OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

何時の間にか西崎みどり

2012-11-30 15:38:44 | 歌謡曲

旅愁 / 西崎みどり (ミノルフォン)

自分にはほとんどロリ趣味は無いんですが、それでも美少女は?

と問われれば、西崎みどり♪♪~♪

そう、答えてしまうのが発作的なほど、彼女は刷り込まれた存在です。

ご存じのとおり、西崎みどりは幼少の頃から既に西崎流日舞の宗家を襲名していたほどの芸達者であり、同時に美少女モデルとして活躍し、昭和42(1967)年頃には7歳にしてレコードデビュー! 確か翌年には田端義夫とのデュエット(!)曲「ねんねん舟唄」を大ヒットさせているんですねぇ~~~。

サイケおやじが「刷り込まれた」のは、ちょうどその頃、彼女が所属するミノルフォンレコードが持っていた歌謡番組に毎週登場していた可憐な存在ゆえの事ではありますが、もちろん個人的なお目当ては山本リンダでありながら、同等の比重で強い印象を与えられたのが、西崎みどりでありました。

しかし当時は、あくまでも子役であり、とてもサイケおやじの性癖云々では語れない存在だった事は言うまでもないでしょう。

そうして時が流れました。

西崎みどりは芸能界で活躍しつつも、日舞の世界の仕事(?)もあったのでしょう、些か中途半端なスタアになりかかっていた昭和49(1974)年、久々に出した歌謡大ヒット曲が、本日掲載したシングル盤A面曲「旅愁」でした。

それは作詞:片桐和子、作曲:平尾昌晃による畢生の昭和歌謡曲であり、テレビ時代劇「必殺シリーズ」の主題歌でもあったわけですが、何んと言っても心惹かれるのがジャケ写に登場している彼女の佇まいです。

あぁ、美少女と言わずして、どうなるものでしょう。

しかし、これはサイケおやじが自主的にゲットしたブツではありません。

実は最近交流のある韓国の仕事関係者から頼まれて、先日中古屋で入手してきた中の1枚なんですよ。

つまり韓国人の某氏は西崎みどりの大ファンであり、それは在日だった小学生の頃からの継続らしいんですが、韓国籍を得て本国で暮らすようになった時には例の日本語の歌は禁止令があったそうで、表向きは日本のレコードなんか買えなかったそうです。

ところが今は堂々と自らの趣味性を言えるようになったとかで、西崎みどり熱が再燃したらしいですよ。

そこでサイケおやじは頼まれて、まずは彼女のレコードをあれこれ中古で物色したというわけなんですが、それにしてもあらためて「旅愁」は名曲名唱だと痛感させられましたですねぇ~♪

ということで、現在手元には西崎みどりのアナログ盤が何枚も集まっていますが、なにかそうなってみると、約束とはいえ、韓国の某氏に渡すのが惜しいような……。

そんな気分にさせられてしまうんですから、美女とレコードの世界は罪深いですよ。

いや、もしかしたら自分自身が少年時代に刷り込まれた西崎みどりの魅力に目覚めたという事なんでしょうか?

自分では埒外と思っていたロリ趣味が、もしもこれで覚醒したら、それはそれで成り行きというものかもしれませんが……。

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だからホリーズが好き♪♪~♪

2012-11-29 16:27:23 | Hollies

懐かしのガソリン・アレー c/w Dandelion Wine / The Hollies (Parlophone / 東芝)

ほとんど我国では流行らなかった中でも、個人的に忘れられないほど好きな洋楽ポップスが、本日掲載したホリーズのシングル盤A面曲「懐かしのガソリン・アレー / Gasoline Alley Bred」です。

もちろん本国イギリスで発売された1970年秋には、以前ホリーズに在籍していたリーダー格のグラハム・ナッシュが新グループのクロスビー・スティルス&ナッシュ、さらにはニール・ヤングまでもが加わったクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングで既に大ブレイクしていましたから、その頃になっても保守的なスタイルを貫いていたホリーズサウンドは、些か時代遅れというイメージがあったのかもしれません。

しかしホリーズファンにとっては、それこそが黄金律であり、永遠に続いて欲しいものに他なりません!

不肖サイケおやじも全くそのひとりとして、ラジオで最初に聞いた瞬間から、購入する為の乏しい小遣いの算段に覚悟を決めたほどです。

ちなみに当時のホリーズはテリー・シルヴェスター(g,vo)、アラン・クラーク(vo,hmc)、トニー・ヒックス(vo,g,etc)、バーナード・カルバート(b,g,key)、ボビー・エリオット(ds,per) という顔ぶれでしたが、グループのウリだったハイトーンのコーラスワークと歯切れの良いギターサウンドは健在♪♪~♪

というよりも、グラハム・ナッシュが主導して、結果的にリアルタイムではそれほどの評価を得られなかったサイケデリック期から一転、本来の小型ビートルズ的な味わいと爽やかポップス中心主義の融合に立ち返った王道路線がグラハム・ナッシュ脱退後のホリーズであり、それを時代遅れとか言われるのは心外であり、ふ~ん、分かってないなぁ~~、と突き放すのも、ホリーズファンの醍醐味(?)かもしれませんねぇ、まあ、ちょいとイヤミではありますが。

ただし、それでも納得出来ないのであれば、この「懐かしのガソリン・アレー / Gasoline Alley Bred」のキャッチーな楽曲構成の秘密の一端として、作者のクレジットを確認すれば、そこには英国産ポップスの良心であったデヴィッド&ジョナサンの正体であるロジャー・クック&ロジャー・グリーナウェイ、そして同系のエジソン・ライトハウス等々をプロデュースし、優れた楽曲を提供し続けたトニー・マコウレイという黄金のトリオが名前を連ねているんですから、もう何も言いません。

虚心坦懐にメロディとハーモニーの魔法に身を任せれば、心地良いロックビートの爽やかな風に気分は良好♪♪~♪

あぁ~、これがホリーズの真髄なんですねぇ~~~♪

ちなみにここで気になるのが「ガソリン・アレー」という言葉であり、ちょうど同じ時期に世に出されたロッド・スチュアートの名盤アルバム「ガソリン・アレイ」でしょう。

ご存じのとおり、ロッド・スチュアートは件の自己リーダーLPのド頭にその「Gasoline Alley」を入れ、シングルカットでヒットさせていた真っ最中でしたから、このふたつの曲に共通するメロディの味わいは、これ如何に!?!

このあたりは実際に聴いていただき、感じていただく他はありませんが、所謂英国的哀愁みたな「モード」は確かにあると思います。

しかしロッド・スチュアートがそれで押し切ったところをホリーズは、一部で留めてのポップス性重視の個性を堪能させてくれますから、その意味でB面に収録されたトニー・ヒックス作の「Dandelion Wine」が、単なるホンワカムードのカントリーロックで終わっていない事も特筆物!

う~ん、短いながらも、このどっかで聞いたことのあるようなデジャヴな聴覚刺激が、たまりませんねぇ~~♪ もう、ずう~~っと浸っていたい心地良さがあります♪♪~♪

ということで、とにかく素晴らしいシングル盤であります。

しかも自分の好きなものには、きっちり理由がある事も証明されていて、それは既に述べたとおり、一発でシビれさせられたA面曲「懐かしのガソリン・アレー / Gasoline Alley Bred」の作者クレジットに顕著でした。

この三人の書いたものにも、サイケおやじは全てを奪われてしまうというわけです。

そしてホリーズがそれを演じてくれるという、殊更の幸せに万歳!

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モータウン元ネタ先祖帰りの名曲

2012-11-28 14:54:07 | Soul

Band Of Gold / Freda Pyne (Invictus / 東芝)

1960年代後半から1970年代中頃にかけて、それこそ世界中のポップスファンをシビれさせたバブルガムヒットの数々は、定説としてアメリカの黒人ポップスだったモータウンサウンドの剽窃ではありますが、しかしモロにそれをやっていたわけじゃ~ない事は、皆様ご承知のとおりです。

つまり制作側の創意工夫があっての事で、例えばイギリスのトニー・マコウレイにしろ、我国の筒美京平にしろ、モータウンサウンドやそれに関連するノーザンビートの黒人歌謡ヒットを土台にしつつ、それぞれのお国柄に合わせたリメイク(?)をやっていたと思います。

しかし、それはアメリカでも同様であった事は言わずもがな、些か本末転倒ではありますが、具体的には所謂ダンヒル系のグラス・ルーツあたりに代表される諸作ヒットに顕著でしょう。

そしてもうひとつ無視出来ないのが、黒人側からの白人ポップスの創成というか、もちろん1960年代の全盛期モータウンサウンドには、そうした側面があったわけですが、大衆音楽の最先端がサイケデリックロックの時代以降は、黒人音楽も後のニューソウルの萌芽の如き混濁フィーリングを滲ませるようになりましたから、セールスも限定的に……。

さて、そこで原点回帰を目指したのでしょうか、モータウン系サウンド工房では中心的役割を務めていたブライアン・ホーランド、ラモント・ドジャー、エディ・ホーランドのソングライターチーム、通称H=D=Hが本家から独立する形で1969年に発足させたのが、インヴィクタスというレベールでした。

そして狙いは往年のモータウンサウンドの再生と進化!?!

無論、それは楽曲やサウンドプロデュースだけではありません。中心となる歌い手の存在こそが一番重要ということで、特に本日ご紹介のシングル曲「Band Of Gold」と、それを歌ったフレダ・ペインは忘れ難いスタアでありました。

しかし、ここまで書いてきた事をサイケおやじが知ったのは、例によっての後付けです。

リアルタイムでは前述のグラスルーツとか、イギリスのエジソン・ライトハウス、我国のポップス歌謡等々に浸り込んでいたところから、そのルーツを探索する過程と言えば大袈裟でしょうが、ある日突然にラジオから流れてきた件の名曲名唱にハッとさせられたのが発端となり、様々に調べた挙句の経緯なのです。

とにかくイントロから重心の低い溌剌ピートを叩き出すドラムスとベースの共謀、そして背後にはキャッチーなリフが提供され、しかもキュートな声質と素直な節回しでシンプルなメロディを歌ってくれるフレダ・ペインのナチュラルな上手さは絶品♪♪~♪

おそらくバックの演奏はモータウン所縁のファンクブラザーズ、つまりアール・ヴァン・ダイク(key) やピストル・アレン(ds) 等々がやっているんでしょうねぇ~♪ だって、これは1970年の制作ヒットながら、サウンドのフィーリングは丸っきり1960年代中頃の味わいですからっ!

とすれば、フレダ・ペインのボーカルが失礼ながらダイアナ・ロスっぽく聞こえてくるのもムペなるかなです。

もちろんサイケおやじは一発で曲も歌手も好きなり、特にフレダ・ペインには殊更夢中にさせられたわけですが、なんとっ!? ここでサイケおやじをシビれさせる以前にはジャズボーカリストとしてのキャリアもあり、名門レーベル「インパルス」で作られた彼女の実質的なデビューLPが最高の仕上がりになっている事はジャズ者には常識と言われるほどです。

また、これも後追いで知ったんですが、クインシー・ジョーンズの自伝によれば、彼女とは不倫関係にあったとか!?

う~ん、ジャケ写からも一目瞭然、フレダ・ペインは美人歌手の典型であり、しかもグラビアモデルもやっていたそうですから、当時は19歳だった彼女にクインシー・ジョーンズが夢中になったのも納得されますねぇ。当然ながら、前述のインパルス盤の実質的なプロデュースは? という推察も易いでしょう。

閑話休題。

そこで肝心の話に戻りますが、サイケおやじがフレダ・ペインの歌う「Band Of Gold」で目覚めたのは、それがなかなか白人っぽいポップス感に彩られていたからでしょう。

今更言わずもがなの事実ではありますが、筒美京平の洋楽パクリの上手さは原曲元ネタよりも素晴らしいメロディやアレンジを作ってしまう才能の凄さであり、リアルタイムの最新ヒットを研究し尽くしていたに違いないとすれば、この「Band Of Gold」も俎上にあったと確信するところです。

それがトニー・マコウレイにも該当するであろう事は、同時代に作っていた前述エジソン・ライトハウスの一連のヒット曲等々で明らかでしょう。

逆に言えば、「Band Of Gold」を作り出したインヴィクタスの制作者達も、同様の意識で白人ウケを狙っていたんでしょうねぇ~~~。

そうしたロックフィーリングの導入は、きっちり後のボズ・スキャッグスやドゥービー・ブラザーズあたりに受け継がれていくわけですが、その意味でもフレダ・ペインのジャズもソウルも見事に融合させた歌いっぷりは流石だと思います。

ということで、サイケおやじのソウル歌謡趣味を導いてくれたのが、フレダ・ペインの「Band Of Gold」でありました。まあ、今となっては彼女の偉大なキャリア中では、それほど大きな意味合いがあるとは思えないかもしれませんが、機会があれば皆様にはお楽しみいただきたい名曲名唱です。
 

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旅の途上の足留め…

2012-11-27 14:47:28 | Weblog

悪天候で飛行機が……。

中途半端なところで足留めされて、いやはやなんともです。

まあ、自然の猛威には勝てないということで、本日の1枚は休載ご了承願います。

昨日掲載の歌「旅に出てみたら」とは内容違いとはいえ、因縁を感じている次第です。

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ウィッシュに怖いほど魅了され

2012-11-26 15:26:05 | Singer Song Writer

旅に出てみたら / ウイッシュ (Atlantic / ワーナーパイオニア)

ちょい遅れのご報告ですが、土曜日にやったおやじバンドの今期初ライブは、特参の熟女さんボーカリストが観客動員もやってくれた事から、なかなかに盛り上がり、まあ、内輪ウケという感も強いのですが、やっぱり嬉しかったです♪♪~♪

そこで早速、打ち上げの席で次回演目の話が出るのも当然であり、しかも今や一座の大スタアとなった件の熟女さんの希望が強くなるのも、これまた必然!

なんとっ! 彼女がやりたいと言いだしたのが、本日ご紹介の歌謡フォーク「旅に出たみたら」なんですねぇ~~~。

う~ん、如何にも昭和40年代後半の雰囲気がモロのジャケ写、そこに登場している女性デュオこそが、ハートウォームな歌を聞かせてくれるウイッシュという美人姉妹です。

実はそこでの話からして、どうやら彼女は小学生の頃には、こういうフォーク歌謡が大好きだったそうで、掲載したシングル盤も彼女の私物なんですが、コピー用に借りて聴いてみると、これが爽やかなAOR風味のカントリーロックなんですから、気に入ってしまいましたよ♪♪~♪

ちなみにウイッシュは既に述べたとおり、伊豆丸礼子と伊豆丸幸子の姉妹であり、昭和47(1972)年頃のメジャーデビュー前は福岡で活動していたそうですが、演目のほとんどは伊豆丸礼子の作詞作曲によるオリジナルですし、主にリードを歌うのが妹の伊豆丸幸子であれば、そこには絶品のハーモニー&コーラスはお約束以上!

ですから、ご紹介のシングル曲「旅に出たみたら」にしても、発売された昭和48(1973)年春の空気感までもが、たっぷりと歌われているんですねぇ~~♪

告白すれば、ウイッシュを完全ノーマークであったサイケおやじは、温故知新以上の楽しみを発見したわけです。

あぁ~、出ているんなら、復刻CDを買ってしまいそうですよ♪♪~♪

ということで、ウイッシュもピンクピクルスやシモンズ、ジャネッツ等々の女性歌謡フォークデュオの系譜に登場しているわけですが、この「旅に出たみたら」には隠し味的な洋楽フィーリングが感じられますので、もしかしたら、もう少し以前のペッツイ&クリスからの影響も強いのでしょうか?

尤もピンクピクルスにしろ、シモンズやジャネッツにしろ、やはり基本的な影響はペッツイ&クリスのブレイク無くしては語れないと思いますので、さもありなん!?

後のタンポポにもダイレクトに繋がる存在感も、ウイッシュの大きな魅力だと思います。

いゃ~、歌謡フォークの奥の細道に踏み込みそうな自分が怖いですよ……。

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ビートルズの終わりの始まり

2012-11-25 15:07:18 | Beatles

Come Together c/w Something (Apple / 東芝)

説明不要、1969年秋に発売された両面大ヒットの名盤シングルですが、今となっては、これを以ってビートルズ終焉の始まりと位置付ける向きもあり、サイケおやじも賛同に吝かではありません。

ご存じのとおり、この2曲は実質的にビートルズ最期の輝きを記録したLP「アビイ・ロード」にも収められていますし、メンバーはシングルカットを望んでいなかった内幕も様々に伝えられていますが、結局はマネージメント側の事情が優先された企画商品でありました。

実は当時、新しくビートルズのマネージャーに就任したのが、悪名高き(?)アレン・クラインであり、その契約によってシングルヒットが出れば、自分の懐が潤うという商売熱心! さらにはジョージの楽曲管理会社にもアレン・クラインが関与していたという、お金が大好き症候群による「Something」の熱烈支持があったのです。

しかしそんな裏事情よりは、冷静になって聴いてみても、「Something」は今日でもジョージの最高傑作という認知が一般的であり、前述のLP「アビイ・ロード」の中でも傑出した名曲でしょう。なにしろポールが嫉妬し、ジョンも感服していたという噂以上に、それはリスナー全ての共通認識だと思います。

ちなみに英米のオリジナルシングル盤では両A面扱いでありながら、どちらかといえば最初は「Something」がプッシュされていたという現実にも、それが表れているんじゃ~ないでしょうか。

ただし、歴史的にはアメリカのビルボード誌のチャートの場合、「Something」が3位、一方の「Come Together」がトップにランクされた事実も侮れません。

つまりそれだけジョンの代表作のひとつである「Come Together」のインパクトは絶大! 前述した「アビイ・ロード」でも、アルバムの幕開けを飾るA面ド頭に置かれた真実はひとつでありましょう。

なにしろ如何にもジョンらしい曲想はヘヴィロックなサイケデリックソウルですからねぇ~♪ イントロの「シュ~ッ」という掛け声が、実は「Shoot Me」だったという噂も後年の悲劇を思えば怖くなりますし、個人的には何を伝えたいのか意味不明の歌詞にさえ、不思議な説得力があるように感じます。

ちなみに、この歌が最初は選挙用キャンペーンソングとして作られたという説は本当なんですかねぇ~~???

しかし、それはそれとして、もうひとつ「Come Together」が問題を起こしたのは、これがR&Rを創成した神様のひとりだったチャック・ベリーの「You Can't Catch Me」の盗作!

と断定的に訴えられた事です。

この騒動は日本でも、まあ、それなりに伝えられ、問題のチャック・ベリーの楽曲もラジオで流されたりしたんですが、個人的にはどこが似ているの???

なぁ~んていう感覚しか残っていません。

当然ながら、ジョン本人も心外だったと思われますが、結局は裁判沙汰の敗訴から、あの人気カパーアルバム「ロックンロール」が作られる布石が打たれたんですから、結果オーライと言えないこともないでしょう。

このあたりの経緯は後日、もう少し書き足す所存です。

ということで、「Something」が大名曲認定を受けたことにより、以降のジョージは自信満々にソロ活動で秀作を発表出来たように思いますし、ジョンにしても、その盗作騒ぎが無ければ、果たして往年の名曲カパーを1970年代に歌ってくれたかは、何の確証もありません。

そして些か確信犯的な思い込みではありますが、大傑作アルバム「アビイ・ロード」には、実はポールの決定的な名曲名唱が入っていないという、これは恐るべき現実でしょう。

もちろん「Oh! Darling」の見事なR&Bの剽窃、「You Never Give Me Your Money」や「Golden Slumbers」といった小品の巧みな連鎖的構成が、アルバム全篇に美しき流れを作り出した事は、ポールの功績かもしれません。それ無くしては、果たして件の「アビイ・ロード」が成功していたかも疑わしいのですが……。

しかしそれとして、ジョージの「Here Comes Th Sun」やジョンの「I Want You」の前では、些か苦しい立場というか、自分を無理に納得させんがための言い訳と思えるのです。

そして、これまた穿った事を書けば、当時のポールはスランプだったんでしょうか……。そう思えば、この前作シングル盤もジョンとジョージ路線の「ジョンとヨーコのパラード c/w Old Brown Shoe」でしたからねぇ。

つまり、やっぱりビートルズはレノン&マッカートニー体制の崩壊、創造の終末期にあったのかもしれません。

ただし、それでも未だ屹立する大傑作アルバム「アビイ・ロード」、そこに収められた秀逸な名曲群の流れ中で絶対的な発言力を誇示しているのが、「Come Together」と「Something」である事は意味深です。

う~ん、日本盤シングルのピクチャースリーヴでは、ポールの煮詰まったような表情が、これまた印象的に思えるのでした。

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シェリーを聴いて、固める決意!

2012-11-24 11:38:53 | 歌謡曲

甘い経験 / シェリー (日本ビクター)

さてさて、実は本日が今期のおやじバンドの初ギグでありまして、テンション上げるべく、今もあれこれやっているわけですが、やはりこれまでの練習が気持ばっかりで、みっちり参加出来なかったんで、昨日は夕方からメンバーにグリグリにシゴかれました。

まあ、一応はパート練習だけでもと思って、それなりにやってはいんたですがねぇ……。

しかし、覚悟は出来たというか、ウケなくとも落ち込まない免疫だけは既に持っているのが強みでしょうか。

また、今回はボーカルで特参してくれた熟女さん、そして彼女の娘さんが相当に歌えるんで、これはなかなかイケそうなんですよ。

もちろん演目も合わせて増やし、本日掲載のシングル盤A面曲「甘い経験」は「ぶりっ子ロケンロール」の決定版として、潔く現役JKのお嬢様に歌っていただく段取りになっています。

う~ん、流石は作詞:山上路夫&作編曲:馬飼野康二の仕事は素晴らしいですねぇ~♪

聴いて良し、やって良し!

そういう大衆音楽のリアルな真実を見事に作り出していますよ♪♪~♪

ちなみにオリジナルで歌ったシェリーは、ジャケ写からも一目瞭然、フランス系ハーフと紹介された昭和50年代が絶頂期のアイドルで、実は歌の世界よりも所謂バラエティ番組を中心に売れまくった元祖バラドルのひとりでしょう。

特に日本テレビ系列で放送されていた「うわさのチャンネル」でのハチャメチャぶりは、そのキュートな容姿とは裏腹の毒舌や過激な態度で、今も強烈なイメージを焼きつけられた皆様も絶対に大勢いらっしゃるはずです。

しかし一方、ボーカリストとしての確かな実力も侮れず、良く伸びる声質は、この昭和49(1974)年のデビュー曲「甘い経験」から全開♪♪~♪ まさに当時の流行であったオールディズ調の歌謡オリジナル曲を以降も出していく布石になったと思います。

また、これは言うまでもありませんが、その頃の男性週刊誌のグラビアや表紙に登場する事も多かった、所謂グラビアアイドルとしても人気がありましたですねぇ~♪ 

というか、実は決してグラマーではない、その幼児体型がロリマニアの嗜好にはジャストミートであったという側面も、今となっては貴重な存在でした。なにしろキワドイ衣装や水着姿ばかりか、確か後にはヌードも入った写真集を出していたんですから!?!

ということで、それでも10年ほどは芸能界の第一線で活躍したシェリーも、引退後は飲み屋のママになったとか、近年はすっかり体型が膨らんでしまったとか、そんなこんなを「あの人は今……」企画で知る事もあります。

しかし案外と忘れられている歌手としてのシェリーも、ここらで再評価が望まれるところです。

それは初期のオールディズ系歌謡ポップスから中後期の大人っぽいニューミュージック歌謡曲まで、なかなかツボを押さえた上手さが楽しめるのです。

うむ、ベスト盤CDが出ていたら、ゲットしようかなぁ~~~♪

という決意を胸に秘め、これからおやじバンド、やってきますっ!

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タンポポは姉妹のフォークデュオ

2012-11-23 15:41:26 | 歌謡曲

縦縞のシャツを着て / タンポポ (ワーナーパイオニア)

我国の歌謡フォークでは女性デュオの需要が相当にあって、ジャネッツ、ピンクピクルス、シモンズ等々が人気を集めましたが、昭和50年代前半に活躍したタンポポもサイケおやじは忘れられません。

なにしろ昭和52(1977)年には、イーグルスの代表曲「Hotel California」の日本語カパーを出してしまったという暴挙(?)がありますからねぇ~~~。

しかしタンポポは決してキワモノではなく、宮村保志子と宮村三代の姉妹による素晴らしいハーモニーと歌声がウリだった実力派であり、最初は関西ベースのインディーズだった「京都レコード」に所属しながら、全国配給は「ワーナーバイオニア」だったんですから、今となってはマニアックな領域でも、リアルタイム以上の人気があると言われています。

実はサイケおやじは当時、前述した日本語バージョンの「Hotel California」を某居酒屋の有線で聞き、その刹那の訳詞というか、替え歌っぽい作詞というのが正解なのかもしれませんが、とにかくあまりにも際立ったカパーの遣り口に圧倒され、しかもそれを演じていた綺麗なコーラスワークに耳を奪われたのが、タンポポとの出会いでありました。

いや、正確に述べれば、その時は誰が歌っているのかさえ不明でしたから、例によって納得するまでの探索癖で、その姉妹フォークデュオの存在を知ったという事です。

さて、そこで掲載したシングル盤は昭和51(1976)年秋に発売されたらしい、おそらくは公式4枚目のレコードなんですが、特にA面収録の「縦縞のシャツを着て」は素晴らしいですねぇ~♪

なにしろ作詞作曲:小椋桂、編曲:萩田光雄という制作スタッフの匠の技以上に鮮烈なのが、宮村姉妹による美しすぎる歌声とハーモニーの魔法ですから、これには今でも聴く度にグッと惹きつけられてしまいますよ♪♪~♪

もしもCD化されているのなら、ひとりでも多くの皆様に聴いていただきたいと願うばかりです。

ということで、最後になりましたが、きっかけとなった件の「Hotel California」の歌詞を書いたのは、なかにし礼!?

その事実に突き当った時の驚愕感も、これまた鮮烈でありました。もちろん所謂「良い仕事」とは言えないかもしれませんが、それがなかったら結果として、サイケおやじはタンポポという素敵な姉妹デュオに興味を抱く事も無かったわけですから、不遜にも全てを良しとするべきでしょうねぇ。

なかにし礼先生、ありがとうございます。

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石田ゆりって、不思議さん?

2012-11-22 15:22:14 | 歌謡曲

悲しみのアリア / 石田ゆり (東芝)

デビューから、あっという間に引退してしまった石田ゆり……。

しかし、それゆえにサイケおやじは忘れ難い印象を抱いています。

なにしろ彼女は、いしだあゆみの妹であり、宝塚音楽音楽学校でみっちりと芸能の基礎を仕込まれ、それこそ鳴り物入りで昭和45(1970)年秋にデビューした歌謡ポップス界期待の星でありました。

しかも掲載した最初のシングル盤A面曲「悲しみのアリア」が作詞:なかにし礼、作編曲:筒美京平という、これぞっ! 哀愁の名曲だったんですから、スタア候補生以上の扱いであった事は間違いありません。

いゃ~、刹那の歌詞を彩るフォーク調のマイナーメロディを小細工無しの素直な節回しで披露するところが、石田ゆりの持ち味でしょう。

絶妙の素人っぽさも良い感じ♪♪~♪

 この悲しみは 何処から来るのでしょう
 この淋しさは 何処から来るのでしょう

う~ん、それにしても、この最初のフレーズは今も不滅ですよっ!

また、それをさらに増幅してくれるのが、おそらくはハーモニカがリードするイントロの胸に染み入るせつなさです。

全く、今頃の季節にはジャストミートの必殺技でしょうねぇ~♪

ちなみに昨日、これを聴いていたら、テレビでは鳩山某が政治の世界から引退するとかで、最後まで「悲しい戯言」をタレていましたが、あんたには、この歌が分かりますか?

思わず心底、悲しくなっちまいましたよ……。

ということで、ジャケ写ポートレイトの石田ゆりは、何か白眼の多い眼差しが違和感と新しい美意識の鬩ぎ合いみたいで??? 正直に言わせていだければ、とても一般的な美人ではないと思います。

しかし、そのユニセックスな持ち味(?)ゆえに、存在感は抜群であり、既にご存じのとおり、作詞家のなかしに礼との結婚から、僅か1年ほどで芸能界を去った現実さえも、些か夢のような気しているほど……。

ですから、今となってはテレビの懐メロ番組に登場する可能性も低いでしょうし、リアルタイムの映像も公式復刻は望めないかもしれませんので、気になる皆様は彼女の歌声とジャケ写だけでもお楽しみ下さいませ。

不肖サイケおやじには、そうした彼女の印象が大切な思い出になっているのでした。

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既に圧巻の長谷川きよし

2012-11-21 15:53:55 | Singer Song Writer

別れのサンバ c/w 歩きつづけて / 長谷川きよし (フィリップス)

好きな歌や演奏をレコードやCD等々で聴く場合と生ライプで接する時では、その印象が大きく異なる現実は、今更述べるまでもないとは思いますが、少なくともサイケおやじが邂逅した長谷川きよしという天才から受けた衝撃は、生半可なものではありませんでした。

ご存じのとおり、長谷川きよしは全盲というハンデがありながら、透き通った声質による絶品のボーカルと卓越したギターテクニックで聞かせる独自の世界を持ち、しかもそのほとんどを自作自演か個人的主張の強いプロデュースによって構築しているのですから、どんなに言葉を尽くしても、語りつくせるものではありません。

そして正直に告白すれば、サイケおやじは最初にラジオで「別れのサンバ」という、とても素敵な歌謡ボサノバが好きになり、次にテレビに登場した長谷川きよし本人が、とても視力を失っているとは思えないほどのパフォーマンスを披露してくれた事により、感動とか驚愕とか、そんな月並な表現以上のインパクトに襲われました。

つまり、もっと直截的に言えば、目が見えないのに、なんでこんなに凄いギターで歌えるのかっ!

心底、失礼でも、なんでもない、まさに感服!

それが昭和44(1969)年末頃の話ですから、以来既に40年からの時間が過ぎていながら、それは少しも薄れることがありません。

速攻で「別れのサンバ」のシングル盤をゲットしたのは言うまでもありませんが、イメージ的には和製ホセ・フェリシアーノという路線で売られていた長谷川きよしも、その本質にはシャンソンやボサノバはもちろん、所謂ワールドミュージックの領域を歌謡曲に活かしたものという印象です。

その意味でB面の「歩きつづけて」が、実にお洒落で気分はロンリーな歌謡フォークである事も、充分に納得させられてしまいますねぇ~~♪

ということで、とにかく「別れのサンバ」のギターパートだけでも、実演に接すると驚かざるをえません。本音を言えば、レコードでのギターはセッションミュージシャンがやっていたのかもしれませんし、サイケおやじも思い込んでいたんですが、ライプでは本人が、さらに凄いギターワークを披露してくれるんですから、存在感は圧倒的でしょう。

長谷川きよし、本当に凄いです!

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