7日のジム・ランで、30分×2回を9・4キロまで、キロ6分23秒平均になった。ウオームアップ2キロほどを、170メートルほどと言われたジム2Fランニングコースで走ったあとのマシン・ランである。
2日に、外走りのうち吹上公園5周5キロちょっとを1キロ平均6分27秒で走ったのをまた超えた。これ以上の最も近い記録は16年5月27日、1時間9・5キロということになる。ちょっとした質的変化の時期に来たという感じがある。ただ、今はこれが限界。事後の疲れから見てもそんなに無理をしたわけではないが、これ以上の無理は今は出来ない。右足首と両脚の外側の筋肉全体とをちょっと鍛え、低速の走り込みをしばらく重ねて行こうとの算段をしている。
2日にせよ、7日せよ、最近何に気をつけてきてこう前進してこられたのかと考えてみた。年を取れば誰にでもすぐに生まれてくる自分の相対的弱点に注目し、そこに傾注して鍛えながら走ってきた。
右脚は、左より爪先が弱い。左脚は、右脚より腿が弱い。そして、両脚ともマシンラン中心で来たせいで、脚全体の外側の筋肉が弱い。これは多分僕がO脚であることも関わっているはずだ。そういう部分にウエートトレーニングも課しつつ、そこをよく使うようにもして走ってきた。弱い部分をそのままにして走っていると、走り方もスムースでなくおかしくなっているのはずっと気分が悪いもの。その原因が分からず試行錯誤しているときはまた、もっと気分が悪いもの。ランニングハイも何もあったものじゃない。
そういう弱点がやっと分析できて、その弱さをカバーしてきて、綺麗に走れたと思える時が戻ってくるのは、何と幸せなことだろう。走っているリズムが楽しいのである。いつでも無理なく脚に力を込められて、それがそのまま弾みをつくってくれて、どんどん走っていける感じ。そんな時はただ「心臓に無理が来ている」と気付いて、慌ててセーブするのだが。
年寄りには、大袈裟に言えばそういう弾みを妨げるような筋力上の弱点が日々現れてくるのである。だからこそ、早期発見早期治療が必要になる。手遅れになると不可逆的な箇所、地点も多くなって来るのだろうか。その末に走れなくなるということなのか。などと思ったりする。激しい負荷が掛かる小さな筋肉などは、いつもそういう危険性をはらんでいるとも思う。例えば足首とか。
こういう良い気分をどんどん追いかけつつ、そのためにこそ走っているのかも知れない。身体を使い、汗をかき、気分良く弾めたなーと思いながら帰ってくる時の気分は最高だ。
2日に、外走りのうち吹上公園5周5キロちょっとを1キロ平均6分27秒で走ったのをまた超えた。これ以上の最も近い記録は16年5月27日、1時間9・5キロということになる。ちょっとした質的変化の時期に来たという感じがある。ただ、今はこれが限界。事後の疲れから見てもそんなに無理をしたわけではないが、これ以上の無理は今は出来ない。右足首と両脚の外側の筋肉全体とをちょっと鍛え、低速の走り込みをしばらく重ねて行こうとの算段をしている。
2日にせよ、7日せよ、最近何に気をつけてきてこう前進してこられたのかと考えてみた。年を取れば誰にでもすぐに生まれてくる自分の相対的弱点に注目し、そこに傾注して鍛えながら走ってきた。
右脚は、左より爪先が弱い。左脚は、右脚より腿が弱い。そして、両脚ともマシンラン中心で来たせいで、脚全体の外側の筋肉が弱い。これは多分僕がO脚であることも関わっているはずだ。そういう部分にウエートトレーニングも課しつつ、そこをよく使うようにもして走ってきた。弱い部分をそのままにして走っていると、走り方もスムースでなくおかしくなっているのはずっと気分が悪いもの。その原因が分からず試行錯誤しているときはまた、もっと気分が悪いもの。ランニングハイも何もあったものじゃない。
そういう弱点がやっと分析できて、その弱さをカバーしてきて、綺麗に走れたと思える時が戻ってくるのは、何と幸せなことだろう。走っているリズムが楽しいのである。いつでも無理なく脚に力を込められて、それがそのまま弾みをつくってくれて、どんどん走っていける感じ。そんな時はただ「心臓に無理が来ている」と気付いて、慌ててセーブするのだが。
年寄りには、大袈裟に言えばそういう弾みを妨げるような筋力上の弱点が日々現れてくるのである。だからこそ、早期発見早期治療が必要になる。手遅れになると不可逆的な箇所、地点も多くなって来るのだろうか。その末に走れなくなるということなのか。などと思ったりする。激しい負荷が掛かる小さな筋肉などは、いつもそういう危険性をはらんでいるとも思う。例えば足首とか。
こういう良い気分をどんどん追いかけつつ、そのためにこそ走っているのかも知れない。身体を使い、汗をかき、気分良く弾めたなーと思いながら帰ってくる時の気分は最高だ。