照明は効き過ぎなほど、客も賑やかなワインとイタリアンのその店でこの言葉を聞いた時は本当に驚いた。
「我が国の合計特殊出生率は一・一七なんですよ」
思わず聞き返した。「一体いつの話なの?」。「確か二年前の数字だったかと……」。
このお相手は、長年付き合ってきた友人、韓国の方である。最初に訪れた時の東部などは、僕が馴染んだ里山そのままと感じたし、食べ物は美味いしなど、すっかり好きになったこの国。何せ僕は、ニンニクや海産物は好きだし、キムチは世界に誇れる食べ物と食べるたびに吹聴してきたような人間だ。そしてこのお相手は、三度目の韓国旅行が定年直後で、連れ合いの日本語教師出張に付いてソウルのアパートに三か月ばかり滞在した時に意気投合しあって以来、何回か行き来してきた仲のお方である。知り合った当時は二十代前半で独身だった彼は、十数年経った最近やっと結婚したばかり。子どもはという話の中から出てきた言葉だ。ちなみに、合計特殊出生率というのは、女性一人が一生で出産する子どもの平均数とされ、既婚未婚を問わず一定年齢期の女性全てを分母としたその子ども平均という定義なのだろう。
「一・一七って、子どもがいない女性が無数ってことだろ? 結婚もできないとか? なぜそんなに酷いの?」
韓国式に、いつの間にか年上風を吹かせている僕だ。対する彼の、年を踏まえた丁寧な物言いを普通の日本語に直して書くと、
「そうなんですよ。我が国では大論議になってます。日本以上に家族を大事にする国ですし。原因は、就職難と給料の安さでしょうか? 急上昇した親世代が僕らに与えてくれた生活水準を男の給料だけで支えられる人はもう滅多にいなくなりましたから。二一世紀に入ってから、どんどんそうなってきたと言われています」。「うーん、それにしても……」
僕があれこれ考え巡らしているのでしばらく間を置いてからやがて、彼がたずねる。
「結婚できないとか、子どもが作れないとか、韓国では大問題になってます。だけど、日本だって結構酷いでしょ? 一時は一・二六になったとか? 今世界でも平均二・四四と言いますから、昔の家族と比べたら世界的に子どもが減っていて、中でも日韓は大して変わりない。改めて僕らのように周りをよーく見て下さいよ。『孫がいない家ばかり』のはずです」
日本の数字まで知っているのは日頃の彼の周囲でこの話題がいかに多いかを示しているようで、恥ずかしくなった。〈すぐに調べてみなくては……〉と思ったら、あることに気付いた。連れ合いと僕との兄弟を思い浮かべて、その子どもつまり甥姪の子ども数比較をしてみた。すると、考えてもみなかったその結果に驚いた。
連れ合いの兄弟は女三人男二人で、僕の方は男三人女一人。この双方の子ども数、僕らから見て我が子も含めた甥姪の総数は、連れ合い側七人、僕の方十人。ほぼ全員が四〇代を超え、既婚者は前者では我々の子二人だけ、後者は十人全員と、まず大きな差があった。孫の数はさらに大差が付いて、連れ合い側では我々夫婦の孫二人、僕の側はやっと数えられた数が一八人。ちなみに、連れあいが育った家庭は、この年代では普通の子だくさんなのに、長女である彼女が思春期に入った頃に離婚した母子家庭なのである。「格差社会の学歴・貧富の世襲」などとよく語られるが、こんな身近にこんな例があった。そして、この直後に「調べた」のだが、連れあいの甥の一人が二〇歳近く年上で子どもが三人いる女性と結婚していた。この夫婦にはおそらく子どもが出来ない。
それからしばらくこの関係の数字を色々気に留めていて、新聞で見付けた文章が、これ。
「とくに注目されるのは、低所得で雇用も不安定ながら、社会を底辺で支える若年非大卒男性、同じく低所得ながら高い出生力で社会の存続を支える若年非大卒女性である。勝ち組の壮年大卒層からきちんと所得税を徴収し、彼ら・彼女らをサポートすべきだという提言には説得力がある。属性によって人生が決まる社会は、好ましい社会ではないからである」
中日新聞五月二〇日朝刊、読書欄の書評で、評者は橋本健二・早稲田大学教授。光文社新書「日本の分断 切り離される非大卒若者たち」を評した文の一部である。
それにしても、この逞しい「若年非大卒女性」の子どもさんらが、我が連れ合いの兄弟姉妹のようになっていかないという保証が今の日本のどこに存在するというのか。僕が結婚前の連れ合いと六年付き合った頃を、思い出していた。今はもう亡くなった彼女のお母さんは、昼も夜も髪振り乱して働いていた。そうやって一馬力で育てた五人の子から生まれた孫はほぼ全員四〇代を過ぎているのに、曾孫はたった二人! 一般に「母子家庭が最貧困家庭」とか、「貧富・学歴が世襲される世になった」、「生涯未婚の男性急増」とか語られる。今の日本ではどんどん増えている貧しい家はこれまたどんどん子孫が減っていき、家系さえ途絶えていく方向なのではないか。
こんな豊かな現代日本、これに韓国も加えるとここ数十年で先進国に仲間入りした世界が軒並み、こんな原始的な現象を呈している。それも間違いなく、世界的な格差という新たな人為的社会的な原因が生み出したもの。地球を我が物顔に支配してきた人類だが、そのなかに絶滅危惧種も生まれつつある時代と、そんなことも言えるのではないか。
彼の韓国青年につい最近あったが、以上の話を改めて僕から報告したのは言うまでもない。そして、韓国の為替や財界から日本が大きく搾取した時の話を僕から切り出して、お詫びのようなことも伝えたものだった。
「我が国の合計特殊出生率は一・一七なんですよ」
思わず聞き返した。「一体いつの話なの?」。「確か二年前の数字だったかと……」。
このお相手は、長年付き合ってきた友人、韓国の方である。最初に訪れた時の東部などは、僕が馴染んだ里山そのままと感じたし、食べ物は美味いしなど、すっかり好きになったこの国。何せ僕は、ニンニクや海産物は好きだし、キムチは世界に誇れる食べ物と食べるたびに吹聴してきたような人間だ。そしてこのお相手は、三度目の韓国旅行が定年直後で、連れ合いの日本語教師出張に付いてソウルのアパートに三か月ばかり滞在した時に意気投合しあって以来、何回か行き来してきた仲のお方である。知り合った当時は二十代前半で独身だった彼は、十数年経った最近やっと結婚したばかり。子どもはという話の中から出てきた言葉だ。ちなみに、合計特殊出生率というのは、女性一人が一生で出産する子どもの平均数とされ、既婚未婚を問わず一定年齢期の女性全てを分母としたその子ども平均という定義なのだろう。
「一・一七って、子どもがいない女性が無数ってことだろ? 結婚もできないとか? なぜそんなに酷いの?」
韓国式に、いつの間にか年上風を吹かせている僕だ。対する彼の、年を踏まえた丁寧な物言いを普通の日本語に直して書くと、
「そうなんですよ。我が国では大論議になってます。日本以上に家族を大事にする国ですし。原因は、就職難と給料の安さでしょうか? 急上昇した親世代が僕らに与えてくれた生活水準を男の給料だけで支えられる人はもう滅多にいなくなりましたから。二一世紀に入ってから、どんどんそうなってきたと言われています」。「うーん、それにしても……」
僕があれこれ考え巡らしているのでしばらく間を置いてからやがて、彼がたずねる。
「結婚できないとか、子どもが作れないとか、韓国では大問題になってます。だけど、日本だって結構酷いでしょ? 一時は一・二六になったとか? 今世界でも平均二・四四と言いますから、昔の家族と比べたら世界的に子どもが減っていて、中でも日韓は大して変わりない。改めて僕らのように周りをよーく見て下さいよ。『孫がいない家ばかり』のはずです」
日本の数字まで知っているのは日頃の彼の周囲でこの話題がいかに多いかを示しているようで、恥ずかしくなった。〈すぐに調べてみなくては……〉と思ったら、あることに気付いた。連れ合いと僕との兄弟を思い浮かべて、その子どもつまり甥姪の子ども数比較をしてみた。すると、考えてもみなかったその結果に驚いた。
連れ合いの兄弟は女三人男二人で、僕の方は男三人女一人。この双方の子ども数、僕らから見て我が子も含めた甥姪の総数は、連れ合い側七人、僕の方十人。ほぼ全員が四〇代を超え、既婚者は前者では我々の子二人だけ、後者は十人全員と、まず大きな差があった。孫の数はさらに大差が付いて、連れ合い側では我々夫婦の孫二人、僕の側はやっと数えられた数が一八人。ちなみに、連れあいが育った家庭は、この年代では普通の子だくさんなのに、長女である彼女が思春期に入った頃に離婚した母子家庭なのである。「格差社会の学歴・貧富の世襲」などとよく語られるが、こんな身近にこんな例があった。そして、この直後に「調べた」のだが、連れあいの甥の一人が二〇歳近く年上で子どもが三人いる女性と結婚していた。この夫婦にはおそらく子どもが出来ない。
それからしばらくこの関係の数字を色々気に留めていて、新聞で見付けた文章が、これ。
「とくに注目されるのは、低所得で雇用も不安定ながら、社会を底辺で支える若年非大卒男性、同じく低所得ながら高い出生力で社会の存続を支える若年非大卒女性である。勝ち組の壮年大卒層からきちんと所得税を徴収し、彼ら・彼女らをサポートすべきだという提言には説得力がある。属性によって人生が決まる社会は、好ましい社会ではないからである」
中日新聞五月二〇日朝刊、読書欄の書評で、評者は橋本健二・早稲田大学教授。光文社新書「日本の分断 切り離される非大卒若者たち」を評した文の一部である。
それにしても、この逞しい「若年非大卒女性」の子どもさんらが、我が連れ合いの兄弟姉妹のようになっていかないという保証が今の日本のどこに存在するというのか。僕が結婚前の連れ合いと六年付き合った頃を、思い出していた。今はもう亡くなった彼女のお母さんは、昼も夜も髪振り乱して働いていた。そうやって一馬力で育てた五人の子から生まれた孫はほぼ全員四〇代を過ぎているのに、曾孫はたった二人! 一般に「母子家庭が最貧困家庭」とか、「貧富・学歴が世襲される世になった」、「生涯未婚の男性急増」とか語られる。今の日本ではどんどん増えている貧しい家はこれまたどんどん子孫が減っていき、家系さえ途絶えていく方向なのではないか。
こんな豊かな現代日本、これに韓国も加えるとここ数十年で先進国に仲間入りした世界が軒並み、こんな原始的な現象を呈している。それも間違いなく、世界的な格差という新たな人為的社会的な原因が生み出したもの。地球を我が物顔に支配してきた人類だが、そのなかに絶滅危惧種も生まれつつある時代と、そんなことも言えるのではないか。
彼の韓国青年につい最近あったが、以上の話を改めて僕から報告したのは言うまでもない。そして、韓国の為替や財界から日本が大きく搾取した時の話を僕から切り出して、お詫びのようなことも伝えたものだった。