OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

追悼:梅図かずお ~ トラウマにも感謝あるのみ

2024-11-05 16:26:34 | 追悼

天才漫画家として、殊更サイケおやじの世代にはトラウマ的存在だった梅図かずおの訃報に接しました。

ここ何年かは新作も発表されず、なにやら逼塞されていた感もありますが、故人が描いた夥しい傑作は例えば「紅グモ」「へび少女」「赤んぼ少女」「猫目小僧」等々、少女~少年雑誌で発表していた初期ホラー作品の怖さは過言ではなく、常軌を逸していた仕上がりで、もちろん、そこには細密にしてインパクトの強い画風と人間心理の奥底に誰しもが秘めている意地悪な感情や哀感が子供向けの漫画を超越したエグ味で描かれていましたから、いよいよ「漂流教室」「おろち」「洗礼」「わたしは慎吾」「神の左手悪魔の右手」等々、大人の読者すらも翻弄する聖典の数々は、永久に読み継がれていくにちがいありません。

また、言わずもがなの破天荒ギャグ漫画「まことちゃん」の破壊力(?)にしても、ある意味じゃ~、嫌悪感すら覚えさせられるほどのストレート勝負に徹した成果でありましょう。

何れにせよ、現代の「シバリ」の多い創作活動の世界では、表現そのものに躊躇せざるをえない諸々が、オンタイムでは……、すんなりと受けられられ、怖さと笑いを整理不能のままに我々へ提供してくれた故人の天才性には、あらためて感服させれるのみです。

さて、そんな作品群の中から、サイケおやじが少年時代に夢中にさせられたのが昭和42(1967)年に少年画報へ連載発表の「笑い仮面」でして、物語は太陽黒点の活発な活動によって奇形誕生が続発した「アリ人間」の研究を続ける式島博士が昭和15年、日本軍による弾圧から「笑い仮面」を頭部に溶接圧着された姿で戦後まで生き延び、昭和30年代中頃から一般社会に警鐘を鳴らすも、笑い仮面の容姿の所為で、様々な恐怖と怪奇な事件を……、という展開だったんですが、中でも式島博士が「笑い仮面」を強引に頭部に焼き付けられる場面の怖さは、完全にトラウマですよっ!

いゃ~~、梅図かずお作品の中では、それほどの評価もされていないとはいえ、これが忘れられないというサイケおやじと同世代の皆様だって、少なくないと思っております。

ということで、故人については、とてもとても……。

本日は唯……、一言……、梅図かずお、永遠なれ!

合掌。

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泣きぬれて、酔い痴れて、合掌

2024-08-01 17:24:59 | 追悼

泣きぬれて / 園まり (ポリドール / 日本グラモフォン)

また今日も、大好きな人の訃報についてブログを綴らねばならないのは、本当に悲しいです……。

それでも、そうした衝動こそが、愛おしい人への心からの供養になればという思いも拭いきれないという……。

その人こそは、昭和歌謡史の荒野に咲いた可憐な花一輪という園まりです。

サイケおやじが故人の最大の魅力と思っているのは、十八番のムード&フェロモン歌謡においても、決してベタベタせずに哀切の感情表現を滲ませてくれる歌唱力でして、例えば本日掲載のシングル盤A面曲「泣きぬれて」は昭和43(1968)年10月という、芸能界は正にGS歌謡が真っ盛りの時期に出してくれたスローテンポのムード歌謡であり、作詞:山口あかり&作曲:平尾昌晃が企図したところは、悲恋に泣きぬれる女心の哀切ですから、森岡賢一郎が施したアレンジもラウンジ系のジャズっぽさが強く、しかし、それでも園まりは歌謡曲保守本流の節回しを決して外さない「まりちゃんのフェロモン唱法」を聞かせてくれるんですから、たまりません (^^♪

極言すれば、これぞっ!

大人の世界の歌謡曲であり、当時は多感な十代を過ごしていたサイケおやじには本来知り得ない味わいでありながら、テレビ出演時に「泣きぬれて」を歌ってくれる園まりには、ゾクゾクさせられた鮮烈な記憶が残っております。

そして当然ながら、サイケおやじは今でも聴く度にシビレてしまうのが、この「泣きぬれて」ですから、ここに刻まれているギターの味わい深いフレーズを今夜はコピーしてみようかなぁ……。

そんなふうにも思いつめさせられている次第です。

ということで、園まりについては、とてもとても、語りつくせぬものが夥しくあり、サイケおやじの稚拙な筆では書き表せぬほど……。

ですから、せめて皆様には、故人が残してくれた素晴らしいレコードをご紹介するのが、精一杯でございます。

あぁ……、おそらくは様々なメディアで追悼特集が組まれるであろう今後に希望・期待するところは、デビュー当時からの映像の集成であり、また殊更リマスター復刻して欲しいのが昭和42(1967)年新春に封切られた主演映画「夢は夜ひらく(日活・野口晴康監督)」です。

これは奥村チヨ、布施明、ドリフターズ等々のナベプロ組も出演していて、共演の渡哲也や高橋英樹あたりよりも、個人的に強い印象を残してくれた人気作なんですが、ど~なりますか (^^;

あぁ……、園まり、逢いたくて、もう一度……。

合掌。

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ブルース&ブルースロックに殉じたジョン・メイオール

2024-07-26 17:29:55 | 追悼

The Blues Alone / John Mayall (Decca)

   A-1 Brand New Start
   A-2 Please Don't Tell
   A-3 Down The Line
   A-4 Sonny Boy Blow
   A-5 Marsha's Mood
   A-6 No More Tears
   B-1 Catch That Train
   B-2 Cancelling Out
   B-3 Harp Man
   B-4 Brown Sugar
   B-5 Broken Wings
   B-6 Don't Kick Me

英国ブルースロック創成期から活躍した大御所ジョン・メイオールの訃報に接しました。

説明不要とは思いますが、故人のバックバンドたるブルースブレイカーズにはエリック・クラプトンピーター・グリーンミック・テイラーという、ブリティッシュロックを全盛期に導いた偉大なギタリストが去来した事から、その師匠格として尊敬を集めながら、同時に自らの音楽性が過小評価されていた感が無きにしもあらず……。

実際、ジョン・メイオールと云えば、前述した3人のギタリストの他にも、後にフリートウッド・マックをピーター・グリーンと共に立ち上げたジョン・マクヴィー(b) やミック・フリートウッド(ds)、エリック・クラプトンと共に爆発的な人気と功績を残したクリームのジャック・ブルース(b)、職人肌のプレイヤーだったエインズレー・ダンパー(ds) やキーフ・ハートリー(ds)、ジョン・ハインズマン(ds) 等々、あまりにも有名なプレイヤーを起用し、世に出していましたからねぇ~~、それゆえの反動も確かにあったと思えば、1967年に制作発表した本日掲載のLP「ブルース・アローン」の味わい深さも、なかなか侮れないと思っております。

なにしろ、アルバムタイトルどおり、故人がギター、ベース、ピアノ、オルガン、ハーモニカ、ドラムス等々を多重録音した演奏パートをバックに縦横に歌いまくったセルフリーダー作であり、収録楽曲も、まあ……、どっかで聞いた事があるみたいなところはあろうとも、その自作自演の強みを活かした仕上がりは、ブルースとブルースロックへの愛がみっちり詰まった滋味溢れる裏名盤じゃ~ないでしょうか。

正直、サイケおやじは最初、前述した大物プレイヤーが参加していないので、あまんり期待して聴いたわけではありませんでしたが、一旦針を落としたが最後、ハナからケツまでグッと惹き込まれてしまいましたですねぇ~~ (^^♪

ちなみに、演奏パートは正確には約半数のトラックでキーフ・ハートリー(ds) が助っ人参加してはいるんですが、ソンナノカンケ~ネェ~~!?

―― とばかりに歌い、演奏する故人のブルースロック魂は本物であり、ブルースに対する愛の深さみたいなものを感じてしまうんですよ、サイケおやじは (^^♪

極言すれば、何かしら嬉々としてやっている雰囲気が滲み出た作品集という気さえしております (^^♪

ということで、ジョン・メイオールについてはサイケおやじが稚拙な筆を弄するまでもなく、とにかくも残してくれた多くの音源や映像を楽しむ事によって、自ずと尊崇の念が沸き上がるのであれば、それが故人への供養にもなるんじゃ~なかろうか……。

あまりにもご都合主義の追悼文ではありますが、今は衷心よりご冥福を祈念するばかり……。

ジョン・メイオール、永遠なれっ!

合掌。

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追悼:門倉有希

2024-06-07 18:58:47 | 追悼

ノラ / 門倉有希 (ビクターエンタテインメント=CD)

唐突としか思えない……、それは門倉有希の訃報です……。

もちろん、これまで報じられていたとおり、彼女は5年ほど前から乳癌と闘いつつ、健気に歌手活動を続けていた姿は、サイケおやじにしても逆に勇気をもらってしまうほどでしたから……。

故人の歌手としての本領は演歌 ~ 正統派歌謡曲というジャンルの中で、個人的には絶妙のロックフィーリングを滲ませた節回しが持ち前のハスキーな声質にジャストミートしていたところが大好きで、そのあたりは今では自らが告白した紆余曲折の恋愛&男女関係から精神的なダメージを乗り越えての境地なのでしょうか、それゆえの悲壮感もイヤミにならない歌唱力には捨て難い魅力を感じてしまいます。

そして中でも平成10(1998)年に出した本日ご紹介のシングル「ノラ」は代表的なヒット曲となり、カラオケでも定番ソングとして今日でも歌い継がれていることは言わずもがな、サイケおやじも大好きな名曲にして、門倉有希の名唱と思うばかりっ!

ちなみに作詞:ちあき哲也&作曲:徳久広司から提供の「ノラ」は決して彼女のオリジナルヒットでは無く、実力派シンガーとして今も活躍している木下結子が平成元(1989)年に出したバージョンこそが本家本元ですし、様々な歌手による多数のカバーレコーディングが残されている中にあって、やはり門倉有希のバージョンが大ヒットしたのは既に述べたとおり、独特のロックフィーリングがあるからだと思うんですが、いかがなものでしょう。

今泉敏郎のアレンジも、そのあたりを上手く活かして、イイ感じなんですが、気になる皆様であれば、それらの聴き比べも興味津々じゃ~ないでしょうか。

閑話休題。

ということで、門倉有希は享年50……。

あまりにも早過ぎると思うのはサイケおやじだけではありますまい……。

今は衷心よりご冥福を祈るばかりでございます。

どうか……、安らかに……。

合掌。

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追悼:ディッキー・ベッツ

2024-04-20 18:45:38 | 追悼

Ramblin' Man / The Allman Brothers Band (Warner Bros.)

サイケおやじが大好きなギタリストのディッキー・ベッツが逝った……。

そうです……、あらためて述べるまでもなく、オールマン・ブラザーズ・バンド創成期からウリだったツインリードをデュアン・オールマンと共に成立させる、その華麗にして、泥臭いスタイルのギターを存分に響かせていた才人は、もちろん天才として崇められるデュアン・オールマンとは常に比較され、率直に言って所謂「五厘下がり」の存在ではありましたが、そのデュアン・オールマンの急逝後、バンドを牽引する目覚ましい活躍は、それゆえに一方のスタアであったグレッグ・オールマンとの対立が表面化しようとも、今日まで揺るぎない実績と評価を得ているのは、離散集合が確かにあったオールマンズというブランドを不滅にしている証でもあったと思っております。

で、それが最初に確立されたのは、1973年に発売されたアルバム「ブラザーズ&シスターズ」であった事は、これまた説明不要!

そこで披露されていたブルース&カントリーロックが所謂スワンブ&サザンロックの完成形のひとつであったとすれば、件の「カントリーロック」風味を担っていたのが故・ディッキー・ベッツであり、就中アップテンポで軽やかに演じられる「Ramblin' Man」こそは、故人が自作自演とも云える傑作トラックであり、以降のオールマンズのライブギグにおいてはハイライトを形成する人気曲♪♪~♪

ですから、シングルカットされたのも当然が必然だったんですが、各国のシングル盤はアメリカ盤や日本盤等々、あまり感心しない短縮バージョンに編集されていたのは実に勿体ない現実で、つまりは前述アルバムに収録のオリジナルバージョンを聴いていただきたいという、レコード会社やバンドサイドの意向だったのでしょうか……。

しかし、それはそれとして、やはり「Ramblin' Man」はディッキー・ベッツの代名詞でありましょう。

さて、そこでトップに掲載したのは、それをノーカットで収録した欧州プレスのシングル盤であり、当然 45 回転仕様ですから、なかなか迫力のサウンドが楽しめるんですねぇ~~♪

そしてディッキー・ベッツのギタリストとしてのイメージはギブソン・レスポールでありましょうが、必ずしも、それだけでは無いという現実もありながら、やはりレスポールのゴールドトップ!

つまりサイケおやじの憧れのギタリストでもあり、メジャースケールをメインとしたカントリーリックは分かり易くて、コピーすれば、するほどに難しい世界です。

そのあたりは前述アルバム「ブラザーズ&シスターズ」に収録された、これまた人気トラック「Jessica」でも堪能出来ますよねぇ~~♪

ということで、故人に関しては、まだまだ書き足りないところが多々ございますが、本日は、ここまでとさせていただきます <(_ _)>

近年、オールマンズ関連の音源発掘も深化、まだまだ「お宝」が出てきそうな予感もありますし、当然ながら、ディッキー・ベッツの関連も然りでありましょう。

サイケおやじは自分が生かされている同じ時空で、素敵なギターを聴かせていただいた故人には心から感謝です。

合掌。

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追悼・TARAKO:歌の世界も…

2024-03-18 17:48:24 | 追悼

誘惑ゲーム / TARAKO (キャニオン)

掲載したのは先日、突然の訃報が伝えられた声優・TARAKO が、それと並行してのシンガーソングライターとしてのキャリアを今に伝えるシングル盤で、発売されたのは昭和59(1984)年9月とはいえ、結果的には空振り……。

しかし、彼女は既に前年にはLPも制作発表していたほどの本格派だった事は、もっと世間一般に知られるべきかもしれません。

何故ならば、サイケおやじは昔の彼女を知っている友人から、既に高校生の頃からライブハウスでギターの弾き語りをやっていたという、TARAKO の裏歴史(?)を聞かされておりまして、一応は声優の仕事に就きながらも、生活の為にバイトを重ねながらも、歌っていたそうですからねぇ~~!?!

まあ……、個人的には、あの「まる子ちゃん声」は、あまり正統派歌手には向いていないと思ってはいるんですが、それでもアルバム先行で公式レコードデビューを果たしているあたりは、業界に認められていたのでしょう。

で、気になる掲載盤A面曲「誘惑ゲーム」は作詞:TARAKO&作編曲:平賀和人と
クレジットされているアップテンポの産業歌謡ロックであり、前ノリで歌う TARAKO のアニメ声が良い方向へとプロデュースされている高感度は侮れません (^^)

もちろん、好き嫌いはあるでしょう。

それでも声優として、ひとつの時代を作った TARAKO の才能を語る時には欠かせない記録として、今後も聴かれ続けるものと思っております。

ちなみに、TARAKO 名義の歌唱盤は、それなりに発売されておりますが、時代的にアナログ盤としてのブツは少ないと思えば、このシングル盤はコレクターズアイテムの可能性も!?

既に述べたとおり、LPは中古市場で見かける事も多く、またアニメ関連の楽曲でも TARAKO 名義のレコードは出回ってはおりますが、シンガーソングライターとしての活動に限ってはっ!

―― という言い訳を最後に弄しておきますね (^^;

そもそも、これを入手した経緯にしても、纏め売り中古盤の1枚でしたから (^^;

ということで、アニメや漫画の世界での偉人訃報では、鳥山明の訃報にも驚かされた事は、あらためて……。

衷心より合掌。

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追悼・冠二郎 ~ 旅の終わりに涙する

2024-01-19 17:50:03 | 追悼

旅の終わりに / 冠二郎 (日本コロムビア)

この年末年始は有名人の訃報が相次ぎ、その中ではアクション演歌で人気を集めた冠二郎が元日に鬼籍に入られた事を知りました。

良く知られているとおり、故・冠二郎には長い下積み時代があり、それでも歌の実力は認められていたのでしょう、昭和42(1967)年の公式デビュー以来、それなりにシングル盤を出し続け、ついに平成4(1992)年、前述したアクション演歌の大ブレイク曲「炎」によって若年層にも受け入れられるスタア歌手となったわけですが、それゆえに正統派歌謡曲のファンからはキワモノ扱いを受けていたのも、また事実でした。

しかし、それでも冠二郎という歌手が支持されていたいたのは、昭和52(1977)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「旅の終わりに」が当時、強い印象を残すヒット曲になっていたからであり、加えて作詞:立原岬=五木寛之&作編曲:菊池俊輔が提供の件の「旅の終わりに」はロングセラーヒットになって当然という決定的な傑作曲!

実際、八代亜紀や藤圭子、他にも大勢の男性歌手によってカバーバージョンが制作されたほどなんですが、やっぱり冠二郎のオリジナルバージョンには独特の哀愁が滲み出ているあたりは、既に述べたとおり、長い下積み時代の諸々があるからでしょうか。

実は、この「旅の終わりに」は五木寛之の小説「海峡物語」と「旅の終わりに」をベースにした連続テレビドラマ「海峡物語(テレビ朝日)」の劇中歌としてレコーディングされたという経緯があり、主題歌は内山田洋とクールファイブの「ふたりの海峡」だったんですが、物語進行のキーポイントになっているのは落ち目になって隠棲した歌謡曲のプロデューサー=芦田伸介が件の楽曲「旅の終わりに」の制作に再起を賭ける!

―― という展開でしたからねぇ~~、それは江藤潤が演じる新人歌手のデビュー曲という設定ながら、実際は毎回の様に冠二郎のアテレコの歌声がハードボイルドな物語展開とリングして流れるとあっては、ヒットするのも当然が必然!

放送されていたのは昭和52(1977)年の春から秋だったんですが、その終了後に間髪を入れずに世に出た冠二郎の「旅の終わりに」は、待ってましたの売れ行きだったわけです。

ちなみにテレビドラマ「海峡物語」の劇中には主役の芦田伸介が育てたという設定になっている八代亜紀と再会する名場面があったと記憶していますので、追悼の再放送を強く望んでいるのはサイケおやじだけでは決して無いと信じる次第です。

ということで、冠二郎はド派手なアクション演歌と共に、こ~ゆ~哀愁演歌も持ちネタにしていた実力派でありました。

皆様ご存じのとおり、故人は以前に病気療養していた時期があり、それゆえに復帰後は往年の濃すぎる熱血歌唱が薄れてしまった晩年、だからこそ、深い味わいが歌唱表現に加わり、この「旅の終わりに」も尚更に哀切感を込めて歌っていたんじゃ~ないでしょうか。

サイケおやじは以前、全盛期の冠二郎のステージギグに接した時、当たっていたアクション演歌路線とは真逆とも云える「旅の終わりに」が同時に披露されていた事に感銘を受け、それはシンミリとした泣き節でありましたですねぇ~~。

そんなこんなを思い出してしまうもんですから、本日は「旅の終わりに」を取り出したというわけです。

衷心より、合掌。

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追悼・八代亜紀 ~ 絶唱、そして……、もう一度逢いたい

2024-01-10 14:51:11 | 追悼

港町絶唱 / 八代亜紀 (テイチク)

八代亜紀の訃報に接し、昨夜から聊か茫然自失……。

昨年秋からの闘病・休養は知らされていたとはいえ、その直前までテレビの歌番組等々で元気なお姿を見せてくれていたので、難病とはいえ、近いうちに再び、素晴らしい歌を聴かせてもらえるものと信じていた次第です、それも普通に……。

ところが……、やはり急逝としか思えない悲報には、あらためて無常観を覚えるばかり……。

故人が八代亜紀として我々の前に登場して以降、全く「歌の力」の存在を確信させるが如き活動は、残してくれた音源の全てが絶唱であり、歌謡曲全盛期の昭和50年代をリードし、全てのリスナーを和ませ、感動させ、シビレさせた彼女の歌声は正に八代観音・亜紀菩薩でありましょう。

そして発売されたシングル曲は全てがヒットした中で、追悼の意を込めた1曲のご紹介など、あまりにも不遜ではありますが、サイケおやじが特に聴きたくなって針を落したのが、昭和55(1980)年に出してくれた本日掲載のシングル盤A面曲「港町絶唱」でして、これは「舟歌」「雨の慕情」から続く作詞:阿久悠&作曲:浜圭介から提供の三部作の最後を飾った名曲であり、その三部作全てを編曲した竜崎孝路の手腕の冴えも、八代亜紀の個性を存分に堪能させてくれるは秀逸な仕事!

ここでのそれは正統派演歌 ~ ニューミュージックをも包括したドラマチックにして、決してお仕着せがましくない、絶妙の物語として展開されているんですから、これは八代亜紀でしか表現しえない歌謡世界でしょう。

実は、この「港町絶唱」は名曲であるがゆえに他の歌手によって、幾つかカバーバージョンが制作されてはいるんですが、失礼ながら、その何れもが本家・八代亜紀には云々という結果は言わずもがなです。

近年は、あまり公の場では披露されない八代亜紀のヒット曲のひとつにして、裏傑作と云えば、それは贔屓の引き倒し!

こ~ゆ~、哀しい女の性を歌わせては孤高の存在であった故人は、正に「演歌の女王」であったのと同時に、そのハートウォームな人柄の良さは、例えば近年放送されていた彼女の冠テレビ番組「八代亜紀、いい歌いい話」におけるゲストを交えての楽しい雰囲気からも伝わってまいりましたですよ。

また、歌謡曲に留まらない幅広い音楽性に基いた歌の世界は、ジャズやブルースばかりか、例えばヘビメタ歌謡とも言える「MU-JO」等々、夥しく残してくれた音源・楽曲は未来永劫、聴き継がれるにちがいありません。

最後になりましたが、やはり八代亜紀と云えば、デビュー当時から所謂「彫の深い」面立ちとスレンダーにしてメリハリを感じさせる抜群のスタイルでしたから、美人歌手の代表格でありながら、ある意味での「アクの強さ」からお笑いのネタにされていた時期があったのも、大スタアの証であったはずですし、近年ではグッと質量を増した佇まいに猫顔というところから、やはり慈愛・慈悲を庶衆にもたらす歌謡の女神になっていた気がしております。

ありがとう、八代亜紀!

素直な気持ちは、もう一度逢いたい!

衷心より、合掌。

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追悼:キラー・カーン

2023-12-30 17:34:19 | 追悼

年の瀬に、キラー・カーンが逝った……。

そんな……、とても信じられない訃報に接し、本日は絶句です……。

また、最近は人気力士・寺尾=錣山親方や実力派プロレスラーとして活躍した木戸修の訃報が続いていた事も気を滅入らせるわけで……。

とはいえ、サイケおやじとしては追悼の意を記せずにはいられません。

そ~です、日本人でありながら、モンゴル人ギミックのプロレスラーとして全米で大暴れしたキラー・カーンの存在は、この先、百年・二百年経ってもプロレスという文化が語られる時、必ずや挙がる名前でありましょう。

それは大巨人として最強のプロレスラーだったアンドレ・ザ・ジャイアントの足を折ったという、これぞっ!

悪役プロレスラーとしての勲章と実力を世に知らしめた事件ばかりではなく、大相撲からプロレスに転向して以来、日本プロレス~新日本プロレスで培ったシュートの実力と天性の巨体で表現するパフォーマンスの絶妙のバランス、そして言うまでもなく、怖いルックスと佇まいがあればこそ、殊更アメリカのプロレス界では常にトップの人気を誇り、観客を大ヒートさせていた実績は不滅!

サイケおやじは幸運にも、そ~した全盛期のキラー・カーンのアメリカにおける試合を幾つか生観戦出来たんですが、その会場・観客の熱気は物凄く、中には本当にキラー・カーンを殺害しようとしてナイフや猟銃を携えていた馬鹿野郎も散見されるほどでした。

もちろん、そんなキラー・カーンの試合はド迫力で、爆裂モンゴリアンチョップに説得力抜群のニードロップは余人の真似出来る必殺技ではありませんし、丈夫な肉体を活かした危険な受け身もヒールレスラーの証でありました。

あの前田日明でさえ、一目置いていたほどなんですよ。

ところが、本人は所謂「人が良い」性格というか、他人に利用されてしまった事が度々あったらしく、莫大なギャラのピンハネや仲間と思っていたレスラーの裏切り、組織の中の非情等々に翻弄されていた事も今では公然の秘密?

そんなこんなが重なり、また諸々の事情から、まだまだ全盛期であった昭和62(1987)年に引退!?!

以降は飲食業・タレント業等々に専念し、プロレス界には絶対に復帰しないという決意を実行していたのは、様々なトラブルにも流されなかったキラー・カーンの男の道だった様に思います。

報道によれば昨日、自身が経営する飲食店内で倒れ、そのまま急逝されたとの事……。

キラー・カーンの試合映像は今でもネットで多数観戦出来ますし、容貌とは幾分懸け離れたハイトーンボイスで聴かせる歌の上手さ、そして何よりも、人を楽しませる事に徹していた人生こそが、キラー・カーンの生き様であったんじゃ~ないでしょうか。

キラー・カーン、どうぞ安らかに……。

サイケおやじはキラー・カーンを忘れませんっ!

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追悼・大橋純子

2023-11-11 17:13:03 | 追悼

キャシーの噂 / 大橋純子 (フィリップス)

大橋純子の訃報に接しました……。

近年は癌を患い、闘病していたという現実は知っていましたが、それにしても……。

あぁ……、驚異のボーカリストとしての大橋純子に初めてサイケおやじが邂逅したのは昭和50(1975)年だったんですが、その時から正式にレコードデビューした当初のカバー曲メインの持ちネタから、オリジナル楽曲中心主義に転じたのは翌年5月に発売された傑作LP「ペイパー・ムーン」を制作していた頃で、そこにはアルバムタイトル曲以外にも秀逸なトラックばかりが収められている中にあって、本日掲載のシングル盤A面曲「キャシーの噂」は堂々のシングルカット!

それは作詞:松本隆&作編曲:林哲司という、今となっては所謂ニューミュージックの黄金コンビの提供作ですから、ハズレが無いのは当然が必然であり、しかも演じられていたのは羽田健太郎(key)、岡沢章(b)、村上秀一(ds) という俊英リズムセクションをバックに従えたキーボード・ファンク歌謡なんですから、たまりません (^^♪

もちろん、粘っこいミディアムテンポのファンクビートをバックに幾分歌謡曲どっぷりな歌詞の世界を節回す大橋純子の歌いっぷりは最高の極みで、殊更ラストパートのハイトーンボイスの響きと余韻は真骨頂!

なによりも、彼女が持ち前の「歌心」を強く感じさせられてしまうんですねぇ~♪

もちろん、大橋純子は「ペイパー・ムーン」「シンプル・ラブ」「クリスタル・シティー」「燃えつきて」「ミスター・スマイル」「スターライト・トレイン」「たそがれマイ・ラブ」「サファリ・ナイト」「シルエット・ロマンス」等々、ヒット曲&人気曲の他にも、全てが名唱と言うべきレコーディングを夥しく残してくれましたし、ライブギグやテレビ出演等々も多かったので、まだまだ、これから我々を楽しませてくれる音源・映像が世に出る事は確実だと思っています。

そしてサイケおやじは決して大橋純子を忘れません!

素敵な歌をありがとう、大橋純子、永遠なれ!

合掌。

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