OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

小川知子のセンスの良さ

2010-11-30 15:21:56 | 歌謡曲

■思いがけない別れ c/w 幸せなんて / 小川知子 (東芝)
 

スタアの証明とは、なにも本業ばかりだけとは限らないと思います。

例えば歌手ならば、歌の他に醸し出す雰囲気が大切でしょうし、これは役者やスポーツ選手等々の佇まいにも共通して言えることでしょう。

そこで本日の主役たる小川知子は、歌手以前に女優としての活動があった所為でしょうか、そこに彼女が登場するだけで、周囲を自分色に染めてしまう器量が確かにありました。

あくまでも個人的な推察ですが、それは彼女の秀でたファッションセンスによるところが大きいと思われますし、実際、彼女が発売するレコードのジャケットに写る小川知子という女性は、常に時代の先端を行く衣装を見事に着こなしていて、掲載したシングル盤の二つ折りスリーブでも、それが存分に楽しめると思います。

肝心の楽曲は昭和45(1970)年に発売され、両面共に作詞丹古晴己、作曲:鈴木淳 編曲:森岡賢一郎という黄金のトライアングルですから、まさに歌謡ポップスの王道路線♪♪~♪

特にA面の「思いがけない別れ」は、イントロから森岡賢一郎が十八番のストリングス&ホーンのアンサンブルと流行初期のニューソウルっぽいリズムアレンジが秀逸ですし、鈴木淳のメリハリの効いた曲メロに寄り添うジャズっぽいピアノも、たまりません。

もちろん小川知子のコブシの使い方も、歌詞に描かれた女の未練とプライドをイヤミ無く表現したものだと思います。

う~ん、それにしても特にサビでドライヴしまくるエレキベースと走り気味のドラムスが、凄いですねぇ~♪ それと地味ながら自己主張するリズムギターも良い感じ♪♪~♪ これぞっ、昭和歌謡ポップスの真骨頂かもしれませんねぇ~~♪

またB面の「幸せなんて」が、これまた素晴らしく、曲メロは尚更に昭和が丸出しの中で尚更にニューソウルっぽいリズムアレンジが良いですねぇ~♪

ということで、レコードのメインになるべき収録曲は当然のように完成度が高く、「思いがけない別れ」もヒットしていますが、やはりこの頃の小川知子は、サイケおやじの中で「小川知子としての存在感」の方が強い印象で残っています。

それは繰り返しになりますが、ジャケ写にも顕著なファッションセンスのエグ味ギリギリの着こなし! 一応は表扱いの「思いがけない別れ」では慣例のミニスカだったものが、裏面の「幸せなんて」になると、その頃に流行が兆していたマキシを逸早く着用し、しかもエロキューション満点のポーズでキメるという必殺技ですよっ!

告白すれば、サイケおやじはジャケットが欲しくて、このシングル盤を中古でゲットしたのです。

結局、小川知子の場合は所謂ジャケ買いも多いんですよ。

ただ、それと同等に素晴らしい出来の収録曲も、本当は真っ当に評価するべきなんでしょうねぇ……。

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またしても、お詫び

2010-11-29 16:40:54 | Weblog

実は緊急出張中のため、本日の1枚は休載でご理解願います。

う~ん、それにしても、楽はさせてくれませんねぇ……。

なんとか今日中に帰れるんで、明日は頑張りますっ!

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あの日の屋上は再現出来るか!?

2010-11-28 15:48:15 | Beatles

Get Back c/w Don't Let Me Down / Beatles (Apple / 東芝)

今年もまた、ジョン・レノンを聴くのが辛い季節になりましたですね……。

あの悲劇から、既に30年も経っているのに、自分の中では拭いきれないものが未だにあります。

しかし現実を認識しないとなぁ……。

という気持からだけではないんですが、実は再開したおやじバンドで、ビートルズをやることになり、しかも今回は諸事情からベースを担当するので連日連夜、練習を重ねています。

しかも演目が、あの映画「レット・イット・ビー」でクライマックスとなった通称ルーフトップセッションの再現という、なかなか大それた企画なんですから、額に汗が滲みます。

ちなみにおやじバンドの出演は某クリスマスイベントを予定していますから、時期的にビートルズが屋上で演じた冬のイメージをリアルタイムで感じてもらおうという目論見は言わずもがな、もしかしたら屋上は無理でも、大きなビニールハウスの中でやろうっ!?!

なぁ~んていう、無謀なアイディアまで出ている始末なんですが、どうなることやら……。

さて、そんな事から、本日の1枚は当然ながらビートルズの関連シングル盤を出してきました。

発売されたのは1969年4月で、それは英国先行でしたが、我国でも同年の6月にはレコード屋の店頭に並び、もちろん世界中で大ヒットしています。

そこまでの経緯については「The Beatles / Let It Be の謎」をご覧いただきたいのですが、結果的にレコーディングセッションの成果が曖昧であったにしろ、新曲の発売を求めるマネージメントやレコード会社の思惑が優先し、このカップリングのシングル盤が世に出たのです。

肝心の楽曲については説明不要かと思いますが、ここに収められた「Get Back」は決して屋上で演じられたテイクでは無く、同時期にアップルスタジオで演奏された幾つかのテイクを混ぜ合わせて作られたものですから、後にアルバム「レット・イット・ビー」に収録されたバージョンとも、決定的に異なるものです。

しかし「Don't Let Me Down」は、明らかに映画で観ることが出来たバージョンをメインにし、そこにスタジオでの手直しを入れたものでしょう。

まあ、そのあたりの瑣末な事情は別にして、生演奏を主体としたビートルズのノリの良さは、やはり格別♪♪~♪

映画でも感じられた事ですが、メンバー各々の気持は既にバラバラでも、実際の演奏になれば、そこは下積み時代から苦楽を共にした仲間意識とミュージシャン魂の発露とも言うべき自然体のR&Rグルーヴが全開していると思います。

そして実際に演じてみると、当然ながら、そうしたノリを出すのは容易なことではありません。

特にリンゴのドラミングに顕著なダイナミックなビート感は素晴らしすぎますねぇ。

さらにポールのペースがコピーするには本当に難しい! 中でも「Don't Let Me Down」や「I've Got A Feeling」は至難の技ですよっ!

もちろん、そのリズム隊に一体化して歌い、ギターをかき鳴らすジョンの大らかでタイトなロック魂と意外にも繊細な味わいを醸し出すジョージのギターも良い感じ♪♪~♪

このあたりはブートも含めた音源や映像に接するほど、深い感銘に心が震えるばかりです。

ちなみに無謀な挑戦を試みている演目は以下のとおりなんですが、一応のプログラムも当時のビートルズがやったものに準じるつもり……。

 Get Back
 Don't Let Me Down
 I've Got A Feeling
 One After 909
 Dig A Pony
 Get Back (reprise)

ということで、聴いても、演じても、やっぱりビートルズは凄くて、気持E~~♪

今日も、これから、練習に行ってきますっ!

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ビーチボーイズの素敵な空振り

2010-11-27 16:19:14 | Beach Boys

I Can Hear Music c/w All I Want To Do / The Beach Boys (Capitol / 東芝)

今日では安定した人気のあるビーチボーイズにとって、おそらくは一番苦しかった時期が1968~1970年頃じゃなかったでしょうか。

なにしろレコードの売り上げは、これいったシングルヒットも無く、時代の流れの中で制作するアルバムにしても、決してLPという特性を活かしたものではありませんでしたから、既に過去のグループとして扱われる寸前だったと思います。

実際、この時期のビーチボーイズは本国アメリカよりも、根強い人気が続いていたイギリスや欧州各地に活路を求めていたほどですが、そうなった大きな原因は中心メンバーのブライアン・ウィルソンの不調でした。

いや、これは「不調」なんていう言葉だけで表わすのが困難なほどでしょう。

歴史的に良く知られているように、この天才は当時、ビートルズとの競争やレコード会社とのトラブル、さらに家族や諸々の人間関係に疲れ果て、悪いクスリに逃避したあげく、引き籠り状態……。ほとんどペッドの中で生活し、気が向いた時だけ、自宅に作ったスタジオで何かをやるといった有様で、極言すれば音楽そのものに対する興味や意欲を失っていたといって過言ではないと思います。

しかし他のメンバーには「ビーチボーイズ」という看板を守る義務と意気込みが確かにあって、そこには「契約」という問題も存在していたんでしょうが、同時に音楽的な成熟という進歩もあったことが、その頃に制作発売されたレコードを聴き返すことによって、確信されるのです。

例えば本日ご紹介のシングル盤は、1969年春に発売されたアルバム「20 / 20」からカットされたものですが、ジャケットをご覧になれば、なんとブライアン・ウィルソンが存在しないビーチボーイズという異常事態宣言!?

ご存じのとおり、現実的には1965年春頃から巡業やテレビ出演には参加しなくなったブライアン・ウィルソンではありますが、それゆえに曲作りやスタジオワークに没頭出来る環境を得た事で、その天才性を心行くまで発揮した名盤・名曲には必ずブライアン・ウィルソンの名前と顔がありました。

それが、ここではジャケ写どおり、収録された2曲共、ブライアン・ウィルソンは全く関わっていないと言われています。

まずA面の「I Can Hear Music」は、フィル・スペクターがプロデュースによるロネッツが1965年に出したヒット曲のカバーで、当然ながら曲を書いたのもジェフ・バリー&エリー・グリニッチという職業作家チームでした。

しかし、これをビーチボーイズならではの爽やかでハートウォームなコーラスワークを駆使し、胸キュン仕立てにリメイクしたのは流石♪♪~♪ 特に中間部のアカペラパートやアコースティックギターの用い方は、新旧のビーチボーイズサウンドが見事に一体化した証じゃないでしょうか。

このあたりはロネッツのオリジナルバージョンが、幾分緩い雰囲気だった事を逆手に活かした、まさに掟破りの必殺技というところでしょうか。プロデュースとリードボーカルを担当したのはカール・ウィルソンで、この素晴らしい出来栄えがカール・ウィルソン自身の音楽的な進歩を見事に表わしているといって過言ではないでしょう。

ちなみに当時のビーチボーイズの公式メンバー構成はマイク・ラブ(vo)、カール・ウィルソン(vo,g)、アル・ジャーディン(vo,g)、ブルース・ジョンストン(vo,b,key)、デニス・ウィルソン(vo,ds) という5人組なのはジャケ写からも一目瞭然ではありますが、実際のレコーディングには、これまで同様にセッションミュージシャンが起用されていると思われます。

そしてB面収録の「All I Want To Do」が、これまた素晴らしく、なんとビーチボーイズ流儀のハードロック! ヘヴィなビートとホーンセクションをバックにシャウトするのはマイク・ラブなんですが、曲を書いてプロデュースしたのがデニス・ウィルソンというのが、さもありなん!? 相当にストレートで豪気だったという作者の性格や当時の意気込みが感じられるんじゃないでしょうか。

参考までに同じ時期にビートルズがビーチボーイズをパロッて出した「Back In The U.S.S.R.」と聴き比べると、ハードなギターワークとか、ちょいと面白い接点も垣間見えると思います。

ということで、なかなか充実したシングル盤ではありますが、特に素敵な「I Can Hear Music」でさえ、アメリカでは中ヒットがやっとでしたし、我国でも騒がれるほどの売れ方はしていませんでした。

もちろん本篇アルバム「20 / 20」にしても状況は同じで、ビーチボーイズはこのあたりから急速に影が薄くなった印象に……。

実はサイケおやじにしても、このシングル盤はもちろん、アルバム「20 / 20」も聴いたのは完全に後追いで、それは運良くリアルタイムで感激するほど真相に触れた「サンフラワー」や「サーフズ・アップ」という名作アルバム、あるいは「カール&パッションズ」のオマケ扱いだった「ペット・サウンズ」によって、一般的には暗黒時代のビーチボーイズに興味を向けることが出来たからです。

そしてビーチボーイズはブライアン・ウィルソン以外にも、やっぱり優秀なメンバーが揃っていたからこそ、あれほどの偉大なグループになれたんだなぁ~、と痛感させられたわけですが……。

結局は火事場のなんとやら、だったんでしょうか。

近年のビーチボーイズは完全に活動停止状態ですし、そこに至るまでの迷走やブライアン・ウィルソンのソロ活動を鑑みる時、心境は正直、複雑です。

出来れば、もう一度、このぐらい素敵な名作を出して欲しいもんですねぇ。

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ザ・サベージの真実とは何でしょう?

2010-11-26 15:34:35 | 日本のロック

いつまでもいつまでも / ザ・サベージ (フィリップス)

ベンチャーズを起爆剤としたエレキブームで洋楽へ本格的に目覚めたサイケおやじのような人種にとって、今日では一般的にGSグループと受け取られているサベージは、様々な意味で忘れ難いバンドじゃないでしょうか?

まず、サイケおやじがサベージを知ったのは、エレキブーム時代のテレビ人気番組だった「勝ち抜きエレキ合戦」と「世界へ飛び出せ」という、その両方のコンテストで見事に優勝したアマチュアバンドだったという、まさに驚愕の出来事からです。

しかも演じていたのが、決してベンチャーズというわけではなく、英国のシャドウズや北欧系インストのサウンズとかスプートニクスあたりの影響下にある、哀愁と翳りを滲ませた演目がメインでした。

これは現実的に、当時のサイケおやじも含めて、一般的なエレキファンにとっては、なかなか新鮮な印象だったんですよねぇ~♪ 同系のエレキサウンドを既に追及していたプロのシャープ・ファイヴに近いところにも、新しさを感じました。

ちなみにサベージというバンド名が、決して「野蛮」とかいう意味ではなく、シャドウズが十八番のヒット曲「Savage」から命名されたという真相も後に明らかにされ、実際、プロデビューした時のスマートで爽やかなバンドイメージは、絶対に「野蛮」ではありませんでした。

当時のメンバーは奥島吉雄(vo,g)、林廉吉(g)、寺尾聰(vo,b)、渡辺純一(ds) の4人組で、前述のコンテスト番組で優勝した賞品(?)として、なんとロンドンでのレコーディングも行われたという、実に華々しく売り出されたのですが、しかし実際にデビューシングルとして昭和41(1966)年夏に発売された本日ご紹介の1枚は、甘~いストリングが入ったベタベタ歌謡フォーク……!?

結局、サベージが如何に優れたエレキインストのバンドであったとしても、既に時代の流行は所謂カレッジフォークや加山雄三が先鞭をつけた和製ポップスへと傾きつつありましたから、この路線は決して間違いではなく、奥島吉雄と寺尾聰の爽やかなボーカル&コーラスも違和感が無く、見事な大ヒットになっています。

実は、これも後に知った事なんですが、前述したロンドンでのレコーディングの最中、正式なプロとして契約したホリプロが既にエレキインストは時代遅れという断を下し、急遽レコーディング内容が変更されたと言われています。

つまりサベージの面々は、憧れのロンドンで心行くまでシャドウズ系のインストを作るつもりが、突如して所属事務所とレコード会社から別な企画を押し付けられたという事なんでしょうねぇ。

デビューの楽曲そのものも、当時のホリプロが高く評価していた所謂元祖シンガーソングライターのひとりでもある佐々木勉(つとむ)が会心のオリジナルで、このヒット以降、サベージが発売するシングル曲のほとんどを担当していきます。

しかし、それでもB面は寺尾聰が作詞作曲したフォークロック系の佳曲で、かろうじてサベージ本来のシャドウズサウンドが滲んでいるところに救いがあるように思います。

こうしてサベージは幸先の良いスタートから、「この手のひらに愛を」等々のヒットを続けるのですが、やはりエレキバンドという本質から外れた芸能活動では、発売される歌と演奏の中で、どうにか響くエレキギターが虚しくなるなるばかり……。これは今でも聴く度にサイケおやじが強く感じる事で、おそらくはエレキインストで輝いていたアマチュア時代のサベージを知っている皆様にしても、同じ気持じゃなかろうか……? と推察しております。

で、そんなこんなから、結局は林廉吉と寺尾聰がほどなく脱退し、以降はメンバーが流動的となり、昭和42(1967)年末という、GS全盛期に解散したのがサベージの公式な歴史となっています。

しかしサイケおやじは、サベージという名前だけが受け継がれたバンドのライプに接した事があるんですよねぇ~。それは昭和44(1969)年春頃の事でしたから、これは如何にも芸能界的な営業上の理由だったと思われますが、真相は如何に?

ということで、サベージというバンドは今日の一般的なイメージ以上に、リアルタイムでは大きな存在感があったと思います。

そして今となっては、歌謡フォークにエレキサウンドで挑戦したという企画の面白さを、もっと本格的にやっていれば、和製フォークロックの本物になっていたと妄想するほどなんですよ。

それと最後になりましたが、この機会にど~しても書いておきたい事に、前述した佐々木勉(つとむ)の件があります。

既に述べたように当時、この人はフォーク&ポップスの俊英として注目を集めていたらしいんですが、もうひとり、同時期に頭角を現し、後に歌謡曲の例えば「別れても好きな人」や「3年目の浮気」等々を書いた佐々木勉(べん)というソングライターが存在し、サイケおやじは、てっきり同一人物と思い込んでいたんですが、実は別人だそうです。

う~ん、芸能界の不思議は本当に、いつまてもいつまでも、ですね。

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新宿ぞだちでハードボイルド

2010-11-25 15:55:08 | 歌謡曲

新宿そだち / 津山洋子&大木英夫 (ミノルフォン)

いよいよ今年も宴会シーズンがやって来ますねぇ。

まあ、近年続いている不景気に加え、最近は世情も混沌としていますから、無暗に浮かれてはいられないわけですが、しかしせっかく皆が集まって楽しく騒ぐという大義名分が用意されるのであれば、その趣旨に反するネクラな態度は禁物でしょう。

で、そういう場には必須なのが、カラオケ!?

正直、サイケおやじは決して好きではないのですが、それでも歌う時は鋭意専心というか、機会があればデュエット曲を切望するあたりに本性が剥き出しになってしまいます。

そして恥ずかしながら、十八番が本日ご紹介の「新宿そだち」なんですよ。

ヒットしたのは昭和43(1968)年だったと記憶していますが、レコードが発売されたのは前年秋だったと言われていますから、所謂ロングセラーとして親しまれ、実際に今日まで昭和歌謡のデュエット定番として、人気を集めています。

その曲調は、実に正統派の演歌系なんですが、強いビートとアップテンポのグルーヴがきっちりキマッていますから、なかなかウキウキと歌って楽しく、しかも1&3番を男が、次いで2&4番を女がリードを担当し、真のデュエットパートは、「し~ん、じゅく、そだちぃ~~♪」という最終フレーズだけというのが、ニクイばかり♪♪~♪

作曲は遠藤実、作詞は別所透という、おそらくは当時の専属作家制度による傑作といって過言ではないでしょう。

なによりもリアルタイムで流行していたエレキ歌謡やGS歌謡に対抗出来る、そのビート感とノリの良さが流石のプロデュースだと思います。

それとサイケおやじが、この「新宿そだち」に強い印象を受けているのは、昭和44(1969)年に公開された日活映画「広域暴力 / 流血の縄張」の挿入歌に使われ、特に主演の小林旭がシミジミと口ずさむシーンの素晴らしさが忘れられないからです。

つまりスローで歌うと、なんとも言えないハードボイルドで、せつなさが滲むという、これぞっ、真の名曲なのかもしれません。

そして機会があれば、皆様にはぜひとも鑑賞いただきたい名作映画として、一刻も早いソフト化が望まれますねぇ。

ちなみにサイケおやじが、このレコードを買ったのは、結局は「広域暴力 / 流血の縄張」を後追いで観た印象によるものですから、当然ながら中古です。しかしリアルタイムでだって、テレビやラジオや街角で流れる「新宿そだち」には、何時も不思議な高揚感を覚えていたことを告白しておきます。

ということで、偶さかにしか歌えないデュエット曲であればこそ、拘りたい気分が優先されます。

そして昭和歌謡曲こそ、宝庫だと思うのでした。

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テンプターズ登場

2010-11-24 15:22:47 | 日本のロック

今日を生きよう / ザ・テンプターズ (フィリップス)

GS全盛期に、タイガースと人気を競っていたのがテンプターズでした。

メンバーは萩原健一(vo,hmc)、松崎由治(vo,g)、田中俊夫(g)、高久昇(b)、大口広司(ds) の5人組で、現在では俳優であり、個性的な歌手でもある萩原健一が、当時はショーケンの愛称で看板スタアだったグループとして記憶されていると思いますが、そのテンプターズこそ、ストーズやキンクス、あるいはスモール・フェィセスといったブリティッシュビートの有名バンドを我国に知らしめた功績も、実は忘れてはならないのです。

なにしろサイケおやじがリアルタイムから好きだったスモール・フェィセスを知ったのは、テンプターズがテレビや雑誌で事ある毎に尊敬するバンドして名前を出していたからですし、萩原健一のヘアースタイルやバンドの衣装も、イギリスで最高のセンスとされていたスモール・フェィセズからの影響が大きかったと言われています。

またテンプターズの不良っぽい雰囲気は、前述したライバル的な存在のタイガースに比べると抜群のカッコ良さがありましたから、最初はタイガースのファンだった女の子達がテンプターズへとシフトする浮気現象が頻発したのも、決して尻の軽いことではありません。

そしてテンプターズには、ロックバンド本来のムードを感じ取った野郎どものファンも意外と多く、サイケおやじも堂々と、そのひとりだったのです。

さて、本日掲載したのは昭和42(1967)年秋に発売されたテンプターズのデビューシングル盤で、それをあえてB面収録の「今日を生きよう」にしたのは、サイケおやじの趣味性の表れにすぎません。

ちなみに当時のシングル盤はA・B面両用の二つ折りタイプのスリープが使われることが多いという、それが我国高度成長期の証でもありましたですね。

で、この「今日を生きよう」は、ご存じのとおり、日本語の歌詞が付けられた洋楽カバーの曲なんですが、これが一般的にはアメリカ西海岸系のポップスバンドだったグラス・ルーツの大ヒットバージョンは決してオリジナルではなく、実はイタリア産!?

「Piangi Con' Me」というのが原題で、それはイタリア語で歌われたバージョンが幾つか残されているそうですが、サイケおやじは残念ながらレコードを持っていません。

しかしイタリアや欧州各地では相当にヒットしていたのでしょう。前述したグラス・ルーツの英語バージョンが作られたのもムペなるかな、柳の下のなんとやらで、やはり様々なグループや歌手による多くのカパーが出ているのですが、それにしてもテンプターズの日本語バージョンのカッコ良さは出色!

ワンッ、ツー、スリー、フォ~
 シャ~、ラ~、ララ、ララ~、おまえが~
 シャ~、ラ~、ララ、ララ~、好きだよぉ~

というサビが出来過ぎなほどキマッているのは、なかにし礼が書いた日本語詞の覚え易さもあるんですが、やはりショーケンが歌う、ちょいと刹那的なカッコ良さがあればこそっ!

またバンド演奏そのものも、なかなかタイトなノリが素晴らしいと思います。

そして後に知った事ではありますが、その頃にラジオで聴いて、これがオリジナルと思っていたグラス・ルーツのバージョン「Let's Live For Today 」が明るく前向きな雰囲気だったのとは異なり、テンプターズの歌と演奏から感じられる微妙に退廃的なムードは、なんとリビング・デイライトという、日本ではほとんど無名のバンドが同時期に発売していたカパーを、テンプターズ流儀に解釈したものだという真相です。

ちなみに本日、何故に「今日を生きよう」を書いたかと言えば、某オークションで問題のリビング・デイライトが演じるシングル盤を落札出来たからなんですよ♪♪~♪

あぁ、早く届かないかなぁ~~♪

まあ、それはそれとして、サイケおやじがリアルタイムでこのテンプターズのシングル盤を買ったのは、もちろん「今日を生きよう」にシビレていたからです。

そして本来のA面曲「忘れ得ぬ君」だって、作者の松崎由治が会心の出来として個性的なリードボーカルを聞かせる、これまた刹那の名曲で、ショーケンはハーモニカを演じているんですから、捨て難い魅力があるのは確かてす。

ただ、それゆえにスタア性という事を鑑みれば、確かに松崎由治がライプステージやテレビ出演で、それこそ泣きそうになって「忘れ得ぬ君」を歌う姿も強い印象を残していますが、ショーケンのちょいと不貞腐れたロックフィーリングの自然な発露ともいうべき佇まいには、天性のものを感じてしまうんですよねぇ~。

もちろん松崎由治がテンプターズのために書き続けたオリジナル曲は素晴らしい歌ばっかりですし、バンド全員が醸し出すロッカーとしての不良性、また大口広司のタイトなドラミングを主軸にしたガッツ溢れるビートバンドとしての本質は、決して忘れてはならないでしょう。

実際、幸運にもその頃に数回接したテンプターズのライプでは、もちろん歌謡ヒットも演じていましたが、ストーンズの「Satisfaction」や「Jumpin' Jack Flash」、アニマルズの「孤独の叫び」等々の定番の他にビートルズやゾンビーズのカパーまでも堂々とロックビートを全面に出し、それこそ嬉々としてやっていたんですよっ!

しかしそれでも今日、アイドルGSだったの如き印象しか残っていないのは、ショーケンのスタア性の強さであり、「神様おねがい」や「エメラルドの伝説」等々の歌謡ロック路線のヒットがショーケンによって、かなり劇的なパフォーマンスになっていたからでしょう。特に「神様おねがい」なんか、ショーケンが膝まづいて神様に祈るポーズまで演じていたんですよねぇ……。

まあ、それもロケンロールの本質のひとつではありますが、不思議にも退廃したムードを日本のロックでメジャーに展開したテンプターズの本領は、既にデビューシングルから全開していたというのが、本日も独断と偏見に満ちた結論なのでした。

暴言、ご容赦願います。

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告白する魂の兄弟たち

2010-11-23 15:34:08 | Rock Jazz

魂の兄弟たち / Carlos Santana & John McLaughlin (Columbia)

1970年代前半のジャズ喫茶で困り者の存在が、ジョン・マクラフリンという英国出身のギタリストでした。

それはトニー・ウィリアムスやマイルス・デイビスをロックで毒した張本人であり、また超絶技巧に支えられたジャンルに拘泥しないギタースタイルは恐れられ、結果的には発売される作品群の凄さは分かっていても、ジャズ者には到底、受け入れられないというか、受け入れてはならない雰囲気が確かにありました。

しかしロックファンやロックからジャズへと流れて来たリスナーにとっては、ジョン・マクラフリンこそが、その最良の水先案内人であり、時代の先端を代表していたマイルス・デイビスの「イン・ナ・サイレントウェイ」や「ビッチェズ・ブリュー」、または「ジャック・ジョンソン」あるいは「ライブ・イヴィル」あたりのジョン・マクラフリンが参加した人気問題作を当然のように聴く事が出来たわけですし、トニー・ウィリアムスの「ライフタイム」も、また然りでした。

もちろん、それゆえにイノセントなジャズ者になるほど、拒否反応も強くなっていたんですよねぇ……。

そして、あろうことか、そのジョン・マクラフリンが、これも当時の人気ギタリストであり、ラテンロックという大衆路線でヒットを連発するサンタナを率いていたカルロス・サンタンとの共演アルバムとして、ジョン・コルトレーンの犯すべからずの世界だった「至上の愛」をやるというのですから、穏やかではありません。

一方、カルロス・サンタナは既に述べたように、自らが率いるサンタナによって、ラテンロックという金脈を握りながら、しかし本人は自己の音楽性の礎のひとつでもあったジャズへの拘泥と精神世界への覚醒があったと言われてますが、告白的に少しずつ表出させていた所謂スピリッチャルジャズへの傾倒をついには隠そうとしない演奏をやるようになり、それは1972年に発表した畢生の傑作アルバム「キャラバン・サライ」に結実していました。

ですから、我国の洋楽マスコミではジョン・マクラフリンとカルロス・サンタナが共演アルバムを出すというニュースも、人気ギタリストとしての地位を既に確立していたカルロス・サンタナの視点から報道され、これは絶対に凄い作品に違いないっ!

そういう確信的な予測をファンに与えていたのです。

それが1973年に発売された本日ご紹介のアルバムで、「Love Devotion Surrender」とされた原題を「魂の兄弟たち」とした日本語タイトルが、やはり馴染み深いんじゃないでしょうか。

演奏メンバーはカルロス・サンタナ(g)、ジョン・マクラフリン(g,p)、ラリー・ヤング(key)、ダグ・ローチ(b)、ドン・アライアス(ds,per)、ビリー・コブハム(ds,per)、ヤン・ハマー(per)、アルマンド・ペラーサ(per)、ミンゴ・ルイス(per) という、まさに震えが止まらないほどの強者揃い!

しかし、それにしも表ジャケットに写るカルロス・サンタナとジョン・マクラフリンの佇まいは、どうしてもジャズやロックのミュージャンには見えません。さらに裏&中ジャケットには、主役のふたりが当時帰依していた宗教家のスリ・チンモイ導師と撮った写真も使われているとおり、既にして精神世界の表現を狙っていることが、良くも悪くも感じられます。

ところが音楽ファンにとっては、そうしたマイナス要因ともなりかねないポイントが、ジョン・コルトレーンの十八番を演じるという免罪符によって、プラスのベクトルに転換しているのですから、事は重大です。

特にイノセントなジャズ者にとっては、心中如何ばかりか……!?

A-1 A Love Supreme / 至上の愛
 いきなり左右のチャンネルで唸る激烈なエレキギターのアドリブフレーズから、あの印象的なペースリフのイントロが導き出される展開に、思わずゾクゾクさせられるでしょう。
 そして意外なほどシンプルなテーマの提示から、右チャンネルにはジョン・マクラフリン、左チャンネルにはカルロス・サンタナという定位によって繰り広げられるギター合戦こそ、当時のロックファンやロックジャズの愛好者が特に望んでいたものです。
 これが実に分かり易いんですよねぇ~♪
 また、それゆえにジョン・コルトレーンを神格化し、崇め奉る一部のジャズ者には、決して許せない邪道であるとの推察も容易です。
 このあたりは当時のジャズマスコミでは、半ば無視状態であったように記憶していますし、逆にロック系の雑誌では、かなり意気軒昂な報道があった気がしています。
 ただ、何れにしても、ここに聴かれる演奏の魅力は、好きな人には好きとしか言えない純粋さが確かにあると思いますし、サイケおやじはリアルタイムから、そのひとりでした。

A-2 Maima / ネイマ
 う~ん、これも頑固なジャズ者にとっては許せない演奏になるんでしょうか……?
 ジョン・コルトレーンの演目ではお馴染みの静謐なオリジナルメロディが、ジョン・マクラフリンとカルロス・サンタナのアコースティックギターによって、なかなか神妙に奏でられるのですが、3分ちょっとの中に必要以上に漂う宗教色が気にならないこともありません。
 しかし、それでも次の演奏に繋がるタイミングを鑑みれば、これはこれで秀逸だと思います。

A-3 The Life Divine / 神聖なる生命
 で、これがひたすらに熱くて過激なロックジャズの決定版!
 ジョン・マクラフリンのオリジナルという事になっていますが、ジャズやラテンやロックの混濁したビートを土台に、多重録音したと思しきエレキギターのアドリブソロが縦横に暴れるという展開は痛快至極♪♪~♪
 特にカルロス・サンタナが十八番のトレモロピッキング系フレーズを噴出させる前半から、官能美を滲ませる中盤での執拗に絡み合い、そして後半でアグレッシヴに爆発するジョン・マクラフリンの力技というコントラストが、本当に凄いです。
 また絶対に難しい事はやらないと決意しているようなリズム隊の潔さも最高でしょうねぇ~♪ それがあればこそ、終盤でのギターバトルや御詠歌っぽいコーラスも、イヤミな混乱を感じさせないのだと思います。
 ただし、そのあたりは真性ジャス者がツッコミを入れるに充分なスキという感じも……。

B-1 Let Us Go Into The House Of The Lord / 神の園へ
 そしてB面が、これまたハイテンションなスタートで、いきなり中央で熱い精神感応的なギターソロを炸裂されるのはカルロス・サンタナでしょうか? とにかく独得の官能美を暑苦しさを交えながら表現してくれるのは圧巻!
 さらにそれが待ってましたのラテンビートを従え、天空に飛翔していく次なる展開には、ファンならば思わず惹きこまれるツボが満載で、あのトレモロピッキングで上昇していく十八番のフレーズから、これまた前作「キャラパン・サライ」でのハイライト曲だった「風は歌う」のメロディを引用したアドリブ構成、そこで存分に泣かせるサンタナのギターの魔法が堪能出来ますよ♪♪~♪
 あぁ、それにしてもアップテンポで飛び交うラテンビートの快楽性は良いですねぇ~♪
 そしておそらくはラリー・ヤングのスペーシーなオルガンアドリブから、いよいよ登場する過激なジョン・マクラフリンの無差別攻撃的なギターの怖さは、決して一筋縄ではいきません。スパート全開の早弾きや幅の広いチョーキングの妙技は、もはや神の領域云々という世界ではないでしょうねぇ。
 まさにジョン・マクラフリンの現人神的な存在証明といっては不遜でしょうか。
 もう、そんな風にしか思えないサイケおやじの感性は、当時も今も変わっていません。
 演奏はその後、終盤にかけてサンタナ対マクラフリンという、魂の兄弟が絶対的な協調と自己主張を披露し、存分な思わせぶりを悔しいほどに演じるエンディングへと流れる、これは見事な大河ドラマなのでした。

B-2 Meditation / 瞑想
 オーラスは前曲からの自然な繋がりが好ましいジョン・マクラフリンのオリジナル曲で、静謐なムードが横溢したアコースティックギターとピアノによる演奏です。
 正確なクレジットが無いので、確証はありませんが、おそらくはギターがカルロス・サンタナ、ピアノがジョン・マクラフリンということなんでしょうか?
 まあ、結論から言えば、そんな瑣末な事は意識せず、自然の流れの中で彼等の音楽に身を任せるのが正解なんでしょうねぇ~♪ 実際、伝承のメロディを基本に魂の兄弟が白熱の競演をやってしまった「神の園」をクールダウンさせ、タイトルどおりに瞑想の世界へと導いてくれる名演だと思います。

ということで、今もって様々な物議を呼ぶ作品でしょう。

特に全篇に漂う必要以上の宗教的な香りは好き嫌いがあるはずですし、そこに神聖(?)なるジョン・コルトレーンの世界を持ち出されては、黙っていられない部分も否定出来ません。

しかしジョン・コルトレーンにしても、インパルス期には相当に宗教っぽい雰囲気を堂々と演じていましたし、それが所謂スピリッチャルなジャズとして評価され、人気を集めたと思われるのですから、ジョン・コルトレーンが良くて、サンタナ&マクラフリンがダメという論法は、多少の無茶でしょう。

唯一の攻撃材料としては、ロック野郎がジャズをやるんじゃねぇ!

そんなところかもしれません。

実際、某ジャズ喫茶のマスターは、「コルトレーンはロックなんかやらないっ!」と公言して憚らない態度が有名でした。

ただ、それにしてもサンタナはともかく、本来はジャズミュージシャンだったジョン・マクラフリンのジャズ喫茶での冷遇は、今日からは想像も出来ないほどの酷さで、自己名義のリーダー盤はもちろん、リアルタイムで人気が高かったマハビシュヌオーケストラのアルバムを鳴らす店なんか、少なくとも東京周辺にはほとんど無かったと思いますねぇ……。

ですから、このLPは、やっぱりギターアルバムの傑作としてロックファンに受け入れられ、これを契機としてマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンの諸作へ入門していく道程という存在なのです。

またカルロス・サンタナは以降、自らの方針に確信を得たのでしょうか、バンド名義では「ウェルカム」を、またジョン・コルトレーンの未亡人となったアリス・コルトレーンとの共演作を堂々と出していくのですから、その問題行動は流石でした。

というか、そういう居直りとは一概に決めつけられないカルロス・サンタナの我が道を行く姿勢が、その快楽性が魅力のギターを尚更に強調し、ファンを増やし続けているのだと思います。

もちろんジョン・マクラフリンにしても、以降の活躍は怖い部分を引っ込める事の無い潔さで、それには一般のジャズ者も敬服しているんじゃないでしょうか。

そんなこんながゴッタ煮となって、しかも素材の味が疎かにされていない「魂の兄弟たち」というアルバムは、決して忘れられないというファンが多いと確信しています。

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モップスのデビューの衝撃

2010-11-22 13:55:19 | 日本のロック

■朝まで待てない c/w ブラインド・バード / ザ・モッブス (ビクター)

GS期にデビューしたバンドの中でも、特にサイケデリック・サウンドをウリにしていたのがモップスでした。

しかし、今となっては、路線そのものが当時の流行を逸早く取り入れんとした所属事務所のホリプロが押し付けたものだったと言われているほど、モップスが本来の持ち味からは浮き上がったものでした。

ただ、バンド側がそれを受け入れ、所謂ヒッピームーブメントに影響された衣装や企画を自分達の歌や演奏に活かす努力(?)をしたのは、流石のプロ根性だと思います。

と、最初っから生意気な独り善がりの分析を書いてしまったのは、少年時代のサイケおやじがデビュー前のモップスのライプに運良く接していたからで、そこではアニマルズやビートルズ経由でのリトル・リチャードのカパー、あるいはR&B系のインスト曲をやっていたのですから、相当に正統派のブリティッシュ系ロックバンドだったと思います。

それは昭和42(1967)年の春休み中の事で、当時は既にGSが真っ盛りだった我国芸能界において、こういうバンドはセミプロも含めて、雨後の筍状態でしたから、毎週の土日に行われる各種イベントには欠かせないアトラクションでありました。

ちなみに当時のモップスは、未だモップスと名乗っていなかったと記憶していますが、既に鈴木ヒロミツ(vo)、星勝(g,vo)、三幸太郎(g,b)、村上薫(b)、スズキ幹治(ds) というレギュラーは揃っていたと思います。

で、その5人組が本日ご紹介のシングル盤を発売し、モップスとして正式にデビューしたのが同年11月だったんですが、ジャケットでもご覧になれるとおり、まずメンバーの衣装はバラバラというのが、揃いのユニフォームを着用するのが普通だった当時のGSグループとは違っていました。

またルックスも風変わりというか、下手すりゃコミックバンドと思い込まれない危険性が逆に大きなインパクト!?!

そして歌って演奏するのが、かなりヘヴィな歌謡ロックのサイケデリック的な展開で、特にボーカルは確かに曲メロを歌っているんでしょうが、その頃の常識からは叫びとしか感じられない部分もあって、実はサイケおやじはレコードバージョンよりも先にテレビでこのシングル盤A面収録の「朝まで待てない」に接し、仰天させられましたですねぇ~。

と、同時に歌っている鈴木ヒロミツの、失礼ながらGSスタアには到底見えないルックスも印象深く、それゆえにモップスが前述した春休み中のイベントで接したライプのバンドだと気がついたのです。

つまり直截的に言ってしまえば、モップスは鈴木ヒロミツという稀代のロックボーカリストの存在ゆえに、強烈な印象を今に残しているんじゃないでしょうか。

さて、肝心のデビューシングル盤は、まず両面とも作曲:鈴木邦彦、作詞:阿久悠という職業作家の手によるものですが、モップスの演奏そのものはディストーションの効いたエレキギターとヘヴィなビートが、当時としては珍しいほど全面に出た仕上がりになっています。

特にA面の「朝まで待てない」は、既に述べたようにテレビで接した叫びと混濁の歌と演奏よりは、かなり纏まった雰囲気はあるものの、やはりサイケデリックロックを研究したと思われる村井邦彦の書いた曲メロにはキャッチーなキメがあり、モップスが弾き出すビートは重くて生硬なのが結果オーライでしょうか。それゆえに歪んだギターが目立ちまくり、同時にボーカル&コーラスが尚更に高い熱気を放っているようです。

また、B面の「ブラインド・バード」は今日、和製ガレージサイケの最右翼とされるオドロのヘヴィロックとして海外でも評価される演奏なんですが、正直に言えばサイケおやじにとって、リアルタイムでは全然、面白くないお経のように感じられましたですねぇ……。ただし、ここでもへヴぃなロックビートとエグイ歌いっぷり、さらに歪みまくったギターは圧倒的だと思います。

ご存じのように、この歌は歌詞の問題から現在は封印されていますが、機会があれば、一度は聴いて納得しておく必要があるのでしょう。そうする事により、欧米では我国以上に評価され、人気が高いというモップスの秘密に迫れるのかもしれません。

しかしモップスが日本で人気を集めたのは、ビクターから東芝へと移籍した以降の事でしょう。その頃には確か、村上薫が抜けた4人組になっていたのですが、サイケデリック路線を踏まえつつ、さらに黒っぽい方向へと、バンド本来の持ち味を活かした個性が発揮され、後年のブルースロックヒーロー主題歌「月光仮面」や刹那的快楽ロックの極みとも言うべき「御意見無用」等々のヒットから、あえて歌謡フォークにチャレンジした「たどりついたらいつも雨ふり」のメガヒットを放つのは、ご存じのとおりです。

その意味で、デビュー当時の意図的なサイケデリック路線は、最初っからの回り道だったという解釈も可能でしょうが、しかしデビュー登場時の衝撃度があればこそ、モップスがモップスとして芸能界で生き残れたのは確かだと思いますし、実際、GSブームがとっくに去っていた昭和46(1971)年頃から、前述したヒット曲を堂々と放ち、本格的な日本のロックバンドとして営業を成り立たせていたのは、驚異的でした。

ということで、鈴木ヒロミツのキャラクターやバンドの方向性ゆえに、モップスは局地的に熱烈なファンが多く、また一方では軽く見られていたわけですが、やはりサイケおやじとしては無視出来ない存在として、レコードもかなり集めています。

もちろんボーカリストとしての鈴木ヒロミツは、本人が途中からマルチタレントや俳優としての芸能界どっぷりに専心した所為もあって、決定的な歌手としてのソロ活動をやってくれなかった事が、多くのファンに悔しい思いをさせてしまったんじゃないでしょうか……。

既に故人となった、この素晴らしいボーカリストに対し不遜ではありますが、やはりそうした気持を捨てきれないのが、サイケおやじの本音です。

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レイ・ブライアントの復活と安逸

2010-11-21 14:29:59 | Jazz

■Here's Ray Bryant (Pablo)

モダンジャズの4ビートが全盛だったの、おそらく1950年代だったでしょうが、実は一番に待望され、もてはやされたのは1970年代後半だったように思います。

何故ならば当時はフュージョンが大ブームで、ジャズ喫茶といえども16ビートやチャカポコリズムを鳴らさなければ、営業が成り立たない状況でした。もちろんお客さんも、そういうホイホイミュージックが好きだったわけですが、しかし同時に時たま入荷する本物の4ビート作品には、その内容以上の期待と評価をしていた実態がありました。

ですから、はっきり言えば4ビートをやっているだけの事なかれ主義に満ちた保守的な演奏集でさえ、それが名盤や人気盤となる可能性が大きかった時代の中で、確かな本物こそが求められる厳しさもあったという、ちょいとした矛盾も……。

例えば、本日ご紹介の1枚は、その最たるものでしょう。

主役のレイ・ブライアントはご存じ、ハードバップ全盛期の1950年代から優れたリーダー作品やキラリと光るサポートの名演を数多く残し、さらに1960年代に入ってからは、所謂ソウルジャズ系のヒット盤も売りまくった実績のある人気ピアニストながら、ジャズ者が常に求めるのは持ち前のブルージーなフィーリングに満ちた、黒光りするような正統派モダンジャズでした。

それは1972年に残されたソロピアノのライプ盤「アローン・アット・モントゥルー(Atlantic)」がジャズ喫茶の人気盤となり、またモダンジャズの定番アルバムと成り得た現実が証明しているわけですが、そこから幾分のブランクがあって世に出たこのLPこそが、待望久しいピアノトリオ作品なっていたのは、それだけで実に嬉しい出来事でした。

録音は1976年1月10&12日、メンバーはレイ・ブライアント(p)、ジョージ・デュヴィヴィエ(b)、グラディ・テイト(ds) という、なかなか味わい深い実力者が揃っています。

A-1 Girl Talk
 ジャズファンにはお馴染みという和みのメロディが、レイ・ブライアントならではのピアノタッチで、それこそ何気なく無伴奏で流れてくる瞬間こそが至福の喜び♪♪~♪ 実際、フュージョンビートに満たされていた当時のジャズ喫茶で、これが鳴り始める時のホッとした瞬間の心地良さは、今でも忘れられない記憶になっています。
 そして演奏はベースドラムスを呼び込んで、まさにグルーヴィに展開されるという王道の楽しみが横溢するんですが、殊更時代を意識する事の無い自然体が、本当に良い感じですねぇ~♪

A-2 Good Morning Heartache
 これまた歌物スタンダードとして人気のメロディとあって、レイ・ブライアントが十八番の粋なフェイクが堪能出来る仕上がりです。それはスローなテンポに決して流されないテンションの高さを貫ける、あの強いピアノタッチとブルージーなフィーリングのバランスの良さでしょう。
 そしてトリオによる演奏は徐々にグルーヴィなノリを醸し出し、終盤になって、再びナチュラルに哀切の世界に収斂していくという流れは、まさに味わい深いと思います。

A-3 Manteca
 駆け出し時代のボスだってディジー・ガレスピーが作ったラテンジャズの名曲ですから、同じフィーリングを共有するレイ・ブライアントには得意技を完全披露出来る演目なのでしょう。ガッツ~ンとやってしまう左手のコードワークと歯切れの良い右手のメロディラインは、絶品のコンビネーションが冴えまくり! 本当に痛快です。
 また相当にアグレッシヴなジョージ・デュヴィヴィエのペースはアドリブも強烈至極ですし、グラディ・テイトのドラミングもツボを外さない流石のワザを存分に披露しています。

A-4 When Sunny Gets Blue
 そしてA面ラストに配置されたのが、このブルーなムードが満点という歌物なんですから、本当にこのアルバムの選曲は、たまりません♪♪~♪ もちろんレイ・ブライアントのピアノは、スタートからの無伴奏ソロで十八番のフェイクの上手さを納得するまで聞かせてくれますよ。
 う~ん、両手を充分に使った繊細で豪胆なプレイは、本当に素晴らしい!
 ですから、ベースとドラムスが加わってからのパートも、同じムードでの歌心が横溢し、見事な大団円に導くという流れも、決してマンネリでは無い真剣さがリアルてす。

B-1 Hold Back Mon
 レイ・ブライアントが書いた楽しいオリジナル曲で、それはゴスペルメロディでありながら、バックのリズムはボサロックという快楽主義が琴線に触れまくり♪♪~♪ そして当然ながらトリオは軽いタッチで演奏を進行させていきます。
 しかし、そんな中でもジョージ・デュヴィヴィエのペースが相当にガチンコなアドリブを演じてしまうのは、正統派モダンジャズが、まだまだ健在という証でしょうねぇ~。そんな事をリアルタイムで思っていたサイケおやじは、今でも頑固な気持で聴いてしまいます。

B-2 Li'l Darlin'
 A面ド頭の「Girl Talk」と同じく、ニール・へフティが書いた和みのメロディはジャズ者が大好きな世界でしょう。何んと言ってもカウント。ベイシー楽団の超スローテンポのバージョンが一番有名ですよねぇ~♪
 それをレイ・ブライアントが、どのように聴かせてくれるのか?
 そこに興味が深々というファンの気持を裏切らないグルーヴィな仕上がりはニクイばかりです。特にハキハキとしたピアノタッチで粘っこくスイングしていくアドリブパートの気持良さは、なかなか絶品! 同時に淡々としたベースとドラムスの存在が逆に強く感じられるのは、モダンジャズの面白さのひとつじゃないでしょうか。

B-3 Cold Turkey
 レイ・ブライアントのオリジナルヒット曲のひとつで、軽快なブルースプレイが、ここでも楽しめますが、アップテンポの流れの中で特に気負う事の無いトリオの姿勢は、ベテランの域に入ったミュージシャンだけが醸し出せる味わいかもしれません。
 しかし、それをマンネリと感じるか否かは、時代との折り合いもありますが、レイ・ブライアントが長年貫いてきた激しくも楽しいジャズの本質に触れることで、自ずと答えがでるんじゃないでしょうか。
 とにかく軽快にスイングし、気持良いほどキメまくりの構成に抜かりはありません。

B-4 Prayer song
 さて、オーラスはゴスペル風味の哀愁が滲み出た、これぞっ、レイ・ブライアントというオリジナル曲♪♪~♪ 覚え易いメロディと弾みの強いリズムのコンビネーションがアドリブパートに入ると、ますますイキイキしていく展開が楽し過ぎます♪♪~♪
 う~ん、ファンキ~♪
 本当にウキウキされられます♪♪~♪

ということで、選曲が良く、もちろん演奏もきっちり纏まった、実にピアノトリオの人気盤の条件を満たしたアルバムだと思います。

しかし同時代には先進性が無いとか、マンネリじゃないの? そんな云々が陰口のように広まっていたのも否定出来ません。ただ、それはこのアルバムがあまりにもウケが良かった事に対するヤキモチだったかもしれないんですよねぇ~。

ご存じのようにレイ・ブライアントは以降、同傾向のピアノトリオ盤やソロピアノ盤を出し続け、いよいよ本格的な人気ピアニストになるのですが、1960年代には誰よりも商業主義に傾いた演奏をやっていたレイ・ブライアントが、その発展した流れが満開となったフュージョン全盛期に正統派モダンジャズの4ビート作品を出し、それで再びブレイクした事実を忘れてはならないでしょう。

変わり身の早さといってはミもフタもありませんが、それも時代に対し先見性が強かったレイ・ブライアントの才能の成せる結果であり、このアルバムのヒットが見事に証明しているとしか言えません。

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