OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

たまには浮かれていたいもの

2023-10-03 17:10:47 | Soul

卑弥呼 / Passionata (ビクター)

本日の主役たるパッショナータはフィリピンで活動していたボーカルグループで、十八番のディスコサウンドでヒットを飛ばしていたことから早速、昭和54(1979)年晩秋に我が国独自制作だった本日掲載のシングル盤A面曲「卑弥呼」を出してみれば、これが忽ち大ヒット!?!

もちろん、やってくれたのは当時の流行最先端だったテクノ系ディスコ歌謡であり、アップテンポで英語と日本語がゴッタ煮という歌詞の調子の良さは天下一品だったんですが、サイケおやじが最初に「卑弥呼」を耳にした時にゃ~、なんだぁ~~、これっ!?!

そ~としか思えなかったという、そのヒット性感度の高さに圧倒されましたですねぇ~~!?!?

しかも、レーベルの製作クレジットには、Joe Lemon - Marco Bruno - Michael Khan という外人名が記載されており、それでいてアレンジ担当は Jun Fukamachi !?!

つまりは深町純が関わっているプロデュースだったんですから、曲タイトル「卑弥呼」共々、これは完全に日本優先のシングル曲という確証を得てしまえば、Joe Lemon=森雪之丞、そして Michael Khan=川口真!?!

そんなこんなの真相らしきものを後に知った時にも、自然に納得出来たものでした (^^)

だって、この「卑弥呼」は本当に売れるべくして、作られた傑作だと思うんですよ。

ちなみにパッショナータのメンバーはルース・ベルガラ、アイーダ・ディワラ、マーシー・カブレラという顔ぶれで、確か翌年早々には来日し、東京音楽祭にも出場していましたし、その頃には、やはり日本語歌詞の「ルナ・ルナ」なぁ~んていうシングル曲も出していましたですね。

ということで、待たされていた新車の納入も近々という連絡があり、妙に本日は気分がアッパーなもんですから、こんなお気楽ディスコ物を出してしまいました (^^)

やっぱり明るく前向きな気持ちで生活するのが、一番でありましょう。

本日は浮かれ調子で、失礼させていただきます <(_ _)>

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Let It Be の真正

2019-11-07 19:26:38 | Soul
Let It Be / Aretha Franklin (Atlantic / 日本グラモフォン)

掲載したシングル盤A面収録曲「Let It Be」は説明不要、ビートルズが残したレコーディングの中でも飛び抜けてゴスペル風味が強い歌ですから、ソウルの女王であったアレサ・フランクリンがカバーするのも自然の成り行きと思いきや、実はアレサ・フランクリンのバージョンが先にレコード化され、世に出ていたという逸話には、サイケおやじも愕然とさせられましたですねぇ~~~!?!

もちろん、そんな真相が秘められていたなんてこたぁ~、ビートルズのシングル盤「Let It Be」が発売即大ヒットしていた1970年春には知る由もなく、ましてやアレサ・フランクリンのバージョンにしても、最初に聴いた記憶は同年秋頃だったのですから、てっきりカバーバージョンだと思い込んでも恥ずかしい事は無いと思うんですが、それを今更の言い訳と笑われても、それはサイケおやじの不明と自覚納得するばかりではありますが、現実的にそんなこんなの真相を知ったのは、1970年代も既に半ばを過ぎていた頃です。

そのきっかけは、やはりブートの存在で、ビートルズが後にアルバム「レット・イット・ビー」として発売することになる通称「ゲット・バック・セッション」の音源を様々に聴いている過程において、どうやらビートルズバージョンの「Let It Be」は、1969年4月末には前述のシングル盤用のテイクが完成していたらしいという実情に突き当たり、しかしながら現実的に発売されたのは、1970年3月なんですから、つまりは1年近くお蔵入りしていたわけで……。

その間には同時進行していた映画製作のあれやこれや、またメンバー間の疑心暗鬼、マネージメントや制作側との意思の疎通が混乱していた等々、諸々の事情が様々に語られておりますが、それはそれとして、主導的に楽曲を作っていたポール・マッカートニーは、ゴスペルっぽく仕上げるためにビリー・ブレストンにアドバイスを求めていたそうですし、なかなか発売が決まらない状況があった所為もあり、出来うるならばアレサ・フランクリンに歌って欲しいという願望があったというのが、今となっての伝説的逸話なんですが、さもありなんと申しましょうか、とにかくアレサ・フランクリンがレコーディングを行ったのは、1969年10~12月頃らしく、演奏パートのメンバーはジミー・ジョンソン(g)、バリー・ベケット(key)、デヴィッド・フッド(b)、ロジャー・ホーキンス(ds) という、所謂マッスル・ショールズのリズム隊がニューヨークへ出張って来てのセッションと云われています。

そして仕上がったトラックは、1970年1月に発売されたアレサ・フランクリン渾身の名盤LP「ジス・ガール / This Girl's In Love With You」に収録されたのですが、一方の本家ビートルズのシングル曲「Let It Be」が世に出たのは、既に述べたとおり、それよりも2ヶ月ほど遅れていたんですから、世の中は儘なりません。

しかし、それでも当初はアレサ・フランクリンのバージョンはシングルカットされず、ビートルズの本家バージョンが当然の大ヒットになった後に、機を見ての発売なんですが、実質的にアレサ・フランクリンのバージョンこそが、「Let It Be」のオリジナルとして、認める必要性があるのでしょう。

実際、このアレサ・フランクリンの「Let It Be」の仕上がりは素晴らしく、イントロからゴスペル丸出しのオルガンが厳かなムードを演出すれば、全くソウルフルな彼女のボーカルと盛り上げていくコーラス隊の熱き魂の噴出、そしてどっしり重いリズム隊のグルーヴは流石!

誰かは知らないんですが、間奏のテナーサックスもイイですねぇ~~♪

う~ん、聴かずに死ねるかっ!

短いながらも、そんな気分にさせられる名曲の名唱名演になっていますよ ♪♪~♪

ということで、本日「Let It Be」を取り上げたのは、様々に謎の多い末期ビートルズを象徴する同曲に対する個人的考察を書き連ねた諸々が掲載してある拙サイト「サイケおやじ館」が近々、移転する事情があり、とりあえず引っ越し先が決まるまで、その内容の一部をこのブログに転載する事を視野に入れているからでして、まずは「ザ・ビートルズ / レット・イット・ビーの謎」を改稿しつつ、こちらに移す可能性があるからでして……。

そのあたりをご了解願えれば、幸いでございます (__)
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アナログ7インチ盤で楽しむ笠井紀美子

2019-08-31 20:38:00 | Soul
アズ(永遠の誓い)c/w I thought It Was You / 笠井紀美子(CBSソニー)

和製というか、日本人が歌うアッパー気分なファンキーソウルとしては、笠井紀美子が昭和54(1979)年に出した本日掲載のシングル盤も忘れられません。
 
もちろん、これは皆様がご存知とおり、彼女が同時期にハービー・ハンコック(key) 以下、凄腕のミュージシャンと共演製作した人気アルバム「バタフライ(同)」からのシングルカットですし、殊更A面に収録されたのはスティーヴィ・ワンダーが十八番のヒット曲をカバーしたものですから、ウケるのが当然とはいえ、それだって笠井紀美子の実力があればこそっ!

お馴染みのメロディとソウルフルなリズム&ビートにグイノリで歌いまくる彼女の黒いフィーリング、またバックを固めるポール・ジャクソン(b)、アル・ムザーン(ds)、ビル・サマーズ(per) が繰り出す柔軟なグルーヴの凄さ、さらにはボーカルに執拗に絡みつくハービー・ハンコックのエレピが気持ち良いんですねぇ~~♪

ただし、これは皆様ご推察のとおり、このシングル盤に収録されているは前述のLPに収録のトラックから中間部のエレピ&シンセのアドリブパートやボーカルの一部をカットして編集した所謂シングルバージョンですから、件のフルバージョンを聴いてしまえば、聊か物足りないのは確かです。

ところが、このシングルバージョンには、きっちり存在意義がありまして、それはアナログ盤7インチ、つまり45回転の強みである音圧の高さゆえに迫力があるんですよ♪♪~♪

逆に言えば、せっかくの傑作に仕上がったアルバムが、正直に言わせていただければ、サイケおやじには音質的な物足りなさを覚えるところがあったので……。

それゆえに、中古屋でこのシングル盤に邂逅した時の嬉しい予感は大当たりだったんですから、ありがたやぁ~ですよ♪♪~♪

それはB面収録の「I thought It Was You」も同様に短縮編集バージョンではありますが、この気持ちの良い名曲は前年にハービー・ハンコックが出した秀作アルバム「サンライト」のド頭に据えられていたんですから、そのキャッチーさは保証付き! 
 
そして笠井紀美子も実にフィ~ル・ソ~・グ~~♪

それがアナログの7インチで楽しめるとあれば、気になる皆様には、ぜひともお楽しみ下さいませ。

ということで、CD時代の今となっては笠井紀美子のヒットバルバム「バタフライ」もリマスターされての再発盤が出ているはずなので、しっかりと熱いサウンドが聴かれると思います。なんのかんのと不満を抱きつつも、アナログ盤LPはたっぷりと聴いていたサイケおやじにしても、CDが欲しくなっているのでした。
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スキヤキ望郷歌

2018-01-21 19:44:46 | Soul
スキヤキ '81 / A Taste Of Honey (Capitol / 東芝)

最近は日本食の流行もあり、世界各国で我が国への認知度も正常値に近くはなっておりますが、それでも1980年代には、まだまだ噴飯物というか、とにかく「和風」の解釈はゴッタ煮状態であり、それが現在でも罷り通っているのも、ひとつの現実かと思います。

中でも諸外国の日本に対するイメージを具象化する手段のひとつが和服&キモノ、つまりは和装のファッションであり、それを着用することが「日本」を表現する一番分かり易い手段という方法論は、あながち否定出来るものではありません。

それは例えば我々日本人が金髪のカツラを被るのと同じ行動なんですよねぇ……。

さて、そこで本日掲載したのはテイスト・オブ・ハニーが1981年、そんなこんなを見事に結実させて全米大ヒットに仕立て上げた「スキヤキ '81 / Sukiyaki」をA面に入れた日本盤シングルなんですが、ど~です、黒人ネーチャンの二人組が日本庭園でにこやかにキメたジャケ写の印象は、とにかく「和風」を直截的にブチ込んだストレートなキワモノ!?

全く我々日本人の感覚からすれば、そのズレは面白くもあり、面映ゆいところもあるんじゃ~ないですかねぇ~~~。

もちろん、こ~なったのも、歌っているのが坂本九が1963年に放った全米トップヒット「上を向いて歩こう / Sukiyaki」のカバーであれば当然も必然なんでしょうが、テイスト・オブ・ハニーはそれを新たに附した英語の歌詞で演じてるのがミソとはいえ、サウンド構成が琴とか、おそらくはキーボード類で作り出したのかもしれないミョウチキリンな和楽器系の響きもたっぷりと塗したメロウソウル仕立てなんですから、いやはやなんとも、これがウケなきゃ~~日本趣味もなにもあったもんじゃ~ない???

しかも、掲載したジャケ写と同じデザインのピクチャースリーブによるシングル盤が当時は欧米でも売られていたんですから、これは完全なる確信犯の勝利と言わざるをえませんねぇ……。

でも、なんとなく微笑ましい印象も確かにありまして、実は現在滞在中のゴッサムシティで昨夜訪れた店のショウタイムには、きっちりキモノを着こなした黒人女性歌手が、このバージョンに沿った英語歌詞による「上を向いて歩こう / Sukiyaki」をやってましたですよ♪♪~♪

ということで、異郷の地におけるホームシックなんてものにはすっかり無縁になっているサイケおやじではありますが、何故か今度ばかりは妙に望郷の気分……。

それが所謂ムシの知らせってやつなら怖いんですが、そんな状況も考えられず、つまりはお気楽にやれっていうことと、自分に言い聞かせているのでした。
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真っ黒なホワイトクリスマス

2017-12-24 16:55:12 | Soul
White Christmas c/w Merry Christmas Baby / Otis Redding (Atoc / 日本グラモフォン)

今月初めに宣言したとおり、本年は素直にクリスマスを楽しむ決意のサイケおやじですから、ご紹介するシングル盤があまりにもベタな1枚である事にも、ご理解いただきとうございます。

で、これが世に出たのは1968年でしたから、当然ながら前年12月に飛行機事故により他界していたオーティス・レディングの生前のレコーディングという事実は曲げられず、おそらくは本来、前述の悲報が無かったとしたら、そのまんま発表されていたんでしょうか……。

両面に収録されているのは、まずA面があまりにも有名なクリスマスのスタンダード曲「White Christmas」ですから、オーティス・レディングが持ち前の粘っこい節回しと熱血ソウルで歌ってくれるのは言わずもがな、聴いているうちに様々な感情が刺激されるというか、妙に泣けてくるのはサイケおやじだけではありますまい。

バックの演奏も、スタックススタジオではお馴染みの顔ぶれと推察出来るサウンドを出してくれますし、そのあたりはスティーヴ・クロッパー(g) のプロディースもツボを外していません。

一方、B面に収録の「Merry Christmas Baby」はジョニー・ムーアが作った、これまた黒人音楽では定番のクリスマス歌謡ブルースですから、ブルージーに歌っていると思いきや、なんとっ!

イントロから軽妙洒脱なサウンドに導かれ、ミディアムテンポでウキウキとした調子を披露するオーティス・レディングの、これもまたディープソウルな至芸でありましょう。

個人的には、こっちばっかりを聴いていた時期がサイケおやじには確かにありましたですねぇ~~♪

ちなみに、このレコードを買ったのは故人の代表曲「ドッグ・オブ・ベイ / The Dock of the Bay」の次でしたので、なんともトホホなジャケ写には些か唖然とさせられたんですが、ちょうど発売されてから1年後のその時は中学生だったサイケおやじが、クラスでやるクリスマスパーティみたいな集まりに何か洋楽のレコードを持っていく事になっていたので、ちょっぴり背伸びしたかったのが本音でありました。

つまり当時の我が国じゃ~、洋楽よりもGSや歌謡曲の人気が高く、最高峰だったビートルズやベンチャーズはまだしも、オーティス・レディングに代表される本格的な黒人歌手はマニアックな領域にあったという現実を認識していただければ、恥かしながら、その頃から既にサイケおやじの無意味な見栄っ張りは全開していたというわけです。

ということで、皆様ご推察のとおり、このレコードは全くウケませんでしたが、やはり今でもクリスマスシーズンには聴きたくなってしまいます。

さあ、ここで両面を鳴らしてから、ありがたいことに誘われている宴会に出かけることにします。
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ケツをぶっつけ、理解出来たらねぇ~~

2017-10-02 20:40:59 | Soul
The Bump / Commodores (Tamla Motown / ビクター)

連日国民を呆れさせている永田町の権力ボケした奴らが一番イケナイのは、対立する相手と面と向かって話をしない、あるいは出来ないのかもしれませんが、とにかく背を向けた姿勢で自己主張ばっかりしたって、これまで同様の関係なんかには戻れないし、むしろきっぱり離れていくという態度が必要なのは明々白々でしょう。

しかし、仲間同士の喧嘩ってのは、裏を返せば「雨降って地固まる」というチャンスでもあるはずが、現実的には、なかなかそ~はならないところに根差すのは、背を向けたまんまでタレる相手への不平不満、誹謗中傷なんですから、始末が悪いですよ。

さて、そこで本日のジャストミート曲はコモドアーズが1974年に出し、翌年からロングセラーとなったディスコの聖典「The Bump」であります。

これは所謂ファンク系ダンス曲として用いられれば、そのファンキーグルーヴには思わず腰が浮くという強烈なノリがナチュラルに噴出する名演であり、しかもディスコのフロアーでは特に男女がリズムとビートに合わせて互いにケツをぶっつけ合うというキメのフリが大流行り!

それは当時の人気テレビ番組「ソウル・トレイン」でもスタジオフロアーで踊るシーンがウケまくっていた事から、忽ち世界中に広まり、我が国でも昭和50年代にそんなこんなの場所では、男と女がバンプを踊るのがオシャレだった時期が確かにありました。

ただし、これがなかなか難しくて、特にリズムに合わせて相手にケツを出すというアクションは、つまり相手との呼吸が互いに求められるわけで、それこそが背中を向けていても、相手を理解する協調性であるならば、そこから愛が始まるなぁ~てことも!?

それが掲載した日本盤のジャケットにも描かれているんですが、これを演じているコモドアーズはアメリカの黒人音楽では名門モータウンレコードに所属の実力派バンドであり、リアルタイムではボーカル&コーラス物よりも、インスト系のイケイケな演奏が十八番だったという履歴は後年、甘口の黒人ポップスでヒット曲を連発した姿からは遊離した印象さえあるでしょう。

それは当時のメンバーだったトーマス・マクリー(g)、ミラン・ウィリアムズ(key)、ウィリアム・キング(tp,vo,per)、ライオネル・リッチー(vo,sax,key)、ロナルド・ラブリード(b)、ウォルター・オレンジ(vo,ds) というのが基本のラインナップだったようですが、当然ながらステージやレコーディングの現場には助っ人が入っていたのかもしれませんが、既に述べたとおり、コモドアーズは演奏に関しては相当の実力者揃いだったようで、モータウン系のスタア歌手の巡業用バンドを務めたり、前座として出演したりしての実績を重ね、モータウンからのレコードデビューを果したとか?

ちなみに、コモドアーズは当然ながら、それ以前のキャリアがあって、他のレコード会社に残された音源も侮れないわけですが、しかし今となってはメンバーの中のライオネル・リッチーが黒人歌手のスーパースタアとなったソロ活動、またそこに繋がるコモドアーズ時代の甘口歌謡路線の推進者としての評価等々が、あまりにも大きいですよねぇ~~♪

ところが、コモドアーズには、もうひとりの中心人物が存在し、それがキーボード担当のミラン・ウィリアムズが主導していたであろうインスト系ファンキーグルーヴ曲の魅力であり、例えばこの「The Bump」の他にも代表曲のひとつとして有名過ぎる「Machine Gun」とか、そのあたりは特に初期~中期に製作されたコモドアーズの諸作アルバムで存分に楽しめますので、ぜひっ!

ということで、ここに来て、ど~にかこ~にか今後の方針らしきものを見せ始めた民進党の関係者には、結局のところに小池百合子への怨み節が拭い去れないのでしょうか?

もはや公示まで数日しか残されていない選挙戦では、混乱を収拾するよりは、事後にど~やって許しを請うか、そこまで思い詰めている者は少なくないでしょう。

それが永田町の面々のザマだとしたら、日本の国がちっとも良くならないのも、悔しいけれど認めざるをえないのかもしれませんが……。
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家庭の問題はイロイロあらぁ~なっ!

2017-09-15 19:31:29 | Soul
Family Affair / Sly & The Family Stone (Epic / CBSソニー)

またまた今朝も、他人の迷惑を省みない馬鹿丸出しをやらかした金正恩については、精神異常を疑うしかないと思えば、我が国はもちろん、関係各国からの抗議や忠告は糠に釘!

もはや、なんでこんな事ばっかりやっているのかと考察するのがやっとでして、こりゃ~、サイケおやじが思うには極論としての家庭の事情じゃ~ねえ~のかっ!?

つまり、金正恩とその家族や係累が現在の高慢で贅沢な態度や生活を失うのが怖くての威迫行為がミサイル発射や核開発という身の程知らずに繋がっていると思うんですが、いかがなものでしょう。

そこで本日は、そんなジコチュウな暴君に事寄せて、スライ&ファミリー・ストーンが1971年末に放った、そのものスバリのヒット曲「Family Affair」であります。

それは今となってはひとつの歴史として聴ける楽曲ではありますが、それにしてもこの「Family Affair」から放たれるサウンドは陰鬱なスライに対して、妹のロージーが無機的に明るい節回しを披露するという二律背反が単調なリズムとビートに上手く乗っかり、メロディにもヒネクレタ親密さがあるという、なかなか練られた仕上がりと思うばかり♪♪~♪

ただし、実は皆様ご存じのとおり、当時のスライは悪いクスリに起因するスランプだったようで、公式デビュー以来のファンキーソウルなサウンドが煮詰まっていたのでしょうか、新曲も出せないまま、約2年ぶりの登場が引き籠り気味のファンクネスに彩れていたのですから、旧来のスライ信者は面喰ったに違いありません。

その大きな要因は、件のリズムとビートを提供しているのが所謂ドラムマシーンという機械であり、そこにギターやキーボードをダビングしながら作り上げたのが、この「Family Affair」だったんですが、そんなこんなの行き方は、この曲を含むアルバム「暴動 / There's a Riot Goin' On」でも強く打ち出されており、もちろんアルバム全体としては「人力」によるドラムスがメインではありますが、それゆえにヒットしたシングル曲「Family Affair」の特異性が光ります。

しかも歌詞が辛辣!?

なにしろ「それは家庭の事情さ」「家族の問題なんだよ」とキメ台詞を歌いながらも、「勉強する子も、放火するような子も、どっちも母親にとっちゃ~、可愛いからねぇ~」とか、「離婚するなら相手を理解してから」云々みたいな本音ともツッパリとも云えそうなスラング混じりの心情吐露には、悪い予感が満ちている感じです。

う~ん、穿って聴けば、これって現在の北朝鮮と何かしら通底するような気がするんですけどねぇ~~~。

結局、他所から何を言われようとも、どんなふうに思われようとも、「家庭の問題」と居直れば、国家や国際社会なんてものは疎ましいだけなんでしょうかねぇ……。

そして呆れかえった事には、今や堂々と北朝鮮は日本を叩き潰すが如き暴言を吐いているわけで、それを北朝鮮系の在日コリアンは、ど~思っているのでしょう。

祖国に殉ずる気持ちになっているのであれば、それはそれで大したもんですけど、じゃ~なかったら朝鮮総連に押し掛けるような行動があっても不思議ではないと考えるのは、日本人のサイケおやじだけなんでしょうか?

彼等にすれば、絶対にやれっこ無い!

とは口が裂けても言えないんでしょうが、だとすれば金正恩は同胞にもナメられたボンクラでしかありません。

妄信は、ひとつの幸せかもしれませんが、他人に恨まれちゃ~ねぇ~~。

現在の北朝鮮が依怙地になっている理由の根底には、アメリカや日本が悪いとする考えが確固としているのは、自分らのだらしなさを他人の所為にするという所謂他罰型で、これは犯罪者に多いタイプだとか!?

うむ、さもありなんでごさんすねぇ~~。
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これは奇跡の復刻盤ですよねぇ~♪

2017-08-22 18:17:57 | Soul
De-Liteful And Soulful:Mellow Mover (De-Lite / ウルトラ・ヴァイヴ=CD)

 01 So Long Sweet Little Girl / Reggie Saddler Revue
 02 I’m At The Breaking Point / The Trumains
 03 Girl (Love Everything About You) Pt.1 / Philadelphia Ambassadors
 04 It Really Hurts Me Girl / The Carstairs
 05 Maybe - If I Leave You / Richmond International
 06 I’ll Never Let You Get Away / Universal Mind
 07 Gotta Let Some Sunshine Into My Life / The Exceptionals
 08 I’ll Always Love You / The New Cymbals
 09 So Fine / The Fiestas
 10 Girl Don’t Let Me Down / The Trumains
 11 Just Wait And See / Reggie Saddler Revue
 12 I Can’t Account For My Actions / Reggie Saddler Revue
 13 Another Man’s Woman / The Electras
 14 The Story Of Our Love / The Carstairs
 15 If I Shoud Ever / Richmond International
 16 What Is Living / The Exceptionals
 17 Reach Out For Me / Univearsal Minds
 18 Back On The Road Again / Richmond International
 19 Love Foundation / Electrified Action
 20 Please Baby Please / The New Cymbals
 21 I’ve Been Trying / Reggie Saddler Revue
 22 Love,You Can’t Shake It / Reggie Saddler & The Jammers
 23 It’s Gotta Be Love / The Trumains
 24 Nothing In The World / The Electras
 25 Darling You’ve Changed / The Fiestas

世の中には時々、夢の様な現実がある事は、やはりこの世の道理!?!

なぁ~んて、思わず独り納得してしまったサイケおやじの目の前にあったのが本日ご紹介のCDで、それがなんとっ!

1960年代末頃から1980年代にかけて幾多のヒット盤を製作したニューヨークのレコード会社「デライト」から発売されていたソウル&スイートなシングル曲の復刻オムニバスCDで、それらはサイケおやじが長年探索を続けながら、なかなか入手が叶わなかった逸品揃いという収録内容に歓喜悶絶!

実際、先日某有名店のソウルコーナーで発見し、手に取ってそれを確認した瞬間、大袈裟ではなく、本当に震えてしまったですよ♪♪~♪

しかも選曲監修が我が国の黒人音楽評論の大御所にしてサイケおやじが尊敬する鈴木啓志先生であれば、これは間違いなしっ!

つまり我が国独自の編集盤というわけですが、いゃ~、店から出て、自分の車のオーディオにCDを突っ込んだ瞬間のワクワク感は、いきなり飛び出してきたレジー・サドラー・レヴューが1971年に出した「So Long Sweet Little Girl」で、もやは気分は天国直行便♪♪~♪

実はサイケおやじが一番に欲しかったのが、このレジー・サドラー・レヴューの人気作でして、告白すれば「デライト」というソウルミュージックのレーベルに興味を抱いてしまったのも、1970年代中頃のある日、親しくしてもらっていた先輩コレクター氏から、この「So Long Sweet Little Girl」を聴かせていただいたのが発端でありました。

それは、ちょいと勘違いかもしれませんが、アップテンポで泣きメロが入った曲構成が、今となっては山下達郎が率いていたシュガー・ベイブっぽい味わいに似ていたというか、完全にサイケおやじのツボにはジャストミートしていたんですねぇ~~~♪

もちろん、レジー・サドラー・レヴューは黒人グループであり、しかも女性ボーカルが入っているあたりが、これまたシュガー・ベイブっぽさの源というのは本末転倒でありましょう。
 
しかし、言うまでもなく、当時の我が国では、そのジャンルのシングル盤はなかなか入手が難しく、もろん輸入の中古盤を扱う店もあったんですが、こ~ゆ~ノーザン&スイート・ソウルなレコードよりはロックやジャズ、フォークやソウルやブルースでも有名どころのLPが中心でしたからねぇ……。

サイケおやじとしては、仕事で渡米した時には極力時間を作っては、現地の中古屋を漁ったりしていたんですが、良い出会いには恵まれず、またオークションでも高嶺=高値の花という状況では、前述したコレクター氏に礼を尽くしてコピーしていただいたカセットを愛聴して幾年月、ついに夢がかなったのが掲載した復刻CDというわけです。

そして、これまた言うまでありませんが、上記した収録トラックは選りすぐられた素敵な歌ばっかりで、レジー・サドラー・レヴュー関連の5曲はもちろん、トゥルメインズ、フィラデルフィア・アンバサダーズ、カーステアーズ、リッチモンド・インターナショナル、ユニヴァーサル・マインド、エクセプショナルズ 等々、全てがグループ物という凝りようも嬉しいばかり♪♪~♪
 
当然ながら、その楽曲やグループ各々については、初めて知るところも多く、付属解説書の引き写しよりは、皆様に実際に聴いていただきというございます。

正直、決して黒人音楽を聴き始めた皆様にはオススメ致しませんが、所謂甘茶ファンやモダンソウル愛好者には座右の1枚になるんじゃ~ないでしょうか。

何よりも最近のサイケおやじにとっては必需品になっております。

ということで、こ~ゆ~最高の復刻物に接していると、本当に長生きして良かった、と思えるわけで、以前にも書きましたが、サイケおやじとしては、なんとか復刻の仕事に携わりたいものだという願いが募るばかりです。

もちろん、サイケおやじの事ですから、決して音楽ばかりじゃ~なくて、映画や小説や諸々の懐かしくも素敵な思い出の偏ったものになるのは必定ではありますが、なんとか今の仕事を辞め、早くそ~した余生を送りたいものであります。
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愛しのミニー・リパートン

2016-11-02 18:22:04 | Soul
Lovin' You / Minnie Riperton (Epic / CBSソニー)
 
大衆音楽が殊更多様化した1970年代は、それこそ日々新しいリズムやビート、そしてメロディが溢れていた幸せな時代だったと思いますが、それゆえにリスナーは混濁した情報に惑わされ、極言すれば活字メディアや各種放送媒体に惑わされる結果として、レコードを買わされ、ライブコンサートのチケット争奪戦を演じていたんですが、最終的には自分の耳だけが頼りという真実はひとつ!?
 
サイケおやじにそれを痛感させてくれたのが、ミニー・リパートンが歌ってくれた本日掲載のシングル盤A面曲「Lovin' You」でありました。
 
既に皆様ご存じのとおり、この歌は小鳥のさえずりのSE、アコースティックギター、キーボードだけのシンブルな演奏をバックにミニー・リパートンが慎ましくもハートウォームな節回しと澄んだボーカルを聞かせてくれる美メロ曲♪♪~♪
 
ですから、冒頭に述べたように様々な歌や演奏がゴッタ煮状態の中にあって、ふとした機会にミニー・リパートンの「Lovin' You」が流れて来た時の鮮烈さは、ハッとするほど良い感じでしたねぇ~~♪
 
サイケおやじが忽ちにしてレコードを買ってしまったのは言わずもがな、それは世界共通の快感であったらしく、アメリカのヒットチャートでも堂々のトップに輝いています。
 
そしてミニー・リパートンは1975年、この一撃で完全な大スタアになったのですが、楽曲そのものは前年に発売されていたLP「パーフェクト・エンジェル」からのカットであり、アルバムバージョンよりもエンディングが早くフェードアウトしているのは賛否両論でしょうか。
 
ちなみに彼女は決してピカピカの新人ではなく、子供の頃にはオペラの勉強もしていたそうですが、本格的に音楽業界へ入った時は幾つかのグループでボーカルを担当し、中でもロータリー・コネクションと名乗るグループでの諸作は、その幾つかがこの「Lovin' You」のヒットに便乗して我が国へも輸入され、もちろんその時は既に廃盤扱いだったので、所謂カットアウト盤が安値で売られていましたし、一応ソロアルバム扱いになっていた「カム・トゥ・マイ・ガーデン」のタイトルを附されたLPも再発(?)されていましたが、個人的にはイマイチ……。
 
それはもちろん皆様がご推察のとおり、この「Lovin' You」を含むアルバム「パーフェクト・エンジェル」には、根底から基本的要素が異なる制作方針があったようで、なんとっ! プロデュースがスティーヴィー・ワンダーなんですねぇ~~~!
 
また、同曲の作詞作曲はミニー・リパートン&リチャード・ルドルフという実社会の夫婦である事もハートウォームなポイントかもしれません。
 
なにしろ歌詞を聴いてみれば、愛する相手が恋愛対象でもあり、また自分の子供への無上の愛でもあるという、まさに普遍の真実ですからっ!
 
ところでスティーヴィー・ワンダーとの関係については諸説がある中で、ミニー・リパートンはスティーヴィー・ワンダーの巡業ライブ用のコーラス隊であるワンダーラヴに参加していたのが1973年だったそうですから、そこで親分に認められたんじゃ~ないでしょうか。
 
なんたって、「Lovin' You」で大ブレイク時のウリ文句が「5オクターブを歌う」ってなもんでしたから、その声質を活かすべく、演奏はシンプルに、そしてメロディは愛らしくという企画は大正解だと思います。
 
しかし好事魔多し!
 
せつなくも悲しい現実として、彼女は癌に侵され、闘病余儀なく……。
 
それでも充実したレコーディングを残しつつ、1979年夏に早世しています。
 
享年31歳、しかしミニー・リパートンが聴かせてくれた歌声は未来永劫、決して忘れられることはないはずです。
 
それは現在でも、彼女のアルバムが売れ続け、また同時に「Lovin' You」がスタンダードな人気曲になっている事でも明らかでしょう。
 
その生涯を知ってしまえば、特に「Lovin' You」という素敵な愛の歌に一抹の寂寥感や儚さを感じてしまう気分は否めないものがありますが、それゆえに尚更愛おしいのがミニー・リパートンの歌声だと思っております。
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ラジオでシビレたファンキーソウル

2016-10-26 19:45:03 | Soul
Tighten Up / Archie Bell & The Drells (Atlantic / 日本グラモフォン)
 
少年時代からラジオで音楽に親しんでいたサイケおやじだからでしょうか、その時分に馴染んでいたヒット曲をステレオで聴くよりも、ラジオから流れて来た時に浮かれてしまうのは、所謂パブロフの犬ってやつでしょうか。
 
アーチー・ベルとザ・ドレルズが演じる本日掲載のシングル盤A面曲「Tighten Up」も、その中のお好みヒットであり、シンプルでキャッチーなギターのコードストロークによるリズミックなイントロが流れ出てくれば、気持ちは瞬時にラジオが必須アイテムであった「あの頃」にどっぷり♪♪~♪
 
曲名や演奏者は知らずとも、おそらくは皆様も一度は聞いた事があるにちがいないと思うばかりの「Tighten Up」は、ファンキーなダンス曲であり、歌というよりもラップの元祖みたいなボーカルの掛け合い(?)やベース、ドラムス、ギター、ホーンセクションや手拍子までもが順次一緒になって盛り上がっていく楽しさこそが、ヒットの要件でありましょう。
 
このあたりは実際に聴いていただくのが一番でしょうし、後にはYMOがカバーしていたり、数多のハコバンがテーマ代わりに演奏していたのも昭和の音楽シーンだったと思います。
 
告白すれば、サイケおやじもここまでスマートにはやれませんでしたが、インストのパートだけは学生時代に入れてもらっていたバンドで楽しんでいたほどです。
 
さて、そこで肝心の主役たるアーチー・ベルとザ・ドレルズは本来ボーカルグループだったようで、実はサイケおやじはこの「Tighten Up」の印象があまりにも強かったので、てっきりアーチー・ベルとザ・ドレルズは、ブッカーT&MGs みたいなソウルインストのバンドだと思い込んでいたんですが……。
 
後に知ったところによると、アーチー・ベル&ザ・ドレルズはアーチ・ベル、ジェームス・ワイズ、ウィリー・パーネル、ビリー・バトラー等々が出入りしていたテキサス州出身の黒人コーラスグループで、他にもアーチー・ベルの兄弟というユージン・ベルやジョー・クロス等々も参加していた時期もあったらしく、サイケおやじはイマイチ、そのグループのメンバー構成やキャリアは把握出来ていません。
 
しかし、その始まりは1964年頃だという説もあり、1967年に地元のマイナーレーベルに吹き込んだ本格的なデビュー曲「Tighten Up」にしても、実はそれ以前のデモ音源を再利用したものだとか!?
 
ちなみにほとんど主役の演奏パートはトルネードスという地元の白人バンドだったらしいのですが、それも不勉強なサイケおやじには知る由もありません。
 
それでも出来上がった「Tighten Up」の調子の良さ、ノリの素晴らしさは忽ち全米規模でウケまくり、ついにはアトランティックが配給することで、1968年春~夏に大ヒット! 百万枚を超える売り上げを記録したのも当然が必然と思うばかりです。
 
ところが好事魔多しというか、なんとっ! その時点でアーチー・ベルは徴兵されてのベトナム送りになっていて、実際の巡業には全く別のグループがアーチー・ベル&ザ・ドレルズを名乗って活動していたというあたりは、如何にもアメリカの芸能界らしさでしょうか。
 
また、それでもなんとか兵役中の休暇を使い、新作のレコーディングに臨んだアーチー・ベルの心意気が空振りしたのも現実の厳しさ……。
 
結局は一発屋という称号が与えられるのも、この「Tighten Up」があまりにも大ヒットしてしまった功罪なのかもしれません。
 
ただし、後にフィラデルフィア・ソウルのソングライターコンビとして名を上げるケニー・ギャンブル&レオン・ハフと組んだシングル曲「Do The Choo Choo」は、イケてますよ♪♪~♪
 
ということで、現代はPCやスマホで音楽を聴く事が、大昔のラジオと同じ役割と楽しみなんでしょうから、サイケおやじと同じ感覚を味わっている皆様も大勢いらっしゃると思います。
 
うむ、ヒットの法則も輪廻転生とまでは申しませんが、繰り返す楽しみの連鎖は不滅かもしれません。
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