先週金曜日に接種したインフルの予防注射の所為で、なんだか体調悪いです。
こんなのは初体験でござんすよ。
あぁ……、今日も会議で苦しめられ、もう、早く帰って横になりたいという切なる願望が▼▼▼?▼
本日の1枚、それと皆様のコメントへのお返事、ご容赦下さいませ(__)
先週金曜日に接種したインフルの予防注射の所為で、なんだか体調悪いです。
こんなのは初体験でござんすよ。
あぁ……、今日も会議で苦しめられ、もう、早く帰って横になりたいという切なる願望が▼▼▼?▼
本日の1枚、それと皆様のコメントへのお返事、ご容赦下さいませ(__)
■わかりません / アン・ルイス (日本ビクター)
この世はナゾナゾだらけで、大手会社が堂々のデータ改ざんや偽装工作をやらかしたり、政治家の苦しい言い訳なんかは毎度お馴染みの光景ではありますが、現在のサイケおやじが出向く事の多い街を「ゴッサムシティ」と準えるのは、そこにリドラーみたいな奴が出入りしているからです。
まあ、他にも猫娘とか、妙な人種(?)も出没する事はさておき、そもそも「偽装」なんてものはグラビアアイドルやポルノスタアの豊胸のように、それでこちらが満足出来ればOKなぁ~んていうものならばともかくも、許せない事柄が絶対的にあるわけでして、実はこんな事を書いているサイケおやじが先方のそれに苦しめられている真っ最中なんですから、いやはやなんとも……。
あ~ぁ、こんな仕事はやってられないなぁ~~~、という本音と弱音が重なっておりまして、しかし結局相手を問い詰めても、答えは何時も「わかりません……」じゃ~、こっちがわかりませんよ。
ということで、ぼんやりと口ずさんでしまったのが、昭和48(1973)年に未だアイドル時代のアン・ルイスが出した「わかりません」というのは、紛いも無い真相です。
ご存じのとおり、当時の彼女は芸能界どっぷりでそれなりにテレビ等々に出演する事も多かったんですが、歌手として大きなヒットは出せなかった中、この作詞:安井かずみ&作曲:ジェーン・ナカシマが提供した「わかりません」は、日本語と英語が微妙な発音の食い違いの面白さを巧みに活かしたゴロの良さ、それに附されたメロディの哀切感、そしてアン・ルイスの丁寧な節回しがなかなか上手く仕上がった裏傑作じゃ~ないでしょうか。
もちろん結果的に後の大ヒット「グッド・バイ・マイ・ラブ」へ、それこそダイレクトに繋がる手応えは充分♪♪~♪
ちなみにサイケおやじはリアルタイムで、この「わかりません」の英語バージョン、それも洋楽の歌手が歌った同曲をラジオで聴いた記憶があるんですが、それは単なる思い込みなんでしょうか?
う~ん、わかりません……。
■ブルージーン・ボーイ c/w 秘密のダイアリー / 森下恵里 (RCA)
アイドルという芸能界の括りは、一応低年齢でしょうから、必ずしも最初から「完成品」は求められていないとすれば、昭和60(1985)年に本日掲載のシングル盤でデビューした森下恵里は、なにかその所為で大きなブレイクが果たせなかったような気がします。
もちろん、そんなサイケおやじの思いは全くの的外れでしょうし、しかしだからこそ、このデビュー作の出来過ぎた感じ、そして実際にテレビ等々で接した彼女の「プロのアイドル」としての存在感は立派でありました。
とにかく彼女のリズム感がサイケおやじの好みだったんですよ♪♪~♪
実は皆様ご存じのとおり、森下恵里は西城秀樹の妹分オーディションで石川秀美に敗れた準優勝者でしたから、芸能的な素質は充分に満たしていたわけで、だからこそアイドル激戦時代に堂々のデビューも出来たんでしょうが、その当時は未だ中学生という早熟性(?)が、年齢を鑑みて所謂「ソツの無さ」という、些か意地悪な見方に繋がっていたと言われています。
しかし、実際問題として作られたレコードは掲載のデビュー盤から全てが秀逸で、素晴らしいの一言!
それは収録両面曲共にプロデュース&作曲が加藤和彦、作詞が安井かずみ、そしてアレンジが武部聡志という、まさにその頃のポップス歌謡のマニアック性を今に伝えるスタッフの手腕でもありましょう。
なにしろA面「ブルージーン・ボーイ」からして、アップテンポのオールディズ趣味が全開という狙いはニクイばかりで、どっかで聞いたよなぁ~~♪ なぁ~んていう親しみやすさと森下恵里のアイドル丸出しの歌いっぷりか素敵なんですねぇ~~♪
そして当然ながら、テレビ出演時やステージライブの現場における彼女の可愛くて、どこか近づき難い雰囲気がスタアの証明でもあったと思うわけですが、それが前述したとおり、失礼ながら「伸び代」の少なさと受け取られていたならば、大いに心外でしょう。
何故ならば、アイドルからシンガーソングライターに転身し、実力派ボーカリスト、あるいはバラエティタレントとしての才能も発揮した後年の彼女の姿を我々は既に知っているからというよりも、サイケおやじには、そうなるために公式デビュー以前から常に目標に向かっていた森下恵里が想像出来るのですから!
ちなみにB面収録の「秘密のダイアリー」は、どうにも岡崎友紀の「Do you remember me?」にクリソツの楽しみがありますので、思わずニヤリですよ♪♪~♪
う~ん、加藤先生も、やってくれますねぇ~♪
ということで、現在ではアイドル時代の森下恵里の音源はCD化もされていますし、再デビュー(?)後の Eri 名義の諸作も同様に様々聴けるはずです。またインディーズでの近年の作品も、なかなか素敵なんですよっ。
どうぞ、皆様もお楽しみ下さいませ。
■Go! Go! 安兵衛高田の馬場へ / 畠山みどり (日本コロムビア)
年末恒例といえばクリスマス関連行事に我が国も巻き込まれている昨今ではありますが、ちょいと待った!
というのが、説明不要の「忠臣蔵」でありましょう。
もちろん忠義の侍の姿は過言ではなく、自らの死を演出していった様式美に昇華され、実際の事件が後々まで様々な展開を経て、我々日本人には夥しい影響力を与えた事は否定する術もないでしょう。
ですから、例えば小説や映画演劇の世界では、誰がどのように「忠臣蔵」を扱っても、その何れもが面白く、また何かしらのインパクトを残してしまうのですが、それは音楽や歌の世界においても同様でした。
そのひとつとして本日ご紹介の「Go! Go! 安兵衛高田の馬場へ」は、昭和42(1967)年に制作発売された、なんとっ! エレキ演歌の痛快作で、まさにGSブームに突入していた日本の芸能界においては、その保守本流を歩んでいた畠山みどりにしても、まさに水を得た魚!?!
持ち前の豪快(?)なコブシ回しと熱い心の歌唱力が、ここでは作詞:狭山哲&作曲:下川博美の提供した御存じ中山安兵衛の仇討ち助っ人の顛末を不思議な前ノリでやってくれるんですから、いゃ~、なんとも嬉しくなってしまいますねぇ~~♪
それは浮かれまくった女性コーラスやエレキ&スティールギターのアンサンブル、和風グルーヴを潜ませたベースやドラムスの躍動感共々、とにかく面白いとしか言えない 河村利夫のアレンジも秀逸ですよっ!
ちなみにジャケットにも掲載されているとおり、歌詞は芸能雑誌「平凡」で募集した当選作というのはまだしも、この楽曲が「コロムビア全国歌謡コンクールの課題曲」っていうのは、クリビツテンギョウでしょう!?
だって、これは実際に聴いていただければ誰しもが抱いてしまう気分だと思うんですが、こんな強烈なビートとリズム感を要求される楽曲を歌える人なんて、そのまんまプロに行けるんじゃ~ないですかねぇ~~~。
もちろん、件の大会がプロ志望の優秀な人材を見出すための目的であれば、それは全然普通なんでしょうが、まあ、それはそれとして、年末には「忠臣蔵」も日本の風物詩という日常は何時の世もの変わらないでいて欲しいものです。
最後になりましたが、掲載の私有盤は最近になって友人から頂戴したブツで、盤質も良好な事から、もしかしたらデッドストックだったのかもしれませんし、サイケおやじの記憶にはアリルタイムで「Go! Go! 安兵衛高田の馬場へ」を歌っていた畠山みどりの姿がありません。
思い出すのは、「畠山みどり=袴姿」だったはずが、その頃にはミニスカ姿も披露していた、あの質量感のある彼女の佇まいだけというのが本日の告白であります。
うむ、何があったかわからないけど……。
乗っていた飛行機が目的地到着する前に1時間以上も上空旋回って!?
さっき、やっと着陸しましたですよ。
おそらく理由は皆様もご推察のとおりでしょう。
物騒な世の中になったもんですねぇ……。
■話相手 / 麻生よう子 (CBSソニー)
覚悟は出来ているつもりでも、やはり仕事が忙しくて、ど~にもなりません。
とにかく本音を吐露出来ないのが、一番ツライという弱音は、皆様にも共感していただけると思いますが、結局は愚痴も口説きも独り善がりの憂さ晴らし!?
ということで、本能的(?)に口ずさんでしまうのが、昭和51(1976)年に発売された麻生よう子の掲載シングル盤A面曲「話相手」というわけです。
なにしろ初っ端から
ねぇ 誰か 話相手になってよ
ほんの少しでいいからさぁ~♪
なぁ~んていう独白願望が、当時流行の哀愁調歌謡フォークのメロディに乗せられて歌われるんですから、どうにもこうにも、この部分は今のサイケおやじの心境そのものであります。
しかし中里綴の作詞には、自由になった女の寂しさ、つまり「一人って寂しいね」という本音のオチがきっちり入っていて、それじゃ~、仕事や人間関係に縛られているサイケおやじの立場は、ど~なるのよぉ……。
う~ん、まあ、失恋というか、別れた後の気分はロンリーという、それなり甘い感傷に浸りつつ、誰かを求めてやまないのは、それもひとつの「人間の性」なのでしょう。
と書けば、なんだか面映いばかりだなぁ……。
ちなみに作編曲は川口真で、ほとんど吉田拓郎? と先入観年を抱かせてしまうあたりは、流石に職人技が冴えまくりの流行追及姿勢が痛快♪♪~♪
そして麻生よう子ならではの黒っぽいフィーリングが、こ~ゆ~曲調でも密かに滲み出るのは、これまたファンには嬉しいところです。
逆に言えば、同時期の南沙織でもイケた楽曲かもしれませんが、所謂ソウルっぽさが歌謡演歌に繋がっている感じがサイケおやじには気になるわけでして、それを麻生よう子の個性と思いたいです。
最後になりましたが、ジャケ写に登場している麻生よう子のなんとも愁いを秘めたポートレートも素敵でしょう♪♪~♪
この面立ちと目線があればこそ、サイケおやじは率先して話相手に名乗りを挙げますぜっ!
トホホ……。
ちょっとバイクで遠出したら、道に迷ってしまったですよ、情けない。
スマホのナビシステムも不調だったという言い訳よりも、自分で走って来た道を間違えて戻るというのは、ボケの始まりでしょう?
本来あやふやな自信が、さらにブレています……。
■紅とんぼ / ちあきなおみ (テイチク)
昨夜は昔馴染みの小料理屋が閉店するという事で、ちょっぴり顔を出してきましたが、そこはまるっきり、ちあきなおみが歌う本日の1枚のA面収録曲「紅とんぼ」の世界でした。
しかも偶然にしては出来過ぎていたのが、件の店が開業したのは、ちょうどこのシングル盤が世に出た昭和63(1988)年11月だったんですねぇ~。
そんなこんなのよもやま話、しんみりとした中にも何時もと変わらぬ常連客の振る舞いがあるにせよ、やっぱりひとつの時代の終わりというか、世の中は出会いと別れで成立しているんだなぁ~~、という感慨に浸ってしまいました。
もちろん説明不要とは思いますが、作詞:吉田旺&作曲:船村徹が提供した「紅とんぼ」は、何らかの事情で店を閉め、故郷へ帰る女の歌ですから、殊更寂しさと深い情けが歌唱に求められるのは言わずもがな、南郷達也のアレンジによるモロに演歌ギターが印象的な演奏パートに流されない、語り口調の節回しを完璧に聴かせてくれのが、ちあきなおみの真骨頂♪♪~♪
もう、歌い出しのところから、余韻が残り続ける最後のパートまで、人生の刹那の機微がじっくりと伝わってくるのですから、たまりません。
ちなみに件の現実では、女将がその昔、離婚して生き別れになっていた愛娘が社会人になったので、一緒に新しい生活をスタートさせるのだとか、とにかく前向きな希望がありましたんで、そんなに落ち込んだ閉店営業ではなかったんですが、やっぱりサイケおやじの心の中には、この「紅とんぼ」が去来しましたですねぇ……。
う~ん、酒に酔わない体質のサイケおやじが、この店に行くお目当ては、女将がササッと作ってくれる昔っぽい味のスパゲッティナポリタンでありましたよ♪♪~♪
当然、昨夜も頼みましたが、もう、これが食べられないかと思うと、ねぇ……。
ということでちょっとばかり遅れてしまいましたが、実はひし美ゆり子様が経営の店「アジアン・タイペイ」がリニューアルの為に来年1月で営業をやめてしまう報告がありました。
思えば10年ほど営業されてきて、美味しい料理の他に様々なファンの集いやイベントの開催だけでも、既に伝説が語り継がれる聖地になっていますので、探訪&再訪はお早めにです。
昨日、長距離移動中に入って来た日本相撲協会理事長・北の湖親方の訃報には、流石に驚かされました。
もちろん現役時代の太々しさ、堂々とした本物の強さをリアルタイムで見せつけられたサイケおやじにしてみれば、こんなに呆気ない逝去は信じ難く、同時にそんなになるまで職務を離れることが出来なかったという境遇と責任感には、畏敬を覚えるばかりです。
振り返れば、故人の現役時代後半、つまり輪島が引退してからは、孤高の横綱として相撲の本質を体現し、それゆえに「憎たらしい」と、その強さを疎まれていましたし、理事長に就任してからは「薬物事件」「かわいがり事件」、さらには「八百長問題の発覚」等々で相撲の人気が凋落していた中、何時の時代も真っ向から勝負や仕事に忠実だった姿は、誰しもが認めざるをえないでしょう。
また、現役時代は先代貴乃花や輪島という、華やかな人気力士と活躍の場を共にしていた所為もあり、加えて勝負に徹するあまり、所謂「ダメ押し」も少なからずやらかしていたあたりは、ど~しても幅広い人気には結びつかなかったわけですが、そんな非礼な言葉に対しても、故人は揺るぎない信念があったはずです。
恥ずかしながら、サイケおやじは、北の湖の早すぎる訃報に接し、ようやくその事に気がつかされました。
協会の運営に関しては、それなりに人材が揃っているでしょうし、相撲そのものの人気も、まあなんとか安泰が続くとは思っていますが、それにしても同列の大横綱・白鵬が「猫だまし」というよりも、「お客だまし」をやらかした直後に苦言を呈していた理事長の他界には、悪い予感も滲みます。
どうか故人には、草葉の陰でなんとやらよりも、安らかな永眠を心から願っております。
北の湖、永遠なれっ! 合掌。