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「文明の違いが戦争を起こす」も眉唾  文科系

2006年05月13日 14時12分13秒 | Weblog
「ハンティントンの所説に対しても、私は異論を唱えざるをえない。そもそも『文明』なるものが、テロリズムや紛争の火種となる契機を、本質的に内包しているわけでは必ずしもないからである。しかも、異なる文明の存在を容認しない人びとの割合が、世界の過半数を占めるとは、とうてい思えないからである。異なる文明を容認しない人びとのなかでも、武力によって異文明を崩壊させるべきだと考える人は、あくまでも少数派でしかないからだ。要するに、異なる文明同士が、おたがいの『差異』を根拠にして武力衝突することは、本来、ありえないことなのである」(岩波新書「日本の『構造改革』一一四ページ)
もっともアメリカのネオコンのように文明の違いをいきなり戦争に結びつけがちな人々は確かに存在するが、これは他を圧倒する強大な武力を持つ者が傍若無人に行いうる「ローマの平和」に近いものだし、彼らにとっても戦争を起こす最大の原因が文明だったとは僕は考えていない。
次に単なる政治思想で戦争を起こすということも独裁体制ではない民主主義国家ではもうほとんどなくなってきたと僕は考えている。冷戦体制下の戦争でも、政治思想の争いというよりは「この方が生活が良くなる」という争いだったはずだ。マルクス主義とは是非はともかく資本主義経済を批判した、計画経済のことだったはずだからである。
そして戦争はやはり国民の存亡がかかったような生活問題、経済問題に結びつけることができて初めて起こる場合が最も多かったのだと思う。つまり現代世界では為政者やその周辺の単なる思想のようなものだけで戦争がおこされるものではなく、「国民全体の生活がかかったような問題」で「やむをえず闘う」と、そういうことが今やほとんどだと考える。少なくともまだ形式的にせよ人権が尊重されるようになった民主主義国家では、人権の最たるもの人命を損なう戦争はその程度には憎まれ始めたはずだと、僕は考えている。こういう感じ方、考え方は二十世紀後半に現実の世界に広がり始めたものだが、さらに加速度的に広がっていくと僕は考えている。
こうした動向に異を唱えるように行動してイラク戦争で失敗したアメリカは、イランへの爆撃はともかくライスが言うような有志連合上陸はもうほとんどできないはずだとも考えている。スペインもイタリアも今回は下りるのは明白。イギリスも下りる可能性大だから、イラク戦争前五十万人の反対デモがあったオーストラリアも雲行きが怪しい。世界が僕のような考え方でアメリカを抑え始めたようだし、そんな中で上陸をやったらアメリカのネオコンはもうお終いだろう。そうであれば、イラク戦争とイランとでの国際的経験は、人類の偉大な知恵をまた一つ積み上げたということになる。「今のアメリカでさえ失敗した」という教訓である。
コメント (4)
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