については、これまで各方面で語られておりますし、幾つかの逸話はネットでも拾えると思いますが、素晴らしい音楽活動の裏側でドロドロしたプライベートな問題が渦巻いていたというあたりは、浮世の常なんでしょうか……。

う~ん、せつなくも、芸術は長し……。

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伊東きよ子はサイケでアシッド

2023-11-30 17:12:06 | 日本のロック

見知らぬ世界 c/w 星からの便り / 伊東きよ子 (CBSソニー)

先日ご紹介した「幻のアマリリア / 加山雄三」でアレンジを担当していたクニ河内を再認識したサイケおやじが思わず取り出してしまったのが、昭和43(1968)年10月に発売された本日の掲載盤です。

それは結論から申し述べさせていただければ、AB面収録の2曲共が「浜口庫之助+クニ河内+伊東きよ子」という、これが世に出た時代性を鑑みれば、それだけでサイケデリックな歌謡フォーク!?!

なぁ~んていう、実に嬉しい推察は易いわけですが実際、作詞作曲:浜口庫之助によるA面曲「見知らぬ世界」はミディアムスローでフワフワしたメロディラインにメルヘンチックな自殺願望みたいな歌詞という、明らかに勘違いではありますが、なんとなくサリンジャーのあの短編小説の世界を思い浮かべてしまうのは、GS歌謡の体裁を保ちつつも、パラダイス志向のサイケデリックサウンドを表出させたクニ河内の秀逸なアレンジと伊東きよ子のキュート&クールな、ある意味「白痴美」的な歌唱があればこそっ!?

聴いているうちに和みと不安が予定調和しているという感じにさせられるんですが、いかがものでしょう (^^)

そして、尚更にヤバい(?)雰囲気に満たされているのがB面収録の「星からの便り」でして、もちろん曲調と歌詞はSF&ファンジーメルヘンな世界ですから、伊東きよ子の歌唱はミディアムテンポのフォークグルーヴを崩す事の無い素直さで好感が持てますが、それにクニ河内はイントロからシタールやハープ等々を大胆に用いたアレンジを施しているんですから、これはラガロック歌謡であり、現代で云うところのアシッドフォーク歌謡の隠れ名作と思うばかり (^^)

あぁ~~、このシングル盤も当時の雰囲気を今に伝える歴史遺産と言えば、例によってサイケおやじの大袈裟とは自覚しつつも、やっばり……、一度は皆様にも聴いていただきたい日本のロックの先駆盤かもしれません。

最後になりましたが、ジャケ写ポートレートの思わせぶりにキュートな伊東きよ子、完全に好みです (^^♪

全く、それと同じイメージの声と節回しが楽しめるんですから、たまりませんねぇ~~♪

いよいよ冬の到来にも意想外のジャストミート感があるのでした。

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かまやつひろしの懐の深さ ~ 昭和53年物の魅力

2023-11-27 18:44:41 | 日本のロック

マイ・オールド・ギブソン c/w 12時の讃歌 / かまやつひろし (TRIO)

昨日、ちょいと書きましたが、日曜日のサイケおやじは現在入れてもらっている高齢者バンドと友好関係にある同系某バンドのライブに参集した折、メンバーの中のボーカル氏が自らアコースティックギターの弾き語りで聴かせてくれたのは、かまやつひろしが昭和53(1978)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「マイ・オールド・ギブソン」でありました (^^♪

それは作詞:嶋田富士彦&作曲:渋谷祐子から提供されたスローテンポのカントリーロックであり、シミジミとした曲想を尚更に奥行きのあるものにしている深町純のアレンジも流石に秀逸だと思いますが、なによりも、かまやつひろしが本領発揮の飄々としながらも、零れんばかりの哀愁を節回す、そこはかとない鼻歌唱法が最高に心に染みる名曲にして名唱でしたから、サイケおやじは大好きな歌♪♪~♪

それを件のボーカル氏はニクイばかりの泣き節を潜ませながら披露してくれたもんですから、あらためて帰宅後に掲載のシングル盤を取り出したという次第です (^^)

いゃ~~、こ~ゆ~和製カントリーロック、最近は作られているのでせうか (^^)

決して自作自演ではない楽曲を完全に自分のものにしているあたり、かまやつひろしの懐の深さを再認識させられます。

そして、その意味で要注意なのが作詞:松任谷由美&作曲:かまやつひろし、そして編曲:深町純という、なかなか豪華絢爛なクレジットも眩しいB面曲「12時の讃歌」でして、これなんか全くプログレな演奏パートに浮遊感がジワジワと表出するメロディラインというミディアムテンポのシティ・ポップと申しましょうか、幾層にも重ねられたカラオケをバックにフワフワと歌っていくボーカルの味わいは、かまやつひろしの独壇場であり、ユーミンならではの胸キュンな歌詞の世界にもウルつとさせられてしまいますねぇ~~~♪

思えば……、これが世に出た昭和53(1978)年の我が国の音楽状況は歌謡フォークがニューミュージックに変換されている最中であり、洋楽ではロックとフュージョンが共に隆盛、また正統派歌謡曲や演歌、そしてポップス歌謡にも大ヒットが続々と出ていた時期でしたから、極言すれば、何でもやれたという幸せな時代だったんですよねぇ~~ (^^♪

それが翌年になると各々特化したジャンルに分類されていった様な気がしているサイケおやじにすれば、所謂「昭和53年物」には自然と惹かれるのも不思議じゃ~ないわけでしょうか (^^)

閑話休題。

ということで、サイケおやじとしも自分の持ちネタにしたいほどの名曲「マイ・オールド・ギブソン」ではありますが、当然ながら「歌」には全く自信がございませんので…… (^^;

カラオケあったら、練習したいものです (^^ゞ

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ハードロックに吼えろ!

2023-09-19 17:44:01 | 日本のロック

ボリューム・オン / バウワウ (ビクター)

ということで、本日は昨日の流れから、我が国のハードロック界を牽引した BOW WOW = バウワウです (^^)

しかし、それは現在に至っての成功・評価であり、昭和51(1976)年の公式レコードデビュー当時、また以降の活動期間においても、なかなか各方面からの賛否両論が絶えないバンドだったという印象が、サイケおやじには確かにあります。

それでも、サイケおやじは決してバウワウが嫌いではなく、むしろ最初っから驚嘆させられましたし、レコードだって、それなりに所有しているのは何よりもの証明とお断りしたところで、本日掲載したのは、件のバウワウが昭和51(1976)年に出したデビュー曲「ボリューム・オン」をA面に入れたシングル盤なんですが、実はバウワウは、それ以前から既にマスコミでは様々に取り上げられていたバンドで、メンバーは山本恭司(vo,g)、斉藤光浩(vo,g)、佐野賢二(b)、新美俊宏(ds) という4人組ながら、英米のバンドに負けない本格的なハードロックを演じるという煽り(?)と共に、ルックスもイケてる!?

――  みたいな報道からして、少なくとも当時の日本の音楽ファンは半信半疑……。

ところがバウワウが凄かったのは、大型トレーラートラックを改造した移動ステージを使い、各地でデモ演奏を敢行し、また積極的なテレビ出演も同時並行的にあった事から、実力派アイドルグループという二律背反的な存在感を示していた事です。

実際、これは良く知られている事ですが、メンバーの斉藤光浩は元 DO. T. DOLL = ドゥー・T・ドールのギタリストというアイドル性が失せておらず、バンド結成に至る経緯にしても、所属事務所が先にレコード契約を前提にしてのアイドルロックのグループを企図していたというのですから、そんなこんなの裏事情がデビュー前後から業界経由(?)で我が国のロックファンに流されていたのは、これ如何にっ!?

しかし、そんなマイナス事情をブッ飛ばしたのが、山本恭司の本格的ロックフィーリング溢れるギターワークであり、同時にバンドとしての纏まりの良さは特筆すべきだったのが、前述したデモ演奏に最初に接した瞬間のサイケおやじの偽りの無い衝撃的感想でありましたっ!

さて、そこでデビュー曲「ボリューム・オン」は作詞:吉田健美&作編曲:山本恭司とクレジットされた、極言すればディープ・パープルっぽい日本語歌詞のハードロックで、重心の低いヘヴィなノリと疾走感の強いキメのパートを組み合わせ、加えてプログレっぽいスローなコーラスも入れ込むという、ちょいと複雑な曲構成ながら、決してダレる事の無い仕上がりはニクイばかり (^^)

全く4分に満たないトラックに、これほど密度の高いロックを詰め込んだ手際は、とても当時二十歳前後だったメンバーの演奏とは信じ難いものがありましたですねぇ~~♪

以降、バウワウは最初のアルバム「吼えろ!BOWWOW」を同時期に発売し、確実にファンを増やしていった事は説明不要と思いますが、サイケおやじがバウワウを気に入っているのは、既に述べたとおりのディープ・パープルっぽさに加えて、不思議と絶妙の歌謡曲風味があるところなんですよ (^^)

まあ……、そんなのは勘違いの戯言だと、お叱りは覚悟してはおりますが、件のLP「吼えろ!BOWWOW」を最初に聴いた時から、それはサイケおやじの心に刻まれた印象であり、なんとっ!

昭和53(1978)年末には全曲日本語の歌詞で、思いっきり歌謡ロックを演じたアルバム「GUARANTEE」を出しているのは、そんなこんなのサイケおやじの想いが通じたのでしょうか、個人的には傑作と断言したいほどなんですが……。

世間の耳目は厳しく、これがエアロスミスの前座でメインアクトの顔色を失わせた実力派のバウワウかっ!?

なぁ~んていう、誹謗中傷(?)は正直、悲しかったですねぇ……。

それでも、バウワウは確実に前進を続け、海外のロックフェスにも参加したり、英国ツアーもやっていたという実績は不滅でしょう。

つまり、堂々とロックの本場でも受け入れられていたのが、バウワウという和製ハードロックのバンドでありました。

冒頭で述べたとおり、確かにバウワウは賛否両論の渦中にあった時期もあり、昭和58(1983)年晩秋には解散してしまったとはいえ、その後の再結成やオリジナルメンバー各々のソロ活動等々も含めて、現在でも存在感は消える事がありません。

その意味で、少しでもバウワウに興味を抱かれた皆様には、本日ご紹介のシングル曲「ボリューム・オン」を含む最初のLP「吼えろ!BOWWOW」から鑑賞されん事を切に願うばかりです <(_ _)>

いゃ~~、日本のロックも素晴らしいですねぇ~~♪

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昭和40年代後半にも売れるロックが企図されていた

2023-09-18 16:16:25 | 日本のロック

涙のシーズン / DO. T. DOLL (東京レコード / ビクター)

熱狂的だったGSブームが去って後の我が国芸能界において、若者向けの音楽と云えばアングラ&歌謡フォークが主流となり、所謂ロックバンドなんてのは深夜営業のゴーゴー喫茶かディスコ以前のナイトクラブみたいな場所でしか大っぴら(?)なステージギグが無かった頃、つまりは昭和40年代中頃にロックで飯を食うなんてのは、真っ当に生活出来ない代名詞でありました。

しかし、それでも業界の中には、フォークに負けじと「売れる」ロックバンドを目指す動きが確かにあり、サディスティック・ミカ・バンドやキャロルは、それなりにメジャーに名を売る事に成功し、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドは堂々と大衆的なシングルヒットを飛ばし、また外道四人囃子、そしてクリエイション等々、決して表舞台には登場せずとも、大きな支持を得ていたグループが確かにあった中の昭和49(1974)年5月、本日掲載のシングル盤で公式デビューした DO. T. DOLL = ドゥー・T・ドールは、チャコとヘルス・エンジェルと同様に最初っから極めてアイドル指向のバンドとして、その頃の人気テレビ番組「ぎんざ NOW(TBS)」にレギュラー出演するほどの期待を集めていた様に記憶しています。

メンバーは斉藤光浩(vo,g)、佐々木章宏(vo,g)、新川宣孝(vo,b)、渡辺登美雄(vo,ds) という4人組で、確か当時は平均年齢が 16~17 歳だったところから、バンド名は「童貞ドール」とかっ!?

う~ん、そりゃ~~、ルックス優先主義みたいなメンバー構成ではありますが、それはそれとして、とにかくデビュー曲となった「涙のシーズン」は作詞:安井かずみ&作曲:かまやつひろし、そして編曲:柳田ヒロから提供の実にキャッチーなバブルガム風味のロックンロール歌謡曲であり、とにかく「イェェ~~ェ~」というキメの掛け声が如何にも狙いどおりでありましょうか、レコーディングには女性コーラスやピアノも参加していますし、おそらくは演奏そのものがセッションプレイヤーによるスタジオの仕事である可能性が極めて高いとはいえ、そのシンプルでツボの外し様も無い仕上がりは、サイケおやじがテレビで接した彼等の演奏にはジャストミートのプロデュースと思うばかり!

そ~ですよ、実際、ドゥー・T・ドールは忽ち中高生のファンを掴んでいたはずです。

ところが……、これは拙ブログでも度々書いていることではありますが、ある幸運から、サイケおやじが同年6月から渡米出来た事で、9月までの日本の状況から離れてしまった所為で、帰国した時には、件のドゥー・T・ドールは完全に表舞台から姿を消しており……。

一説によれば、メンバーチェンジ等々のゴタゴタから解散したという噂も耳に入ってみれば、如何にも勿体ない流れでありました……。

そして、もちろん、掲載のシングル盤にしても、そんなこんなの経緯から中古ゲットしたブツであり、他にドゥー・T・ドールの音源が残されているかは不明なれど、実はメンバーだった斉藤光浩(vo,g) がグループ解散後に、あの和製ハードロックバンドとしてブレイクした BOWWOW = バウワウの結成に参加していたという驚愕もありましたですねぇ~~♪

ちなみに、そのバウワウにしても、当初の企画では「売れる」ロックバンドを目指して集められたメンバーの集合体だったという裏事情(?)が知られていますから、さもありなん!?

う~ん、「プロ」である以上、やっぱり「売れる」事が第一義であり、それは決して恥ずかしい事ではありませんよね (^^)

ということで、こ~ゆ~アイドルロックは世界中に存在する芸能の本質的ジャンルですから、それが例え「一見、ロックバンドの如し」であったとしても、好きなものを素直に好きと言えるのが、無理をしない幸せじゃ~ないでしょうか。

それこそが、もしかしたら「音楽」、「音」の「楽しみ」かもしれないと思っているのでした。

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Rock of Made In Japan

2023-04-09 17:58:17 | 日本のロック

涙のゴーゴー / エミー・ジャクソン (日本コロムビア)

我が国の流行歌である「歌謡曲」は極めて雑食性&汎用性が高いので、すんなりと諸外国・他地域の音楽性や流行を取り入れ、しかもオリジナルよりも素敵な作品に仕上げてしまった楽曲は枚挙に遑がないわけで、だとすれば、その逆も有り?

例えば日本産の本格的なロックやソウルミュージック、つまりは外国で通用するヒット曲が作られていても不思議じゃ~ないはずっ!?

サイケおやじは何時からか、そんな漠とした疑問と想像を抱いていたんですが、フッと気がつけば、昭和41(1966)年にエミー・ジャクソンが出した本日掲載のシングル盤A面曲「涙のゴーゴー」は、堂々の「それ」じゃ~ないか?

―― なぁ~んて事に思い当たったんですねぇ~~。

なにしろ、作詞作曲&編曲を担当したのが、共に我が国歌謡ポップスの発展に寄与した沢村美司子沢村和子の実兄たる中島安敏ですから、まず以て歌詞が全篇英語で作られており、それは歌っているエミー・ジャクソンが当時はバリバリの外人女性シンガーとして我が国で活躍していたもんですから、さもありなん!?!

もちろん、このあたりは以前に書きましたが、彼女はイギリスから来日したボーカリストという触れ込みながら、実は横浜のアメリカンスクールに通う学生であり、昭和40(1965)年に「涙の太陽」を大ヒットさせていた流れから制作発売されたのが、シリーズ物恒例という「涙のゴーゴー」とはいえ、しっかりと「You Don't Know Baby」というサブタイトルが用意されているのは、なかなか念の入った企画と思うばかりです。

そして肝心の歌と演奏はアップテンポのロッキンソウルがド真ん中 (^^♪

刺激的に叩きつけるオルガンのイントロからヘヴィなドラムス&ベースが提供するビート感は、完全に同時期の歌謡曲を凌駕した勢いがありますし、程好い哀愁を滲ませたメロディラインを歌うエミー・ジャクソンの「外人ノリ」は、極上の洋楽ヒットでありましたよ、当時はっ!

ちなみにジャケットスリーブ裏に記載があるとおり、バックの演奏とコーラスはジャッキー吉川とブルー・コメッツであればこそ、間奏のカッコイイィ~ギターソロは三原綱木でしょうか、思わずコピー衝動が沸き上がってしまうんですが、これは難しいなぁ~~、サイケおやじには (^^;

とにかく、歌良し、曲良し、演奏良しっ!

三拍子揃った痛快な日本産の本物の洋楽ヒットですよ、この「涙のゴー・ゴー」はっ!

そして前述「涙の太陽」と同じく、「涙のゴーゴー」も我が国の女のアイドルシンガーにカバーされ、そのひとつが、あらためて日本語詞を附して昭和50(1975)年に小林美樹が歌った「太陽の誘惑」というのは、良く知られていると思います。

これは追々ご紹介しようと思っておりますが、それでも、個人的には、やっぱりエミー・ジャクソンが英語で歌ってくれた「涙のゴーゴー」が一番好きなんですけどねぇ~~♪

ということで、最近は我が国で昭和50年代に制作発売されていたニューミュージックの中から抽出(?)された楽曲が、極めて少ないながらも、海外で再発見的に注目され、それが「シティ・ポップ」という括りで逆輸入されてのブームになってみれば、そのまた逆の流れから、国産洋楽が聴き直されてもイケると思うんですが、いかがなものでしょう。

思えば今は昔の物語とはいえ、一時期論争があった「日本語のロック」云々という稟議から、やっぱり「ロックは英語が本物」という、どちらとも判断出来かね思想に鑑みて、そのひとつの拠り所が、例えばエミー・ジャクソンの「涙のゴーゴー」かもしれないなぁ……?

そんなふうに思ってしまうのが、旧態依然としたサイケおやじの本音の吐露というわけです。

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黒くて、熱い! ルイ・高橋 vs 寺内タケシ

2023-03-15 18:04:31 | 日本のロック

サヨナラの朝は近い 
      / ルイ・高橋 with 寺内タケシとブルー・ジーンズ (SEVEN SEAS / キングレコード)

詳細なプロフィールは勉強不足で掴めていないんですが、本日の主役たるルイ・高橋は、黒人フィーリング溢れるネバッコイ歌唱で今も人気が高いボーカリストで、サイケおやじが初めてルイ・高橋を知ったのは、バニーズと別れた寺内タケシが結成した第二期ブルー・ジーンズに参加していたという、つまりは、それまでの寺内タケシがエレキインスト主流主義からGS以降のニューロック領域へも踏み込んだ昭和44(1969)年末頃でありました。

で、掲載したシングル盤は昭和45(1970)年2月の発売で、そのA面曲「サヨナラの朝は近い」こそは作詞:水島哲&作編曲:寺内タケシが恣意的とも思える狙いで作り出した、これがミディアムスローのソウル&ニューロックな歌謡曲!

―― と、書いてしまえば、各方面からのお叱りは覚悟せねばなりませんが、それでもルイ・高橋のクドイ節回しとネチネチ濃厚な声質は、当時の「日本語の歌」では破天荒寸前のサイケデリック風味が強く、滲み出る異端の響きは、とても普通の歌謡曲のフィールドではウケるはずもなく、しかしっ!

それでも驚異のニューロック性感度の高さは圧倒的という仕上がりのキモは、テケテケを封印し、グリグリに弾きまくる寺内タケシのリードギターが絶対!

ちなみに当時のブルー・ジーンズは志村幸夫(g)、相田幹夫(g)、山根 裕(key)、石橋志郎(b)、ジョー水木(ds) という顔ぶれで、もちろん寺内タケシからの薫陶を受けた真摯なプレイは素晴らしいわけですが、惜しむらくはレコードに収録された完パケトラックのミックスが隙間だらけで、確かにそれは当時のステレオバージョンという観点からすれば正解かもしれませんが、各楽器の分離が明確過ぎて、特に前に出たボーカルと相反して引っ込んだ感じのエレクトーンやリズムギターに、もっと自己主張(?)していただきたいという…… (^^;

しかし、それでもルイ・高橋が歌い、寺内タケシが熱く弾きまくった「サヨナラの朝は近い」は堂々傑作の日本のロックであり、ソウル&ニューロック歌謡の極みつきと思うばかりです。

そして、たった一度だけ、その頃の実演ライブで接した寺内タケシとブルー・ジーンズが演じた「サヨナラの朝は近い」のド迫力、ルイ・高橋の情念の歌いっぷりは、今も激烈な記憶として、サイケおやじの心身に染み込んでおります (^^)

また、ルイ・高橋を擁した時期の寺内タケシとブルー・ジーンズの音源はCD復刻されているはずですので、ど~か皆様にもお楽しみいただきたく、願っております <(_ _)>

あぁ~~、ソウル&ニューロックな歌謡曲って、コレクターズアイテムという以上に愛好者が多いと推察しておりますが、纏まった復刻を望むばかりです。

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