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戦争は減らせるのではないかー保守好み、鷹子さんへ(その2)   文科系

2006年04月24日 17時12分57秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
さて、以下の文章は次の二つに分かれます。最初は憲法9条の問題を僕は今回改めてこのように考えてきたという、僕の思考の進み方についてです。次が、3月12日に提示させて頂いた「僕の9条論」の一部修正を含む新たな提示です。よろしくお願いいたします。

『僕の思考の進み方』について

まず、戦争はなくならないけれど、それへの二つの対処方向、態度があると改めて言いたいと思います。
「微かでも減っている兆候はある。その方向を拡大していく」か、「全く変わっていない。当面の将来もそうだろう。武装して備える以外に対処方向はない」かです。
この二つの道について以下を確認しておくのは大切な意義のあることことと考えます。
この二つの態度の別れ目は、実証や論理操作だけからくるのではありません。人は総ての戦争はもちろんいくつかの大きな戦争の原因すらも調べても調べ足りませんし、それを身につけた人などは存在しないでしょう。
また人間たちの何か生得的本質のようなものに帰することもできないはずです。戦争の原因がこういう生得的本質にあるなどとは証明不可能なのではないでしょうか。
こうしてこの別れ目の判断は、今までの人間・歴史と今後の人間・歴史とへの諸個人の総合判断によるのだと言わざるをえないのではないでしょうか。そして、このことを自覚しておくことは、問題の整理にとってきわめて有意義なことだと言いたいと思います。
なおまた我々は当面の「起こりそうな戦争」への態度として、この二つの方向、総合判断的結論をそのつど持って臨まざるをえません。「減らせる」という人はそのための努力を大なり小なりするでしょう。これが前提となっての「減らせる」ということのはずです。減っていないと見る人も、何かそのような努力の成果らしきものを認められたら、力を貸してくださることと信じています。
なお、先に見た藤原正彦氏が例えば以下のように述べるとき、やはり戦争は減らせるものだという立場なのだろうなと僕は受け取りました。
「ナショナリズムとは、他国のことはどうでもいいから、自国の国益のみを追求するという、あさましい思想です。国益主義と言ってよい。戦争につながりやすい考え方です」(P113)
氏の言葉に、民主主義は衆愚政治に繋がり、衆愚政治は戦争を起こすという内容が多かっただけに、この言葉が僕には新鮮でした。氏の主張は、戦争防止はこれを真のエリートに託すということなのでしょうね。僕はそうは思わないのですけれど。

さて、微々たるものではあっても第2次世界大戦以降の世界では、戦争は減っていると僕は言ってきました。そういう諸現象を改めて上げてみます。
あの二つの世界大戦のような経済大国どうしの戦争は現在までは起こっていません。
これについてはただし、2大体制冷戦の重しがとれた現在、増えるのではないかという議論もありましたが、大国どうしの戦争はもう起こらないのではないでしょうか。
先進国において人権、生存権という考え方が現実政治に定着してきたのもこの60年ほどのことですが、この思想の広がりは戦争を起こしにくくしてきたと考えます。因みに藤原氏が人権という概念を近代西欧の「闘争性」と結びつくと述べるとき、これは僕の考え方とは異なります(P90)。しかし同じページで以下のように氏が語るときには、僕の考えと結論は同じはずです。「もちろん差別ほど醜悪で恥ずべきものはありません」
二つの大戦から学んでEUができましたが、戦争を減らす努力でもありましょう。
20世紀後半の世界では、不正理由の戦争は圧倒的に強い一方に対しても収拾がつかない国民反乱も起こるようになりました。(ヴェトナム、イラク)
男女平等の普通選挙を基礎とした非独裁国家で起こしにくくなったのも確かでしょう。選挙を意識しないでは為政者が戦争をできなくなったからです。
ただしその場合も世論工作に成功すれば起こせるということから、マスコミの影響が大きくなりました。
マスコミには「反対派」も海外世論も登場しうるので、世界的に戦争の後にも先にもその理由が問われようになりました。アメリカは現に今、それで苦しんでいます。
コメント
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