OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

必修課目だったPPM

2009-09-30 12:01:31 | Pops

Puff / Peter, Paul & Mary (Warner Bros. / 東芝)

フォークソングのグループでは代表格として大衆的な人気者だったのが、ピーター・ポール&マリー=PPMです。そして同時に、ギターの練習には必修課目だったのが、この3人組の演奏だったんですねぇ。

PPMはピーター・ヤーロウ(vo,g)、ポール・ストーキー(vo,g)、そしてマリー・トラヴァース(vo) という男女混成のトリオながら、その絶妙のハーモニーワークと生ギターのアンサンブルで歌われるフォークソングの数々は、相当にエグイ歌詞の中身さえも爽やかなフィーリングで表現出来るという、実に大衆音楽の王道を歩んだグループだったと思います。

実際、1961年頃の結成から解散するまでの約10年間にはチャート入りさせたヒット曲が多数ありますし、その演奏スタイルをコピーし、後追いするアマチュア歌手&グループが世界中に存在していました。と言うよりも、PPMでなければフォークじゃ無い! という風潮さえあったと思います。

で、冒頭の話に戻ると、私がギターをどうにか弾けるようになったのは当時、隣にあった町医者に出入りしていた若い先生のおかげで、この人は何時も海外のフォークソングのメロディを口ずさんでいたという、なかなかの粋人でした。そして時には生ギターの弾き語りも聞かせてくれましたから、その流れで私にギターの弾き方を教えてくれたのも神様の思し召しかもしれません。

しかし最初の課題となったのが、PPMスタイルのフィンガーピッキングだったというのは、難関でしたねぇ。なにしろギターのコードの押さえ方もロクに覚えないうちから、右手の運指をあれこれと調教されては……。

またギターがナイロン弦のガットギターだったのも、ネックの幅が広くて、ちょっと……。

それに当時はエレキが大ブームの頃でしたから、私としては所謂テケテケが鳴らない生ギターには懐疑的だったのです。

まあ、それでもなんとかギターらしい音で弾けるようになった時は嬉しかったですねぇ~♪ 本日ご紹介のシングル曲「Puff」を通して弾けた最初の瞬間の達成感は、今でも筆舌に尽くし難いものがあります。

貸してくれたレコードを聴きながら、一緒にお手本のギターを弾いてみせてくれた先生の教えを思い出しつつ、練習した日々が懐かしくもあります。ちなみに掲載したシングル盤は、その時からのプレゼント♪♪~♪

ただし、正直に言えば、自分の感性にはエレキが合っていますから、歌謡フォーク全盛期の昭和40年代後半でも、あえてPPMを弾くことはありませんでした。しかしグループとしての音楽性は最高に素晴らしいと思っています。特にライプ音源を聴くと、アコースティックでありながら、実にダイナミックなグルーヴが圧巻! そして凄すぎるコーラスワークとギターアンサンブルの妙は唯一無二!

それがあればこそ、いつまでも不滅なのがPPMでしょうし、今日もどこかで、誰かが、この曲のギターを練習していると確信しております。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リアルタイムで聴けなかったキンクス

2009-09-29 11:25:26 | Rock

陽気にやろうぜ / The Kinks (Pye / 日本コロムビア)

遅ればせながら、今では我国でも人気が確立したかようなキンクスですが、果たして本当にそうなのか? これは素朴な疑問です。

ご存じのようにキンクスは1960年代ブリティッシュビートのブームからデビューし、初期には黒人系R&Bをストレートなロック感覚で演じることによって人気を掴み、その後はバンド名どおり、ちょいと「ねじ曲がった」ような歌詞と温故知新のサウンド作りで一世を風靡したことになっていますが、やはりロック史では畢生の名曲名演となった「You Really Got Me」における、元祖ハードロックなイメージが強いと思います。

というか、歴史的には全盛期とされる1960年代中頃に残された楽曲が、実は我国では聴けない状況が確かにありました。

で、私がキンクスを意識したのはGSが日本中を熱狂させていた昭和42(1967)年末のことで、確かスパイダースかカーナビーツがテレビで「キンクスは最高!」みたいな発言をしていたことに端を発します。

今となっては朧気な記憶ではありますが、かまやつひろし、だったかなぁ……。その時にギターで前述「You Really Got Me」の有名なリフを弾いてくれたんですよねぇ~♪ 何か強烈に刺激だったことは確かです。

そしてその後、ラジオの某音楽番組に「You Really Got Me」のリクエストハガキを出し、見事に採用されたのも、最初にして最後の嬉しい思い出になったのですが、しかし何故か、当時の我国ではキンクスのレコードが店頭にありませんでした。

これは後に知ったところによると、日本のレコード会社との契約が切れていたそうですね。そしてそれが更新されることも無かったという事実は、当時のキンクスが如何に人気の無いバンドだったか!?! その証左だと思います。

そこで必然的に、キンクスを聴こうとすれば、中古盤に頼る他は無いのですが、本日ご紹介のシングル盤は、馴染みのレコード屋のデッドストック! 店を改装する時に倉庫に放りこんでいた中の1枚を、百円で譲ってもらったのが真相です。

つまり最初は、きちんと日本盤が出ていたバンドですから、ビートルズが大ブレイク後の洋楽市場では、ちゃ~んと商売になっていたわけです。それが……。

どうやらキンクスはリアルタイムのアメリカではパッとした人気が得られず、それはテレビ出演時のちょっとした誤解が原因とされていますが、その真実は定かではありません。とにかくイギリスでの圧倒的な人気とは逆に、アメリカではほとんど受け入れられず、それゆえに当時の日本ではアメリカ優先という業界の事情もあったようですから、さもありなんでしょうか。

キンクスは1964年2月に正式デビューしたイギリスのバンドで、メンバーはレイ・デイビス(vo,g)、デイヴ・デイビス(vo,g) の兄弟を中心に、ピート・クエイフ(b)、ミック・アヴォリー(ds) の4人組として、2枚目のシングル曲「You Really Got Me」を大ヒットさせ、トップバンドの仲間入りを果たしています。

そしてこの「陽気にやろうぜ / Everybody's Gonna Be Happy」は、イギリスでは1965年春頃に発売され、そのアップテンポでブッ飛ばす直線的なR&Rの味わいは最高でしたから、忽ちの大ヒットを記録していますから、日本でも同じ年にリリースされていたものです。とにかくチープでありながら、絶え間ないロックビートを叩きつけてくるリズムギターとドラムスの勢いが素晴らしく、また効果的な手拍子が、当然ながら絶対のロックビート♪♪~♪

極言すれば、ほとんどメロディらしき展開は聞こえてこないのですが、この勢いだけで押し通すところが、痛快至極! もちろん似たようなことをやってしまった後のパンクロックなんていうものと比較するのは、愚の骨頂でしょう。あえて言えばサビでの微妙なフックが、クセになるようなスパイスだと思います。

またB面収録の「お次は誰 / Who'll Be The Next In Line」は、同系の歌と演奏ですが、ややテンポを落とした粘っこいグルーヴが、やはりクセになる魅力に溢れています。そして今になって気づいたのですが、隠し味に使われているピアノ故に、なんとなく当時流行していたモータウン系R&Bの味わいも強く感じられますねぇ~~♪

ということで、キンクスの諸作の中では決して人気があるとは言えないレコードですが、とにかく当時の日本では、手軽にキンクスのレコードを楽しめなかったという事実は重大! ですからリアルタイムでの絶頂期は全て後追いというのが、キンクスが我国でブレイク出来なかった真相じゃないでしょうか。

確か、そうした作品群が再発されたのは、昭和44(1969)年以降だったと記憶していますし、サイケおやじにしても「You Really Got Me」を含む名曲をきっちり聴いたのは、1970年代に入ってからでした。ちなみにそれ以前に、かろうじて小ヒットしたのは、昭和45(1970)に出た「ヴィクトリア / Victoria」ぐらいでしたよ。しかもラジオの深夜放送ですからねぇ……。

それが現在では日本でも大物バンドとして、局地的かもしれませんが、崇められているのは嬉しい状況だと思います。どうやらバンク~ニューウェイブの洗礼を受けた後の世代のバンドが、キンクスを再発見して後追いしているという事情もあるらしいのですが、それほど普遍的な素晴らしさが認められているというのは、やはり凄いことなのでしょう。

ちなみに中期以降のキンクスが推進したロックオペラ的な作品群は、言葉の問題もあって、私には完全に楽しめない世界なのですが、イギリス人にしてみると、その歌詞の中身はドメスティックな笑いや禁断のブラックユーモア、エグイ皮肉がテンコ盛りだそうですよ。

う~ん、それが完全に理解出来ないのが、悔しいですねぇ……。

やっぱり「ひねくれ者」と名乗るだけあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

波うちぎわの裏名盤

2009-09-28 10:38:38 | Beach Boys

Surf's Up / The Beach Boys (Brother / Reprise)

サンフラワー」によってピーチボーイズに目覚め直したサイケおやじは、ですから彼等の次なる新作「サーフズ・アップ」も、大いに期待して買いました。しかも輸入盤!

というのもその頃、つまり昭和46(1971)年当時は、まだまだ輸入盤を扱う店は少なく、それも日本盤以上の値段でした。ただし発売は日本盤よりも相当に早く、それゆえにプロのミュージシャンや熱心なマニアは、様々な手を使って、少しでも早く、安く入手する方策を心得ていたようですが、サイケおやじは年末に開催された某デパートの輸入盤セールでゲットしたのが真相です。しかも日本盤よりも安かったんですよ♪♪~♪ ちなみに日本盤が出たのは、翌年になっていました。

 A-1 Don't Go Near The Water
 A-2 Long Promised Road
 A-3 Take A Load Off Your Feet
 A-4 Disney Girl
 A-5 Student Demonstration Time
 B-1 Fell Flows
 B-2 Lookin' At Tomorrow
 B-3 A Day In The Life Of A Tree
 B-4 'Til I Die
 B-5 Surf's Up

結論から言うと、前作「サンフラワー」の爽やかで明るい雰囲気とは対極にあるような、些か暗いムードが支配的ですが、しかし各曲のメロディラインの豊潤さは勝るとも劣りません。そして全体に漲る力強さ、ある意味ではプログレとも言えそうな音作りには、当時流行のキーボード類や多重録音が用いられ、それでいてビーチボーイズならではの美しいコーラースワークも巧みに融合された、これは確定的な名作! 聴いた瞬間、そう思う他はありませんでした。

単純に比較することは出来ませんが、同時期に出ていたポール・マッカートニーの「ラム」やジョン・レノンの「イマジン」と一緒に聴いたとしても、決して失望することは無いでしょう。

まずA面冒頭の「Don't Go Near The Water」、ギターやキーボードの音を今でいうサンプリングで作り出したような、なんともフワフワしたイントロから柔らかな曲メロが流れてくる瞬間が、至福です♪♪~♪ そして歌が進むにつれ、力強くなる演奏と持ち前のコーラスワークの冴え、熱いサビの展開も最高なんですねぇ~♪ 全く何時までも聴いていたところなんですが、良いところで終ってしまうのが……。

しかしご安心下さい。

続く「Long Promised Road」が、まさに畢生の歌の演奏! 穏やかに歌い出される最初のムードが、すぐに一転して力強いゴスペルタッチの重厚な展開に進むあたりは、感動的! 熱気が迸る間奏も短いながら結果オーライだと思いますし、何よりも自作自演で熱唱するカール・ウィルソンの成長ぶりが眩しくもあります。

いゃ~、何時聴いても、この2曲の流れにはグッと惹きつけられますが、続く「Take A Load Off Your Feet」も侮れません。明らかに前作「サンフラワー」のムードを引き継いだ愛らしい曲調ながら、各種の効果音と最高のコーラスワーク、さらにチープでありながら緻密なアレンジの妙には、聴くほどに感心させられるのです。

そしてそれが、A面のハイライトとも言うべき「Disney Girl」の夢見るような世界に繋がるのですから、たまりません♪♪~♪ 今日まで幾多のカバーバージョンが誕生している、まさにブルース・ジョンストン畢生の大名曲が、作者自らのボーカルで、そのイノセントな歌詞の世界がせつせつと歌われ、もちろん世界最高のコーラスワークが彩る仕上がりですからねぇ~~♪ もう、この素晴らしきポップス天国には、ただただ浸りきって、素直に感動する他はないのです。

そしてA面のラストが、まさに仰天! ビーチボーイズ流儀のハードなR&Bというか、ブルースロック大会! ブラスも大胆に入れ、重いビートを強調しながら熱唱するマイク・ラブの声質を意図的にメガホンマイクを通したような印象に作り変え、パトカーのサイレンや混濁した群衆の騒ぎをコラージュ的に配置した、そのサウンド作りは全くビーチボーイズらしくありません。丸っきりハードロックなギターも強烈なお約束!

ちなみに原曲はアメリカのR&Bグループとして人気を集めたザ・コースターズの「Riot In Cell Block #9」と言われていますが、ここでは歌詞を書き変え、学生運動を歌いながら、しかしノンポリが身の為というオチが!?! 演奏のキモになっているハードなギターや分厚いビートも含めて、如何にもジョン・レノン的と言っては失礼かもしれませんが、実はここまでの流れを聴いていると、冒頭からがポール・マッカートニー、そして最後がジョン・レノンというムードがミエミエですから、既に述べたように「ラム」や「イマジン」を、ついつい連想してしまうのが、サイケおやじの本音です。

で、いよいよB面が、これまた曲者!

まず「Fell Flows」はカール・ウィルソンがメインで書いたサイケデリックフュージョンという摩訶不思議な歌と演奏で、ハートウォームなメロディは心地良いのですが、間奏で渦巻くフリーキーやサックスやフルート、意味不明なムーグシンセが唸るという、実にプログレな展開になります。ちなみにここでゲスト参加しているのは、ジャズの世界でも超一流のチャールズ・ロイド(fl,sax) ですが、この頃からビーチボーイズのメンバーと関係を深めつつ、ジャズの世界から遊離していったのはご存じのとおりです。

そして続く「Lookin' At Tomorrow」が、これまた如何にもジャズっぽい味わいで、ケニー・ランキンあたりが演じていそうなムードは要注意です。おそらくは変則チューニングのギターも良い感じ♪

しかし本当に仰天させられるのは「A Day In The Life Of A Tree」でしょう。荘厳なオルガンをバックに流れて来る神聖なメロディを歌っているのは、明らかにこれまでのビーチボーイズでは聴いたことの無い声なんですが、その正体は当時のマネージャーであり、広報担当でもあったジャック・ライリーという人物!?!

実は当時のビーチボーイズは前作「サンフラワー」の商業的な失敗、イギリスを中心としたヨーロッパ各国以外での人気急落、さらに財政的な問題に加えて、音楽的な要だったブライアン・ウィルソンの健康問題等々で、どん底状態……。

そんな手詰まりだったグループの前に現れたのが、実力派のジャーナリストだったジャック・ライリーで、とにかくグループの立て直しに尽力した功績は、後々のトラブルを抜きにしても評価されるべきでしょう。

何よりも、このアルバムに顕著なように、時代にアクセス出来るビーチボーイズという新しいイメージの確立、またブライアン・ウィルソンの現場復帰をスタジオセッションの場だけとはいえ、実現させています。

それがブライアン・ウィルソンと共作し、自身が歌ってしまった「A Day In The Life Of A Tree」という暴挙寸前の仕事だとしても、そこで聞かれる荘厳にして奥深く、それでいて非常に心地良い歌と演奏は、麻薬的な魅力があります。もちろんビーチボーイズならではのコーラスワークと最先端のサウンドプロデュースは冴えまくり♪♪~♪

そのあたりは続く「'Til I Die」にも見事に活かされ、ここまでコーラスワークが最先端のロックと融合した演奏は、どんなプログレバンドやソフトロックのグループでも決して表現出来ない世界じゃないでしょうか。ビーチボーイズ、恐るべし!

そしてオーラスのアルバムタイトル曲「Surf's Up」が筆舌に尽くしがたい、美しくも儚いような、うつし世は夢、夢こそ真という、江戸川乱歩の世界をドリーミーなハリウッドポップスで表現したが如き、まさに奇跡のトラックです。

今では良く知られているように、この名曲「Surf's Up」は幻となったアルバム「スマイル」の残滓と言われているとおり、ブライアン・ウィルソンの天才が証明された魔法のメロディ感覚とビーチボーイズならではのコーラスワークが見事に融合した成果でしょうが、もちろんここでは再録音のバージョンが使われています。

もう、とにかく聴いていただく他は無い、それほどの歌と演奏ばかりなんですよ。

A面ではジョンとポールなんていう不遜なことを思ったサイケおやじにしても、このB面の深淵な世界には圧倒されるばかりです。そして当然ながら、文字通りの音の楽しみ、音楽って素晴らしい~~~♪ そういう世界なのです。

しかし残念ながら、これでもビーチボーイズは全盛期だった1960年代中頃の勢いを取り戻すことは出来ず、ヨーロッパへと活動の拠点を本格的に移していくのです。

正直言えば、往年のサーフィン&ホットロッド、海と車と女の子の世界を歌っていたビーチボーイズが、今でも最高だと思っていますし、そういうイメージで聴けば、このアルバムは完全に???でしょう。実際、日本盤も発売されていますが、売れたという話も聞きませんし、シングルヒットとは完全に無縁だったと思います。

サイケおやじにしても前作「サンフラワー」に邂逅していなかったら、とてもリアルタイムで聴くことはなかったと断言しても良いほどです。

現在では、それなりに評価されているようですが、やはり好きな人にしか好きになれないアルバムでしょうねぇ……。最も「らしくない」ジャケットデザインもマイナスだったかもしれません。

ブロデュースはビーチボーイズ名義になっていますが、全体としてはカール・ウィルソンの頑張りが目立ちますし、意図的に環境問題や学生運動を歌った歌詞も気になります。しかし「波うちぎわ」というアルバムタイトルは絶妙ですし、ロック史の裏名盤としての価値も十分だと、強く思っているのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米盤「サージェント・ペパーズ」の異様

2009-09-27 08:52:19 | Beatles

Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band / The Beatles
                                                                                    (Parlophone / Capitol)

全く、ここだけが不況知らずに売れまくっているビートルズの新リマスターCDですが、もちろんサイケおやじも苦しい中で、しっかりとゲットさせられました。そして連日、少しずつではありますが、従来盤との聴き比べに勤しんでおります。

で、結論から言うと、新しいリマスターは素晴らしい!

特に「サージェント・ペパーズ」は、これまでのCDでは無様だった曲間の空きが見事にアナログ盤に近づけられているのが、まずは高得点♪♪~♪ それでも「Being For The Benefit Of Mr. Kite!」と「Within You Without You」の間は、きっちり空けられていますが、これはオリジナル盤のA面とB面の境を表しているのですから、結果オーライでしょう。

まあ、本当は、ここで一端停止して、A面とB面をひっくり返す儀式を行う時間をとるのが礼儀かもしれませんね。

肝心の「音」は、ご存じのように膨大な情報量を詰め込んで作られたオリジナルマスターの味わいを大切にしながらも、さらに聴き易く整理したような雰囲気で、これは最初のCD化の時にも感じられたことですが、アナログ盤に馴染んだ耳には、些かの違和感が払拭出来ません。

しかしCD時代からの新しいファンの皆様が、これだけの音質で世紀の名盤を楽しめるのは、やはり素晴らしいことだと思います。なによりも「音」が迫ってくる、所謂「迫力」は圧巻ですよ♪♪~♪

さて、そうした「音」への拘りという点においては、本日ご紹介の米国キャピトル盤が私は大好きです。

実は告白すると、私は最初、決して「音」に拘って、このキャピトル盤を入手したのではありません。ただ、表ジャケット上部に入っている黄色のラインがデザイン的に気に入ったのと、日本盤にはついていなかった「オマケの切り抜き」が欲しかっただけなのです。

ところが実際に針を落として吃驚仰天!

繊細な力強さのイギリスオリジナル盤、あるいは柔らかな日本盤の音の印象とは明らかに異なる、エグミの強い太い音が飛び出してきたのです。特にベースや潰れたようなドラムスのエッジが、はっきりくっきりの感じがサイケおやじの好みにはジャストミート!

このあたりは良く知られているように、米国キャピトルは発売段階の初期から、ビートルズ側には無断でオリジナルの音源に補正を加えていた事実が、ここに至っても継続されていたという証でしょう。

ちなみにアナログ時代は、完成したオリジナルマスターからレコードをプレスする時に、カッティングマスターという、もうひとつのオリジナル素材が作られ、これは実際のアナログレコード盤がターンテーブルの上でカートリッジによって再生される場合、最も適した音が出るように想定して作られるものですから、そこへ各種の補正は当然でしたが、米国キャピトルの場合は特にはっきりしていたようです。

中でも米国キャピトルでは2枚目の発売となった「ザ・ビートルズ・セカンドアルバム」に収録の各曲は、特に低音域が強いド迫力の雰囲気が、英国オリジナル盤とは一線を画す仕上がりで、私は大好き♪

それが「サージェント・ペパーズ」では、混濁した桃源郷を尚更に素晴らしいものにしている雰囲気なんですねぇ~♪

もちろん、このあたりの感じ方は十人十色でしょう。微妙にエコーが強いムードも否定出来ませんし、それゆえにガサツな感じさえ……。また再生するカートリッジの特性によっても、異なる味わいが楽しめるのは言わずもがなですが、個人的には太めのMMタイプが、この時代のレコードには合っていると思います。

そしてもうひとつの仰天がB面の最後の最後に入っているはずの、あの「意味不明のお喋り」が、この米国キャピトル盤では割愛してあるんですねぇ~~~! もう、最初に聴いた時には物足りなさを超越した不完全燃焼という気分でした。精神衛生上、これは良くない!

まあ、今となってはアメリカでのオーディオ事情の主流が、1960年代中頃からオートチェンジャーを普通に装備したプレイヤーになっていたことによるものと推察出来ますが、それにしても……!?!

ということで、またまたアメリカ盤の魔力にKOされたのが若き日のサイケおやじです。実は私の世代は、子供の頃から「アメリカ一番」という教育を受けていた過去もあるわけですが、ビートルズの登場によって、それは真実ではないという自覚が生まれても尚、こんな暴挙が行われていた事実は、決して打ち消せるものではないでしょう。

そこで今回の新リマスターのCDですが、一応は世界共通のマスターを仕様していることになっているのですが、またまた各国盤で微妙に違いが現れているような気がしてなりません。

ビートルズの天国と地獄は、世界が終るまで続くように思います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エレキ歌謡だぜっ、ゴールデン・カップス!

2009-09-26 11:37:28 | 歌謡曲

長い髪の少女 / ザ・ゴールデン・カップス (東芝)

ゴールデン・カップスは日本のロック史でも飛び抜けたグループでしたが、しかし、彼らの代表的なヒット曲を「日本のロック」と呼ぶ気にはなれません。

なにしろGS時代に登場した多くのバンドの中にあって、ゴールデン・カップスほど本格的なロックの雰囲気を漂わせていた存在は無く、しかも演奏が最先端のニューロック! つまり逸早く欧米で流行っていたヒット曲をカバーし、それはもちろん既にLP単位で聴く他はなかった長尺のサイケデリックやアドリブがグチャグチャの世界でした。

今日では、それをブルースロックやR&Bのロック的な展開として楽しむことも出来ますが、少なくとも当時の日本人には、あまりにもディープで本格的なスタイルだったのです。

しかし我国の業界でやっていく以上、シングルヒットは必須でしたし、それがなければ、いくらGS全盛期とはいっても、テレビに出演することは叶いませんでしたから、歌謡曲を吹きこむとは避けられません。このあたりはバンド側も十分に納得していたと思います。

そしてゴールデン・カップスと言えば、ライプの現場では歌謡ヒットを演奏しないことが、今や伝説になっているようですが、実は公開放送のステージでは、ちゃ~んとやっていたましたですね。

実際、サイケおやじは、この「長い髪の少女」が発売された当初の昭和43(1968)年春に生演奏に接していますが、初っ端に放送用として「銀色のグラス」と「長い髪の少女」をやった後は、ほとんど曲名も知らない、ギンギンのニューロック大会! R&Bのようでもあり、デタラメなフリージャズのようでもあった印象が、今でも鮮烈に残っています。

しかし私は、決して「長い髪の少女」を否定する気は、毛頭ありません。

当時のゴールデン・カップスのメンバーはデイヴ平尾(vo)、エディ藩(g,vo)、ケネス伊東(g,vo)、ルイズルイス加部(b)、マモル・マヌー(ds,vo) という5人組でしたが、当時のウリだった「全員がハーフ」というのは完全な詐術でした。

一説によると、ゴールデン・カップスを東芝に紹介したのは黛ジュンだという噂も根強いのですが、当時は別のバンド名だったグループを、あえて「混血児」の集まりとして売り出した戦略は、現在ではいろいろと問題視する向きもあろうかと思いますが、当時としては結果オーライでした。

とにかく全員がカッコ良かったし、演奏そのものが他の日本人バンドよりも、リズムやビートの面で決定的に異なるノリになっていたのです。これはおそらく、ケネス伊東のリズムギターとルイズルイス加部の驚異的なリードベースによるところが大きいと思われますし、当然、そのふたりは日系と本物のハーフだったのです。

で、肝心の「長い髪の少女」ですが、この曲のせつない歌詞と哀愁のメロディラインを歌うのが、甘い声質のマモル・マヌーというプロデュースも絶品でした。もちろんストリングも大きく入っていますが、イントロからキメまくりのエレキギターや演奏全体の強いビート感は、やはりゴールデン・カップスならではの味わいが否定出来ません。

つまり、これはエレキ歌謡の傑作!

ちなみにB面の「ジス・バッド・ガール」はメンバーが作ったアップテンポでビシバシにブッ飛ばした英詞のニューロックで、ブリブリのエレキベースや歪んだエレキギターが猛烈なロック魂を放出すれば、ボーカルとコーラスは力強くてサイケデリック風味も強いという、まさに最先端ロックのど真ん中!

こういうアンバランスなネタの大公開を、たった1枚のシングル盤でやってしまったゴールデン・カップスは、やっぱり凄いバンドですねぇ~♪

ただし正直に言うと、今も昔も、私は「長い髪の少女」が大好きなのでした。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビーチボーイズの向日葵

2009-09-25 10:10:37 | Beach Boys

Sunflower / The Beach Boys (Brother / Reprise)

今日ではビーチボーイズの人気盤ベスト5に入ろうかという評価も眩しい名作ですが、リアルタイムでは日蔭者だったと思われるのが、本日ご紹介のアルバムです。

ご存じのようにビーチボーイズと言えば、サーフィン&ホットロッド♪♪~♪ R&Rのビートにフォーフレッシュメンのようなオープンハーモニーのコーラスをミックスさせた温故知新の音楽性に加え、ブライアン・ウィルソンという天才の作りだす名曲とサウンドプロダクトの素晴らしさは、1960年代前半のアメリカや世界中を熱狂させました。

しかし1967年頃からは、あの世紀の名盤「ペットサウンズ」のリアルタイムでの大コケもあって、本国では落ち目の三度笠……。当然ながらビートルズとの戦いにも敗れ、我国でも急速に人気を失っていったのは、紛れもない事実です。

ただしイギリスでは逆にビートルズを上回る評価と人気があったというのですから、世の中は分かりません。

それでも実際、当時のビーチボーイズが作っていたアルバム群は正直、聴くのが辛いことは否めません。何故ならば、そこには持ち味のオープンハーモニーも無くなり、ロックの力強さを追及しようとしてはガサツな歌と演奏しか残せず、サイケデリックに走れば、チープなデモテープ並みの結果しか……。

まあ、このあたりは今聴くと、それなりに気持良かったりするのですが、少なくとも1960年代末頃の我国では、ビーチボーイズは過去の遺物として、ラジオから流れる曲も夏場のサーフィン物ばかりというのが現実でした。

そして当然、サイケおやじにしても「Good Vibrations」を境にして、ビーチボーイズのレコードを買うことも無かったのです。

こうして時が流れました。

それは昭和46(1971)年の春、私はレコード屋で偶然にも、このアルバムを聴き、久しぶりにビーチボーイズの名前を認識しました。それまでの思い込みで彼等は時代遅れのサーフィン、と決め付けていた私の耳に入ってきたのは、当時人気絶頂だったクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングにも負けない爽やかコーラスと、抜群のポップ感覚に満ちた楽曲でした。それはまさしく、時代の先端を行くロックだったのです。もちろん、その場でお買い上げ♪♪~♪ それからしばらく、このアルバムは私の愛聴盤になったのです。ビーチボーイズはイイなぁ~♪ 心底、そう思っていました。

ところが、そこには裏があったのです。

私が買った日本盤にはA面のド頭に「Cotton Fields」が入っていたのですが、これはご存じのとおり、アメリカの有名なフォークソングのカパーですが、ビーチボーイズはこれを2バージョン、公式発表しており、ここに入っていたのは1970年春にキャピトルから出された最後のシングル盤のテイクです。

しかし、このアルバムのオリジナルの発売元はリブリーズですから、当然ながらアメリカ盤にはキャピトルが権利を持つ「Cotton Fields」は入っていないのです。もちろん、そのシングル自体がヒットしていませんでした。

ところが欧州各国では大ヒット! 実際、それはカントリーロックとビーチボーイズならではのハーモニーコーラスが冴えた名演名唱なんですから、全く不思議もないわけですが、このあたりにも本国アメリカでのビーチボーイズの苦しい立場が明らかになっています。

つまりそれまで契約していたキャピトルとは関係が悪化しており、そこにはグループ内のゴタゴタやブライアン・ウィルソンの不調が大きな要因となっていたことは、言わずもがなでしょう。それゆえにプロモーション活動も停滞していましたし、アメリカ国内巡業も手詰まりだったようです。

結局、ビーチボーイズは自ら「Brother」という制作レーベルを立ち上げながら好結果を残せず、このアルバム発表時からリブリーズへと移籍したわけですが、そんな本国での状況とは裏腹に、イギリスやヨーロッパでは人気がさらに高まっていたのですから、現実は複雑です。そして新作発表時には欧州で大ヒットしていた前述の「Cotton Fields」を強引に入れることが出来たのも、配給会社がEMI系列のステイトサイドになっていた所為だと言われています。当時、東芝から発売された日本盤が、それに追従したのも無理からん話だったんですねぇ。

しかし、少なくとも、その日本盤LPに収録の「Cotton Fields」は、明らかに疑似ステレオ仕様でしたし、それはそれで非常に気持の良い歌と演奏だったんですが、アルバムを通して聴いた場合、微妙な違和感があったのは確かです。なにしろオリジナルのアメリカ盤に関する事情を知らなかったのですから……。

そして私が、その事実を知ったのは2年ほど後のことです。

またビーチボーイズの内部事情や、それまで聴いていなかった、その間のアルバムやシングル曲について興味を抱くようになったのも、同時期でした。愛聴盤となっていた、この「サンフラワー」のアメリカ盤を買い直したのも、その頃です。

 A-1 Slip On Through
 A-2 This Whole World
 A-3 Add Some Music To Your Day
 A-4 Got To Know The Woman
 A-5 Dairdre
 A-6 It's About Time
 B-1 Tears In The Morning
 B-2 All I Wanna Do
 B-3 Forever
 B-4 Our Sweet Love
 B-5 At My Window
 B-6 Cool, Cool Water

まずジャケ写のとおり、陽だまりの中にいるメンバーと子供達の和みが、そのまんまビーチボーイズの歌とコーラスに表現されたかのようなアルバム全体のムードが最高です。

曲メロの豊潤さ、卓越したコーラスワークの素晴らしさ、またロックの新時代に対応した力強さも印象的で、それは冒頭の「Slip On Through」で既に全開! 短いのが残念なほどの充実度は、何時までも聴いていたい欲求へと繋がり、それは続く「This Whole World」での、ハッとするほど鮮やかな曲展開、さらにせつなくて爽やかな和みの世界を現出させる「Add Some Music To Your Day」という流れの中で、これぞ至福のポップスワールド♪♪~♪

しかし、これは明らかに一般的なビーチボーイズのイメージとは異なる世界です。

それはビーチボーイズといえばブライアン・ウィルソン&マイク・ラブという基本から、バンド全員による集団指導体制に移行したという結論なんですが、実際、メンバー各々が曲作りに深く関わり、特にデニス・ウィルソンとブルース・ジョンストンの活躍が尚更に顕著です。

例えばソウルフルな「Got To Know The Woman」やモータウン系の「It's About Time」、壮大な思わせぶりが素晴らしい「Forever」はデニス・ウィルソンの才能が見事に開花した証でしょうし、一方、ブルース・ジョンストンは甘酸っぱい大名曲「Dairdre」やビートルズっぽい「Tears In The Morning」で流石の心情吐露♪♪~♪

そしてアル・ジャーディンも得意のフォークタッチを活かした「At My Window」で、夢見るような世界を聞かせてくれますよ。

気になるブライアン・ウィルソンも久々に天才ぶりを披露して、泣きそうになるほどに胸キュンの「All I Wanna Do」は、サイケおやじの永遠のテーマソングになっているほどですが、そうしたマイク・ラブとの共作トラックは、実は幻となったアルバム「スマイル」の残滓に手を加えたものという真相が、哀しくもあります。

その意味でオーラスの「Cool, Cool Water」は、まさにサイケデリックとドリーミーポップスの理想的な融合として、私は大好きです。まあ、このあたりは賛否両論が渦巻くとおり、凝り過ぎと理想のアンバランスな部分は認めざるをえませんが……。

ただし、この曲も含めて、全篇で楽しめるビーチボーイズならではのコーラスの快感は唯一無二! これがある限り、ビーチボーイズは不滅だと思いますねぇ~♪

そしてサイケおやじは以降、リアルタイムでビーチボーイズの新作アルバムを聴くことになり、次に出た「サーフズ・アップ」で更に瞠目させられるのですが、それは別の機会に譲ります。

ちなみに最初に買った日本盤「サンフラワー」のLPは所謂赤盤でしたから、後に某コレクターに高値で引き取られていきました。私にしては珍しく「帯」も残していたのが結果オーライだったようですね。

まあ、それはそれとして、このジャケットに写る6人組こそが、実はビーチボーイズ最強の時代だったと今は思っています。演奏についてはスタジオミュージシャンが関与しているのは明らかですし、ライプの現場では、もう少し後のブロンディ・チャップリンやリッキー・ファターが在籍していた時期が最高だと思いますが、如何にも「らしい」音作りとポップス王道の路線が、まだまだビーチボーイズの現役としての存在感を力強く示していたのは、このアルバムから3年間位だったと思います。

しかし残念ながら、アメリカでは全く売れなかったんですよねぇ……。もちろん日本でも全くの無視状態でしたし、人気が継続していたイギリスでさえ、中途半端な売れ行きだったのですから、本当に世の中は不条理です。

それが近年、どうして人気盤となったのか、それすらも私は理解していません。というか、リアルタイムで愛聴していたサイケおやじは、そんな時代の変化や流れについていけないオールドウェイヴを自覚するばかりなのでした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベンチャーズ歌謡が好き!

2009-09-24 11:16:59 | 歌謡曲

京都の恋 / 渚ゆう子 (東芝)

所謂ベンチャーズ歌謡の三大ヒットのひとつとして忘れられないのが、本日ご紹介のシングル曲でしょう。

ちなみに、その「三大」とは昭和41(1966)年の「二人の銀座 / 山内賢&和泉雅子 (東芝)」に翌年の「北国の青い空 / 奥村チヨ (同)」を加えたものと私は断じていますが、とにかくベンチャーズが作曲したメロディに日本語の歌詞をつけるというアイディアは画期的でした。

というか、ご存じのようにベンチャーズはエレキギターで日本にロックの夜明けをもたらした功績と共に、そこから派生したグループサウンズやエレキ歌謡がある事実を鑑みれば、本家が作り出す歌謡曲っぽいメロディが、我国でウケないわけがありません。

そこに着目した企画は、おそらくは東芝の制作現場での発想でしょうが、本当に秀逸だと思います。

実際、その端緒となった前述「ふたりの銀座」はウルトラ級の大ヒットでしたし、「北国の青い空」にしても、奥村チヨを本格的にブレイクさせた印象が強く残っています。

さて、肝心の「京都の恋」は昭和45(1970)年春頃に発売されたもので、その流れとしては昭和42(1967)年の「東京ナイト / 山内賢&和泉雅子 (東芝)」に続くものですから、実に久々のベンチャーズ歌謡♪♪~♪ しかも真相には当時の日本で開催されていた万国博覧会の記念曲という企画があったようです。

そして結果は大ヒット!

ちなみに歌っている渚ゆう子は昭和40(1960)年頃から、いろいろな芸名でハワイアンや沖縄芸能をやっていたキャリアがあるベテランでしたから、まず、その穏やかで芯の強いボーカルスタイルが、哀愁ロック系の曲メロにジャストミート♪♪~♪

実は、どこかで聞いたことがあるようなキャッチーでミステリアスなメロディラインは、ストーンズの「黒くぬれ! / Paint It Black」のパクリであることが、後にベンチャーズのメンバーからカミングアウトされ、実際、最近のステージでは「黒くぬれ! ~ 京都の恋」のメドレー演奏が人気となっているほどです。

しかし、それにしても外タレのベンチャーズが、どうしてこうも日本人向けのメロディを作れてしまうのかは、大きな謎ですよねぇ~。

そして昭和40年代後半には、この「京都の恋」をきっかけにして、多くのベンチャーズ歌謡が日本中を席巻したのです。例えば渚ゆう子では「京都慕情」や「長崎慕情」、小山ルミの「さすらいのギター」、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」等々の大ヒットは忘れられません。

結局、日本の音楽シーンに一番大きな影響を与えたのはベンチャーズだったのです。これは揺るぎない事実でしょう。

現実的な事を言えば、ベンチャーズの人気は本国アメリカでは1967年あたりから下降線を辿り、メンバー交代も度々行われていた時期に、日本では第二の全盛期を迎えつつあったのです。もちろん来日コンサートは満員の盛況でしたし、その巡業やテレビ出演では、前述した女性歌手がゲスト参加した共演が、たまらない楽しみになっていました。

もちろん現場では、あくまでもビジネス優先の仕儀だったのでしょうが、そこには何かしらの「信頼」があったのだろうと、私は思っています。いや、そう思わなければ、先に提出した「何故に彼等は日本人の大好きなメロディを云々」という謎が解けないと思うのです。

ちなみにベンチャーズには日本の歌謡ヒットを素材にした「ポップス・イン・ジャパン」という企画LPが数枚、残されていますが、イケイケの最先端ロックファンからはリアルタイムでコケにされていたアルバムも、サイケおやじにとっては愛おしい限り♪♪~♪

いずれはご紹介する所存ということで、本日は「京都の恋」を聴いております。

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エレキインスト弾き初め

2009-09-23 11:32:51 | 日本のロック

プラック・サンド・ビーチ / 加山雄三とザ・ランチャーズ (東芝)

この明朗快活にエレキを持ってニッコリする加山雄三のジャケ写からは、とても「エレキは不良」なんていう当時の大人達の認識なんて、大間違いだったことが証明されていますよね♪♪~♪

A面の「ブラック・サンド・ビーチ」は、ご存じ、加山雄三主演の大ヒット映画「エレキの若大将(東宝)」の挿入曲として、「夜空の星」や「君といつまでも」と並ぶ、実に強い印象を残したオリジナルのインスト演奏ですが、劇中では「勝ち抜きエレキ合戦」の最初の舞台で披露されていました。

もちろん、このシングル盤に収録のテイクはスタジオ録音の別バージョンで、クレジットにもあるとおり、加山雄三が当時一緒に音楽をクリエイトしていた盟友のランチャーズがバックですから、その息の合った完成度はリアルタイムでもピカイチ! 現在でも全く色褪せていない、まさにロックと昭和のグルーヴが封じ込められた永遠の名演だと思います。

ちなみにランチャーズと言えば、今日でもGS定番曲としての「真冬の帰り道」が、あまりにも有名な大ヒットになっていますが、それは独立後の話で、元々は昭和36(1961)年頃、加山雄三が俳優仲間を集めて結成したのが、その始まりだと言われていますし、演目はカントリーやハワイアン、ロカビリーだったとか!?

しかし我国でエレキブームが本格化した昭和40(1965)年頃になると、当然ながら加山雄三もベンチャーズやビートルズのコピーを楽しむようになり、加えて卓越した作曲能力からオリジナルも生み出しつつあったセッションが活性化! そこにはブルージーンズに在籍し、後にワイルドワンズを結成する加瀬邦彦や、加山雄三の従兄弟だった喜多島瑛&修も参加していたようです。

そして昭和40(1965)年12月、「エレキの若大将」の公開大ヒットと共に発売されたレコードの中の1枚が、この「ブラック・サンド・ビーチ」というわけですが、実はバックのランチャーズについては、ちょっと複雑な事情があるようです。

というのも、この時点でのランチャーズは前述の喜多島瑛&修が入っており、特に喜多島修のギタリストとしての腕前、そしてサウンドクリエイターとしての才能には、流石の加山雄三も脱帽していたらしいのですが、なんとこの時の喜多島修は高校生! ということはランチャーズに入った当初には中学生だったのですから、真に仰天!

ですから当然、加山雄三と一緒の芸能活動やステージでのライプに参加することは許可されず、それゆえに「ブラック・サンド・ビーチ」のレコーディングに、どの程度の貢献があったかは知る由もありません。なにしろ「エレキは不良」でしたからねぇ……。

ちなみに昭和41(1966)年頃の加山雄三がテレビ出演やステージで共演していたランチャーズは、当時の映像やレコードのジャケ写等々から類推して、堤光生(g)、岩崎道夫(b)、喜多島瑛(ds) が一応のレギュラーだったようですし、レコーディングセッションにも助っ人が参加していたと思われますが、しかし、それにしても「ブラック・サンド・ビーチ」は最高です。

エレキギターならではのキンキラ煌めくイントロのフレーズから重くドライヴするコード弾きのリフ、そして低音域を活かした曲メロのキャッチーなノリ、さらに高音域でのオカズや躍動的なリズムギターのグルーヴ感♪♪~♪ ベースやドラムスの迫力あるビートも素晴らしいと思います。

実はサイケおやじがエレキギターを本格的に弾き始めたのは高校入学前の春休みからで、それは叔父さんが婚約者の弟さんから調達して私にプレゼントしてくれたグヤトーンのLG350Tという、これは実際にGSのプロギタリストも使っていた、つまりちょいとした高級機でした。ただしアンプは安物を改造して出力を増した???でしたが、やはり嬉しくて、オマケに付いていた教則本を見ながら連日、意味不明のフレーズを弾いては悦に入っていましたですね。

そしてその教則本に掲載されていた中のひとつに、この「ブラック・サンド・ビーチ」があったのですから、必死でコードの押さえ方やリードのメロディを練習したのですが、やはりレコードに合わせて弾くのは至難の技……。

さらに当時はGSブームが去り、若者の間では歌謡フォークが人気を集めていましたから、ギターにしてもアコースティックが主流になっていた頃に、あえてエレキの練習をしているサイケおやじは、やっぱり若い時からオールドウェイヴだったんですねぇ。全く、今更ながら、自嘲するばかりです。

また、この曲はベンチャーズや寺内タケシのバージョンでも名演が残されていますが、特に寺内タケシが演じる低音弦を使ったリードの凄さは、完全に曲のキモを掴みきった証明として、そのドライヴ感はオリジナルバージョンとは一味ちがう楽しみが満喫出来ますよ。一方、ベンチャーズのバージョンはリズムギターがド迫力♪♪~♪

というように、曲そのものの完成度が既にして高いんですねぇ~♪ 流石は弾厚作=加山雄三!

その意味ではB面に収録された「ヴァイオレット・スカイ」が、本当に摩訶不思議な演奏で、そのプログレとサイケデリックを無意識の内にインストで先取りしたようなムードは、私の稚拙な文章力では表現不能ですから、機会があれば、ぜひともお楽しみいただきとうございます。

ということで、エレキを本格的に手にした十代のサイケおやじは、今でも「ブラック・サンド・ビーチ」を聴くと、指が勝手に動くのを自覚するほどです。本当に若い頃の吸収力って凄いと思いますねぇ、シミジミと……。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福原真理子は罪深いのか?

2009-09-22 10:09:19 | 歌謡曲

二人のルビーc/wあなたが好きだから / 福原真理子 (大映レコード)

日常生活や人生で大切なのは人間関係だと思いますが、それはレコード蒐集においても同じです。

それをあたらため私に痛感させてくれたのが、本日ご紹介のシングル盤……。

歌っている福原真理子は末期大映の女優さんで、出演作品はちょい役ばかりでしたが、昭和という時代は歌うことも女優の「格」として必須でした。平たく言えば、歌える女優こそが本物という認識があったのです。

で、このシングル盤は映画会社の大映がやっていた「大映レコード」から昭和44(1969)年に発売された1枚とはいえ、残念ながらヒットしていません。というよりも話題にもならなかったと思いますねぇ……。

それが昭和60年代になると、所謂「廃盤アワー」のブームから、突如として脚光を集めたのが、この福原真理子が唯一出していたシングル盤です。

それはAB面共に、当時流行していた哀愁路線のエレキ歌謡♪♪~♪

つまり胸キュンのマイナー歌謡モードによる乙女心のせつない歌を、エレキギターをメインに厚いストリングスやドライヴするエレキベースで彩った、まさにサイケおやじが大好きな世界です。

実際、サイケおやじはラジオの特集番組で聴いた瞬間、もうレコードが欲しくて、しんぼうたまらん状態♪♪~♪ そこで暇さええれば、というよりも、暇を作って中古屋を漁りましたが、結果は出ません。

そこで同好の友人にも協力を願い出て、果報を待つ手も打ちました。そして、ついに……。

ところが、せっかく発見されたブツは、私のところには届きませんでした。

何故ならば発見者の友人が、すっかり気に入って、自らの所有物にしたという、至極当然の帰結となったのです。

正直、この時は頭にきましたですねぇ……。なんというか不条理に憤るというか、自分の運の無さを嘆くというか……。ちなみに発見者の友人は歌謡曲には全然興味が無く、ジャズやボサノバのコレクターだったんですが、同時に美女ジャケレコードの蒐集家でもあったことが、私の悲運に繋がったのです。

だって、このジャケットをご覧くださいませ!

まさに福原真理子は昭和の正統派美人女優ですよ♪♪~♪

この、なんとも愁いを滲ませる佇まい、ちょいと薄幸のムード、それでいて華やかな雰囲気も併せ持った、本当にこういう人でなければ、当時は映画女優のニューフェイスにはなれなかったのですねぇ~♪ 美少女マニアの友人がイチコロにシビレるのも、無理からん話です。

しかも、これをきっかけとして友人は、完全なるアイドルコレクターへ変貌していったのですから、罪深い話です。もう、その勢いたるや、凄かったですよ。各種イベントとかファンクラブの集いとか、はっきり言えば三十代のおっちゃんがやることでは無かったです。さらにそのために、これまで自分が蒐集してきたジャズのオリジナル盤を手放したんですからねぇ。正直、家庭争議になるかと思ったほどですから、ちょっと責任を感じたりして……。

尤も、この時は私もそれを何枚も手に入れたわけですが、肝心の福原真理子のシングル盤は、どうしても入手出来ず、お願いしたジャケットはカラーコピー、歌はカセットコピーさせていただいたものが、本日ご紹介の真相です。

う~ん、それにしても最高の歌、そして中年者をシビレさせる魅惑のボートレイト♪♪~♪

願わくば、現物を手にしてから、あの世へ行きたいものです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビートルズ第五の魔界

2009-09-21 11:02:22 | Beatles

ビートルズ No.5 (Parlophone / 東芝)

私の様な世代のビートルズファンにとって、決して避けて通れなかったのが、我国独自編集による本日ご紹介のLPだったと思います。

 A-1 Long Tall Sally / のっぽのサリー
 A-2 Sie Liebi Dich / シー・ラブズ・ユー (ドイツ語)
 A-3 Anna
 A-4 Matchbox
 A-5 You Really Got A Hold On Me
 A-6 She's A Woman
 A-7 Ask Me Why
 B-1 I Feel Fine
 B-2 Komm, Gib Mir Deine Hand / 抱きしめたい (ドイツ語)
 B-3 Chains
 B-4 Slow Down
 B-5 All I've Got To Do
 B-6 I Call Your Name
 B-7 This Boy / こいつ

上記収録曲の中では、今でも要注意なのが「シー・ラブズ・ユー」と「抱きしめたい」のドイツ語バージョンでしょう。

このふたつは結論から言えば、オリジナルバージョンと同じ演奏パートのカラオケを使い、ビートルズがドイツ語で歌っている、ただそれだけのものです。しかし、それが厳然と存在している以上、これは聴かずに死ねるか! というのがファンの偽らざる心境じゃないでしょうか。

もちろん、このふたつが日本で初出となったのは、昭和40(1965)年5月に発売された、このLPです。

ご存じのようにビートルズの初期楽曲はイギリス盤がオリジナル標準とはいえ、世界各国でシングル盤のカップリングやアルバムのプログラムが異なっていました。そしてビートルズの人気が大ブレイクするほどに、それがますます顕著になっていったのは皮肉だったかもしれません。デビュー当時の代表的な二大ヒット曲のドイツ語バージョンが作られたのも、そういう流れだったと思います。

また同じ経緯から、イギリスではシングル盤オンリーの発売だった楽曲が、他国ではアルバムへの収録が望まれ、それゆえにビートルズ側の意に反したような発売順序の乱れが、当然のように起こったのです。

それはアメリカでは特に酷かった状況が、今では逆に面白さに繋がっているわけですが、日本では律儀にもオリジナル3作目の「A Hard Days Night」からイギリス盤に準拠した発売となった所為で、こうした独自編集盤によるフォローが行われたのは結果オーライだったと、今は思います。

しかしリアルタイムでは、僅か前記2曲の為にLPを買うという仕儀は、経済的な観点からだけでも、辛いものがありました。

ちなみにアルバムは全篇がモノラルミックスで、「のっぽのサリー」「Matchbox」「Slow Down」「I Call Your Name」の4曲はイギリス盤オリジナルのEPから、「She's A Woman」「I Feel Fine」「こいつ」はシングル盤オンリーで、我国では、これが初LP収録♪♪~♪ そして他の楽曲についても、イギリスやアメリカ等々では既にLP化されていたものですが、日本では初出というコストパフォーマンスの良さが確かにあるのですが……。

やはりウリはドイツ語バージョンの2曲でしょうねぇ。このあたりの商売の上手さには敬服するほどですが、逆にお蔵入りさせていたら顰蹙だったと思います。ちなみに現在のCDでは「パスト・マスターズ」で聴けるはずですよ。

ということで、今となっては無視されて当然のアルバムですが、リアルタイムではマニア泣かせのコレクターズアイテムとして、私はせつない気持で中古屋からゲットしています。

正直、曲の流れも良いとは言えませんし、我国で作られたカッティングマスターによる音も、まあ、それなりですが、やはり歌と演奏の魅力は否定出来るものではありません。そして時折に取り出して聴きたくなるのが、ビートルズの魔力なのかもしれません。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする