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新聞の片隅に載ったニュースから(129)   大西五郎

2014年01月11日 19時06分10秒 | Weblog

ナチス戦犯88歳基礎 独検察仏での虐殺関与で (14.1.11 毎日新聞)

 [ベルリン篠田航一]第二次大戦中、ナチス・ドイツがフランス中部オラドゥール村で村民642人を虐殺した事件に関与したとして、ドイツ西部ドルトムントの検察当局は8日、ケルン市在住の元ナチス親衛隊員の男(88)を殺人罪で起訴した。一方で西部ハーゲンの裁判所は同日、戦時中のオランダ人虐殺に関与したとされる元ナチスの被告(92)について、証拠不十分との理由で審理を打ち切った。

 ドイツ(西独)はナチスの戦犯追及のため、1979年に謀殺(計画的殺人)に関する時効を廃止し、現在も元ナチスの戦犯を裁く審理が続く。しかし、戦後70年近くが経過し、関係者の多くが死亡または高齢化する中、戦犯追求は「時間との闘い」になりつつある。

 起訴された男は犯行当時19歳。1944年6月10日、オラドゥールで他の隊員と共謀して25人を殺害、さらに数百人の虐殺に関与したとされる。倉庫や教会に閉じ込めた住民を機関銃の一斉射撃や放火で殺害し、犠牲者の仲には200人以上の子供も含まれていた。

 戦後、オラドゥール村は独首脳の訪問を拒否してきたが、ドイツのガウク大統領は昨年9月、独首脳として初めて訪問し、オランド仏大統領と共に犠牲者を追悼した。

 戦犯情報が徐々に風化する中、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の戦犯を追跡するユダヤ系人権団体サイモン・ウィ―ゼンタール・センター(本部・米ロサンゼルス)のエフライム・ズロフ氏は昨年、ベルリンで記者会見し、「ここ数年が最後のチャンス」と情報提供を呼びかけた。同センターには100人を超す戦犯情報が寄せられ、うち80人はドイツ国内に潜伏しているという。 

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  ナチスによるオラドォール村の虐殺とドイツ大統領の謝罪・追悼についてはこの「新聞の片隅に載ったニュースから」の№110(13年9月2日毎日新聞)で紹介しましたが、ドイツは第二次大戦中にナチスやドイツの軍隊による犯罪を今も追及しています。

翻って日本ではどうでしょう。日本を無謀な戦争に駆り立て、多くの日本の軍民に犠牲を強い、中国や朝鮮(当時)、東南アジアの人たち(在住していたヨーロッパ人を含む)に被害を与えた戦争指導者たち(A級戦犯)が靖国神社に神として祀られています。日本の総理大臣は「侵略の定義は定まっていない」などと、戦時中の侵略行為を認めようとせず、靖国神社に参拝して中国や韓国ばかりではなく、ベトナム、インド、ロシアやEUなどからも批判を浴びています。

無宗教の国立追悼施設の創設が提起されていますが、安倍首相は「戦争で亡くなった軍人たちは『靖国で会おう』と言って亡くなっていった。戦没者の魂は靖国神社にある」と新しい施設に否定的ですが、「靖国で会おう」は思想教育として使われた言葉です。中には真剣にそう考えた人がいたかもしれませんが、国民を戦争に駆り立てるための言葉です。当時小学生だった私も、自分もやがてそうなるのだと思いこまされていました。

                                      大西 五郎

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降りて欲しい、宇都宮氏   文科系

2014年01月11日 11時42分50秒 | 国内政治・経済・社会問題

 細川氏の出馬が決まった。小泉氏との話し合いから、そうなったようだ。この上は、宇都宮氏に是非降りて欲しいと思う。切に、そう願っている。黒門町さんが言われた事だったか、彼を押す二つの政党は降りてくれとは言えないはずだから、是非個人的にそう判断して欲しいと願っている。

 原発問題は通常の損得とか、便利不便といった問題、または従来政治の離合集散要素とは性格が全く異なる課題と考える。そういう問題がせいぜい20年単位ほどのこととすれば、原発問題は50年単位をはるかに超えるほどの遠大な理念政策課題。それほどの年月を掛けて社会に積み上げられてきて、日本の人々の生活の隅々にまで浸透している細々とした既成事実の上に乗った問題でもある。こういう問題を従来型思考であーこう語るのは、ずぶの素人のやること。ここは、過去の行きがかりや怨念、発想を捨てて「この指、止まれ」とし、その指も一本にすべきだ。そんなことが出来なくてこれだけの体制一枚岩の課題に細かいいきさつをあちこち言い合い、対立させ合うような人々に、どう原発村を押し込められるかと、声を大にして主張したい。「坂本龍馬、出でよ!」と、そんな切望さえ抱く。

 小泉の過去、細川の過去など、この際はどうでも良いことだ。目前にこれだけ大きすぎる課題が生まれたときにはとにかく、人も変わる。過去の問題は全部小さなことになったと、処するべし。例え、ある人々からある人を観れば、騙されるという疑念が大きくってさえ、そうすればよい。細川の勝利によるこういう従来社会の構造的難関を押し込めたという実績、事実そのものがともかく、まず小さなものでも望みある後世への風穴となるはずだ。政治の言葉ではなく、こういう事実としての風穴が、心ある人々の政治への希望そのものを何よりも育んでいくものと考える。そういった事実を何も作れないでいて「客観情勢は・・・」などと語っているだけでは、「永遠の風待ち理論」。政治に何も作り出せない理論と言うしかない。

 とにかく関係者はよーく考えて欲しい。この問題では、自民党ですら割れているのである。内心では皆が世論にびくびくしている。当然であろう。無数の人々が先祖代々の財産を毀損されて、原発関連死をとっても大変な問題なのだから。そこに風穴一つが開いたらどうだろうか。「雪崩を打って・・・」という状況も起こりうる。こういう「事実」の流れはもう、そこまでの中心人物の思惑をさえ超えたものにもなり得るはずだ。表面に出た主人公である細川氏や小泉氏の思惑をさえ超えたものにも。

コメント (7)
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