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「日本主義」の形について  文科系

2007年07月08日 07時32分33秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
皆さん。保守系さんとお話する場合にご注意したいことがありますので、一言。僕が、このブログ開設当初から最も長く彼とやり合ってきたその体験の結論的な話として、彼の「世界観」を示してみたいと思います。僕なりに体系的にしてお伝えしてみたい。それは特殊体系的なものでありすぎて、それを踏まえなければ、何を話してもすれ違いの会話にしかならないものですから。日本近代史上の事件認識などに噛みついてくるから話が始まるという経過から、彼とは先ず史的実証論議をやりあうことになるのですが、実は全く実証的な人ではないんですね。

①いくつかの「主観的な大命題」を疑うことなく持っていて、それをあれこれ手を変え品を変えてアピールするだけ。まー信念の人、というよりも独断・狂信の人です。無意識も含んだその「哲学」こそもちろんそうだし、そこから来る「日本文化論」、政治思想、経済思想すべてにおいてです。僕は「日本主義者」と呼びましたが、とにかく「人類文化の大道」から恐ろしくかけ離れた一種の「選民主義文化論」でもありますね。いわゆる右翼論壇が生み出す一種の「体系的日本主義思想」とでも言えるものでしょう。もちろん結果としてファシズムに結びつく思想でもあります。
こういう人がどんな実証的、断片的問題を語っていると見えても、以下の思想を語っていると素直に思っておきましょう。そして、彼らの歴史認識の一つを完全に論破しても、この思想自身は微動だにしないという癖もあります。
こういう「日本主義」は、以下に見るように非常に戦闘的な本質を持っているところから、おのれを否定するものにかみついて、世を「戦闘的に啓蒙すること」が専門です。よって、自分の「世界観」を全体的形として示すことはありません。ですが彼らの「形」をつかんでおくことは大事です。
彼らの独断的信念のいくつかをご披露し、思想の「形」を示しましょう。これはそういう試論です。

②人間とは「社会ダーウィニズム」さながらの弱肉強食動物であり、そういう行動が国家どうしの間でも第1のことだ。それが戦争である。
・こういう動物的エゴ人間どうしをセーブするのがそれなりの国のそれなりの伝統、習慣、文化というものである。国家としては当然、戦争を覚悟して、相当の軍備を備えることが最重要の課題である。でないと個人も必ず全てを失うことになる。国家防衛は個人の至上命題でもあるということだ。
・良くも悪くもこうした「国家伝統・文化」とか、「国家の戦争・外交」とかに比べれば、人間の他の問題は無意味か、暇人の慰めかということだろう。こういう「現実論」以外の「真理」も、他人のために死ぬという日本的武士道など以外の美などの芸術も、民主主義も、自由でさえも、もちろん愛も。そして逆に、あえて言えばこういう国の伝統、戦争にかかわるものならばどんなものでも「善」となるということだ。
・日本の伝統と文化は世界有数の美しいものである。日本人ほど道徳的な人種も珍しい。その中心には天皇がいた。天皇は公平無私であって、歴史上の天皇の悪そうな行為はほとんど、周囲が悪かっただけである。否、極端に言えば、悪い天皇がいたとしても「皆良かった」と見ておいた方が日本の子孫のためになる。

③こうして、こういうことになる。
・今の日本を大日本帝国憲法下に置いても、一向に構わない。核武装をしても良い。というよりも総合判断したらすべきとなるだろう。
・こういう国の文化、戦争準備に異を唱えるものは、我々を滅ぼすも同然の愚かな敵と見た方がよい。
・第1に民主主義などと叫ぶ左翼。民主主義とは、フランス革命を見ても分かるように、野蛮で無知な大衆による恐怖政治をもたらすだけというようなものだ。日本のアメリカ化に寄与するもの。あの国の「自由」も、伝統なき悲しき国の野蛮丸出しというようなものである。あの消費文化はノーテンキな馬鹿さ加減だし、上は虚栄、それに従うポピュリズムの酷いこと!虚栄の為政者は権力臭丸出し、日本的ソクイン美の欠片もない。
・伝統らしい伝統のない国、弱い国は、個人のエゴや戦争に弄ばれるだけで、語る価値もないだろう。支配者や文化がくるくる変わった中国や朝鮮が日本のような国に一体何が言えるというのだ?南米もアメリカの植民地同然であり、アフリカは西欧の属国であって、いずれも語る価値もないものだろう。


以上に対して少々の批判はしておかねばならないでしょう。つまり、弱点の指摘です。一言で言えば、人間や社会のある一面を全部とするような、独断ということではないでしょうか。
人間は争い合っても来ましたが、そのお互いが涙を流し合って仲良くしようと心から誓い合ってきたこともあったはずです。国家間でもそうだからこそ、例えばEUができた。国連がアメリカを押さえようと必死なときでも、そういう努力を彼のように嘲笑してはいけないはずです。そして国家間を調整しようとするような国連の役割を小さく見過ぎてもいけないはずです。また、日本の天皇にも、悪い人がいなかったわけはない。小国にも日本以上の美がなかったわけはない。そういう側面を教えようとしない教育はやはり悪いものでしょう。さらに民主主義イコール恐怖政治とか、自由イコール勝手放題とか語るのも、極論といえるはずです。
コメント (11)
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