『ツギハギだらけの年金行政』
参議院選の一大争点、「年金問題」について、手際よくまとめていただきました。
おそらく、わが国で一番易しく、一番急所をついた解説になっていると思います。
ぜひ、ご一読ください。
*************引用ここから
ファム・ポリティックス〈2007年夏号〉より
「ツギハギだらけの年金行政」
少子高齢化が急激に進む中、マジメにやっていたって「危ない」とウワサが絶えなかった年金制度。ここに来て、ついに屋台骨から崩れ出した。
どうしてこんなことになったのか。政府は「実務の問題」や「職員の問題」で片付けようとしているが、年金制度そのものが持つ、根本的なデタラメさに、今こそ目を向けなければいけない。
*あきれた「入力ミス」*
今回、もっともセンセーショナルに報道されたのが、「一人に一つ割り当てた年金番号に統合できていない年金が、五千万件もある」というニュースだった。いわゆる「宙に浮いた年金」である。
日本は赤ん坊も含めて一億二千万人しかいないのに、その半分が誰のものだか特定できていない? そんなふうにカンチガイしてしまった人も多いと思う。
実は1997年の時点では、何と年金記録が3億もあったという。一人でいくつもの年金手帳を持っているのを一つにまとめましょう、というのが、この年に決まった基礎年金番号の統一なのである。
それから10年たっても「名寄せ」ができていないものが5000万件残っている、ということなのだが、その検証の過程で明らかになったのが、あまりに初歩的な入力ミスの横行だった。
なぜ社会保険庁は、これほど非常識な集団になってしまったのだろう。
それは組織の三層構造にあると言われている。
まずは、厚生労働省のキャリア組。在任期間が短く、すぐに本省に戻るので、自分のいる間に大きな問題を解決することは難しい。それが先送りの事なかれ主義の土壌を生んでいたといえる。
次に、社会保険庁本庁の職員。ここでは国民から直接集金する業務などがなく、そういう現場との人事交流もない。自分たちが右から左へと動かしている「億」単位のカネが、どんな人々からどれほど苦労して集められたものなのかなど、知るよしもない。
そして末端が、現在「入力ミス」や「対応の悪さ」で毎日のようにたたかれている都道府県単位で採用された社会保険事務所の職員である。
1985年、コンピューターによるオンライン化を導入した時、当時オンライン化に反対だった労働組合は「コンピューター作業は負担が重い」と極端に入力作業を制限する労働協約を結んで効率化を妨げた。その分アルバイトによる作業が増え、責任を自覚することなく入力が行われていった。
カタカナで氏名を入力する際、「幸子」を「サチコ」か「ユキコ」か確認しなかった、などというのはまだましなミス(?)で、「トシコ」が「トミコ」となっていた人もいる。これでは探すに探せない。単純な入力ミスは、住所や生年月日にも及んでいる。
こうして誰のものかわからなくなってしまった年金記録は、放置され続けた。
その上、入力そのものがされていない、まさに「消えた」年金記録も相当な数にのぼり、それは「5000万件」の他にあることがわかってきた。彼らもまた、「年金」とは国民から預かった「他人のカネ」で、40年後にその書類を証拠として確実に支払わなければならないものという自覚と責任感が欠如していたと言わざるを得ない。
*最初から払う気のない「申請主義」*
3年前の「未納問題」の時にも話題になったが、年金のトラブルの多くが「申請主義」に端を発する。
保険料は税金と同じようにほとんど強制的に徴収されるのに、いざ年金をもらう時期になると、すべての書類を揃えてこちらから出向かねばならない。申請がなければ、国はビタ一文払わなくてよいシステムになっているのだ。
保険料を支払ったという証拠(年金手帳や領収書)を国民の方が用意できなければ、職員はコンピューターの画面をのぞいて「そういう記録はありませんねー」と言っていれば済む。
社保庁の幹部によると、「自分たちで5000万件の中身を精査するという発想はまったくなかった」という。
安倍晋三総理大臣も、今はやっきになって「領収書を持ってこいとは言いません」
と低姿勢だが、5月の時点では「じゃあ、払ったと言われたら誰にでも支払うんですか?」と、領収書などの確固たる証拠を提示する責任は、支給を希望する側にある、と気色ばんだ。
社保庁の事務処理の過程で生じた混乱なのに、真偽を確かめる責任が社保庁にあるとは考えないのである。
しかし、安倍総理だけを非難することはできない。そもそも、「年金」は、「支払い」を度外視して生まれた制度なのだから。
*戦費調達が目的だった厚生年金*
1940年(昭和15年)、民間の公的保険として初めて船員保険が作られる。
日中戦争も泥沼化し始めた頃だ。
これには軍人への手厚い恩給制度との落差があった。軍の徴用で物資を運ぶ船が攻撃され船員が死傷しても、何の保障もつかない。軍の任務と同じく危険なのに、という不公平感が募った。だから、船員保険は労災や医療保険もついて、厚生年金とは性質を少し違えている。
遅れること2年、1942年(昭和17年)、厚生年金の前身「労働者年金保険法」が制定された。太平洋戦争の真っ只中である。
これは国民への福祉政策として設立されたのではない。徴収された船員保険、厚生年金の保険料は特別会計に繰り込まれ、当時の大蔵省預金部が「運用」した。
要は「国債」を買って、不足していた軍事費に充てるためだった。
「年金を特別会計にし、国債を買って赤字埋めに使う」というこの構図は、今もまったく変わらない。(ファムポリティック52号「国家財政は借金だのみ」参照) 「年金保険料」という名目で国民から強制的にカネを集め、戦費調達のツールにするという方法を考え出したのは、プロイセン(ドイツ)の宰相ビスマルクである。
このしくみのインチキなところは、将来年金として国民にカネを支払おうなんて、
ハナから考えていない点。
それは年金支給開始年齢が55歳なのを見ればわかる。なんと、当時の平均寿命は50歳なのだ!
*マッカーサーも呆れた「恩給制度」*
前述のとおり、軍人には恩給制度があった。1875年(明治5年)に早くも設立され、遅れて1884年(明治14年)、文民つまり公務員に対する恩給もスタートする。
「恩給」とは、「国家」に対して奉公した者に、天皇が恩を給う、という意味だ。
厚生年金が、年金を受ける本人の保険料と事業主からの拠出金で賄われるのとは違い、恩給は、国が全額負担していた。当時の感覚では「天皇のポケットマネー」であり、今のシステムでいえば「事業主である国が100%拠出、保険料ゼロ」である。
戦後、年金制度はほとんど同じシステムのまま残ったが、この「恩給」制度だけは、手を加えられた。「一円も保険料を出さない年金なんて、ありえない」からである。こうしてGHQは恩給制度をそのまま公務員の年金制度にすることを許さず、公務員に保険料を払わせる形にした。その結果生まれたのが、厚生年金と同じく半分が保険料、半分が事業主拠出(つまり国や地方自治体)という共済年金である。
1948年に国家公務員共済組合法、1962年に地方公務員共済組合法が成立、
ここに恩給法は廃止される(ただし旧日本軍人に対する恩給は、旧法のままその後も給付され続ける)。
こうした歴史的背景を見ると、共済年金は厚生年金と違って、明治の初めから何をおいても「給付」できるように作られていることがわかる。他の年金より恵まれていると感じられるのは、恩給時代の特典をまだいくつもひきずっているからだろう。
*問題だらけの国民年金*
地方公務員共済組合法が成立した1962年(昭和37年)、同じく国民年金制度もできている。戦後の財政再建政策が効果を挙げ、オリンピック景気で経済も上向きの頃である。
ずっと蚊帳の外だった自営業の人たちにも年金ができ、これにより、いわゆる「国民皆年金」が実現した。但し、サラリーマンの妻(いわゆる専業主婦)は、原則無収入なので、任意加入とした。払わなければ、無年金である。
国民年金には当初から問題がたくさんあった。
払いやすいようにと掛け金を安くしたので、当然支給される額も少ない。おまけに厚生年金や共済年金では事業主が拠出金を全体の半分出しているところ、「事業主が自分」であることからその分の上乗せがない。
本来、拠出金に当たる部分(つまり半分)を国庫(税金)が負担する約束だった
が、「予算がない」ということで、完全には実現していない。最初から空手形を切られた見切り発車の年金なのだ。
また、「皆年金」といっても収入が少なければ支払えないので、給料から天引きされる他の年金と違い、計画的に予算が立てられない。こうして、日本の平均寿命が延び始め、年金給付の総額が多くなってくると、支給の見通しが立たなくなってきた。
*基礎年金制度は財政事情だけを考えた思いつきと妥協の産物*
そこで国は、これまでは自営業者に対する年金だった国民年金相当の支給分を「基礎年金」という名前にして全国民一律とする(1985年)。その時、今までは「払いやすい」を第一に考えてきた国民年金保険料を、「もらう額」を基準に算定して引き上げたのだった。
さらに、①これまで任意加入だったサラリーマンの妻も国民年金に強制加入させるが、②妻の保険料はサラリーマンである夫が自分の保険料とともに厚生年金を通じて支払う、というウルトラCを考え出した。
これにより、当時はまだ潤沢だった厚生年金の一部が、「基礎年金」という形で国民年金に振り替えられることとなった。
しかし、サラリーマンといえども一馬力でいきなり二人分の保険料を支払えるわけがない。抵抗が強かったので、保険料は据え置くことにした。
保険料は上げず、二人分をどう支給するか?
結局、「夫婦仲良く添い遂げれば、夫婦合算の年金支給水準は今まで通り。但し、
独身を通したり、死別や離婚をすると妻の基礎年金分だけ給付が下がる」ということになった。その結果、同じだけ保険料を納めても、配偶者の有無で給付される年金額に差がつくという、公平性を欠く制度となったのである。しかも、厚生年金の報酬比例分は夫に独占されてしまい、妻側にはいっさい来ない。それで、今度はその点を何とかしようと、2007年から離婚した女性に半分厚生年金がいくように、またまた小手先の修正を加えた。
最初から財源の見通しも甘く、その場しのぎの行き当たりばったりで改悪を重ねてきた年金制度は、完全に精度疲労を起こしている。
1997年の基礎年金番号統一開始に当たり、「事業主(企業)」が管理する厚生年金、「市町村」が管理する国民年金を一括管理するために、これまで市町村の長が責任を負っていた国民年金の事務が社保庁に移管された。市町村の納付記録は、それ以降5年を超えての保存義務がなくなる。
現在、一部の原簿台帳が破棄され、コンピューター上のデータと突合せができないのは、この時の事務移譲が、責任をもって慎重に行われていなかった上に、社保庁から「破棄してよい」と通知が来たからである。全1827市町村のうち、破棄したと回答した自治体は191あった。
あちこちのネジがはずれ出し、一つひとつを拾って締め直そうとしても、組み立て工程そのものが間違っているのだから、いつか空中分解してしまうのは目に見えている。
いまやその実体が、ようやく国民の目に見えるようになった、というべきか。
*社保庁解体・民営化で年金制度は救えるか?*
「社保庁はデタラメ」「親方日の丸の考え方を改めなければならない」「民営化すれば、もっと迅速に解決する」。
政府・与党はここぞとばかりに社保庁の職員をたたき、社保庁を解体して「ねんきん事業機構」を立ち上げようと語気を荒らげる。
しかし、ちょっと待て。景気の浮き沈みなどで倒産しない、利潤追求より国民の福祉を考える、だから大切なものは「官」が「税金」でやってきたのではなかっか?「親方日の丸」は、安心の旗印ではなかったのか?
柳沢伯夫厚生労働大臣は6月12日の参議院厚生労働委員会で、かつての厚生官僚についてこう述べている「(年金を)使っちゃえ、後でいくらでも取ればいい、という考えの人がいたと聞いたことがある」「(厚生年金の)草創期は今考えると、とても支持できない乱暴、粗雑きわまりない議論があった」
では、法案提出からたった4時間の「審議」で強行採決した「社保庁改革法案は、未来の厚生労働大臣から「乱暴、粗雑きわまりない議論があった」との謗りを受けない自信があるのだろうか。
この「改革法案」からすると、社保庁は3年後に「ねんきん事業機構」となるべく、現場の正規職員からどんどん減らされていく。これから「宙に浮いた年金」「消えた年金」「未入力の年金」をすべて台帳と突き合わせ、同時に国民に対して丁寧な対応をしていくことが必要だというのに、マンパワーは足りるのだろうか。
既に「ようやく電話が通じたと思ったら、出てきた相手は派遣の素人で、年金のことは何もわからず謝るだけ」といった苦情が噴出している。年金の照合費用だけでも、1000億円はかかるのではないかと言われる。この事態に、またぞろその場しのぎで数年持ちこたえればよしとするのではなく、今度こそ将来を見据え、本腰を入れて安定した年金制度の構築させなければならない。
(フリーランスライター・仲野マリ)
(財政問題研究者・青木秀和監修)