この本は全体で4章立て。1章は経済構造改革理論と実践とを巡る近年の世界史がまとめられ、そこから改革方向原理が示される。そして2章は日本が現在どういう構造改革を迫られているかという詳論、3章が日本が避けて通れないグローバリズムの説明、4章が日本の経済構造改革の具体的方向ということだろう。今後、1章を今回に、2、3章を「情勢論」として2回目に、4章を3回目にというような報告にする積もりだ。
「近年の経済構造改革理論」
まず、79年にイギリス首相になったマーガレット・サッチャーのサッチャリズムから説き起こされる。サッチャリズムとは、70年代以降の英米を席巻した経済学、「市場万能主義」に基づくものだが、これを古典派経済学のアダム・スミスの「市場」を復活させたものと見て新古典派経済学と呼ぶ。
このサッチャリズムの実績についてまず、ケインズの財政金融政策という既得権益にあぐらをかいて「大きな政府」に慣れきった人々に「小さな政府」と「市場主義」を突きつけて、まがりなりにもイギリス病から脱却させ、経済活性化を成功させた面はあると語る。ケインズの財政金融政策は、それまでの古典派経済学では失業とか景気不安定とかを説明できず、それへの対策として提出されたものだと説く。適宜な財政出動によって有効需要を作り出し、資本主義経済につきものの過剰生産からくる不況や失業の対策としたわけだと。
さて、作者はこのサッチャリズムの「市場主義改革」の負の部分に大きく着目する。福祉予算はかえって拡大したし、多数派の敗者・少数の勝者が生み出されたなどから、「経済的合理性は、政治の論理に打ち負かされることが多いのである」(P12)とまで結論している。
次に、このサッチャリズムを日本に取り入れようとしたのが99年に小渕内閣が打ち出した「経済戦略会議」の「最終報告書」だと展開されていく。日本は折しも慢性的不況さらにデフレ下の「失われた10年」の真っ最中、それへの対策がこれだったのだが、著者はこれを「『20年遅れのサッチャリズム』以外の何物でもない」(P5)と言い放つ。そして、この2年後に発足した小泉内閣の性格がこう語られていく。「『経済戦略会議』の最終報告書に盛られた市場主義改革のマニュフェストを実践することを、最優先の政策課題にかかげた内閣として、後世の歴史家により語り継がれることであろう」(P12)と。しかしながら「20年遅れ」は、本家戦略の一部のみを踏襲し、その酷い結末は受け継ぐことになったと断じて、「民主主義体制下において、『痛み』の偏在が社会的に受け容れられるはずはない」(P14)と予言している。こういう小泉は「ポピュリズム的政治手法の使い手」であると述べられている。
さて今後の方向についてだが、この章での著者は学者の矜持をもって原理的な立論をしている。社会主義経済は「計画」というものの難しさから崩れ、市場に任せておけば人々は幸せになるという「市場主義」は論証も立証もされたことがない呪文のようなものだと語り、本来の経済学は今はもう原理的には存在しないとして、こう語っている。
「理想とあおぐ社会のあり処を見失ったいま、私たちは、何を寄る辺にして生きればいいのだろうか。この設問に対する私の答えは、『変化への適応』である」(P25)
そして、上記文中の「変化への適応」について、21世紀最初のものをこう語っていく。「不自由、不透明、不公正きわまりない日本の市場経済を浄化すること」と「平等な福祉社会を作る」こととの「同時遂行である」と。(P27~28)なお、これらの表現には著者独特な意味が込められているのだが、それについては次回以降明らかにしていくことになる。
「近年の経済構造改革理論」
まず、79年にイギリス首相になったマーガレット・サッチャーのサッチャリズムから説き起こされる。サッチャリズムとは、70年代以降の英米を席巻した経済学、「市場万能主義」に基づくものだが、これを古典派経済学のアダム・スミスの「市場」を復活させたものと見て新古典派経済学と呼ぶ。
このサッチャリズムの実績についてまず、ケインズの財政金融政策という既得権益にあぐらをかいて「大きな政府」に慣れきった人々に「小さな政府」と「市場主義」を突きつけて、まがりなりにもイギリス病から脱却させ、経済活性化を成功させた面はあると語る。ケインズの財政金融政策は、それまでの古典派経済学では失業とか景気不安定とかを説明できず、それへの対策として提出されたものだと説く。適宜な財政出動によって有効需要を作り出し、資本主義経済につきものの過剰生産からくる不況や失業の対策としたわけだと。
さて、作者はこのサッチャリズムの「市場主義改革」の負の部分に大きく着目する。福祉予算はかえって拡大したし、多数派の敗者・少数の勝者が生み出されたなどから、「経済的合理性は、政治の論理に打ち負かされることが多いのである」(P12)とまで結論している。
次に、このサッチャリズムを日本に取り入れようとしたのが99年に小渕内閣が打ち出した「経済戦略会議」の「最終報告書」だと展開されていく。日本は折しも慢性的不況さらにデフレ下の「失われた10年」の真っ最中、それへの対策がこれだったのだが、著者はこれを「『20年遅れのサッチャリズム』以外の何物でもない」(P5)と言い放つ。そして、この2年後に発足した小泉内閣の性格がこう語られていく。「『経済戦略会議』の最終報告書に盛られた市場主義改革のマニュフェストを実践することを、最優先の政策課題にかかげた内閣として、後世の歴史家により語り継がれることであろう」(P12)と。しかしながら「20年遅れ」は、本家戦略の一部のみを踏襲し、その酷い結末は受け継ぐことになったと断じて、「民主主義体制下において、『痛み』の偏在が社会的に受け容れられるはずはない」(P14)と予言している。こういう小泉は「ポピュリズム的政治手法の使い手」であると述べられている。
さて今後の方向についてだが、この章での著者は学者の矜持をもって原理的な立論をしている。社会主義経済は「計画」というものの難しさから崩れ、市場に任せておけば人々は幸せになるという「市場主義」は論証も立証もされたことがない呪文のようなものだと語り、本来の経済学は今はもう原理的には存在しないとして、こう語っている。
「理想とあおぐ社会のあり処を見失ったいま、私たちは、何を寄る辺にして生きればいいのだろうか。この設問に対する私の答えは、『変化への適応』である」(P25)
そして、上記文中の「変化への適応」について、21世紀最初のものをこう語っていく。「不自由、不透明、不公正きわまりない日本の市場経済を浄化すること」と「平等な福祉社会を作る」こととの「同時遂行である」と。(P27~28)なお、これらの表現には著者独特な意味が込められているのだが、それについては次回以降明らかにしていくことになる。