■レッツ・ダンス・ベイビー c/w ボンバー / 山下達郎 (RCA)
しばらく日本を離れている間に様々な出来事・話題が続発していたのは、まあ……、それが世の常、これまでも度々あった浦島現象(?)ではありますが、流石に今回の山下達郎騒動には強い違和感を覚えてしまったサイケおやじです。
もちろん、リアルタイムでの騒ぎの広がりについては、完全に後追いで知った情報ばかりとはいえ、やはり数か月前から社会問題化していた「故・ジャニー喜多川氏の性加害問題」を批判した音楽プロデューサーの松尾潔を山下達郎本人が深く経営に関わっている芸能事務所「スマイルカンパニー」から契約途中解除で放逐し、おまけに自分がDJを務める、云わばワンマン番組として長くラジオで放送されている「サンデー・ソングブック」で公式な言い訳としか思えない「ジャニーズ擁護」の発言から、最後には ――
このような私の姿勢をですね、忖度あるいは長いものに巻かれているとそのように解釈されるのであれば、それでも構いません。
きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう。
―― という、実に強烈なファン突き放し宣言としか思えない決意表明!?
既に述べたとおり、サイケおやじはリアルタイムでのラジオ放送は聴けませんでしたので、知り合いから件のラジオ番組の音源ファイルを送付してもらっての後追い聴取だったんですが、これには……、長年のファンであったサイケおやじにしても、納得出来かねるものが確かにありました……。
あらためて述べるまでもありませんが、山下達郎は基本的に保守的な人物だと思えば、やっている音楽そのものにしても、決して時代に迎合したサウンドやメロディは作っておらず、むしろ所謂オールディズ感覚に満ちた作風の中に自らが信じた音楽的要素を取捨選択した芸風(?)が、あの特有の「達郎節」の個性として受け入れられていると思っておりますし、平たく言えば、サイケおやじの趣味趣向と山下達郎のそれが合致するところが多いというあたりは、以前に記した「山下達郎との出会い」という拙文で掲載しております。
つまり……、なかなか山下達郎は頑固な性格であり、義理と恩義を大切している心情は、今回の騒動中でも浮彫りになっているわけで、それはジャニーズ事務所とのベタベタな関係というか、もちろんビジネスに関しての「持ちつ持たれつ」の相互信頼は、他人が否定するべきものではないでしょう。
それでも、前述したラジオでの発言「きっとそういう方々には私の音楽は不要でしょう」と言い放たれてしまえば今後、山下達郎の音楽を聴く事は「故・ジャニー喜多川氏の性加害問題」を肯定・容認する事になっちまう気がするんですよ、サイケおやじは……。
古くからのファンには説明不要とは思いますが、山下達郎は自らのリスナーを突っぱねながらも、それなりにファンを喜ばせるサウンドを追求していたはずですし、逆に言えば、山下達郎本人の趣味性で作っている様々な楽曲が受け入れられている今日までのキャリアからしても、ここらで一定の距離間を作ろうとしての発言だったとしたら、なんとも……、やるせない気持ちしかありません。
さて、そこで本日掲載したのは、山下達郎がソロシンガーとなって初めて公式発売されたシングル盤でして、まずは何と云っても山下達郎がブレイクする端緒となった作詞:吉田美奈子&作編曲:山下達郎によるB面曲「ボンバー」が、これが世に出た昭和54(1979)年初頭のサイケおやじを感涙悶絶させた和製ファンク歌謡の決定盤!
それは、山下達郎が、おそらくはアイズリー・ブラザーズを意識して作り上げたであろう、ファンキーロックであり、スラップ&チョッパーの妙技を披露するエレキベースの印象的な使い方があればこそ、血沸き肉躍るとは、こ~ゆ~歌と演奏だと思いましたですねぇ~~♪
また、一方のA面曲「レッツ・ダンス・ベイビー」は山下達郎が作編曲した軽やかなメロディラインにカーティス・メイフィールドやトッド・ラングレンの味わいを塗した、これが素敵なポップス歌謡なんですが、驚いた事には、ここでの作詞が演歌&歌謡曲保守本流で活躍する吉岡治!?!
―― だったという真相は、後に知ったところによれば、楽曲そのものがキング・トーンズに提供したものだったというのですから、当時の山下達郎の下積みを披歴する証左かもしれません。
ちなみにライブの現場では、この「レッツ・ダンス・ベイビー」をやると、途中の歌詞 ――
心臓ぉぉぉ~にぃ、指鉄っ砲ぉぉぉ~~♪
―― のパートで観客がクラッカーを鳴らすという恒例行事があり、山下達郎本人も演奏を一瞬中断させるという、ありがたくない(?)「お約束」が昭和の時代にはあったんですが、最近は……、ど~なんでしょうかねぇ~~ (^^;
もう、かなり長い間、山下達郎のライブステージには接していないサイケおやじとしては、時には説教ジジイと化しているらしい御大の寛容な姿勢が懐かしいとも思えますが、だからこそ、今回の騒動における自らの立ち位置を明確にした発言・態度は、なにやら理解出来る気も…… (^^;
しかし、だからと云って、サイケおやじは山下達郎の今回の発言を認める事は出来ないでしょう。
個人の性的嗜好は決して否定されるべきではありませんが、そこに「加害」という問題が発生するのであれば、やはり穏やかではありません。
日本の夏と云えば、山下達郎の歌と演奏は定番であり、さらに年末には「クリスマス・イブ」が流れるというのが、季節の風物詩ではありますが、サイケおやじは当分の間、山下達郎を聴く気にはなれません。
まあ、各々の道は、自らが歩んで行くということなんでしょうねぇ……。
願わくば、この「ボンバー」にハナからケツまでシビレさせられた、あの当時のサイケおやじの高揚感を再び、山下達郎には期待するところであります。