OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

今日は、そのまんまの歌…

2012-08-31 15:26:46 | 日本のロック

ゆきどまりのどっちらけ / 岡林信康 (日本ビクター)

バカにされているっ!

そう、思わされた事は、これまでに何度もあるサイケおやじではありますが、それにしても現在の国政は酷すぎますよねぇ……。

何の意味も無い法案審議、大儀名分も曖昧な問責の可決、自己保身に奔走する永田町の先生方の見苦しさは言わずもがな、国政に野心を隠そうともしない人気第一主義のボンクラの顔見世!?

そんな面々が烏合の衆と化しているのでは、諸外国から軽視されるのも当然でしょうし、何よりも前回衆院選で騙された国民を再び同じ失望に追い込もうと画策する、これは合法的な詐欺集団かっ!?

全く、情けないザマを晒す、それでもリーダーを自認するバカ野郎どもの後ろでは、ふんぞりかえっているお役人衆のニンマリ顔が、逆の意味で尊敬に値するような気さえしてくるんですから、ど~しようもないのが、今の我国の現状と思うばかりです。

そこで発作的に歌いたくなるのが、本日ご紹介のシングル曲!

一時は「フォークの神様」とまで崇められた岡林信康が昭和46(1971)年末頃に出した、これがなかなかゴスペルロックな名曲名唱なんですねぇ~、くやしいけれど。

実は以前にも書きましたが、サイケおやじが高校のバンド同好会に入れてもらっていた時、ボーカルの先輩が矢鱈に岡林信康を歌いたがって、それは結局、「日本語のロック」という括りにはなるんですが、個人的にはちょいと辟易していた時期がありました。

そりゃ~、確かに岡林信康が歌うロック系の演目は、それ以前の「ショボくれ」としか思えない自作のフォーク曲に比べれば、ずぅ~~っとガッツ溢れるところは感じていました。

しかし日頃の言動から、例え「日本語のロック」という逃げ道が用意されているとしても、サイケおやじには歌謡フォークと並立してのそれらをやるという潔さは持ちえず、ましてや本音では決して嫌いではない歌謡フォークに対する節操の無さを周囲に悟られることが、大袈裟に言えば恥辱……。

まあ、そんなふうな自意識過剰になっていたのですから、お笑い下さいませ。

もちろん、実際にやってみる「日本語のロック」っていうのも、これが恥ずかしながら、かなり気持良い世界なんですよねぇ~♪

そういう告白も、今は許されると思っているんですから、サイケおやじのテキトーさも極まっているわけですが、さて、そこで「ゆきどまりのどっちらけ」は、既に述べたように、岡林信康が自作のヘヴィな歌であり、それをバックの柳田ヒログループがグウィ~~ンっと盛り上げていく様は圧巻!

しかも歌詞が、これまたロックがど真ん中の良さというか、流石に直球勝負しています。

 これは 終りなのか
 これは 始まりなのか

 とてもたいくつな どっちらけ

 何度もさよならをして
 何度もこんにちはをした
 だんだん追いつめられて
 とうとう行くところがない
 行きどまりの
 何もない どっちらけ

 まだ明るくはないが
 もう充分暗い
 そろそろ何かが
 見えてきてもいいはず

いゃ~、これはまず、総理大臣に聴いてもらう他はないでしょう!

そして自ら、国民の前で、これを歌ったって……!?!?

ということで、今日は絶望と自嘲の文章になってしまいましたが、最後にちょいと真面目に国政について――

言うまでもなく、政治は人気や理想だけで出来るものではありません。ましてや「夢を与える」という言い訳を用意しての「騙し」は言語道断でしょう。

政治不信と言われて、もう幾年月、今日ほどそれが真相の実感とされている時期は無く、行政そのものが信頼を失っている事は、例えば「原発問題」だけでも、どっちらけ……。

ですから、国民は安心してお金を使えず、不況からの脱出も根本的に無理が生じていますし、あらゆるものに不信感が先立って、それが諦めに繋がりかねない恐ろしさがあると思っています。

ご存じのとおり、現在の国会の実態はベテランと新人ばっかりで、一番に仕事を分かってやっていける、当選3~5回ほどの副大臣クラスという、所謂実働部隊が、前2回の衆院選挙でごっそり姿を消しています。

これを一般の会社に当てはめてみれば、如何に仕事が出来なくなるかは言うまでもないでしょう。

サイケおやじは3年前のちょうど今日、民主党政権が誕生した時、これからは「停滞」から「消耗」の時代になると思っていたんですが、未曾有の自然災害が続いたとはいえ、それにしてもここまで酷くなるとは正直、完全に予想の範疇を超えています。

まさに、ゆきどまりのどっちらけ!?

結局、頼りになるのは自分だけ!?

と言うのは簡単かもしれませんが、それにさえも自信を持てないとしたら……、まあ、そんな悲しい事は、思うのも嫌ですねぇ~。

そこで本日もサイケおやじは、自分の好きな歌や演奏を聴きながら、こんな駄文を綴っているというわけです。

ちなみに掲載の私有シングル盤は、それでも未だ意地を通していた高校時代、自分では買えずに、妹にレコード屋へ行かせて入手した、苦し紛れの1枚という告白も付しておきます。

失礼致しました。

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モントローズ大彗星!

2012-08-30 15:41:02 | Rock

灼熱の大彗星 / Montrose (Warner Bros. / ワーナーパイオニア)

果たして現在、如何にもアメリカのハードロックバンドだったモントローズを覚えていらっしゃるのは、例えサイケおやじと同世代の皆様であっても、それは極めて少人数かもしれません。

しかし彼等の登場は、まさに衝撃でありました。

ご存じのとおり、モントローズは業界では凄腕ギタリストとして様々なバンドやセッションで重宝されながら、基本的には所謂一匹狼的な存在であったロニー・モントローズによって、1973年に結成されました。

そしてデビューアルバム「ハード・ショック! / Montrose」は今やハードロックの名盤にして、ヘヴィメタルの根源的傑作と崇められているのですが、何故かリアルタイムでは同業者や評論家の先生方には好き嫌いが激しかったようで、発売状況も世界各国でバラバラだったところに、モントローズの行く末が予見されていたのかもしれません。

なにしろ我国でも、モントローズのレコードが初めて発売されたのが、既に1974年に作られていた2ndアルバム「ペーパー・マネー」からで、しかも当時はLPを売るためには必須とされていたヒット狙いのシングル盤として、本日ご紹介の「灼熱の大彗星 / I Got The Fire」がカットされたのは、1975年春になっていました。

しかし、その衝撃度は今でも鮮烈と言う他はなく、アップテンポで唸るギターと覚え易いキメのリフ、バタバタしながら闇雲に疾走するドラムス、さらには真っ向勝負でシャウトするボーカル!

当然ながらギターソロは極めて正統派の早弾きにトリッキーなフレーズを巧みに混入させるという、その流石はプロの手練手管には、ハナからケツまでシビれさせられましたですねぇ~~♪

ちなみに同曲の演奏メンバーはロニー・モントローズ(g) 以下、サム・ヘイガー(vo)、アラン・フィッツジェラルド(b)、デニー・カーマッシ(ds) と日本盤ピクチャースリーヴの裏解説に記載されていますが、サム・ヘイガーは後にヴァン・ヘイレンに加入するサミー・ヘイガーであり、アラン・フィッツジェラルドはナイト・レンジャー、デニー・カーマッシはハート、という以降の活躍があるほどですから、その実力は侮れません。

そしてリーダーのロニー・モントローズのギターワークは既に述べたとおり、当時のギター青少年やハードロック愛好者の琴線に触れまくりのテクニックとフィーリングを兼ね備えた、ある意味では天才的なスタイルだと思います♪♪~♪

ところが一般的なセールスは伸び悩みどころか、極言すれば売れない代表選手であり、アルバムもシングルもヒットチャート云々では全く評価されなかったのが実情です。

しかし我国では発売が前後してしまった前述のデビューアルバムも含めて、ロニー・モントローズ及びバンドとしてのモントローズが残したレコードをじっくりと聴いていけば、とても「じっくり」なぁ~んて言葉は使えないほどの興奮と歓喜、胸に染み入るハードな情熱、おまけにフュージョン的な気持良さまでもが保証付きの歌と演奏ばかりなんですからねぇ~~♪

全く売れなかったのが不思議と思わざるをえません。

まあ、このあたりを冷静の考察すると、以下は某評論家の先生も唱えておりますが、リーダーのロニー・モントローズの場当たり的なバンド運営方針が宜しくなかった……!?

つまりレコーディングを重ねる毎に音楽性が変化するというか、このシングル曲「灼熱の大彗星 / I Got The Fire」が気に入ったサイケおやじが当時のロック喫茶でリクエストして聴いたアルバム諸々には正直、雑多なトラックが入り混じり、特に3rdアルバム以降は妙にキーボードが全面に出たり、曲調もレインボー風のウケ狙いに偏ったり、気抜けのビールみたいなアコースティックな歌が入っていたり……等々、それを「幅広い音楽性」と言えば、それはそれで納得も出来ますが、となればハードロック一辺倒のデビューアルバムとキャッチーなポップ性とプログレ風味を意図的に強めた感もある2ndアルバムは、狭義の意味では未完成と聞こえてしまうんですから、難しいものです。

そして実はそういう部分を巧みに監修リードしていくのがレコードプロデューサーの役目とすれば、そこには高名なテッド・テンプルマンの名前もクレジットされていますが、やはり実質的に現場を仕切っていたのはロニー・モントローズであり、結局は自分やりたい事がコロコロ変わっていたという結果なんでしょうか……?

個人的にはロニー・モントローズのギターが大好きなんで、スタイル的にも共通点が感じられるジェフ・ペックの人気名曲「哀しみの恋人達」が入っている大成功傑作「ブロウ・バイ・ブロウ」、そして「ワイアード」的なアルバムを作って欲しかったんですけどねぇ~~。

ということで、モントローズは彗星のように現れて、星屑の如く消えてしまったと書けば、このシングル曲の邦題「灼熱の大彗星」も最初っから的を得ていたわけですが、それはあまりにも悲しい現実でしょう。

そこで今こそ、モントローズの最初の2枚のLPぐらいは、真っ当に楽しまれて然るべきと思うのですが、奮闘虚しく1977年頃にバンドを解散させたロニー・モントローズが以降、ボチボチと出していくソロ名義のアルバムの方が現在密かに聴かれているという裏話(?)もあるらしいので、本人の好きなようにやってもらう事が一番と思いたいのが、往年のファンの思い入れかもしれません。

残念ながら、個人的には現在の消息を知る由もないロニー・モントローズではありますが、それでも中古盤市場でモントローズのアルバムが頻繁に出回っている事実は不滅!

気になる皆様は、とりあえず本日ご紹介のシングル曲「灼熱の大彗星 / I Got The Fire」あたりから、お楽しみ下さいませ。

グッと力が漲ってきますよっ!

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キャンドヒートとブルースロックの本音と永劫

2012-08-29 15:51:41 | Rock

Time Was / Canned Heat (Liberty / 東芝)

アメリカのブルースロックではポール・バターフィールド率いるバターフィールド・ブルース・バンドが絶対と思われがちですが、同時期にもうひとつ忘れてはならないのが、キャンド・ヒートでしょう。

まあ、そりゃ~、様々なロック史の名場面に登場し、不滅の傑作アルバムも残し、後々まで活躍するメンバーが去来したという視座からすれば、バターフィールド・ブルース・バンドの実績は揺るぎないものでしょう。

しかし白人も黒人も分け隔てなく、とにかくブルースという、アメリカが生み出した素晴らしい音楽への情熱は、キャンド・ヒートの面々にしても、引け目を感じるところは無いはずです。

なにしろバンド成立の経緯には、参加メンバーの黒人ブルース研究&レコード蒐集の行きつく姿が投影されている感が強いのです。

そして大手会社からの公式レコードデビューが1967年!

となれば、そこにはサイケデリックロックの重要ポイントであったブルースの存在に極めてジャストミートしていたのがキャンド・ヒートであり、当然ながら「モンタレー・ポップ・フェスティバル」と「ウッドストック」という、1960年代ロックを象徴した二大野外イベントにも登場し、リアルタイムで作られていたレコードもヒットしています。

で、ここで本日、特に強調しておきたいのが、音楽をやる時の気分とでも申しましょうか、簡潔に言えば、歌を歌い時に歌う、楽器を演奏したい時に演奏する、バンドをやりたい時にやるっ! というような衝動において、ブルースはやる側が一番に楽しいという真実(?)です。

中でもバンドを組んで歌い、演奏するブルースロックの快感は、それこそやった者が最高に感じる、官能的享楽でしょう。

その意味において、ブルース好きが高じてスタートしたキャンド・ヒートのブルースロックがウケたのは、そういう姿勢と意気込みがライプギグの現場に集った観客、あるいはレコードを買ったリスナーにストレートに伝わったからだと思います。

さて、そこで本日掲載したシングル盤A面曲「Time Was」は、1969年頃に発表されたキャンド・ヒートのLP「ハレルヤ」からのカットなんですが、とにかく全篇から滲み出す怠惰の雰囲気と刺激的なキメを絶妙のアクセントにする演奏、さらには何時までも延々と続けることが可能としか思えないギターソロ♪♪~♪

そんなこんなのブルースロック保守本流の魅力に溢れた名曲名演で、実際、サイケおやじも入れてもらっていたバンドでも度々、これをやろうっ! と我儘を押し通してはジコマンに浸っていた前科があるのです。

いゃ~、本当に絶妙のキメを弾いてしまうベース、鋭さと軟弱の共存がたまらないリードギター、幾分ショタっぽいボーカル等々、流石にアメリカのチャートでは見事にヒットしたのも頷けます。

ちなみに当時のキャンド・ヒートのメンバーは、黒人ブルース及びブルースマン研究に多大な功績を残したアル・ウィルソン(g,vo)、ブルースレコードの偉大なるコレクターと言われるボブ・ハイト(vo,hmc)、エレクトリックなブルースギターの隠れ名手と評価も高いヘンリー・ヴェスティーン(g)、後にはジョン・メイオールに引き抜かれるラリー・テイラー(b)、そして途中参加のフィート・ド・ラ・パラ(ds) の5人が揃っていた全盛期!

と言うのも、実はこの後しばらくして、中心メンバーのアル・ウィルソンが悪いクスリ(?)で夭折、さらにヘンリー・ヴェスティーンやラリー・テイラーの脱退、1980年頃にはボブ・ハイトの逝去……、等々の苦境困難が続く事になったからです。

しかし、それでもグループはその都度、新メンバーを入れつつ、最近でもフィート・ド・ラ・パラが率いる事でキャンド・ヒートは存続しているというのですから、ブルースロックは不滅!

というよりも、ブルースロックを演じる楽しさ、それを共有出来るリスナーの喜びこそが永劫!

そう、言うべきなんでしょうねぇ~♪

ということで、最後にちょいと裏話ではありますが、スライドギターの名人でもあったアル・ウィルソンは、ベンチャーズのドン・ウィルソン(g) の実弟であり、またラリー・テイラーが同じくペンチャーズのメル・テイラー(ds) の弟か従兄弟という繋がりを知った時には吃驚仰天!

う~ん、キャンド・ヒートって、ベンチャーズの弟バンドかっ!?

さらにアル・ウィルソンとヘンリー・ヴェスティーンを失ったキャンド・ヒートには助っ人として、これまたベンチャーズとは深い関わりを持つジェリー・マギー(g) が参加していたというのですから、所属レコード会社がベンチャーズ所縁のリバティである事も自然の流れだったんでしょうか?

とにかくそういう因縁(?)も芸能界の面白さであるとすれば、キャンド・ヒートも殊更憎めない存在と思えるのでした。

 

<付記>
文中、「アル・ウィルソンがドン・ウィルソンの弟」という件は間違えた思い込みでした。

アル・ウィルソンのプロフィールは下記にリンクさせていただきます。

http://en.wikipedia.org/wiki/Alan_Wilson_(musician)

 

 

 

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憧れのカーライフは、この曲で♪

2012-08-28 15:04:51 | Rock

ホット・ロッド・パーティ / The Astronauts (RCA / 日本ビクター)

今や我国でも夏の風物詩(?)となった感も強いサーフミュージックには、もうひとつのジャンル(?)として、1960年代前半には「ホットロッド」と称された同系の歌と演奏が作られていました。

つまり青春の恋物語には必須の「海」と「車」の後者を拡大解釈しての大量生産ということで、演じられている事そのものは所謂エレキインストやノーテンキなロケンロールなんですが、キメになっているのが車の排気音やタイヤの軋み等々のSEで、それがイントロ&アウトロ、あるいは曲構成の要所に使われていれば、それはそれで立派な「ホットロッド」として扱われていたようです。

また、もうひとつのポイントがスピード感!

特に圧倒的なアップテンポで爽快に仕上げられたエレキインストには、強引とも言える邦題を付し、無理を承知の「ホッドロッド」で売った洋楽も、当時の我国では少なくありません。

例えば本日ご紹介の「ホット・ロッド・パーティ」なるインスト曲は、エレキブームで盛り上がっていた昭和40年代中頃の我国においてはトップバンドのひとつだったアストロノウツのシングル曲なんですが、原題は掲載ジャケ写からも一目瞭然の「El Aguila (The Eagle)」なんですから、その事実だけで今日的な判断を下せば、これは噴飯物でしょう。

ところが実際にレコードに針を落してみれば、これが痛快至極のスピード感に満ちたエレキインストで、例のツインリバーブが全開というアストロノウツならではの世界が楽しめるんですねぇ~~♪

ちなみに「ホットロッド」とは、1930年代末頃からアメリカの若者の間で流行り出した改造車の事で、それが1950年代末頃になると、ますます豪気な文化になったようですが、主流として使われるのは古いフォードで、エンジンは8気筒、ボディを軽くするためにバンパーを外したり、車高やサスペンションの改造、さらにはボディの装飾も独自のペイントを施すとか、そのあたりは掲載したシングル盤のジャケ写でもご覧になれる世界です。

で、そんな車で女の子と遊んだり、公道レースに興じたり、海や山へ出かける等々が、青少年の憧れのスタイルだったんでしょうねぇ~♪

それは先日書いたアネットの「恋のビーチ・パーティ」の世界であり、しかし同時期の世界の若者の大多数は、そんな事は夢のまた夢……。

ですから、せめて音楽だけでも、雰囲気に浸りたいっ!?

そんな需要を満たす目的も、所謂大衆音楽としての「ホッドロッド」にはあったと思われます。

ただし、本当にサウンドだけで「ホットロッド」の醍醐味を満喫させるには、相応の企画と技術が必要とされる事は言うまでもなく、この「ホット・ロッド・パーティ / El Aguila」にしても、その演奏テクニックは超絶的ですよっ!

特に終始スピードが落ちず、一定のリフを演じ続けるサイド&リズムギター、それに並列して強烈なピートを作り、テンションを高めていくベース&ドラムスの存在はスーパースター級で、颯爽としたリードギターも、それがあっての幸せな結末でしょうか。

もちろんアストロノウツのメンバーはボブ・デーモン(g)、リッチ・フィフィールド(g,vo)、デニス・リンゼイ(g)、ストーミー・パターソン(b)、ジム・ギャラガー(ds) の5人組とされていますが、この演奏を聴くかぎり、超一流のスタジオセッションミュージシャンが代行参加している事は間違いないはずですし、それにしたって、ライプの現場での再現は困難を極めるでしょうねぇ~~。

もしかしたら、テープの再生速度を上げるというスタジオの詐術が用いられている可能性も否定出来ません。

しかし出来上がったものが立派な商品価値を持っていれば、それは大成功♪♪~♪

ということで、とにもかくにも、現在一番に求められているのは、颯爽した雰囲気が社会に満ちてくれる事じゃ~ないか?

等々と思わざるをえないほど、連日の国民のストレスは飽和状態でしょう。

そこでせめても音楽ぐらいは、スカッとするものを聴きたいという事から、本日はこれを出してしまったというわけです。

まあ、今更高度成長とか昭和元禄なぁ~んてことは、絶対に繰り返されない……、とは思いますが、そういう夢を持ち続けるためにも、サイケおやじは往年の名曲名演に拘っているのかもしれません。

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テン・イヤーズ・アフターのイカシたマンネリ

2012-08-27 16:01:00 | Rock

Love Like A Man / The Ten Years After (Deram / キングレコード)

何事もイメージが大切ってのは、商売の鉄則のひとつではありますが、とにかくイギリスのブルースロックでは、ライプバンドとしての評価を決定的なウリにしていたのが、本日の主役たるテン・イヤーズ・アフターでしょう。

特に我国では、例の映画「ウッドストック」で披露した「I'm Going Home」の超熱演が強烈でしたからねぇ~♪ そこでシングルを出す時には、日本盤ならではのピクチャースリーヴにステージショットを用いるのが慣例の如く!?

掲載した「Love Like A Man」も、全くそのとおりの商品になっています。

しかし、これは絶対的な必然性のあるブツで、なにしろA&B両サイドに同じ曲を収録していながら、A面はアルバム「クリックルウッド・グリーン」に入っていたスタジオテイクを編集&リミックスした45回転バージョンなのに対し、B面は前述アルバムには未収録の長尺ライプバージョンということで、なんとっ! 33回転という変則7吋盤なんですよっ!

で、肝心の曲調は思わせぶりな演出からイカシたリフをメインに据えた、これが典型的なミディアムテンポのブルースロックで、ギターを弾いている者ならば、我知らず件のリフをやってしまうに違いないほどの中毒性がニクイばかり♪♪~♪

ちなみに、前述のアルバム「クリックルウッド・グリーン」、そしてこのシングルが発売された1970年こそが、アルヴィン・リー(vo,g)、チャック・チャーチル(key)、レオ・ライオンズ(b)、リック・リー(ds) というメンバー4人が一番がっちり纏まっていた全盛期で、以降は結果的にマンネリにどっぶり……。

というのが定評かもしれません。

ところが、テン・イヤーズ・アフターも、また同系ブルースロックのバンドそのものが、実はマンネリこそが偉大なるワンパターンとして、何時の時代も人気を集める要素じゃ~ないでしょうか?

そして、その中で如何にしてキャッチーなリフを作り出せるかっ!?

あるいは強靭にして、柔軟なピート&リズムとボーカルのコラポレーションが成立させられるかっ!?

まあ、そういう部分にファン&マニアは一喜一憂させられるように思います。

ということで、ブルースロックというジャンルは今日、相当に思い入れが無ければ親しめない世界になっているような気も致しますが、まあ、それはそれとして、案外と素直に入って行けるのが、テン・イヤーズ・アフターというバンドかもしれません。

全ての音源に接する必要はないと思いますが、とりあえず本日ご紹介の「Love Like A Man」あたりから楽しむのも、ブルースロック入門も兼ねまして、テン・イヤーズ・アフターの存在意義なんでしょうねぇ~~♪

本日も独断と偏見、失礼致しました。

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ノーテンキな海辺の歌もOK♪

2012-08-26 15:45:32 | Pops

恋のビーチ・パーティ c/w Surfer's Holiday / Annette (Buena Vista / 日本コロムビア)

何時まで続くのか、この猛暑!?

ですから、例年ならば既に夏の終わりを感じさせる季節も、これから海へ出かけようっ!

そんなムードが高まってきますよねぇ~。そして、ついつい出してしまったのが、本日掲載のシングル盤であります。

歌っているアネットは、1960年代のアメリカ芸能界では典型的な「かわい子ちゃん」タレントであり、歌に映画に彼女が大活躍していた頃こそが、アメリカの最も輝いていた時期として、リアルタイムの極東の島国で暮らしていたサイケおやじと同世代の皆様は、きっと憧れの生活を見ていたと思います。

と言うよりも、アネットが出ている映画のお気楽主義、そして付随して歌ってくれる海と車と青春の恋の物語は、実はアメリカの若者にとっても、憧れがぎっしりの世界だったと思われますから、何時の時代も意想外の不滅性があるのかもしれません。

ちなみにアネットは日本でも放送されていたディズニー制作のテレビ番組「ミッキー・マウス・クラブ」で踊っていたダンスチームの花形で、1950年代末には堂々のレコードデビューも果たしていたんですが、トップスタアになったのは1963年の映画「ビーチ・パーティ」に出演してからでしょう。

と、まあ、このあたりまではアネットも、当時のハリウッドでは珍しくないアイドル扱いなんですが、実は件の映画で音楽を担当していのがゲイリー・アッシャーとロジャー・クリスチャンという、今ではビーチ・ボーイズのファンならば、決して無視することの出来ないコンビだった事から、アネットも時が経つほどにマニアックな存在に!?

なにしろ前述した映画「ビーチ・パーティ」の大ヒットにより、その続篇として翌年に作られた「マッスル・ビーチ・パーティ」という二番煎じのプログラムピクチャーでは、ついに音楽担当としてビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンが参画するんですねぇ~♪

本日ご紹介のシングル盤収録の2曲が、その3人による共作である事は言うまでもありません。

ただし、これもまた常識かもしれませんが、アネット名義のシングルバージョンは、当然ながら映画で使われたフィルムバージョンとは完全に異なる、これはこれで立派なオリジナル♪♪~♪

まずA面の「恋のビーチ・パーティ / Muscle Beach Party」は如何にもブライアン・ウィルソンが十八番のメロディ展開が楽しめる軽快なビーチソングで、サックスが前に出たホーンセクションとチープなエレキによる間奏もイカシていますが、幾分生硬なアネットのボーカルのバックに流れるビーチ・ボーイズ風のコーラスは、たまりませんねぇ~~♪

ちなみに映画本篇ではディック・ディル&デル・トーンズが歌と演奏をやっていますが、ゲイリー・アッシャーも自らのプロジェクトバンドだったスーパー・ストックスでレコード化していて、それらを比較するもの、なかなかコアな楽しみがありますよ♪♪~♪

またバックコーラスを担当しているのが、これまたゲイリー・アッシャーやブライアン・ウィルソンと因縁浅からぬハニーズと言われていますから、思わずニヤリとしてしまいます♪♪~♪

そしてB面の「Surfer's Holiday」が、これまた侮れません。

映画の中では出演者が数台の車で海へ向かう最初のシーンで使われ、そこではアネットと共演のフランキー・アヴァロンが一緒に歌い、間奏では前述したデック・ディルが刺戟的なエレキを聞かせてくれるという、なかなか素敵な名場面バージョンだったものが、ここではさらにライトタッチのアレンジが施され、サックスやピアノの間奏に強いピートのドラムスが良い感じ♪♪~♪

しかし一説によると、このアネットバージョンの「Surfer's Holiday」を実際に歌っているのは本人では無い!?

という噂も根強いんですから、真相は!?!?

まあ、そんなこんなも楽しいのがハリウッドポップスの良いところなんだと思います。

そしてアネットとビーチ・ボーイズは、ついに1965年になると映画「モンキーズ・アンクル」で共演し、主題歌「Monkey's Uncle」は劇中と同じく、アネットが歌い、バックはビーチボーイズという豪華なバージョンがレコード化されたんですから、良い時代でした♪♪~♪

ということで、夏の洋楽アイドルとしてはアネットも忘れられないひとりであり、その何も考えずに観ていられる出演映画のお気楽さも、今は失われてしまった理想のひとつと思っています。

気になる、そうした映画のソフト化事情なんですが、「マッスル・ビーチ・パーティ」は以前にレザーディスクが出ていて、サイケおやじも所有しているものの、DVDはどうなんでしょう……。

機会があれば、皆様にも、ノーテンキな夏模様を楽しんでいただきたく思っておりますが、アネットのレコードだけでも、それは充分に堪能出来るはずっ!

なにか最後に力が入ってしまいましたが、アネットには、そんな魅力もあるのでした。

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ミッシェル・ポルナレフの華麗な登場

2012-08-25 15:03:22 | Singer Song Writer

シェリーに口づけ / Michel Polnareff (Disc'AZ / エピックソニー)

1970年代の我国で絶大な人気を集めた外タレのひとりが、ミッシェル・ポルナレフでした。

ご存じのとおり、このフランスのシンガーソングライターは音楽面ばかりではなく、そのビジュアルやファッションセンス、あるいは様々な問題行動を含む私生活、そして……!?

とにかく殊更日本で生活する婦女子が憧れの対象として漠然たるイメージであった「フランス」という文化を、如何にも1970年代の感覚で演じてくれたのですから、忽ちにして人気は急沸騰しましたですねぇ~~。

もちろん、その発端となったのは昭和46(1971)年の夏、ラジオから流れ出た本人自作自演の軽快な超ポップ曲「シェリーに口づけ / Tout, Tout Pour Ma Cherie」でありましたが、それは言うまでもなく、同時期に流行っていた歌謡フォーク、あるいは欧米のシンガーソングライターが出していた歌の根底にある内省的な印象とは異なる、非常に華やかなムードが良かったんですよねぇ~♪

当然ながらフランス語の歌詞による音楽的なリズムとピートへの語感も、なかなか新鮮だったように思います。

ですから続けて出した「愛の願い」、さらに翌年には「哀しみが終わるとき」「愛のコレクション」「愛の休日」等々、如何にもの邦題を付したシングル曲が驚異の大ヒットになったのもムペなるかな、時には過剰な自己陶酔ムードの演出を入れていたあたりは、ミッシェル・ポルナレフ以外の誰がやっても、全く絵にならない世界だったと思います。

それは前述したように、レコードの世界ばかりではなく、例の「ケツ出しポスター事件」から、それをさらに誇張した全裸ヌードによる「股間帽子隠し」のショットを用いた日本盤LPジャケット!?

もう、それが堂々と発売されていたんですから、昭和元禄も完全に爛熟していた証でしょうねぇ~。

ですから特に女性ファンの熱狂は怖いほどで、同年秋に敢行された初来日公演が狂乱のルツボと化した事態はテレビニュースにもなったほどです。

しかしミッシェル・ポルナレフは決してギミックスタアではなく、幼少期からクラシックを中心にした音楽教育をみっちり受けていたそうですし、ピアノも同様、イブ・モンタンの伴奏者だった父親から、プロとしての技も伝授されていたと言われています。

そして何よりも凄いのは、そのライプステージの華麗なる演出と構成であり、昭和48(1973)年の来日公演のテレビ放送に接したサイケおやじは、半端ではない上手さのバックバンド、レコードとは全然違うロケンロール~ハードプログレな実演、さらにド派手な証明やステージ演出等々には、心底驚愕させられましたですねぇ~~♪

実際、そこでは大団円近くになると、R&Rの古典曲を連発していましたし、出来得るならば、この時のライプ映像は公式に復刻発売するべきと、強くサイケおやじは願っているんですが、そこにはおそらく一般的なイメージとしてのミッシェル・ポルナレフとは違う側面もあるにせよ、この稀代の人気歌手最良の瞬間が楽しめるものと思うばかり!

ですから我国でも影響力は絶大で、例えば同時期の沢田研二あたりはモロですが、元祖ニューミュージックのひとりでもある深町純が、そうであった事は、あえて触れるまでもないでしょう。

それとこれは当時から一部で話題になっていたんですが、基本的にフランスでレコーディングされたと思われるミッシェル・ポルナレフの初期音源には、そのセッションにゼップのジミー・ペイジやジョン・ポール・ジョーンズが参加しているというのですから、要注意!

尤も、これは2人が未だスタジオミュージシャンを専門職にしていた頃の話らしく、つまりミッシェル・ポルナレフが日本でブレイクしたのは昭和46(1971)年でしたが、本国でのレコードデビューは1966年頃でしたから、う~ん、すると英国録音!?

そういう国際性が既にミッシェル・ポルナレフにはあったのかもしれませんし、すると1973年頃からアメリカに活動の拠点を移し、全曲英語で歌ったアルバムを作っていたのも、そのゆえの事なんでしょうか?

実はミッシェル・ポルナレフの日本での人気が下降線となったのは、そのあたりに要因があるように思うんですよ……。

既に述べたように、ミッシェル・ポルナレフの楽曲は、どんなに悲痛な状況や哀切のメロディを歌っても、ネクラなムードよりはセンチメンタルな愁いが滲むところに魅力がありますし、アップテンポでの享楽的なイメージの発散は言うまでもないはずで、そうしたある種の現実離れした表現を日本人が強く感じるためには、ちょいと馴染みが薄く、お洒落な語感のあるフランス語があればこそだった!?

とサイケおやじは推察しております。

ということで、日本で紹介された時には、既にスタアになってたエルトン・ジョンを引き合いに出してまで売りこまれていたミッシェル・ポルナレフが、何時しかナイーヴな感性よりはギンギラにド派手なイメージに転化したエルトン・ジョンになってしまった時、それが逆影響とまで言われたんですから、やっぱり凄い存在だと思います。

本人にとっては1970年代後半の脱税問題、また様々な妨害(?)によって、フランスに帰国出来ず、アメリカで逼塞させられていた事がマイナス要因であったかもしれませんが、我国においては、それもまたイメージの保全に役立ったはずで、実際、現在でも度々コマーシャルにミッシェル・ポルナレフの楽曲が使われるのは、その証でしょう。

今となっては、そういうもの全てが懐かしさ優先主義の表れと決めつける事も可能ではありますが、しかし、ギリギリにキッチュなミッシェル・ポルナレフの才能と存在は、何時になっても消し去ることの出来ない領域じゃ~ないか?

本当に、そう思っています。

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これがファンクだっ! ファンキーだっ!

2012-08-24 15:11:25 | Soul

ファンキー・ベティ / Betty Davis (Just Sunshine Records / CBSソニー)

ここ数日の我国外交の見苦しいザマは、恥ずかしいやら、呆れるやら……。

相手国の非礼も異常とは思いますが、それと同じ気持になって泥仕合をやっている野田ってのは、本当に総理大臣なのかっ! 子分どものボンクラさ加減も極まっていますが、やっぱりねぇ……。

そこで、ど~せ、ドロドロやるんなら、ファンクとはスマートに演じてこそ、ファンキ~~~♪

と、本日の主役たるベティ・デイビスのお姉さまから、キツ~イお説教をぶちかましていただきましょう。

ご存じのとおり、彼女はファンションモデルであり、また有能な作詞家でもあり、一番知られているのは、今日でもモダンジャズの帝王と崇められているマイルス・デイビスの元妻にして、絶対的なファンキークイーン!

とにかくビジュアルも、やっている事も全てが、カッコE~~♪

そういうブラックミュージックの輝けるスタアであって、そのあたりは掲載したシングル盤のジャケ写からも、皆様には充分納得いただけるものと思います。

しかしそれはマイルス・デイビスとの結婚でそうなったわけでは決してなく、それ以前のベティ・メイブリー時代から各方面に作詞を提供し、ファッション感覚もモデルという職業意識以上のぶっ飛びがあったそうで、流石の帝王たるマイルス・デイビスも完全にゾッコン、イチコロにされていたのは、そのあたりに要因があろうという推察は易いでしょう。

なにしろ正式に結婚した1967年以降、まず帝王自らがスーツを脱ぎ、サイケデリックど真ん中のギンギンファッションに身を包んだばかりか、ベティ・デイビスに捧げて「Mademoiselle Marby」なぁ~んて曲まで演奏吹き込みしているんですねぇ~♪

それが隠れ人気アルバム「キリマンジャロの娘」に収録され、当然ながらというか、そのジャケットにもベティ・デイビスが登場しているんですから、いやはやなんとも、男は女で変わる!

それが証明された立派な事件(?)でしょう、これは。

また一説には音楽面においても、ジミヘンやスライをマイルス・デイビスに紹介したのが、これまたベティ・デイビスの仕業と言われていますし、結局は2年ほどで終わってしまった結婚生活も、今となっては「歴史」の一幕なのでしょうか?

もしかしたら、あの「ビッチェズ・ブリュー」だって、彼女が帝王の前に現れなければ、作られなかった??? そんな妄想さえ浮かんできますから、ますます意味深!? 同時期には夫婦付随でベティのボーカルセッションが録られていたという噂もありましたですねぇ~♪

さて、そういうベティ・デイビスですから、帝王と別れてからも周囲はチヤホヤ♪♪~♪ モータウンでの仕事やソロシンガーとしてのデビュー企画も持ち上がり、なんとっ! T.レックスのマーク・ボランの熱心な勧めにより、ついに制作発売されたデビューアルバム「ベティ・デイビス」には、サンフランシスコ周辺のファンキー&ファンクな面々が大集結し、なかなか決定的な名盤になっていますが、これについては何れ、取り上げたいと思います。

で、いよいよ本日ご紹介のシングル曲「ファンキー・ベティ / They Say I'm Different」なんですが、これは1974年に出た同名2ndアルバムからのカットながら、曲作りやプロデュースは完全に自前の世界!

前述のデビューアルバムがグレッグ・エリコのプロデュース、さらにその繋がりで豪華絢爛なサポートメンバーを集めていた事を鑑みれば、こちらはマイク・クラーク(ds) やコーネル・デュプリー(g) 等々、職人肌のミュージシャンを思いのままに操った(?)ベティ・デイビスの趣味嗜好がモロに出ているように思います。

なにしろイントロからメッチャ、ファンキーなギターが登場し、ラップ系ボーカルで何を歌っているのか、ほとんど理解不能なベティ・デイビスのボーカル! その背後で蠢くスライドギターとシャープなピートのドラムスに絡むベースの辛辣さ!!

あぁ、これで腰が浮かなかったら、ファンク&ファンキーを楽しむ遺伝子に欠けていると断言したくなるのは、例によってサイケおやじの強い思い込みです。

しかし、実際にカッコ良すぎて、ど~にもなりませんよっ!

スバリッ! こんな駄文を綴っている自分が恥ずかしくなるほどです。

ということで、ここまで潔くファンキークイーンを演じているベティ・デイビスは、実質3枚のアルバムを出してから以降は沈黙……。

今は何をやっているのかなぁ~~~。

とにかくファンキーにもスマートさ、品性が時には必要でしょう。

そう思っていたら、例の外交問題における手紙の問題なんて、バカ丸出し以外の何物ではなく、互いにキモがちっちゃい事を世界中に晒したにすぎません。

そんな思いに囚われてしまう国民が少なからず存在しているのですから、ちったぁ、自覚して欲しいもんですねぇ、リーダー各々には! 

ベティ・デイビスのイカシたファンクは、そういうバカどもにも良いクスリになるはずですよ。

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グッとシビレる木の実ナナ

2012-08-23 15:23:05 | 歌謡曲

おまえさん / 木の実ナナ (トリオ)

本来、自分にロリ趣味が無い所為か、最近はどうにもグラビア系熟女スタアが気になるわけですが、実際、壇蜜とか、本当に辛抱たまらん状態ですよねぇ~♪

さて、そんな性癖からすれば、昭和50年代の木の実ナナもサイケおやじは殊更に好きで、中でも本日ご紹介のシングル曲「おまえさん」、そしてそれを収めたシングル盤ジャケ写の個性的なエロキューションには、心底イチコロです♪♪~♪

ご存じのとおり、木の実ナナは芸能界にデビューした頃から既にバラドル的な資質が全開であり、例えばテレビオーディション番組の元祖のひとつだった「ホイホイ・ミュージック・スクール」でのアシスタントやポップス系歌謡曲を披露する溌剌とした姿は、なかなかのアイドル性と本格的な音楽性を兼ね備えたものだったと、今は思っています。

しかしリアルタイムでのサイケおやじの本音は、ミニスカートが流行する以前から、幾分露出度の高い衣装が似合うスタイルと掘りの深い面立ちから滲みでる自然体のエロっぽさ♪♪~♪

そして実際、昭和42(1967)年には洋楽カバーの「ミニ・ミニ・ロック」をヒットさせ、当時としては激ヤバに近い脚線美を披露しながら踊って歌うパフォーマンスは、最高に良かったですねぇ~~♪

ちなみに似たような事をやっていた西野バレエ団のレギュラーメンバーと比較すれば、木の実ナナには妙に玄人っぽい雰囲気があったように思うんですが、いかがなもんでしょう?

その所為か、否か、現実的には昭和40年代後半になると人気もイマイチ低迷し、テレビ出演も激減してしまった事により、ますますサイケおやじの煩悩の残像は色濃くなるばかり……。

こうして時が流れました。

噂によると彼女は本格的なミュージカルスタアを目指して渡米していたとか、国内のミュージカル劇団に出ているとか、ちょいと敷居の高い場所で活動していたのが、その頃の実情のようです。

そして木の実ナナが再びサイケおやじの手の届くところに戻ってきたのが、昭和51(1976)年に出してくれた、本日ご紹介のヒット曲「おまえさん」だったんですが、これは往年のポップス歌謡を期待すると完全にハズレます。

実は告白すると、サイケおやじは最初、この歌を居酒屋の有線で聴いたんですが、まったくそのまんまの状況ですから、これはモロに王道歌謡曲で、しかも時代的にはブルースっぽいフォーク歌謡でもあり、刹那の演歌としても超一級の名作名唱なんですから、歌っているのが木の実ナナとは気がつかなかったのが、本当のところです。

しかし、その楽曲の完成度、ボーカルとバックの演奏の見事なコラポレーションは絶対的であり、その忘れ難い印象を追求してみると、そこに木の実ナナが再び現れたんですから、驚きましたですねぇ~♪

う~ん、木の実ナナって、こんなのまで歌えるボーカリストになっていたんだぁ~~~~~!?

そこで早速、レコード屋でシングルを手に取れば、またまた歓喜悶絶のジャケットなんですから、もう、一目散に帰宅する他はない情動が!?

どうです、この衣装に、このポーズ、そしてこの表情♪♪~♪

これでグッと惹きつけられなかったら、サイケおやじは、その場で「男廃業」を自覚するばかりだったでしょう。

ちなみに、これは彼女が若い頃からのサイケおやじの思い込みだったんですが、その特有の面立ちから、出自はハーフか沖縄あたりの人かなぁ~? と推察していたんですが、実は東京生まれだったそうです。

結局、このあたりにシビれてしまうのは、サイケおやじの熟女趣味であって、当然ながら、男万人共通の趣味性では無いと思っています。

しかし作詞:阿久悠、作曲:丹羽応樹のコンビが書いた楽曲「おまえさん」は、これが本当に良い歌謡曲の決定版! もちろん木の実ナナの歌いっぷりは絶妙のプレス、つまり溜息まじりの節回しが最高の極みですよっ!

 あたしが あたしが 悪かったよぉ~~♪

なぁ~んて、せつなく彼女に歌われてしまっては、帰らない男はいるんでしょうか?

ということで、このジャケ写にして、この歌有り!

あまり王道歌謡曲では語られることの少ない木の実ナナかもしれませんが、やっぱりそれも素敵だと思っています。

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残暑お見舞い、夏よおまえは

2012-08-22 15:51:58 | 歌謡曲

夏よおまえは / ベッツイ&クリス (日本コロムビア)

残暑お見舞い、申し上げます。

言いたくはありませんが、出張していた隣国が幾分涼しかったんで、もうグッタリ気味……。

しかし、だから休めるというはずもないんで、とりあえず本日ご紹介の歌でも口ずさんでいる次第ですが、これがなかなかアンニュイな夏の終わりの心象風景♪♪~♪

歌っているベッツイ&クリスはジャケ写からも一目瞭然、所謂出稼ぎ外人のフォークデュオで、昭和44(1969)年秋頃に歌謡フォークの傑作曲「白い色は恋人の色」をデビュー大ヒットさせた事は皆様もご存じのとおりです。

彼女たちの魅力は日本男児の弱みである「白人女のかわいこちゃん」である事に加え、ナチュラルに素人っぽいムードと不思議な余韻を残す日本語による節回しだとサイケおやじは思っています。

それは実際、ハワイからやって来たという公式履歴はともかくも、衣服越しにも感じられるムチムチとした肢体の存在に反するような歌とコーラスの清涼感は、今も忘れられるものではありません。

またテレビ出演とか芸能誌の企画等々では、時にとんでもないほどの和風衣装を着せられたり、お約束とも言える夏場の水着姿やキワドイ衣装も良かったんですよ♪♪~♪

そのあたりは掲載したジャケ写からもお楽しみいただけると思いますが、実は告白しておくと、サイケおやじはどちらがペッツイなのか? クリスなのか? 今も分かっていなんですねぇ~~。

まあ、それはそれとして、やはりペッツイ&クリスとして楽しむのが王道なのかもしれません。

さて、そこで肝心のシングル曲「夏よおまえは」なんですが、作詞は麻生ひろし、そして作曲が井上かつおによる、シンミリ系フォーク歌謡の決定版!

何度聴いても、せつなくなるんですが、これは我々男がアコギ弾き語りで演じても、けっこう「絵になる」名曲だと思いますねぇ~♪

また、ちょいと不確かな記憶なんですが、歌謡フォークの他のグループやデュオも競作か、あるいはカパーバージョンを出していた記憶がありますから、やはり楽曲そのものの魅力は各方面で認められていたのでしょう。

そして当然ながらベッツイ&クリスのバージョンは昭和45(1970)年の夏に大ヒット♪♪~♪ その刹那のムードゆえに、秋に入ってもウケていた事は言うまでもありません。

ということで、これもまた、今こそ皆様挙って楽しむに値する名曲名唱と思います。

ちなみにベッツイ&クリスは往年のテレビ恒例企画「あの人は今……」にも登場する事度々でしたが、最近はど~しているんですかねぇ。実は先日、某中古レコード店に彼女たちのアナログ盤LPが纏まって出ていたんで、ちょいと気になっています。

もしかしたら、何か復刻ボックス物でも発売される前触れでしょうか?

う~ん、気になりますねぇ~~~。

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