今朝の中日に「5月を送る」という欄があり、
愛国心についての記事が載っていました。
一部を転載します。
ふつうの人間は、目に見えるもの、手に触れるものなら
愛することができるが、国家という抽象的なものを
愛することはなかなか難しいことなのだ。
私達が郷土を愛するのは、ふるさとの山や川、
人々の生活や村のぬくもりという肌で感じ、
目に見えるものを通して愛するのであって、
抽象的な郷土を愛するわけではない。
国家もむろん同じである。
小学一年生が、学校の周りの美しい森や川、
畑に感動し素朴な郷土愛を持ったとしても、
六年生で卒業の際、それらがショッピングセンターや
高速道路、駐車場に変ってしまっていたら、
どう郷土愛を教えたらいいのだろう。
若い世代に国や郷土への思いが薄れていったのは
平和ボケのせいだけではない。
思いを寄せる対象を壊し変えてしまった私たち大人の責任でもある。
・・・
この日本のたたずまいは市場原理主義では守れないのだ。
愛国心は声高に叫ぶと空っぽの国に見えてくる。


一方で市場原理主義と説き、一方で子供たちに愛国心を説く。
この政治家の言動がいかに理にかなったものであることか!
この記事はよく理解させてくれます。
愛国心一杯の落石